#015
 ──無重力。

 ふわりと浮いた己の身体が、ひどく心許ない。姿勢のせいで嫌でも目に入る、跳ね上がった橋の影の、暗く深い、馬鹿馬鹿しいほど遠い海。ライアンは、自分が半笑いになっているのがわかった。笑うしかない状況だったからだ。
 永遠にも感じるかと思うような感覚は、幸いにも、ライアンの愛する重力によって終わった。

 ──ドンッ!

 超大型チェイサーの4輪タイヤが、道路で跳ねる。
「ほら、コケませんでした」
「うるせえ。黙れ」
 晴れ晴れとした得意げな声に、ライアンは地を這うような声で返した。
「ええ〜、悪くないと言ったではないですか」
「ふっざけんな! 気持ちいいのはお前だけだろ、今のは!」
 可愛らしく唇を尖らせる彼女に、ライアンは青筋を立てて、300km/hの速度の中、本気でがなりたてた。

「痴話喧嘩かよ」
「痴話喧嘩ですね」

 と言ったのは、ダブルチェイサーに乗り、中継を聞きながら迂回経路で犯人の所へ向かう、タイガー&バーナビーである。
「しかし、ライアンがあんな風になるの、初めて見ましたね」
「そだなー。いつも余裕綽々って感じなのにな」
「意外と、悪くないコンビなのかもしれませんね。……僕達も、負けてはいられませんが」
「おっしゃ! 飛ばしてバニーちゃん!」
「アンジェラさんぐらいですか?」
「それはヤメテ」
 真顔のトーンで首を振るサイドカーのタイガーに苦笑しつつ、バーナビーは、天使が飛ぶほどではないスピードでチェイサーを走らせた。



「クッソ……クッソ……ひでえ目にあった……」
 大柄な身体をぐったりとホワイトアンジェラに伸し掛からせるような姿勢で、やけくそのように能力を発動させて水の塊を押しつぶしながら、ライアンはぶつくさとぼやいた。
 跳ね橋ジャンプがひどすぎたせいか、300km/hの速度には、もう文句を言う気はないらしい。
「あっ、居ましたよ」
 地を這うようなライアンの恨み言をまさに耳元で聞いているくせに、彼女はやはりあっけらかんと言った。

 ──ズギャギャギャギャギャ!

「……普通に! 停まれよ!」
 豪快なドリフトの挙句にジャックナイフを完璧にキメて停止したマシンに、本来ゆったり寛げる安全運転を愛するライアンは、もう何度目になるかわからない怒鳴り声を上げた。
「しかし、せっかくですし」
「何がせっかくなんだよ」
「それより、ほら。出番ですよ、ゴールデンライアン」
 彼女が指差す先にあるものを見て、ライアンはチッと舌打ちすると、チェイサーから降りた。ふらつかなかったのは、彼のプライドのなせる技だろう。

 巨大な水の塊を纏い、港から海に飛び込もうとしている犯人の、焦った顔が見える。ライアンは舌打ちをし、なるべく近くまでそれに走り寄ると、色々なものを叩きつけるかのようにして、思いっきり地面に腕を突き立てて膝をついた。
 NEXT能力発動時の青白い光とともに、バシュン! と、腕のパーツが巨大化する。

「──どっ、どおおおおおおおおおおんッ!!」

 重力が、水の塊に直撃する。
 犯人だけに空間を作っていた水はぺしゃんこに潰れ、まるで超巨大な水風船が潰れたかのように、薄いピンク色をした大量の水が、辺りに広がった。
 そしてその水の中心で、港の地面にベッタリと張り付けられたように、犯人の男が潰れてもがいている。あの重量の水が落下してきては骨折くらいしたかもしれないが、能力者本人だ。咄嗟に水を操っていてダメージがないことも考えられるため、ライアンはそのまま能力行使を続行させた。

