#160
「……ハロー? ファーザー・アンジェロ?」
《ハロー》

 高いとか低いとかよりも、乾いたような印象が強い声だった。
「ゴールデンライアンだ。聞きたいことがあって連絡させてもらった」
《最初にルールを伝えておく》
 話の流れを全く無視してアンジェロ神父が言ったので、ライアンは緊張感を高めた。
《アンジェラから金を受け取ったことによって、取引は既に完了している。“アンジェラの預金残高全額を受け取る代わりに、私は質問に対し知っていることをすべて話す”。以上だ。私は知りうる全てを率直かつ正直に答え、嘘をつかない。ただし、一切の駆け引きを行わない》
 ライアンは、ガブリエラをちらりと見た。彼女はいつもどおり緊張感の欠片もない、のほほんとした顔をしている。

《質問は》
 端的な声からは、まるで感情が読めない。よくできた自動音声のようなそれにライアンは息を飲みつつ、しかし背筋を伸ばした。
「まず、今のところ用意してる質問は全部で10だ」
 ライアンは、先程まとめたばかりの不明点をしっかりと告げた。
 アンジェロ神父は特に相槌を打つでもなく黙ってそれを聞いた後、わかった、と短く言い、続けた。
《ルーカス・マイヤーズの居場所と目的、誘拐された市民、あと二丁拳銃をやった婆さんのことは知らん。あとは大体答えられる》
「な……」
 ライアンだけでなく、全員が絶句した。つまりほとんどのことを知っている、とこの神父は言ったのである。

「……あんた、なぜそこまで知ってる?」

 気を取り直し、ライアンは訪ねた。
 陸の孤島、法の手も及ばないような僻地。さらにその教会からすら滅多に出ないという彼が、なぜそこまでの情報を持っているのか。
《飯の種だからだ》
「……情報屋、ってことか?」
《そう》
「商売相手はギャング?」
《誰でもだ。金さえ払えば》
 告解室の中にやってきた者の懺悔を聞くのではなく、金さえ払えば偽りも駆け引きもない確かな情報を売る情報屋。それが自分の身の上だ、とアンジェロ神父は告げた。
 まだ最初の質問の答えも出ていないのに、前提の説明だけで衝撃的な事実が出てきた。驚きすぎてもはやリアクションを取るのも億劫になってきたが、ライアンは“もと”を取るべく、神父の声に更に耳を傾ける。

「情報屋ねえ……? 教会を1歩も出ないっていうあんたが?」
《私はNEXT能力者だ》
 当然の疑問をぶつけると、アンジェロ神父は大事な飯の種をあっさりとばらした。“なんでも話す”という約束とはいえあまりにも簡単に返ってきた答えに、むしろライアンの中での疑いが深くなる。
「能力の内容は?」
《私が声を聞いたことがある者なら、今話していることを全て聞くことが出来る。どんなに離れていても》
「そりゃあ……」
 凄まじい。究極のイリーガル・ヒューミントである。あくまで真実であればだが。ちらりとガブリエラを見ると、彼女はこくこくと頷いていた。

「そうなのです。ですのでファーザーには隠し事が出来ません」

 当時実験させてもらったが、街の端まで行って小さな声で呟いたこともぴたりと当てられた、とガブリエラは言う。
「お前、知ってたのかよ」
「はい! なぜいつも何もかも知っているのかどうしても知りたかったので、その日の稼ぎをすべて渡す代わりに、告解室で教えて頂きました」
 誰にも言わないという約束でしたが、いまファーザーが自分でおっしゃったので、とガブリエラは肩の荷が下りた顔で言う。
「マムはとても歌が上手ですが、ファーザーはとても耳が良いのです」
 またアンジェロ神父が普段とても無口なのは、知るはずのないことをうっかり話してしまわないように、ということらしい。NEXTへの迫害が凄まじい土地だから、というのもある。
 そしてガブリエラが彼にあまり連絡しないのも、仲が悪いとか関わりたくないとかそういうことではなく、どうせ何もかも聞いているだろうと思っているからだ。

