#147
「……とっとと起きろ、馬鹿犬が──!!」
獅子の咆哮のような、部屋中がびりびりと震えたのではないかというほどの怒声だった。その剣幕に、女子組3人も、医者たちもが思わず肩をすくめる。
「ちょっと! そんな言い方……」
「はい、ライアン!!」
眉を顰めて彼に苦言を呈しようとしたカリーナは、高い声にその言葉を遮られた。ライアンはカリーナ越しにベッドを見て、目を丸くしている。
シン、と部屋が静まり返った。カリーナはおそるおそる、ライアンが凝視している、背後のベッドを振り向いた。ネイサンとパオリンが、言葉もない、という顔をしている。
ずっと閉じていた灰色の目は、今度こそぱっちりと開いていた。しかも開いているだけでなく、きょろ、とあたりを見回している。
「あれ? ここはどこですか?」
私はいつの間に寝てしまいましたか、みなさんどうなさったのですか? と、ガブリエラがきょときょとと全員の顔を見渡す。
全員、目も口も真ん丸にして、なんでもないように起きてきたガブリエラを見つめていた。
「──アンジェラ、起きたって!?」
「容態は!?」
連絡を受けた虎徹とバーナビーが、急いで部屋に飛び込んでくる。
しかし部屋の中に広がっていた光景に、彼らは心配そうだった表情を怪訝なものに変えた。
「アンジェラ殿、無事でござるか!?」
「おいアンジェラ、大丈夫か!」
「アンジェラ君!!」
更に後ろからイワン、アントニオ、キースが同じように続いて入ってきた。しかし彼らも同じく、一瞬固まった後、どういうことだと顔を見合わせることになる。
なぜならそこにあったのはベッドの上に正座させられているガブリエラと、仁王立ちでそれを見下ろしている、というよりは睨みつけているライアンという、まったく予想していない光景だったからである。
しかもライアンは、なぜか枕をひとつ鷲掴みにしていた。
「お前マジでどういうことなんだよ! 俺がどれだけ苦労したと思ってんだ、アァ!?」
青筋を立てたライアンが、防音のドアを震わせる勢いで怒鳴る。
大の男でも思わず怯むような迫力だが、目の前に正座したガブリエラは平気そうどころか、へらへらと締まりのない笑みを浮かべていた。
「はい! 素敵なお言葉をたくさん頂いて、とても感激です! とても!」
「聞こえてたんじゃねーかよ! じゃあさっさと起きろよマジ信じらんねえんだけど!」
「あの、なぜならあまりにも素敵だったので、ついうっとりと……」
「つい!? 何がついだ馬鹿! 馬鹿犬!!」
「申し訳ありません」
「嬉しそうにしてんじゃねーよ馬鹿! バァアアアアアカ!!」
ばふっ。ライアンが、持っていた枕で赤毛の頭を叩いた音だった。あっだから枕を持っていたのか、と虎徹たちは呆然とした気持ちで思う。
叩かれたガブリエラを通して衝撃を吸収したウォータージェルマットレスがぽよんと揺れ、ガブリエラが正座から体勢を崩して斜め座りになった。
割と容赦なく叩かれ、ベッドの上とはいえ倒れた彼女に何人かがぎょっとして駆け寄ろうとする。──が、すぐにその足を止めた。叩かれた彼女が頬に手を当て、頬を染め、潤んだ目でうっとりとライアンを見上げていたからだ。
「あークソ! クソッタレ!」
「はうう」
ひたすらに悪態をつきながら、ライアンが枕でばふばふとガブリエラを叩く。
ガブリエラは無抵抗で、叩かれる度にベッドにぺったり伸ばされるような姿勢になっていった。その様は、飼い主に腹を撫でられて恍惚のあまり床に伸びきっている犬を彷彿とさせる。
「あの、もう少々強めにしていただいても大丈夫ですので……」
「何言ってんだおまえ気持ち悪ぃ」
「ううっ」
吐き捨てるように言われたガブリエラは俯き、肩を震わせた。
しかし赤毛の隙間から見える耳は赤く、両手で顔を覆った彼女は、何かに耐えているようだった。それが少なくとも苦痛に類するようなものではないことは、顔を覆った手の隙間から僅かに聞こえた「最高です……」という呟きから明らかである。
その様を半目の真顔で眺めていたネイサンが、「能力が強化されたりするって聞いてたはずなんだけど、なんでドMが強化されてるのかしら」とぼそりと呟く。パオリンは、まだぽかんとした顔で固まっていた。
「……あの、すみません。どういうことなんですか」
「私に聞かないで」
おそるおそる聞いてきたバーナビーに、カリーナもまた困惑の濃い様子で返した。「説明しづらいのよ」と続けた彼女の声色にはとてつもない説得力が溢れており、バーナビーはとりあえず「お疲れ様です」と静かに彼女を労った。
「元気そうでよかった! そして良かった!」
