#152
「今日はありがとうございました!」
昼過ぎに始まったバースデーパーティーは、冬の陽が沈む頃になった今お開きとなった。
ガブリエラはひとりずつを満面の笑みで見送ると同時に握手をし、それと同時に、沢山の手料理から摂取したカロリーを還元がてら、お礼として能力を使っていく。
「あ、タイガー。肘のところを痛めているのでは?」
「うお? ……え、わかるのか?」
「なんとなく」
虎徹は、目を丸くした。暴走トラックを止めた時に確かにそこを打って怪我をし、今も痣が残っている。だが大した怪我ではないし、きちんと治療も受けている。病み上がりのガブリエラに治してもらうほどのものでもない、と放っていたのだ。
「起きてから、能力の調子がとても良いのです。燃費が良い感じもしますね」
「へえ……。ヴィジョン・クエストで能力の精度が上がるというのは本当なんですね」
バーナビーが、興味深そうに言う。
虎徹と同じように病み上がりに無理をさせてはいけないと遠慮していた面々は、結局握手しただけで不調がばれた。ガブリエラは明らかに以前よりも手早く、効率よく、的確に、全員の不調を治していく。
「おお……、やっぱアンジェラにかかるとすぐだな」
「アンジェラさんが治してくれるから、と無茶をしがちなのもよくありませんけどね……」
狙撃事件の時に負傷した耳の怪我、レーザー光線の火傷を治してもらったアントニオとイワンは、ものの数秒でなくなった怪我の違和感に感嘆する。
「では、今年もよろしくお願いいたします!」
「じゃあな〜」
ふたりに見送られて、客たちはぞろぞろと帰っていった。
「明日ちゃんと出てこられる程度にしろよ」とにやにや笑いながら下品な冗談を耳打ちしてきたアントニオにヘッドロックをかけつつ見送ってから、ライアンはセキュリティシステムを立ち上げる。
そして全員の生体認証がビルを通過したのを確認してから、アーク以外の人間の生体認証を全員不可にロックする。面倒だが、万が一を考えてのことだ。
ガブリエラにも、以前のように親しい人間と言えどセキュリティを怠らないように、とライアンは真剣な面持ちで伝えた。ガブリエラもそこは理解していたので、「寂しい気もしますがしょうがないですね」と了解し、その場でセキュリティ操作の仕方を覚える。
「では、はい。ライアンも」
ガブリエラが腕を広げたので、ライアンは疑問符を浮かべつつも、反射的に同じく腕を広げた。するとガブリエラが、その中に飛び込むようにして抱きついてくる。
「うおお!?」
「あっ、やはり怪我をしていますね! 脇腹と、それと……」
腕の中のガブリエラは、手だけでなく、腕全体が強く光り、また全身も薄っすらと輝いていた。
「むむ、全体的に疲れが溜まっています」
「ちょっ……待て……」
膝ががくんと折れそうになるのを、ライアンは必死で持ちこたえる。
ガブリエラが起きてから、ヴィジョン・クエストを経たことによる能力検査の実験台も兼ねて、ライアンは既にガブリエラに能力を使われている。
しかしあくまで検査のためだったので、対象は寝不足の解消や髪や肌で、記者会見に向けて元気になったことがわかるように、カメラ映えするようにという、とりあえずの間に合わせに近いささやかなものだ。
つまりまだ疲労が溜まっていて、脇腹を防弾スーツ上から撃たれた打撲も完全に治っていないところ、いつものように手ではなく身体全体で能力を発動させるガブリエラに抱きつかれるのは、とんでもない感覚だった。
密着した箇所全てから、どこか悪いところはないかと体の中を探る何かが染み込んできて、細胞のひとつひとつが温かい何かでくすぐられ、活性化させられていくのがわかる。
「撃たれたというのは本当だったのですね……。防弾スーツがあって本当に良かった」
「──タイム!」
「終わりました」
悲鳴に近い声を上げたライアンから、ガブリエラはぱっと離れた。ライアンはたたらを踏み、何とか膝をついて息を整える。
「……お前、これ、他の奴にやるなよ」
「これ? 全身でやる?」
「そう」
「たくさん治っていただきたいと思ってやってみたのですが……」
曰く、ガブリエラの能力は楓がかつて言っていたように、他人へエネルギーを渡す際に本能的な不快感を伴う。
ガブリエラはもうそのあたりを克服しているが、だからといって、誰も彼もに自分のエネルギーを無防備に開け放せるというわけでもない。
そのため“全身無防備に能力を発動して抱きつく”というのは、かなり親しい人でないとしたくはないものだ、とガブリエラは言った。
