#162
「わけがわからないほど頭がおかしいのに、やることはものすごくいい人なのです。そう、そういうことです。ファーザーのおっしゃるとおりですよ」

 説明が難しくて今まで上手く言えませんでしたが、とガブリエラは自分で自分の言葉に納得して、うんうんと頷いている。
「確かなのは、彼がライアンをとても気に入っているということだけです」
「お前それしつっけえな!」
 ルーカス・マイヤーズがガブリエラの身柄を欲していたことが明らかになった今、真意は分からないにしろやはり彼の目的はガブリエラのはず。しかし彼女は、まだそれを否定した。
「いいえ、絶対にそうです。私のことも狙っているのかもしれませんが、別に大事だということではないです」
《何かに便利だから欲しいだけだろう》
「そう、そう! そういう感じです、多分! しかしライアンのことは違いますよ」
《ああ……》
「おい、あんたまで同意すんのかよ」
 納得したような声を出したアンジェロ神父に、ライアンがぎょっとする。

《何しろ意味不明な人物なので確かではないが、あり得るとは思う》
「……それはあんたの勘か?」
《それもあるが、残念ながら根拠もある》
 アンジェロ神父は、容赦なく告げた。
《実のところ、奴はアンジェラのことを聞かれればいかにも執着も崇拝もしているかのように話すが、自分から切り出して発言したりはしない。だが君のことは逆に、言葉少なだが色々と発言する。他の部分に綻びがないので特に耳についた》
「どういうことを?」
《“彼こそ私の天使”とか。運命とか奇跡とか、情熱的だとか、ロマンに溢れているとか。まるで愛の詩のような口ぶりだった》

 ライアンは、絶句した。そして鳥肌を立てて硬直する。
 多くのファンを持つことが何よりの価値に繋がるヒーローとしてどんな者からの好意も概ね広く受け止めるライアンであるが、ドラッグの蔓延やテロに手を貸し、事実はどうあれ妻である女性の頭を割って脳味噌を取り出すという常軌を逸したサイコパスからの秘めたる想いなど、さすがに素直に受け取りかねた。
 誰かが「ひええ」と声を出し、大勢が気の毒そうな視線をライアンに送る。アンジェロ神父までもが《同情する》と言い、そしてガブリエラは「やはり!」と叫び、勢いよく立ち上がった。

「ほら! ほらみたことかですよ! やはり彼の目的はライアンですよ!」
「ええ……」
 困惑したライアンは、拳を振りながら鼻息荒く言うガブリエラに眉をひそめる。
「ライアン、気をつけてください! 彼はやはりライアンを狙っているのです!」
「なんのために」
「そんな難しいことはわかりません!」
「えー……」
 嗅ぎ分けは天下一品だが、それが何なのかは犬にはわからない。そういうことだろうとライアンは理解した。
 実際、彼女の言う“いい人”はあくまで自分にとって信用や信頼などできるかどうかという意味で、厳密には善人かどうかという意味ではない。ガブリエラがヒーローとして身を立てているような人間性であるがために、結果として“いい人”判定が善人に偏っているというだけだ。
 真面目なクズや信用ならない善人とていくらでもいるし、確固たる信念のもとに行動する悪人もいる。その事実は、ヒーローではなくてもある程度の人生経験があれば自ずとわかることだ。
「まあ、わかった。気をつける」
「必ずですよ!」
 ライアンの返答にとりあえず満足したらしいガブリエラは、またお行儀よく椅子に座り治した。

 しかしガブリエラの犬的な直感だけならともかく、多大な情報をもたらした荒野の情報屋までが証言したことで、ライアンへの危害や誘拐なども一応警戒しよう、と警察関係者は方針を決めた。
 こんな宇宙怪獣も倒せそうな能力を持った大男を誘拐できる輩がいるのかどうかはさておいて、であるが。