「ほんとかよ」
《先程アンジェラが符丁の歌を歌った後にメッセージを送っただろう》
「……そうだけどさあ」
 言うとおりの能力でガブリエラの歌を聞き、符丁となるメッセージ付きで一時的に通じる番号を知らせてきた、というわけだ。確かに筋は通る。
《疑うなら一旦電話を切って、口の中で何か喋ってみるといい。盗聴器にも拾えないくらいで》
 ライアンは、言われたとおりにした。電話を切り、通信が途絶えたことをスタッフに確認してから、顔を手で覆って目線も唇も読めない状態で、ごく小さく口の中で話す。
 次いで顔を離し、ガブリエラが示す番号にダイヤルする。またワンコールもしないうちに受話器が上がった。
《ちょっと待て、計算する。……122,993,244》
「……お見事」
 ライアンが言ったのは2,563かける47,988という、何の語呂合わせでもない、いまランダムに思いついた適当な掛け算だ。スタッフのデスクから電卓を借りたライアンは、アンジェロ神父が言う数字とぴったり一致した画面を見て、肩をすくめた。これはさすがに信じる他ない。

(こりゃすごい)

 凄まじい地獄耳だ。今まで疑い半分だったが、彼が情報屋としてこれ以上ない信頼度を持っていることは間違いないようだ、とライアンは確信する。
 そして彼は、ガブリエラが以前“何か行動する前には連絡、報告”という習慣が全くなかった理由や、盗聴されていたことを伝えてもさほどダメージを負った様子ではなかった理由も察した。こんな常軌を逸した巨大な耳の持ち主が生まれた時から側にいれば、そうもなるだろう。ノイローゼにならないあたりは、細かいことを気にしなさすぎる彼女ならではだが。

「疑って悪かった」
《気にするな》
「……で? 俺はこれから先もあんたに盗聴され放題になるわけか?」
《少し集中が必要だな。アンジェラのように、直に聞いたことのある声ならどこにいてもすぐ捕まえられるんだが。……まあ、君は特徴的ないい声をしている。どのあたりの街にいるかがわかればすぐだ》
 ライアンは、こめかみをひきつらせた。アンジェロ神父がどれほど優秀な情報屋なのかは知らないが、なんというデメリットの大きさ。貯金全額という報酬の高さもさることながら、それ以外での部分もとんでもない。
 アンジェロ神父の能力を聞いてから明らかにシンと静かになった周囲を見渡しながら、こうなったら何もかも根掘り葉掘り聞きまくって“もと”を取ってやる、とライアンはやけくそ気味に意気込んだ。

「じゃあさっそくだが、あんたのその能力で、いま行方不明のルーカス・マイヤーズの居場所を突き止め──」
《それはできない》
「ハァ!?」
 淡々と言うアンジェロ神父に、一挙に片がつくことを期待したライアンは素っ頓狂な大声を出した。
《今回の依頼は“知っていることをすべて話す”ことであって、新しい情報を得てくることは含まれていない》
「な……」
《ルールどおりだ。希望するなら改めての別依頼ということになる》
「……ああ、わかったよ! じゃあそれで!」
《結構。依頼料は君の預金残高全額だ》
 ライアンは、目眩がした。聞いていた者たちも、「ひええ」と声を上げている。
 セレブヒーローとして名を馳せ、海際一等地のペントハウスを一括購入するライアン・ゴールドスミスの預金残高とは一体どのくらいなのだろうか、という興味も半分含まれていたが。

「おい、ふざけるなよ……」
《ふざけてなどいない。これが私の仕事のやりかただ》
 その声に、ガブリエラがこくこくと頷いている。「ですので必要な分はなるべくさっさと使ってしまうのです、私は」と呟いている。ギャングととにかく縁を切ろうとしたのも、ギャング関係になればアンジェロ神父に助けを求めることになり貯金が全てなくなってしまうからだ、とも。
「……◯◯ドルでどう──」
《駆け引きはしないルールだ。最初に言った》
 神父は、にべもなくぴしゃりと言った。
《私はヒーローではない。無償で悪者をやっつけたり、困っている者を助けたりはしない。ただ仕事をして金を稼いで生きるだけだ。命の危険がある仕事に協力させたいのなら、見返りにそれだけの金を払え》
 筋が通っている。通っているが、ライアンは青筋を浮かべて拳を握りしめる。しかし持ち前の頭の回転の速さと察しの良さでこれ以上どうにかなる相手ではないことを理解したライアンは、はああ、とため息をつき、頭を切り替えた。
「……オーケーわかった。あんたに頼むのは最後の手段にする」
《ご自由に》
 淡々とした声にむかっとしたが、ライアンは眉間を揉んで、その苛つきを散らした。
「じゃあ今回は色々と聞かせてもらうぜ。料金分な!」
 こうなったら、彼の知りうるすべてを聞き尽くしてやる。その気概で言ったライアンに、《もちろん料金内だ、どうぞ》と機械音声じみたアンジェロ神父の声が返ってきた。

