#171
「こんなところまで、本当によくいらっしゃいましたねえ。ご苦労なさったでしょう」
「それはもうな」
 こんなところ──すなわち無数のミイラが寛ぐ骸骨礼拝堂をうんざりした様子で見ながら、エドワードが返した。
「そうでしょう、そうでしょう、そうでしょう。おかわいそうに。温かいお茶を入れましょうか」
 おどろおどろしい、悪趣味極まる礼拝堂で和やかに茶を勧めてくる神父に、ふたりは得体の知れない怖気を感じて警戒を強める。

「……黒い骸骨アンドロイドを使って市民たちをブロンズステージから攫ったのは、貴公でござるか?」
「そうですよ」
 折紙サイクロンの問いに、老神父は、今日はいい天気ですねという世間話にそうですねと返すような和やかさで、あっさりと白状した。
「市民は返していただく!」
「ええ、ええ、ええ、ええ、もちろん、それはもう。申し訳ないことをしました」
「……なんだって?」
 本当に申し訳無さそうな顔をしている老神父に、エドワードが眉を顰める。

「ひとまずの用事が終わりましたので、祭壇で挨拶を済ませたら、皆様を地上にお返しするつもりだったのです。この老骨ですのでひとりずつにはなりますが、ええ、ええ、ええ、ええ、ええもうそれはもう、もう、もう」
 左右の手の指を組み、許しを乞うように、祈るようにしてその手を上下に動かして言う老神父に、折紙サイクロンとエドワードは警戒は解かないままながら、不可解そうに一瞬顔を見合わせた。
「申し訳ない。お手を煩わせて申し訳ない。私たちのもののような分際で」
「……よくわかんねえけど、市民は地上に連れ帰ってもいいんだな?」
 怪訝な様子で、ひとまずエドワードが尋ねる。すると、老神父は剃り上げられた頭で大きく頷いた。
「それは、それは、それは、それはそれはもう。本当に、私たちのような者が、普通に暮らしてらっしゃる方々を勝手にこんなところにお招きして、面目次第もございません。本当に申し訳ない。ジョニー・ウォンという方の能力で気を失わせてはおりますが、栄養点滴をしておりますので、そこまで衰弱してはいないはずです」
 怪しさしかないが、とりあえずこの点は信じよう、と即席親友バディはアイコンタクトのみでやりとりする。

「……あんたは誰だ?」
「私はネフィリム」

 老神父は、スカイハイたちが来た時と同じように名乗った。
「そうか、ネフィリム。じゃあここに大勢いる、ひどく無口な奴らは誰だ?」
 エドワードは、壁中に埋まった骸骨や、カソック姿のミイラたちにちらりと視線を飛ばした。
「彼らもまたネフィリムです」
「なんだって?」
「私たちはネフィリム」
 まるで、大事なイマジナリーフレンドを紹介する幼児のような様子で、老神父、ネフィリムは言った。

「なぜ市民を攫った?」
「市民の皆様をお連れしましたのは、天使を目覚めさせるために必要だと、御使い様がお命じになられたので」
「天使……? 御使い様? それは一体──」
《事情聴取は後で警察がやる》
 折紙サイクロンの発言を遮って通信機から届いたのは、地上にいるフリン刑事の声。
《とにかく奴を拘束して、ここに連れてこい。話はそれからだ》
「……了解でござる」
「わかった」
 ふたりは再度老神父に向き直り、その挙動に警戒を高める。

「抵抗しないように。貴公には警察に出頭して頂き、しっかりと話を聞かせてもらうでござる」
「……警察?」
 折紙サイクロンの硬い声に対し、血に濡れた茨の冠をかぶった皺だらけの老人は、まるで無垢な幼女のようにきょとんと首を傾げた。
「警察? なぜ警察です? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?」
「おい……」
 首を傾げたまま、焦点の合わない目をして壊れたラジオのように繰り返すネフィリムをエドワードが不気味がり、一歩下がる。だがそれを咎めるようなタイミングで、ネフィリムが言った。
「殺しにいらっしゃったのではないのですか?」
「……なんだって?」
 思わずといった様子で、エドワードが聞き返す。

「私たちを殺しにいらっしゃったのではないのですか?」

 それは心底残念そうな、悲しそうな声で、ふたりは困惑した。しかし呑まれまいとするかのように、折紙サイクロンが軽く頭を振って気を取り直す。
「殺したりはせぬ。我らヒーローは、犯罪者を捕まえて法の手に委ねるのがその役目でござる。貴公がどんな罪を犯したのか、そしてどんな罰が下されるのかは、警察や司法局がしっかりと調べよう」
 折紙サイクロンのその発言は至極まともで、真面目で、いっそ誠実ささえ感じられるほどであった。そしてその言葉にネフィリムは、残念そうという表現を超えて、ひどく失望した、いやいっそ絶望したような顔をした。

