#148
──記者会見の日から、少し遡って。
覚醒したガブリエラは身体的な異常がないか、すぐさま徹底的なチェックを受けていた。結果は、空腹である以外はまったく異常なし。
そして眠っていた間に見ていた夢、ヴィジョンクエストについてのカウンセリングも行われた。
「忘れていたことをたくさん思い出した」と本人も言うそれは本当に詳細な内容で、まるでたった今まで荒野を旅していたかのような臨場感で語られた。
記憶というものは、本当は全て脳に記録されている。
ただし日常生活を送るにあたり、多くの記憶は奥底に沈んだ状態になっている。その記憶を浮き上がらせることが“思い出す”ということだが、奥底に沈みすぎて圧縮され、思い出すのが難しい場合もある。これを通常“忘れた”という。
シスリー医師をはじめとした精神科担当医らが言うには、いま彼女はジョニー・ウォンの能力によって記憶に強い刺激を受けたため、すべての記憶が解凍され浮き上がっている状態であると思われる、ということだった。
時間が経てば詳細な記憶はまた沈んでしまうだろう、という医師たちの言葉に、以前から彼女の稀有な経験について強い興味を持っていたライアンは、アポロンメディア経由で以前から打診していた、ノンフィクション専門のライターを急いで呼び寄せた。
もちろん、荒野の果てからやってきた彼女の旅のことを、とことんまで話させるためだ。──普通より忘れっぽい彼女が、また歩いてきた道を忘れないうちに。
カウンセリングの一貫という名目で行われたインタビューを引き受けたライターは、多くのノンフィクションを手がけてきたベテラン、作家としてもなかなか大御所の男性だった。
彼はお世辞にも話すのが上手くはないガブリエラの話を根気強くヒアリングし、その経験から絶妙な角度からの的確な質問を交え、整理し、彼女の経験を形にしていく。
久々に面白い仕事だと、ライターは熱心にガブリエラの話を取材し、まとめてくれた。ガブリエラもまた自分の中の記憶が明確になっていくのが面白いのか彼と話すのは楽しそうで、「そういえばあの人は今どうしているでしょう」と、旅の途中で出会った面々の顔を久々に思い出しながら思いを馳せたのだった。
またそんなカウンセリングとは別に追求されたのは、“ガブリエル”のことについて。
ガブリエラの答えは、「よくわからない」の一点に尽きた。
「私も、あのひとと話しました。夢の中で」
だがガブリエラは、彼を知らないというのだ。
自分の記憶の旅の中で出会ったというのに、である。
まず姿は曖昧で、男か女かも、年齢などもよくわからなかった。確かなのは、少なくとも子供ではないこと。男名を名乗ったことから、おそらくは男性。そのくらいだ。
「声は? おまえ、声覚えるの得意だろ」
「いいえ、聞いたことのない声でした。とてもきれいな声で……」
男のような女のような、どちらでもないような。あんな特徴的な声なら、自分でなくても覚えているはずだとガブリエラは言った。
ガブリエラの頭の悪さを、“血筋”と言ったこと。
「私はお前の天使じゃない」という発言。
ラグエルではない。つまり記憶の再現パターンとして存在する、物や動物が擬人化で表現された存在ではないということ。そもそもラグエルであればどんな姿でも絶対にわかる、とガブリエラは言い切った。
そしてライアンも感じた、頭が良く、相当性格が悪そうだという印象。
“ガブリエル”について得られた情報は、このくらいだ。
メンタル方面の医師たちは、ガブリエルはガブリエラの精神が乖離したいち人格ではないかという、解離性同一性障害論も出した。つまり多重人格という説だ。
一般論として、ガブリエラが歩んできた道、今までの人生は、精神に多大なストレスがかかっても何らおかしくないほど波乱に満ちたハードなものだ。そしてそのくせ本人がこうまであっけらかんと過ごしているのは、そのストレスを一挙に引き受ける別人格が存在していたからではないか、という説である。
ガブリエルの知能が高そうだったのも、ガブリエラの裏側の人格と考えれば──とまで発展したこの節だが、結局、これは主治医のシスリー医師によって却下された。
