#165
「こうして調べてみると、ほんとにすごいわねえ」

 ユーリに渡した情報を横から眺めながら、ブランカが言う。
 ユーリはやはり無言だったが、それには全く同意だった。もし彼女が──ガブリエラ、ホワイトアンジェラがこのシュテルンビルトにいなかったら、月夜がいくらあっても足りないような状況になっていたかもしれないと。

 ホワイトアンジェラの活動は、「怪我人を治すこと」、その一点に特化している。
 犯人捕獲件数はほとんど偶然居合わせただけというようなごく少ない件数に過ぎず、しかし怪我人の救助件数は、一見して数字の桁数がわからないほどに膨大だ。
 そしてその能力ゆえに、いちどに多数の怪我人が発生するような事件の際、彼女は命の危険がある患者へ優先的に能力を使い、一般の治療でも問題なく回復できる状態まで持っていくことをその役目とする。

 彼女がいなければ、罪状に過失致死を含む殺人罪が加えられた犯罪者がどれほどになるか。そしてそれを知っている者が、犯人ら本人を含めてどれほどいるか。

 それだけではない。アルバート・マーベリックが生きていた頃、彼が揉み消したものの中には、ヒーロー活動による損害、特に人的被害──怪我人、あるいは間接的なものも含め死亡者の事実もあった。
 しかし彼女が“犯罪被害による怪我を治してしまう”という完璧な行動によって無自覚にこの尻拭い作業を引き継ぐことになったせいで、マーベリックが行った隠蔽工作の中でもこの件は未だ表沙汰になっていないどころか、存在すら知られていない。

 つまり彼女はただ目の前の怪我人を治すというシンプルな行動により、犯人の罪も、ヒーローの過失も、見境なく、そして無自覚に、片っ端から帳消しにしてしまっているのである。
 とはいえ、この件に関しては彼女は本当に“善意の第三者”以外の何物でもないため、そこに罪はない。

「彼女がいなかったら、ジャスティスデーの一件なんか、ジェイク事件以上の、最悪の無差別殺人テロよ。情状酌量なんかまず適応されなかったでしょうね」

 ブランカの言うとおりだった。
 多数の爆弾で施設を破壊したことによる怪我人の中には、救護テントにいた彼女の元に運び込まれた時点でほとんど死んでいるような、具体的にはぎりぎりの延命処置により心臓や呼吸器が機械で無理やり動かされているような市民も多くいた。
 アンドリュー・スコットらの罪状に殺人罪の文字がなく、情状酌量が適応され、比較的短期の懲役年数で済んでいるのは、全てホワイトアンジェラの功績なのだ。

 もし彼女がいなかったら、犯人の彼らは今頃どうなっていただろう。
 そして、アンドリュー・スコットの復讐に賛同し、間接的に手を貸したとも言えるルナティック、──ユーリの正義もまた、どうなっていたか。

 ──ゆるす? そんなわけがないでしょう
 ──どれだけ生きても、誰からも許されないまま死ぬ人などいくらでもいます


 不思議そうに言った彼女の、子供のような声を思い出す。あどけなく、無責任で身も蓋もなく、しかし実例を知っているからこそ重みのある声。
 頭の悪い自分には正義も悪もわからない、考えるのは時間の無駄だと彼女は言った。自分にわかるのは、生きるか死ぬかだけであると。そして生き続けることと許されることは別であり、自分はひたすらに生かすことだけがその役目であるのだと。

「彼女の考え方はシンプルだわ。私も賛成」
 ブランカは、微笑みながら言った。
「とにかく命を乞う人のほうがもちろん多いだろうし、生きてさえいればいつかいいことがある、というのも本当よ。でも死もまた時に安らぎや許し、開放にもなる。むしろそれでしか救われない人だっているわ。生まれてこないほうが良かった、死んだほうがマシ、ということが、世の中には割とたくさんあるもの」
 それはとてもとても悲しいことだけれど、と彼女は棺の中に話しかけるような声で呟いた。