「ああ、無駄なことです。まったくもって無駄なことです。正義も悪も、もうどこにもない。私たちはもう殺されるしか行き場がないというのに」
「そんなことはない。罪をきちんと償えば──」
「生まれたことが罪ならば、死をもって償うしかありませんでしょう」
 ネフィリムは続ける。
「なぜなら私たちは、生まれる前に死ぬべきだったもの。世界の誤り。失敗作。誕生を歓迎されなかったもの。神にも天使にも見放され、救世主からは無視され、隣人もいない。産まれて死ぬまでたったひとり。あるのは共食いの虚無だけ」

 ネフィリム。その名前の意味は、スカイハイたちに対してそう名乗られた直後から、既に警察やアスクレピオスのスタッフが調べ上げている。
 それは堕天使とされるグリゴリたちと人間の女たちという禁忌の間に生まれた巨人たちのことで、地上の食物を食い荒らしたあとは共食いをして絶滅したと聖書に記された存在のことだ。生まれてきてはいけなかったものの代名詞、とされることもある。
 この老神父の言う“ネフィリム”の実態は未だ不明であるが、共食い、生まれてきてはいけなかったもの、というキーワードは、意味不明ながらも聖書の内容と一致する。

「だからせめてと、私たちはお互いに、思いやりをもって殺してきました。生まれてきて申し訳ないと詫びながら、しかし仲間たちに感謝を抱いて殺されてきました。ここで……この地下で。星の街の下、光届かぬ、誰も知らない鉄の街で」

 ──ずっとずっと、そうしてきました。

 微笑みを浮かべた皺だらけの口元がそう紡ぐのに、折紙サイクロンとエドワードはぞっとした。

「ですが、そう……そう、そうですか。私を殺しにいらっしゃったのではない。私を殺してくださるのではない。なんと無慈悲な……」
 茨の冠を思わせる頭の傷痕から流れた血が、老人の目尻にかかる。まるで血の涙を流しているようなその顔は絶望に満ち、そしてその目は青白く輝き始めていた。
「ああ、私には、私たちには慈悲を望む権利すらない。そういうことでございましょうか。なるほど、なるほど。なるほどなるほどなるほどなるほど」
「折紙サイクロン! 気をつけろ!」
「殺してくださらない。殺されるしかないというのに、殺してくださらない。ならば」
 エドワードが警告を発すると同時に、ふたりとも能力発動に備える。

「──ならば、殺すしかありません」

 すとん、と老人が消えた。
「なっ……!?」
「どこに!?」
 またも落ちるようにしていなくなった姿に、ふたりが混乱する。しかしそこにあるのは埃っぽい床と物言わぬミイラたち、そして壁に塗り込められた無数の骸骨だけである。
「……壁抜けの能力があるって言ってたな。床をすり抜けたってわけか」
「では、この下に?」
「逃すか!」
 エドワードが能力を発動させ、部屋の広範囲を一気に砂状化する。ざあああああ、と砂が渦巻き、埃っぽい床のほとんどが砂のプールになった。無機物を砂状化するエドワードの能力なら、広範囲を砂状化することで、レーダーのようにその中にある有機物を探し出すこともできるのだ。
「──2時の方向!」
「承知!」
 折紙サイクロンが、エドワードの指示通りの場所に何かを投機する。空中でバッと網状に広がったそれは、犯人確保用に開発された拘束具である。

