#158
──ああ、あなたはやはり天使だった!
夢を見ている。
ガブリエラは、幾分うんざりした気分でそう思った。
せっかく長い夢から醒めたというのに、その後もしばらくこうして余韻のような夢が続いている。しかし夢だとわかっている状態で見る夢からは、補足のような情報をちらほらと得ることができた。
例えば、産みの母は以前ガブリエラのような赤毛だったが、ガブリエラを生んでからは金髪になったこと。しかし元々金髪に染めていたので、気付く者はほとんどいなかったこと。
──善行を積み、愛を捧げるのです
──困っている人を助けなさい。愛をもってです
──たとえ自分の身を削ってもです、ガブリエラ
もう何度も見た、聖女のような表情でそう繰り返す修道女。
これは産みの母のほうだ、とガブリエラは冷静に判断した。これがビデオ・テープならとっくに擦り切れているほど見た映像なので、大仰な仕草でそう告げる彼女が、ホワイトチャペルでずっと母だと思っていた人とは違うのだということは、もうすっかりわかっている。
──あなたには、その力があります
──それはとても良いことで、何よりも尊いこと……
まるで壊れたレコーダーだ。
しかしこれはガブリエラの頭がひとつのシーンを繰り返しているのではなく、彼女が本当にこればかり繰り返してガブリエラに言い聞かせたのだ。彼女が生きている時は彼女が、そして彼女が死んでからはそれを引き継ぐようにして母が。
──善行を積み、愛を捧げるのです
──困っている人を助けなさい。愛をもってです
──たとえ自分の身を削ってもです、ガブリエラ
「……なぜ?」
問いかけたのは、あまりにも退屈だったからか。
それとも小さかった自分が、当時本当に問いかけたのか。
それはわからなかったがしかし、その時初めて、ガブリエラはシスターベールの影になった彼女の顔をはっきりと見た。
生みの母のはずだが、ガブリエラにはあまり似ていない気がする。優しげで幼気な、可愛らしい面立ちの女性だった。そして、その唇が開く。
「──この星に受け入れられるように」
そして発された言葉もまた、初めて聞くものだった。今まで再生されるものが非常に断片的だっただけに、それは妙にクリアに頭に響いた。
「こうしてぐるぐる廻る星の一部になるために。そうすれば──」
──そうすれば再び天使が現れて、私達を星に導いてくれるのです
そう言って彼女は小さなガブリエラの脇に両手を入れ、高く抱え上げた。
まるで、何かに捧げるように。
「ああ、わたくしの子。あなたは、そのために生まれたのだから」
「──ガブ。ガブ、起きろ」
優しい呼び声に、ガブリエラは目を覚ました。
そして自分を覗き込んでいる金色の相貌に、ガブリエラは反射的にへらりと笑みをこぼす。今の今まで難しい顔をしていたくせに自分を見ると途端にだらしなく表情を蕩けさせる恋人に、ライアンもまた苦笑した。
「なんかちょっと魘されてたぞ。またオバケの夢か?」
「はい……」
ガブリエラは身体を起こし、思い切り伸びをする。
そして頭が覚醒しはじめると同時に、現在の状況を思い出した。しかしライアンの膝で寝ていたはずであったのに、いつの間にか枕がクッションに置き換わっている。ガブリエラは軽く頬を膨らませた。
「ライアンが離れたせいですよ。変な夢を見たのは」
「そりゃあ悪かったな」
甘ったれた言いがかりをつけてくるガブリエラに対し、ライアンは両肩をすくめ、寝ぐずりを起こす子犬にするようにあしらった。
「また妙なことが起きてるらしい。シスリー先生に話を聞く。行くぞ」
すっかり実質の捜査本部のようになっている、アスクレピオスの研究棟の一室。
そこに今、ライアンからの緊急招集によって集合した面々が揃っていた。メンバーは一部リーグヒーロー全員と警察関係者、またアニエスら。そして報告された新しい事実に、彼らは全員強張った顔色を隠しきれていなかった。
「脳死と植物状態は、似ているようで全く非なるものです」
状況を説明するための大きなスクリーンの前に立ったシスリー医師は、深刻な面持ちで言う。
スクリーンに映し出されたのは、人間を横から見た状態の頭部。一般的な脳をカラフルに色分けした断面図イラストだ。
