#179
「……はあ?」
[だから、君の天使さ。ゴールデンライアン]

 声のトーンは、大きくも小さくもない。
 とはいえ、いくらここが喧噪の最中でも、まったく聞こえないというほどではない音量のはずだった。しかし周囲の人々は、険しい表情で突っ立ったままぶつぶつと誰かに向かって話しかけているライアンを、怪訝な表情でちらちらと見ているだけである。

[私の声は、君にしか聞こえない。なぜなら私は君の天使だから]
「……星とやらに連れてってくれるっていう?」
[そうとも!]
 ライアンが思う通りのことを言ったのが嬉しいのか、弾んだ声色だった。

「星って、結局何なんだ? 天国か?」

 こういう相手との会話はひとまず相手に合わせてペースを掴んでから、と心得ているライアンは、相手の話に興味を持ったかのような質問をした。
 それに実際、前から少しだけ気になっていたことではあった。事件のヒントになるかと、おそらくネフィリムのものだろうあの教会に残された星の民の聖書をライアンも流し読みした。読む前はなんとなく、善行を積んだ善人だけが行ける楽園、天国のようなものを想像していたが、どうもそうとは言い難いような描写も出てくる。
 絶対的な神のようにも、楽園であるようにも、安らかな墓所のようにも、あるいは聖母に抱かれることのようにも表現される“星”が何なのか、ライアンには結局よくわからなかった。よくわからない表し方だからこそ、この星を金の輝きと解釈する者もいるのかもしれない、とは思ったが。

[興味を持ってくれて嬉しいね]
「まあな。あからさま、あんたがこの一連の事件の真犯人っぽいし?」
 そうだ、だからこそここで逃してはならない。そう思い、ライアンは密かに手に汗を握る。
[犯人なんて言い方は心外だなあ。別に誰に迷惑をかけたわけでもなし]
 残念そうな様子だった。心底そう思っている、というような。
「……そぉ〜りゃ、大層な言い分だなぁ?」
 これだけの騒動を起こしておいて何をいけしゃあしゃあと、という気持ちをふんだんに込めて、ライアンは慇懃無礼に、とてもゆったりと言う。

[だってそうだろう? 狙撃はされたけどアンジェラは眠ってただけで結局元気だし、攫った市民だってちょっとエネルギーを拝借しただけで傷ひとつない。アンドロイド騒ぎで怪我をした市民はいるかもしれないが、死亡者はいないし、怪我人だってアンジェラひとりでカバーできる範囲でしか出てない]

 そのとおりではある。
 意外なことに、これだけの大騒動である割に、人的被害は驚くほど少ないのは事実なのだ。それは現在ヒーローたちの尽力と市民らが一丸となって悪意に抗った結果だと喜ばしく誇らしげに受け止められているが、──もしかして、それ以外の要因があるのだろうか。
 どこを睨んでいいのかわからない相手に対し、ライアンはただ眼光を鋭くした。

[私だっていろいろ考えているんだよ。私はどうでもいいけれど、君はそういうの嫌いそうだから気を使ったつもりなんだけど]
「……そりゃどうも?」
 なんだこいつ、と強く思いながら、ライアンは頭脳をフル回転させ、この得体の知れない存在との関わり方を模索していた。
 奴にとっての最高到達点である“星”に連れて行こうとし、そのためになるべく機嫌を損ねまいと市民への被害を抑えるほど、己は高く買われているらしい。その理由は? 目的は何だ? ──こいつはいったい何者なのか?

「……ガブリエル?」
[なんだって?]