「おや、おや、おや、おや、おや、おや、おや」

 砂の下から姿を表したのは、驚いた顔のネフィリム。しかし彼、あるいは彼女は、拘束用の網を被せられたことをなんとも思っていない様子で斜めに座りこみ、まるで幼子のように砂をすくっては落とし、すくっては落としという動作を繰り返していた。
「これは、これは、これは、これは。ものを砂にする能力? これでここまでいらっしゃった? これはこれは、これはこれは。初めて拝見いたしました。私と似たような能力は」
「……似たような?」
 エドワードが思わず呟くと、ネフィリムは微笑んだ。少し興奮の混ざった、とても嬉しそうな笑顔だった。
「ええ、ええ、ええ、ええ。私の能力は“状態操作”です」
「状態操作?」
「そうです、そうですそうです。砂よりも細かくできます。子供の頃に習うでしょう? 分子結合の具合によって、物質は固体・液体・気体という状態に変化する」
 ネフィリムはそう言って、手ですくった砂をまた落とした。しかしその砂はもはや砂ではなく、液状になっている。そしてその液状になった砂に再度ネフィリムが触れると、それは今度は靄のようになって消えていった。気体になったのだ。
「戻すこともできますよ」
 今度はまるで綿菓子でも作るように人差し指をくるくると空中で回したかと思うと、その手の周囲に液状になった砂がまとわり付き始め、それをもう片方の手で受け止めると、砂の山に。更にそれをひとすじに落とすと、落ちた先から元通りの石材になった。結果、ネフィリムの足元だけが元の通りの石床になる。
 まるで子供の粘土遊びのような気軽さで自在に物質を操るその能力は、誰が見ても間違いなくSレベル以上の強力なものである。

 そしてこの能力ならば、ガブリエラの部屋に音もなく侵入し隠しカメラや盗聴器を仕掛けることも、地下を自由自在に動き回ることも可能であることは明らかだった。

「あなたのように広範囲ではなく、私の身体に接しているものだけになりますが」
「ご親切に能力のネタバレか? 舐められたもんだな」
「よく説明させていただければ、殺しやすいでしょう?」
 苦い顔で言ったエドワードに、ネフィリムは期待を込めた様子でにっこりした。
「そちらのヒーローさんは、私を殺してくださらないご様子ですが。貴方なら。私と同じような能力の貴方なら、私を殺してくださるのではと思いまして」
「何だと?」
「だって貴方、人を殺したことがあるでしょう」
 あっさりと言ってのけたネフィリムに、エドワードが肩を揺らし目を見開く。

「エドワードのこと、知って……?」
「いいえ?」
 困惑の滲んだ折紙サイクロンのつぶやきを、ネフィリムは軽く否定した。
「しかし、目を見ればわかります。たくさん見てきましたからね、その目を」
「何……」
「大きな罪悪感。そんなつもりではなかった、自分のせいではないという葛藤。苛立ち。悲しみ。取り返しの付かないことをした絶望。許されたいという渇望。そのためには自分も同じように、と考える迷い」
 ネフィリムは、じっとエドワードを見ながら言う。その目の色も判別できないほどに真っ暗な、どこに繋がっているのかわからない深い穴のようなその目に、エドワードは吸い込まれるような気がした。
 目眩のするような、底の見えない穴をつい誘われて覗きこむような心地。得体の知れない星の入り口のような目が、エドワードを誘う。引きずり込まれそうになる。

「わかりますとも。私たちも皆そうですから」

 ネフィリムは目を細めたまま、自分に被さっている網を掴んだ。折紙サイクロンがハッとして、スーツに取り付けられたスイッチを慌てて押す。

「な……」
「おや、少しぴりっとしましたね」

 スイッチひとつでスタンガンと同等の電流が流れる網。それを電流ごと、まるで蜘蛛の巣を払うようにしてあっさりと分解し無力化したネフィリムは、老人らしい動作でゆったりと立ち上がり、──そしてまた落ちた。
「くそっ、──ぎゃああああああっ!!」
 砂の下から伸びてきたしわがれた手に足首を掴まれたエドワードが、絶叫する。
「エドワード!!」
 倒れ込んだエドワードに駆け寄ろうとした折紙サイクロンだがしかし、その目前にぬっと現れた黒い背中に足を止める。先程掴まれたエドワードの足首は、しゅうしゅうと奇妙な音を立てて気体が立ち昇っていた。
「おや、頑丈な服ですね。全部蒸発させたと思いましたのに」
 ネフィリムが目線を向けているエドワードの足首は、健在だった。彼自身が長く実験に協力し、アスクレピオスの技術を加え、NEXT能力を完全に通さない素材で作られた特殊スーツが、彼の身を守ったのだ。
 しかしその怪我は相当なもので、半分溶けた真っ赤な肉が血煙を昇らせ、白い骨が見えている部分さえある。

