#166
「時々、悩める様子の方々があの教会に入っていくのを見たこともあります。暗い顔をした、ええ、私達もそういう方々からの相談をよく受けますので、見ればわかります。少なくとも、ああいう方々が救いを求めて縋るようなところなのですよ、あそこは」
「……そうですか。他にも、特徴的なところはありますか?」
「そうですねえ」
バーナビーが促すと、善良な老シスターは思考を巡らせた。
「シュテルンビルトで新しい方の教会の者……私達は、神父様ではなくて私達修道女、シスターが主に奉仕活動をいたします」
女性しかいない教会は総本山が手配した警備会社のスタッフがきちんと派遣されている、とシスターはありがたそうに言った。それは確かなことで、この施設もシスターと子どもたちしかいないため、交代で男性警備員が常駐しているのはバーナビーも知っている。
「では、男性信者は……」
「もちろんおります。神父様もね。ただこれはシュテルンビルトの伝統のようなもので……。ほら、シュテルンビルトで偉大な奉仕活動をしたマダム・ハングリーが敬虔な◯◯教徒で、聖女認定もされているでしょう。彼女は当時女性たちに声をかけて、シスターたちの協力を得て炊き出しなどの奉仕活動を行ったと言われています。その流れで、シュテルンビルトの教会はシスターの方がだいぶ多いのですよ」
「……なるほど」
「でも古い方の教会はね、シスターがいらっしゃいません。いるのかもしれませんが、少なくとも私は見かけたことがないですね」
このシスターはもう70歳近い年齢で、自身もこういった施設で育ったため、恩を返したい、と割と若い頃にシスターになった人物だ。その彼女が「見たことがない」というのなら、本当に少ないか、いないのだろうとバーナビーは判断した。
だが男子禁制、もしくはその逆を謳う宗教は世界にいくつも存在するのでそこまで珍しかったり、怪しかったりすることではない、とも。
「あと私達と違う所といえば、教会の作りが違うこと」
「へえ?」
「私が若い頃、ブロンズステージで道に迷ったことがあって」
当時のブロンズステージは今よりも更に治安が悪かったので、女ひとりで迷ってしまい心細く、近くに見えた教会に助けを求めたのだ、と彼女は言った。
「教会の中にいたのは、若い女の子と、今の私と同じくらいの神父様でした。女の子はすぐいなくなってしまいましたが、その神父様が対応してくださって。自分はもう足が悪いので、迎えを来させる、それまでここにいなさいと親切にしてくださいましてね」
「へえ……」
いかにも怪しげなカルト宗教のようなイメージを抱きかけていたバーナビーは、その認識を軽く改めた。シスターの話し方がひたすら善意にあふれているせいもあるだろうが。
「その時に、シュテルンビルトの教会には古きと新しきがあるのだということを教えていただいたのです。教会の作りの違いなんかもね。興味深かったですよ。まず古い方の教会は建てられた時期がとても古いので、必然的にブロンズステージにしかありません」
そのためシルバーステージとゴールドステージにある教会は、必然的にすべて新しいほうの教会なのだ、と説明するシスターに、なるほどとバーナビーは頷いた。
こういう文化的なことはバーナビーも個人的に興味がある話題なので、聞いていて素直に面白い。
「また、古い方の教会は作りが重厚で、質素です。装飾はほとんどなく、ステンドグラスもありません」
「えっ? ……◯◯教の教会というのは、どこもステンドグラスがあるのではないのですか?」
バーナビーが、驚いた顔で言った。
今いるこの施設の礼拝堂にもステンドグラスがあるし、観光名所である、またクリスマスイブにオープニングセレモニーを行ったゴールドステージの教会も、黄金の天使と法悦の聖女の彫刻とともに、美しいステンドグラスが有名だ。
十字架の中央にある輝く星に関連し、◯◯教は“光”を重要視していて、それを教会の中に取り込むための建築的な工夫がいたるところにある、という解説は、少し詳しいガイドブックには必ず載っているほどの常識である。
「ええそう、普通はね。でもあの古い教会には、特別な事情があるのですよ」
「……と、いうと?」
「遠い昔、何もないただの半島だったここに街を作ろうとしたのは、魔女狩り……今にしてみればNEXT差別から逃げて遠い国からやってきた人々だったと言われています」
