#151
「ドレスも素敵ですけど、そのチョーカーも素敵ですねえ」

 惚れ惚れした様子で、いつものメガネではなくコンタクトにしているメアリーが言う。褒められたガブリエラはこれでもかと自慢げに喉を反らし、チョーカーを見せつけるようにして薄い胸を張った。
「そうでしょう! ライアンから頂いたのです!」
「あ、誕生日プレゼント?」
 なるほど、センスいい、さすがリッチ〜、などという声が、二部リーグヒーローたちから上がる。若者たちのそんな様子を、年長者たちがほのぼのと見ていた。
「ええと……? クリスマスプレゼントとして頂きました」
 こてんと首を傾げて、ガブリエラは言った。
「クリスマス? ああそうか、同じ日なんですよね。誕生日プレゼントと兼用?」
「そんなショボいことするかよ」
 ライアンが堂々と言い、二部リーグたちが自然とスペースを空ける。ライアンはそこを通り、ガブリエラの隣に座った。彼の体重でソファがたわむ。
「えっ、誕生日プレゼントもあるのですか!?」
「おう」
 目を見開くガブリエラと鷹揚に頷くライアンに、なんだなんだと皆の注目が集まる。天下のセレブヒーローが恋人の誕生日に何を渡すのかと、皆興味津々な様子だった。

「わあ、嬉しいです! なんでしょう!」
「これ」

 目を輝かせるガブリエラに、ライアンは、指を下に向けた。
 ガブリエラはそれに従い、目線を下に向け、──2秒くらいしてから、疑問符を浮かべて首を傾げた。なぜならライアンが指差した先には、例えばリボンのかかった箱などは何もなく、ただセンスのいいソファの生地があるだけだった。
「……あっ! ソファ!? なるほどソファ! すてきなソファです!」
「いやソファもそうだけど」
 ハッとした様子で言ったガブリエラに、ライアンはにやっと笑った。抑えきれないというようなそれは、いたずらが成功した悪ガキのような笑みにも見える。

「部屋は2階も含めて、全部で9部屋な。バスルームは海が見えるのと内側ので2コ、風呂はジャグジーもついてる。お前、風呂好きだろ?」
「えっ、あ、はい。お風呂……お風呂は好きですが、はい」
 首を傾げたまま、ガブリエラは曖昧な声色で言う。
「だろ? あとはオーシャンビューのテラスと、キッチンは大きめ。駐車場は屋内個室で、車ごとエレベーターで上がって、すぐ下の階に停めるようになってるから。あ、お前のバイクはまだスローンズな。後で持って来い」
「はあ……」
 頭の周りに疑問符を飛ばしまくっているガブリエラは、こてんと逆側に首を傾げた。周りにいる面々は、シンと無言になっている。
「もちろんセキュリティも万全だぜ。ヘンリーのおっさんにも相談に乗ってもらって、今度こそアークに隅から隅までチェックしてもらったからな。住人のチェックもしたし、下のジムとかラウンジも、入れるのは30階以上の住人だけだ。生体認証は当然全部最高レベルだし、コンシェルジュとドアマンと、フロアごとの警備員が24時間常在。オーシャンビューなのは隣のビルとかが物理的に少なくなるからなんだけど、あとは──」
「待って。ちょっと待ってください」
 ストップをかけたのは、頭痛をこらえるような顔とポーズをしたバーナビーだった。あちらこちらに指をさしながら説明していたライアンが、唇を尖らせる。

「何だよジュニア君」
「すみません。……あの、このペントハウスは……」
 ペントハウス、ペントハウスアパートメント。高層建築の最上階にある、テラス付き高級住宅の総称である。通常ひとつのビルにひとつしかない、つまりビルの屋上に戸建の家が建っているような状態と言ってもいい。
 そしてその家賃や価格は当然、どの部屋よりも高額だ。それ故にユーザーが長く現れず、パーティー会場などとして日にちで貸出などを行っている場合もある。
 だからバーナビーを含め、当然、彼がパーティーのためにペントハウスを一日借りたのだと思っていた。ただその価格も一般的にはかなりのものなので、さすがセレブヒーローと感心していたところだった。