《おおっとォ──!! ゴールデンライアン、犯人を確保! シュテルンビルト復帰後初めての犯人確保です! ……え? まだ確保じゃない?》
 マリオが、素っ頓狂な声を出す。
《失礼しました! 現在彼の能力で行っているのは、あくまで足止め! このまま能力を途切れさせれば、あと数歩で海に飛び込まれてしまいます!》
「あっ、そうなのですか」
「そうなのですか、じゃねえよ!」
 サポート特化だからか一部リーグに不慣れであるゆえか、それともおつむが少々残念なせいか。犯人確保のルールが良くわかっていなかったホワイトアンジェラがぽかんとしていると、地面に手を付けたままのライアンが、苛立った声を上げた。
 ライアンの能力は強力だが、万能ではない。全てを押し潰し、犯人を圧死させることも不可能ではないが、そんなことをしていてはヒーローなどやっていられない。生かさず殺さず、極限状態でも完璧なコントロールで巨大な力を制御できてこそ、一流のヒーローなのだ。

 あのままだと確実に海に飛び込まれていたため、急いで能力を発動したまではいい。だがそのせいで、まさに“にっちもさっちもいかない”状態となってしまっていた。
 動けない程度、しかし意識を失わない程度に能力を抑えているので、解除してしまえば犯人はすぐに逃走してしまうだろう。

「ではえーと、あのう、そのまま、ええと、そう、ハイハイをなさってですね」
「は?」
 ライアンのこめかみに、青筋が浮かんだ。
「ハイハイです。その、まだ立てない赤ん坊がやる」
「死んでもやらねえ」
 地面を掘る犬のような動きでハイハイのジェスチャーをする彼女を視界の端にしながら、ライアンはこれ以上低い声は出ないというくらいの、それこそ地を這うような声で言った。
 重力場を保ちつつも地面にへばりついた犯人を確保するのには、確かに彼女の言う方法しかない。しかし俺様キャラで売っており、実際プライドが山より高く、黄金の獅子、何もかもがイケてるヒーローとしてセルフプロデュースを積み上げてきたライアンにとって、絶対にありえない方法でもあった。

「あ〜、やっぱ遅れを取ったか〜」
「捕まえてるじゃないですか。さすがですね」
 そしてその時、天使と比べれば安全運転で、虎と兎が到着した。
「あのう、よくわからないのですが、ここから何もできないらしくて」
「あん?」
 困った様子のホワイトアンジェラに、ワイルドタイガーが首を傾げる。バーナビーが、「ああ」と納得したような声を出した。
「ライアンは、地面に手を付けていないと能力が使えないんですよ」
「なるほど、そーゆーコトね。ん? じゃあハイハイしていきゃいいじゃねーか」
「死んでもやらねえ、とおっしゃっています」
「えー? ワガママだな」
 カッコつけてねーでもっとガムシャラになれよ、と言う彼の言葉に、バーナビーはライアンに心底同情した。

「……うーん。ハンドレッドパワーなら、あの中でも動けるんですが」
「そうなのですか?」
「ええ、前にもやったことがありますから、確かです」
 振り向いたホワイトアンジェラに、バーナビーは頷いた。
「でもまだ1時間経ってねえからなー。おーいライアン、俺らが発動させるまでそのままキープしといてくれなー。でなきゃハイハイだ」
 ロートル・ヒーローの呑気な声に、「ふっざけんなあああ!!」と、血管が切れそうな声が響く。ワイルドタイガーは、アイパッチを装着した目を細めてにやにやしていた。いつも余裕綽々で上から目線、そして実際バーナビーより更に若いのに青年実業家として誰にも頼らず稼ぎまくり、正真正銘のセレブである彼が這いつくばっているのが、相当面白いらしい。
 若いうちにカッコ悪いことも経験しといたほうがいいんだぜ、などと先輩風を吹かせている相棒に、バーナビーがため息をつく。