キースが彼一流の爽やかに煌めく笑顔で、グッと親指を立てて言う。
その笑顔に癒やされると同時になんだかどっと疲れたような気がした一同は、そうだな、元気ならなんでもいいか、という前向きなのか投げやりなのかわからない気分で、独特のいちゃつき方をするカップルを見守った。
シュテルンビルト・グランドメダイユホテル、第二ホール。
ホワイトアンジェラ暗殺未遂事件の直後、ライアンが記者会見を開いた場所でもある。
そして本日もあの日と同じく、OBCを含む各マスコミが、壇上にカメラを向けながら待機している。しかしその表情は前の時のような重い緊迫感などなく、どこか浮かれたような、それでいてほっとしたような表情が多く見受けられた。
「みなさんおはようございます。こちらはシュテルンビルトグランドメダイユホテル」
どこかの局のアナウンサーが、カメラを前に笑顔で言う。
「無事ホワイトアンジェラが意識を取り戻したことに伴いまして、本日『ゴールデンライアン・特別捜査ドキュメンタリー』最終回ともなります記者会見が、今から! 開かれる予定であります。現在我々はおふたりの登場を待っていますが──、みなさん、チャンネルはそのまま!」
どの局も同じようなことをアナウンサーに喋らせていると、奥の大きい扉から、ゴールデンライアンと、そして私服にメット姿のホワイトアンジェラが姿を現す。一斉にフラッシュが焚かれ、シャッターが切られた。
特に注目されたのは、2点。
恋人関係である、と公表した彼らが手を繋いで現れたことと、そしてホワイトアンジェラの口元が、これでもかと崩れきっていたことだった。口元しか見えないメットであるのに、表情全体がだらしなく蕩けきっていることがありありとわかる。足元もどこかふわふわしているように見えた。
そしてライアンはといえば、そのふわふわ、へらへらしたアンジェラの手を取って、1歩前を歩いている。しかしアンジェラの足取りがあまりにもおぼつかないので、エスコートしているというよりは、注意力散漫な犬のリードを引っ張って散歩させる飼い主のようだった。
ふたりは、用意された椅子に腰掛ける。長テーブルの上には、それぞれのためのマイクスタンドとミネラルウォーターのペットボトルが置いてあった。
ベンチシートかというほど妙に近く置いてある椅子に片眉を上げたライアンは、その座りにくさに少し椅子を離し、まずアンジェラを向こうの椅子に座らせ、次に自分が腰掛ける。しかし彼が腰を下ろした瞬間、笑顔のアンジェラがガッとぶつかる勢いで椅子を寄せた。再びベンチ状態になった椅子に半眼になったライアンは、諦めた様子で視線をふっと遠くに飛ばした。
《それではこれよりゴールデンライアン・特別捜査ドキュメンタリー最終回を兼ねた記者会見を行います。質問は後ほど、順番にお願いいたします》
きびきびとアナウンスするのは、ドミニオンズ主任であるオリガだ。
《ではおふたりから、市民の皆様にご挨拶をお願いします》
「はい! まずはその、ハッピーニューイヤー!」
背筋を伸ばしたアンジェラは打ち合わせ通りのはきはきした挨拶をし、その勢いのまま頭を下げ、メットの頭突きでマイクを弾き飛ばした。
「ああっ、すみません」
キーンというハウリングが響き、控えていたスタッフが慌ててマイクを拾いに行く。どっと嫌味のない笑いが起こった。
「おかげさまでこのとおりだ。応援してくれたみんなには感謝してる。ありがとうな。それと、Happy New Year」
スタッフから受け取ったマイクをもたもたとスタンドに着けなおそうとするアンジェラを横目に、スタンドから滑らかにマイクを手に取って言ったライアンは、さすがはプロといった様相である。
「そう、そうです! このたびは、ご心配をおかけしました! 待っていてくださった皆様には、皆様にも、ライアンにも、ヒーローたちにも、とても、とても感謝をしています! とても!」
無事マイクをスタンドに戻したアンジェラが、明るく言う。
「私は、生きています! ありがとうございます!」
そう言って、アンジェラはカメラに向かって大きく手を振った。拍手が起こる。
《ありがとうございました。では質問をどうぞ》
オリガ主任が言うと、記者たちから一斉に手が挙がる。最初の記者が発言を許された。
「まずは無事の復帰、おめでとうございます」
「ありがとうございます!」
はきはきと返して頭を下げたアンジェラから、今度はライアンがすかさずマイクを避難させる。くすくすと笑いが起きた。
「ずっと意識がなかったということですが、現在の体調はいかがですか?」
「はい! 元気です!」
「具合悪そうにみえる?」