彼らは集落を作り上げ、険しい土地を懸命に開拓しながら暮らしていた。しかしその最中金脈が発見されたことによって、彼らが元いた王国や様々な国から目をつけられ侵略が開始される。
欲に駆られた王国を含む各国の軍隊や組織に、最初にこの土地に流れ着いた人々は抵抗した。しかし数には勝てず、彼らは逃げ場所を求めた。
「彼らを最初に受け入れたのが、◯◯教徒だったといいます。彼らは表向き布教を理由に教会を建て、そこに彼らを匿ったのです。彼らがいることがわからないように、外から覗くことが出来るステンドグラスのない、頑丈で、重厚で、手の込んでいない……込めることができなかった、質素な教会を作って」
「そんな歴史が……」
「あの教会の方々が閉鎖的なのが、そういう背景のせいなのかどうかまではわかりません。しかし、このことが人々にあまり知られていないのは事実です。私も知りませんでした」
感心するバーナビーに、シスターは穏やかに続けた。
「しかし……そういうことなら、その古い方の教会というのは、シュテルンビルト創成期に建てられた◯◯教の教会、ということになりますよね? しかも今も神父がいるのに、総本山発行のリストに載っていないというのは……?」
「ええ、私もそれがずっと不思議で……。私に親切にしてくださった神父様は年齢的にもう亡くなっていらっしゃると思うのですが、今まであの教会でお葬式があった様子もありませんでした。ひとときとはいえお世話になった方ですから、またご挨拶をしたかったのですけれど……。教会にいた女の子もあれ以来、いちども見かけることがなくて」
シスターは眉尻を下げ、頬に片手を当てて残念そうに頷いた。
バーナビーはふむと頷き、思案する。
総本山が認めていない、古い教会。源流は同じでもおそらく普通の◯◯教と教義が異なるそこに通い所属していたというのなら、総本山がライアンに寄越した“3人の神父姿の若者は◯◯教と無関係である”という証明書もまるっきり嘘というわけでもないということになる。
「あとは……、ああ、そうそう。実際に見せては頂けませんでしたけれど、古い教会には地下室があるそうです」
「地下室、ですか?」
「軍隊や魔女狩りが教会の中に入ってきた時に、彼らを匿う地下室だそうです。頑丈な鉄の扉で守られていて、更にいざ踏み込まれても逃げられるように、地下通路なんかもあったそうですよ。金を掘っていた彼らには、地下を掘るノウハウもあった。そしてそれは時間が経てば経つほど立派なものになって、いつごろかにはちょっとした街のようだったとか」
「ええっ」
「彼らはこの地下のシュテルンビルトを、鉄の街と呼んだそうです」
鉄の扉で守られた、地下の街。窓のない、星の光も届かない場所。
「鉄の街……、アイアン・ステージ?」
「そう、そうです。シュテルンビルトは、実は4層の街だということ」
「ほ、本当ですか?」
「さあ、どうでしょうね」
少年のような目をしているバーナビーに、シスターは茶目っ気のある様子で笑う。
「その神父様が仰るには、シュテルンビルトを横取りされて更にきつい迫害に遭った彼らはその地下通路を長く掘り進めて、また違う場所を探す旅に出たそうです」
彼らから星の街を横取りした人々は、煌めく星を目指すようにして街を上へ上へと重ねていった。そして彼らに街を取られた人々は、逆に地下へ地下へと掘り進み、やがて別の場所を目指して旅立っていった、そう言われているという。
「……彼らは、どこに行ったのでしょう」
葬式をした様子もなく、いついなくなったのかもわからないまま消えた老神父。
古い教会に出入りしていた、悩める様子の、暗い顔の人々。
迫害の果て、地下へ地下へと潜っていった人々。
「さあ……、どうでしょう。今の私たちには、祈るしか出来ないことです」
シスターは、目を閉じて手を組んだ。
「どうか彼らが、幸せに過ごしておられますように」
「……アルバート・マーベリックの能力じゃない?」
怪訝な顔でのライアンの確認に、モニタ越しのシスリー医師は《はい》と頷いた。
《二丁拳銃の老人の脳を再度調べた所、記録にある、アルバート・マーベリックの能力を受けた際の残留反応はなく、もっと直接的な痕跡がありました》
「直接的?」
《前頭葉の破壊です。細胞が分子レベルまで分解されていました》