「……ハンドレッドパワーを使うことができれば、あの中でも動けるのですね?」

 静かな声で言ったアンジェラに、タイガー&バーナビーが振り向く。
 しかし振り向いた時には、彼女は何やらスーツの通信機能を使って、誰かと話をしているようだった。
「アポロンメディアの許可は……出ましたか。あ、アニエスさんが? ぜひやれと。はい」
「え、何? なんか嫌な予感がする」
「アンジェラ、何の話なんですか。何の許可ですか」
 何やら不穏な単語が──正しくは人名が出てくるので、ふたりは嫌な汗を流した。
「わかりました、やります」
「何が分かったんだ!?」
「何をやるんですか!?」
 身構えたふたりだが、彼女はけろりとしている。そのやり取りを聞きながら、ライアンが密かに「ざまあ」と呟く。

《──Thrones mode, deselect ! 》

 合成音声とともにチェイサーと一体化したホワイトアンジェラのスーツが変形し、元の形態になった。おおっ、とワイルドタイガーとバーナビーが、少年じみたちょっとわくわくした声を出す。
 脚が自由になった彼女はチェイサーを降り、ふたりの前に立った。
「私の能力は、私のカロリーを消費して他の方の細胞を活性化し、その結果自己治癒能力を高めたり、体力を回復させたりするものです」
 アンジェラは、淡々と言う。
「そして、それを健康な人、しかも強力なNEXT能力者に使えばどうなるか──」
「……まさか」
 バーナビーが、目を見開く。
「はい、そういうことです。すみません、直に触る必要があるので、フェイスガードを開けていただけますか? あと、立ったままだとやりにくいのでしゃがんで下さい」
「え、なに? どーいうこと?」
「いいから顔を出してしゃがんで下さい、タイガーさん」
「お? おう」
 バーナビーが即座にそうしているのもあるだろう。しゃがめばいいんだな? と、ワイルドタイガーはバーナビーに倣ってフェイスガードを上げ、アイパッチをした顔を出すと、素直に膝をついた。

「失礼します」

 そう言ってふたりの前に立ったホワイトアンジェラは、それぞれの額の部分に、左右の指先をつけた。

《──Virtues mode! 》

 無機質な合成音声がホワイトアンジェラのスーツから響き、背中辺りにある装置から、バシュウウ! と白い煙が上がる。さながら翼が生えたようにも見えたその付け根には、小さな注射器のようなものが飛び出ていた。
 跪くふたりに天使のような姿をした彼女がそんな風にする様は、まるで戦士に祝福を与える天使の宗教画のようである。ホワイトアンジェラのヒーロースーツのそこかしこについたクリアパーツが、NEXT能力を使う時の青白い光で輝く。
《カロリーヲ注入。15分以内ニ消費シテクダサイ》
「──いきます!」

 ホワイトアンジェラの身体が、強く輝く。
 そして、ワイルドタイガーとバーナビーの身体もまた、青白く輝いていた。能力を使ったわけではない。──というか、まだ使えないはずなのに、である。

「すっ……」

 触れた指先から一気に流れ込んできたその“力”に、タイガーが驚愕に目を見開く。絶句しているバーナビーも、同じ表情をしていた。
「すっ、げええええええ! 使える! 能力、使えるぞ、バニー!」
「ええ……、使えますね。これは凄い」
 元々そういう能力なのかそれとも訓練の賜物なのかはわからないが、彼らは今自分が能力を発動できる状態なのかどうか、感覚で知ることが出来る。
 そして、先程発動してから20分くらいしか経っていないはずの今、彼らは間違いなく、能力を発動できる状態にあった。
 ふう、と、ホワイトアンジェラは息をつく。
「では、よろしくお願いします」
「了解しました。──行きますよ、タイガーさん!」
「よっしゃあ、ワイルドに吠えるぜ!」

