#017
「ハァイ、ハンサム」
「よう、バーナビー。邪魔するぜ」
「いらっしゃい、ファイヤーエンブレム、ロックバイソン」
開けた扉の向こうに立つ大柄なふたりに、バーナビーはにこやかな笑みを浮かべた。
「アタシたちがイチバン乗りかしら?」
「いいえ、2番乗りですよ」
そう言って笑みを見せたバーナビーは、後ろに目線を流した。ネイサンとアントニオがそれに誘導されて部屋を覗き込むと、赤毛の頭がソファにぽつんと見える。
「アラぁ天使ちゃん、主役がいちばん早く来ちゃったの?」
「楽しみにしすぎてしまいました……」
「まあ」
やや恥ずかしそうにしているガブリエラに、ネイサンは微笑ましげな笑みを浮かべた。
「はは、そんなに楽しみにしてくれたんなら、俺達も嬉しいぜ。なあ?」
「そのとおりよ。そうそう、アタシは渾身のシチューを作ってきたわ。沢山食べて頂戴ね」
「本当に作ってきてくださったのですか」
大きな鍋を包んだ荷物に、ガブリエラが目を輝かせた。
「当たり前じゃないの」
「良かったですね、ファイヤーエンブレムの煮込み料理は最高ですよ」
「アラ、ありがとハンサム」
そう言って強烈なウィンクをしたネイサンは、テーブルの上にそっと大きな鍋の包みを置いた。
「シチューか、いかにも手料理って感じでいいな。……ま、俺はこれだ」
ドン、とアントニオが鍋の横に置いたのは、大きなチーズの塊と、野菜、様々な肉、そして見慣れないいくつかの器具だった。
「これは何ですか?」
ガブリエラが首を傾げる。
「ラクレット。溶かしたチーズを肉や野菜にかけて食べるんだ。うまいぞ」
「ヤダ超ワイン飲みたくなってきた」
「やりますねロックバイソン。一気にお腹が空いてきました」
ふたりがぎらりと目を光らせると、またオートロック・エントランスのチャイムが鳴った。
「すまない、そしてすまない……私は謝らねばならないことがある……」
やってきたのは、キースだった。
いくつかの美味しそうなバゲットが飛び出した紙袋と小さめの包を抱えた彼は、見ている方がいたたまれなくなるような、しょんぼりとした様子だった。
「いきなりどうしたんですか」とバーナビーが尋ねると、キースは深刻な表情で語りだした。
「手料理を持ち寄るということだが、実は私はそれほど料理が得意ではないんだ。トーストやベーコンエッグなどなら作れるのだが」
しかしパーティーにベーコンエッグはあまり向いていないのでは、と、当日になって思い至りとても焦った、と彼は言う。そしてその相変わらずの天然ぶりに、ガブリエラ以外の3人は、呆れと微笑ましさが混ざったような顔をした。
「結局、私が大好きなベーカリーのおすすめのバゲットと、せめてと思って、ゆで卵を作ってきた。冷めたベーコンエッグは悲しくなってしまうが、ゆで卵なら冷めても美味しいからね」
そう言ってキースがおずおずと見せた包の中には、清潔なボウルに入った、たくさんのゆで卵が入っていた。卵を覗き込むガブリエラに、面々が緊張の面持ちで彼女の反応を待つ。
「ゆで卵、自分で作れるものなのですね」
「……えっ」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
予想だにしなかった発言に、4人全員が素っ頓狂な声を上げた。
キースに気を使ったのだろうか、とバーナビーはこっそりガブリエラの顔色を伺ったが、彼女の灰色の目はきらきらとしていて、どう見ても本気で言っているようだった。
「凄いです、ゆで卵を作れるなど。本当にスカイハイが作ったのですか」
「そ、そうだとも。ゆで卵は、そう、ええと、茹でれば作れるからね」
そりゃそうだ、とアントニオが小さく呟き、ネイサンがその脇腹に鋭く肘鉄を入れた。
「ありがとうございます、嬉しいです。バゲットも。私はあまりパンを買わないので」
「そうなのかい? ここのベーカリーのパンはとても美味しい、そして美味しい! 私のおすすめだ!」
「楽しみです。スカイハイ、ありがとう」
「どういたしまして!」
キースは、輝くような笑顔で言った。3人が、脱力と安堵を両方込めた息をつく。
「……ふたりとも、まったく天使ちゃんなんだから」
「それは、褒めてます?」
「今回に限っては、さすがにそればかりの意味ではないわね」
苦笑いを込めてバーナビーが言うと、ネイサンは肩をすくめた。
「まあいいさ、チーズかければゆで卵もじゅうぶんご馳走だぜ」