「……つまり?」
《脳が一部、溶けたバターのようになっていました》
「わかりやすい説明どうも」
オエッ、と舌を出しながら、ライアンは目を据わらせて言った。
《細胞、というていを為していない状態なので、アンジェラの能力による回復も見込めませんね》
「そうか。……でもまあ、これであの婆さんの能力が判明したってことにも……なんねえか。それ自体どっかからコピーした能力かもしれねえからな」
《ええ。物体、あるいは生体の分解能力……国際NEXTデータベースにないかどうか調べたほうがいいですね》
「そうしよう。他に報告は?」
《今のところはこれだけ》
「了解。引き続き何かわかったら教えてくれ」
そう言って通信を切った直後、今度は別の通信を知らせるベルが鳴り響く。
「お、何? ジュニア君? あ、全員来たの? フリン刑事も?」
スタッフからの通信と、そしてバーナビー本人のプライベート端末からも連絡が来たため、ライアンは入室を許可した。
間もなくすると、ヒーローたち皆がぞろぞろとやってくる。フリン刑事もいた。
「よう。なんか進展あったか?」
「それなりに。そちらのほうは?」
挨拶もそこそこに切り出してきたバーナビーに、ライアンは片眉を上げて「こっちも、それなりにだ」と答えた。
「地下にある第4層め、アイアン・ステージぃ?」
バーナビーがシスターから聞いてきたという情報に、ライアンは難しい顔をした。
「ええ。シスターから話を聞いた後、フリン刑事や皆さんにも協力していただいて、色々と調べてみたんです。そうしたら──」
「……ジュニア君さあ、そういうの好きだよね。前もさあ、ほら、女神の伝説とか。いや俺も嫌いじゃないよ、全然嫌いじゃないよそういうの。むしろ好きだよロマンがあるし。でも今そういうさあ」
「ちゃんと最後まで聞いてくださいよ!」
夢見がちな少年のように扱われて、バーナビーは少し赤くなりながら声を上げた。
「いやいやライアン、俺も最初はそう思ってたんだけどさあ」
手を振りながら前に出てきたのは、虎徹である。
「まさか〜と思いながら調べてみたらな、色々それっぽいんだって。なあ?」
虎徹が問いかけると、他の面々もそれぞれうんうんと深く頷いている。あろうことか刑事であるフリンまでもが同じようにしているので、ライアンは後頭部を掻きつつも椅子に座りなおし、聞く姿勢になった。
「……わかった。で?」
「まず、今までアンドロイドが出現した場所を洗い直してみました」
コホン、と咳払いをしてからバーナビーがモニタに表示したのは、ブロンズステージの地図。ところどころに、アンドロイドが出現した場所のマーカーが入っている。
「こうして見ると、出現場所は主に内陸側に集中しているのがわかります。海側……、つまり埋立地にはまったく出現していない。では、何が違うのか──」
バーナビーは、ひと呼吸置いた。
「地下です。アンドロイドの出現した区域には、昔ながらの下水道があります。埋立地の方は新型の浄水システムを用いているために、人が通れるような下水道がない。こちらの内陸市街地もアンドロイドが出現していませんが、こちらは再開発済みで、埋立地と同じ浄水システムに変わっているんです」
地図に引いたラインを示しながら言うバーナビーに、ライアンの顔色が変わった。
「……アンドロイドどもはこの下水道から来て、市民もそこから連れ去られたってことか?」
「可能性は高いと思います。思い至ったきっかけは、シスターから聞いた“鉄の扉に守られた地下”という言葉」
「鉄の扉、……マンホールか!」
ぱちん、と指を鳴らしたライアンに、バーナビーは大きく頷いた。
「そうです。埋立地の浄水システムにはマンホールがない。ですが昔のままのエリアは、人が昇降できるマンホールがそこかしこにあります。アンドロイドは下水道を通って、マンホールの隙間から市民を視認。ロビン・バクスターの“所在変換”の能力を発動して、アンドロイドは地上へ、市民は地下へ連れ去られた……」
「地下、地下か……くそ、筋が通る」
ライアンは眉を顰め、靴底でトントンと床を叩く。
「ルーカス・マイヤーズも、地下にいる……?」
──死んでる以外の可能性は?
──薬などで声が変わっている場合。あとは私のNEXT能力の及ばない場所にいるか
──どういう場所?
