#150
「今回といい、メトロの時といい、なんかもう他のいろいろといい! なんであんたは私の手の届かないところでいっつも危ない目に遭うの!? 胃が破裂するかと思ったわよ!」
「うう、申し訳ありません」
「でも良かったわ、本当に良かった、無事で……うっ」
「シンディ、ありがとうございます、ありがとう……」
うえええ、と双方泣きながら、シンディとガブリエラが抱き合う。
暗殺未遂ともあって徹底的な警備体制が敷かれ、関係者以外立入・面会禁止とされていた昏睡中のガブリエラを一般人であるシンディは見舞うことが出来ず、ずっと心配していたのだ。
「シンディ、もうその辺に……皆さん待ってるだろう」
「あ、そうね、ごめんなさい」
ひとりコックコート姿をした夫のアランに言われ、シンディはアイメイクがこれ以上崩れないよう手慣れた様子で器用に自分の涙を掬い、ガブリエラの目に浮かんだ涙もハンカチでさっと綺麗に吸い取った。
「さあさあ! ガブリエラ、こっちよ」
「え、えっ」
シンディに背を押され、ガブリエラはリビング、というには広すぎるところに連れて行かれた。大きな窓からさんさんと光が差し込んでいるため、とても明るい。
更に窓の向こうには、おそらく最上階の広いテラス。風があるからかガラス張りのそこから水平線の見える海が見渡せるようになっていて、水面がキラキラ光るのがなんとも清々しい。
全員でどやどやと移動して、ガブリエラは広い海が一望できる、まさに特等席というようなソファに座らされた。目の前には、不定形なラインのおしゃれなローテーブルが置かれている。
「アラン! 持ってきて!」
「ああ、緊張する……」
妻に急かされ、彼はずんぐりした身体を更に恐縮そうに竦めながら、両手でそろそろと慎重に何かを持ってきて、ガブリエラの目の前にそっと置いた。
「パン屋のケーキで申し訳ないんですが」
「あら、味は保証できるわよ! なんたって、この人本当はパティシエになりたかったのよね。田舎だからあんまり需要がなくって、それで実家のパン屋ともイマイチ反りが合わないんだけど!」
「余計なことは言わなくていいよ、もう……」
夫妻のそんな言葉を聞きながらも、ガブリエラは、呆然とそのケーキを見つめている。
丸くて大きなホールケーキ。白いクリームに、沢山のフルーツ、チョコレート。デコレーションは洗練された感じではないが、ごろごろと乗ったフルーツや可愛いチョコレートの粒は絶妙に調和の取れた色合いで、それがむしろ可愛らしい。
何より中央には、『Happy Birthday Gabriela』というプレートがついている。しかも一部リーグと二部リーグ、それぞれのバージョンのホワイトアンジェラの小さな砂糖人形が、フルーツに埋もれるようにしてプレートの両脇にちょんと添えてあった。
バースデーケーキ。
ガブリエラのための、誕生日を祝うためだけのケーキがそこにあった。
「……うー」
「ああ、もう、泣かないの! はいはい、ロウソク!」
感極まってまた泣き出したガブリエラの目にシンディがハンカチを当てている間に、アランがささっと手際よく、デコレーションを崩さないところに「2」の数字のロウソクをふたつ立てた。
そして、ネイサンが美しいネイルを施した指先から小さな炎を出し、22歳を祝うそれに火をつける。
「では皆さん、声を揃えて」
指揮棒を持って言うのは、キューブリック兄弟の弟、アーロン・キューブリック。そのすぐ後ろに、シンセサイザーで音を取る兄のロイ・キューブリックもいる。
──Happy Birthday to you !