「だからホワイトアンジェラを天使だと思う人がいるように、ルナティックを天使だと思う人もいる。だから私達はあなたを止めないし、ある意味尊重してるつもりよ。だって、あなたには炎のような心があるから」

 この時ユーリが思い出したのは、レディ・ヘンカー、本名セルマ・ハント。数年前、ルナティックに殺されるために殺人犯を装って世間を騒がせた女性だった。
 結局のところ、彼女は余命宣告を受けた寂しい人生を病によってただ仕方なく終わらせるのではなく、誰かの手をわずらわせることで終わらせようとして、あのような行動に出た。死ぬのではなく、殺されたいという願いを死神に託そうとしたのだ。
「あなたの悪が、私の希望だった」──、彼女はルナティックにそう言った。

 殺されたい人間がいるということは、ユーリにもわかる。
 何もかも強制的に終わらせてほしいと願う気持ちも。
 だがそれよりも、裁かれぬ罪人が世にのさばっていることへの怒りが、気を狂わさんばかりに身を焼くのだ。だからこそ、ユーリ・ペトロフは死の神タナトスの声を届けるルナティックとなった。

 見逃されてきた罪に対し、まるで自分のことのように怒りを燃やし、真の正義を問い、青い炎で罪人を焼くルナティック。だからこそ彼を賛美する者は後を絶たないし、ルナティックが犯人を殺したことに深い感謝を抱く被害者やその関係者も少なくはない。

 ブランカの言う通り、生まれてこないほうが良かった、死んだほうがマシだということは現実に存在する。そのことがわからぬほど、ユーリも世間知らずではない。むしろ裁判官という立場上、世間に知られていない、痛ましさのあまり息ができなくなるような犯罪被害を、書面上のものも含めれば数え切れないほど目にしてきた。
 その経験を踏まえた上でユーリが感じたのが、罪を犯しながらも素知らぬ顔でいるような罪人たちは決まって皆生き汚く、「命だけは」と懇願するということ。たとえ牢屋に入れたところで、生きているだけでそこに喜びと安堵があるということだ。

 死という断罪が、時に、救いようのない罪への唯一の救いになる、──あるいはなってしまうことをどこかで理解していながら、ルナティックは彼らを殺すことを決めた。
 ユーリの中にある、罪人に僅かな喜びも感じさせるべきではないと思う潔癖さと、死んでしまえば何もかもが終わるのだという慈悲深くも感じられる事実、そして理不尽な不幸と身勝手な罪に対する怒りの炎の中から、月夜の死神は生まれてきた。

 その点でいえば、グレゴリー家が掲げる死刑反対の主張はある種残忍だ。
 死刑反対というときれいごとを謳った似非平和主義の甘っちょろい戯言、あるいは加害者の更生や人権を重要視した論のイメージがあるが、グレゴリー家が掲げるそれは全く違う。

 一瞬で終わる死刑よりも、生かさず殺さず長く続く拷問こそが罰にふさわしい。
 つまり彼らは「生き地獄を味わうべし」という考えかたでもっての死刑反対派である。

 それは、過去の論文や議論において死刑の代替え案として彼らが提出したのが、罪人たちを徹底的に腑分けしたり実験動物として使い何らかの研究に役立てるだとか、健康体に治療した後に臓器移植などの“素材”として活用する、更に移植患者の優先リストに犯罪被害者がいればリストの順位に反映させる、という案であるあたりから明確に読み取れる。
 つまり罪人は本人たちが許されるためではなく、罪人によって不幸をかぶった罪なき人々がこの先幸福に暮らすために処罰を受けるべし、という考え。罪人からは人権を奪い、人ならざる資材や労働力として“消費”し、「いっそ殺してくれ」と思わせることこそが社会に対して生産的な役目も果たす合理的な罰となり、より良い未来へ繋がるのだと彼らは考えている。