《あとは、……リストの順だと、私のことになるが。いまさら必要か?》
「ぜひ聞きたいね」
 ライアンは、強めの口調で返した。フン、とアンジェロ神父の小さな咳払い。

《私は赤ん坊の頃に親に捨てられて孤児になった。NEXTなのが判明してすぐに星の民に引き取られて教育され、育て親、後見人、教育係、師匠……そういう名目で付けられたのがあの女だ》
「あの女?」
「アンジェラがマムと呼んでいる女だ」
 ほあー、と初耳だったガブリエラが間の抜けた声を漏らす。
《星の民として下っ端の仕事をやること自体に特に不満はなかったが、目的がないのでやる気はあまりなかった。金を重要視する考え方自体には同意できるが、金で何をしたいという目的がない。人生には目的が必要だ》
「……そうだな」
 ライアンは、理解を示す相槌を打った。
 ライアンもギャラの高さが依頼主からの評価であると思っているし、金を稼ぐのはとても好きだ。だがそれは常に豊かな生活をしていたいとか、欲しいものを我慢せずに買いたいだとか、そういう目的あってのものだ。
 実際、欲しかったものを買うために資金を用意したのにオークションで競り負けてしまい、自棄になって全額チャリティに寄付したこともある。ライアンにとって金策はあくまで手段であって、目的ではない。

《だから私は、自分を買うことを目的にした》
「は?」
《私が星の民になったのは、行き場のない孤児だった己の身柄を彼らに引き取られたからだ。食わせてもらった恩もある。それを一切合切返済して、星の民から抜けて自由になるにはどのぐらい稼げばいいか、と確認したのだ》
 娼婦が自分を身請けするようなものだ、とアンジェロ神父は言った。
《はっきり言って膨大な額をふっかけられたが、そもそも金で買えるのだということ自体が破格だ。しかも、一生かかって返せないこともないしな》
「……あんたいくつだよ」
《今年で41になる》
 思ったよりも若いな、と思う反面、80まで生きるとしたら現在折り返し地点。彼が自分を買い戻すまで、どのくらいの時間がかかるのか。そしてもし買い戻せたとして、その時彼はどうするのか。ライアンは何も言えず、ただ黙った。

《私の自己紹介は以上だ》
「どうも」
《あとはラファエラの事と……ガブリエル、だと?》
「ああ。ガブの夢に出てきて、こいつの口を使って俺たちにも話をした。あんたの名前も出して、あんたなら色々知っているというようなことも言ってきた」
 ライアンが軽く説明すると、アンジェロ神父は今まで何もかもをすらすらと答えてきたのが嘘のように押し黙った。

「心当たりがあるのか?」
《……こちらでアンジェラの周囲にいた人間で、ガブリエルという名の人間はふたり》
「いるのか」
 ガブリエルという名前は、極めて珍しくはないが多いものでもない。存在するなら当人、あるいは関係者である確率は高い。

《まず……ひとりは私》
「は?」
《本名だ。アンジェロは洗礼名》
「ええっ」
 驚いた声を出したのはライアンではなく、ガブリエラだった。
「ファーザー、本名も私と同じだったのですか!?」
《名乗る機会は滅多にないが、一応そうだ》
 男女形の差はあれど、本名も洗礼名も全く同じというのはなかなか珍しいのではないか。そんなことをライアンが言うと、いいや、とアンジェロ神父は否定した。
《このあたりでは、親の名前を子供にそのままつけたりするのは普通のことだ。家族のほとんどが同じ名前というのも珍しくない》
「あー、あるよなそういうとこ」
《更に星の民の多くは孤児なので、育て親や、上役や師匠となるような先達から洗礼名、もしくは本名をそのまま譲り受けることも多い》
「……ってことは」
《もうひとりのガブリエルは、私の育て親、師匠。……つまりアンジェラが“マム”と呼んでいる、施設に入っているあの女の洗礼名だ》
「えー!」
「それも知らなかったのかよ!」
 またも驚きで絶叫したガブリエラに、ライアンが突っ込みを入れる。