──地下深く
アンジェロ神父は、確かにそう言った。
骸骨アンドロイドを使って市民を誘拐しているのがルーカス・マイヤーズなら、アンドロイドと共に地下に潜伏している可能性は十分にある。もちろん、誘拐された市民たちも。
既にフリン刑事の指示でブロンズステージのあらゆる地下施設を操作してはいるが、どこも普通に人が出入りしている普通の地下フロアだ。マンホールからの下水道などはノータッチである。
「で、これだけじゃありません。シスターから伺った、アイアンステージの話です」
「……マジであんの?」
そわ、とライアンが少年じみた目つきになった。
「まだ確定ではないですが。……話を聞いてきたんです。アンジェラのメトロ生き埋め事故の時、鉄骨が刺さって崩れた地盤をどうすればいいのかと対応した、都市開発の専門家の方です」
彼はこの街の生き字引とも言われる熟年の技術者で、いくつかのメトロの路線は彼が開発に関わったという。
「話を伺った所によると、……シュテルンビルトの地下には、不明な空洞が確かにいくつもあるそうです」
「マジで」
「マジです」
すっかり身を乗り出しているライアンに、バーナビーもまたやや興奮気味に続ける。
「そもそもシュテルンビルトが上へ上へ階層を重ねたのは、水害対策のためです。何度かの津波や洪水で多くの建築物が流され、地盤沈下なども起きたと推測されます。その時出来た空洞だろう、というのが通常の見識なのですが、彼曰く、明らかに人工的に思える箇所があると。ゴールドラッシュ時代の坑道の一部というのが代表的な説ではあるのですが、そういう様子でもなさそうな空洞もあるとかで」
その技術者も長年疑問に思っており、調査したいとは思っていたが、下手に掘り返してまた派手な地盤沈下などにつながってもいけないということで、見なかったことにされているのが現実だという。
「メトロ事故の時、なぜあんなに慎重に鉄骨を扱ったかといえば……、この不自然な空洞が、その理由にほかならない」
「……じゃあ、何だ? あの時無理やり鉄骨を抜けば、その空洞のせいで周りの地面も全部抜けそうだったもんで俺の能力で逆に埋めていっそ地盤の支柱代わりにしたって、そういうことか?」
「はい」
その返事にライアンは頭を抱えて天を仰ぎ、「マジかよ」と小さく呟いた。
「現在メトロの復旧工事をしている、ポセイドンラインの担当者に確認しました。残念ながら彼らはレールの復旧工事しかしていないので確実な答えは得られませんでしたが、妙に音が響く部分があるので、不思議には思っていたそうです」
そこまで報告して、バーナビーは皆を見る。
「シュテルンビルト第4層、アイアンステージの地下道。その入口は、シュテルンビルトが出来た頃から存在する古い教会にある、と言われています。……迫害してくる敵を阻むために頑丈に作られた質素な教会は、津波や洪水にも耐え続けて今もある」
教会を調べましょう、とバーナビーは言った。
「無駄足になるかもしれません。……しかし、何もせずにいるよりは」
「……そうだな。──よし。じゃあフリン刑事。改めて警察と協力体制を取って」
「その前に、やることがあるでしょう!」
バァン!! と勢い良くドアを開け放ち、指示を出そうとしたライアンの言葉をやけに通る声で遮ったその姿は、ウェーブのかかったブルネットの髪、くっきりしたメイク。アイロンのかかった立体断裁のシャツにタイトスカート、新品のストッキングにぴかぴかのパンプス。──アニエスであった。
「おい、ドクターストップかかってたんじゃ」
腰に手を当てて仁王立ちするアニエスに、ライアンが怪訝そうに言う。
しかし彼女の後ろのドアから、疲れたような、悪さがばれた子供のような様子の医者とケイン、そしてなんだかよくわからないが楽しそうな犬を思わせる、いつもの表情のガブリエラが顔を出したので、彼はすべてを察した。
「あんたたちはヒーローよ! 警察と協力体制を取るのも、捜査に首を突っ込むのも結構! でもそれはカメラの前でやってこそ価値があるの!」
バン、とアニエスは机を叩いた。
「隠された第4層、アイアンステージの探索! いいじゃない、高視聴率間違いなしだわ! 全員に着けられるカメラ用意しなくちゃ」
「……こんな時にもまだ視聴率かよ」
ケッ、と小さく吐き捨てた虎徹に、「おい」とアントニオが窘めるように肘打ちする。そんな彼らに、アニエスはギッと強く射抜くような眼差しを向けた。