「そう、私は生きているものも分解できます」
 実際に二丁拳銃の老人の脳を溶かしたネフィリムは、静かに言った。
「そのかわり、元には戻せません。分解するだけ。生きているものは常に変化しているからでしょうか」
「ぐ……あ……」
「貴方はどうです? 私を砂にできるのですか?」
 どこかわくわくしたような声色で、ネフィリムはのたうち回るエドワードの傍らにしゃがみ込む。そして青白く光る手のひらを、エドワードの胸の真ん中に置いた。じゅわあああ、と手の形にスーツがゆっくりと溶けていく。
「ぎゃああああああああっ!!」
「そら、溶けてしまいますよ。殺してしまいます。殺されてしまいます。貴方が殺した人のように。早く私を砂にしないと──」
「やめ……、やめろぉお! エドワードの能力は人を傷つけたりなんかしない!」
 親友の命の危機に、折紙サイクロンがひっくり返った声で絶叫する。すると恍惚とさえ言えるような顔をしていたネフィリムが、ぴくりと反応した。そして怪訝な表情になり、彼の胸から手を離す。
「……そうなのですか? 人を砂にできない? 本当に?」
 エドワードは答えなかった。あまりの痛みに意識が飛んでいるのか、敵に情報を渡さないようにしているのかはわからない。
 だがその反応を肯定と捉えたネフィリムは色が抜け落ちたようにして、再度失望の表情になった。

「それは、それは。それはそれはそれはそれは、なんという、なんという、なんてなんて優しい能力でしょう。……しかし、それなのに人を? 人を殺しようのない能力であるのに人を殺したのですか? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? なぜ? そんなに恵まれた能力をもっていて? なぜ? なぜ? なんてことでしょう。よほどの間抜けか、身勝手をした? そうなのですか? おお、それはなんと──」

 エドワードは無言だった。だがネフィリムの妙に柔和な声、そして底なしの真っ暗な穴のような目の向こうに、“あのとき”のことを思い出していた。犯人から銃を奪い取り、慣れない引き金に手をかけた感触。

「なんと罪深い。悪い子ですね、エドワード」

 何の罪もない人質。助けるべき市民が、血を流して倒れていく。考えなしで、自分の能力を過信し、名誉欲に駆られた、愚かな若者、──己のせいで!

 ──ザンッ!!

「おや」

 自分めがけて巨大手裏剣を投げた折紙サイクロンを、ネフィリムはゆったりと振り返った。ネフィリムの腕はカソックを切り裂いてひとすじの切り傷を作ってはいるが、ほとんど液状化されて砂の上に飛び散るようになっている。
「おや、おや、おや、おや、おや、おや、おや。ヒーローが、ヒーローたるものが、私などを本気で殺そうとしましたね? 彼のために? 友人のために、ヒーローでありながら私を殺そうと?」
 ネフィリムはそう言ってエドワードの胸から手を離し、今度はその手を自分の胸に置いた。
「……なんという献身。なんという友情。なんと尊いことでしょう」
 まさに胸を打たれた、とでも言わんばかりのその動作のとおり、ネフィリムはそう言ってはらはらと涙さえ流した。

「エドワードから離れろ」
「しかし残念です。せっかく私と同等の能力者かと思いましたのに、片や間抜けな小悪党。片や貴きヒーロー殿。どちらも私を殺し得る者ではない」
「エドワードから離れろ!!」
 折紙サイクロンが絶叫すると、ネフィリムは立ち上がり、折紙サイクロンを見た。

「……え?」

 ネフィリムのその顔に、折紙サイクロンは呆気にとられた。しかし混乱する彼に構わず、ネフィリムが口を開く。
「もちろんですとも。穢れなきヒーロー殿」
 まるで美しい聖母像でも眺めるような顔をして彼を見ながら、厳かとさえ言える動作で後ろに下がった。
「貴方が私を殺す必要はありません。私はもっとどうしようもなく、同類の手によって殺されるべきなのですから」
「どういう……」
 意味だ、と尋ねる前に、恭しく礼をとったネフィリムはそのまま消えた。
 やはり落ちるようなその消え方で、能力を使って地面を分解して潜ったのだということは明らか。しかし唯一ネフィリムを追えるエドワードは重体であり、また追えたとしても、──勝ち目は見えなかった。

「……くっ、エドワード! しっかり!」

 混乱と、困惑。そして悔しさに折紙サイクロンは拳を握ったがしかし、すぐにいつもどおりに行動する。つまり、目の前にいる者を助けるべく駆け寄った。
「エドワード……エドワードぉっ!!」
「あ……ぐ、ぅ……」
 骨が見えるほど肉を溶かされた足首、また胸の肉を手のひらの大きさに溶かされた痛みは、相当なものだろう。エドワードは苦悶の表情を浮かべ、びっしりと脂汗を浮かせている。
「エドワードが負傷しました! 重症です、脱出経路を確保してください!」
 通信機に向かって叫びながら素早くエドワードを背負った折紙サイクロンは、ミイラたちがひしめく道を全速力で戻っていく。