言葉通り元気いっぱいに挙手したアンジェラと、彼女を指差しながらの静かなライアンの返しに、記者は肩を竦めて笑みを浮かべた。
アンジェラもだがライアンもまた、事件が起こった時の記者会見のときとは真逆の雰囲気だった。服はいつものブランドの、ぴったり体に沿ってキマったものを身に着けているし、髪も完璧で肌艶もいい。もちろん彼女が最初に彼に能力を使ったからだが、久々にしっかり睡眠を取ってゆっくりと食事をした、というのも大きかった。
「ご健勝で何よりです。ではヒーロー活動もすぐに?」
「もちろんです! たくさん食べて、カロリーも満タンです! 事件が起これば、すぐに向かいますよ!」
アンジェラは鼻息荒く言い、シャシャシャ、とあまり上手くはないシャドーボクシングを披露した。サポート特化ヒーローなのにその拳に意味はあるのかという突っ込みは、もはや誰もしない。
「では、目覚めて最初の食事はなんでしたか?」
「ええとですね、最初は消化の良いものをと言われたので、ラーメンを食べました!」
「……ラーメンですか?」
「ラーメンは飲み物では?」
きょとんと言ったアンジェラに、ライアンがぼそりと「良い子は真似するなよ」とカメラを指差して呟く。
おバカちゃん、という軽い流行語を作った彼女のとぼけたリアクションによって、報道陣の雰囲気が笑いで緩む。
その後は、事件についての質問がいくつか続いた。
「容疑者の目星はついてるが、決め手に欠けるっていうのが正直なところだ。今回のことで警察ともかなりいい協力体制が取れるようになったんで、引き続き俺たちヒーローも捜査に協力していく。……ま、それにカメラがつくのはさすがにもう滅多にないと思うけどな」
あくまで今回は特別な事例であって、犯人が判明してからの派手な捕物に発展するまでの捜査は秘密裏にやらなくてはいけないのが基本であり、常識だ。いつもこうというわけにはいかない、とライアンは念を押した。
「犯人が捕まっておらず、また容疑者や組織の規模などもはっきり定まっていないということですね? ──そんな中、またいつ狙撃されるかもわからない状況でヒーロー活動を続ける理由は何でしょうか」
鋭いコメントを放ったのは、社会派で知られる雑誌の記者だった。ライアンが片眉を上げる。
「理由? 簡単なこった。──俺達は、ヒーローだから」
それだけだ、とライアンは堂々と言い切った。その横で、アンジェラも頷いている。
「テロには屈しないと?」
「当然」
「本日も私服でのご登場ですが、少々無防備なのではという意見もあります。警護の面については──」
「実際この記者会見も、こいつを連れてくるべきじゃないって意見もあった。おたくらの中に、カメラやマイクじゃなくてライフルや爆弾を持ってきてるやつがいないとも限らないってことでな。今日は厳重なボディチェックの協力、感謝するぜ」
記者の言葉をゆったりと遮って、ライアンは言った。記者たちが、彼にぐっとマイクを近づける。
「でも、ヒーローは市民を守るもんだ。市民を信じなくて何がヒーローだって話だろ?」
ライアンは静かに、しかし堂々と言い切った。
「しかし、その中に恐ろしい犯罪者が紛れているかもしれません」
「確かにそうだ。怪しいと思えば誰だって怪しく見える」
記者の意見をまずは否定せず、ライアンはマイクを持ち直す。
「何か起こる前にありとあらゆる人間を徹底的に疑って、シラミ潰しに尋問して、犯人がわかるまでシェルターに引きこもるのがいいんじゃないか──、そういう考えは理解出来る。犯罪も風邪も、起こる前に予防するのがベストなのは確かだからな」
記者たちが、それぞれ頷く。
「でも俺達は、なにか事が起こってから対応できるだけの力がある。そのためのNEXT能力で、だからこそのヒーローだ。……ま、むざむざこいつを撃たれた俺が言っても今は説得力がねえだろうが」
僅かに苦笑しながらのその発言に、隣に座るアンジェラがぶんぶんと勢いよく首を横に振る。ライアンはそんな彼女を見て微笑み、そしてふとぎらりと金の目を光らせ、一切の笑みを消し、たくさんのカメラを正面から睨み据えた。
その猛獣の如き眼光に、記者たちが動きを止める。
「──2度目はねえ。絶対にだ」
地を這うような、獣の唸り声のようなその声が、多くのマイクを通して人々の肌を震わせた。
全員がごくりと息を飲むのを見届けたライアンは、すぐにふっと力を抜き、いつものゆったりとした表情に戻る。
途端に空気も柔らかくなるが、そうして表情や声だけでこの人数がひしめく会場の雰囲気を完璧にコントロールしてみせるヒーロー・ゴールデンライアンのカリスマぶりに、記者たちは改めて一目置くことになった。