「いえ、ないでしょう。彼女はかなりシンプルというか……解離するほど複雑な精神構造ではありませんし」
聞きようによってはひどい言い草だが、これにはライアンも「だよなあ」と頷いた。
ガブリエラは、常に極限状態ともいえる環境で過ごしてきた。極限状態、つまり逃げ場が一切ない状態で、真正面から、危険な一本道をノーミスで走り抜ける他ないという状況を繰り返してきているのだ。
諸説あるが、いわゆる多重人格は自分が受け止めきれないものを別人格に預けて切り離すことで主人格の安寧を守る、ある種の自衛行動ともいえる。
その点、ガブリエラは常に自ら一本道を選択し、自衛するどころかむしろ極限まで逃げ場を切り捨て攻めに徹することで火事場の馬鹿力をひねり出すという、脳筋極まるやり方であらゆることを切り抜けてきた。
つまり彼女の強靭さの真髄は、その単純さと極端さ、そして実際にこうして記憶の断捨離にためらいがない所にある。
言い換えれば、物事を深く考えず、決断も切り替えも早く、都合の悪いことはさっさと忘れてしまうという、前しか見ていない馬鹿。そのぶん彼女はどこまでも強靭なメンタルを持ち、直感に優れ、時に残酷なほど現実的でありながら、しかし同時に突き抜けてポジティブなのだ。
そんな人間に実はこっそり別人格を作る繊細な精神構造があるかと考えれば、答えはノーだ。
またガブリエラ自身も、「あのひとは、私ではないです」と言った。
「……しかし、全く知らない人、という感じもしないような」
「思い出してねえだけじゃねえの?」
「うーん、そうでしょうか。うーん」
ガブリエラは、考えてもわからない頭を捻った。ライアンも、眉を顰める。
しかし“ガブリエル”は確かに正体不明で不気味ではあるが、ガブリエラにも、ライアンたちにも、特に攻撃的な態度を取ったわけではない。むしろガブリエラを夢から覚まそうとし、ライアンたちへ助言も与えた。
とりあえず敵対する存在ではないということで優先度が下げられ、彼のことについては保留ということになった。
またあのカウントダウンイベントで起きたことや、寝ている間にどんなことがあったのかについては、ライターとの話が終わって間もなくの頃、ライアンからガブリエラに伝えられた。
ガブリエラは思っていたよりずっと長く自分が寝ていたということにとても驚き、そして部屋に隠しカメラと盗聴器が仕掛けられていたことについては、ええ、どこにですか、誰にですか、とあわあわしていたが、あの老夫婦のふりをしていたふたり組のことを話すと、珍しいほど苦々しい顔をした。
「あのふたりですか! なんだか気持ちの悪い人たちだと思っていたのですが、本当に気持ちの悪い人だったのですね! ああ気持ちが悪い!」
そらみたことか、と憤慨した様子で、ガブリエラはばんばんと机を叩きながら言った。
「カメラはリビングだけですか!? おお大丈夫です、リビングではいつもちゃんと服を着ていました! アニエスさんたちからいただいたパジャマや、カリーナたちとおそろいのウェアを着るのが、毎日楽しみでしたので! 皆さんに感謝ですね! しかし、……う〜、本当に気持ちが悪い! オエー! ぺっぺっ!」
思っていたよりも随分威勢のいいリアクションに、ライアンは少し拍子抜けし、そしてホッとした。
それよりもガブリエラが気にしたのは、あの部屋に遊びに来たこともあるカリーナやパオリン、イワン、数日泊まり込んでいた楓も盗聴器やカメラの被害に遭ってしまった、ということだった。
申し訳なさそうにするガブリエラに、彼らは気にしなくていいと慰めた。行儀の良い楓はガブリエラと同じくきっちり服を着込んで過ごしていたし、他の3人は遊びに来たことはあっても泊まったことはないので大したことではない、というのが彼らの言い分で、むしろガブリエラのことを心配してくれた。
ガブリエラはそれでもまだ少し気にしていたが、いつまでも申し訳ないと言い続けるのも辛気臭いですからね、と気を持ち直したようだった。
そして当の被害者であるガブリエラがこんな調子でひたすら明るく元気で更にどうにもすっとぼけている、彼女風に言うとひたすら“おバカちゃん”なので、周りの人々もどんどん肩の力が抜け、笑顔になっていった。
