#014
「きゃあ、ホワイトアンジェラ!」
「天使が来たぞ! ああ、もう安心だ!」
「アンジェラちゃーん!」

 白い天使の登場に、怪我人も、そうでない人々も熱狂する。
 しかしその声援に応えることもなく救急車の側に直行するホワイトアンジェラの後ろで、ヒーロースーツを纏ったライアンは、フェイスガードの下で顔をひきつらせた。

 世界初のサポート特化型ヒーローとしてホワイトアンジェラが再デビューしたその日、ライアンもまた、再びシュテルンビルトで活躍するヒーローとして紹介された。
 そして約束通り、ヒーロー事業部のアドバイザーも兼任することが発表されたおかげで、ヒーロー業界の青年実業家としてのインタビュー取材が殺到している。

 しかし、新しいキャリアが華々しくスタートした反面、ヒーローとしては正直パッとしない、というのが正直なところだった。
 シュテルンビルトでは出戻りであり新鮮味が薄く、しかもホワイトアンジェラの護衛として認識されているヒーロー・ゴールデンライアンの注目度は、悪くはない。度重なる活躍で、信頼も期待もされている。
 だがライアンの能力は、派手な事件の中心にいてこそ真に輝くものである。常に怪我人のところに直行するアンジェラと行動すれば、すなわち見せ場はゼロ。稼いだポイントは、人命救助による細々したものだけだ。
 とはいえ、ホワイトアンジェラの一部参入で人命救助による獲得ポイントがかなり見直されたので、最下位というわけではないのだが。

 天使だ聖女だと拝み倒されんばかりのホワイトアンジェラの後ろに立っているだけで、「アンジェラを守ってくれている」だの、「王子様のようだわ。素敵」「ゴールデンライアンなら安心だ」と印象は決して悪くないが、どれもこれも、ホワイトアンジェラありきの評価である。
 楽な仕事は嫌いではないが、自分が中心でない仕事は好きではないライアンは、いつも不完全燃焼な気分だった。

「大丈夫ですか。他に怪我をした方はいませんか?」
「もう大丈夫です、アンジェラ!」
「ありがとう、アンジェラ!」
 医療スタッフ、怪我を治した一般人、その他大勢から拝み倒されんばかりのホワイトアンジェラの口元が笑みを作る。
 薄い唇の隙間から見える歯は、一部リーグデビュー前に綺麗に矯正され、白くつやつやしていた。以前に続き口元しか見えないデザインのヒーロースーツを用いるにあたり、注目されやすい口元が清潔感に欠けていてはいけない、という当然の理由だった。
 肉体の一部を一時軟体化させるNEXT歯科医が担当した歯列矯正手術により、彼女の歯列はものの数時間で整えられ、ついでにホワイトニングも施されて完璧になった。本来なら長い時間と痛みを伴う歯列矯正が日帰りで完了するこの医師の施術は大人気で予約を取ることすら難しいのだが、彼はアスクレピオスが抱える医師であり、費用もアスクレピオスが請け負った。

 顔出しは、しないことになった。
 あまりに有用な能力者は、誘拐の危険性もある。しかも彼女は女性であり、ブルーローズやドラゴンキッドのような戦闘能力もない。もし能力を悪用された場合の被害を考えて、ホワイトアンジェラの正体は秘密にされることになったのだった。

 そんなホワイトアンジェラの新ヒーロースーツは、アスクレピオスの持てる技術すべてが惜しみなく注ぎ込まれた。

 女性ヒーローとしては珍しい、ライアンたち男性ヒーローのようなフル装甲タイプのスーツ。彼女の能力の特性上飲食の機会があるため口元だけは開けられているが、その他で肌が露出しているところは一切ない。
 全体的な色は、二部リーグ時代と同じく白。差し色に明るい金色とクリアパーツの水色が使われている。濃い金色とディープなブルーを基調に白の差し色となっているゴールデンライアンとは、真逆でありつつ並ぶとセットにも見えるカラーリングだ。