贅沢なプロの伴奏で、皆が笑顔で誕生日を祝うお決まりのそれを歌いきる。わあ、と拍手が起こるが、ガブリエラは感動のあまりただ口元を押さえ、ひくひくとしゃくりあげていた。
「ギャビー、火、消して!」
「ふーってするのよ、早く!」
「願い事をしながらだよ!」
楓、カリーナ、パオリンが、ガブリエラの背や肩に手を触れながら言う。泣いているせいで呼吸すらおぼつかないガブリエラだったが、なんとかふたつのロウソクの火を吹き消した。
また拍手が起こる中、泣いているのに思い切り息を吹いたことでウェッとえづいた彼女に、「22本のロウソクにしなくてよかったですね……」と、バーナビーが苦笑して呟いた。
「泣きすぎだろ、お前!」
「なぜなら感動、感動して……うええええ」
「そんなにか」
笑いながら言うライアンに、ガブリエラはまた泣いた。「こんなに最短で化粧を台無しにする子、初めて見たわ!」と小言を言いながら、ネイサンが母親そのものの様子でガブリエラに鼻をかませ、アントニオが持ってきた冷やしタオルを目に当ててやっている。
「うう、失礼しました。ああ……」
ひとしきり涙を流したガブリエラは、もう大丈夫です、と全く信用ならないことを言って、しかしにこりと笑ってみせた。そんな彼女をぎゅっと挟むようにやってきた楓とパオリン、カリーナの笑顔の4人と目の前のケーキをフレームに入れて、オーランドがばっちりと写真を撮る。
「さあさあ、まずはケーキをどうぞ。そのバースデーケーキは主役用ですけれど」
皆様にはこちら、とシンディが仕切って、アランがまた別の、今度は四角い大きなケーキを切り分ける。「デコレーションは違いますけど、中身は同じです」と彼が言う通り、見た目はシンプルだが中身はフルーツたっぷりの、いかにも美味しそうなケーキだった。
ガブリエラはオーランドにバースデーケーキの写真を思う存分撮ってもらってから、デコレーションを上手く整理して、綺麗に大きなひと切れを切り分けてもらった。ケーキはシンプルなバニラスポンジだが、挟んである生クリームはミルクの味が濃厚で、デコレーションはフルーツやチョコレート、ナッツなど全て食べられるもので出来ていてどこを食べても美味しく、ガブリエラにはとても好みの味だった。
「あら、このケーキおいしい!」
「甘すぎなくていいなあ」
他の面々にもケーキは好評で、なぜこれを売っていないのだ勿体ない、と口を揃えて言ったので、アラン氏は顔を赤くして大変に恐縮していた。
「そらアンジェラ、腹減っただろ! ケーキ食ったら飯だ、飯!」
「たくさんありますからね。好きなだけどうぞ」
そう言って、今度は虎徹とバーナビーが料理を持ってくる。しかし、彼らが持っている皿はなぜか両方とも山盛りのチャーハンだった。
「こてっチャーハンと、バニーチャーハンだ! まあ俺のほうがウマいけど」
「ふっ、まさか」
得意満面の顔をして親指で自分を指した虎徹を、バーナビーが鼻で笑う。
「はああん? バニーお前、俺がチャーハン歴何年だと思ってんだ?」
「経験が全てではありませんよ。あなたが冷蔵庫の余り物とマヨネーズに固執している間に、僕はより美味しさを引き立てる具材と調味料の研究を重ねてきたんです。もはや僕のチャーハンのほうが上であることは間違いありません!」
「何をう!?」
「はい、ギャビー!」
小競り合いを始めるバディを呆然と見ているガブリエラに、「ほっといていいよ!」と可愛らしい笑顔でどこまでもドライなことを言いながら、楓が取り皿に2種類のチャーハンをよそって渡してくれた。ガブリエラは蓮華を手に取り、両方のチャーハンを何口か交互に口に入れる。
虎徹のチャーハンは前にも食べたが、市販のミックスベジタブルと卵、小エビが使われていて、また味付けは中華スープの素、隠し味にマヨネーズ。誰もが知っている材料で数え切れないほど作られてきた味は、高級感は全くないがどこまでも安心できる美味しさだった。