「あら、もしかしてそれでチーズフォンデュにしたの?」
「残りモンの材料が出ても、チーズかければ食いきれるだろ。別にスカイハイの行動を読んだわけじゃねえんだけど、結果オーライだな」
そう言ったアントニオに、バーナビーは再度「やりますね、ロックバイソン」と感嘆の声を贈った。ヒーロー業では悩みの多い彼であるが、こういう場面では、何かと気が回って頼りになるのである。
「おーっす。おっ、みんな早えーな」
キースがゆで卵を作る時の湯加減について熱弁し、ガブリエラが真剣にそれを聞いていた時、入ってきたのは虎徹だった。彼は大きなビニール袋に入った食材を置き、さっそくシャツの腕をまくる。
「あ、今更だけど、アンジェラって嫌いなもんないよな?」
材料を大きなテーブルに並べながら言った虎徹に、ガブリエラはふるふると首を振り、「ありません」と答えた。
「本当に今更ですね」
「だっ、うっせーよバニー! お前も手伝え」
「僕は場所を提供しましたし、料理はもう作ってあります」
「あっそう。アンジェラ、コイツこんなスカしてるけど、ピクルス食べられないんだぜ」
「ちょっと、今関係ないでしょう!」
ぎゃあぎゃあと言い合うT&Bを前に、ガブリエラは、テーブルの上に置かれた様々な食材を眺め、灰色の目をきらきらとさせた。
──手料理が好きです。
それは伸びに伸びている歓迎会を開くにあたって、店を決めるためにガブリエラに好きな食べ物を訪ねた時の答えである。
詳しく聞けば、ボランティアでヒーロー活動をしている頃、怪我を治した患者たち、あるいは活動を応援してくれる市民たちが、能力の元になる食べ物を寄付してくれることがよくあったという。既製品が多いが飲食店の食券などもあり、このおかげでガブリエラは当時の生活が随分楽になった。
しかし、中でもガブリエラが喜んだのは、手作りのお菓子や弁当。
故郷は新鮮な食材を入手することができない環境のため、母も神父も料理をしたことがなく、ガブリエラも含めて皆もっぱら冷凍食品やレトルト、シリアルなどばかり食べていた。シンディも料理をする人ではなく、ガブリエラは手料理というものに今まで全く縁がなかったのだ。
そして縁がないために、自分で挑戦してみようという発想すらなかった。
そんなガブリエラにとって、自分のために誰かがわざわざ食材を揃え、調理し、容器に詰め、時にきれいにラッピングまでしてくれた手料理というのは、感動するに余りあるものだったのだ。
素人の料理は時々調味料が効きすぎていたり、粉っぽかったり、生焼けだったりすることもあった。しかし砂糖や油をそのまま飲むような食生活をしているガブリエラはまるで気にせず、どの差し入れもありがたく口にした。
しかし、一部リーグヒーローとしてアスクレピオスという大企業に所属してからは、ファンからの食べ物の差し入れは全面的に禁止されてしまった。手作りなどもっての外である。
ひとりひとりの顔を見ながら活動していた二部リーグ時代ならまだしも、見知らぬ人間から送られてきた食べ物に何が入っているかわからないから、という説明には一応ガブリエラも納得し、以降ホワイトアンジェラへの食べ物の差し入れは、飲食店や百貨店などで使える食券や引換券、あるいは食べ物のギフトカタログなどに限られることになった。
それはそれで嬉しいがしかし、ガブリエラとしては、やはり寂しい思いは拭えない。
その話を聞いたヒーローたちは、彼女の歓迎会をホームパーティーですることにした。
会場はヒーローたちの溜まり場のひとつになりつつあるバーナビーの自宅マンションに決定し、料理はそれぞれの持ち寄り、もしくはバーナビーの家のキッチンで作られることになった。
そのアイデアにガブリエラは感動し、決まってから今日までずっとそわそわしていて、そしてこうして一番乗りで会場のバーナビーの家にやってきたのだった。
「よーし、タイガー特製のこてっチャーハンだ!」
「おお、チャーハンですか。中華ですか。すごい。プロのようです」
「プロ顔負けなのは保証するぞ〜」
尊敬の眼差しを向けてくるガブリエラに、虎徹は買ってきた冷凍のベジタブルミックスを出しながら言う。彼女がキースのゆでたまごを絶賛した場面を見ている面々は、生暖かい目で得意満面の虎徹を見ているが。