 揃って能力を発動させたふたりは、ライアンの重力場に飛び込んでいく。そして気合を入れたにしてはひどくあっけなく、タイガー&バーナビーによって、犯人は確保された。

《T&B、ホワイトアンジェラのアシストで、あっさりと犯人を確保ォオ──ッ!! なんとホワイトアンジェラ、ハンドレッドパワーの弱点である1時間のロスタイムを解消してしまいました!》

 マリオの実況とともに、視聴者の大歓声が響き渡る。アンジェラの信奉者たちが狂喜乱舞し、弱点を解消した活躍にタイガー&バーナビーのファンが、狂ったように興奮している。そして上がりまくる視聴率に、アニエスが中継車の中で高笑いをしていた。

 そしてライアンは、目の前でタイガー&バーナビーに確保される犯人を見ながら、呆然としていた。──何だこれは。

「ライアン」

 可憐な声が、降ってきた。
 ぼんやりと見上げると、白い犬耳天使が立っている。水に入っているフローラルな入浴剤の香りが、辺りに間抜けに充満していた。
「お疲れ様です」
 ──ああ、そうだ。ものすごく疲れた。こんなに疲れたことはない、と、ライアンは思った。
「あの、大丈夫ですか。回復しましょうか」
「いや……」
《おおっ、これはこれは! 先ほどタイガー&バーナビーに力を与えたホワイトアンジェラはまさに天使のごとくでしたが、ゴールデンライアンといると、王子を労う姫君のようですね!》
 マリオの無神経な解説に、ビキ、と、ライアンのこめかみに青筋が浮く。
《こ〜れはロマンティックな絵面です! 女性ファンが多いのも頷ける! 今回の過激で親密なタンデムを見て、彼らが同社ヒーローというだけではない、特別な間柄ではと思った方も多いのでは〜?》
 ひやかすような声に、ライアンの肩が、ぶるぶると震えている。アンジェラは困ったような様子で、上空のヘリとライアンをきょときょとと見比べていた。

「よーう、おふたりさん。お疲れ!」

 非常に機嫌の良さそうな様子のワイルドタイガーが、がに股の大股で近づいてきた。
「いや〜、今回は何よりアンジェラが大活躍だったな」
「ええ、本当に」
 あとからついてきたバーナビーが、頷く。
「なーなー、あの、なんだっけ、ばーちゃんずモード? っていうの、またやれるか?」
「Virtues、ですよ」
 バーナビーが、呆れたような声で言う。
「ヴァーチュース、力天使。難局にある英雄に奇跡を授け、その力を引き出す天使のことです。チェイサーと一体化していた時の“Thrones”──スローンズは座天使、炎の車輪の戦車の姿をした天使の名前ですね。いいセンスのネーミングじゃないですか」
「……ジュニア君、そういうのどっから仕入れてくんの? オタクなの?」
 白けたようなライアンの声に、「失敬な!」と、バーナビーが憤慨する。クラシックが好きだと自然と詳しくなるんです、宗教音楽とは切っても切れない関係ですから──という彼の更なる薀蓄を、全員が聞き流した。
「まあ、名前は何でもいいって。それで、あれまたやってくれるか? してくれると、おじさん超助かるんだけど」
「言い方がいやらしいですよ、“おじさん”」
「んだとぉ!?」
「使えますが……」
 ホワイトアンジェラが、申し訳無さそうに言う。どういうことだと当人たちが首を傾げたその時、タイガー&バーナビーが、揃ってがくんと膝から崩れ落ちた。

「がっ、な、な、な、何!?」
「か、身体、身体が、ぐッ……!」
「すみません。あれは力を前借りして使うような感じなのです」
 栄養ドリンクと同じですね、とホワイトアンジェラは言った。
 つまり、その時は爆発的に力が得られるが、後で強い反動が来る、ということらしい。
「二部リーグの方々に協力していただいて、様々な実験をしました。反応は色々ですが、一定時間能力が使えなくなったり、逆の力が働いたりするようです」
「逆の力ァ?」
 のたうち回るアポロンメディアのバディ・ヒーローを見ながら、しゃがみこんだままのライアンが、怪訝そうな声を出す。
「はい。二部リーグの方たちは、こんなに苦しんだりしませんでした。しかし、おふたりの能力は、ハンドレッドパワーという強力なものです。もしかしたら、タイガーさんとバーナビーさんは今、100倍ではなくて」
「……100分のイチ、とか?」
「そうかもしれません」
 なるほど、とライアンは思った。まるで赤ん坊のような力しか出せなくなるとなれば、立ってすらいられなくなっている今の状態は納得できる。