「し、しかしですね。ラファエラだと思っていたので」
「……あーそうか、そうだったな……」
 つい先日まで、ガブリエラはふたりの女性の区別がついておらずにまとめてひとりだと思い込み、それをラファエラという名の母と認識していた。
《ラファエラが死んでから、あの女はそのままラファエラを名乗るようになったからな。アンジェラは当時8歳くらいだったし、……ボケッとした子供だったので、その認識になったんだろう》
 アンジェロ神父が口を挟む。
「ではマムは、自分の洗礼名をファーザーや私につけたのですか?」
《そうだ。ラファエラに名付けを頼まれて、そのまま自分の洗礼名をつけた。養い子、弟子として預けられた私も全く同じ流れだ》
「ほー」
《そしてあの女は、拾った犬にもガブリエル、よく見かける猫にもガブリエル、窓辺に来る小鳥にもガブリエルと名付けていた。雌ならガブリエラ》
「……ええ……」
 自分の名前をそのまま譲る、と聞くといかにも責任感や思い入れの深さを感じるのに、実のところはあまりにもぞんざいな名付け方だったというその話に、当人であるガブリエラは微妙な顔になった。
《愛用のギターはガブリエラで、タンバリンはガブリエルだった》
「……楽器にオスやメスの区別があるのですか?」
《知らん》
 怪訝そうな質問を、同じ名前をつけられた神父はぶった切った。

《他人に対して興味がない女だったからな》

 吐き捨てるような口調。今までひたすら淡々と、何の感情もないような乾いた声色だったアンジェロ神父のその話しぶりに、全員が少々面食らう。

「……で、あー、その、ガブリエル──あーもうややこしいからガブのマムって呼ぶわ。あんたの育て親ってことは、ガブのマムも『星の民』ってことだよな」
 微妙な空気を仕切り直したライアンの問いに、そうだ、と乾いた声に戻ったアンジェロ神父は答えた。
《星の民は有用な能力者であると、その能力を用いた重要な役目を任されることがある。そしてその能力に由来した、天使の名を取った洗礼名……実質コードネームをつけられる》
「ってことは……」
 ガブリエルという天使は、神やセラフィムの輝きからのメッセージを人間に伝える、つまり“お告げ”を担当する天使である。

《自分の声を聞いたことがある相手にならば、どこにいても頭の中に直接メッセージを届けられる。あれはそういう能力の持ち主だった》

 ──マムはとても歌が上手ですが、ファーザーはとても耳が良いのです

 つまり先程ガブリエラが言ったとおり、自分が知っている声ならばどこにいても聞きつけるアンジェロ神父の能力とは逆のアプローチの能力だ。
「いやでも、あんたの能力も相当だろ? なのに……」
《私はただ声を聞いて集めるだけだからな。だからただの“アンジェロ天使”だ》
「ただのって」
《星の民の中では、最下層であることを示す下っ端の代名詞だ。“アンジェロ”は私だけに与えられた名前ではない》
「……ウソだろ? あんたみたいな能力の持ち主が、星の民には山ほどいるって?」
《これほど範囲が広いのは確かに珍しいかもしれないが、それだけだ。実際に声に出したことしか聞けんしな。頭の中を覗けるジェイク・マルチネスのようなテレパシータイプのほうが応用が効くし、能力の精度を度外視すれば数も多い。神父や宣教師として各地に派遣するだけでいいのでコストも低い》
「まあそうかもしんねえけど……」

 他人の考えていることを読む、もしくは自分の考えていることを伝える、というテレパス・エムパスの能力は、NEXTの中でも比較的数が多いタイプ、あるいは発覚しやすい能力なのは事実である。だからこそ、恐怖した人々の迫害に拍車がかかったという歴史的背景もあるというのは余談だ。

《上層部にいる、テレパシー系の強力な能力者……個別の天使の名を持つ者たちはもっと詳しい情報を山ほど持っているだろうが》
 さきほど話に出てきた、頭の中を覗けるタイプの“天使”というのがそれだろう、とライアンは正しく理解した。
《それを知る権限も手段も私にはない。下っ端だからこそ、私はここの常駐員なのだ。僻地の教会での閑職》
「……そのぶん、腹や頭を探られることも少ないから、バイトもしやすい?」
《察しがいいな。そういうことだ》
 星の民の基準では下っ端でも、ギャングたちや一般社会においては、アンジェロ神父はじゅうぶんにチートな情報屋だ。個人の能力で、しかも星の民の縄張りの外での下っ端の副業にいちいち口を出してくるほど、星の民も暇ではないというわけだ。
 しかもそれで稼いだ金を自分を買い戻すための金、すなわち星の民に払う金とするならば、彼らにとって文句はない。