「じゃあ今度こそ改めて、用意した質問のひとつめから。ルーカス・マイヤーズについて知っていることを教えてくれ」
《奴の行方については、私も既に探ってみた。奴は総本山に来たことがある。その時に声を録音してあるので、高精度の音声データが手元にあるからな》

 先に言えよ、という言葉を飲み込みつつ、ライアンは彼の言葉に耳を傾ける。
《しかし、何もわからなかった。死んでいる可能性もある》
 ライアンは、黒焦げの車から転がり出てきた頭蓋骨を思い出す。だがしかし、あれはアンドロイドだったはずだ。
「根拠は?」
《本気を出して集中すれば呼吸音や歯ぎしり、舌打ちや咀嚼音まで聞こえるのだが、それも全くない。行方不明になってからずっと》
「死んでる以外の可能性は?」
《薬などで声が変わっている場合。あとは私のNEXT能力の及ばない場所にいるか》
「どういう場所?」
《地下深く。逆に上方向には割と感度がいいので飛行機に乗っていても聞き取れる。通信機の電波と同じようなものだ》
 チートとしか思えない能力だが、万能ではないらしい。
 だが、地下。手がかりにはなるかもしれない、とライアンがフリン刑事にアイコンタクトを送ると、彼も頷いた。

《またルーカス・マイヤーズが◯◯教信者なのは知っていると思うが、奴はその中でも総本山で特別な洗礼を受けた『星の民』だ》
「……星の民?」
 いきなりわけのわからない単語が出てきて、ライアンは困惑する。

「悪いが、あんまり信心深いほうじゃなくてな。星の民だの総本山だの、まずそのあたりのことを説明してもらえるか?」

 情報がごちゃごちゃしすぎていることもある。無法の街の不良神父だからこそすべてを知っているらしい◯◯教徒本人から改めて説明してもらうのは悪くないはずだ、とライアンはソファの背もたれに背を預けた。

 そこからアンジェロ神父が語ったのは、驚くべき内容だった。
 かつてこのシュテルンビルトを奪わんと遠征してきた、◯◯王国。怒涛の歴史の流れの中で滅亡した王国が散り散りになったものが、かつて◯◯王国の紋章、セラフィムの輝きの紋章を象りつつ、今もいろいろな形で残っていること。
 セラフィムの輝きの要、愛のハートの象徴であり、天使の化身であったというミカエラ姫も、ルシウス3世をはじめとする王族のすべても死に絶えた。残ったのは、剣のスペード、杖のクラブ、金貨のダイヤ。

《ダイヤの紋章を受け継ぎ、星を目指しているというのが星の民、◯◯教。しかし◯◯教が掲げる星は、天の星ではない》
「じゃあ何だ」
《星の元はダイヤ。ダイヤモンド。あるいは金貨の輝き》
「つまり……」
《金だ》

 ◯◯教総本山は、輝ける楽園の星を目指す敬虔な徒『星の民』──という“てい”を保ちつつ、実は当時金貨を儲けるために戦争を煽った商人、それに乗った貴族、そして当時からこれらと癒着していた◯◯教徒の人々がその祖先であるという。
 そして星の民を名乗る彼らの言う真の星はそのままの意味ではなく、金貨、ダイヤ、すなわち財力の輝きそのものだ。星のついた十字架は、実のところその財貨の輝きを常にターゲットにしているシンボルである。
 と、その星の民のひとりであり、養い子からも金にがめついとしっかり認識されているアンジェロ神父は淡々と語った。その声は相変わらず乾いており、面白くもない自分の仕事を無感動に説明するサラリーマンにも似ていた。