背中、首に通っている脊椎が脳の下の方にある脳幹と繋がり、その後ろ側に小脳がくっついている。そして脳幹と小脳全体を、頭蓋骨内いっぱいに詰まった大脳部分がすっぽり覆っているという図。
「脳死とは、呼吸・循環機能の調節や意識の伝達など、身体が生命活動を行うために必要な働きを司る脳幹と小脳を含む、脳全体の機能がすべて失われた状態のことです」
シスリー医師がそう言って手元の端末を操作すると、脳幹、小脳、大脳と3色に色分けされていた脳全体が灰色にくすむ。
「回復する可能性はなく、もう元には戻りません。薬剤や人工呼吸器などによって心肺機能を動かし続けることはできますが、それだけです。エリアごとに異なりますが、世界的には“脳死”イコール“人の死”と判断する場合がほとんど」
シスリー医師の坦々とした説明に、皆真剣に聞き入っている。
「そして植物状態とは、脳幹、また小脳の機能が残っている状態」
スクリーンの灰色の脳の図のうち、今度は脊椎と繋がった脳幹と小脳にだけ色がつく。
「この部分が生きていることで心肺機能が自発的に運動しますので、呼吸も自らでできる場合が多いですね」
よって介護方法も、いわゆる“寝たきり”の患者に施すものになる。また可能性は高くないが何らかのきっかけで回復する場合もある、と彼女は説明した。
「更に“不随”は、脳は覚醒しているけれど一部損傷があったり、あるいは身体との接続がうまくできておらず身体が動かないこと。体のいち部分だけが動かないというものから、半身不随、全身不随まで程度は色々です。リハビリで回復することもあります」
こういった状態のため、本当は全身不随で意識はずっとあった状態であるにもかかわらず、植物状態とみなされ誰にも気付かれないまま数年続いていた、という実例もあり、ドラマの題材として取り上げられることもある。
「ラファエラ・マイヤーズはこの可能性を常に望みつつの植物状態、という診断でした」
前提を話し終わったシスリー医師は、はあ、といちど息をつく。
「“猿でもわかる脳ミソのしくみ”については理解した。それで? この気色の悪い、理解しがたい状況について説明してくれ。無理だとは思うが、なるべくわかりやすく」
嫌悪感を滲ませて、フリン刑事が言った。シスリー医師が、相変わらず暗い顔で肩をすくめる。
「非常に難しいですが、努力しましょう」
「助かる」
「まず彼女は脳幹、小脳、大脳全てを摘出されています」
「……ちょっと待ってくれ。……は? 心臓が動いてて、呼吸もしてるんだろ?」
「ええ。人工呼吸器もなしに」
「人間って、脳がまるごとなくてもそういうの……」
「不可能ですね。“普通”は」
「つまり普通じゃねえんだな。そこはわかった」
矛盾したことを言うシスリー医師に、フリン刑事は至極気味悪そうな顔をして腕を組む。シスリー医師は、またいちど息をついた。
「ラファエラ・マイヤーズの脳があった場所には、何らかのコンピューター装置が取り付けられていました」
「……なんだって?」
「安易にまた頭を開くわけにもいきませんので、これはスキャン画像ですが」
シスリー医師は、スクリーンの映像を切り替えた。
通常頭蓋骨の中には、脳の白っぽい影がみっちりと詰まって映る。しかしラファエラ・マイヤーズの形の良い頭部の中身は、真っ黒でがらんどうだった。
そして先程の図と比べるならば、脳幹と小脳がある部分。首に沿って背中に続く脊髄と繋がる、項に近いところ。そこに、握り拳くらいの機械のようなものが写り込んでいる。あろうことか、明らかに小さなネジのようなもので頭蓋骨に留められているのもはっきりと見て取れた。
全員が思い切り眉を顰める。何人かは、口元を片手で覆った。無論、吐き気を堪えるためだ。
「ルーカス・マイヤーズの仕業か?」
「縫い跡は彼の癖が見受けられますし、技術的にここまでのことができるのは、知る限りやはり彼しか……」
また数秒、無言の時間が過ぎる。しかしそれは、ここにいる全員にとって必要な時間だった。