「誕生日パーティーのために、今日だけ借りた……、ですよね?」
「いや?」
 軽く答えたライアンに、ざわめきが大きくなった。
「と、ということは……」
「ここに住む」
「はああああああ!? 家賃いくらだここォ!?」
 ざわ、と全員がどよめくと同時に、虎徹が庶民代表のような叫びを上げた。そのリアクションにライアンは片眉を上げて肩をすくめ、にやりと笑みを浮かべる。
「野暮なこと言うなよ、オッサン」
「いやいやいや野暮とかそういうことじゃなくてな」
 虎徹の言ったそれに、多くの者がこくこくと頷く。

「それに家賃とかねえし」
「は?」
「買った」
「なんて?」
「だーかーらー、借りたんじゃなくて買ったから、家賃とかはねえの」
 ソファにふんぞり返って言ったライアンに、「ゴールドステージの海際のペントハウスを、買う……」「信じられない」「ひええ」「セレブこわい……」「羨ましいとかじゃなくてこわい……」と、方々からひそひそと声が上がった。
「前からペントハウス自体は欲しくてさあ、リサーチはしてたわけ。ちょうどいい機会だから買っちゃった」
「買っちゃった、とかいうノリであなたは……」
「でもさすがの俺様もビルごと買うのは無理だったんで、分譲な」
「ビルごと買ってたらあなたの素性を疑いますよ。石油王じゃあるまいし」
「ん〜、いいねえ油田。どっかでドッドーンとしたら出ねえかな」
 力ない突っ込みを入れたバーナビーは、本当に出しそうだから怖いな、と眼鏡を押し上げた。なんだか彼にはそういう、金運を引き寄せそうな何かがあるので。

「でも急いで買ったから、一括で払える所のしかなくてさ」
 二部ヒーローの誰かから、「ヒェッ」という声がした。思わず間違えて口からでなく鼻から出た、とでもいうような声だった。
「しかもセキュリティ第一にしたから、結構こじんまりした感じになったわ。プールとかプレイルームとか、遊びのあるとこはほとんどついてねえし」
「ここがこじんまりしてるんなら、俺んちは何だ? 犬小屋か?」
「やだなあオッサン。牛小屋だろ」
 自分のこともわかんなくなったのかよ、と朗らかに笑ったライアンに、最近給料が上がっていいマンションに引っ越して浮かれていたアントニオは頭を抱えた。
「どうなってんだ、今時の若者は!」
「いや、若者がどうこうとかいうやつじゃねえだろうこれは……」
 ステルスソルジャーが入れた的確なコメントに、年長者組が深く頷いた。

「つーかプレゼントだってのに賃貸ってのはねえだろ、普通。なあ?」
 フツーではないですセレブこわい、とイワンが震えた声で言っているのを背景に、ライアンは、ひとことも発しないガブリエラを見て言った。
「え?」
 ひたすらに呆然としていたガブリエラは、ライアンに同意を求められて、間抜けな声を上げる。目も口も丸くしてぽかんとしている彼女に、ライアンはにやりと笑う。

「お前状況わかってる? ここに住むの。わかる?」
「……住む?」
 まだぽかんとしたままのガブリエラに、ライアンは続けた。
「そーそー、ここに住むの」
「……え、ああ。ここに。……ライアンが?」
「俺も住むけど」
「も?」
「お前も住むの」
「え?」
 ガブリエラは、なお一層混乱が深まった様子である。アニエスが「キャパオーバーしてるわね」と呆れた声で言い、ネイサンが「そりゃするでしょ。アタシだってするわ」と早口で言った。

「じゃあ最初からな。この部屋、っつ−か家を」
「家を」
「買ったから」
「買った……、家を?」
「そうそう。セキュリティ万全」
「せきゅりてぃばんぜん。……あっ、盗聴器とか」
「もう仕掛けられたりとかねーから。絶対」
「安全ですね?」
「うん、安全」
 そのとおり、というように、ライアンは頷いた。