 素材もアスクレピオス独自のものがふんだんに使われており、防火・防弾機能はもちろん、暑い時も寒い時も体温を一定に保つ。
 また怪我をした市民に接するという役目の上で、主に上半身部分にはアスクレピオスが開発した介護用スーツの技術が応用された。例えばアームはかなり大きく平べったいフォルムになっていて、華奢な彼女でも怪我人を安定して運べるパワードがついており、内側には怪我人の頭部をぐらつかせず支えられるクッションがついている。スポンサーのロゴは、この手の甲側の広いスペースにプリントされた。
 一般的な介護用スーツはかさばったフォルムのいかついものだが、アンジェラのそれはアスクレピオスの技術を惜しみなく使った超薄型に仕上がっており、彼女の華奢なシルエットを損なわず、怪我人に威圧感も与えない。
 ヘッド部分は超高性能コンピュータと通信機、カメラが仕込まれ、装着者本人から見るとカロリーの残量や怪我人のスキャン結果を示すディスプレイになっていた。しつこくない程度に腕や脚などに水色のクリアパーツがあしらわれ、ライアンのスーツのように、能力発動中は発光する仕様だ。

 このように基本的には機能重視でデザインされているのだが、遊びもある。最大のチャームポイントは、二部リーグ時代もあった、頭部でぴんと先の尖った犬耳パーツ。そして、腰の後ろから下がるもふもふの尻尾。
 犬をモチーフとしたデザインは、二部リーグ時代の会社の微妙なマスコット“マッチョ君”由来のものだったが、印象的でかわいらしく、また他のヒーローともキャラがかぶらないと判断され、むしろ強調する方向で採用された。
 脚の装甲のデザインにもそれは反映されていて、四足の獣の後ろ足や鳥を思わせる、非人間的なフォルムになっている。また犬のイメージを際立たせることで、怪我人を安定して支えるためのアームパーツ内側のクッション部分が肉球のように見えるという効果も発揮された。
 顔が見えない上に人間味の感じられないデザインだが、人間のパートナーのイメージが強く親しみやすい犬というモチーフを取り入れたことでむしろ近寄り難さはなく、またその手のデザインが好きな一定層に絶賛を受けた。
 犬耳がついたわかりやすいデザインは、小さな子供や女性がするコスプレも人気が出始めている。

 他のヒーローと同じようにシンボルマークもデザインされたが、もちろんこれも、鼻の高い狼犬のデザインだ。ゴールデンライアンのライオンデザインのマークと並べた時にバランスが取れるよう、同じく横顔のデザインになった。

 スーツだけでなく、本人もまたアスクレピオスの技術力を持って徹底的に能力を解析されたのだが、その結果、彼女は常に“ケルビム”と呼ばれるアスクレピオスのホワイトアンジェラ専用医師チームと通信が取れ、視界を共有するシステムをスーツに搭載されることになった。
 最新鋭技術によるスキャン装置も搭載され、それによって怪我人をスキャン。ケルビムの医師たちがそれを即座に診断し、どこに能力を使えばいいのか指示する、という仕組みだ。
 これによって医療ミスのような事態は防ぐことができるし、遠隔とはいえ専門医がきちんと診断することによって、かつて行っていた録音やサインなどの法的手続きは省略され、どんどん怪我人を治すことができるようになった。

 さらに、ガブリエラ本人のカロリー残量も常にチェックされ、プライベートから厳重な健康管理が行われている。ヒーロー活動時以外でも、どれだけカロリーを摂取したか記録するための腕時計型の端末を、肌身離さず所持していた。
 今から摂取する食事をスキャンし、摂取カロリーや栄養素をはじき出し、データベースで管理する。しかも、これは機能をシェイプしたものが“エンジェルウォッチ”という名前で一般にも売り出され、女性やダイエッター、スポーツ愛好者を中心に爆発的に売れている。現在はシュテルンビルトでしか販売していないため、ネット通販は常に品切れ状態だ。
 特に、新ヒーロースーツを思わせる限定デザインのホワイトアンジェラモデルは、限定なのもあり凄まじい競争率で、5分でネット予約の規定数に達した。