《末端になればなるほど知られてはいないが、◯◯教総本山の本意は、天の星を目指すことではない》
 つまり、かつて戦争による利鞘を求めてシュテルンビルトを奪うことを決め、王族を貶めて金をかき集めた貴族連中と全く同じく、天使を撃ち落としてダイヤを得るのが賢いやり方。聖書には載っていないその考え方こそが、世界最大の宗教とも言われる◯◯教総本山の真のありかただとアンジェロ神父はやはり淡々と言った。
《シュテルンビルトの協会にいるような普通の信者は持っている聖書も何もかも違うし、星付き十字のロザリオも持っていない。末端の信者はこのロザリオを総本山由来の洗礼を受けた信者──少々古い文化圏の洗礼を受けた者とだけ認識しているはずだ》
 これには、ガブリエラが頷いた。シュテルンビルトの教会で、このロザリオを示すとそういう扱いを受けるのだと。
《星の民は、金さえ得られるならなんでもやる》
「……あんたもそのうちのひとりってことだな」
 金さえ積まれれば、養い子でさえギャングに売り渡す。アンジェロ神父のそのあり方こそが、◯◯教総本山、すなわち星の民の姿そのものではないのかとライアンは揶揄した。
《そうだな》
 やはりその声は乾いていて、それ以上のコメントはなかった。

「このことを知っている奴は?」
《総本山由来で洗礼を受けた中でも、一部の者。あとは知る人ぞ知るというところだ》
「例えば?」
《例えば各国政府や関連機関上層部。国際警察。ウロボロスを含む世界規模のテロ集団。巨大企業の上層部もしくは代表。いくつかのNEXT刑務所》
「……ウソだろ」
《ルールどおりだ》
 知りうる全てを率直かつ正直に答え、嘘をつかない。それが、アンジェロ神父が最初に伝えたルールである。
《信じるか信じないかはそちら次第》
「──証拠は!」
《ホワイトアンジェラ暗殺未遂事件において国際警察が動いてもおかしくないにもかかわらず、いつまでもシュテルンビルト市警に事件が任されているのは、◯◯教総本山、星の民の圧力があるからだ。そして狙撃の直後、アンジェラの身柄を求めた団体が三流以下の団体ばかりだったのも、それらが星の民と繋がりを持たない木っ端団体であるためだ》
 いちいち筋が通っている。
 しかもシュテルンビルト市警の刑事であり、この事件において実質的に警察側の現場指揮を取っているフリン刑事も、全く笑えない顔をしていた。
 実際、最初から国際警察がいつ乗り出してくるかわからないと思っていたからこそ、彼は捜査の初動を強引なものにしたのだ。しかしいつまでたってもその気配がなく、それを不思議に思っていたところでもあった。

《ちなみにだが、こんな僻地に派遣されている神父の言うことなど、何の信用もない。……だから君が私から聞いたことを吹聴した所で、誰にも信用されはしない。総本山も全力で妨害するだろう》
 そうでなくても、かつて“ヒーローの父”とすら呼ばれていたアルバート・マーベリックの大スキャンダルという、いつでも信用を失う下地がしっかりできている現在のヒーロー業界で、こんなトンデモ陰謀論にしか思えないようなことを声高に叫ぶのはおすすめしない、と彼は言った。結局、君たちのヒーローとしての名前に傷がつくだけだと。
 そしてそれはまったくもって事実であったので、ライアンだけでなく、ここにいるヒーローたち全員が苦々しい顔で拳を握った。

《では話を戻すが》

 星の民であるか単なる末端の◯◯教徒であるかどうかは、星の民独自の聖書の内容を知っているかどうか、また洗礼の際に渡される星付き十字のロザリオを持っているかどうかなどで見分けられる。
 星のついたロザリオを持ち、バイク盗難事件で星の民の聖書を諳んじたホワイトアンジェラが星の民だと認識されていたからこそ、星の民と繋がりのある団体は彼女に手を出さなかった。
 淡々と紡がれる言葉に耳を傾けつつ、ライアンは髪を掻き上げる。

《ついでもあるが、この先の話をスムーズにするために、先程の“セラフィムの輝き”の残骸である各種組織について話そう。ひとつは今話した星の民、◯◯教総本山》
「ああ」
《もうひとつが剣のスペードを受け継いで変質した組織、ウロボロス》
「なっ……!」
 声を上げて立ち上がったのは、やはりバーナビーだった。全員の視線が集まる。
 顔色を白くしているバーナビーだったが、目があったライアンの小さな頷きと、隣にいる虎徹に強く手を引かれたことでひとつ大きく呼吸をし、なんとか自分を落ち着かせて座り直す。