そしてバーナビーのチャーハンは、ひとつひとつ下準備した高級感のある具材と、元々こういった料理用の細長いぱらぱらした米が使われている。調味料もおそらく何種類かが混合されて使われているらしく、美味しいがどういった調味料から来る味なのか想像がつきにくい、複雑な味わいだ。しかしそれだけに丁寧に作られたことがよく分かる、心のこもった出来栄え。
ガブリエラの目に、またじわりと涙が浮かぶ。
「……おいしいです、ううう」
「おおそうか、泣くほどウマいか! 俺のチャーハンが!」
「別におじさんのチャーハンがというわけではないでしょう」
「両方、両方おいしいです……!」
うっうっと泣きながら、ガブリエラはチャーハンをばくばくと食べた。
「良かったな。今日の料理はみんなの持ち寄りだからな!」
「えっ?」
アントニオが力強く言ったそれに、ガブリエラは目を見開く。
「お前、出来合いより手料理のほうが好きだろ。全員それぞれ持ち寄りしたんだ。皿に名前が書いてあるのが、作った奴な」
確かに、皆がどんどん持ってきてくれる料理は食器の種類がバラバラだったり、タッパーに入ったままだったりしていて、全て名前の札がついている。
食欲をそそる香りを放っているカレーは楓が作ったもので、本人でなく虎徹がこれでもかと勧めてきた。楓本人は「お父さんは黙ってて」と憤慨していたが、ジャパン独特のまろやかなカレーはとても美味しくて、ガブリエラはもちろん、カレーが大好きなキースも絶賛した。
そのキースは相変わらずの山盛りのゆで卵に加え、アランに教えを請い、自分の好物でもあるパンを焼くことに挑戦していた。籠にはかわいらしい小さなプチパンがたくさん入っていて、中にはジョンらしい犬の顔を象ったパンもある。出来栄えは上々で、これからは自宅でパンを焼くのを新たな趣味にしてみようかと思っているらしい。
他には「おめでたい日にはこれと聞きました!」と言ってイワンが作ってきた、丸くて平べったい寿司桶に入った彩り華やかなちらし寿司や、カリーナとパオリンがお互いに手伝いながらたくさん作った生春巻きと、フルーツや色違いのゼリーが層になったきれいなデザート。
そんな冷たくて美味しい料理に舌鼓を打っていると、今度はキッチンからエプロンをしたアントニオとネイサンが、それぞれじゅうじゅうという音と湯気を立てた器を持ってくる。
アントニオが作ったのは平べったい鉄鍋にそのままの、大きな貝がごろごろ入った豪快なパエリア。絶妙に焦げ付いた部分を贅沢に取り分けるところを見るだけで、口いっぱいに涎が湧いてくる。
ネイサンの作品は、クリームソースのグラタンだ。全く煮崩れていないのに舌の上でとろけるほど柔らかい、完璧な火の通り具合の肉や野菜がたっぷり入っていて、上品でありつつほっとするような優しい味わいだった。体の芯から温まるような美味しさに、また涙が出そうになる。
ヒーローズ以外の面々が持ってきてくれた料理も様々で、女性陣はサラダや、いかにもおしゃれなパーティー料理といった様子のカプレーゼやカナッペ、デザート類を持ってくるタイプもいれば、ドンと大量の揚げ物を作ってきた者もいる。母に手伝ってもらいましたすみません、と正直に申告する者もいたが、それはそれだ。
男性陣は、大きなローストビーフやパイ、パスタ料理などを持ってくる意外な料理上手もいれば、普段は料理と縁遠いのだろう、何人かの有志で集まり、様々な中身のサンドイッチを大量に作ってきたグループや、奥方が作ったものを持ってきた、うちの実家で作ってるチーズ、などと裏技を使う者もいた。
ガブリエラはひとりひとりに丁寧に礼を言いながら、すべての料理をたっぷりと食べた。
他の者達も少しずつ摘んだりはしたものの、基本的にはガブリエラに進呈された料理であるため遠慮し、あくまで摘む程度である。しかし、ガブリエラはそれらをすっかり食べきってしまった。
「ああ、とても美味しかったです! お腹いっぱいです!」
満足、というそれそのものの満面の笑みで、ガブリエラはソファの背もたれに身を預けた。すっかり空になったたくさんの食器を見て、パーティー客たちは目を丸くする。
「本当に全部食べた……」