 対して、ゴールデンライアンは?
 ヒーローカードの売れ行きは、なかなかだ。
 ただし、ホワイトアンジェラとセットで。

 ゴールドとホワイト、獅子と天使。強くてかっこいいゴージャスな王子様と、わんわんデザインを取り入れたかわいい聖女という組み合わせは、なかなかウケている。
 特に女性ファンが多く、またヒーローに最も興味が薄いとされる、低年齢の少女からの支持が高いのが特徴だ。今までゴールデンライアンは成人女性のファンか男性ファンが多かったが、最近は小さな女の子に「王子様」とか「騎士様」と、うっとりした目で見られることが増えた。
 バーナビーも王子様キャラであるし老若問わず女性ファンが多いが、隣にいるのが中年の壊し屋か癒しのお姫様かというあたりで、差異が出たらしい。また元々のライアンの二つ名が“さすらいの重力王子”であったこともあり、今シュテルンビルトで「王子様」といえば、バーナビーではなく、ライアンのことを指すようになっている。

 この現状に、雇い主のダニエルもスポンサーも、上機嫌だ。
 ついでに言えば、「ヒーローより、王子様とお姫様がいい」と言って父のダニエルを困らせたらしい、ダニエルの娘も上機嫌だ。ふたりをそういうテイストで売っていくことを決めたのはダニエルだが、彼女の発言が背景にあったようだ。
 まだ小学校にも上がっていない彼女はホワイトアンジェラとゴールデンライアンを非常に気に入り、グッズを買い揃えてもらってご機嫌だ。父親としての株が上がったダニエルは、それに輪をかけてご機嫌である。

 こうして、ホワイトアンジェラの人気はどんどん上がっているし、ゴールデンライアンも、添え物には収まらない人気を博している。しかも、今までヒーローに興味がなかった層まで新規開拓してもいる。

 ──まあ、いい。それはいい。悪くない。
 しかしライアンがやはり気に入らないのは、やはり、これが全てホワイトアンジェラありきの人気であることだ。
 ダニエルの娘も基本的にホワイトアンジェラが好きで、ゴールデンライアンは添え物くらいにしか思っていない。多くの少女が、着せ替え人形のボーイフレンドを添え物扱いしているのと同じように。

 アドバイザーの権限を使い、SPに彼女を任せて最前線に出ることが出来ないわけではない。しかし、お姫様と王子様イメージのセット売でここまで上手くいっている中、王子様がお姫様を放って剣を持って戦いに出ても、ふたりの主なファンである少女たちは喜ばないどころか、幻滅するだろう。
 夢見がちな女の理想の王子様は、スポーツ観戦だの仕事の付き合いだの、ましてやヒーローとして活躍するためにお姫様を置いて行ったりしないものだと、仕事もプライベートもデキる男であるライアンはよくわかっていた。──同時に、クソ食らえだ、と世の多くの男性と同じように思いながら。

 オーディエンスから絶大な支持を受け、そしてその活動によって、人命救助ポイントだけでランキング6位に上り詰めているホワイトアンジェラの後ろ姿を見ながら、ランキング7位に甘んじているライアンは、苛々とした気持ちを持て余した。







《──おおーっと、ドラゴンキッドの電撃は効かないようだ! 彼女をかばって折紙サイクロンが大転倒──ッ!》

 名物アナウンサー・マリオの実況が冴え渡る中、その実況通り、電撃が効かずに一瞬立ち尽くした彼女をかばった折紙サイクロンが、彼女を抱き込んだ状態で離脱。しかし受け身が取れずに派手に転倒した。
「折紙さん、ありがとう! 大丈夫!?」
「大事ないでござる! キッド殿は!」
「ボクも平気!」
 本当に平気そうにピンピンしているドラゴンキッドに、折紙サイクロンは、マスクの下でほっと息をついた。
「それにしても……電撃がダメなら、ボク、今回は見せ場ないかも」
「拙者も、これはどうも……」
 ふたりが対峙するのは、常に不定形に姿を変える、透明な緑の物体である。

 今回の事件は、違法薬物を運搬しようとしていた運び屋の摘発に端を発する。
 本来は警察の仕事であり、彼らもそのまま犯人を確保しようとしていたが、この運び屋がNEXTであった。その能力は、『自分が色を付けた水を自由に操る』こと。
 水の汎用性は、高い。どこにでもあり、どこにでも入り込む。クッションにもなり、防御にもなり、ものを取り込んで運ぶこともでき、生き物を包み込めば窒息させることもできる。その能力を使い本人は様々な犯罪を犯してきており、国際指名手配もされている。
 川岸での受け渡しの際、警察の存在に気付いた彼は川の水にありったけの絵の具を撒き散らかし、逃亡を図った。そしてさながらスライムのモンスターと化した水は警官たちに襲いかかり、その救助と、逃げた犯人の確保のため、ヒーローたちに召集がかかったのだ。