 誰も彼もをとにかく生かすことに専念しているホワイトアンジェラ、ガブリエラであるが、彼女はもちろんそこまで考えていない。
 “とりあえず生きていれば、後は賢い人がいいようにするだろう”という丸投げ的な考えでもって、彼女はベルトコンベアで運ばれてくる怪我人を、機械的に見境なく、完璧に治し続ける。
 もしその後の法の判断で救った命が死刑になっても、彼女は聖女のように嘆いたりしない。彼女は命を救うプロだが、同時にそれだけだ。自分の手を離れた仕事がその後どうなるか、ベルトコンベアで流れていった品物がどう処理されていくのかについて、彼女はそれほど執着がない。
 彼女は自分の仕事を愛し楽しんでいるし、その素材になるものに愛着を持ってはいるが、それはいずれ処理される家畜に対するような割り切った慈愛だ。
 ユーリはかつて、メトロ事故から生還した彼女が自分を聖女ではないと言ったことについて、今では完全に納得している。

 確かに彼女は、聖女ではない。
 言うなれば──、

「……ホワイトアンジェラは、自然現象のようなものです」

 ぽつりと、そして今日ここに来て初めて呟いたユーリに、ブランカは驚きもせず少しだけ首を傾げた。彼の口が呆れるほど重いのはいつものことだからだ。
「自然現象?」
「突風、予期せぬ雨、反射した光。あるいは小さな偶然が重なって、大事故でも怪我人が出なかったり、起こりかけた犯罪が抑止されることもあるでしょう。彼女の存在はそういうものです」
「……それって、奇跡っていうんじゃない?」
「それは、文明に囲まれていると、自然の営みが奇跡のように見えるのと同じでしょう」

 毎日昇っては沈む太陽に感動し、輝く星で星座の物語を創作し、何万年もの時が作り上げた雄大な景色に保護指定をかけ、奇跡の所業だと賞賛する。全て、ロジスティックな文明に染まった人間がやることだ。
 一方、文明を持たず自然の中で原始的に生きる動物たちは、太陽が登って沈むリズムで寝起きをし、星明かりを利用し、恵み豊かな大地が何万年続いているかも知らず、ただそこで生きて死んでいく。そして、ガブリエラの行動原理はどちらかといえばこれに近い。

「そうね。確かに彼女はプリミティブだし、それが魅力でもあるわ」
 納得したブランカは、頷きながら相槌を打った。
「つまり、彼女によって抑止された罪は見逃すってことね」
「自然や偶然を裁こうとするほど傲慢ではありません。意味もない」
「訂正するわ。見逃さざるをえない」
「ええ」
「でも納得出来ないでしょう?」
 ユーリは文明の最たるものである法の番人であり、彼の青い炎は気違い沙汰だと思えるほど潔癖である。それを知っているブランカは、特に感情を乗せず、ただ事務的に確認するように訪ねた。

「彼女が地上の全ての罪を帳消しにして回っているなら、論ずることもあるでしょう」

 しかし彼女はただ自分の周囲で起こったものに、できる範囲で手を伸ばしているだけだ。彼女は自分が気に入った者の肌荒れや肩こりを治しても、地球の裏側で起こっている凶悪犯罪の被害者を助けることは出来ないし、しようともしていない。
 そしてそれは罪でもないが、完璧な善行でもない。彼女自身が言う通り、ただ彼女がやりたいからやっているだけ。趣味とも言えるかもしれない。彼女が個人的な趣味嗜好で振る舞うことが、たまたま誰かの得になるというだけだ。
 生きるか死ぬかしかわからないという彼女は、彼女自身もまた、ただそうやって生きているだけなのだ。彼女が神聖視されるのは、その生態系上で多くの生物に恩恵をもたらす巨大なバオバブの木が、周囲から勝手に神聖視されたりするのと同じようなものだ。

 彼女は、罪を計る正義の天秤など持たない。
 雨や風が流れるままであるように、光が差す場所を選ばないように、彼女は力をふるう対象を選り好みしない。偶然目の前にいる者の怪我が重いか軽いか。母体保護の観点から女性、また子供を優先することはあるが、それだけだ。彼女は本当に、生きるか死ぬかという非常に原始的な部分しか見ていない。
 そこに罪はなく、正義もなく、悪意もない。少々の善意はあるだろう。そしてだからこそ、それが目立って究極の善行のようにみえるのだ。
 だが彼女が神の恩恵のようなNEXT能力を持っていることも、それをどう振るうかも、そしてその結果何が起こるのかも、誰の悪意や善意によるものでもない。単なる偶然だ。

 ──私の仕事は、怪我人を全て治すということだけです!
 ──善とか悪とか許すとか許さないとかは別の人がすることです!