「でもそれ言うなら、その、ガブのマムってメッセージ届けるだけの能力なんだろ? なのになんで“ガブリエル”なんて誰でも知ってるようなメジャーな名前貰ってんだ」
 それこそ電話やメールなどの通信機器でも代替えできるような能力ではないか、というライアンの指摘を、アンジェロ神父は否定した。
《あれが扱うのは、ただの伝言ではない。ガブリエルはいわゆる“お告げ”を司る天使で、最後の審判のラッパを吹き鳴らし、乗り越えるべき試練を与える役割も持つ》
「……つまり?」
《この能力によってメッセージを受け取った者は、お告げ、神の啓示を受けたかのように“そうしなければならない”と思い込み、その試練を乗り越えようとする。その結果、自分がどうなろうともだ。ただし伝えられる内容はひとつだけで、人数制限もあるが》

 ──とんでもない能力だ。
 このレベルの能力者がひとりふたりだけでなく存在する組織ということならば、確かに耳が大きいだけのアンジェロ神父が下っ端扱いなのも頷けようというものだ、と面々は戦々恐々とした。
 そしてこれほど強力なNEXTを相当数抱え込んでいるならば、星の民が世界の裏側を牛耳る組織として暗躍を続けられているというのも納得できる話である。

《この強力な能力ゆえに、あの女は総本山から重用されつつも自由に振る舞うことを許されていた》

 本人の性的嗜好もあり、カソックを纏ってガブリエル神父を名乗ると同時に、ガブリエラの名で酒場で歌手をしてもいた。歌手については、より多くの人間に自分の声を聴かせ、後々能力を使える対象にするためでもあったが。

《アンジェラの夢に出てきたという“ガブリエル”だが、……私の印象では、ラファエラがああなる前のあの女にひどく似ている》
「マジで? どういうヒトだったんだ?」
《ひとことで言うとクズ》
 再び声の調子が変わり、忌々しげに言ったアンジェロ神父に、全員呆気にとられた。

《舌先三寸のジゴロ。ヒモ。女ったらし。怠惰の権化》
「えーと」
《最悪の師匠だった。私の金を何度も巻き上げ、汚れ仕事や借金を押し付け、女の寝床に入り浸ってしょっちゅう行方不明になる。あの女の能力なら仕事など5分で終わるだろうに、ぎりぎりまで取り掛からない。頼んだ仕事はまだかと上層部からせっつかれるのはいつも私だ。あの女から逃げようにも、“お告げ”の能力を使われれば体が勝手に動いて逆らえない》
 今までの乾いた調子の声色が嘘のような、まるで古いコールタールの如き粘った恨みが染み出した話しぶりからは、彼が相当苦汁を舐めさせられたのが嫌でもよく分かった。

《良いのは見た目だけ。持って生まれた才能に胡座をかいて、世の中をなめきっている。ずる賢く、この世のクソを集めて◯◯◯したような、性根の腐りきった女だった》

 ──どこかで聞いたような評価だ。
 そんなことを思いながら、ライアンは自分の腕に巻き付いている、黒い馬のたてがみで編まれたブレスレットをちらりと見た。そしてガブリエラが荒野を渡ってきた時の話を聞くのと同じように、ライアンは前のめりに神父の話に耳を傾ける。

《タマを吹き飛ばすべきだと何度思ったか知れないが、あいにくタマを持って生まれていないので余計にたちが悪い。本当に男だったら稀代の種馬になっていただろう》
「そんなに? 精神的に障害があるってのは聞いてるけど」
《それは今現在の話だ。ラファエラが死んでから人が変わった》
 同時にNEXT能力も使えなくなり、ラファエラがいなくなってからの彼女は本当にただの頭のおかしい修道女でしかない、とアンジェロ神父は言った。
「能力も減退したのか」
《総本山の医者が診断した》
 ガブリエルの洗礼名を与えられるほどの強力なNEXT能力だったがために、それはかなり徹底して調べられた。
 その結果、能力の完全な減退、消滅が確認されると同時に正気を失っていることも医者の太鼓判が押され、彼女は星の民の重役エージェントではなく、ただの場末のきちがい修道女になってしまった。