ゴム手袋やマスクをして仕事として他人の介護を行うのと、素手で自分の子供の世話をすることの差異などとも似ているかもしれない。
「楓にやったのが初めてですが、他はないです。ライアンでしたら思い切り出来そうでしたので、やってみました!」
「……そうか。わかった。わかったけどいきなりはやめろ」
「わかりました?」
ガブリエラは首を傾げ、頼りない了承を返した。
ライアンは砕けそうになった腰を持ち上げ、脇腹を擦る。防弾スーツがあったとはいえ、銃弾が直撃した脇腹は結構な打撲の痛みがあったのだが、今はもうすっかりなくなっている。おそらく、青黒い痣も消えているだろう。ここ数日のハードさで溜まっていた疲れも、すっかり消えてなくなっていた。
料理が持ち寄りだったため、片付けるのはグラスと、ケータリングの使い捨ての器だけ。しかもそれらも、二部リーグの面々がいつの間にかきれいに片付けてしまっていた。
皆新居に気を使ってくれたのか、それとも高級ペントハウスに緊張していたのか、部屋はきれいなものだった。土足は禁止にしているし、ガブリエラが喜ぶだろうと思って特別に着用してもらった女王様たちのハイヒールも綺麗に拭ってから上がってもらったので、早速モップをかける必要もないだろう。
「お部屋を探検してもいいですか!」
「もちろん」
スリッパを鳴らしてうきうきと歩き回り始めたガブリエラの後ろを、ライアンはついて回った。
ガブリエラは楽しそうにひとつひとつ部屋を見て回り、何に使うのかわからないものについて質問し、最低限だがセンスよく揃えてあるインテリアや内装を褒める。
「格好良い感じです!」
「俺が選んだんじゃねえけどな。イメージだけ伝えて、コーディネーターに丸投げ」
インテリアや内装は、基本的にシンプルで近代的、モダン、スタイリッシュなタイプのもので統一されている。バーナビーにお褒めの言葉を頂くタイプのセンスである。
こういうペントハウスを買う人種はもっといかにも重厚なアンティーク調のインテリアを好むタイプも多いしライアンも嫌いではないが、そういうのはもっと年を食ってからのほうがしっくり来るし、まず選ぶのに時間がかかる。若造が背伸びをしても格好悪さのほうが目立つと思い、やめておいた。
ガブリエラは基本的にそういうものに大きなこだわりはないが、バイクをはじめ、スポーツ用品や多機能ナイフなど、機能美のある品を好む傾向がある。そのせいか、彼女も新居のシンプルな雰囲気は気に入ったようだった。
「つっても必要最低限にしといたから、家具自体そんな置いてねえんだよな。それもシンプルなやつばっかりだから、気に入ったインテリアがあったら後から足そうぜ。ラグエル2号も置かなきゃなんねえしな」
「ラグエルのことまで……! ありがとうございます!」
ガブリエラはもう何度目かになる感動をし、目を潤ませて頷いた。
「モリィ! 今日からあなたも同居ですね。よろしくお願いします!」
日当たりの良い部屋に設置されたケージにいるモリィに、ガブリエラは改めて挨拶した。今日はカリーナをはじめとして爬虫類が苦手な客が何人かいたため、モリィはケージのある部屋で待機だった。そのかわり、客から貰った花はここに全て置いてある。
綺麗な花が大好きな臨時花係はいつもどおり無表情だが、突然連れてこられた新居にどことなく興奮しているように見えた。しかしガブリエラが能力を発動させた手で滑らかな鱗を撫でると、リラックスした様子で目を半分閉じる。
その様子を見たライアンは、ちょっと待ってろと言い置いてすぐ、違う部屋からカメラを持ってきた。
「モリィ、分けてくれよ。OK? サンキュ」
ちゃんとことわってから、ライアンは花係が管理している花のうち大きな花束をガブリエラに持たせ、ちょうどいいものを1本抜き取って彼女の髪に飾ると、モリィと一緒に写真を撮った。
鮮やかな緑色の女と、他にはない赤い髪の女が、色とりどりの花に囲まれたベストショット。これはパネル行きだな、とライアンは確信し、満足してカメラのレンズにキャップをした。
その後、ジャグジー付きだという風呂などを見て回ってから、ガブリエラは皆から貰ったプレゼントを仕舞った。
たくさんのバースデーカードに、プレゼント。包装紙やリボンも、捨てずにちゃんと別に取っておいてある。
カリーナ、パオリン、ネイサンそれぞれからは、彼女たちらしいデザインのピアスが贈られた。ガブリエラがピアスを集めている理由を知って選んでくれた、友情の証。彼女たちの誕生日には、ガブリエラもピアスを贈ろうと思っている。パオリンはピアスホールを空けていないので、イヤリングのほうがいいだろうかと今から選ぶのが楽しみだ。