 水という性質上、明らかに有効なのはブルーローズによる凍結、ファイヤーエンブレムによる蒸発、あとはスカイハイによって飛沫になるまで崩して飛散させること、である。
 しかしシュテルンビルトは海と川に囲まれた街であり、色水は他の水と混ざり、どんどん増殖する。色が薄まれば支配も薄れることは判明したが、それでもキリがないということには変わりないし、逃亡中に着色ができるものを確保されては、イタチごっこもいいところだ。
 また生き物のように動きはするが実際はただの水でしかないため、打撃は効かない。しかも一般人を取り込まれ人質にされれば、凍らせることも蒸発させることもできなくなる。
 二部ヒーローであり、水中で息ができるNEXTのボンベマンが今回まさに水を得た魚のように活躍し、水の塊に飛び込んでは人々を救出し続けているが、彼ひとりでは出来ることにも限りがある。
「きりがない! そしてきりがないぞ!」
 上空ではスカイハイが、捲き上げた水を海に広くばらまいて薄めている。ここまでしないと、色水は動かなくならないのだ。

「あーッ、もー! どうしようもねえじゃねえか!」
「喚いてねーで、仕事しろバイソン! ──だっ! もームリ! 発動ォ!!」
「タイガーさん! ──くそっ!」
 巨大な水の塊が伸し掛かり、ビルを倒そうとしているのを、ロックバイソンとタイガー&バーナビーが支えている。この“重量”という点も、水の厄介なところだ。
 1リットルで1キログラム、とは誰もが小学校で習う常識だが、一般家庭の小さめの浴槽でも、200リットルは水が入る。今回犯人が絵の具をぶちまけた水が一体バスタブ何杯分になるのか、考えたくもないことだった。

 耐え切れずにハンドレッドパワーの能力を発動させたワイルドタイガーに続き、バーナビーも同じ能力を発動させる。
 全ての身体能力を100倍にするハンドレッドパワーなら、伸し掛かる水の重量を支えるばかりか、水に包まれても、100倍になった心肺能力で、ある程度はなんとかなる。──とはいえ、1分しか能力が保たないワイルドタイガーにとっては、素で息が止められる秒数を考えれば、僅かなものであるが。
 そして能力的に、まったくもって何もできないばかりか、空洞の多いヒーロースーツに水が侵入しては本当に命に関わるロックバイソンは、さっさと離脱し、市民の避難誘導に務めることにした。
《ロックバイソン、市民を救助! ポイントが入ります!》
「いやあ、この新規定、ほんと助かるぜ……」
 ふー、と息をつきながら汗を拭うような仕草をするロックバイソンのはるか遠くから、ワイルドタイガーの「ずりーぞ、牛ィイイ!!」という雄叫びと、「もうすぐ1分ですよ!」という、バーナビーのヒステリックな声が聞こえた。






「チッ」

 フェイスガードの下で、システムから送信されたHERO TVの映像を見たライアンは、舌打ちをした。
「怪我をした人はいませんか?」
「いえ、皆無ではありませんが、軽傷ばかりです。窒息を起こす前にボンベマンが救助をしてくれていますし、水なので、我々でも火炎放射器や液体窒素噴射である程度はなんとかなります」
 ホワイトアンジェラに尋ねられた医療スタッフや警官たちは、きびきびと答えた。
「そうですか。──ライアン」
「あ?」
「あなたなら、なんとかできますか」
 淡々とそう問われ、ライアンは怪訝な顔をした。