「腹が膨らんで……膨らんじゃいるけど、絶対食べた量に足りないだろ!」
「どこに消えたんだ? 何のトリックだ?」
「ケータリングも頼んどいて良かったわね……」
ガブリエラの食べっぷりを初めて直に目にした面々は信じられないとばかりに困惑し、おなじみの面々は「いつも通りの様子でよかった」と一応病み上がりである彼女の調子の良さにほっこりとする、とリアクションの温度差が顕著である。
「ふおおおおお!! アニエスさん、素敵です! 思った以上に素敵です!!」
「あらそう」
土足禁止の室内でわざわざ靴底を拭って履いてきた高いピンヒールを、カッ、と鳴らして腰に手を当てたドレス姿のアニエスに、ガブリエラは歓喜の悲鳴を上げた。
一見漆黒だが、角度が変わるごと僅かにキラキラと銀色のラメが煌めく、スリットの入ったマーメイドライン。体の線がくっきりと出るドレスを、彼女は見事に着こなしていた。いつも下ろしているブルネットの髪は夜会巻きに結い上げられ、それによって顕になった耳には、大ぶりなピアスが揺れている。
「まあ、あなたが見たいからって着ることになったものだしね。見せておこうと思って、着てきたわ」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
両手を合わせてアニエスを拝むガブリエラに、何人かが生暖かい目をした。
「バイソン! 素晴らしい! 素晴らしい仕事です! なんてアニエスさんにぴったりのドレス!! あなたのセンスは最高です!!」
「そ、そうか?」
「そうですとも! アニエスさん、そうですよね!!」
「……悪くはないわね」
スリットから顕になった脚を組み、シャンパンを傾けながら女王様然として言ったアニエスに、アントニオとガブリエラは無言で頷きあう。そして、パンパンパンパン、スパァーン!! と打ち合わせもしていないというのに複雑な連続ハイタッチを見事に交わし、お互いに力強いガッツポーズをした。「この女王様シンパども……」と、ライアンが据わった目で呟く。
主役を含めかなりの大食らいが数名いることを見越して、他に用意された料理やデザート、そして酒類の力も手伝って、パーティーは和やかに賑わった。
盛り上がってくると、余興を披露する者、小さなバースデープレゼントや、バースデーカードを進呈する者などもいる。
キューブリック兄弟のピアノとギターでカリーナが明るい歌を歌い上げたり、パオリンとイワンが傘を回したりジャグリングをしたりなどの、プロ顔負けの曲芸を披露したり。二部リーグヒーローたちが、ヒーローランドで鍛えたキレのあるダンスを見せてくれたり。
ガブリエラはその度に感動し、礼を言い、そしてその喜びを全身で表現したのだった。
パーティーのテンションがやや落ち着いてきた頃、すっかり崩れた化粧をパウダールームでネイサンとシンディに直してもらったガブリエラは、彼女らと一緒に皆がいるところに戻ってきた。
先程はやってくる早々ぐずぐずに大泣きしてしまっていたので、せっかく綺麗に整えた姿が皆の目に留まった時間はごく僅かである。そのため、今が改めてのきちんとしたお披露目になった。
「……ほんと、見た目と中身にギャップのあるお嬢さんだな」
そう呟いたのは、「世話になったから」とライアンからパーティーに招待されているフリン刑事である。
その華奢ですらりとしたスタイルが世間で注目されているのは彼も知っていたが、事情聴取のため、ヒーロースーツなしで近くで見たホワイトアンジェラ──ガブリエラは、ぎょっとするほど細い女だった。
更に、染めているのではないらしい真っ赤な髪と、透き通る灰色の目という色彩のインパクト。幼い少年のような声。中性的な顔立ちだが、薄っすらと妙な色気もある。
浮世離れして現実味の薄いその容姿は、例えば森の奥の湖の畔に佇んでなどいたら、間違いなく、人間を惑わす妖精か何かだと思うだろう。そんな雰囲気だった。──容姿だけならば。
──犯人を捕まえるために、たくさん協力していただいたと聞きました! ありがとうございます!