食材や調理器具を興味津々でじっと見るガブリエラに、虎徹はもっと幼かった頃の娘の楓のことを思い出して、懐かしい気持ちになった。実際はガブリエラのほうが年上、というか成人しているのだが。
「お前もなんか作るか?」
「えっ」
ガブリエラは、灰色の目を丸くした。
「しかし、私は料理をしたことがありません」
「したことないからやるんだろ。バニーに教えてもらえ」
「ちょっと虎徹さん」
「バーナビーさんが教えてくださるのですか」
期待と尊敬が篭ったきらきらした目で見られて、バーナビーが少し怯んだ。こんな目で見られては、嫌です、とは言い難い。
「お前だって、最近料理し始めただろ。初心者がどこからやればいいのかむしろよくわかってんだろうから、ちょうどいいだろ」
「……まあ、確かに手持ち無沙汰ですしね。簡単にサラダでも作りましょうか」
「おう、そうしろそうしろ」
「まったく。……あっ」
冷蔵庫の野菜室を開けたバーナビーが、しまった、と声を上げた。
「……この間買ったので、大丈夫かと思っていたんですが」
そう言って彼が取り出したのは、やや萎びたレタス、キュウリなどだった。
「あー、そりゃサラダには向かねえな。千切ってチャーハンに入れるか」
火を通せばイケるだろ、と言う虎徹に、バーナビーが微妙な顔をする。
「レタスやキュウリって、チャーハンに入れてもいいものなんですか」
「チャーハンはすべてを受け入れるぜ」
「ちょっと良い風に言わないでください」
また何故か得意げな顔をする虎徹に、バーナビーは冷めた目を向けた。
そんなやり取りの横で、彼がテーブルに置いたレタスをしげしげ眺めていたガブリエラは、ふとそれを手に取った。ハリが失われて萎びた葉の、ひんやりとした冷たさが手に伝わる。
「──えっ」
「おお〜! すっげえ!」
バーナビーが目を見開き、虎徹が大きな声を上げる。その声に、ネイサン、アントニオ、そしてキースもぞろぞろと様子を見に来る。
「レタス持って、どうしたのよ」
ネイサンが、首を傾げる。
「……レタスが生き返りました」
「は?」
呆然とした様子で言ったバーナビーの目線の先にあるのは、ガブリエラが持つレタスである。
先程まで哀れに萎びていたレタスは、まるでたった今畑から収穫されてきたのではないかというほどに瑞々しくなっていた。白い芯の繊維が輝き、緑色は目に優しい鮮やかさを放っている。
「植物は切ってもまだ生きているので、回復できるのです」
肉や加工品は無理です、とガブリエラは言った。そして次にキュウリを手に取り、再度能力を使う。青白い光に包まれたキュウリは、あっという間に見るからにぱりっとした張りのある、濃い緑色になった。
おおおお、と全員から感嘆の声が上がる。
バーナビーはおそるおそるそれを手に取り、ぱき、と折ってみた。瑞々しい音とともに現れた果肉は、いかにも新鮮で美味しそうだ。実際、半分を受け取ってマヨネーズをかけた虎徹がそれを食べ、「美味い!」と叫ぶ。
「これ、ウチの母ちゃんが作ってる野菜レベルだぞ。さっきまで冷蔵庫で萎びてたとは思えねえ」
「まあ〜、あんたの能力って、本当に凄いわねえ……」
「素晴らしい! そして素晴らしい!」
割ったキュウリをそれぞれ口にして、感嘆の声を上げた。
「本当にすげえな。……ってことは、萎びてないやつに使えばもっと熟成するのか? あれだ、ヴァーチュース・モードみたいに」
アントニオが言う。
さあどうなんでしょう、とガブリエラが首を傾げたので、興味が湧いたらしい皆は、冷蔵庫にあったじゃがいもを彼女に手渡した。
「じゃ、野菜も生き返ったことだし、バニー、サラダ頼むぜ。……ポテトサラダ以外で」
花瓶に生けられたじゃがいもを見つつ、虎徹が言った。
よくよく考えれば、根菜を回復させれば芽が出るに決まっていたのだった。じゃがいもはガブリエラの手の中でみるみる茎を伸ばし、どうしようもなくなってしまったのでそのまま力を使った所、見事に花が咲いたのだった。
じゃがいもの花など皆見るのは初めてだったが、見事な薄紫の花はそれなりに美しく、バーナビーの部屋にやや珍しい飾り付けが増える結果となった。
「わかりました。アンジェラ、取り掛かりましょうか」
「おっと、キッチンに立つのか? じゃあちょっと待ってろ」
そう言って、アントニオは足早にリビングに戻り、そして平べったい包みを持ってきた。
「俺のは料理って感じじゃねえしな。オマケだ」