「あのコって、本当に、根っから明るいのねえ」
根明の極地って感じ、と、隠しカメラや盗聴器についての彼女のリアクションをライアンから話を聞いたネイサンは、いっそ感心するというように言った。
「あんなにメンタルがタフで健全なコ、見たことないわ。ドMなのもその影響かもね。好きな相手からならつらいことも楽しみのうち、って変換されちゃうってことだし。健全さがぶっ飛んで不健全に着地するって面白いわね」
と、あまり面白くなさそうな顔をしているライアンに向かって笑いながら、ネイサンは彼の肩を叩いたのだった。
そしてこういった現状把握や健康診断などがひと段落し、わあわあとすったもんだの用意をして記者会見に臨み、続いてこの一連の事件の事情聴取が本格的に始まった。
「で、被害者本人には犯人の目星はついてんのかい」
被害者本人への事情聴取、ということでガブリエラのところにも連日顔を見せているフリン刑事が、メモを片手に身を乗り出す。
「そう言われましても」
「狙われる心当たりとか」
「う〜ん……。ライアンのファン、とか?」
「は? なんで?」
思いがけない返答だったので、ライアンが素っ頓狂な声を出す。
「なんとなく」
「なんとなくか」
だが、彼女の勘はあなどれない。ライアンは「それで?」と先を促した。
「私のことが気に入らないという人はいるでしょう。ライアンは人気者ですので」
「嫉妬からの怨恨ってことか。でもそれだと、眠らせるんじゃなくて殺すだろ?」
好きな男の恋人を嫉妬で刺す、ありきたりだ、とフリン刑事が刑事らしい口調で言ったが、ガブリエラは首を振った。
「いいえ。殺すことは、悪いこと。ヒーローは、悪い人をやっつけるもの。ライアンのことが本当に好きなら、ライアンからやっつけられる人になってしまうことはしないでしょう。それに、ライアンのことをそこまで好きになる方に、悪い人はいません」
「はあ? 犯人なのに悪い人じゃない?」
「あ、すみません。私には正義とか悪とかがよくわからないので……えーと……」
困った様子で首を傾げるアンジェラに、フリン刑事がちらりとライアンにアイコンタクトを送る。詳しく聞け、という意味だと正しく受け取ったライアンは頷いて、ガブリエラに向き直る。
「じゃあ、殺そうとしてるんじゃなければ、この一連のお前への仕打ちは何なんだ?」
ライアンはガブリエラの回答をそれ以上待たず、視点を変えた質問に切り替えた。
それは、いわゆる“おバカちゃん”な彼女から的確に情報を引き出すには、本人がうまい説明を思いつくのを期待するより、こちらから質問を数打って当てるほうが手っ取り早くて確実だからだ。
そういうコツをわかっている、つまり彼女の扱いに長けたライアンが質問したほうが話が早いことはフリン刑事も理解したようで、この事情聴取で一貫してライアンに主導権を任せることに異議は示さなかった。
「なんといいますか、こう……試された?」
「試された?」
「私がライアンにふさわしいかどうか」
妙に重みのある声で、彼女は言った。
「それに、あの夢は、ヴィジョンクエスト、というのでしたか。自分が忘れていることや、自分のことをちゃんと理解するためのものだと聞きました」
能力の本来の持ち主であるジョニー・ウォンの言うままならば、確かにその認識で間違っていない。
「実際に、私もなるほどと思いました。確かにあの夢はそういう旅でした。そしてその結果私が見つけたものが、ライアンへの愛と、ライアンからの愛です」
「……えーと」
「私があなたとの愛を見つけて目覚められるかどうか。そしてライアンが本当に私を愛しているのかどうか。それを試されたのではないかと思うのです。真実の愛を」
じっとライアンの目を見て真剣な顔で言うガブリエラに、ライアンは微妙な顔をし、フリン刑事は完全に半目の無表情になった。
「……これは有力な参考人意見か? それとも単に色ボケしたおノロケ・トークか?」
「俺に聞くな」
「当事者だろ!」
「ですので、ドクター・マイヤーズが犯人というのは、あると思います」