しかし初めて顔を合わせた時、ぱっと広がるような笑顔ではきはきと元気に言ったその様子は、挨拶を習ったばかりの幼稚園児のようだった。
見た目と中身にギャップのある娘だな、とフリンはこの時も思ったが、今こうしてばっちり化粧をしてドレスアップした姿で、しかし子供のようにべそべそ泣いたり、全身で喜びや感激を表現してはしゃいだりしている様を見ると、改めてそう思う。
そしてその姿に、なんだか妙なデジャヴも感じる。それが何なのかは、今もまだわからないが。
「そうか? 純真でいいじゃないか。思ったより美人で驚いたのは確かだが」
そう言ったのは、同じく招待されて来ているヘンリーだ。
身内を治してもらった恩もあってか、ヘンリーは元々ホワイトアンジェラを全肯定する傾向がある。彼の言葉を半分聞き流して頷きながら、フリンはシャンパンを飲んだ。
「あっ、フリンさん! 来てくださってありがとうございます!」
「……おう」
スリッパをぺたぺた鳴らして近付いてきたガブリエラにぶっきらぼうに返したフリンの脇を、ヘンリーが肘でどついた。結構強い衝撃に、フリンがぐえっと呻く。
「そちらは、ええと、ヘンリーさんでしたでしょうか」
「ああ、はじめまして。こんな老いぼれを素敵なパーティーに呼んでもらって光栄だ」
「そんな! ヘンリーさんには、私の部屋のことでとてもお世話になったと聞いています。本当にありがとうございます!」
はきはきと礼を言うアンジェラに、ヘンリーはまるで孫娘を構う好々爺の如きにこにこ顔である。
現役時代に鬼のような形相で犯人を追いかけ回し、そしてそれと同等の厳しさで部下たちを叱り飛ばして尻を蹴り上げていた彼の姿を知っているフリンは、不気味なものを見るような顔で、ヘンリーから気持ち10センチほど距離を取った。
「いやいや、お役に立てたのなら何よりだ。むしろこちらのほうが、あなたに大きな恩がある。彼女からもよくよく礼を言っておいて欲しい、とあのキッシュを預かってきたんだ」
「あっ、あれはその女性が作ってくださったのですか」
ヘンリーの持ち寄りは、ガブリエラが怪我を治したという事件被害者の女性からだという、具沢山のキッシュだ。付け合せのシンプルなポテトサラダが、ヘンリー自身が作ったものだった。
「あの子は料理が上手だから、美味かっただろう? 私はあまり料理が得意ではないから、付け合せのポテトサラダで勘弁してくれ」
「両方とも美味しかったです! キッシュは分厚いベーコンがたくさん入っていて、たまねぎが甘くて、あとほうれん草もたくさん入っていました」
ガブリエラが拙い言葉で述べる具体的な感想を、ヘンリーは嬉しそうに聞いている。
「そうそう。あの子の娘がほうれん草嫌いなんだが、あのキッシュに入っているのは食べるらしくて」
「なるほど。美味しいものに入っていれば、嫌いなものでも食べやすいでしょう」
「アンジェラは、嫌いな食べ物は?」
「ガソリン臭いものは苦手です」
「……それは食べ物とは言わないのでは?」
さすがのヘンリーも好々爺顔を少し崩しつつ、思わず突っ込みを入れた。
「フリンさんのオムレツも美味しかったです!」
「悪かったな、独身男の手抜き料理で」
フリンは、ぶすっとした顔で言った。
元々凝った料理など作れないフリンは、最初、少しいいワインを買って持ってきた。しかしライアンはそれを見て「却下」と言い放ち、スーパーで材料を買ってこいとフリンを蹴り出したのである。
「手抜きなのですか?」
「簡単に作れる」
「そうなのですか。私は料理が作れませんので、それでもすごいです」
ガブリエラは、きらきらした目でフリンを見ている。