彼がガブリエラに手渡したのは、薄水色のエプロンだった。縁には金色にも見える黄色の糸でステッチが入っていて、肩紐の所にはささやかな白いフリル。胸元には、白い犬のワンポイント刺繍がしてある。ひと目見て、ホワイトアンジェラのデザインをモチーフにしてあることがわかる。
「これ……」
「おう、お前のエプロンだ。皆に……ブルーローズやドラゴンキッドにも作ってやってるからな、お揃いだぞ。ほら、バーナビーも」
そう言ったアントニオの目線の先には、ガブリエラがもらったエプロンの色違いで、兎のワンポイント刺繍がしてあるワインレッドのエプロンを身に着けているバーナビーがいた。彼がチャーハンの練習をしようとした時、激励の意味でアントニオが贈ったものだ。愛用しているらしく、使い込んだ染みがいくつかついていた。
「おそろい」
ガブリエラは目を見開き、広げたエプロンをじっと見ている。
「ロックバイソン」
「ん?」
「ありがとうございます」
ガブリエラは、少し震えた手で、エプロンを抱きしめた。
「ありがとう。嬉しい。とても、ロックバイソン、凄いです。エプロン、作れます、凄い」
「お、おう」
「カタコトになってるわよ」
かなり興奮しているらしく単語で話すガブリエラに、ネイサンが苦笑する。そして彼女が握りしめているエプロンをそっと取り上げると、紐をくぐらせてやり、腰の後ろで綺麗な蝶結びにしてやった。
「似合うじゃないの。良かったわね」
「はい!」
白い頬を赤くして、ガブリエラが笑う。
最近、彼女はよく笑うようになった。
それは単に、医者や栄養士がつきっきりで行った、ひどい栄養状態の食事を始めとした生活改善のせいもあるし、歯列矯正をして必要以上に口元を気にしなくて良くなったということもある。
しかしそもそも彼女は今まで、その生活による容姿の異様さとぼんやりした挙動のせいで、事情を知っている恩人のシンディくらいしか親しい人がいなかった。
だが今、彼女の周りにはたくさんの人がいる。アスクレピオスでホワイトアンジェラのために作られたチームの人々はもちろん、同僚になった一部リーグヒーローたち。接してみるといちいちどこか放っておけないところのある彼女に皆がこぞって構い話しかけたおかげで、ガブリエラの口数は増え、目を輝かせて何にでも興味を持ち、積極的に行動するようにもなった。
それは生きるのに精一杯だったみすぼらしい野良犬がきちんとした世話をされてリラックスし、皆に遊んで貰えるようになり、あっちこっちを物珍しげに探検して回る様子にも似ていて、微笑ましい。
そして今、真新しいエプロンを掛けてもらった彼女は跳ねるようにしてバーナビーの隣に行き、真剣な顔で、言われた通り慎重にレタスをちぎっている。
「……いやあ。あんなに喜んでもらえりゃ、悪い気はしねえな」
照れくさそうに、アントニオが後ろ頭を掻いた。
「そうなのよね。あの子ったら褒め上手っていうか喜び上手っていうか、だから次々世話焼きたくなっちゃって」
ネイサンが、完璧に整えられたネイルの手を頬に添えた。
「ファイヤー君の言うとおりだ! アンジェラ君は感謝するのがとても上手だと、私も思う。感謝されると、何かした方も嬉しくなる。私はとても嬉しかった!」
そして嬉しかった! と、キースが満面の笑みで言う。
「そうだな」
カリーナやパオリンは喜んでくれたから、という自信はあった。しかし若い娘に中年の男があんまり手の込んだものを持ってきたら引かれるかもしれないとうっすら心配していたのだが、まったく杞憂だったようだ。
次はあのエプロンを畳んで仕舞えるお揃いの巾着も作ってきてやろう、と思いつつ、アントニオはふたりとともにリビングに戻った。
「違う違う、ここはこう」
「ううむ、難しい……」
無事にサラダを作り終え──とはいっても、ガブリエラがしたのはレタスを千切って、バーナビーが材料を混ぜたドレッシングを振っただけの事だったが──、今度は次いでやってきたパオリンと、餃子のタネを包むことになったのだ。
パオリンに指導してもらうも彼女ほど上手に餃子を包めないガブリエラは、眉間に皺を寄せる。しかしなるべく言われたとおりにしようと、ガブリエラは恐ろしく作業スピードが遅いものの、ひとつひとつ丁寧に餃子を包んでいった。
「大丈夫、最初にしてはうまく出来てるよ!」
「そうでしょうか。パオリンはとても上手ですね」