 説明こそ下手だが、彼女自身、このことをよく理解しているのだろう。
 そしてユーリもまた、あのやり取りで完全に理解した。

 天使と死神。地を駆ける犬と、空に浮かぶ月。
 己の快楽と趣味のために人を救う女と、己の正義と信念のために人を殺す男。
 正反対だが、相反するものというわけではない。ただ役割が違うだけだ。

 彼女の仕事は、“とりあえず生かす”ということ。
 そしてユーリの仕事は、彼女の言葉を借りるなら、善とか悪とか、許すとか許さないとかを決めることだ。あるいは彼女が処理し、健康な状態にしてベルトコンベアに流したものに対し、過不足ない罰を与えて処理する係。
 なぜなら彼は裁判官であり、──ルナティックという、死の神タナトスの声を聞き、罰とも救いともなる死をもたらす死神であるのだから。

 レディ・ヘンカー事件の時、ルナティックは手を下さず、結局彼女は余命宣告よりやや長めに生きて、ただ死んだ。それは彼女への救いでも許しでもなく、ただルールを守った結果にすぎない。彼女は実際に人を殺しておらず、殺人犯を装っただけ。しかし、それなりの罪ではある。殺すほどではなかったというだけ。

「……それで? あなたは今回どうするか、決めたのかしら?」
「ええ。少々時間がかかりましたが」
 ユーリは、ブルームーンに初めて口をつけた。青い月。"once in a blue moon"というと、「極めて稀なこと」という慣用句にもなる。

 ここしばらく、ユーリは決め兼ねていた。
 本来ならば、己のために罪なき人を殺すはずだった罪人たち。ホワイトアンジェラによってその被害者が救われたことで、軽い刑罰のみが課されて刑務所に収容されている犯人たちを、ルナティックはどう扱うべきか。判例のない、青い月のように珍しい事態に、ユーリ・ペトロフはどういった判決を下すべきか。

「目には目で、歯には歯で。死には死で。同じことです。己の欲のために犯した罪を償うには、適当でしょう」

 原初の聖典にも記載がある。レクス・タリオニス。目には目で、歯には歯でというフレーズが有名で、一般的にはやられたら同じだけやり返せという同害報復の教えとして認識されているが、実際には「目を潰した罪は自らの目で償い、歯を折った罪は自らの歯で償うべし」という、償う側の立場に立った意味のほうが適当であり、倍返しなどの過度な報復を防ぐ法でもある。
 ならば、死には死をもって償うべき。それがタナトスの声である、とユーリは考えている。あえてガブリエラのようにプリミティブに考えるならば、健全に生きたものが次の命を生み出すのと同じように、何かを理不尽に殺せば、他の理不尽によって殺されるのが道理というものだ。
 そしてそれが本人にとって救いになるか裁きになるかは、ユーリの範疇外である。彼女がそうであるように、ユーリもまた、自分の仕事が終わったあとのことを心配するほど優しくはないのだ。──ヒーローと違って。

「そうね。私達グリゴリ……いえ、グレゴリー家としても同じ考えよ。この件について、何かできることがあれば協力するわ」
「考慮しておきます」
「それと……掴んだ情報があるのよ。念のため伝えておくわ」
 ブランカは、ユーリに向き直る。

「二丁拳銃を廃人にした彼女だけど、あれは彼女自身の能力によるものよ」
「アルバート・マーベリックの能力のコピーでは?」
「警察やヒーローたちはその方向で見てるみたいね。でも違うわ。あの素材に定着できるNEXT能力には、そうできるものとできないものがあるの」
 そして、アルバート・マーベリックの能力は、素材へのコピーが出来ないもののひとつである、とブランカは告げた。
 ウロボロスと共同であの素材を開発した星の民と、直接繋がりのある彼女が得た情報だ。確かだろう。