ルーカス・マイヤーズが、植物状態の妻ラファエラ・マイヤーズの脳をまるごと摘出し、謎の機械と入れ替えていた、という事実。
あまりにも猟奇的。
意味も目的も一切わからないその行為に、不気味さが募る。
未だにルーカス・マイヤーズが犯人であるということに懐疑的な者も少なくないが、このことを公表すれば、今度こそ彼らも考えを改めるだろう。少なくともいまここにいる者たちからは、あの人の良さそうな医師が本当に? という僅かな思いは、完全に消し飛んでいた。
「おそらくは……というよりそれしか考えられない、ということで、ですが……。この機械は、脳幹と小脳の最低限の機能……大雑把に言うと心臓を動かして息をする、心肺機能指示のみを搭載した代替え装置です」
「じ、人工の脳……!?」
「ええ」
目を見開いて心底驚く面々に、シスリー医師は、何かを押し殺したような声で言った。
「脳波……としか観測できない微弱な電流も発していますので、こうしてスキャンしない限りは気付きません。空っぽに見える余白の部分は、ジェルが詰まった風船のようなものを詰めて圧をかけ、頭蓋内圧を維持しているようです」
「……そんなことが可能なのか?」
「可能なようですね。目の前に実例がありますので」
シスリー医師は、彼女には珍しく皮肉げな声で言った。
「黒い骸骨アンドロイドを動かしている、コアに込められた能力を発動できるコンピュータAIもこれに関連したものですが……。あのAIが骨組みだけのロボット・ボディを人のように動かしNEXT能力すら発動させているように、ラファエラ・マイヤーズの頭部に設置された人工脳は、生身の肉体を呼吸させ、循環させることに成功しています」
間違いなく世界中の科学賞や医学賞を総なめにする技術です、とシスリー医師は目眩をこらえるような様子でこめかみを押さえ、眉間に皺を寄せた。
「この事件によって、ルーカス・マイヤーズが世界最高の脳科学者であることが証明されたと言っていいでしょう」
脳科学。
脳の働きをあくまで物質としてとらえ、研究する分野。その中でも、ルーカス・マイヤーズはコンピューターサイエンスの研究者でもあった経験を活かし、徹底したインフォマティクス的視点による脳科学研究で、軽く見積もっても100年ぶんの進化を促進させたといわれている。
そしてこの人工脳こそがその極地、究極の集大成。
脳を物質として解析・理解しきった、ということ。それがどれだけ完璧かは、ラファエラ・マイヤーズの“身体”が、この人工脳によって完璧に呼吸をし、心臓を動かし、代謝を行う“生命活動”を行っていることがこれ以上なく証明している。
脳死とは一線を画し、生きている、と判断される植物状態。ルーカス・マイヤーズは、ごくごくロジカルなやりかたでもってそれを可能にしてしまった。
脳をコンピューターとして再構築したということを、彼は自分の妻の体を使ってこれ以上なく証明してみせたのだ。
「更に……ドクター・マイヤーズの研究データを解析したところ……機材や資材を揃えさえすれば、大脳部分の再現も可能であることがわかりました。まっさらな脳を作ることもできれば、既に記憶や経験が蓄積された脳のコピーを再現することも出来る、と。そしてあの骸骨アンドロイドのように、特別な力を持ったNEXT能力者の脳でさえ……」
我々では理解しきれない所も各所あるのですがと、シスリー医師と、彼女とともに研究データを解析したケルビム・パワーズの医師や技術者たちが悔しそうに言う。
「彼と比べれば、我々がいかに凡人か……普通の人間なのかを思い知らされます」
彼の研究データはそれはもう凄まじいもので、1ページごとにそれだけで論文を書いて研究チームを作るべき内容が飛び出す、超技術の投げ売りのような内容だったという。
「この技術があれば、ロボティクス、AI開発は大躍進を遂げ、より人間に近い思考能力──いえ、演算能力を持つAIが作られるようになるでしょう。そして人工脳。部分的に用いれば、脳に関する病気や障害は大幅に改善できるようになります。不随はもちろん、知能障害や精神病なども外科的な治療が可能になる……。首から下の臓器移植と同じようにです」
「……なんてことだ」