「ですのでアポロンメディアに許可を取ったのですが、“活躍できるならよし”ということで……」
 ホワイトアンジェラがスーツのコンピューターを操作し、アポロンメディアからの許可証データをふたりに送信した。いちばん下に、T&Bの直属の上司であるアレクサンダー・ロイズの、全く躊躇いのないサインが入っている。
「会社は! 俺たちを! 何だと思ってッ!」
「……社畜……、僕たちは、社畜ッ……」
 起き上がれないふたりが、悲痛な声を上げる。
「普通に休めば治ります。しかし反動の時は、私の回復も効かないのです」
 担架を呼んだほうがいいでしょうか、とホワイトアンジェラがおろおろしていると、他のヒーローたちがやってきた。そして這いつくばっている彼らを見て呆れた顔をした後、まったく出番がなかった、とテンションを低くしたロックバイソンが、事情を聞いて、ずるずるとぞんざいに引っ張っていく。

「……ざまあ」
 無様なT&Bを見て多少溜飲が下がったのか、しゃがみこんでいたライアンがやっと立ち上がった。そして、立ち上がったことでいつもどおり眼下になった華奢な姿を、じっと見る。
「お前さあ……」
「はい?」
 くりん、と首を傾げる姿は、犬耳や可憐な声も相まって、可愛らしい。可愛らしいが、同じだけくそ憎たらしい、とライアンは思った。
 それでも、みっともないことが何より嫌いなライアンは色々なものを抑えこみ、はあ、と息をつく。
「……まあ、一応、礼は言っとく」
 散々だったが、ホワイトアンジェラの護衛という、ほぼ突っ立っているだけの仕事よりはマシだった。──多分。

 世にもひどいタンデム、いやロデオではあったが、能力を使いながら疾走するのはいい気分だった。最後はいまいちキマらなかった上に犯人確保をタイガー&バーナビーに取られたものの、無様な姿を見られたのでよしとしよう、とライアンは折り合いをつけた。
「あんたがあのふたりをけしかけなきゃ、間抜けに這いつくばったまま30分以上あのままだったたしな」
 もちろん、ハイハイなどもっての外だ。
「……さっきは、お前、とおっしゃっていたのに」
「あん?」
「いいえ、なんでもありません」
 どこか残念そうな声を出したようなホワイトアンジェラは、ふるふると首を振る。
「気にしないで下さい。……それと」
 ホワイトアンジェラはてくてくとチェイサーのほうに歩き出しつつ、やはり淡々と言った。

「ゴールデンライアンは、這いつくばっていても格好いいと思います」
「は?」

 思ってもみないことを言われたライアンは、ぽかんと口を開けて立ち尽くす。
 どういう意味だ、と問いかけるより先に、アスクレピオスのポーターがギャリギャリと音を立てて到着し、「アンジェラアアアアア!! 素晴らしいライディングでしたああああ!!」と興奮しきったスローンズのメカニックたちが飛び出してきたため、ライアンの問いかけは宙に消えた。



 スローンズのメカニックたちとエンジェルチェイサーの話をしているホワイトアンジェラを放って、ライアンはポーターの中に乗り込む。
 なんだか久々にひとりになった感じがして、ライアンはソファに深く腰掛け、長い息を吐いた。男女ということもありパーテーションで分けられてはいるが、ポーターまで同じというのがやっていられない。そのぶん他のヒーローのポーターより大きいし、色々な装備を運ぶためのカーゴ・ポーターが、もう1台いるが。