「──彼女は、ネフィリム。確認できるだけでこれだけの人間を殺してる」

 ブランカが示した数は、とんでもないものだった。ユーリは眉を顰める。
「ほとんどがNEXT能力者。……だからこそ、ウロボロスは彼女に声をかけたわ。彼らは強力なNEXT能力を賞賛するけれど、同時に彼女はNEXTを殺しすぎた」
「共倒れを狙っている?」
「そういうこと。実現したら、今度こそとんでもないテロになるわ」
 重々しく頷き、ブランカはいちど黙った。
「……彼女に罪があるのかどうか、私達には裁けない」
「なぜ?」
「世の中には、生まれてこないほうが良かった、死んだほうがマシ、ということが溢れているからよ」
 少なくともこれだけはね、と、ブランカはネフィリムという存在が殺した人間の数を示した。

 ネフィリム。
 それは堕天使グリゴリたちと人間の娘たちという禁忌の間に生まれ、地上の食物を食い荒らしたあとは共食いをして絶滅した巨人たちのことである。生まれてきてはいけなかったものの代名詞とされることもある。
 グリゴリは、ネフィリムたちを救わなかった。生まれさせないことも出来なければ、苦しまぬうちに殺すことも出来なかった。それがなぜかは聖書において伝えられていないがしかし、このシュテルンビルトにおいては、その理由は明らかだった。

「それに彼女がネフィリムになったことについては、私達にも一端の関与があるから。……私達がもしヒーローのようであれば、助けを求める手を待つ以上のことをしていれば、彼女のような存在はなかったかもしれない」

 本来日陰者の最たるものであり、表の世界に出てこない、出てこれないグリゴリは、助けを求めて自分たちを探し当てた者たちが伸ばした手を取ることはあれど、地上に出て姿を現し、ヒーローのように大々的に人を助けて回ったりはしない。
 マダム・ハングリーも、NEXTだとばれる前に駆け込んできた人々にはすべて手を貸したが、既に迫害を受けている人々に自ら手を差し伸べることはなかった。既に保護した者たちを完全に守るために、彼女は割り切った。そして、彼女の子孫たちも。
 だがそれは彼らの立場を考えれば最大限に親切な行為であり、善良な市民としては出来得る限りの善行であり、罪ではない。誰にでも、出来ることと出来ないことがあるというだけの話だ。

「ヒーローのような行為は特別で、一般市民の義務ではありません。また既に起こってしまった事件を前に、低い可能性について論ずるのは社会にとって生産的とはいえませんね」
「ええ、そのとおりだわ」
 けぶるような睫毛を伏せて鎮痛に俯いたブランカに目をくれることなく、ユーリは頭に叩き込んだ資料の束を片手にまとめる。

「タナトスの声は、罪人たちに平等に訪れる」

 青い炎が、数々の罪のリストを跡形もなく燃やし尽くす。
 罪に対する怒りでもって、平等に、容赦なく、──そしてどこか、慈悲深く。










「まあバーナビーさん、お忙しいのに……」

 シルバーステージの、身寄りのない子供たちを保護する施設。
 そこで子どもたちに絵本を読んだり、ちょっとした遊びに付き合ったりしていたバーナビーを、買い物から帰ってきた老齢のシスターは慌てて労った。

「突然お邪魔してすみません」
「それはまったく構いませんけれど。ブロンズステージに現れている、あの、黒い骸骨……アンドロイド? そのせいで、皆さんとても疲れていらっしゃるでしょうに」
「ええ、まあ、確かに。……でも、身体の方は何とかなっても、そろそろ気持ちが疲れてきてしまって」
 アンジェロ神父と連絡を取った後もまたアンドロイド出現騒ぎは続いているが、一時よりは緩やかなペースであるため体力の回復もできるようになり、バーナビーは久々に、懇意にしているこの施設にやって来たのだった。
「子どもたちの笑顔を見れば癒されると思って、お邪魔したんです。ありがたいのは僕も同じですから」
「まあまあ、そういうことならいくらでもおいでになってくださいね」
 シスターは慈愛溢れる微笑みを浮かべて、温かいお茶を差し出してくれた。