なんだかこの娘の目は苦手だ、と、フリンはなんとなく、そっと彼女から目を逸らした。しかし、ガブリエラは気にせずまだ話しかけてくる。
「パオリンの餃子の余りとか、バイソンのパエリアの材料も少し入っていました。マカロニは、ネイサンのグラタンの?」
「ありゃあ、余りもんを入れるのが美味いんだよ」
フリンが唯一作れる料理は、駆け出し時代に時間と金の節約のため散々作り、今でも結構作る巨大なオムレツだ。冷蔵庫の中身を全て刻んで数個の卵で無理やり閉じ、ケチャップや、余ったパスタソースなどをかけて食べる。腹に貯まるし、何を入れてもそれなりに美味いし、洗い物も少なくて済むしビールにも合う万能料理であるが、しかしお世辞にもパーティー料理には向かない。
しかしライアンから「今からでいいから何か作れ」と言われたフリンは、渋々、キッチンというよりは厨房のような豪華なシステムキッチンで、せっかくの一張羅にエプロンをかけ、そのオムレツを作る羽目になった。
『材料:冷蔵庫の余り物』という部分は、同じようにキッチンで料理を作っている面々から少しずつ提供してもらった。おかげで、フリンが普段作るものよりも随分豪華仕様にはなっている。
「卵がとろとろなのも素敵です。オムレツの卵はとろとろがいいです」
「ああ、そう、それだよ。わかってんじゃねえか」
半熟卵は最強だ。あのとろとろの卵にかかれば、どんな余り物もごちそうになる。疲れて帰ってきた時も、上手く半熟になってとろける卵を見ると、明日も頑張ろうという気になるのだ。
「皆さんのお料理が少しずつ入っていて、それにとっても大きくて、素敵でした! とても素敵なお料理です! ありがとうございます!」
ガブリエラは、そう言ってにっこりした。
「……そうかい」
駆け出し時代の苦楽を共にしたオムレツを褒められるのは、悪い気はしない。しかしやはり返事がぶっきらぼうだったせいで、またヘンリーから肘鉄が飛んできた。しかも、ガブリエラからは見えない絶妙の角度で。
「ごふっ」
「えっ、どうしましたか。大丈夫ですか。治しましょうか」
「いや、いい。大したことじゃ」
「そうだそうだ。刑事はみんなタフなんだ、大したことじゃない」
食い気味にしれっとそう言ったヘンリーを半目で力なく睨みつつ、フリンは肘鉄を食らった脇をさすった。
「そうですか? しかしそうでなくても、肩こりなど治せますよ。お礼に」
「別にいい。そんなにヤワじゃねえ」
ひらひらとフリンが手を振って申し出を断ると、ガブリエラはきょとんとした。しかし次の瞬間、彼女の目の輝きが増したような気がして、フリンは怪訝な顔をする。
「本当に? 刑事さんも体力が基本のお仕事です。お疲れでは? どうですか?」
「いらねえって! 何!? なんでテンションが上がるんだ!?」
「肌もツルツルになりますよ!」
「俺が肌ツルツルにしてどうすんだよ! いらねえ!」
目をきらきらさせ、手を構えてフリンの前をうろつくガブリエラに、あっこれ犬だ、とフリンは確信した。今まで彼女に感じていた、デジャヴの正体。
実家にいる、たまにしか帰らないフリンにもボールをくわえて飛びついてくる雑種の犬。ちゃんと怒るとやめないでもないのだが、予想よりしょんぼりと耳と尻尾を下げるので、結局はやけくそでボールを投げてやるはめになるあの犬に、ガブリエラはとてもよく似ていた。
なぜホワイトアンジェラのシンボルマークが名前由来の天使ではなく白い犬なのか今までよくわからなかったが、今フリンは納得した。これは犬以外の何物でもない。天使でも聖女でも、妖精でもない。アンジェラという名前の白い犬という意味でのホワイトアンジェラなのだと。
「何の遊びだ?」
「ライアン!」