「言わせてもらうけど、俺たちヒーローにとっちゃ、“誰かが常に狙ってる”っていうことを認識しただけで充分なんだよ。道で蹴躓かないように気をつける、車に気をつける、スリやひったくりに気をつける。そういう警戒に並んで“スナイパーに気をつける”が加わるだけだ」
つまりはそれほど自分たちには力があるのだ、とライアンは彼一流の、余裕綽々の態度でそう言ってのけた。
「……では今回のことは、その例えでいうなら“家の中で寛いでいる時にトラックが突っ込んできた”状況に等しかった、ということですか?」
アンジェラが狙撃されたヒーローランドは、生体認証による身元確認を全員に施して入場させるセキュリティ性の高い施設だった。だから油断していたのかということをあえて嫌味に聞く記者に、ライアンは片眉を上げて不遜な表情をした。
「カッコ悪い言い訳をせっかくそれっぽく言い換えたってのに、台無しにしたな?」
言い訳に取れるということを認めた上で、しかしそれだけではないということを余裕綽々の態度で表明したヒーローに、今度は記者が目を細め、皮肉げな笑みとともに肩を竦めた。
「それが商売ですので」
「参るね」
ヒーローは公人ではない。しかし芸能人であることと、治安維持に務める業務に従事するということから、近しい存在ではある。
そんな立場とマスコミは、敵対もしかねない独特の関係性にある。しかしマスコミに対して理解を示すような、それでいて上手く利用するような振る舞いをするゴールデンライアンに、この記者だけでなくこの場にいるマスコミ関係者全員が感心し、そして認めつつあった。
彼はマスコミの飯の種である木っ端の芸能人でもなく、常にカメラを警戒してだんまりを決め込む公人でもなく、マスメディアを真に理解していて、場を盛り上げ導いていくことの出来る同志であるのだと。
今回のホワイトアンジェラ暗殺未遂事件は、その事件そのものも大きく注目されているが、その後ライアンが取った行動や対応もかなり話題になっている。特に、マスコミ業界においては。
自分自身にカメラを密着させて身の潔白を証明するという前代未聞の行動に皆が度肝を抜いたが、そういう手段を取れること自体が、彼の心身ともにどこにも後ろ暗いところがないことを示している。
あきらかに一物持っていない正直者の懐を探る行いは、まさに下衆の勘繰りにしかならない。何より、見世物としても面白いものではない。そしてこれこそが、マスコミに正面から接し、時に利用すら出来る稀有な資格でもある。
ゴールデンライアン、ライアン・ゴールドスミスは、カメラを向けられるということに関して誰よりも稀有な資質を持つジーニアスなのだと、ここにいる報道陣はその稼業に従事しているからこそ思い知っていた。
「まあ、そういうことだ。これからは、家の中でも油断はしねえ。だから俺達はこれからも私服で買い物にも行くし、バラエティにも出る。これからも歌って踊れてトークもキレる、皆のゴールデンライアンってわけ」
肩をすくめ、ウィンクつきでそう言ったライアンに、記者たちから拍手が起こる。アンジェラはその誰よりも大きく拍手をし、感動した様子でこくこくと頷いていた。
「もちろん、こいつだってそうだ」
「おっしゃるとおりです! いつも地雷があるような気分は落ち着きませんが、ライアンがいれば大丈夫!」
ライアンにぽんと背を叩かれたアンジェラもまた、大きく頷いて強く言う。
「──力強いコメント、ありがとうございました。頼りにしています、ヒーロー」
質問をした記者はそう言って軽く頭を下げ、少し笑みを浮かべて引っ込んでいった。
その後は事件に関する詳細な質問が相次いだが、ライアンは話せるところは話し、それ以外のところは濁した。彼がどこにも後ろ暗い所を持たず、マスコミに対して敵対も媚びもしないことを理解している報道陣は、濁した所をあえて突っ込んでいくようなことはしなかった。
そして大方の質問がされた後、今度は週刊誌の記者が手を上げた。
R&Aの芸能活動全般をマネージメントするドミニオンズの主任であるオリガは、手を上げた彼がプライベートなスキャンダルをすっぱ抜くことに定評のある雑誌の記者であることを覚えていたが、あえて彼に質問を許す。そして彼は、コホンと咳払いをしてから発言した。
「事件が起こったのち、ゴールデンライアンからおふたりの交際宣言がありましたが、現在のご関係もお変わりありませんか?」
テロ、狙撃、暗殺、という重々しい事件についての質問に集中していた記者たちの雰囲気が、急に浮ついたものになる。なぜなら妙ににこやかに言った記者のその質問こそが、今回の記者会見の目玉のひとつであるからだ。