「こんな時に? 視聴率ですって? あんたは何を言ってるのよ。こんな時だから視聴率を取らなきゃいけないんでしょうが!」
「はあ?」
「被害者が助かる。それは確かにいいことよ。というか、本願だわ。──でも、あんたたちが人知れず事件を解決したら、それでおしまいなの。それじゃダメなのよ!」
いつになく激しい剣幕の彼女に、全員が気圧されて目を瞠る。
「ワイルドタイガー! 前から思ってたけど、あんたはものごとを個人視点で見すぎだわ」
「……んだとぉ?」
「カメラがなかったら、誰もあんたが事件を解決したことを知ることが出来ない」
「はっ、構わねえよ。事件が解決して、人が助かるんだったら──」
「だからダメだって言ってるのよ!」
それは、ヒステリック、と軽く言い捨ててしまうことのできない叫びだった。視線を反らしてひらひらと手を振っていた虎徹も、その動きを止めてアニエスを見た。
「私達報道マンが本当に伝えたいのはね! あんたたちの活躍でもなんでもないの!」
その言葉に、ヒーローたちがきょとん、とする。
「誰かが傷ついた、理不尽にひどい目にあった、事件に巻き込まれた、事故が起こった、助けを求めてる。でもね、それだけをニュースで流したって、誰も見やしないのよ。かわいそう、気の毒だ、助かればいいと思う。でもそれだけ。所詮他人事よ」
ニュースで流れた事件被害者を見て、実際に自分がどうにかして助けよう、なんて思う人はまずいない、とアニエスは言った。
人間はひとりひとりが善人でも、名前も顔もないその他大勢の一部、“民衆”という群体になれば、途端に残酷で、無責任な存在になる。更にメディアを通すことで情報の現実味は薄れ、共感や同情は芽生えにくくなってしまう。「ネットの書き込みなんか見れば実感湧くでしょ」というアニエスの補足に、イワンがこくこくと小さく頷いた。
「でもそれは、人間の本質が残酷で他人に無関心だからってことじゃない」
虎徹を代表として、納得出来ないような顔をしている面々に、彼女は言った。
「彼らが事件の本質から目を逸らす本当の理由は、助けられないからよ。可哀想だと思う。助かって欲しいと思う。でも自分では助けられない、何も出来なくて申し訳ない。そういう残酷な現実を目にするのがつらいから、みんな事件や被害者から目を逸らす。──でも、ヒーローがいればそれは覆るわ」
アニエスは、ヒーローたちを見る。背筋を強制的に伸ばさせるような視線だった。
「絶対に助けてくれるヒーローがいるからこそ、みんな残酷な事件をちゃんと見ようと思うのよ。最後には必ずヒーローが事件を解決してくれる、何も出来ない自分たちの代わりに、ヒーローがやってくれる。だからこそ、みんなその事件を知ろうとしてくれるの。だって、本心ではみんな助けたいと思ってるんだから」
その言葉に、ケインが後ろで深く頷いた。
「私達の仕事は、それを更に人目を引くように派手にすること! 盛り上がる音楽を流して、上手い実況をつけて、事件はヒーローが絶対に解決してくれる、そう演出して、安心して事件に注目してもらう。つまり、関わってもらうことよ!」
メトロ事故の時だってそうだ、と彼女は続けた。
“民衆”という、他人の痛みに鈍感になった残酷な集合意識に、統一された、そして強い感情を芽生えさせるには、ショッキングな映像であればあるほどやりやすい。アニエスは、情報論やら心理学などではなく、単に経験によってそれを知っていた。
ただ乗客が生き埋めになったと報道するだけでは、誰も動かない。どう動いていいかわからず、何も出来ない無力さを恥じて萎縮してしまう。
しかしそうやって誰もが絶望するような状況で、ホワイトアンジェラというヒーローが、たったひとりでも身を削って乗客を助けようとしている姿を映したからこそ、人々は奮い立ち、具体的に何かしようと動き始めた。力になれるかもしれない、何かできるかもしれない。ひとりひとりがヒーローになり得るのだと、少しでも自覚してくれた。
「犯罪者とヒーローを戦わせるのをショーみたいにして不謹慎だの趣味が悪いだの、そういうクレームも未だに来るけどね!」
フリンが、ぴくりと肩を震わせた。
「戦ってるんじゃないわよ! 助けようとしてるのよ! HERO TVはエンターテイメント“レスキュー”番組なのよ! 本質がわかってないのはどっちよ!」
ガン、とパンプスのヒールがまた椅子を蹴る。