「……あったりまえだろ」

 しかし次いで、不敵に笑う。フェイスガードのせいで、その表情は誰にも見られることはなかったが。そしてホワイトアンジェラも、顔の見えないスーツのせいで、どういう表情でそう言ったのかは全くわからなかった。
「そうですか。──すみません、持ってきて頂けますか」
 ピピ、という通信音と、彼女のメットのディスプレイに何らかの文字列が走ったのが見えた。何してんだ、とライアンが問うより早く、救急車に似たデザインの、ホワイトアンジェラのポーターが到着した。
「──アンジェラ! やっと出番ですか!」
「仕上がっていますか?」
「もっちろんです!」
 飛び出してきたのは、医療スタッフ──ではない。“Thrones team”という天使の羽のデザインロゴの入った作業着やジャンパーを着た、いかにもメカニックといった風なスタッフたちだ。
 彼らは得意げに輝く笑顔で、ポーターから何かを運び出してきた。

「ワォ。素敵」

 ホワイトアンジェラが、やや弾んだ声を出した。
 彼らが運び出してきたのは、流線型のシルエットが優美な、鼻の高い、白い狼犬のロボットかオブジェのようにも見える、超大型バイクだった。色は彼女のヒーロースーツと同じ白、差し色に金色と水色。つまり、見るからにホワイトアンジェラ専用とわかる代物。
「ナニコレ」
「エンジェルチェイサーだ!」
 ──らしい。得意満面のメカニックによれば。
「って、計器も何もねえじゃん」
 その独特な形状のどこにも、メーターなどの計器類が見当たらない。ライアンが首を傾げていると、ホワイトアンジェラが小走りにそのマシンに駆け寄り、ひらりと跨る。ひどく慣れた動き、と思ったのも一瞬。

《──Thrones mode!!》

 彼女がなにか操作すると同時に、ホワイトアンジェラのヒーロースーツから機械音声が響く。そして、スーツが変化した。
 メットが変形してコンパクトになり、犬耳のパーツが後ろに倒れる。シート部分に身体全体が沈み、腕や脚のパーツはほとんど丸ごとチェイサーに組み込まれ、それによってホワイトアンジェラとチェイサーの全体がつるりとした流線型のフォルムに変形したのだ。
 ホワイトアンジェラがチェイサーに跨っているというよりは、彼女自身がチェイサーと一体化したようなスタイル。そして、流線型のそれはいかにもスピードが出そうだ。
「うおお、変形した。……ちょっと燃えるな」
 ライアンがぼそりと言うと、すぐ近くに立っていたメカニックが、うんうんと深く頷いた。
「計器はアンジェラのスーツ内ディスプレイに出るようになってます」
 先程のライアンの疑問に、他のメカニックが答えた。つまり、ホワイトアンジェラでないと乗れない。本当に専用機というわけだ。

 彼女がバイク乗りであることは、ライアンも知っている。ヒーロースーツや装備に関する要望がほとんどなかった彼女が唯一強く希望したのが、T&Bやブルーローズ、あるいはファイヤーエンブレムのようなチェイサーを持ちたい、というものであり、それを叶えるためのチーム、“スローンズ”が発足されたことも。
 しかしアスクレピオスヒーロー事業部の初期投資分配はライアンの仕事ではなかったうえ、彼女に極力関わらないようにしていた彼は、書類上でしかその内容を知らなかった。ここまで本格的なものを作っていたとは、とライアンはぽかんとする。

「乗ってください、ライアン」
「……は?」
 言われた意味が、わからなかった。
 ライアンがぽかんとしていると、アンジェラはもたつきの欠片もなく、キュン! と小回りを利かせて、巨大チェイサーを彼の真横につけた。
「乗ってください。現場に出ます」
「マジかよ」
「まじ、です」
「あんた、こんなでけえマシン運転できんの?」
 彼女は普段からバイクを愛用し、それで出勤もしている。また二部リーグ時代、彼女が現場に駆けつけるときに自らバイクを駆っていたことは、ライアンも資料で知っていた。そしてトランスポーターがいないにもかかわらず、その腕とスピード故に、死者を出す前に怪我人のところに辿りつけていたということも。
 しかし彼女の愛車は、女性でもなんとか動かせる中型だ。このエンジェルチェイサーとやらは、大の男でも扱いが難しいだろう、タイガー&バーナビーのロンリーチェイサーよりもやや大きいのではないか、と思うような超大型である。
「素では、無理でしょう。しかしスーツにパワードがついていますし、テスト走行も──」
「なるほどね。コケても大丈夫なわけだ」
「──コケません」
 ライアンは肩をすくめ、まるで何も期待していない様子で、シートに軽く跨る。マシンに跨るというよりは、マシンになった彼女に跨るようなスタイルだ。しかし超大型のチェイサーのサイズ感は、ライアンが跨るには割とちょうど良い感じだった。
 彼が座ったのを確認したホワイトアンジェラは、マシンに埋め込まれたような状態から、更に前傾姿勢を取った。ライアンの腰の前に、もふもふの尻尾が収納されてよく見えるようになった彼女の尻が突き出されている。
 超薄型のスーツに包まれた尻は少年のように小さいが、とても形が良いのがよく分かる。ライアンは少しだけ、なかなかいい眺めだと思った。──少しだけだ。