そしてその質問に、ライアンは顎を反らして天を仰ぎ、アンジェラはまるで眩しい煌めきが見えるのではないかというほどの笑みを浮かべた。
「はい! そうです! 私とライアンは、恋人! 恋人同士です!! はい!!」
テンションも音量も力いっぱいの声で、アンジェラが宣言する。あまりに声が大きかったのでマイクがまたハウリングを起こし、鼻息がごうごうとマイクに響いた。
「ゴールデンライアン、間違いありませんか?」
「あー、まー、うん、そういうこと」
「間違いありません! ライアンは、私の恋人! 彼氏! ダーリン! マイラブ!」
濁したコメントをするライアンに対し、アンジェラはそれを蹴倒す勢いでどこまでも全力、かつど真ん中ストレートである。笑いをこらえている記者もいた。
「そうですよねライアン!」
「そうだな。でもとりあえずおすわりだパピィちゃん」
「わかりました!」
興奮のあまり椅子を立ち上がりかけたアンジェラを、ライアンは子犬に言ったにしてはフラットな声色で座らせた。すぐさま椅子に尻をつけたアンジェラは、「ふふふ、パピィちゃん、うふ」とにやけている。一応小声だったが、全てマイクが拾っていたので全員の耳に入った。
「そうですか。それはそれは、おめでとうございます」
「ありがとう! ありがとうございます! ありがとう! とても!!」
祝う言葉とともに起こった拍手に、アンジェラは凱旋パレードでもしているかのように、あらゆる方向に手を振って応えた。ライアンは微笑みを浮かべつつ、しかしどこか遠くを見ている。
「では、お付き合いが始まったのはいつごろからですか?」
「クリスマスイブです! カウントダウンのすぐ前──」
「えっ、ではその直後にあの事件が!?」
「そうです!」
驚きました、などと呑気にいうアンジェラとは裏腹に、マスコミはざわめいている。そのうちの何人かが、「ゴールデンライアンがあれだけキレてたのもわかるな」「直後に恋人が撃たれりゃなあ、天国から地獄だよな」とひそひそと言い合っていた。
「アンジェラは前々からゴールデンライアンに対して堂々と気持ちを宣言していらっしゃいましたので……、つまり、ゴールデンライアンからOKの返事を貰ったということになりますが。その時の言葉はどんなふうな?」
「あのですね! 俺もおまえをはいふへひむむむむむ」
「あ〜、ああ〜はいはいはいはいはいはい」
拳を上下に振りながら答えようとするアンジェラの口をライアンがすかさず手で塞ぎ、もう片方の手の人差し指を口に当ててシーッとジェスチャーした。そのさまは、興奮して無駄吠えをする犬の口を押さえる飼い主そっくりである。
そして彼女がとりあえず黙ったのを確認したライアンが、そっと手を離す。
「あのな。そういうことは人に言わない。言わないもんだ」
「なぜですか! あんなにも素敵な言葉をおっしゃっていただいた、そのことを私は! 自慢したい! とても自慢したいです! とても!」
「あのなあ」
「それに、私はみなさんと約束しました!」
「約束?」
「そうです!」
アンジェラは、しっかりと頷いた。
「私がライアンの愛を手に入れることができたら、私からみなさんに自慢して差し上げると! これでもかと自慢してお知らせする、ですので待っていて欲しいと、私はそう約束しました! そうですよね!」
アンジェラがそう呼びかけると、報道陣はそれぞれにこやか、あるいはニヤニヤした笑みを浮かべて頷いた。若手の記者がひとり拳を振り上げ、「わんわーん!」とノリ良く叫ぶと、どっと笑いが起きる。
「私はあなたのおっしゃるとおりに待って、こうして愛を得られました! ですので、私を待っていてくださったみなさんに対しても、私は約束を守ります! 私は待てができる女! そして約束を守る女! なのです!」
そう言い切ったアンジェラに、「いいぞー」と声援が飛び、また拍手が起こった。ライアンが頭を抱える。
「私は今、とてもうれしいです! こうしてライアンの愛を手に入れ、みなさんにそれを自慢することが出来る! これでもかと! そこの方!」
「えっ、私!?」
「そうです、そこの方!」
アンジェラがいきなり近くにいた男性記者をびしりと指さしたので、まさか壇上のヒーローから逆に指名されるとは想定していなかったらしい彼は、目を白黒させた。
「あなたは恋人がいますか!?」
「えっ、あの、今はいませんが……」
「そうですか」
アンジェラはウムウムと数度頷き、そして次に、これでもかというどや顔をして薄い胸を反らした。
「私はいます! 恋人が! います! ライアンという世界いち素敵な恋人が!! いるのです!! ……えへへへぇ」