ガブリエラは、言い合う男ふたりを気にせず発言した。その内容に、ふたりは気を取り直す。
「……ああ、奴については聞こうと思ってた。犯人だと思う、その理由は?」
フリン刑事は、真剣な表情で身を乗り出した。
ルーカス・マイヤーズは最有力容疑者であり、実際にそうみなされるだけの状況証拠がこれでもかと揃っている。
しかし同時に、まさかあの人がと言う者は未だに少なくなく、またもちろん徹底した家宅捜査も行ったが、彼が犯人だと決定づけるものは何も出てきていない。
しかし、ただひとり。最初から唯一ルーカス・マイヤーズを警戒していたガブリエラは、また言う。彼女は、警戒する犬のようなしかめっ面をしていた。
「なぜなら、彼はライアンがとても好きです。とても熱烈なファン」
「は? あんたのファンだろ?」
ルーカス・マイヤーズはホワイトアンジェラの大ファンであり、専用医療チームであるケルビム発足の際は誰より早く立候補した。それは誰もが口にする事実であったので、フリン刑事は怪訝な顔をした。
ライアンも、不可解な表情をしている。ルーカス・マイヤーズは何かというとアンジェラアンジェラとうるさく、自分に対しては割とぞんざいに扱うのに苦笑するのが常だったからだ。
「いいえ。彼は私ではなく、ライアンを心から愛しています」
しかしガブリエラは、きっぱりと言い切った。
「私にはわかります。なぜなら私もまたゴールデンライアンの大ファンであり、ライアン・ゴールドスミスを愛しているので」
そしてしっかり惚気けた。フリン刑事は挫けそうになりつつ、しかし皺の寄った眉間を揉んで耐える。
「……あんたは、普段からルーカス・マイヤーズを警戒していたそうだな。それはなんでだ?」
「彼はなぜか、ライアンのファンであることをはっきり言っていませんでした。隠していた。そして、私のファンのふりをする。それが変だったので、警戒しました。いい人なのですが、危ない感じがして」
「……いい人なのか?」
微妙な顔で、ライアンが首を傾げる。
「いい人でしたでしょう? 普段から。今回も、私を殺しませんでした」
「でも危ねえのか」
「なぜそんな態度をとるのか、何を考えているかよくわからないので」
「う〜ん……」
さすがに理解しにくく、ライアンは片手で頭を抱え、もう片方の手の指で自分の膝をトントンと叩いた。
「……で、お前もそれ……ドクターがお前じゃなく俺の熱烈なファンだって言ったことねえよな。その理由は?」
「それはもちろん、ライバルだからです」
「ライバル?」
「ファンである好意と、恋愛的な意味での好意は似ています。混ざっている人もいます」
「はあ〜?」
フリン刑事は、今度こそ口元をひん曲げて素っ頓狂な声を出した。いくらなんでも色ボケが過ぎる勘繰りだろう、という意味のリアクションであることは、もちろんライアンにもわかった。
「……ええ? ドクターが俺を? いや、ねえだろ」
「そう思っていらっしゃるので、私も言いませんでした」
ライバルの好意をわざわざ気付かせてやる義理はない。獲物を狙う狼のような目で、ガブリエラは言った。
「しかし私はあなたを愛し! そして愛されました! 彼も認めざるをえないほどに!」
「おい。お前の彼女、さっきからちょっと頭がお花畑すぎねえか」
ふふんと顎を反らしてどや顔をしたガブリエラに、フリン刑事は完全に白けた顔でライアンに痛烈な突っ込みを入れた。
「ああまあ、正直うざいのはわかってんだけど──」
「じゃあ止めろよ」
「でもこの俺様が彼氏になったってんなら浮かれるのはしょーがねえし、そりゃ自慢もしたくなるかなって。かわいいもんだろ? 許してやって」
フッと悩ましげな吐息とともに髪を掻き上げ、やけに煌めく表情で言ったライアンに、フリン刑事は控えめに言って「心底くそうぜえ」という気持ちを見事に表現した表情を披露した。ガブリエラは「頭がお花畑」の言い回しの意味がわからず、きょとんと首を傾げている。
しかしガブリエラの色ボケ具合を抜きにしても、ルーカス・マイヤーズには妻もいて、しかも全身不随で寝たきりの彼女を手厚く介護し続けているという、これこそ真実の愛といえるような美談もある。
