#146
彼は、ミュトスを求めてきた。
ミュトス。つまりは神話、英雄譚、奇跡の物語。理屈が通らない不可思議、魔法、超自然的現象。世界中の子供に一夜でプレゼントを配るサンタクロース。
だが時が経てば経つほど、この星を知れば知るほど、そんなものはないのだということを理解する。とはいえ、諦めたことなどいちどもない。しかし完璧なロジックを目の前にしたら、もはや何も言えなくなる。
ロジックとはつまり、論理の筋道。ものごとの仕組みのことだ。語源を遡るとロゴスといい、ミュトスと対をなす意味を持つ言葉である。
この星は、よくできたロゴスの集大成だ。
彼は、本心からそう思っていた。
長く生きれば生きるほど、そのことを確信してきた。
この世は様々な数式で表せるようにできていて、どんな場合も突き詰めれば円、あるいは球の形に収束する。
始まりの点と終わりの点が同化することで、ワープがループとなり、円という有限の形にあえて留まることで永遠の運動を可能にしている。円や球によりぐるぐる回る回転運動こそが合理の極み、究極のロゴスだ。
とはいえ、常に同じことを繰り返しているわけではない。何があっても動じぬ、全体の指標となる少数があり、そしてある程度の幅で変動する関数がある。そして意志なき多数がそれに揺さぶられて動き、全体に波を起こす。
非常によくできている。心から感心するし、だからこそそんな星の上で生きる数多の命を興味深く思い、常に観察し、研究してきた。
しかし研究すればするほど、彼は理解してしまった。
結局のところ、この星は円であり球。AAAAというほど単純な繰り返しではないが、ABCDEFG……Zと繰り返し、またAに戻っていくのだということを、彼は観察によってはっきりと解明した。──解明してしまった。
この星もまた、この公式に当てはまった存在だ。
公転と自転を繰り返す、球の形をした星。ぐるぐると四季を巡り、せわしなく昼と夜を繰り返し、決まった重力のもとであらゆるものが生まれ、死ぬことを続けていく。
球という、始点と終点を繋げた三次元的な歯車がなし得る、絶対量が定められたエントロピーをリサイクルしながら続く永久機関。
観測中、今まで見られなかった存在が発生した時は、それによっていつかはZからAに戻らず、他の何ものか、つまり新たなるNEXTに至りはしないかと期待もしたが、結局はそれもいつものループ、有限の関数に取り込まれてしまった。
異常だ、イレギュラーだと言われるような存在も、結局は決められた範囲での動きにすぎない。今の己等には計算できないことをカオスだのランダムだのと呼んでいるだけのことだ。
衛星である月もそうだ。あれは得体の知れないミステリアスな、イレギュラー的な存在だと文化の上で謳われることもあるものの、あれもまた結局は球であり、やはりこの星あってのものである。月もまた、己だけでは回れないただの歯車である。
──つまらない。
彼が感じたのは、落胆と失望、そして退屈だった。
とはいえ、この星の生命を見下しているというのではない。くだらないとも思ってはいない。これは確かによくできた、壮大な芸術品とも表現できる奇跡の星だ。ループを繰り返す歴史の波に消えていった有象無象の生命活動の儚さを思えば、それなりに感動もする。
だが好みではない。そして、飽きた。
いくらよくできていても、何度も見せられれば食傷気味になるのは共通認識だ、と彼はまた発見し、興味深く思った。だが、それが最後の有用な発見だった。
この星は優秀だ。よくできている。奇跡の調和のもとに生まれた永久機関である。
しかし、有限だ。いうなれば、果てのある箱庭。ビオトープ。囲いの中で完結する世界。
昔の人間はこの星が球体であることを知らず、世界の端には得体の知れぬ世界があるのだと信じていた。処女懐胎という、ロゴスを無視した奇跡によって生まれるという救世主、新たなる天使を希う信仰を起こした人類に同調し、同感だと感激し、理解を示し、全力で応援してきた。
しかしこの星が球体であると知った時、人は感動した。世界の果ては得体の知れない世界などではなかったことに安堵した。