(疲れた……)

 前にシュテルンビルトにいた時は、こんなに疲れたりしなかった。
 仕事の内容は今回よりもよほどハードだったはずなのに、バーナビーとのコンビはとても楽だったように思う。プライベートで付き合いができるようになった今でも、それはあまり変わっていない。あの年上のお坊ちゃんは、多少面倒くさい性格ではあるが必要以上に常識がある、つまりくそ真面目でわかりやすいので、結局付き合いやすい。
 ──そう、わかりやすいのだ。
 次に何をするか、何を言うか。今何を思っているのか、バーナビーに限らず、誰に対しても、ライアンは手に取るようにわかった。その内容が快不快にかかわらず、だ。

 その黄金のコミュニケーション能力と人を従わせるカリスマ性から、ライアンは、いつも思い通りにしてきた。
 他人はだいたいライアンの予想通りに動いたし、対人関係で悩んだことは一度もない。気に入らない奴は波風立たないように上手く切り捨ててきたし、そうでなければあえて切り捨てられるように動くことも、動かすことも、お手のものだった。
 だからバーナビーと組んだ時も、ライアンは、彼に合わせて動けばそれでよかった。あいつはああ動くだろうから、ならば自分はこうすればうまくいく。ライアンは俺様キャラで実際そうだが、人に合わせるのが実に上手い。そしてそれがベストなやり方だった。
 しかし、あの女、アンジェラ──ガブリエラはどうだ。

(──何だ、アイツ)

 全然読めねえ、とライアンは混乱していた。
 枝のように細いくせに巨大なチェイサーを豪快すぎるほどに乗り回し、可愛らしい声でとんでもないことをさらりと言ってのける。
 何が聖女だ、何が天使だ。聖女は対向車線を300km/hでかっ飛ばして身体が削れそうなドリフトをキメたりしないし、天使は赤ん坊のように這って犯人を捕まえろと容赦の欠片もないことなど言わないはずだと、ライアンはぎりぎりと歯を食いしばる。

 あの痩せっぽちの女が次に何をやらかすのか、ライアンにはもう、さっぱりわからない。だからといってまた彼女の後ろで木偶の坊のように立ち尽くし、着せ替え人形のボーイフレンドのように扱われるのも真っ平だった。
(癪だが、ちょっと近付いてみるか)
 セットで仕事をするようになってから半月以上経つが、ガブリエラとプライベートな会話をしたことは、殆ど無い。
 上手く仕事をするためとはいえプライベートを犠牲にするのは非常に不本意だが、それは自分がまだまだ未熟なせいだということで、甘んじて耐えるしかあるまい。
 それに、自分はデキる男だ。いちどこなせばもうヘマをやることはない、とライアンは割り切り、ヒーロースーツを脱いでアンダースーツ姿になると、再度ソファに深く身を沈め、目を閉じた。



 そして数分後戻ってきたガブリエラは、ヒーロースーツの外装を解除し、アンダースーツにブルゾンを羽織った姿になった。そして、ポーターのソファで熟睡しているライアンにくるりと目を丸くする。しばらく眺めていたがやがてそろそろと近づき、隣に静かに腰を下ろした。
 ガブリエラの倍ほど重いライアンの隣に座ったところで、上等なソファはふんわりと沈むだけで、全くもって揺れもしない。

 背凭れに身を預け、首を傾けて眠るライアンは、いつもの猛獣じみて挑戦的な金の目が閉じられているせいで、ただただその端正さが目立つ。
 最近は売り方のせいで王子や騎士と呼ばれることが多いが、それにしては甘さのないルックスであるし、騎士らしい、愚直なほどの真っ直ぐさには欠ける。やはり王子様といえばバーナビーのほうがそれらしいし、騎士といえばスカイハイのほうが似合う。
(きらきら)
 量の多い金色の髪は、ライオンの鬣に似ている。目も同じように金色で強い輝きを宿しているのを、ガブリエラは知っている。彼のその輝きに、ガブリエラは目を細めた。