 ぼそりとライアンが呟くと、相手はひゅんと温度が下がったような声色になった。
[ガブリエル? 誰だい、それは]
「俺はよく知らねえけど、知り合いが言ってた特徴と似てたもんでね。違うのか?」

 ──自分の声を聞いたことがある相手にならば、どこにいても頭の中に直接メッセージを届けられる。あれはそういう能力の持ち主だった

 ガブリエラがマムと呼んでいた女性、ガブリエルの能力。アンジェロ神父によれば、更にその声を神の啓示のように思わせそのとおりに行動させる力も備えている。
 また頭の中に響く声も女にしては低く、男にしては高いような性別不明の声なので、昏睡中のガブリエラの声を借りて喋ったガブリエルを彷彿とさせた。

[……私は、ガブリエルとかいう奴じゃない]
 しかし何やらむすっとしたような声は、少なくとも嘘をついてはいなさそうだった。
 なぜか機嫌を損ねたらしい相手に、ライアンは片眉を上げて更に頭を回転させる。
「そりゃあ失礼。じゃあ……」
[うん、うん]
 誰だ、と聞こうとした所で相手が期待するような反応をしたので、ライアンは一瞬詰まった。この妙な子供っぽさ、図々しさは、どうしても覚えがある。

「……ルーカス・マイヤーズ?」
[そう、そうだね! そうとも言うよ]
 わかってくれて嬉しい、と言わんばかりの弾んだ声。その様子と後に続いた言葉に、ライアンは怪訝な顔をする。
「“そうとも言う”? どういうことだ?」
[ふふふ、そうだよね。君は知らないよね。いや他の誰も知らないことだ、仕方がない]
 性別不明の声は、とびっきりの秘密をもったいぶりながら親友にだけ打ち明けようとする少年のようにも聞こえた。

「……何の話だ?」
[ルーカスという名前の意味は、“光”。何度形を変えても、私はいつもそう名乗ってきた]
「光……」
[そうだとも]
 大きく頷いたような、満を持してついにと言わんばかりの声だった。
[ルシウス、──ルシウス3世。この名前もまた同じ“光”という意味]
「……なんだって?」
 ライアンは、唖然として言った。
[ふふふ]
 驚かせたことが面白かったらしく、こらえきれないような笑い声が響く。

 ルシウス3世。◯◯王国の最盛期を作り上げた王でありながら、同時に滅亡もさせた王。
 迫害して追い出した魔女たち、すなわちNEXT能力者らが作った街・シュテルンビルトを奪おうとし、ミカエラ姫と敵対した挙げ句に歴史の中に消えていった存在。

「……おいおい、勘弁しろよ。あいつの母親……ラファエラの事だってまだ半信半疑だってのに」
 さすがに混乱するライアンに、相手はまた含み笑いをした。そして、続ける。
[でも、これもまた仮の名前だ。私の、本当の名前は]
 ひと呼吸置いたのがわかった。

[──ルシフェル]

 輝きをもたらせし者、明けの明星。
 ミカエルとともに最高位の天使セラフィムでありながら、神が作った人類に拝礼せよという命令を拒んだことで天から追放されたと言われる天使。

[それが私の本当の名だよ、私のミュトス]

 泣き震えるようにも聞こえる声だった。










「危ないっ!!」

 ブルーローズが、アンドロイドが盛大に壊して飛び散る壁の破片を氷の壁で防ぐ。

「──バイソン! 今のうちに避難させて!」
「よしきたぁっ!」
 一家まとまって避難してきたらしい数人を、すぐさまロックバイソンがその巨体で庇いながら避難用バスへ誘導していく。
「よし、家族全員揃ってるか!?」
「は、はい。ええとでも、彼女は……」
 一家の家長である男性が、一緒に避難してきていた女性をさして言う。
「途中でフラフラ歩いてたんで、連れてきたんだ。事情をまだ聞けていなくて」
「そうか。おいあんた、大丈夫か? 連れはいないのか?」
 ロックバイソンが話しかける。──しかし、女性は無反応だった。無表情でぼんやりしているその様に、ショックで呆然としているのだろうかとロックバイソンは痛ましげに「いや、いいんだ」と首を振る。
「今はとにかく避難してくれ。彼女を頼んでいいか」
「ええ、ここまで来たら一緒に行きますよ。こういう時こそ助け合いです。なあ」
 男性が家族に同意を求めると、彼の妻や子どもたちも笑顔で頷く。
「うっし、それでこそシュテルンビルト市民だ! 頼んだぜ!」
 善良な一家にロックバイソンは力強い声をかけ、バスに乗るように促す。

 その時、きらり、と一閃が走った。

 ──ザンッ!!