先程までアニエスらHERO TVグループと話していたライアンがこちらにやってきて、ガブリエラはフリンに構うのをやめ、彼の腕に飛びついた。
ああやはり犬に似ている、とフリンは再度思う。本来の飼い主が現れるとあっという間に踵を返し、千切れんばかりに尻尾を振って飛びついていくところなど、実にそっくりだ。
「おふたりに、お料理のお礼です。あと、実はその、ドキュメンタリーの時のライアンのことを聞きたくて……」
「ああ、それで」
もじもじと言うガブリエラに、ヘンリーが頷いた。「録画ぐらいあるだろ」とフリンが言うと、ガブリエラは頬を膨らませる。
「あるはずですが、検査や取材で時間がなかったのです。ライアンも後にしろと言うばかりで見せてくださらなくてですね」
「後にしろ」
「なぜですか! ライアンが! 私の! 私のために必死になってくださった姿を! この目で見たい! 見たいです!」
「後にしろ。そうだな、5年後とか。いや、10年後とか」
「ええー! なぜ! なぜですか! 今見たいです! 今!!」
頬を膨らませてライアンの腕をブンブン振っているガブリエラと、わざとらしく目を逸らすライアン。目の前でいちゃつくカップルを、ヘンリーは微笑ましげに、そしてフリンは白けた目で見た。
「それはそうとお前、アニエスさんにきゃーきゃー言うばっかりで、ディレクターたちにちゃんと挨拶してねえだろ。あと二部リーグ」
「そうでした! お礼を言わなければ!」
ライアンにそう言われたガブリエラは、料理や酒に舌鼓を打っているケインたちや二部リーグヒーローらのところに、また跳ねるようにして向かっていった。
は〜、とフリンがため息をつく。その様子に、ライアンが笑った。
「疲れた? あいつテンション高ェからな」
「実家の犬を思い出した」
フリンが正直に言うと、ヘンリーはけしからんといわんばかりの顔をしたが、ライアンは声を上げてげらげら笑った。
「まあ、あいつは刑事さんを気に入るだろうなあとは思ってた」
「は? なんで?」
「あいつ、ツンデレが好きでさあ」
「誰がツンデレだよ!?」
心外だとフリンは憤慨したが、ヘンリーは「ああ」と納得した様子だった。それにまた憤慨するフリンに、ライアンが笑う。
しかしその陰りのない、そしてテレビカメラを意識して気取ってもいない笑い方にフリンは何だか毒気を抜かれ、怒らせた肩の力を抜いた。
「……ホワイトアンジェラに懐かれたなんて言ったら、署内の奴らに殴られるわ」
「アレ? 警察ってヒーロー嫌い多いだろ?」
「ホワイトアンジェラは別枠だ」
そう言って、フリンはシャンパンで口を湿らせる。
ヒーローに対して反感を抱くことの多い警察関係者であるが、犯人を捕まえる、というアクションを行わず、事件や事故による被害者の怪我を治す救助活動を主とするホワイトアンジェラは、警察内でも評価が高い。
また最近は警察が行う捜査への協力、救助を行うようになった二部リーグヒーローも、安月給の肉体労働という共通点、また一部リーグヒーローのように徹底した素顔の秘匿などを行わないため、捜査後に飲みに行き「話してみたら悪い奴らじゃなかった」と評価を改める者が多くなってきている。
フリン自身、あちらでまだ恐縮した態度が抜けないながらガブリエラと話している二部リーグの面々の何人かは、既に何度か面識がある。花形の一部リーグヒーローに対しても、正直未だに苦手意識は抜けないが、ワイルドタイガーとバーナビーと仕事をした経験から、悪い奴らではないのだろう、と今は思っていた。
そしてホワイトアンジェラのことは、こういうヒーローもいるのか、と以前からひそかに感心し、ささやかに応援していた。更にこうして素顔を見て話し、子供のように泣いているところを見てしまえば、ちょっと迷っていたエンジェルウォッチをやっぱり買おうかな、というぐらいの気持ちにはなっている。