その彼が、実は主治医をしているイケメン・ヒーローに熱を上げているというのはなんとも突拍子もない話で、ライアン本人もフリン刑事も、彼女の言い分はあまり真剣に受け取らずに思考の脇に置いた。
「それに、天使も星に連れて行く人間を試すといいますし」
ガブリエラは、彼らのリアクションを気にせずまた発言した。その内容に、ふたりは気を取り直す。
「天使? ◯◯教の話か。天使が星に連れてってくれるとかいう……」
今は廃れてる教えだって聞いたけどな、とフリン刑事が言うと、ガブリエラは頷いた。
「そのようですね。私もシュテルンビルトに来てから知りました。しかし、私の故郷ではこの教えが普通でした。おそらく、ドクター・マイヤーズが信じていた教えもこちらの方です」
「……根拠は?」
眼光を鋭くして訪ねたフリン刑事に、ガブリエラは故郷から持ってきた、年季の入ったロザリオを手の上に乗せて示した。中央に星のついた十字架。
「ドクター・マイヤーズがいつもしていたのは、このロザリオでした。シュテルンビルトの神父やシスターは、これを持ちません。知ってはいらっしゃいますが。そして聖書も違います」
私もこちらに来てから知ったことですが、とガブリエラは言った。確かに、ルーカス・マイヤーズがいつも首から下げていた小さなロザリオはこの星のついた十字架だった、とライアンも証言する。
「見よ、星が生まれし約束の日が来る。罪人を断ち滅すために来る。罪人に天の星はその光を放たず、太陽は出ても暗く、月はその光を輝さない。天使の激しい怒りの日に天は震え、地は揺り動いてその所を離れ、天使を侮った罪人たちは手足をもがれ蛇と化さん」
──天使は真に善なる人を選び、その手を取り導かん
──そのときセラフィムの輝きが彼らを見据え
──偉大なる声を告げし天使が現れ、そのラッパを吹き鳴らす
「これが最後の審判なりや」
つまり、罪人たちが罰として手足をもがれ、地を這う蛇と化した後。“セラフィムの輝き”が、天使に選ばれた善なる人々へ、最後の審判と呼ばれる試練を授ける。それによって真実愛と善行の人間であるかが見極められ、それを乗り越えることができれば、いよいよ星に導いてもらえる。
ということを、ガブリエラは星付き十字の聖書の内容そのままを暗証して説明した。
「……で、このヴィジョン・クエストが、その試練……最後の審判だって?」
「似ているような気がしました。ガブリエルも出てきましたし」
「ガブリエル?」
「ガブリエルは、この最後の審判の開始のラッパを吹く天使です。……私の夢に出てきたガブリエルは、特にラッパを吹いたりはしませんでしたが……」
しかし、ガブリエルは神やセラフィムの輝きからのメッセージを人間に伝える、つまり“お告げ”を担当する天使なのだ、とガブリエラは説明した。一般的に有名な、聖母に処女懐胎を教えたという役割も、その役職だからこそだと。
言葉こそ拙かったが、自分の名前の由来の天使だけあってガブリエルのくだりは真面目に母から教えを受けたガブリエラは、割としっかりとした内容を説明する。
「なるほど。……それでいくと、あんたはその星とやらに連れて行かれることになるな。……拉致を警戒した方がいいか」
「言われなくても」
真剣な表情で、刑事とヒーローが頷きあう。
信憑性があやふやな内容だが、◯◯教がどこかに関わっている事件なのは確かである。思想犯である可能性も高いので、今はもう廃れたマイナーな教義を模倣した犯行であることも視野に入れて、フリン刑事はその内容をメモした。
「じゃあ他、ルーカス・マイヤーズ以外で犯人や関係者の心当たりはないか? あんたの地元の殺し屋が関わってるんでね」
二丁拳銃の老人についてフリン刑事が言及すると、ガブリエラは難しい顔をした。
「むう。あの老人については知りませんでしたが、故郷のギャングは、確かに私を欲しがってはいました」
「……あー。地元、ギャングだらけだったんだっけな」
フリン刑事が、半眼になって言った。
「はい。私はこの能力があるので、構成員にならないかと誘われていたのです。それが嫌だったのと、ヒーローになりたかったので、私は故郷を出ました。その時追いかけてこられたので、狙われていると言えば狙われていますね」