《ヴィラン・エドワード・ケディ、バイタル低下!》
《脱出経路確保できるか!?》
《壁の厚みが想定より……》

 通信機から、スタッフたちがバタバタと慌てふためく様子が聞こえる。

《折紙サイクロンは無事なのか?》
《無傷です》
《そうか、まだ良かった》
《最悪、彼ならヴィランで──》
「……くそおっ!!」
 エドワードを地面に横たえたその時、こそこそとした声、しかし高性能のマイクがざわめきの隙間から拾ってきたその発言にカッと頭に血が昇った折紙サイクロンは、自分たちがすり抜けてきた、そして今ではびくともしない壁を思い切り殴る。しかしライアンたちがいる場所まで数メートルも厚みのある壁は衝撃が響いた感触すらせず、びくともしない。
「くそっ、くそ、ちくしょう、くそおおお!!」
 巨大手裏剣はネフィリムに溶かされてしまったため、小太刀や苦無を両手に持ち、折紙サイクロンはがむしゃらに壁に突き立てる。
「出して……ここから出して! エドワードが!」
 必死の声を上げながら、折紙サイクロンは岩壁を穿ち続ける。

「……落ち着けよ……」

 掠れた声が、背後から聞こえた。
「ヴィランってのは……こういうもんだ。いざとなったら、切り捨てられても、文句は言えねえ……」
「うるさい! そんなこと許すもんか、絶対に助ける!」
 喉が破れそうな声を上げて、折紙サイクロンは壁を削り続ける。
「君は、エドワードは、今度こそ僕が守る! 僕が絶対に助ける、そう決めたんだ、絶対にだ!!」
《そうだ、諦めんな!》
 通信機から聞こえてきたのは、聞き慣れた力強い声。

《行くぞ、ワイルドタイガーだ! こんな壁ぶっ壊して今すぐ助けて──》
《やめてください、全部崩れたらどうするんですか!》
《じゃあどうしろっていうんだよ!》
 おそらく、いや間違いなく、ハンドレッドパワーを発動させようとしたワイルドタイガーを止めるバーナビーの声。
《ねえ、私が全力で氷で固めたら何とかならない!?》
《天井が落ちてきたら、最悪俺が持ち上げるとか! ダ、ダメか……?》
 必死に打開策を提案するのは、ブルーローズとロックバイソン。
《だーかーら、犯罪者イコール使い捨てオッケーじゃねえんだっつーの。むしろこの超デリケートな法案の第1号を、よりにもよってヒーロー全員揃ってるとこで非人道的に扱ったってなったらどんだけ荒れると思ってんだァ? わかってねーなー》
《そうそう、視野が狭いヒトってこれだからやぁね。……それに視野を狭くしてみても人命第一、黙ってろゴルァ!》
 次に聞こえたのは完璧に相手を論破するライアンと、前半と後半でまったく違う声色で怒鳴りつける、ファイヤーエンブレムの声。
《人道的に許されない、そして許されない! 私も許さない!》
《ケガしてるのに後でいいとか、見捨てるってことだよ!? 絶対にダメ!》
 強い口調で賛同するのはスカイハイ、そしてドラゴンキッド。

《──だってボクたちは、ヒーローだ!》

 ドラゴンキッドの高く通る声に、そうだそうだとヒーローたちが声を上げ、どうにかして壁の向こうのふたりを助けようと、ああだこうだとアイデアを出し、行動しようとしている声が聞こえる。

「……はは」
 通信機から聞こえるヒーローたちの声と、そして目の前でがつがつと分厚い壁に苦無を突き立てる親友に、エドワードは微かな笑みを浮かべた。
「すげえ。やっぱお前ら、ヒーローだなあ……」
「エドワード、皆が絶対に助けてくれる。そこで安静にして──」
「ネフィリムの能力は、俺の、上位互換に近い、能力だ。俺が砂に潜って追いかけても、間に合わねえだろう」
 折り紙サイクロンの指示を無視して、エドワードは途切れ途切れに言った。
 自分は物質を砂状化することで水中を泳ぐかのようにして地面の中を進むことができるが、ネフィリムの能力はそれ以上、比較するならば、障害物ゼロの霧の中を走れるようなものであるということも。
「でも、だからこそ、早く情報を持ち帰って、追いかけねえと、……収穫は、ゼロじゃねえしな……。市民も、ネフィリムの、ことも」
「でも、そんな身体で!」
「クソほど痛えが、今すぐどうこうなっちまうような、怪我じゃねえ。……それによぉ、それじゃあ俺が、俺があんまり……」
 声の位置が変わったことで、折紙サイクロンは壁を削るのをやめ、ハッとして振り返る。