「それに私が視聴率視聴率って言うのはねえ! 視聴率が高いってことは、それだけ多くの人が事件を知ったってこと。目を向けてくれたってことよ! そのきっかけがイケメンルーキーでも、アイドル歌手でも、なんだっていい。ミーハーなファンたちだって、贔屓のヒーローが助けた被害者に支援をするかもしれないんだから」
手段は選ばない。とにかくまずは見てもらわなければ話にならない。他人事ではなく、自分たちも関わる問題なのだと思わせることが出来れば。──個人個人で親身になることさえ出来れば、彼らは“善良な市民”になる。
更に言えば、個人の感情では動けない会社やスポンサーも、視聴率という目に見える数字での成績、つまり利益が得られるのだとわかれば、これからも金を出し協力してくれる。これから先も、誰かを助けることが出来るのだと、アニエスは言った。
「だから私は高視聴率を目指してるのよ。何が“こんな時に視聴率”よ!」
「……悪い」
「いつだって前しか見てない! あんた何年テレビに出てるのよ、壊し屋!」
容赦なく痛いところを突かれ、うぐぅ、と潰れたような声を上げた虎徹に、バーナビーが珍しくどうしていいかわからずおろおろする。しかし彼女はまだ止まらない。
「今だってブロンズがゴーストタウンだし、アンドロイドは不安ばっかり煽ってきて何もわからないしで、みんな疲れ果ててる」
正体不明のアンドロイドがいつ襲ってくるかわからない不安、住む場所を奪われ生活に追われ、テレビを見るどころではない、そんなところまで市民は追い詰められてきているのだと、アニエスは怒鳴る。
「今、視聴率がどれだけ下がってると思う!? ここでやっと新しいことがわかってこっちから攻めに出られるってところを市民に見せなくてどうするのよ! 馬鹿じゃないの!」
「おっしゃる通りで……」
きいきいと叫んでまた椅子をパンプスで蹴り飛ばしたアニエスに、虎徹は肩をすくめて、おとなしく怒られた。だがその口元には、抑えきれない笑みが浮かんでいる。そして、それは他のヒーローも同じだった。
「つーか、めっちゃくちゃ元気だな……」
「ぴかぴかにお元気です!」
こっそりと後ろに下がって耳打ちしてきたライアンに、ガブリエラは「念入りにいたしましたので」とにこにこして頷いた。
「頭もすっきりさせたいと仰るので、そうしました。ですので、脳に色々な物質がたくさん出て、ハイになっていらっしゃるかもしれません」
「あー、そういうことか」
本来アニエスは、こういう風に自分が思っていることを皆の前でぶち上げるような性格ではない。彼女こそ、誰に理解されずとも黙って目的を遂行するタイプである。誤解されやすく、しかし何よりも強固な信念で持ってして立つ人間。
「アニエスさんは、本当に良い人です。そしてとても格好良くて素敵な方です」
彼女の有能さについては以前からライアンも心底認めているところだが、信用できるかどうかということにおいても一級なのだというのは、ガブリエラの太鼓判がなくとも重々確信できることである。
「……そうだな。あのヒトもほんとヒーローだよな」
「ヒーローというか、女王様です!」
「ぶっ、なるほど」
にこにこして言うガブリエラに、うん、とライアンも笑いながら頷く。
ひとりひとりでは何も出来ない普通の人々に対し、その身をもって道を示し、団結力を持たせて導く羊飼いがヒーローなら、彼女はもたつく羊たちの尻を鞭でビシバシ叩き倒し、きびきび走れと追い立てるタイプの羊飼い。まさに女王様だ。ガブリエラの好みのタイプでもある。
「うう、アニエスさんっ……! これからもついていきますっ……!」
ドアの影から顔を出しているケインが、うるうると目に涙をためて言う。
「わかります、わかりますよケインさん。先程のアニエスさんを動画で撮影しましたので、メアリーさんやオーランドさんたちにも送っておきましょう」
「俺にもくれ〜、仕事がつらい時に見返す〜」
「もちろんです!」
涙を拭って感動しているケインに笑顔で頷きながら、ガブリエラはアニエスの演説動画を、懇意にしているスタッフたちに一斉送信する。
ライアンはそれを見て後で彼女がアニエスに怒られるのではないかと思ったが、憧れの女王様からのお叱りならばどうせご褒美にしかならないだろうと思い、放っておいた。
脳内物質が出まくっているせいか、アニエスは肩を怒らせて見事な仁王立ちをきめ、虎徹に激しく文句を言い続けている。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、ライアンはヒーロースーツに内蔵できるカメラについてパワーズと話し始めた。