キースが、呆然と言った。
「脳が完全に人工で再現できてしまうならば……、例えばロボットなどにそれが用いられるのであれば……。すごいことだが……しかし」
ごくり、と彼は息を飲む。
「生命とは、魂とは、何なのだろうという気になってくるね」
「ええ。そういった疑問が起こるということでも問題のある発明です」
倫理観に喧嘩を売るような、世紀の大発明。
「……それで?」
ライアンが空気に割り入るように言った。皆の視線が彼に集まる。
「デッカイ目で見れば、それそのものはアメージングな発明で、すげえ技術だってことはわかった。でも今俺たちが取り掛かるべきなのは、もっと近い問題だろ」
その言葉に、全員がハッとした。
「20年も献身的に介護してきた女房の頭をカチ割って、脳ミソを超ハイテクなハンドメイド・リモコンと取っ替える、その理由として考えられることは? 目的は何だ?」
「……推測できることとしては」
気を取り直した様子で言ったシスリー医師に、皆が顔を上げる。
「最初は、妻が長年植物状態で覚醒の兆しを見せないことによる行為かと考えました。全く反応のない相手が目を開けることを信じて介護を続けるというのは、一般論として、大変な精神力が必要です」
「ああ、まあ、それならなんとか理解できる理由だな」
やっと心情的に理解が及ぶ説明が出てきて、顔色を悪くしていたアントニオがほっとした様子で頷く。
「しかし、資金や環境の問題もあったかもしれませんが……、研究データによると、彼は大脳部分の構築も可能だったはず。元々ミセス・ラファエラは脳幹と小脳が活動しているという植物状態。それを通常の状態に戻したいということであれば、単純に、動く兆しのない大脳部分こそを作って“取り替える”べきでしょう」
だが実際には脳全体を摘出した上、本来無事だった脳幹と小脳の代わりになる装置だけを頭の中に設置している。
「他の可能性としては、自分の妻の体を使い、己の研究の確かさを見せつけたかった、というもの。説明したとおり倫理的に物議を醸す研究ではありますから、通常通りに発表してもすぐの実用化は難しかったことでしょうし」
その話もなんとか一般の理解の範疇である。うんうん、とそれぞれが性格の滲んだ頷き方で同意を示す。あまりにもわけのわからない出来事に、皆つい“普通に理解できる”事柄を求めているのだ。
「しかし私は、このどちらでもないと考えます」
皆の期待をきっぱりと振り切って、シスリー医師が言う。
「彼はこんな“普通”の、容易く理解が及ぶような理由で動く思考回路や精神の持ち主ではありません」
いわゆる狂人、サイコパス。
心理学を収め、そういった人間の例をいくつも知っているシスリー医師だからこそわかる。彼らは彼ら独自の、自分自身で作り上げた世界観とルールにのっとって生きている。違う星への入り口のような、ブルー・ホールに似た吸い込まれそうな目を持つ彼ら。
まるで同じ星に生まれた人間とは思えない、そういう感想でもって、宇宙人やエイリアンと比喩されることもある人々。場合によっては、違う世界を見せてくれる先駆者となる場合もある。
しかし、彼らのありかたがこの地球上のどの社会にもそぐわず、周囲を脅かす場合。彼らは理解不能な異常者、犯罪者と診断され、治療や排除をすべき、あるいは罰を受けるべき存在とされる。
そしてシスリー・ドナルドソンの仕事は、こういった未知なる星のエイリアンの思考を出来得る限り読み解くこと。そしてこの星に馴染ませるという治療を行ったり、あるいは今回のように既に起きてしまったことを解決するための手がかりを掴むことだ。
「まずは、この行為の目的を明確にすることが重要だと思います」
「それがわかれば苦労はしねえよ、先生」
ワイルドタイガーが、参ったと言わんばかりの表情で肩を竦めて言う。
「いいえ。そういう、動機という意味ではなく。先程ゴールデンライアンがおっしゃったような意味での目的です」
「……どういうことだ?」
「先程申し上げた、妻の容態にしびれを切らしたがゆえの行為だというなら、その目的は無反応な妻の変化。己の研究の確かさを見せつけたいがためだというなら、行為のメインは手術そのもの」