《……まあ、ラファエラへの惚れ込みようはかなりのものだったからな。それが目の前で死んで気が触れるというのは、ありえることだろう》
「ああ、次はその、ラファエラっていうヒトのことだけど」

 ライアンは、ガブリエラの実母であるラファエラがルーカス・マイヤーズの妻、ラファエラ・マイヤーズとして見つかっていること、そして植物状態であることを簡単に告げた。
 念のため、頭の中身が今どうなっているのかは言わない。彼なら何もかもお見通しである可能性はあるが、もしそうではなかった場合、こちらから情報を渡す必要性があるのか判断しかね、念のためである。

《ラファエラの遺体がルーカス・マイヤーズに引き取られたのは知っている》
「遺体?」
《少なくとも、当時私が見た限りでは息をしていなかった。首も刺されていたしな》
「……時系列順に説明してくれ。彼女の詳細も頼む」
 ライアンの要望に、アンジェロ神父は了解の相槌を打った。

《まず、ラファエラは元々ただの娼婦だ。少々知的障害の傾向があって、それが逆に人気だったらしい。そこまで重度の障害ではなかったが、元々の性格もあるのだろう。お世辞にも成人女性らしい頭をしているとは言い難かった》

 いつまでも、夢見る少女のような。
 それが清らかな聖女か天使のようだった、と彼女が街の男たちに絶賛されていたというのは、ガブリエラの夢の旅の話を聞いたライアンも知っている。

《ともかくそんな調子なので、ラファエラがNEXT能力者なのが正式にわかったのは娼婦を辞めてからだ》
「やっぱこっちもNEXTか。どんな能力だ?」
《アンジェラとは真逆の能力になる》
「……っていうと……」
 ライアンが考えを口に出すより先に、アンジェロ神父は続けた。

《他の生物のエネルギーを吸い取り、自分のものにする能力だ》

 ガブリエラの故郷のエリアは未だNEXT差別が激しく、魔女狩りまがいの迫害も行われている。
 しかし無法地帯であるだけに星の民の宣教師やウロボロス、またこれらと繋がっている地元ギャングや犯罪シンジケートが活動しやすくもあるその土地では、本当に有用な能力者は彼らに引き取られて裏の世界で生き残り、些細な能力の持ち主は表の世界での迫害に遭って命を落とす、という仕組みができあがっている。
 そしてNEXT能力者の子供が同じくNEXT能力者である確率は、100パーセントではないが高い。さらに、似たような能力や、もしくは反転したような能力になる例もある。
 NEXTを淘汰し、強力なNEXTのみを残していくという環境。いつまでたっても魔女狩りまがいの迫害や私刑がおさまらないのは、この仕組みが星の民やウロボロスにとって好都合であり、彼らが故意に人々の意識を操作しているところも大きい。

《ただし、ラファエラの能力は粘膜接触が必要なようだ。エネルギーを吸い取られる際に相手は多大な快感を感じる上に、記憶も多少飛ぶことがある。本人は無自覚に発動していたようだが、娼婦は天職だな》

 馬鹿な男たちが相手の知能の低さを清らかな聖女たる所以と感じ、サキュバスを天使と勘違いするのはよくあることだ。男たちは、こぞってラファエラに群がった。彼女はかなりの売れっ子だったという。
《この能力のせいでいつまでも異様に若かったが、実際いくつだったのかは知らん。おそらくかなり年を食ってると思うんだが──、あの頭の拙さも、実のところ知的障害ではなく痴呆だったのかもしれん》
 コメントしにくいその情報に、ライアンは微妙な顔をしただけで黙っていた。
 だが能力の判明によって、ラファエラの肉体年齢が異常なほど若い理由についてはこれで結論が付く。

《だがまあ結局は女同士でくっついて、男どもから巻き上げた金でラファエラを身請けして、ふたりで私の教会に駆け込んできたというわけだ》
 迷惑な話だ、とアンジェロ神父は本当に迷惑そうに言った。
《そして神の妻になることで夫婦になりたいという希望を叶えるために、ふたり揃って改めて洗礼を受け、似非修道女になった》
「似非って」
《クズのジゴロと痴呆の娼婦のカップルが、心を入れ替えて神のために善行を尽くす? ちゃんちゃらおかしいというものだろう。しかも洗礼は私がした》
 なるほど似非だ。ライアンは真顔で頷いた。「私の洗礼もファーザーがしたので、似非ですね」と、2度も聖女認定されかけたガブリエラも頷いている。