相変わらず世界が違うような話に、部屋にドン引きの空気が充満する。
「他には?」
「いません。ギャングの他は、だいたい乞食か売春婦です」
「警察は何してんだ」
「ドラッグ担当のギャング?」
即答された内容に、こちらも柄がいいとはいえないものの少なくともドラッグを売り買いする業務は請け負っていない都会の刑事は、なんともいえない顔で「マジで地獄の果てみてえなとこだな」と、ゆっくり首を振った。
「しかし、遠いですので。あんな田舎のギャングがわざわざシュテルンビルトまで来て私を誘拐しようとするのは、あまり考えられない……のでは?」
「それはそうだろうな。メリットが大きくても、それを得るための苦労が大きすぎる」
ライアンが同意する。その言葉には筋が通っていたため、フリン刑事もそうかと納得して頷いた。
「それに故郷を出る時、私がどの方向に出ていったかということをギャングに話さない、ということをファーザーに頼みました。ですので、やはりギャングが犯人というのはないと思います」
「……ファーザーって、おまえの育て親のアンジェロ神父のことだよな?」
目を細めて、ライアンが訪ねた。
「おまえが撃たれた後すぐ来た神父もどきの3人が、アンジェロ神父から頼まれてお前を保護しに来たっつってだんだよ。それはありそうな話か?」
当初はアンジェラの身元を求めてきた他の企業と同じく火事場泥棒に近い行動だと思っていたが、こうして事件の背景に直接関わっていることが明らかとなった以上、彼らの口から名前が上がったアンジェロ神父を無視することは出来ない。あの正体不明のガブリエルの助言を抜きにしても、彼にはきちんと事情を聞いておきたい。
ライアンたちがそう言うと、なるほど、とガブリエラは頷いた。
「しかし、ファーザーが? 私を? ……うぅ〜んンン……?」
ガブリエラは不可解そうな顔をして、限界まで首をひねる。
「じゃあ率直に聞くけど、アンジェロ神父はおまえの味方か?」
ライアンが、本当に率直に聞く。
「味方かどうか? うーん。敵ではないと思いますが」
「おいおい、育て親なんだろ」
首を傾げるガブリエラに、またフリン刑事が呆れる。
「そう言われましてもですね。ファーザーはその……ファーザーなので」
何だそれは、とこれにはフリン刑事もライアンも怪訝な顔をする。
「……んじゃあ、おまえを誘拐するのにアンジェロ神父が協力する可能性があるなら、どういう場合が考えられる?」
「うーんー、……あるとしたら、お金でしょうか……」
「あ? 金?」
「はい。ファーザーは、お金にならないことは一切しません。しかし、逆にお金さえ渡せば割と何でもします」
「おい神父」
聖職者らしからぬその情報に、メモを取っていたフリン刑事がまた突っ込みを入れるが、ガブリエラは真顔で首を横に振った。
「いえ、お金さえ渡せばちゃんと約束を守ってくださるというのは、かなりまともなほうです。普通は色々こう……色々として……お金だけだまし取ろうとするのが普通です」
相変わらず地獄の果てのようなその説明に、ふたりが無言になる。
「あちらにいる時は私も毎月、ギャングがファーザーに渡すものと同じだけの金額を渡していました。そうでなければ、さっさとギャングに売り飛ばされています」
「そりゃまた……」
「しかし、お金さえ払えば、あの街で最も安全である教会に居させてもらえる。これはすごいことです。普通はお金を巻き上げて売り飛ばします。ファーザーはそんなことはしませんでした。彼はお金を払わなければ何も期待できませんが、お金を払いさえすれば、必ず約束を守ってくださるのです」
仮にも育ての親の話であるのに、ガブリエラはドライという言葉では足りない内容を淡々と言い、自分で自分の言葉に納得してうんうんと頷いた。
「ファーザーに電話したのは、母を施設に入れた時が最後ですね」
母を施設に移動させる際、付添と現地での手続きがどうしても必要だった。それに当時のガブリエラはまだ未成年だったので、身元引受などの名義人にもなれない。