「ああ……なるほど。この猟奇的行為における直接的な目的ということですね」
バーナビーが、納得した様子で頷いた。
「そういうことです」
「ドクターの見解は?」
尋ねられ、脳科学、NEXT医学の中でも心理学方面からのアプローチにおいて他の追随を許さない名医は、ひと呼吸置いてから言った。
「……ラファエラ・マイヤーズの、抜き取られた脳はどこに?」
その発言に、全員がはっとした。
「彼らのような人物を理解するコツは、我々が全く価値を見出さないようなものもパズルのピースとして認識し、疑問をもって分析することです」
「説得力しかありませんね。……つまり、ルーカス・マイヤーズの目的は妻の容態変化ではなく、己の偉大さを見せつけることでもなく──」
「はい」
バーナビーがまとめようとした言葉を、シスリー医師は頷いて引き継いだ。
「つまり彼の目的は、ラファエラ・マイヤーズの脳そのものではないか……というのが私の見解です」
「なるほど」
フリン刑事が、険しい表情で言う。
「言われてみりゃそうだな。脳を盗んで持ち去ったって見方なら、ラファエラ・マイヤーズが今までどおり普通に息をするように人工脳へ挿げ替えたのは、単に盗みがなるべくバレないように……泥棒が品物のあった場所にイミテーションを置くのと全く同じ理屈になるが」
「そのイミテーションに、世界の大発明レベルの人工脳を作って置くというのが凄まじいですけれどね」
「違いない。……で? ルーカス・マイヤーズにとっちゃ、その世界の大発明が時間稼ぎのイミテーションになるほど、女房の脳ミソに価値があるってことか?」
「その可能性が高いと思います。……しかし確証は」
「おい! 新年早々だがクソ以下の仕事だ! ラファエラ・マイヤーズの病室を調べろ! 使用済みオムツの中までひっくり返して脳ミソがないかどうか見てこい!」
フリン刑事の怒鳴り声での命令に、シュテルン市警の刑事たちが数人、「オエッ」と吐くような仕草をしながら、しかし迷いなくきびきびと部屋を出ていった。
「ま、ひとまずその辺に捨ててってないか。調べる価値はあるだろ」
「……ええ、そうですね」
仕事の早い頼れるベテラン刑事に、シスリー医師は微笑んだ。
「嫌な仕事をおまかせしますけれど」
「そういう仕事だ。気にしなくていいが、気が向いたらちょっと感謝してくれると嬉しいかね」
「もちろんです。これ以上なく尊敬しておりますよ」
深く頷いたシスリー医師に、ヒーローたちも揃って同じように頷いてみせる。フリン刑事は肩を竦め、まだ残っている他の刑事や警官はびしっと敬礼をした。
「どうも。汚れ仕事をしてきた甲斐があるってもんだ。──で、ルーカス・マイヤーズにとって、ラファエラ・マイヤーズの脳にはどういう価値があると考えられる?」
「これもあくまで想像です。“通常”なら、愛する妻の直接的な形見として持ち去ったとか。実際に過去あった例ですと、冷凍保存し切り分けて食べるとか」
「想像もしたくない」
目玉をぎゅっと上方向に回転させて、フリン刑事が舌を出した。他の面々も、皆表情を険しくして首を振ったり、青褪めていたりと反応は似たり寄ったりだ。
「それは私の仕事ですので、お気遣いなく」
「安心した、適材適所ってやつだな。で?」
「……彼は“脳”というものに特別な視点と関心を持つ人物です。彼が脳を単なるカニバリズムの対象とするとは考えにくい。そして脳科学、特にNEXT医学においても、脳は特別な存在です」
そこまで話したシスリー医師に、フリン刑事は怪訝な顔をする。
「NEXTの身体は、NEXT能力を解明するために非常に重要な研究材料でもあるのです。能力に合わせて変化した肉体。骨、血、肌、髪、各種内臓」
「おい、それってこの間アンジェラが言ってた……」
「え、あ、NEXTの内臓? 高く売れるっていうやつ?」
「あれマジなの?」
ヒーローたちが、ガブリエラが以前言ったことを思い出してひそひそと声を上げる。
「はあ? NEXTの内臓ってそんなに──、っていうことは、おい」
ヒーローたちから情報を得たフリン刑事が、はっとする。彼がシスリー医師に視線を向けると、彼女は頷いた。