「ぎゃああああああああ!?」
「うわああああああああ!!」

 ロックバイソンと、市民たちが絶叫する。
 なぜなら突然飛んできた巨大な手裏剣が、女性の首を一瞬にして撥ね飛ばしたからである。

「まっ、ままままままじかよ折紙なんで、……あれ? え!?」
「ご無事でござるか、バイソン殿!」
 ロックバイソンがきょとんとしていると、折紙サイクロンが駆け寄ってくる。
「ぎゃー! ひ、人殺し!」
「えっ!? ご、誤解でござる! よく見てくだされ!」
 真っ青になって叫ぶ市民に、折紙サイクロンは慌てて地面を指さした。

 巨大手裏剣が撥ね飛ばした首もと、崩れた胴体。そのどちらも、血が一滴も出ていなかった。折紙サイクロン以外がそれに混乱していると、胴体と頭がそれぞれ地面に転がると同時に、ボン! と音を立てて黒い骸骨の姿になる。

「……ア、アンドロイド?」
「一緒にバスに乗ろうとしていたので驚いたでござるよ」
「そ、そうか。よく見抜けたなあ」
「え?」
「え?」

 双方首を傾げているヒーローたちに、市民も首を傾げていた。



「これはいけない、そしていけない!」

 その頃、別地区の上空では。
 己の能力を備えてふわふわと浮き、風に乗って方々に散らばっていこうとしている黒い骸骨たちに、スカイハイが慌てた声を上げていた。
「アンドロイドは骨でスカスカ……効果は薄いかもしれないが……!」
 しかしよりにもよって己の能力で市民を傷つけることになるのは絶対に許せない、とスカイハイは両手を頭上で交差する。そして青白い能力発動光とともに、アンドロイドたちが視認できる広い距離に風を飛ばして渦巻かせていく。
 元々風に乗って漂っていたアンドロイドたちは、緩い竜巻のような風の渦に巻き込まれて集約されていく。壊せなくとも、せめてまとめて飛んでいかないようにという目論見である。

「スカーイッ……! ……お、おや?」

 しかし、調子抜けしたスカイハイはその風も中途半端なものにしてしまった。
 なぜなら強い突風を起こすまでもなく、彼の風でがしゃがしゃとぶつかりあったアンドロイドたちが、ぼろぼろとパーツごとに崩れて落ちていったからである。

「……不良品かい?」

 首を傾げつつ、しかしそれで悪いということはない、とスカイハイはアンドロイドたちが崩れて落ちていった地点をチェックしに降りていく。今まで手足が取れたり、体が真っぷたつになっても限界まで可動し続けていたアンドロイドである。油断はできない、という堅実な判断だった。

 結論から言って、ゴールドステージの道路に散らばったアンドロイドは完全に活動を停止していた。試しに頭部を拾って観察するが、まったくもって動く気配はない。
「ふむ……?」
「きゃあああっ!!」
 絹を裂くような悲鳴が聞こえ、スカイハイは黒い髑髏を放って声がした方へ飛び出していく。するとそこには相変わらずビルを壊して回るアンドロイド数体と、散らばる建築物の破片から逃げ惑う市民たちがいた。
「助けて、スカイハイ!」
「任せたまえ! スカァーイ、ハァーイッ!!」
 ごうっ、と操られた強い風により、飛び散る破片がまとめられて人気のない場所へ押しやられる。スカイハイはその間に市民を避難通路へ逃し、街を壊し続けているアンドロイドに改めて向き直る。