他に伝手がなかっただけではあるが、ガブリエラはそれをアンジェロ神父に頼んだのだ。入所に掛かるそれそのものの費用とは別に、彼への手数料、心付けなども諸々支払って。
そして彼はその取引に応じ、心を病んだ自分の教会の修道女を施設に入れた神父として、確実な仕事をしてくれた。
「金次第で、なんでも、ねえ……。じゃあ、大金積まれりゃお前を売り飛ばすことも考えられる?」
「うーんー、どうでしょう。ありそうなようなー、ないようなー」
「でも、相当金にがめついんだろ?」
また難しい顔をして首をひねるガブリエラに、ライアンは質問を重ねる。
「それはもう。故郷を出る時も、先程の……ギャングへの口止めのお金を渡した時も、足りなかったので、後で絶対に払えと請求書を渡されたくらいです」
「……餞別じゃなくて?」
「請求書です。5000シュテルンドルくらい」
子供に負わせる借金としては、そこそこ大金である。
「しかし、シュテルンビルトに来てからは貯金ができるようになったので、真っ先に返しました。もう借金はないです」
ガブリエラは、うむと難しい顔で頷いた。
「ちょっと待て。返した? どうやって?」
ライアンが指摘する。
ガブリエラの故郷は、地雷原に阻まれた陸の孤島だ。普通の郵便もようよう届かないその場所に、シュテルンビルトから5000ドルもの現金書留が途中で盗まれもせず無事に着くとは思えない。
「銀行振込です。手続きが特別で面倒くさかったです」
「銀行振込……?」
また質問を繰り返して詳しく聞くと、なんとアンジェロ神父の指定した口座は、国際決済機関のプライベートバンクだった。
「……あんな僻地の神父が、なんでそんな口座持ってんだ」
「きな臭くなってきたな」
この情報に、ライアンもフリン刑事も表情を険しくする。
なぜならこのプライベートバンクは非常に守秘性が高く、口座番号から身元を割り出すこともできない。しかしその代わり、為替相場にもよるが最低でも常に10万ドルの残高を要し、口座維持費もかかる。
そのため実際に縁のない一般市民の間では、大富豪から後ろ暗い金を動かしている者まで御用達の口座──という認識をされており、嘘か本当かは別にして、映画などのフィクションの世界でもそういった風に扱われてよく登場する有名なものだ。
「相当稼いでるってことだな。どうやって? 何のために?」
「さあ……?」
「おい」
非常に大らかで細かいことを気にしないと同時に、ものごとを深く考えない。長所と短所が表裏一体になったガブリエラの性格がこんなところでも炸裂し、ライアンは軽く頭を抱えた。
「身の回りの感じでわかんねえのか?」
「うーん……? 教会には、時々ファーザーに会いに人がやってきました。ギャングの幹部もいましたし、見たことのない人もいました。ファーザーは彼らの話を懺悔室で聞きますので、何を話していたのかは知りません。懺悔室で聞いた内容は、誰にも言わないものです」
「まあ……そうだな」
「電話も懺悔室の中にありましたので、同じです」
「懺悔室の中に? 電話?」
「はい」
こくりと頷いたガブリエラに、ライアンは眉をひそめた。情報が少なすぎるだけといえばそれまでだが、どうも奇妙である。
「けちでお金にがめついのは確かですが、教会はいつもぼろのままでしたし、食事も質素ですし。乞食に施したりもしませんし。そういえば、たくさんお金を使っているところは見たことがありません」
「聞けば聞くほどわけがわからん」
フリン刑事が言ったが、正直ライアンも同じ感想だった。しかしそれでもめげずに、彼はガブリエラにまた質問を投げかける。
「じゃあ、本人の性格は? どういう人なんだ?」
「……ええと、ファーザーはですね。よくわからない人です」
またも答えになっていない答えであったが、ガブリエラはそう即答した。
「砂色の髪をしていて……目は灰色。肌は白いです。年齢は、母より下。タイガーや、バイソンよりは年上? どちらかというと痩せていて、背がとても高い。あと、とても無口です。挨拶をすれば返しますし、質問すれば答えます。しかし、自分から何か言うことはほとんどないです。あっ、夢で思い出しましたが、なぜかたくさんお菓子をくれます」