「しっかりと掴まっていてください。急ぎます」
「あっそう、って、っうおおおおおお!?」

 宣言通りアクセル全開で初動からかっ飛ばしたアンジェラに、ライアンは慌てて、チェイサーと一体化した彼女に覆い被さるようにしてしがみついた。



《タイガー&バーナビー、能力切れです! 唯一対抗できるブルーローズ、ファイヤーエンブレム、スカイハイはそれぞれバラバラ! 犯人は水の装甲を纏い、海に向かっています!》

 マリオの実況が響く。
 この水を操る犯人は、水族館の巨大水槽もかくやというような量の水に、スーパーマーケットの倉庫で手に入れた色付きの入浴剤を在庫いっぱいぶちまけたものを纏い、移動していた。自分の周りだけは空気を纏い、定期的に入れ替えている。そして大量の水は銃弾の勢いを殺し、火に炙られてもすぐに他の水を取り込み、凍らせても表面が固まるだけ。嵐のような風も、水面をさざめかせるだけだった。
 操る水にあまりスピードがないのは明らかなので、ここまで大量の水ともなれば、ゆっくりとしか動けないらしい。しかしどんな攻撃をも物ともしない彼は、悠々と徒歩で海に向かっていた。
《あの状態で海に入られてしまえば、もう追うことはできません! むざむざ犯人を逃がしてしまうのか──、……おや、あれは!?》
 カメラが動き、ブロンズステージのごちゃごちゃした道を映す。上空から捉えられたその姿を見たアニエスが「切り替えて!」と鋭く命令し、スイッチャーのメアリーが、コンマ1秒で指示通りにした。

《──なんとぉおおーッ!! ゴールデンライアン! いや、しかし、運転しているのは──あれはホワイトアンジェラかあ!? 何やらチェイサーと一体化したようなスタイルの上、彼の下にいて見えにくいですが、確かにホワイトアンジェラです!》

 マリオの雄叫びに、視聴者たちがざわめき、次いで歓声を上げる。爆発的に上がる視聴率に、アニエスがぎらぎら輝く目をしてガッツポーズをキメた。

《デビュー以来、人命救助に徹していた彼女が、ゴールデンライアンとともに現場に直行しています! しかし癒やしの力を持つ彼女に、何が出来るのかッ!?》
「俺がいるっつーの、って、うおおッ!?」
 相変わらずホワイトアンジェラばかりに言及するメディアにぼやいていると、狭い高架に頭をぶつけそうになったライアンは、慌てて車体、いやホワイトアンジェラの背中にへばりついた。
「伏せておいてください」
「早く言えよ! ……っていうか、お前! 運転!」
「何ですか」
「荒い!」
 ビュンビュン過ぎていく風の中、ライアンは怒鳴った。ライアンからは全く計器類が見えないので詳細は不明だが、初っ端軽く100km/hは出したと思われる彼女は今、少なくとも200km/hは超える速度でかっ飛ばしている。
 そればかりか、細い路地をかっ飛ばすまではまだしも、小型車しか通れない小さなトンネルをスライディングで無理やり通るわ、車と車の間を縫うようにしかも速度を落とさず駆け抜けるわ、果ては陸橋の階段を力技で昇降して渡るなど、無茶苦茶をし続けているのだ。
 コケません、と宣言したとおり、いちども転倒していない。というか、いちどでも転倒したら、どんな衝撃からも身を守ってくれるヒーロースーツを着ていてもどうなることやら、という状態である。