《NEXTに対する迫害に怒りを燃やしたシュテルンビルトの始祖たちが軍隊を半ば乗っ取り、現在はスペードと剣を掲げ、天使に手足をもがれた蛇でありながら永遠を示すシンボルを掲げた剣の民が、今はウロボロスと名乗っている》

 アンジェロ神父が淡々と話すのを聞きながら、ライアンはちらりとバーナビーに視線を流した。彼は険しい顔をしながら、拳を強く握りしめてこちらを見ている。ライアンは彼に小さく頷いて、アンジェロ神父に先を促す。
《ウロボロスの活動は、NEXTが中心となった世界を目指してのテロ活動。剣のシンボルの通り、武力、破壊活動でもってその力を示すのが目的の集団だ》
「なるほど。で、今回の騒動にウロボロスは関わってるのか?」
《関わっている》
 バーナビーの拳に、また力が篭った。

《あとひとつの組織についてはまあ、後にしよう。まず星の民と剣の民、つまり世界最大の宗教組織とNEXT至上主義のテロ組織は割と古くから関わりがある》
「ほんと、トンデモ陰謀論にしか聞こえねえな。実はMIBとも付き合いがある、とか言い出さねえよな?」
《どうだろうな》
 ライアンの冷や汗混じりの軽口を、アンジェロ神父は面白みの欠片もない声で流した。

《総本山とウロボロスの関係は、商売の得意先と言ったところだ。まず、星の民が扱う最大の商品はふたつ。薬と子供》
「薬と……子供?」
《まず薬だ。主な市場になっているのはいくつかのNEXT刑務所》
「……受刑者を薬漬けにして売ってるってやつか!?」
 星の民は、いくつかのNEXT刑務所と繋がりがある。先ほど説明されたばかりだ。
《そうだ。荒野のサボテンから作られる薬、あれを作っているのが星の民だ。ドラッグは金になる上に需要が尽きない》
 またもとんでもない情報が飛び出し、ライアンは頭をがりがりと掻く。

「薬はわかった。……子供ってのは?」
《◯◯教の表向きの代表的な活動のひとつとして、孤児を引き取り神の子として育てるというものがある》
 だからこそ世界規模でも孤児院の多くは◯◯教運営のものが多く、そしてその活動が認められているからこそ、◯◯教は総括的には平和的で善良な宗教という評価を得ているのだ。
《末端の施設には、非NEXTの孤児しかいない》
 その発言に、バーナビーが小さく肩を揺らす。彼が懇意にしている、親のない子供たちの施設──そこにいるのは、非NEXTの子供だけだ。
《NEXTの子供は保護されると同時に、末端ではなく星の民が直接運営する施設に送られる。表向きは、まだ未熟なNEXT能力者を適切に保護し指導を行うため》
「実際は違うって?」
《そうだ。確かに、能力の指導や育成は行われている。ただそれを行うのは、彼らを高い値で売るためだ》
「人身売買じゃねえか!」
 虎徹が、いきりたって立ち上がった。

《そうだ。しかし恨む者はいない。むしろ感謝されている。よって取り沙汰されない》
「感謝だって? なぜ?」
《売るとはいっても、虐待されているわけではない。むしろ商品として大事に育てられる。また売られた先が仮に犯罪集団だったとしても、多くは親から捨てられたり虐待された理由である能力を求められて重宝される。恨む要素がない》
 その言葉に、全員、難しい顔をした。