「何、そのディスク」
「ケインさんたちから頂いた、バースデープレゼントです!」
ライアンが手に取ったのは、ケースに入った映像ディスクである。
「密着ドキュメンタリーのノーカット版!」
「ぐっ」
やはり手に入れてしまったらしい。世界中の人間に公開した映像ではあるものの、正直なところ彼女本人に見られるのは気恥ずかしいのだが、ライアンは観念した。パーティー中に大画面で流されなかっただけ良しとしよう、と自分を納得させる。
「マリオさんとステルスソルジャーの新規解説付き」
「無駄に凝ってんなあ、おい!」
「CMでカットされたところも入っている、この世で1枚だけのディスクです! 後でバックアップを5枚は取らなければ……」
「なんで5枚も」
「実際に見る用と、保存用と、予備と、もしもの時用と、緊急用です!」
「緊急用って何だよ……」
ふんふんと鼻息荒く宣言するガブリエラに、ライアンはそれ以上もう何も言わないでおいた。
まだコンテナに入ったままの荷物を整理するのは明日以降にしよう、と決めて、最後に寝室を見に行く。客用の寝室と比べてかなり広々としたそこは、大きなベッドがひとつと、センスのいい間接照明が置いてあった。
新品のベッドに、ぼふん、とガブリエラは腰掛けた。ライアンがその隣に座ると、ガブリエラは嬉しそうに微笑み、ライアンの肩に頭を預けて身体を擦り寄せる。
「……なんかお前、起きてから結構くっついてくるよな」
「なぜなら、私たちは恋人同士です! くっついてもいい!」
「いや、そりゃいいけどよ。今までなかっただろ」
ライアンが思い出しているのは、ポーターの中でライアンのセミヌードに真っ赤になって狼狽えたり、たかが手を繋ぐことも拒否するガブリエラである。だが彼女は、きょとんと首を傾げた。
「なぜなら、今までは恋人同士ではありませんでした」
「……あん?」
「恋人同士でないと、そういうことをすべきではない。ライアンは待てと言いました。今までライアンに触りたかったことは何度もありますが、頭を撫でてくださったり、時々ハグしていただけたり、たくさん能力を使うことでがまんしました。がまん! 私は“待て”ができる女!」
「えっ」
「待ちました! 待てました!」
褒めて、と言わんばかりのガブリエラを、ライアンはまじまじと見た。
「……じゃあ、何か。お前は別に照れてたとかそういうんじゃなく、触りたいのを必死でガマンしてたって? それで顔とか赤かった? そういうこと?」
「他に何かありますでしょうか」
照れるというのはまあありますが、ライアンに触りたいという方が強いですと、ガブリエラはもじもじしながら言った。その照れくさそうな仕草は、かわいい。かわいいが、ライアンはなんだか脱力して、ベッドに仰向けにひっくり返った。
「ええー……」
ライアンは、どこに向けていいのかわからない戸惑いを声に出した。
てっきりスキンシップに不慣れ、あるいは苦手なのかと思っていたが、全く違ったらしい。それなりに初心であるのは嘘ではなさそうだが。
しかしこの怖いもの知らずでチャレンジ精神に溢れまくった彼女が、恥ずかしいとか怖いとかで何かを拒否することがあるだろうかと考えれば、答えは否である。
そういえば、ネイサンから額や頬にキスされるのには照れるどころか嬉しそうにしているし、女性陣とのハグはむしろ頻繁に行っている。相手が女性だからと無意識に線を引いていたが、ガブリエラの場合、そういう区別もあまりなさそうな気がする。
「……ああ、そういえば」
「はい?」
「お前、母親のことどうすんだ。施設に入ってるほう」
ガブリエラが思い出した記憶を聞いて知っているライアンは、幾分か真剣な声で尋ねた。
彼女が二部リーグ時代から必死に金を貯めて入所費を作り、今も毎月費用を払い続けている女性は、ガブリエラの生みの母ではなかった。
──生みの母の恋人。
彼女の存在とその正体が明らかになったことで、ライアンは、ガブリエラが女性に対しての距離感や接し方にある独特なものに納得した。当時はきちんと理解していなくとも、両親とも女性、という環境があれば、なるほどこういう具合の価値観になるかもしれないと。
「……このまま、変わらず面倒を見ようと思っています」
「まあ、お前がいいならいいけどよ」
「名付け親ではありますしね。それに」
「それに?」
「ガブリエラ、と名前を呼んでくれていたのは、あの母だけでした」
あの街で、名前は所属を示すものでもある。アンジェロ神父の関係者であると示すアンジェラという洗礼名がガブリエラの実際の通称で、ガブリエラと呼ぶ者はおらず、そもそも知っている者もごく少なかった。