「お前それ自慢っていうか煽ってんだろ……」
台詞の最後で盛大に蕩けた彼女に、ライアンが呆れた声で言う。
「そうか、OK。お前の気持ちはわかった。でもダメ」
「ええ〜」
アンジェラは、不満げに唇を尖らせる。そんな彼女に、ライアンは逡巡するように噴いと視線を泳がせ、「よし」と言って指を鳴らした。
「なんでダメかっていうと、そう、……そういうのはプライベートだ」
「ぷらいべーと」
「……俺たちふたりだけの話だってこと」
「ふたりだけの!」
そのワードが気に入ったらしく、アンジェラはとたんに笑顔になった。そして「わかりました! 言いません! ふたりだけのものですからね!」と鼻息荒く言い、こくこくと激しく頷く。
「ライアンからの愛の言葉がどんなものだったか……そういった質問には、答えません! なぜならプライベートなこと……私たちふたりだけのことだからです!」
全てのやり取りをカメラとマイクの前でしているにも関わらず、アンジェラは先程質問した記者に対し、妙にきりっとした態度でわざわざそう言い返した。その茶番に、先ほど彼女がいないことを生中継で煽られるはめになった若い記者は遠い目をした半笑いで「あ、はい」と頷く。その煤けた肩を、隣にいた先輩らしい記者がポンと叩いた。
しかしまだ挙手は止まらず、オリガが次の記者を指名した。アンジェラはやる気満々の上にひどく楽しそうだが、ライアンは「まだやんのかよ……」とぼやいている。
「ええ、では、世界初の一部リーグ同士、しかもコンビヒーローでもあるカップル誕生ということになったわけですけれども。今後のヒーローとしての活動に、何か変化はありますか?」
割と真面目な質問が投げかけられ、ライアンがやや気を取り直した様子でマイクを持ち直す。
「そうだな。基本的に変わるところはないと思うけど──」
《ああ、その件に関しましてはこちらから》
だがその出鼻をくじいて発言したのは、なんと司会のオリガ主任だった。裏方の人間とは思えない、頭の天辺からハイヒールの爪先まで隙のない美女に、全員の視線が集まる。
《わたくし、“ドミニオンズ”主任のオリガ・チェルノヴァです。広報担当といたしましては、我が社のヒーローがカップルとして成立したことを全面に活かした戦略を予定しています》
「具体的には!?」
《各種イベント、グッズ販売。元々アンジェラは恋愛成就のマスコットとして人気がありますし、無事彼女の想いが実ったことで、よりその需要は高くなるでしょう。ふたりセットのグッズなども要望が多く、これからはカップル向けのアイテムの発売なども──》
「待て待てちょっと待て」
《よって》
ライアンの制止を聞かず、オリガ主任はカッとハイヒールの踵を鳴らした。
《会社としましてもこのふたりを全面的に応援し、バックアップしていく所存です。何せアポロンメディアのT&Bというバディヒーローに続き、こちらも初のカップルヒーロー。インパクトが強いぶん、別れなどしたらイメージダウンも甚だしい》
ものすごい圧で言った美女にライアンが口元を引きつらせ、報道陣が冷や汗を流しつつ苦笑いをする。
《ゴールデンライアンはご自身のプロデュースや商戦についてよく理解しておいでの方ですので、私の申し上げることなど当然承知の上かと思いますが》
そう言いつつ念を押してくるオリガに、ライアンは若干顔を引き攣らせる。
《アンジェラ、何かあれば何でも相談するように。我々はプロフェッショナルです》
「とても心強いです!」
「そうだろうよ……」
感動した様子で指を組むアンジェラに、ライアンがぼそりと言う。報道陣の中にいる男性数名が、気の毒そうな顔をした。
「ホワイトアンジェラのお気持ちもお願いします! 公私とものパートナーとして、これから彼と歩んでいくことについてどんな意気込みをお持ちですか!?」
「えっ、ええと。そうですね」
今度は若者向けの雑誌記者から指名で質問されたアンジェラは、照れを滲ませてもじもじと肩を動かした。
「子供は授かりものだと思いますので……」
その発言にマスコミがどよめき、笑い、そしてライアンは気を取り直すために口に含んだミネラルウォーターを噴いた。
「……気が早ぇ────わ! ぶっ飛ばしすぎだろうが色々!!」
「ええ〜」
口元に滴る水を手の甲で拭いながら力一杯突っ込みを入れるライアンに、アンジェラはのほほんとした様子で返した。
「……えー、驚きましたが。アンジェラとしては、そのくらいの重さ……、いえ、気持ちの強さということでしょうか」
「おお! そう、そういうことです!」