彼は、裏切られた気がした。その気持ちに、全くもって賛同できなかった。共感など以ての外だ。
どれだけ歩もうとも、結局は始点に戻ってくる。
歩んだ果てで、先のない有限を見せつけられる。
そのことに虚無と失望を感じず、これが世界のすべてであると、世界はひとつにつながっていると、むしろこうして巡り続けることを永遠だと賛美した人類に、彼は今度こそ失望したのだ。
あろうことか、そのうち人類は処女懐胎によって聖母から生まれたミュトスの権化をロゴスと呼び始めた。彼らの考えでは、それは世界を構成する論理、ロゴスの象徴であるという。自然や運命、奇跡さえもロゴスの一端。人はロゴスを持って生まれ、そのロゴスを解明すべく生きるのが賢者の生き方だと言われた。
つまりこの星に、彼の天使は存在しなかった。
超自然的存在もなく、世界の法則を越えた神秘、新たなる次の可能性など起こりようもない、ただループの数式を繰り返す、究極のロゴスによる球状の箱庭。
彼が求めていた星は、こんなものではなかった。彼が期待していたのは、決して解明できない不思議と未知、神話に溢れたミュトスの輝きを放つ星だ。
だがこの星の観察によって明らかになるのはミュトスを否定するロゴスの完全性ばかりで、彼が求める星の輝きはどこにもなかった。いつまで経っても天使は現れなかったのだ。
そこで彼が思いついたのが、天使、そして星をも自ら作り上げることだ。
彼もまた、ロゴスが得意だ。
だからこそこの星を解明し、そして失望するに至ったのであるし、自分にないものだからこそミュトスの不思議に憧れてここまで来た。
新たな星に連れて行ってくれる天使。
待っていても天使が現れることはないのだと失望とともに見切りをつけた彼は、自分のすべてを使って、ミュトスに至るためのロゴス、人工の天使を作ることにした。
星に導いてくれる天使が現れなくても、デウス・エクス・マキナ、ロゴスで作り上げた機械仕掛けの天使ならば自分でも作れる。そして彫像の美女が愛する妻になる神話のように、いつか、と夢想した。サンタクロースの奇跡を期待する子供のように。
「ああ、私の天使」
彼の前に横たわるのは、白い肌に赤い髪をした天使の器。
男でも女でもなく、誰から生まれたのでもない。
徹底したロゴスによって作り上げた、奇跡の欠片もない人工の天使。ミュトスの輝き、星に至るための、彼のロゴスの集大成。
容姿は、材料に使った天使の残骸に残っていたデータから設定した。
彼女がより良きと感じていたエリアに格納されていた、つまり“好み”だったらしい容姿だ。こうして協力してもらうのだから、そのくらいはサービスさせてもらいたい、という彼の気遣いだった。
身長は180センチと少しで、体つきはほっそりとしている。男女とも長身で手脚の長い、あの地域に多い遺伝子情報の特徴がよく出ていた。
顔立ちは男としては美しすぎ、女としては凛々しすぎる。まつ毛は長いが唇は薄く、頬のラインは直線的だが肌は柔らかくてきめ細やかだ。
ひとことで言えば中性的だが、それはいかにも天使らしくもあり、彼も個人的に気に入っていた。かつての天使と趣味が合っているようなのも嬉しい。趣味が合うのは大事なことだ、と彼は思っていた。なぜなら趣味さえあっていれば、彼はこの星を自分の星として愛することができたのだから。
彼は、この星を憎んではいない。傷つけたいなどと、思ったことさえない。見下してもいない。尊く、眩しくさえ思う。
ただそこに己の居場所はないのだと、ここは自分の星ではないのだ、愛されることも、愛することもできないのだとただただ失望するだけだ。
「さあ、連れて行ってくれ。私の天使」
彼は祈る。
自らロゴスによって作り上げた天使に向かって祈るのは滑稽だが、祈り自体は、不確定なものだ。無粋で残酷なロゴスに組み込まれぬ、無為で、奇跡を期待する無力な願いを、彼は愛していた。ミュトスに繋がるかもしれない、尊いものだと信じていた。
「ここではない、私たちの星へ」
ここにいてもいいと受け入れてくれる、彼方にあるはずの星。
奇跡と運命、ミュトスが導く、たったひとつの輝き(The Shining)へ。