「あんまりにも、俺の立つ瀬が、ねえだろうがよォ……!!」

 骨の見える脚を引きずって、溶けて血を流す胸を押さえて、しかしエドワードは立ち上がっていた。激痛に耐える苦悶の表情、しかしその口の端には歪んだ笑み。

「俺は、犯罪者だ」

 自業自得、犯した罪への罰を受ける身。もはや自分は、無条件にヒーローに助けて貰える善良な市民ではない。エドワードは鉄格子の中で、嫌というほどそれを自覚していた。
「テメェの面倒は、自分で見る。ヒーローの、他人の手は煩わせねえ、それが、俺の、俺みたいなどうしようもねえ奴の、ケジメのつけ方で、最後の、意地だ……!」
 絞り出すようにそう言って、エドワードは半ば倒れ込むようにして壁に手をついた。そこから壁が砂状化し、ずぶずぶと身体が沈んでいく。
「ぐ……!」
 肉の溶けた脚で踏み出そうとして倒れかけるが、気力でこらえる。エドワードの目が青白く、一際強い輝きを放つ。

「うっ、お、らあァアアアアアアアアアア!!」






 ──ドザアアアアッ!!

 まるで鉄砲水のような砂。予め離れていろと本人たちから通信は受けていたものの、もうもうと巻き起こった砂埃に対しそれぞれ目を守ったり、吸い込んでしまい咳き込んだり。しかしその中から、真っ先にヒーローたちが飛び出してくる。

「よぉおし、よっく戻ってきた!」

 まず声を上げて駆け寄ったのは、ワイルドタイガーだった。
「エドワード! エドワードが大怪我をしてるんです!」
 口に砂が入るのも構わず、折紙サイクロンはあらん限りの大声で返事をした。その背には、ぐったりとして動かないエドワードが背負われている。

「エドワード! エドワード、着いたよ! しっかり!!」

 飛び出してきた医療スタッフの担架に乗せられたエドワードは、返事をしなかった。目は既に半開きで、しかしその目は、身体は、未だに青白く光っている。そのせいで担架が砂になって崩れ、スタッフが慌てて彼を地面に下ろした。
「エドワード!」
 意識をほとんど失っているのに、それでも道を切り開くために能力を発動し続けている彼に、折紙サイクロンは唇を噛みしめる。

「むぅ、砂まみれです! まずは洗浄です! お願いします!」
 高い声でそう言ったのは、もちろんホワイトアンジェラだ。
「アンジェラ、ヴィランへの能力使用も医療行為も許可証が──」
 それは、先程ヴィランのエドワードを見殺しにしようとした声と同じ声であった。世界初のヴィランズ派遣であるからという名目で同行してきた、国際司法局の人間である。
 しかしホワイトアンジェラは彼らを全く無視してアスクレピオスの医療スタッフを呼び寄せ、エドワードの砂まみれの傷口を洗浄するように言った。

「アンジェラ! 正式な手順を──」
「なんですか難しい! そんな難しいことを言われてもわかりません!」
 腰に手を当てフンスと鼻息を噴いて言い切った彼女に、司法局の人間は驚きと呆れでぽかんとし、アスクレピオスのスタッフはテキパキと自社ヒーローの指示に従い、何名かは噴き出し、ワイルドタイガーは力強いサムズアップとともに「いいぞアンジェラ!」と囃し立てた。
「私はサポート特化ヒーローです! 怪我をしている人を助けるのが仕事です! それ以外の難しいことは知りません! 他の人がやってください!」
 彼女の開き直りとも身も蓋もないとも言える謎の勢いに押された司法局の人々が口をぱくぱくさせている間に、エドワードの怪我の洗浄と消毒が完了する。
「なあ、あんたのとこ、警察犬に“書類を提出してからニオイを嗅げ”とか言う?」
「言わねえな」
 笑い混じりのライアンの問いに、フリン刑事がまったく面白みのない声で答える。