自分が小さい頃太っていたのは彼がいつもお菓子ばかり沢山食べさせたからだ、と、思いつくままという様子でガブリエラは言った。
「いい人でもないですが、おかしい人でもなくて……、しかし、普通の人ではないです。絶対に」
ガブリエラは、絶対と言いつつ何の答えにもなっていないことを言った。
「……うーん」
なんとも掴みどころのない説明に、ライアンもとうとう首をひねる。
説明こそ下手でも、人を見る目、という点では相当の精度を誇るガブリエラがここまで言うとなれば、アンジェロ神父が本当に人間なのか疑わしくなってくるレベルである。
「……やっぱ本人に聞いたほうが良さそうだな。連絡取れるか?」
「はい。チャペルの電話番号はわかります。しかし、決まった日でないと繋がりません」
「いつもいるわけじゃねえのか」
「いいえ。彼はほとんど教会から出ません」
「は? なんだそりゃ」
「さあ?」
ガブリエラは、また首を傾げつつ言う。
しかしともかく来週の火曜日、ガブリエラからアンジェロ神父に連絡を入れ、ライアンやフリン刑事、必要なら他のメンバーも同席の上で事情聴取を行うことが決まった。
「はあ……。アンジェロ神父といい、他の奴らといい。この事件、正体不明の奴が多すぎるな」
フリン刑事が顔をしかめ、自分の後ろ頭を豪快に掻きながらぶつくさ言う。
最有力容疑者であるが、なにもかもが不明なまま消えたルーカス・マイヤーズ。
ロトワング博士のH - 01の技術を用いて作られた、黒い骸骨アンドロイド。
真相を何も語らないまま心神喪失状態になった、二丁拳銃の老人。
二丁拳銃の老人の妻として暮らし、しかし不明の能力で彼を廃人にした老女。
その能力と髪だけが犯行に使われた、死んだはずのウロボロス構成員、クリーム。
夢の中に現れ、謎のメッセージを残していったガブリエルと名乗る存在。
そしてガブリエラの育て親であり、きな臭さを漂わせつつも詳細が一切わからない、荒野の果てにある教会に座すアンジェロ神父。
「せめて、いま誰が死んでて誰が生きてるんだかぐらいははっきりして貰いたいね。ほんと、幽霊でも相手にしてる気分だ」
「えっ、おばけ!? おばけがいるのですか!?」
フリン刑事の発言にガブリエラが途端に顔を青くし、おろおろしはじめる。
前々からオカルト関係に拒否反応を示す傾向があった彼女は、今回のヴィジョン・クエストで原因となった体験をもういちど繰り返したことで、なおその反応が強くなっているのだ。
それに、ガブリエラの能力は相手が生きてさえいればどんな怪我でも治し身体を元気にするものだが、相手が死んでいる場合は当然何も出来ない。その点、死んでいるのに不可解に存在している幽霊は根本的な部分で相容れず生理的な恐怖感を特に感じやすいのだろうというのが、カウンセリングや精神分析の一環として調査した医者の見解だ。
「おおおおおおお、おばっおばけ、ばばばばば、おばばばばば」
「ビビりすぎだろ」
ガブリエラは思い切り目を泳がせ、ガクガク震えている。その劇的な反応に、ライアンが呆れた突っ込みを入れた。
「し、し、しかし! しかしですねライアン! おばっ……おばけですよ!?」
「まーかせとけって。仮にオバケだろうがエイリアンだろうが、この事件の犯人は必ず俺様が捕まえてやるっつーの」
この俺様、の所でライアンは親指をぐっと立てて自分自身を示し、ウィンクまでキメた。そんな彼にガブリエラは目をきらきらさせて、己の手指を組み合わせて縋るようなポーズをする。
「本当ですか!? す、すごい。おばけもつかまえられるなど、ライアンは本当につよい。やはりつよすぎます。最強です! 最高です! 私のライアンは世界いちです! 私の恋人がこんなに素敵! マイ・ラブ!!」
「当然。彼氏の俺様が信じられねえってか?」
「信じます!」
「ばーか」
「はうう! 素敵!!」
やけに甘ったるいイイ声で言ったライアンと、胸を押さえて頬を染めるガブリエラ。
そしてそんなカップルの茶番を目の前にした独身のベテラン刑事は、完全に白けた目をして「心底くそうぜえ」と今度こそ実際に口に出して呟いた。