《その後はアンジェラが思い出したとおりだ。金を巻き上げた後、魔女狩りで死ぬように陥れたはずのNEXTのヤク中男から滅多刺しにされてラファエラは死に、男も死んだ。自業自得だがな。どうしようもない》
「さっきから辛辣だな」
《星の民、しかも天使の名前持ちとしての稼ぎは、そう悪くない。あの女がギャンブルや今までの女で毎度稼ぎをスッて借金まみれでなければ、少なくとも真っ当にラファエラを買い戻せた。ジゴロを返上して純愛ぶっていたが、過去のツケがしっかり負い被さってきただけだ》
 しかもラファエラを身請けする金も、結局ラファエラを餌に“神託”の能力を使って美人局のようにして稼いだ金だったという説明に、それは確かにどうしようもない、とその場にいた全員が思った。

《あの女が駆けつけた時には、もうラファエラは血まみれで砂の上に倒れていた。だがあの女がラファエラに口腔粘膜接触した瞬間、ラファエラの能力が発動した》
「口腔粘膜……」
「キスしたということですか? それなら私も見ました」
 ガブリエラが言ったそれに、ああそういうこと、とライアンは納得した。
 死の危険性を感じた時、能力がほぼ反射的に、しかも爆発的に発動するのはままあることだ。
《あの女はエネルギーをほとんど吸い取られて皺だらけの姿になり、意識を失った。ラファエラの傷は概ね治癒したが……》
「間に合わなかった?」
《私はそう思っていた。息をしていなかったし、心臓も動いていなかったしな。──だが》
 アンジェロ神父は、一拍間を置いてから語った。
 ラファエラの遺体を前に呆然としている師を、アンジェロ神父はしばらく放っておくことにしたという。
 稀代のジゴロを返上して駆け落ちした相手が、突然死んでしまった。状況からすると失意のどん底だろうことは容易に想像がつくし、遺体が腐りでもしてくれば現実を受け入れられるだろうという、アンジェロ神父なりの、彼女に対する積年の恨みを根底にした手厳しい気遣いであった。

《奇妙なことが起きた。能力の影響なのか、ラファエラの死体がいつまで経っても腐らない》

 そしてそのことが星の民に知られ、“神の奇跡によって腐らない聖なる遺骸”として引き取りたい、という話が持ちかけられた。聖女認定はあとから適当にエピソードを捏造してくっつける予定だった、という。
「ガブのマムは?」
《ラファエラの遺体が引き取られる時も特に反応を示さず、ぽかんと阿呆面を晒しているだけだった。この時、完全に正気を失っていることを私も理解した。……それまでのあの女なら、あり得ない反応だからな》
 そして洗礼を施したことによってラファエラの管理権限があるという扱いのアンジェロ神父は、星の民にラファエラの生ける屍を売り渡した。星の民にしても、“ガブリエル”という有用な職員を失った埋め合わせを少しでもしたかったのかもしれない。

《そしてその後しばらくしてから、ラファエラの死体をルーカス・マイヤーズが買い取ったことを知った。相当金を積んだらしい》

 星の民としても、いつただの死体に戻るかわからない期限付きの奇跡による稼ぎより、ルーカス・マイヤーズの用意した即金の巨額のほうが魅力的に映ったようだ。
《能力自体も珍しいし、起きている現象も特異な物なのは確かなので、研究材料にでもするのだろうとしか思っていなかった。今もこれ以上の情報は持っていない》
「わかった。……じゃあ、ガブの夢に出てきた“ガブリエル”については? 施設にいるガブのマムが、能力を使って接触してきた可能性は?」
 自分の声を、相手の頭に直接届ける。そして必要なら絶対的な司令をも与えられる能力ならば、ガブリエラの夢の中に現れ、また彼女の口を使ってライアンたちにメッセージを届けることも可能なのではないか。
 しかしその指摘を、アンジェロ神父は否定した。