《そちらの知っている顔ぶれだと、アルバート・マーベリック、ジェイク・マルチネス。彼らは孤児であったのを星の民に拾われて教育を受けた者だ》
「なんっ……」
 今度は、バーナビーが驚愕に目を見開いて顔を上げる。
《アルバート・マーベリックは幼少期に能力を暴走させ、両親を含む周囲の人間全てに忘れられたことで孤児となった。彼はどこにも売られずに独立した珍しい例だ。シュテルンビルトで独立し、多額の金を星の民に献上する代わりに、星の民が持つ各分野上層部へのコネを使ってのし上がり、結果として個人的にもウロボロスと繋がりを持った。その末路は知っての通りだ》
 バーナビーのこめかみから、一滴の汗が滴る。
《ジェイク・マルチネスは人間の思考が読めることによって親に捨てられ、星の民からウロボロスが運営するNEXTばかりの傭兵集団へ売られた。バリア能力はウロボロスに入ってから身につけた》
「ウロボロスに入ってから?」
《ウロボロスは、科学的観点からのNEXT研究にも余念がない。NEXTを選ばれた人間として見るウロボロスにとって、ふたつ以上の能力を持つことは画期的だった。ただし成功したのはジェイク・マルチネスのみだ》

 ──選ばれた人間。
 ジェイクが事あるごとに言っていたその言葉を、虎徹たちは思い出す。
 その言葉の真意は、NEXTを新人類として見るウロボロスの考え方そのものであり、またふたつの能力を得ることに唯一成功した自分の事も含めての選民思想だったのかもしれないと。

《NEXT能力者を重用し、またNEXT能力者が多い星の民を、ウロボロスは同等の存在……対等な商売相手として認めている。強力な能力者の子供の多くはウロボロスに売られる。また他所に売られるのではなく、新たな星の民として直接受け入れられ、その能力でもって仕事をするメンバーもいる。……私のように》
「……なるほど。つまり◯◯教総本山、星の民は色んな所に薬を売ったり、孤児のNEXTを育てて売ったり、また直接星の民の一員としたNEXT能力者によって政府や国際警察に恩を売って莫大な金を稼ぐ、世界の裏側のフィクサー集団。ウロボロスは大昔のシュテルンビルト争奪戦争の魔女狩りで迫害されたNEXTたちを起源としてNEXT至上主義の選民思想を掲げるテロ集団で、時々星の民からNEXTの子供を買う得意先。……そういうことでいいか?」
《そのとおりだ》
 ライアンがまとめたそれを、アンジェロ神父はやはりあっさりと肯定した。



「……前提情報が濃すぎて驚いてるが、で? ルーカス・マイヤーズもその星の民だって?」

 濁流のような情報量は飲み込むのも一苦労だが、持ち前の思考の回転の速さと柔軟さでなんとか頭と気持ちを切り替えたライアンは、そう言って話を仕切った。

《そうだ。生まれはコンチネンタルエリアで、ごく一般的な家庭の出身。孤児でもNEXT能力者でもない身の上でどう星の民に辿り着いたのかは知らんが、ルーカス・マイヤーズは私的に星の民の聖書を読んでその内容に傾倒し、自ら希望して総本山で洗礼を受けて星の民のひとりになった。星の民は利鞘を重要視するが、単純に信仰心の強い信徒も受け入れる。結局、そういう者はよく布施をするからだが》
 実際、NEXT医学の権威である彼の収入はなかなかのもので、定期的な布施、寄付という名の金額もかなりあったらしい。

「つまり奴が熱心に信仰しているのは普通の◯◯教の聖書じゃなく、星の民の聖書?」
《そうなる。敬虔な信徒として少し有名だった。NEXTがいかに有用ですばらしい存在であるかということにも熱心で、教皇に私的な手紙を大量に送っていた。読まれているのかどうかは怪しいが》
「……ウロボロスじゃねえよな?」
 NEXT至上主義の選民思想に染まっているのではないか。そう聞くが、《そのような素振りはなかった》とアンジェロ神父は否定した。
《どちらかというと、犯罪行為によってNEXTの力を知らしめようとする選民意識やテロ行為を嘆いていたな》
 ルーカス・マイヤーズの主張は端的にいうと、NEXTと非NEXTが共存できる社会を目指そう、という調子だったらしい。
《不憫な目にあっているNEXTを非NEXTが理解し、また力及ばぬ非NEXTをNEXTが助けていく社会。教皇に送っていた手紙の内容もそういうものばかりだ》
 それについては、皆既に知っている。
 警察が調べた限り、ルーカス・マイヤーズは学生時代からずっと、発表した論文、研究、ブログの記事やSNSでの呟きまで、アンジェロ神父が言った通りのものだ。だからこそ、ライアンもその他の者たちも、彼を信用のおける人物だと思っていたのである。