 ガブリエラには、実際に目にすれば、その人物の本質がなんとなくわかるという特技がある。特ににおいを嗅げば、完全にわかる、と言いきれるほどには自信もある。
 この人はいい人、普通の人、おかしな人。そんなことがわかるおかげで、頭が悪く語彙が少ないながら、ガブリエラはあまり人に悪印象を抱かせず、陸の孤島の僻地でも、この大都会ででも、潰されることなく生き残ってこれた。

 ──しかし、ライアンのことは、さっぱりわからなかった。

 俺様キャラは作ってもいるだろうが、根拠のある自信に基づいた素でもある。優しい人だとも思うし、頑固で、信念に溢れているとも思う。物知りで頭が良く、機転も利く。いつも髪がきまっていて、おしゃれにこだわる。しかし妙に子供っぽいところもあり、くだらないジョークで大笑いすることもあるようだ。
 彼の持つ色々なものはどれもきらきらしていて、ガブリエラは目が眩むような心地になり、本質を見つけることができない。
 そして何より彼から発されている、くらくらと酩酊させられるような、つい引き寄せられてふらふらとついていってしまうような、得体の知れないほどの良いにおい。そのせいで常にうっとりぼんやり、あるいは興奮してテンションを上げているうちに余計なことを言ったりやったりしてしまい、結果的に、いつも彼をイライラさせてしまっている。

 こんなことは、初めてだった。

「──ふふ」

 そしてガブリエラは、それが決して不快ではない。

 自分は天使と呼ばれるが、ライアンのほうがよほど天使らしい、とガブリエラは思う。
 一般的に天使とは優しく慈悲深い天の御遣いというイメージらしいが、生まれた時から聖書を読み聞かされ、現実を捨てて神話の世界に入り込んでいる母と暮らしてきたガブリエラにとって、天使とは、そのようにふわふわした存在ではない。
 時に神の威光を知らしめるため炎を纏って飛び、稲妻を落とし、目が潰れるような光を纏い天罰を下し、処女に神の子を降ろし、終末の音色を響かせる、それが天使というものだ。

 それに、ガブリエラの故郷には、天使に関わる特別な信仰があった。

 女神から遣わされる、偉大なる天使。
 黄金の光を纏う天使が、選ばれし者だけを新たなる星に導く。

 十字を切って祈りを捧げれば、その中心に星が生まれる。天使は愛をもって善行を積んだ者だけに翼を与え星に導き、地上に残る愚か者の手足を黄金の光で焼き尽くし、地を這う蛇に変えてしまうのだと。
 だからこそ敬虔な母は、ガブリエラに善行を強要した。天使が迎えに来た時、遠く輝く星に到るために。

 埋まった列車から救助され、朦朧とした世界で彼の輝きを目にした時、ガブリエラは本気で、天使が迎えに来たのかと思った。人智の及ばぬ、絶対的な、目の潰れるような輝きの持ち主。
 残酷で、強大で、それでいて美しいその姿は、巨大な猛獣にも似ている。ゴールデンライアンのシンボルとして翼の生えた黄金の獅子のデザインを見た時、なんてぴったりなのだろう、と感心したものだ。

 何もかもを平伏させるような強い光を宿し、己を見下ろす黄金の目を思い出しながら、ガブリエラは少し伸びた赤い髪を耳にかけ、灰色の目を細めた。
 ガブリエラは指先でふんわりと青白く輝く力、僅かに余ったカロリーを、ライアンの目元にかざす。
 眉間の皺が少し薄れたのを見てガブリエラは微笑むと、自分もまた、心地よい疲労に身を任せて目を閉じた。
その頃のシュテルンちゃんねる:#014〜015
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BY 餡子郎
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