だがゴールデンライアンについては、正直、微妙な印象だった。
なぜなら彼はシュテルンビルト外の、いわば余所者の外部ヒーローだ。決まった所属を持たない、それでいて莫大な金を稼いでいるセレブでもあり、また容姿も良い顔出しヒーローで、そしてあの傲岸不遜なキャラクター。
頑固なベテラン刑事が毛嫌いするには充分な若いイケメンヒーローが、フリンもお決まりに苦手だった。
だからこそ、ホワイトアンジェラがゴールデンライアンに熱愛、と報道された時は「聖女サマも結局金持ちのイケメンが好きかい、ケッ」と思ったし、ライアンが容疑者となった時は、「あり得るだろうな」くらいの認識で、彼の身柄を確保しに行った。
しかし実際そのライアンは、テレビで見たことのある完璧にキメた姿はどこへやら、着の身着のままの姿で、まるで手負いの獣よろしく気を立てていた。
そして今まで様々な事件とその被害者と接してきたフリンには、彼のその姿が、大事な人を傷つけられた時の動揺と怒り、悲しみを表していることはすぐにわかった。
そこで既にライアンを容疑者と思う気は失せていたし、またそんな状態であるにも関わらず自分を落ち着かせ、テレビカメラと法律を盾に鮮やかに警察の追及を跳ね除けたライアンの頭の良さと感情をコントロールする冷静さに、内心感心もした。
プライドのあり方を履き違えず、必要だと感じれば素直に頭を下げる潔さ。使えるものは使う柔軟さ、頭の回転の速さ、判断力。
ゴールデンライアンが非常に有能な男であることは、認めざるを得なかった。そしてそんな男に「ベテラン」と言われ、その経験を貸してくれと頼まれて断れる奴が、一体どのくらいいるのだろう。
「何?」
ちらりと視線を寄越してきたライアンに、フリンは「いや」とだけ言い、グラスに残った僅かなシャンパンを飲み干した。
「まだ終わったわけじゃねえ。油断するなよ」
ガブリエラが無事に意識を取り戻したのは何よりであるが、ルーカス・マイヤーズや老婆の行方は知れないし、そもそも犯行の目的は今も不明のままだ。
「わかってる、今日は息抜きだ」
ライアンとて、油断してはいない。
そのためこのパーティーに呼んでいるのは完全に裏が取れていて信用できるメンバーだけで、ルーカス・マイヤーズが所属していたケルビム、マンションの部屋に関して答えが得られていないドミニオンズは呼んでいないし、パーティーの場所も教えていない。
とはいえ、ライアンが言う前にケルビムとドミニオンズは自らそれを申し出てきたし、ガブリエラにも既にそれは伝えてあるものの、「皆さんは大丈夫だと思いますが」としょんぼりしていたので、気の毒なことをしたのかもしれない。
しかし、ライアンは万全を期した。
「これからも世話になるぜ」
「……ああ」
ライアンがテーブルから取りあげ傾けてきたシャンパンを、フリンはグラスで受け止める。そして、彼が持ったグラスと軽く打ち鳴らして、ぐっと飲み干した。
「いい酒だな」
「好きなだけ飲んでって」
じゃあ遠慮なく、とフリンは他の酒を探してテーブルを見回す。しかし目が合ったのは酒ではなく、見覚えのある顔だった。
「刑事さん、久しぶり!」
「お久しぶりです、フリン刑事、ヘンリーさん」
近付いてきたのは、虎徹とバーナビーだった。
「いやあ〜、ヒーロー嫌いの刑事さんがヒーローの誕生日を祝ってくれるとは、これも重ねてめでてえなあ」
「ええ。これからも良い関係を築いていければいいですね」
酒の力も多少あるのか、機嫌良さそうにそう笑い合うバディ・ヒーローズに、フリンは苦笑を浮かべながら、彼らともグラスを打ち鳴らした。