笑いをこらえながらまとめた記者に、アンジェラは明るい声で頷く。ライアンは、スタッフが差し出してくれたタオルで黙々と口元を拭いている。
「そして、あなたには恋人がいますか?」
「あっ、実はこの間恋人ができました! ラブラブです!」
「おお〜、いいですね! 私もです〜!」
「お前らいいかげんにしろよ」
ライアンが凄んだが、アンジェラは結局それからすべての質問に答えるとともに「あなたは恋人がいますか」と、自分にはいるというどや顔の自慢、もとい煽りを繰り返した。
しかしライアンもそのうちヤケになってきたのか、「付き合ってどのぐらいだ?」「じゃあここで、家で待ってるパートナーに愛の言葉をひとことだ」などと続けて煽りはじめると、記者会見は予想とは違う方向の盛り上がりをみせたのだった。
《では皆様、そろそろお時間です。ご挨拶を》
オリガ主任が告げ、ライアンとアンジェラが立ち上がった。
「んじゃ、そういうことで〜。これからも応援ヨロシク」
「今日はありがとうございました! 応援よろしくお願いします! そして、みなさんも愛する方と仲良くなれますように! わんわん!」
そんな台詞とともに、ふたりはまた手を繋いで退場していった。
といってもやはり、しつこく記者たちに手を振ろうとするアンジェラをライアンが引きずっていくという、まだ遊び足りなさそうな犬とその飼い主のような形ではあったが。
こうして、質問した記者たちがカメラが回る中で逆に自分のプライベートを尋ねられる、という珍しい記者会見はかなりの視聴率を記録し、会場の後ろの方で見守っていたアニエスも非常にご満悦で、「いいカップルね」と現金なコメントをした。
彼女にとっては、数字を取りさえするのならば、どんなにうざったくとも間違いなくいいものであるらしい。
「えへへ、楽しかったです。みなさんにおめでとうと言って頂けて、とてもうれしいです! えへへぇ、たくさん自慢しました! しかしもう少し自慢したかったような気も──……、ライアン?」
記者会見の会場から出た後、へらへらと笑いながらひとりで喋っていたガブリエラは、自分の手を引いてずんずん歩くライアンが全く返事をしないこと、──そして繋いでいるその大きな手にぎゅっと力が入っていて、僅かに震えてもいることに気付いた。
「ライアン?」
呼びかけに応えず、ライアンは無言のまま歩き続け、アスクレピオスでガブリエラが仮住まいにしているシェルター・ルームに戻ってきた。ガブリエラを連れて部屋に入ると、すぐに扉にロックを掛ける。
そして密室でガブリエラがメットを外した途端、ライアンは彼女の細い身体を引き寄せ、腕全体を使ってぎゅっと強く抱きしめた。
ガブリエラは「ふぐぅっ」と肺の中の空気を強制的に絞られた声を出したが、すぐにむぐむぐと喘いで身動ぎし、いい位置を探しあてる。厚い胸板の間に鼻先を突っ込むような形で安定したガブリエラは、すんすんと鼻を鳴らして彼の体臭を嗅ぎながら、幸せそうな顔でライアンを抱きしめ返す。
肌に当たる息と、細い腕がなるべく大きく自分の体を抱きしめ返そうとするくすぐったさに、ライアンはぐっと詰めていた息を長く吐いた。
「……生きて、る」
「生きていますよ」
低く、そして震えた声に、ガブリエラは微笑んで返した。
「私は生きています。生きてここにいます」
目を覚ました後、徹底した健康チェックや事件に関する事情聴取のため、ガブリエラは病室からこのシェルター・ルームに移ってきた。
そして大方の作業が終わった後、ではマスコミ対応をとなった時、ライアンは彼女を大勢の人の前に出すことに躊躇した。ふたり並んで舞台に上がり、全員がこちらに注目している観衆に対峙すること。それはライアンが最も得意とすることであると同時に、ガブリエラが狙撃されて目の前で倒れたあの時と全く同じシチュエーションでもあったからだ。
ふたりで舞台に立つ、そのことを想定しただけでライアンは一時的にシスリー医師のカウンセリングが必要な状態にまでなった。それに先程の記者会見で発言したように、一般論として暗殺されかけた人間がすぐまたメディアの前に立つというのは、傍目から見てはらはらすることでもある。
そのためしばらくホワイトアンジェラとしての業務は休止し、せめて犯人が捕まるまでシェルターに篭もるべきでは、という意見も当然に出たが、何より本人がその提案を拒否した。
「いやです! 私はまたライアンとテレビに出たいです!」
駄々をこねる子供のように地団駄を踏みながら、ガブリエラは主張した。