《考えにくいな。施設に入った後も……というかあの施設自体総本山が運営しているので、今でもあの女には監視がついているが、能力が発動したという報告は聞いていない》
「……あの施設は、そういうところだったのですか!?」
 バイト先に置いてあったパンフレットで見つけたところなのに、とガブリエラが驚きとともに叫んだが、つまりそれだけ星の民の手が世界の隅々まで届いているということでもあるので、他の面々も複雑な表情をしている。
《曲がりなりにも元“ガブリエル”だ。監視の目があるところでないと移送は出来ない》
「むうう! 入所費! 毎月払っているのに! ファーザーにも色々払いましたのに、……詐欺です、詐欺!」
《騙される方が悪い》
「ヴー!!」
 星の民に毎月の収入を長年巻き上げられていたことが発覚したガブリエラは、歯をむき出しにして地団駄を踏んだ。

《ともかく、……アンジェラの夢に現れた存在が、あの女を彷彿とさせるのは確かだ》
「どういうところが?」
《アンジェラの頭の悪さを“血筋”と言ったのだろう?》
「ああ、……ああ、そういう」
 知的障害か痴呆かそれとも単なる性格かはともかく、ガブリエラの実母・ラファエラがそういう人物であるのを知っている人物。そういうことなら、確かにアンジェロ神父の言葉は頷ける。
《それに端々に感じる、人を食ったような口ぶり。あの女そのものだ》
「でも、本人は施設でノンビリしてんだろ?」
《……まあ》
「なんだ? “あんたが思ってること”も“知ってること”の一部だろ? 言ってくれ」
 屁理屈にも聞こえるその言い分にか、それとももう既に個人的な見解を求められて答えてしまっているからか、アンジェロ神父は生意気な若者の要求に「ふん」とまず鼻を鳴らした。

《……以前のふたりを知っていると、いま現在の状況は逆のように思える》
「逆?」
《死んだのはあの女で、生き残ったのがラファエラだと》
 ライアンは、怪訝な顔をした。アンジェロ神父は、今度こそ告解室の中での声色にふさわしい、密やかな様子で続ける。
《ラファエラは元々ただボンヤリ流されるまま体を売っていたただの娼婦だが、ラファエラを口説くために、あの女は星の民の聖書をネタにした》
「天使に選ばれて星に行く云々、ってやつか?」
《それもあるし、一般の◯◯教の聖書も読み聞かせたようだ。気を引けるなら何でも良かったんだろう。元々あの女自身、そのあたりをきちんと把握していない》
 アンジェロ神父もまた、神父のくせにひどくどうでも良さそうに言った。
 どいつもこいつも信仰心の欠片もねえな星の民、とライアンは内心突っ込んだが、世界の裏側で暗躍する組織に敬虔さについて言及するのは全くの無意味だということはもちろんわかっているため、ただ呆れた半眼になって話の続きを待った。

《どっぷり“嵌って”しまったラファエラは、何かというと聖書の文句を繰り返すようになった》

 ──善行を積み、愛を捧げるのです。
 ──愛をもって待てば、きっと天使が現れます。
 ──天使様を信じて着いて行けば、私たちは輝く星に到れましょう。


「……それは、マムが、いつも言っていた……」
《だがそれを読み聞かせたあの女のほうは、聖書の文句など一切覚えていなかった》
 ガブリエラの呟きに、アンジェロ神父はそう切り込んだ。

《しかし、おかしくなってからのあの女はラファエラを名乗り、ラファエラがしていたように貧乏人に施しをし、ラファエラの言葉を呟き続けている。ラファエラが死んだことを認めたくないからかとも思っていたが、頭がおかしくなった人間にはどんな推測も無意味だろう。……しかし、あまりにも以前の面影がなく、言うことやることラファエラそのものなものだから──》

 ここにいるのは彼女ではなく、ラファエラなのではないか。
 死んでしまったのはラファエラではなく、ラファエラをかばったあの女なのではないか。

 そう錯覚しそうになる時がある、と続けたアンジェロ神父のその声は、おそらく初めてこのことについて口にしているのだろうことがわかる、滑りの悪いもの。

《……だから何だ、という話ではあるがな》

 何の情報にもならん、ただの戯言だ、とアンジェロ神父はひとりごとのように呟いた。
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BY 餡子郎
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