「あれ、あの子達は……?」
 窓から見える門の所で、保護者らしき大人に連れられた小さな子供が、施設の若いシスターに引き渡されているところが見えて、バーナビーは老シスターを振り返った。
「臨時で小さいお子さんを預かっておりますの。保育所のようなものですね」
「ああ……、避難してきた方たちの」

 アンドロイド騒ぎによってブロンズステージから避難してきた市民の多くは、生活しやすいシルバーステージに避難し、臨時の住居を構えている者が多い。
 体育館などの通常の避難所に滞在している者もいれば、懐具合に余裕がある者は、一般の宿泊施設も利用している。ホワイトアンジェラ暗殺未遂によってシュテルンビルト外からの旅行者の渡航と宿のキャンセルが相次いだが、皮肉なことにそれが避難民の救いになっていた。宿泊施設側も空き部屋を作るよりは良いと判断し、助け合いキャンペーンなどと称し、通常よりも安価で部屋を提供している。
 更には、つい先日アンドロイドの出現と行方不明者の数が一致していることから誘拐事件でもある可能性が高い、という報道がされてからというもの、ブロンズステージに見切りをつけた市民も続出した。
 そのため、現在ブロンズステージの閑散ぶりはもはや凄まじいことになっていた。一部など、本当にゴーストタウンのようである。

「非難市民がかなり多くなりましたからね。色々な施設がパンクしていると聞いています。こちらは大丈夫ですか?」
「皮肉なことですが、◯◯教のイメージがあまり良くない方向に向かっておりますから、他の施設ほどではないですね」
「そうですか……」
 苦笑するシスターに、バーナビーもまた複雑そうな表情で返した。

 昏睡状態だったアンジェラの身柄を求めた企業や団体をライアンが大々的に公表したことにより、リストに載った団体の評価はもちろんガタ落ちになっている。
 中でも、実際に姿を見せてアンジェラの身柄を求めてきた神父3人の姿がテレビ放送されたことで、◯◯教は実は胡散臭くて恐ろしい宗教なのではないか、という噂が流れているのだ。
 とはいえ既にあの神父姿の3人は◯◯教と関係のない人間である、と正式に総本山が発表しており、きちんとした情報ソースを確かめる人間ならばすぐに把握できるものであるため、噂はそのうち無くなるだろう。
 ──いろいろな真相を知ることとなったバーナビーとしては、若干、いやかなり複雑なところがあるのが正直な感想ではあるが。

「私もアンジェラさんが心配で中継を見ておりましたけど、あの神父さんたちねえ。今どうしていらっしゃるのかしら」
「……え!? 彼らを知っているんですか!?」

 アンジェロ神父の情報により既に星の民に回収されていることが明らかになった今、ホワイトアンジェラの身柄を要求しに病院にやって来た3人の神父もどきの捜索は打ち切られている。
 だがまさかこんな身近に彼らのことを知っている市民がいたということにバーナビーは単純に驚き、丸くなった目をシスターに向けた。

「いえ、ちらっとご挨拶したことがある程度で。古い方の教会の方でしたから……」
「……“古い方の教会”?」
「ああ、ええ。ご存知ありませんか?」
 バーナビーが頷くと、シスターは彼に椅子を勧め、自分も礼をして向かいに腰掛けた。

「シュテルンビルトには、むかぁしからこちらにお住まいの方と、外からいらしてる方がおりますでしょう」
「ええ」
 最も古くはシュテルンビルトが出来たその頃から、代々シュテルンビルトに住んでいるという者。王国の貴族籍だったという血筋の者もおり、バーナビーも関係者に会ったことがある。
 最後の当主だった男に仕えた元執事で、名前はルドルフ。開拓時代は騎士として戦ったという主から預かったいわくつきのティーセットを、過去に囚われながらも必死で守ろうとしていた男だった。
 当時はもちろんシュテルンビルトは3層に分かれたりなどしていなかったので、由緒正しい家柄でありつつも住宅がブロンズステージであるのも特徴だ。歴史ある建物である場合も多いので、景観保護指定されて観光名所になっている大きな屋敷などもある。
 現在ヒーローランドでレストランとして復元されているマダム・ハングリーの邸宅も、火事で消失するまではこのエリアにあった。