「そうか」
「そうです。ですのでガブは……」
「ガブ?」
「あっ」
ライアンが少し目を見開くと、しまった、という様子で、ガブリエラは自分の口を押さえた。
「お前、自分の事ガブって言うの?」
「い、今は言いません、今は。今のは、その、夢につられて」
「ってことは、前は言ってたのか」
「小さい頃だけです!」
「いつまで?」
「………………う」
「いつまで」
「……二部リーグでデビューするくらいまで、その」
「割と最近じゃねーか」
今度こそ正真正銘恥ずかしそう、ばつが悪そうなガブリエラを、ライアンは珍しげに見た。
こちらの言語圏において、自分の事を名前で、しかも愛称で呼ぶというのは、だいたい3、4歳くらいまでの幼児しかやらないことだ。それ以上の子供であれば発達が遅れていると見なされるのが自然だろうし、いい大人であれば、相当奇妙に思われる。
「そっちの言葉って、自分の事名前で呼ぶのフツーなわけ?」
ものすごくばつの悪そうなガブリエラが珍しかったのもあって、ライアンは突っ込んで尋ねた。
「いえ……」
「違うのか」
「こちらほどでは、ないですが。……8歳、いえ7歳くらいまで……でしょうか」
ということは、故郷でも浮いていたということだろう。差別対象の赤毛で、そばかすで、前は肥満児で、ほとんど喋らず、その上奇妙な一人称とくれば、イジメのターゲットになるのは容易に想像がつくし、友達はかなり出来にくいだろう。
「も、もういいではないですか。昔のことです」
「なんで自分の事名前で呼んでたわけ」
「うっ」
「なんで?」
答えろ、と言外に圧力をかけると、ガブリエラは顔を赤くして、「母に呼んでほしくて」と、消え入りそうな声でぼそぼそと白状した。
「ガブ、と言うと、“ガブリエラでしょう”と言われたことが、あって」
ガブリエラ、と唯一呼ぶのは、あの母だけ。
母にガブリエラと呼んでほしくて、ガブリエラはここにいるとアピールしたくて自分の事をガブと呼び、故郷を出てからは、もう誰も呼ばなくなった名前を忘れないように、ずっとそうしていた。
シュテルンビルトに来て身分証を作り、公的な証明書にガブリエラと名前が刻まれ、また当時こちらでの生活全般の師匠だったシンディに指摘されたことをきっかけにして、ガブリエラは稚すぎる一人称をやっと卒業したのである。
「へえ」
「もういいでしょう! もう! 恥ずかしい!」
「お前にも黒歴史があるんだなあ」
ライアンがにやにや笑ってそう言うので、あああ、とガブリエラは自分の顔を覆った。
「ガブ……、ガブ、ねえ。くく、“cub”みてえ」
「あ、それ、今まで何人かに言われました。そういえば何という意味なのですか」
「ぶは!」
含み笑いをしていたライアンは噴き出してげらげら笑ってから、ガブリエラにその意味を教えた。
“cub”とはいろいろな意味があるが、そのうちのひとつが、獰猛な肉食獣の幼獣という意味。更に転じて、不作法でやんちゃが過ぎる子供のことも指すのだと。
「cubのガブ? ぶくく、ぴったりすぎるだろ」
「む、むうう」
ずっと笑っているライアンに、ガブリエラは顔を顰め、頬を膨らませた。だがライアンは、小さなガブリエラが自分の事をガブガブ言っていたと思うと何やら無性に可笑しくて、笑いが止まらなかった。
「ガブ、ガブ、ガーブ」
「も、もうその辺で」
「……いや、いいなこれ。これからそう呼ぼう」
「は?」
ガブリエラがぽかんとしていると、仰向けに寝転がっているライアンはガブリエラを引き寄せ、至近距離で灰色の目を見つめた。
「ガブ」
今はもう、誰も呼ばない名前。
幼くたどたどしい、剥き出しの響き。動物の子供につけられるような、簡素で小さなその名前で呼ばれ、ガブリエラは顔を真っ赤にした。
「いいじゃねーか。他に誰も呼んでねえんだろ」
「な、……ないですが」
「じゃあ俺だけな」
「えっ」
「俺だけ、お前をガブって呼ぶ。他はダメ」
そう言って、ライアンはガブリエラをぎゅっと抱きしめた。
「俺のガブだ」
生まれたての子犬を抱くように優しく、どこまでも甘ったるく、しかし自分の意のままに弄びながら愛でるように。薄い背中を撫でながら、ライアンは言った。そしてそうされてしまえば、ガブリエラに拒否する術などありはしない。
「おい、ガブ。返事は?」
「……わん」
「ちゃんと言え」
ん? と指を絡めて手を握られて、ガブリエラはウーと唸った。
「……あなたの、ガブ、です」
顔を真っ赤にしてそう言ったガブリエラの頭を、ライアンは、ご褒美を与えるようにゆっくりと撫でた。