「スカァーイ、ハハハハーイッ!!」

 短く、しかし強い鎌鼬のような風を発生させ、アンドロイドたちに放つ。
 先程アンドロイドをまとめて壊した風と比べれば、格段に破壊能力のある強さの風だ。しかしそれらはすべてアンドロイドの骨の間をすり抜け、まったくもって効果がないまま消えてしまった。
 攻撃されたアンドロイドたちが、振り返る。がこんと顎関節が開かれた口の中には、炎、あるいは氷、あるいは電撃が渦巻いていた。

「これは──!?」



《皆、各々耳を拝借したいでござるっ!!》
「折紙さん?」

 ぜえはあと荒い息をつきながら、ドラゴンキッドが顔を上げた。
 彼女に対してだけではない。ヒーロー全員への通信であることを表すアイコンと共に、折紙サイクロンの声が届いていた。アンドロイドから市民を守りながら、皆その声に耳を傾ける。

《アンドロイドの攻略法がわかったでござる!》
「ほ、本当!?」
「どうすればいいの、折紙ちゃん!?」
 防戦一方のブルーローズとファイヤーエンブレムが、疲労の滲んだ声で食いつく。
《おう! 自分の能力を持った奴を攻撃しな!》
「えっ、自分の?」
 割り入ってきたロックバイソンの言葉に、ドラゴンキッドが驚いて目を丸くする。
《拙者の能力で市民に擬態しバスに乗り込もうとしていたアンドロイドがいたのでござるが、……バイソン殿らには市民に見えておられたようですが、拙者には黒骸骨にしか見えなかったでござる。しかも一撃で倒せ申した!》
「……ってことは」
 ブルーローズが、氷を履いてビルを凍らせて回っているアンドロイドを睨む。
「自分の能力は見破れるし、勝てるってこと!?」
《やはりそうか!》
 今度は、スカイハイからの声が響いた。
《アンドロイドは相変わらず非常に強靭かつスカスカだが、私の能力で空を漂っていたアンドロイドは風の攻撃が効いたし、あっけないほど簡単に壊れて停止したよ。折紙君とバイソン君の言うことは確かだ! そして確か!》
《おうよ! コピーはオリジナルに勝てねえってのは、当然っちゃあ当然だけどな!》
 そう言いながら、身体硬化の能力を発動したロックバイソンが、どんな攻撃もまったく効かなかった自分の能力を持つアンドロイドを、まるで脆いガラス瓶のように粉砕する様がTVカメラで撮影される。

 通常、いや常識として、自分の能力は自分に効かない。
 ブルーローズは自分の氷で凍りつくことはなく、ファイヤーエンブレムは自分の炎で火傷せず、ドラゴンキッドもまた電撃に感電することはない。
 だからこそ、彼らはむしろ自分の能力を持ったアンドロイドに自分の能力は効かないと思い込み、接触を避けてすらいたのである。

「んまっ、なんて盲点……!」
「でも、これで突破口が見えた!」

 ファイヤーエンブレムが悔しそうに言い、ドラゴンキッドが電流を自分の身体や棍に纏わせながら言う。彼女たちだけでなく、ヒーロー達全員が、自分の能力を持ったアンドロイドを目で探し始める。

《というわけで、皆引き続き市民を守りつつ、自分の能力を持ったアンドロイドを壊すでござるよ!》

 非常に珍しい折紙サイクロンからの指示に、全員が威勢のいい了解の返事を返した。






「皆さん、無事ですか!」
「おお、バーナビー君!」

 有能な自社ヒーローの姿に、アレキサンダー・ロイズが安堵と頼もしさで表情を輝かせる。
 ジャスティスタワーの最上部、重役用の会議室や裁判所などが集められたエリアに到達したT&Bは、未だ取り残されているという市長と七大企業代表らの様子を見に来ていた。
「ネフィリムとやらが女神像の頂上を占拠したと聞いてね。下手に動くと彼女を刺激するかと思い、君たちが来るまで念の為ここに留まっていたんだ」
「賢明な判断だと思います。……ネフィリムはここに来ましたか?」
「いいや、素通りだったよ」
 顔も合わせていなければ音声や文書での働きかけもない、というロイズの言葉に、他の面々もそれぞれ頷く。
「シュテルンビルトを占拠したいのなら、私達に脅迫や交渉があってもよさそうなものだけどねえ……」
「いや、そういうのはねえよ。……いや、ありませんよ」
 ワイルドタイガーが、ぼそりと低い声で言った。全員の注目が彼に集まる。