「そこに、俺と」

 ライアンは自分を指差し、そしてその指で、ガブリエラの鎖骨の間をトンと突いた。

「お前とで、一緒に住む」
「いっしょにすむ」

 ガブリエラは復唱し、そして、与えられた情報を処理するかのように黙り、あっちを見たり、こっちを見たり、腕を組んだり、手を無意味にひらひらさせたり、まるでお遊戯のような動きをした。

「……え? 一緒に住む?」
「そう」
「私と? ライアンが?」
「そう。ふたりで。ここに住む」
「ふたりで、ここに住む……」

 ガブリエラはまた謎のお遊戯のような動きをいくつか行うと、しかしやがて両手で顔を覆い、へたりとソファに突っ伏した。おい大丈夫か、と誰かがひそひそするが、ガブリエラはやがてむき出しの肩をぶるぶると震わせた。



「……キァ──────ッ!!」



 超音波のような悲鳴だった。ソファに突っ伏していなければ、全員の耳が完全にやられていただろう。実際頭痛をこらえてこめかみを押さえている者が何人かいるし、テーブルに置いてあるいくつかのグラスが、反響して僅かに音を立てていた。

「ラ、ラララララライアン! ほ、本当ですか!? 私と住む!? 本当に!?」
「おー」
「本当ですか!? 私と住む! 暮らす!」
「暮らす暮らす」
「同じ家に住む!?」
「そう」
「寝たり起きたり!?」
「寝たり起きたり」
 ライアンに詰め寄ってまくし立てたガブリエラは、天啓を受けた聖者のような壮大なポーズで固まった。
 格好が格好なのでそこだけ見ればなかなか神秘的な絵面なのだが、彼女はそのままブリッジ手前まで反っくり返ると、また「キァ──ッ!!」と超音波を発した。今度はソファがなかったため、何人かが耳を押さえてしゃがみこむ。
「ゆ、夢ではない!? 夢の続きではない!?」
「現実だから」
「本当!? 本当でおああああああ」
「落ち着け」
 大騒ぎするガブリエラに、ライアンは笑いながら、面白そうに淡々と返している。
「少々……少々お待ちください、心臓、心臓の爆裂な危険が」
「ヤバそうだな。深呼吸しろ」
「息……息とは……?」
 まさに息も絶え絶え、という様子のガブリエラだったが、言われた通り、何とか深呼吸する。そして最後に自分の両頬を、ばちんと挟むようにして思い切り叩いた。カッ、と灰色の目が見開かれる。

「大丈夫です! 夢ではない!」
「おい、すごい音したけど大丈夫か」
「大丈夫です! 理解しました、つまり」
「うん」
「ライアンと一緒に住むのが、誕生日プレゼント!」
「……ああ、うん、そうだな」

 ライアンが笑うと、ガブリエラは両手を上げ、文字通り飛び上がった。ぼむ、と新品のソファのスプリングで、軽い彼女は本当に飛んだようだった。

「ライアンと! 暮らせる!!」

 ぼむ、と、ガブリエラはまた跳んで、海の見えるテラスに駆け出した。

「最高です!! とても最高、いえ更に! なんと……なんというのかわかりませんが……とにかく最高の、最高で、最高のもっと倍々くらい、もっと上の最高です!!」

 最高ー!! と海に向かって思い切り叫び、ガッツポーズを取ったりしているガブリエラを、全員が呆然と見る。遊んでいるのだと思ったジョンが、ウォンと吠えてガブリエラのところに走っていった。
「えーと……、なんか色々とアレだけど、とにかく良かったわね、ギャビー」
「ライアンさんと一緒なら、もう変な奴も寄ってこないよね」
「そ、そうだね」
 よくわからないが、とりあえず本人がむちゃくちゃに嬉しそうだからいいか、と最初に我に返ったのは、カリーナ、パオリン、楓だった。

「あんた……、思い切ったわね」
「まあね」
 呆れ半分、しかし感心もしているような様子で言ったネイサンに、ライアンははしゃぎまくるガブリエラを眺めながら、にやりと笑った。