「……色々また聞きたいことが出てきてるが、とりあえず後回しにする」
《ああ。総本山やウロボロスが関わっている中で、ルーカス・マイヤーズがすべての黒幕というのは正直考えにくい。しかし、奴がこの一連の事件の重要な箇所にいるのは確かだ。しかもその関わりが数点に及ぶので、あとは順を追って話したほうがいいだろう》
「そうか、じゃあふたつめの質問だ。アンジェラの身柄を要求してきた3人の自称神父の行方と所属。あんたの名前を出してきたが、直接のやり取りがあったのか?」
《私が自らアンジェラの身柄を求めたことはない。ただ、“私の名前を使ってアンジェラの身柄を要求する許可”を買いに来た人間はいた。子供を育てるのは星の民の仕事のひとつであり、アンジェラは私の縁、養い子。すなわち所有物であるためだ》
「……あんたは、それを売ったのか?」
《売った》
 金が全てだという星の民らしい、躊躇いのない答え。ライアンの眉間に皺が寄る。しかし、この神父に人道的なことを詰め寄るのは今すべきことではない。ライアンは質問を続けた。

「それは誰だ?」
《星の民。……まあ、私の上司だな》

 ライアンだけでなく、全員が顔をしかめた。
 仮にも世界最大とさえ言われる宗教、◯◯教の総本山から、神の名のもとに自分たちは全く無関係であることを証明する“セラフィムの輝き”の紋章の押された大仰な書面は、まったくもって真逆の嘘っぱち。無法の街の不良神父は、いまそう言い放ったのである。

「……総本山がアンジェラを欲しがる理由は?」
《一部リーグデビューの時の聖女認定と同じだ。いい客寄せ、稼ぎになると思われた》
「どこまでも金、カネ、カネだな!」
《そうだ。わかりやすかろう》
 腕を拡げてやけっぱち気味に言い捨てたライアンに、自身も養い子であるアンジェラを売り払ったアンジェロ神父はやはり淡々と返した。

《のこのこ病院に行った3人の詳細な情報は木っ端すぎて私も持っていないが、未届のNEXTとして肩身を狭くして暮らしている一般の◯◯教徒だということは知っている。あとは、先程の薬の中毒者であることも》
 アンジェラの身柄を確保してくれば薬を渡し、また総本山への受け入れと本当の神父召命もするという取引によって、彼らは揚々と病院にやってきた。その結果があれだ。
《私が助けを求めた云々という話も、総本山からそう言えと指示されていただけだ。アンジェラの身柄を簡単に得られればよし、そうでなくても損にはならない。本当に使いっ走りの切り捨て要員だな》
 病院の中継で声が聞けたので、ライアンに追い返されたあとの彼らが話していることも聞いてみた、とアンジェロ神父はどうでも良さそうにすら聞こえる程淡々と言う。

《ケア・サポートを媒介していた売人が捕まったことでシュテルンビルトへの薬の流入ルートが大幅になくなったので、薬に飢えた中毒者が出てきているようだ》
 薬にはNEXT能力のコントロールや威力を強化・安定させるという効果もあるため、NEXT刑務所で行われているパターンと同じく、彼らはそれに飛びついたのだろう、とアンジェロ神父は言う。宗教に縋るほど追いつめられた上に薬漬けにさせられたという彼らに、皆が沈痛な顔をした。
「3人は今どうしてる」
《君に追い返された後、薬欲しさに実力行使に移ろうとしたので総本山に回収された。仮にも◯◯教が世間で聖女扱いされているサポート特化ヒーローを襲って攫ったとあっては、表の名前に傷がつく》
「その後はどうなる?」
《能力が割と有用だったのでそのまま本物の星の民として受け入れられるか、どこかに売られるだろう》
 そりゃ良かった、と言いそうになって、ライアンは慌てて自分の口を押さえた。アンジェロ神父が言ったのはドラッグの斡旋、そして人身売買の宣告である。なにひとつ良くはない。──だが、彼らによってアンジェラが害されることはなくなった。
(紙一重だな)
 世の中よくあることとはいえ、たちが悪い。何が善いことで何が悪いことなのか、正義と悪とは何なのか。それを断じることは難しいとガブリエラは言ったが、まったくもってそのとおりだとライアンも今あらためて思った。
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BY 餡子郎
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