「近道なのです」

 しかし彼女といえば、けろりとしたものだった。
「しかし、ブロンズステージ限定です。シルバーステージは少しだけ。ゴールドはほとんどわかりません」
「呑気にお喋りしてる場合か!」
 前活動時、なるべく早く現場にたどり着くために、あらゆる近道はタクシー運転手より知っている──と前に話しているのを話半分に聞いたことがあったが、それはそうだろう。こんなところを通るタクシーなどいない。いてたまるか、とライアンは悪態をついた。

「おっまえ、人だけは轢くなよ!?」
「大丈夫ですよ」
「何その自信!?」
 堂々としている彼女に、ライアンががなりたてる。
「このチェイサーは、特別製です」
「あ!?」
「私の能力は、患部に直接手を翳さなければ使えません。せいぜい布越し、手袋くらいが限界です。しかし今回のスーツは、フル装甲。ですのでアスクレピオスの研究所で開発された、NEXT能力を100パーセント通す素材を使って頂いています」
 確かに、彼女は指先まで装甲で覆われたスーツを纏ったまま、能力を使っている。
「このチェイサーもそうです」
「何が!?」
「ですので、私の能力を完全に通します。発動していれば、轢かれたらむしろ元気に」
「えっマジで」
「なるんでしょうか。試すわけにもいかないですし」
「ふっざけんなよ! って、クッソオオオオオオ!!」
 そんなやり取りをしつつも、チェイサーは幅ぎりぎりの細い道を走り、鉄柱を駆け上がり、ビルとビルの間を文字通り飛んだ。「上なら誰も轢きませんよ」と朗らかな彼女の可愛らしい声が、心底憎たらしい。

《す、凄まじいライディングテクニックです! ホワイトアンジェラ、意外な特技の持ち主でした!》

 驚愕を顕にしたマリオの実況通り、彼女の運転技術が凄まじいものであることは、ライアンも嫌でも理解できた。
 じっくり観察してはいないが、跨る前に見たエンジェルチェイサーは、一見すると二輪のマシンだが、よく見ると左右のタイヤを重ねた形状で、厳密には四輪、しかも四駆。不整地を含む様々な地形を進むこともできる、軍隊でも用いられるタイプのマシンだ。
 彼女はその四輪をバラバラに、そして繊細に操作することで、まるで野生の獣が縦横無尽に駆ける様子を思わせる、柔軟かつダイナミックな、まるでマシンが生きているような動きを可能にしているのだ。──しかも、この速度を維持しながら。
 その仕組みだけでも、このマシンを運転する難易度が相当に高いことはどんな馬鹿でもわかる。コンピューター制御ももちろんついているだろうが、すべてがそれならむしろもっと安全運転になるはずだ。

 そしてそれに乗っているライアンとしては、たまったものではない。
 二輪なら基本的に左右の体重移動のみでどうにかなるが、前後左右、更に彼女の運転により上下の動きが加わった三次元の動きを可能とするこのチェイサーではそうはいかない。マシンにタンデムしているというよりは彼女が化身した暴れ馬に乗っているような状態は、超高速でのロデオと言っていいとんでもないものだ。
 コケるなよと彼女に言った手前意地でも言わないが、実のところライアンは、彼女から振り落とされないようにするのが精一杯だった。

《ああっ、しかしここで水のモンスターがふたりの前に立ちはだかった──ッ!!》

 通信を通さなくても、上空のヘリからのマリオの実況はもうよく聞こえる。
 そして彼の実況に知らされずとも、海に続く比較的大きな道路に飛び出したライアンは、自分たちの周囲の状況をすぐ把握した。
「おい、おい、おい。どうすんだアレ」
 市民の避難が終わり、誰も居ない道路の上。色とりどりの水の塊、ファンタジーゲームに出てくるスライムのようなものが、ごぼごぼと音を立てながら、こちらに向かって動いている。
 大きさは乗用車くらいあるものから小さい家くらいのものまで様々だが、どちらにしろ、あれに覆い被されれば窒息は免れない。チェイサーのスピードである程度振りきれるかもしれないが、あくまである程度である。いくつものパトカーが水に特攻し、最初こそ良かったものの、纏わりついた水がどんどん増し、すぐに絡めとられてしまった場面が既にカメラに収められている。