「脚と胸、どちらが先ですか? 胸ですね! 次に脚、わかりました!」
 ケルビムからの通信指示に頷きながら、ホワイトアンジェラは手慣れた様子でエドワードの傷を観察し、さっそくその胸に手を構えた。
 砂を除去した傷口はなお一層悲惨で、足首だけでなく、胸の傷も肋骨がやや見えていることがわかる。明るいところで傷の深さを目前にして大勢が怯むがしかし、医療スタッフとホワイトアンジェラは全く動じていなかった。
「アンジェラ! エドワードを、エドワードをどうか」
「大丈夫ですよ、折紙さん!」
 縋るように言った折り紙サイクロンに、ホワイトアンジェラはエドワードの胸の傷に手をかざしながら、きっぱりと返した。

「生きていますからね! 生きてさえいれば、大丈夫! 必ず治します! はい治りました!」
「はっや!!」
 ワイルドタイガーが、思わず大声で言う。しかし本人の言う通り、強めの能力発動光をかざされた胸の傷は、あっという間にふさがってしまっていた。新しく張った皮膚が多少周りと色が違うが、それを除けばまったくもって元通りである。
 そのせいか能力の発動光がおさまったエドワードを、医療スタッフがストレッチャーに乗せ、足を固定する。ケルビムの形成外科医の指示を受けながら、ホワイトアンジェラが再度能力を使い始めた。

「足はもう少し時間がかかります」
「……胸の怪我のほうが命に関わりそうだったけど、治すのは足首のほうが手間がかかるんだなあ」
 ワイルドタイガーが、興味深そうな様子で言う。彼の言う通り、ホワイトアンジェラは胸の怪我は比較的すぐ治したが、足首の怪我は医者に細かく指示を受けながら、丁寧に時間をかけて治していた。
「人体の回復力は、外側の部位のほうが高いんです。皮膚の擦り傷、筋肉痛、捻挫や靭帯損傷、骨折、内臓の損傷」
 体の内部の怪我になるほど治すのが大変になる、という医者の説明に、その話を聞いていた面々がなるほどど頷く。
「今回、胸は筋肉が溶けただけなので簡単でした。足首は関節部ですし、腱や靭帯などをしっかり繋げてから筋肉を戻さないといけないんです」
「ですのでたくさん怪我人がいらっしゃる時は、腱や靭帯だけちゃんと治して、あとは普通の治療に回します!」
 ホワイトアンジェラが補足した。そうすることで彼女のカロリー節約と患者一人ずつの対応時間短縮になり、また下手に全て治さないことで、医者が後々のリハビリ期間を短くできる治療に持っていきやすくなるのだと。

「しかしケディさんにはすぐ、市民救出のために動いていただかないといけませんので! ここで完璧に治しますよ!」
「う……」
「エドワード! もう大丈夫だ、しっかり! 意識は──」
 顔をしかめると同時に眩しそうなまばたきをしはじめたエドワードに、折紙サイクロンが駆け寄って声を掛ける。しかしその声は、途中でかき消された。彼の姿が目に入るや否や、上体を起こしたエドワードが、彼の横っ面を鋭く殴ったからだ。
「アー! 筋がー!」
 エドワードが急に動いたせいで、治療途中の傷がベルトに擦れてまた血が噴き出して飛び散り、ホワイトアンジェラが叫ぶ。

「動くな! エドワード・ケディ!」
 そして、ヒーローに暴力をふるったヴィランに国際私法局の人々が一気に警戒し、監視要員でもあるフル武装の者たちが大きな銃を一斉にエドワードに向ける。
「ちょっと、何してるの!」
 ファイヤーエンブレムが慌てて飛び出すがしかし、当のエドワードはといえば、向けられる銃にも、止めようとしているファイヤーエンブレムにも全く目もくれず、ただ殴られてマスクがずれた折紙サイクロンを睨みつけている。

「てめえ何考えてんだ!」

 ものすごい音量で、エドワードは折紙サイクロンを怒鳴りつけた。
「ヒーローが人殺したらどうなるか、わからねえとは言わせねえぞ! ……よりにもよって! 俺の前で!」
「エドワード……」
 ぽかんとしていた折紙サイクロンは、もちろん彼が言っていることについてすぐに理解が及んだ。エドワードが怒っているのは、ネフィリムに対し、自分が巨大手裏剣を投げつけたことであると。
 そしてそう理解した瞬間、ずれたマスクの下で折紙サイクロンは人知れず笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ、エドワード」
「何が大丈夫なんだ!? お前まで──」
「僕、……いや拙者は、ネフィリムを殺そうとしたわけではござらぬ。まあ、怪我はさせようとしたでござるが」
 そう言って、折紙サイクロンはネフィリムの能力によって大部分が溶けた巨大手裏剣を背中から外した。
「これを見てほしいでござる」
 残った刃先を見せる彼に、エドワードは、怪我のせいで余計に暴れるアドレナリンを無理やり押さえつけながら、怪訝な表情でそれを見た。
 刃先には、ネフィリムの肌を僅かに切り裂いたのだろう、少量の血痕がついていた。そして少し冷静になってみれば、もはや武器として何の役にも立たなくなったこの手裏剣を、彼がわざわざしっかり背中に固定して持ち帰ってきたのはおかしい、と気づく。