ところどころ破けたり、上手くひだが作れていないガブリエラの作品に比べ、パオリンの作った餃子は綺麗なひだを作って閉じられ、均一な大きさで整然と並べられていた。
「お母さん直伝だからね!」
「そうですか。パオリンのお母さんは、餃子を作るのが上手ですか?」
「達人だよ」
「それは素敵」
にかっと笑ったパオリンに、ガブリエラも微笑み返した。パオリンが着けているのもまた、メイドインロックバイソンの、赤のステッチと緑のかわいい龍の刺繍が入った、黄色のエプロンだ。
「ゴメン、撮影長引いちゃった!」
飛び込んできたのは、カリーナだった。
美しい髪が乱れるのも構わず走ってきたらしく、ぜえはあと息をついている。
「まだ始まってないよカリーナ、セーフセーフ」
粉だらけの手で、パオリンがサムズアップする。
「なら良かったわ。あ、これ私の持ち寄りね。プリン」
「ぷりん」
紙袋を差し出したカリーナに、ガブリエラが声を上げた。
「うん、……え、もしかしてプリン嫌い!?」
「いいえ!」
嫌いなものはありません、と、ガブリエラはふるふると慌てて首を振った。
「お菓子が作れる、驚きました。凄いです、カリーナ」
「そ、そう?」
「そうです。カリーナは凄い」
また若干興奮しているのか単語喋りになっているガブリエラは、カリーナをまっすぐに見て言った。本気で尊敬しているとわかるその目が気恥ずかしかったのか、カリーナが少し気まずい顔になる。
「まあ、えっと、実はお母さんにちょっと手伝ってもらったんだけど」
「カリーナのお母さんも、料理上手だよね」
「うん、お菓子は特にね」
そう言いつつ、カリーナは紙袋ごと、プリンを冷蔵庫に入れた。冷蔵庫には、ラップを掛けたサラダとドレッシングのボトルが既に入っている。
「ギャビーのお母さんは、得意な料理ある?」
パオリンが、無邪気に訪ねる。
比較的年齢が近く同性でもあるカリーナ、パオリン、そしてガブリエラであるが、一部リーグデビューが決まった最初の顔合わせから、名前で呼びあうようになっている。そして名前が長いということで、ガブリエラは綴りを縮めてギャビーと呼ばれるようになった。初めて呼んでもらったニックネームに、ガブリエラはとても喜んだ。
若い娘達の仲の良さそうな様子に、周りの者達の目も温かい。
「私の故郷では、あまり料理をする人はいないので……。あっ、鶏を捌くのは上手ですよ」
「ニ、ニワトリ?」
カリーナが、目を白黒させた。
「……えっと。それって、生きてるやつ?」
「生きていない鶏? 死体は見つけても食べないほうが良いです。病気になります」
「食べないわよ」
「それがいいです」
その返しになんとも言えず、鶏肉をスーパーマーケットでしか買ったことのないカリーナは「え、ええ」とだけ言った。
「ギャビーも鶏捌けるの?」
パオリンが、興味津々という様子で訪ねた。彼女も都会の生まれではあるが、籠に入った生きた食材を買うこともある文化を持ったところなので、カリーナよりは抵抗がないようだ。
「できますよ。鳥であれば、だいたい大丈夫です。四つ足だと手伝いが必要」
「よつあし?」
「山羊とか」
「やぎ」
さらりと言ったガブリエラに、パオリンとカリーナはぽかんとしている。
「脚が多いと、捌くのが難しい。ですので蛇は簡単。頭を叩いて皮を剥ぐだけ」
「ギャビー、蛇食べたことあるの」
「そのへんにいますからね」
蛇がそのへんにいて、そしてそのへんにいる蛇を食べる土地。そこで生まれ育ったというガブリエラが話す内容のあまりのワイルドぶりに、少女ふたりは引くよりもまず唖然とした。
「そ、そういえば、ギャビーってだいぶ遠いところからシュテルンビルトに来たのよね? お母さんはまだそっちにいるの?」
「いいえ。いるのは、前にいたところとは違います。……しかし」
ガブリエラは笑みを浮かべたまま、目を細めた。
「とても遠くにいます」
その声が本当に遠かったので、カリーナはもしかして無神経なことを聞いたのだろうか、と思う。しかしガブリエラが微笑んでいたので、そのまま「そうなの」とだけ言った。
「ファーザー……、育て親の神父もいますが、彼はまだあの街にいるでしょう」
「そっかあ。ボクも、お父さんとお母さんとは離れて暮らしてるんだよ」
「そうですか。同じですね」
「同じだね」
微笑み合っているパオリンとガブリエラを見て、カリーナは雪の結晶の刺繍が入った自分のエプロンを取り出して身につけると、大量の餃子作りに参戦した。