「ライアン、能力を使ってください」
「はァ!?」
「さきほど言いました。このチェイサーはNEXT能力を通します」
 その言葉に、察しの良いライアンは、すぐにピンとくる。──そして、悪くない、とも思った。つい、口の端に笑みが浮かぶ。
「どこでもいいから握って。早く!」
「うっせえな、この体勢で急かすんじゃねえよ。なんかヘコむだろ」
 何がですか、と言う彼女を無視して、ライアンは無駄のない流線型のラインのうち、掴めそうなところを探した。そして結局、彼女の腕が収納されている辺りの、僅かに出っ張った部分を両手それぞれで掴む。
 少し無理のある体勢のため、細い背中や小さな尻とライアンの胸や腹が密着するが、不可抗力だ。──特に嬉しくもないし。
 そんなことを思いつつ、金色の目が青白く光る。

「どっ、どおおおおおおおおおおん!!」

 獅子の咆哮のような声とともに、ライアンの能力が発動する。
 チェイサーの目前で円形に広がった重力場により、水の化け物たちがあっけなく潰れ、飛沫となり、地面にへばりつくように広がっていく。──エンジェルチェイサー、いやホワイトアンジェラは、300km/hの速度を保ったままだ。

《こ、これはあああああッ!? これは凄いッ! チェイサーに乗ったまま能力を発動! 水の塊を押しつぶしながら、ものすごいスピードで進んでいく! まるで超スピードのロードローラー!! 全く相手をさせません! まさに無敵!》

 ただの水たまりと化した道に僅かな飛沫だけを上げながら、白いチェイサーが一直線に海に向かっていく姿に、視聴者たちから大歓声が上がっている。

「ちょっと、あんなコトできるわけ!? 反則じゃない!?」
「あらヤダ。刺激的なスタイルねん」
 地道に水を凍らせていたブルーローズが叫び、ファイヤーエンブレムが、彼らのタンデム・スタイルに言及した。
「ア、アンジェラ殿、あんな特技が……」
「すっごおおおい! ボクもアンジェラの後ろ乗りたい!」
 折紙サイクロンが呆然とし、絶叫マシンが大好きなドラゴンキッドが目をきらきらとさせてはしゃぐ。
「うぐぐ、またも最下位の危機……」
 そしてロックバイソンが、「モウ……」と呟いて、濡れて貧相な格好になった猫を抱えたまま、がっくりとうなだれるようなポーズをとった。

「おおっ、これなら風の敵ではない! スカァ──イ、ハァ──イ!」

 そしてスカイハイが、押しつぶされて広がった水を強い風で捲き上げていく。
 飛沫となったそれらを海に流しながら、「この間の粉塵といい、私は海への廃棄処理ばかりしているような……」と言いつつも、スカイハイは確かな仕事をし、エンジェルチェイサーが通った跡の道路には水たまりひとつ残っていなかった。

「……悪くねえな」
 水のモンスターを地べたに押しつぶし、水飛沫を上げながら300km/hでど真ん中をかっ飛ばすのは、なかなか得られない爽快感だ。
 必然的に耳元で囁かれたライアンの呟きは、風を切る超スピードの中でも、彼女の耳によく届いた。その口元に、薄く笑みが浮かぶ。
「そうですか。良かったです」
「おー……、……いや、前。おい、前! コラァ! 前!!」
 しかし目の前に現れたものに、ライアンが再度叫ぶ。目の前に現れたのは、巨大な運河を渡る跳ね橋。たまたまその時間だったのか、それとも誰かが動かしたのか、割れた道がゆっくりと坂になっていっている。
「大丈夫ですよ」
「だから、何が!?」
「──ふふ」

 ぞく、と、ライアンの背に、妙な痺れが走った。
 透明な高さの、甘い声が笑う。この声を、ライアンは聞いたことがあった。極限状態、生きるか死ぬか。そんな時だからだろうか、いや──

《ああああっ、アンジェラ、飛んだァアアア──ッ!!》

 マリオの絶叫が響く中、白いエンジェルチェイサーが空を駆けた。
前へ / 目次 / 次へ
BY 餡子郎
トップに戻る