「ネフィリムを今まで存在そのものから確認できなんだのは、市民登録や、生体情報が何もなかったからでござる」
 折紙サイクロンの言うとおりだった。ネフィリムという存在を認識できなかったのは、あらゆるデータベースに情報がない、つまり社会的な存在証明自体ができなかったせいである。そのため、ヒーローや警察はまるで正体のつかめない幽霊を追いかけるような捜査しかできずにいたのだ。
「しかしこれが……本人の血があれば」
「……そうか! “ノアの目録”!」
 話を聞いていたバーナビーが、大きな声をあげた。

「その血を元に“ノアの目録”で市内をサーチすれば、ネフィリムの現在地がわかる!」

 バーナビーのその発言に、全員がハッとする。
「また地下に潜っていれば難しいかもしれぬが、全く地上に出ないということもないでござろう。また悪さをしようと考えているなら、なおさらのこと」
「ええ。データベースに記録がなくとも、本人から直接採取したサンプルがあれば全く問題ありません。さっそく装置にかけましょう」
「私が運ぼう! 空を一直線だ!」
 最も機動力のあるスカイハイが名乗り出て、しっかり保管ボックスに入れた血痕付きの手裏剣を、ヒーローランドに運んでいく。「連絡と協力申請は任せろ。着いたら直で通すようにこっちでやっとく」と、現在実質アスクレピオスのトップに近いライアンが何やら色々な所に電話をかけ始めた。

 そしてそのあっという間の進展に、エドワードはぽかんとし、しかしやがて一気に力が抜けたような様子で大きく息をついた。
「エドワード。拙者は割と諦めが悪いのでござるよ」
 どんなに追い詰められても、最後までヒーローとしてのあり方を全うするために足掻き続ける。言葉少なにそう言った折紙サイクロンをエドワードは見ないまま、ただひらりと片手を振った。

「……ああ、そうか。それならいい。殴って悪かった」
「いいよ。貸しひとつ」
「てめえ」

 そこは“友達だからいいよ”とかじゃねえのかよ、とエドワードは苦笑の滲んだ声で言った。

「友達だからこそ、でござるよ。エドワード」
「あん?」
「お疲れ様。……またよろしく」
 そう言って、折紙サイクロンは拳を差し出した。エドワードが、怪訝な顔をする。
「また、だと?」
「わかっているでござる。そなたはヴィランで、拙者はヒーロー」
 しっかりと割り切り、そして振り切った声で、彼は言った。

「でも君と僕は、友達だ。友達は助け合うものだよ、エドワード」

 折紙サイクロン、イワンは、清々しいほどにきっぱりと言った。

 エドワードは、ぐっと拳を握りしめた。唇を噛む。目の奥が熱い。
 真っ暗な地下墓地。ネフィリムの、得体の知れない場所に繋がる真っ暗な穴のような目。強い罪悪感や無力感が高いビルの屋上の縁を魅力的に見せるのと同じ類の、吸い込まれそうな、引きずり込まれそうな、問答無用の引力。
 “普通の人”であるエドワードは、まんまとそれに引きずられかけた。しかしそれを引き止めたのは、やはりヒーロー、折紙サイクロン、親友であるイワン・カレリンであった。

 ヒーローになりたかった。そうありたかった。大勢を導き、憧れられ、輝く存在になりたかった。しかし実際の自分はどこまでも普通の人間で、安っぽい欲や強いものに引きずられ、救いようのない罪を犯してしまうような質なのだということを、エドワードはもはや深く自覚している。
 この事実に、絶望したこともある。だがそんな自分を、いつも光ある方に導いてくれるものもいる。それがこの親友だ。折紙サイクロン、イワン・カレリン。彼に恥ずかしくないように、彼の友人であれるようにと思えば、自分はもう間違わないと、エドワードは今度こそはっきりと、自信を持って言うことが出来た。

「これからもよろしく頼むでござる、エドワード!」
「しょうがねえ、なあ……っ!!」

 親友の拳に、エドワードはまっすぐに、自分の拳をぶつけ返した。
前へ / 目次 / 次へ
BY 餡子郎
トップに戻る