「ない? なぜだね?」
「いや、だってあいつ……」
「後にしましょう。皆さん、斎藤さんに頼んで僕たちのポーターをジャスティスタワーのロータリーで待機させています。装甲車でもありますから、VIPの送迎も立派に果たせますよ」
「おおっ」
 バーナビーの心強い言葉に、市長が掌を胸の前で組んで安堵の表情を見せる。
「で、ではふたりが下まで連れて行ってくれるのだね!?」
「いえ、僕たちは……」
「すんませんけど、俺らはネフィリムのとこに行くんで……。自分で避難してくれます?」
「な、なんだと!?」
 シュテルンビルト最大のVIPが勢揃いした場で“自分でなんとかしろ”と言い放ったヒーローふたりに市長はひっくり返った声で叫び、他の面々も目を丸くした。

「……アンドロイドやネフィリムは、驚異ではないと?」

 静かな声で尋ねたのは、ユーリであった。その灰色の目は、自力で避難しろと言ったワイルドタイガーをとらえている。ワイルドタイガーもまた、その目を真っ直ぐに見返した。
「ああ、大丈夫だ」
「そうですか」
 自信に溢れたその返答にユーリはいちど目を伏せ、そしてやがて相変わらず冷静な表情で顔を上げた。
「彼らに従いましょう。プロの言うことですから」
「裁判官さん、相変わらず話がわかる!」
 歯を見せてにっかと笑みを浮かべたワイルドタイガーは、「じゃ、急ぐんで!」と言って更なる上階へ向けて走っていく。
「タイガーさん! ……すみません、ここは」
「ご心配なく。念の為待機はしておりましたが、非常用の別電源での特別避難経路もあります」
 裁判所もある、つまり重大な犯罪の被告や参考人などが集められているジャスティスタワーゆえの設備。一般避難路とあわせて使えばアンドロイドとも鉢合わせしにくいでしょう、と言うユーリに、申し訳無さそうなバーナビーは驚きとともに心強そうな表情を浮かべた。

「まあ、そういうことなら」
「何もかもヒーローに頼るのも情けないというものだ。ただでさえ人手が足りていないのだし」

 クロノスフーズ、ポセイドンラインのCEOが、相変わらず侠気に溢れた発言とともに了承する。だがしかし、それに反対する者も特にいなかった。──若干青い顔をしている市長以外は。
「……では申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「ええ。あなた方はあなた方の仕事をしてください」
「はい!」
 きりっとした表情で頭を下げたバーナビーが、ワイルドタイガーの後を追って走っていく。

「で、では避難しよう。ヒーローがいないんだ、早く……」
「いえ」

 そわそわと自分の席を離れようとする市長を、ユーリが低い声で止めた。

「彼らは彼らの仕事を。私達は私達の仕事をしてから逃げるべきです、市長」
「な、何の話だね?」
 おどおどと目を泳がせる市長に、ユーリは話し合いの最中ずっと操作していたPC端末のキーを叩く。
「シュテルンビルトを守る手段として私達が持つカードは、エリア連合や国際司法局の保護を受けるか、あるいは軍の派遣に了承すること。しかしどちらも今この場で市民は守れても、シュテルンビルトの存続を諦めたも同然の悪手です」
「うっ……」
 市長は胃が潰れそうな顔をし、七大企業代表らがそれぞれ重々しい表情で頷く。
「しかし、もう一手ないこともありません」
「な、何だって?」
 目を白黒させる市長に、ユーリは端末を操作し、作成された書面を彼の席の端末に送信した。同時に、全員から見られる大画面にも同じものが表示される。