「ラファエラ・マイヤーズはNEXTであった可能性があります」
「──届け出は!?」
ありません、と警察の事務官から素早い反応。
「ドクター。白黒付けるにはどうしたらいい?」
「脳がなくなっているため、通常の検査が出来ません。脳があった時の血液が完全に循環しきる前に採取させていただければ、NEXTであったかどうかの判断が可能です」
「今すぐ許可を」
「現場に残してきたドクターに任せましょう」
打てば響くやり取りに、フリン刑事は満足した様子で頷き、いちど腰を浮かして椅子にどっかと座り直した。その間に、シスリー医師を交えて現場に待機している医師に連絡を入れる。
「オーケー。相変わらず意味不明だが、全く意味不明じゃあなくなってきた。名医だな、先生」
「ありがとう」
「NEXTではないかと疑った根拠はあるか?」
「個人差はありますが、NEXTは老化が遅いパターンがあります。肉体を強化するようなタイプの能力者は顕著ですね」
その発言に、その場にいる殆どの人間がちらりとワイルドタイガーを見た。本人は相変わらず自覚があまりないようで、「な、何?」と目を白黒させていたが。
「まず寝たきりの状態がかなり長いというのに、やつれたような衰えがほとんど見られません。また資料によると、ラファエラ・マイヤーズは40歳を過ぎています。しかし紫外線などに極端に当たっていないことなどを差し引いても肌のたるみなどほとんど見られず、たいへんに若い容姿です。せいぜい20歳くらいにしか見えません」
「……そりゃ、美容に気を使ってるっつってもちょっと異常──、……なのか?」
自信なさげに中年刑事が振り向くと、ここにいる女性陣、そしてファイヤーエンブレムがそれぞれ大きく頷いていた。
「実際にご覧になればよくわかりますよ」
そう言ってシスリー医師が画面を操作し、スクリーンに写真映像を表示した。シスターベールのようなものを頭につけてベッドに横たわるラファエラ・マイヤーズの姿が角度を変えて数ショット。そして中尉を宣告してから、ベールを外して茨の冠のように頭を取り巻く摘出痕をあらわにした写真も表示された。
「……確かにかなり若いわね。ブルーローズよりちょっと上ぐらいにしか見えないわ」
ファイヤーエンブレムのコメントに、うんうん、と他の面々も頷く。
「皆さんも、何か気付いたことや疑問に思ったことがあれば、どんな小さなことでもぜひおっしゃってください。多角的な視点が重要になりますので」
シスリー医師のその言葉に皆が頷き、それぞれ画像を観察し始める。しかし間もなく、がたん、と音がして、全員がその方向を見た。
「どうした? なんか見つけたのか?」
私服に、ホワイトアンジェラのメット姿。突然立ち上がった彼女に、隣に座っていたライアンが声をかける。しかし彼女はメットの下で目を見開き無言のまま数歩前に出て、スクリーンに映し出された女性を凝視している。
20年近く眠り続けている、40代だというのに少女のようにも見える面立ち。血の通った赤い唇。慎ましく頭を覆う修道女のようなベールと、唯一の装飾品であるロザリオ。
まるで神の奇跡によって腐敗しない聖女の遺体のような、得体の知れない不気味な神秘を伴う美しさ。
──善行を積み、愛を捧げるのです
──困っている人を助けなさい。愛をもってです
──たとえ自分の身を削ってもです、ガブリエラ
優しげで幼気な、可愛らしい面立ち。つい先程夢に見たその顔は、実際に見てもやはりガブリエラにはあまり似ていない。
「ラファエラ……」
己と同じように、天使の名を持つひと。癒しを司る天使の名前。それ以上のことを、ガブリエラは知らない。──生みの母だというのに。
──この星に受け入れられるように
こうしてぐるぐる廻る星の一部になるために。そうすれば──
──そうすれば再び天使が現れて、私達を星に導いてくれるのです
そう言って彼女は小さなガブリエラの脇に両手を入れ、高く抱え上げた。
まるで、何かに捧げるように。
──ああ、わたくしの子。あなたは、そのために生まれたのだから
「……おかあさん?」