「教会にも、そういうものがあるんですよ。シュテルンビルトが出来た頃に建てられた古い教会と、戦争の後から新しく建った教会と」
 うちはかなり新しい方です、とシスターは言った。
「何か違うんですか?」
「私もよくは知りません。不思議に思って昔調べましたけれど、詳しいことはわからなくて……」
「わからない……? 他の教会の情報はあまり共有されていないのですか?」
「いいえ! 皆頻繁に連絡を取り合って、よくやっておりますよ。助け合うことが私達の教えの基本ですもの」
 シスターは、ふるふると首を振った。

「しかし、総本山が発行している教会のリストに、“古い教会”の名前はないのです」

 そう言って彼女が見せてくれたのは、非常に分厚い紙の束。
 これはシュテルンビルトを含むこのエリアの教会のリストであり、連絡網でもあるという。すべての教会がこのリストを共有しており、お互いによく連絡を取り合い、情報を交換し、助け合って運営しているのだ。
 リストを前に、知っていることだけでも教えてもらえますかとバーナビーが頼むと、彼女はもちろんいいですよと穏やかに頷き、話し出した。

「あの古い教会は、シュテルンビルトにしかありません」
「シュテルンビルトにしかない?」
「ええ」
 シスターは、頷いた。
「◯◯教にも色々ありはしますけれど……」
 救世主に感謝を捧げるのが基本であるが、特にその母である聖母を重要視したり、救世主の弟子である聖者の誰かを特に信仰したり色々なのだ、とシスターは説明した。
「総本山はそれよりもっと古い……救世主様の誕生を始まりとする現在主になっている聖書より前からあった、天使様に関わる信仰に重きを置いているとも聞いています。ほら、ゴールドステージにある大きい教会は総本山が直々に建てたところですから、金色の天使様の像があるでしょう?」
「……ああ、聞いたことがあります」
 つい先日本当に“色々と”聞いているバーナビーは、少々苦笑しながら言った。

「あの古い教会も◯◯教と同じ十字架は掲げてありますけれど、どういう教えを扱ってらっしゃるのかはわかりません。私達より古い時点で新興ということもありえませんのに、リストにも載っていない。不思議でしょう? 私もいちどお話してみたくて、うちの集会にお声がけしたこともあるのですが」
「集会というと、あの、定期的にやっていらっしゃる」
「そうそう」
 シスターは、にっこりして頷いた。
 集会とひとことに言っても、その内容は様々だ。聖書を朗読し、その教えを確認するような説教会は共通してあるが、あとは子供会やバザー、季節の催し、情報交換などをする地域の井戸端会議のようなものである。

「洗礼を受けていない方も集まる気軽なものですし、よろしければいらっしゃいませんか、とお声をかけてみたのですよ。もし違う教えの方だったとしても、同じシュテルンビルトに住む市民どうしですもの。ご挨拶はもちろん、お互いに理解を深めるのは悪くないことだと思いまして」
 人種のサラダボウルとも言われるシュテルンビルトのシスターらしい、◯◯教の教えとはまた別の、単なる個人としての懐の深さに、バーナビーは微笑んで「そうですね」と頷く。
「定期的にお声がけはしたのですけれど、残念ながらいらっしゃったことはありません。そういえば、ここしばらくはずっとお誘いもしていませんねえ。いつもお断りされるので、ご迷惑かと思って」
「閉鎖的な方々ということですね」
「そうなりますでしょうか。こちらから訪ねようにも、教会の門もいつも閉まっているので……。他に接点もなくて、お話する機会自体がないのですけれど……。しかし、毎回丁寧なお断りのお返事はくださるのですよ。悪い方々ではないのです、きっと」
 シスターは、善良そのものといった様子で、にっこりとした。
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BY 餡子郎
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