 その内容に目を通した全員が、これは、と驚愕の表情を浮かべてざわめく。

「エリア連合や国際司法局の保護も受けず、また軍の力も借りず。そしてNEXTが有用かつ支配されるべきでないものだとアピールしながらにしてこの窮地を脱する方法は、これだけです」
「し、しかし! こ、このような……前代未聞だ!」
「ええ。ですがこれ以外に案が?」

 ユーリが、全員の顔を見渡す。
 皆、難しい顔をしている。しかし反対意見を含め、他の案は出なかった。

「市長」

 裁判官であるユーリ・ペトロフは、法壇から判決を述べるようにして告げる。

「ご決断を。これがあなたの仕事です」

 逃げるのはそれからです、とユーリは断言した。
 彼のその目は、燃え尽きたように乾いた、それでいて奥にとんでもない熱をはらんでいるような。あるいは気を狂わせる満月の色にも似た、灰色の目だ。
 ガブリエラ、ホワイトアンジェラ曰く“普通の人”であり、そういう意味では“市民”の代表、いや象徴でもあるがゆえに市民の要望を即反映させるタイプの市長は冷や汗を浮かべてごくりと喉を鳴らすと、震える手でペンを握った。










《ヒーローたちが突破口を見出しました! 同じ能力を持つアンドロイドは簡単に倒せるということに気付いたのは、見切れ職人折紙サイクロン! カメラの見切れ角度を見逃さないニンジャの観察眼は、アンドロイドの弱点も見逃さなかったァーッ!!》

 興奮しきったマリオの実況と共に、ヒーローたちがそれぞれの能力を持つアンドロイドをばったばったと薙ぎ倒して破壊していく様が次々に放送される。
 避難バスやロープウェイ、飛行船、あるいは避難所の中でそれぞれHERO TVの中継を見守っている市民たちが大歓声を上げていた。

[おやおや。やはり簡単に見破られてしまったね]

 大したことでもなさそうに言う相手に、ライアンは眉を顰めたままだ。
「余裕だな」
[そうでない時などないさ。何もかもわかりきったことだからね]
 ルーカス・マイヤーズ──いやルシフェルは、つまらなそうに言った。

 先程から、ルシフェルはライアンが聞かなくとも、今まで起こったことのネタばらしを朗々と勝手に語り続けていた。
 例えばガブリエラのマンションの部屋を低い階に変更したのはやはり彼がハッキングしてのもので、また彼女のヒーロースーツについていたジャミング装置も同様だった。警備が緩すぎるよねえ、と、世界最高峰のセキュリティシステムを痕跡の欠片も残さず突破したことをさておいて余裕綽々で言う。
 また廃工場近くに乗り捨てられ炎上した車と炭化したアンドロイドに関しては、ネフィリムと合流するため、ロビン・バクスターの所在転換能力を搭載したアンドロイドを廃工場の屋上に配置して車内のルーカス・マイヤーズと入れ替わり、そのまま仕掛けで爆発炎上させたことなども。

 それは質の悪いいたずらで散々大人を困らせた子供が得意げにその内容を語るような様に似てこちらを苛つかせたが、情報を得られるのならば黙って聞いていたほうがいい、とライアンはあえてルシフェルの言葉を否定せず、時に小さな質問を交えて好きに語らせた。
 そして気を良くしたらしいルシフェルは、今ヒーローたちが見破った、アンドロイドに搭載されたコピー能力はオリジナルには勝てないということについても勝手に話し出す。

[NEXT能力は脳の機構が要だけど、それだけだと発動しないものもある。生体部品──肉体を発動ツールにするものとかね]
 なるほど、ハンドレッドパワーを搭載したアンドロイドがいないのはそのためか、とライアンは納得した。ホワイトアンジェラのコピーがいないのも、彼女の能力が生命活動と切り離せないカロリーというものであるからだろう。
 更に言えば、もし彼女の臓器なども再現してコピーを可能にしたとしても、その能力で回復できるのは生命体だけ。アンドロイドに対しては何ら意味のないものになる。