 寂しがりで、ひとりが嫌い。楓やシンディと一緒に住むのがとても楽しかったと言っていた彼女。そして彼女の隣のベッドで寝泊まりしながら次の部屋について考えているうち、ライアンがふと思い立ったのが、いっそのこと一緒に住んではどうだろう、ということだった。
 そうすれば仕事中だけでなく、プライベートから完全に彼女を守ることができる。物件もインテリアも全て勝手に決めてしまっても、自分と住めるとなれば必ず喜ぶ、とライアンは全く疑っていなかった。それくらいには、ライアンは彼女が自分を好きである自信がある。
 用意できなかった誕生日プレゼントとしてもちょうどいい。考えれば考えるほどいい事ずくめであるとしか思えず、ライアンはアークが調べてくれた物件のうち、最もセキュリティの高いこのペントハウスを選んだ。
 そういえば、恋人がいたことはあっても同棲したことはないなと気付いたのは、部屋を決め、信頼するデザイナーにインテリアコーディネートの丸投げを依頼した頃である。それほど自然に、ライアンはガブリエラと一緒に暮らすという選択をした。

「ネーム入りの豪華な首輪着けて、きれいなお洋服を着せて、安全に過ごせるおうちも用意して? ……本格的に飼うってことね」
「あ、見た?」
「見たわよ。ドン引きだわよ」
 ネイサンが言っているのは、ライアンがクリスマスプレゼントに贈ったチョーカーのことである。
 留め具のところにぶら下がっている小さなプレートの表側にはガブリエラの名前が彫ってあるが、裏側には、ライアンの名前が刻印されているのだ。まるで飼い主の名前が書かれた迷子札付きの首輪、いやそのものである。
「最初はあいつの名前だけ彫ってたんだけど、ここ買うってなった時に思い立ってさあ。勢いで」
「……入れ墨とかはやめときなさいよ。あのコがやりたいって言っても」
「そこまでしねえよ。正体バレにも繋がるし」
 それがなければ許容するのだろうか、と、ネイサンは冷や汗を流した。
「まったく、何が“あんな重い女初めて”よ。あんたも充分、じゅうっぶん、重いわよ!」
「えー、そお? 気持ちで返せてる気がしないから物量でいってみただけなんだけど」
 つまり物量を用意するだけの気持ちがあるということだろうが、とネイサンは思ったが、馬鹿馬鹿しくなって、ただため息をついた。
 さすが重力王子、重さということならハンパないわね、というオヤジっぽい台詞が口をつきそうになり、ネイサンは一旦黙る。

「まあ、対策でもあるけどな」
「対策?」
「俺はヒーローとしてのパートナーで、SSレベルなあいつの管理人だけど、逆に言えばそれだけだ。でも一緒に暮らしてれば、プライベートからちゃんと関係があるって証拠になる。……もっとちゃんと、あいつを守れる」
 ライアンの所に最初に刑事が押しかけた時、ユーリが説明したことだ。後でここに住むということを申請する書類にガブリエラのサインを入れさせ、司法局に届け出る予定である。
「ああ、なるほどね。結婚すれば、もっと話は簡単だったと思うけど?」
「……さすがにこんなことで結婚とか、いくらなんでもアレだろ」
「プロポーズするなら、もっと完璧なシチュエーションを作らなきゃって? んま〜ァ、ロマンチスト。まさに王子様だわね。ああ羨ましいこと」
「そういうんじゃねえよ」
 高い声で誂ったネイサンに、ライアンは母親に好きな子の話をされてふてくされる少年のような顔をした。

「……ちゃんと最後まで面倒見るのよ」

 飼い始めたら最後まで。今度は犬を飼いたがる少年の母親のようなことを言ったネイサンに、ライアンは目を細めて笑う。
「オーケィ、ママ。約束する」
「破ったらウェルダンよ」
「おお、こわ」
 広々としたテラスでは、ガブリエラがドレスを翻し、年の近い女性陣に祝われながら、そのまま空に飛んでいきそうな勢いで飛び跳ねている。

「ライアンと、住む!」

 ガブリエラが跳ねる度に、翻ったドレスの裾がきらきらと金色に輝く。

「ああ、生きていてよかった! 本当に! 生きています! ありがとう!!」

 きゃっふー! と叫んだガブリエラに、ウォン! とジョンが吠えた。
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BY 餡子郎
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