「それに、こういう時は、ナメられるのがいちばんいけません。私はナメられたくありません! それに、ライアンがナメられるのはもっと嫌です! ゴールデンライアンが、自分の女を隠して守る腰抜けと言われる? おお、絶対にだめです! 耐えられない! いいですか! 危なくても、立って歩くことが大事なのです! 歩く! 進む! そして生きる! 腰抜けから死ぬのです!」
大荒野をひとりで渡ってきた彼女らしい、そしてその華奢な見た目からは考えられない、タフネス極まる、そして無頼のアウトロー的な考えに周囲は呆気にとられた。
「ライアン! 私も連れて行ってください! 私も一緒に行く! 行きたいです!」
そんな彼女の願いを聞き入れる形で、ライアンはまた共に舞台に立つことを決意した。2度はない、という決意を「女のわがままを聞くのも男の甲斐性ってもんか」という、格好つけた台詞で覆って。
そしてガブリエラもまた、常に自分の前を歩いて進もうとする彼の手を握り、ここにいる、ちゃんとついてきているということを示した。記者会見の間も、あの長いテーブルの下で彼の手を強く握り続けていた。
それに、完全にノーガードというわけではない。ふたりとも私服の下にはライアンが二丁拳銃の老人に撃たれた時に活躍した超薄型の防弾・防火ウェアを着用しているし、ホワイトアンジェラのメットはパワーズが改良して、かなりの防御力を誇るようになっている。
もちろんアスクレピオスのスタッフたちも総出で警備システムを強化し、アークたちはガード体勢を徹底的に見直した。
「ライアン、連れて行ってくださって、ありがとうございます。カメラの前のライアンは、やはりとても素敵でした! カメラの前に立つライアンは、輝いています。きらきらです! とても楽しそうで、素敵でした!」
「……まあな」
ライアンは、苦笑した。正直、やはりああして観衆をコントロールし、注目させ、ライトを浴びてカメラを向けられるのは、とんでもなく楽しいのだ。快感、と言ってもいい。
あれほど危険だと思っていても、舞台に立てばああして好戦的に、挑戦的に立ち向かえる。もうこれは自分の才能であり、また業のようなものだ、とライアンは受け入れ、そして受け入れることでなんだか突き抜けたような気がした。
「ゴールデンライアンは、這いつくばっていても格好いいのです」
ガブリエラは、揺るがず言った。
「どんなライアンも、私は愛しています! 私はこれからも、それをいちばん近くで見ていたいです。ですので、ライアンと一緒にまたカメラの前に立てて、私はとても嬉しいです!」
「そーかよ……」
「はい! そして今のようなライアンは、少しかわいいです。きゅんきゅんします」
「ばーか」
「はうう……」
めろめろ、といった様子で、ガブリエラは蕩けきった顔でライアンの鎖骨あたりに頬ずりした。
ライアンはそんな彼女のめくれた前髪を更に掻き上げ、つるんとした額の端に薄っすらと残る傷を見た。狙撃された時、メットの破片でついたその傷はもう治っているし、このまま跡形もなく消えるだろうと医者から太鼓判も押されている。
しかしライアンは思わずその傷跡部分に、いつかしたような、子供やペットにするような軽いキスをした。するとガブリエラが「ぴゃーっ!!」という奇声とともに顔を赤くし、「死ぬ!」と笑いながら騒ぎ、ライアンの胸にぐりぐりと顔を押し付ける。
そのリアクションに、くっ、とライアンの喉から笑いが漏れた。
「……スナイパーに狙われてても死なねえくせに、俺のキスでは死ぬのかよ」
「おお、そのとおりです! 私を殺せるのはライアンだけですよ!」
「重い。もうおまえほんと重い」
全開の笑顔で言ったガブリエラに、ライアンは笑い混じりの声で返す。
「ですので、一緒に行きましょう! どこにでも、どんなに遠くでも、危ないところも、ふたりで行けばきっと大丈夫!」
ひとりで険しい大荒野を渡ってきたガブリエラは、ライアンをしっかりと抱きしめ、全く何も疑っていない様子で言う。
「カエデと過ごした時もそうでした。私はこの能力で、絶対にあなたを死なせません。そして私もあなたも、自分が死なないように、死ぬ気で頑張る。お互いにそうすれば、どんなことも大丈夫なのです!」
「脳筋」
「事実ですよ」
ふふん、とガブリエラは得意気に笑った。
「ライアンと一緒なら、どこでも、きっと、もっと、とても楽しいです!」
「……ああ、そうだな」
この自由な犬のような彼女と一緒なら一瞬だって退屈しないし、そしてどんな危険な冒険も、きっとこうして楽しめる。もし自分が撃たれても、死にさえしていなければ、ガブリエラの能力は絶対に自分を治し、守ってくれる。ふたりいれば、大丈夫。
ならば迷うことはない。
そう思って、ライアンはタフな男の、そして同時に少年のような笑みを浮かべた。