「……なるほど? じゃあ目的は俺の能力か」

 ライアンの能力は、誇張なしに強力、かつ凶悪だ。
 公式最高値は、612倍。60キロの人間なら、約37トンの負荷。全力でやれば巨大な鉄骨を地中深くまで沈めることも出来るこの力を複数のアンドロイドにコピーすれば、シュテルンビルトなど一瞬にして潰れたサンドイッチのようにできてしまう。
 しかし実際にそうなっていないのは、理由は不明だがライアンの能力がコピーできないからだ。
 そしてだからこそ、ルシフェルはその力を欲して自分ごと“星”とやらに連れて行こうとしているのではないか、とライアンは当たりをつけたのである。

[……ふっ、くっ、くっ。ああ、やっぱり君は頭の回転が速い。言葉少なにして話がスムーズに進むというのは本当に快適だ、本当に]

 非常に愉快そうに、そして言葉通り心地よさそう、更に言えば単に楽しそうな様子でルシフェルは笑いながら言った。
[そう、そのとおり。君の能力は容量が大きすぎる。アンドロイドのコアどころか、私に作ることができる最大規模のスーパーコンピュータでもっても再現できないね]
「そーりゃ、俺様の器のでかさが為せる技ってやつぅ?」
[そういうことだろうね。素晴らしいよ]
 軽口を叩いたつもりが何の嫌味もなくルシフェルが褒めてきたので、ライアンは微妙な顔をした。

[脳も、肉体も、君は君でなければ成立しない。まさに君は……ミュトスだよ]

 輝ける星に膝をついて拝するような、陶酔したような声。
 まさに地に伏せてブーツにキスでもせんばかりのその様子に、ライアンの背にぞぞっと怖気が走る。

[コピーできない能力は概ね3種類だ。生命活動を行う肉体を要とするもの、君のように容量が大きすぎるもの、バグが多すぎるもの]
「バグ?」
[その場ごとの感情、つまりランダムに分泌される脳内物質などだね。不安定なものを再現するのは面倒くさい。まあ、ネフィリムのように人格や記憶ごと丸ごとコピーすれば可能だが、それはそれで余計な容量を食うしね]

 本当にロジカルに、“もの”の仕組みを話すその様子に、ライアンはルシフェルが他人を人間扱いしていないことを理解する。それは不気味で、歩み寄れない、いや歩み寄ろうという気を起こさせない本能的な忌避感を感じさせた。

[さて、君と話すのは雑談でも快いけれど、そろそろ行こうか]
「行くって──」

 どこに、とライアンが続けようとした瞬間、ずんずんとこちらに歩いてくる気配が現れる。
 忙しなく行き交う医療スタッフや二部リーグヒーロー、また市民たちの間をまっすぐに抜けてやってくるのは、白を基調として薄金とクリアな水色パーツがポイントになった、犬耳付きのヒーロースーツ姿。
 言わずもがな、ホワイトアンジェラである。後ろ両サイドにボディガードであるアークエンジェルがつき、更にその後ろではチョップマンが心配そうにしている。どうやら彼がライアンのことを報告したようだ。

「……アンジェラ」
「ライアン? どうしたのですか?」
「ああ、いやな──」

 他人としては近すぎる距離、恋人としては当然の距離まで近づいてきて言った彼女に、どう説明したものか、とライアンは一瞬躊躇した。
[……彼女か。まあ別にいなくてもいいんだけどね]
 どこか不機嫌そうな、臍を曲げたような声。しかしその声色ではなく内容にどういうことだとライアンが言おうとしたその時、ホワイトアンジェラが吠えるようにして口を開いた。

「──誰と話しているのですか! 誰ですかそれは!」

 その発言に、ライアンは今度こそ目を丸くする。
 そして歯を食いしばり、「ヴー」と警戒心あらわな唸り声を上げている彼女を、驚きのまま見下ろしたのだった。
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BY 餡子郎
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