#142
「アンジェラ! 聞いてるの!?」
「えっ」
いきなり目の前にアップになったシンディの顔に、ガブリエラは目を丸くした。
「えっ。なにがですか」
「しっかりしてよもう。二部リーグヒーローはこれから特にイメージアップをはからなきゃいけないんだからね。事件そのものも大事だけど、市民にとっては事後処理も大事! 事件で負ったどんな怪我でも治せるケアとサポートのヒーロー・ホワイトアンジェラ! ってかんじで!」
「イメージアップ……」
ガブリエラは、まだぼんやりする頭のまま、ただ復唱した。
「……ああ、マーベリック事件で」
「いつの話してるのよ」
シンディが、呆れ顔で振り返った。
「アポロンの二部リーグが突然クビになって、ワイルドタイガーもまたクビになったからでしょ。今度は何したのかしらあの人」
「クビ……」
「ちょっと、ほんとにしっかりしてちょうだい。そんなにファイヤーエンブレムのことがショックだったの?」
シンディが、呆れ顔を心配そうな顔に変えて覗き込んでくる。頭に流れ込んでくる情報を、ガブリエラは型落ちのパソコンのような速度でたどたどしく処理した。
辺りを見回す。ケア・サポートのオフィスだ。
しかし先程まで真冬用の上着を着ていたはずなのに、いつのまにかTシャツになっている。柄は毒々しい、エレキギターを掻き鳴らす骸骨。何も考えずにアドニスに貰ったTシャツを着ていたら、そういう系統が趣味なのだと思った社員が善意でくれた、インディーズのバンドのTシャツだ。知っているバンドはひとつもないが。
しかし相変わらずがりがりにやせ細り、能力の使いすぎでいつもカロリー・栄養不足で顔色が悪い上に惰性で丸坊主にしているガブリエラは、良くも悪くもそれが似合った。おまけに目を黒く囲うパンクロック風メイクをすれば、ガリガリに痩せた不健康そうな人ではなく、好きでそうしている趣味の人に見えて色々説明を省けるため、最近はずっとそうしている。
鏡を見ると、耳には服装にやや似合わない高級なピアス。
あの日、ブランカがくれたものだ。絆や縁故の証にピアスを交換する習慣を話したら、彼女が素敵だと言ってその場で自分の耳から外し、ガブリエラにくれたのだ。もし自分のところに来ることがあったらまた、という言葉を残して。
マーベリック事件の後、ヒーロー業界もシュテルンビルトも、荒れに荒れた。
T&Bがいなくなったこともあって一部リーグヒーローは精力的なボランティア活動やイメージアップキャンペーンに熱心になり、より多くの犯罪を阻止すべく活躍した。
しかし10ヶ月も経つと、まずワイルドタイガーが減退して1分間になった『ハンドレッドパワー・ワンミニッツ』の能力を引っ提げ、二部リーグで再デビュー。更に2ヶ月後のクリスマスイブにバーナビーも二部リーグで復帰し、新生二部リーグT&Bが誕生したのだ。
元一部リーグのビッグネームが二部リーグとなったことで、二部リーグヒーローもまたやや注目されつつ年を越し、春。
ガーゴイルテクニカという大企業を成功させたカリスマ実業家にしてアポロンメディアの新オーナー、マーク・シュナイダーが、アポロンメディアの二部リーグを急遽廃止。そして、二部リーグヒーローであったワイルドタイガーも解雇したのだ。
「バーナビーの新しい相棒、なんて言ったっけ? いいカラダした若いイケメン。顔出しのイケメンコンビヒーローかあ〜、女の子人気すごそう」
そうだ、あの日からもう1年が経っている。
無難に仕事を終えたガブリエラは、定刻通り退社すべく、社員用駐車場に置いているバイクに跨った。そして、ふっと思う。
──あれは、誰だったのだろう。
男であったような、女であったような。どちらでもないような。
知っているような、知らないような。どちらでもないような。
ガブリエラは跨っているバイクを見て、いつもぴかぴかに磨いているタンクを撫でた。
「……もしかして、やはりあなたですか?」
しかし、エンジンもかけていない黒いマシンは当然何も言わない。ガブリエラは目を細めて、柔らかく眉尻を下げた。
「いいえ、違いますね。あなたは若ぶっていましたけど、もっとおじいさんですし。性格の悪さはあんな感じでしたけども。……怒りますか? 怒りますね。ふふふ」
そう言いながら、ガブリエラは割といい気分でマシンを押して駐車場を出る。
「……おまえ、いつもバイクに話しかけてんの?」
夢を見ているようにほわほわした気分だったガブリエラは、一気に醒めた。
駐車場のシャッターの脇に怪訝な顔で立っていたのは、アドニスである。彼はあの日からしばらく姿を見せなかったが、仕事が安定し始めると、またしょっちゅうこうしてちょっかいを出しに来るようになった。
「機械に話しかけるって、やばくない? ペットとかならまだわかるけどさあ」
「放っておいてください」
「待ちなよ。ねえ、明日のジャスティスデーどうすんの?」
ジャスティスデー。
シュテルンビルトの象徴である女神像だが、この女神に関する伝説に基づく、シュテルンビルト特有のフェスティバルである。
由来である伝説自体は女神から天罰が下ってシュテルンビルトに大穴が開くという陰鬱なものなのだが、人間は喉元過ぎれば調子よくお祭りにまでするようだ。
女神そのものと、女神の使いである蟹などのモチーフを使ったグッズがそこらじゅうに飾られ、盛大なパレードやイベントを多数開催して賑わう。
最も盛況なのは当然フェスティバル当日だが、バレンタインデーが終わったあたりからジャスティスデーまではずっとお祝いムードが続き、ジャスティスデーの装飾品がシュテルンビルト中に溢れかえると言っていい。
またイベントごとの宿命で、このイベントをデートにうってつけと扱うカップルも多い。エリア外からの観光客もかなり増える期間だ。
「どう、とは? 仕事に決まっています」
ガブリエラは、淡々と言った。
お祭りということは、人が増える。ということは、揉め事も増えるのが道理だ。
TVで取り上げられるような派手な犯罪は一部リーグヒーローの仕事にして見せ場だが、そうなるまでもないスリや詐欺、ひったくり、喧嘩などの小さな諍いは警察や二部リーグヒーローの仕事である。
ガブリエラは最初からヒーロースーツを着込み、救急スタッフが常駐しているテントに一緒に詰めて待機しておくことが決まっていた。もし怪我人相手の仕事がなくてもテントの前で市民に顔を売ったりもできるし、悪くない仕事だと思っている。
「またぁ!? 去年もそうだったじゃん」
口をとがらせてブーイングを飛ばすアドニスを、ガブリエラは無視した。そして上着のフードを取り、坊主頭にフルフェイスのヘルメットをかぶる。
「待てってば。ねえ、ちょっとぐらいなら抜けられるでしょ」
「抜けられません」
「えー!? ジャスティスデーだよ!? 1年に1回しかないのに。ねーねー」
甘ったれた声だ。おそらく彼のパトロンにはこれで通じるのだろうが、ガブリエラにとってはひたすら鬱陶しいだけである。だが悪意があるというわけではないので、蹴っ飛ばすこともしにくい。まさにキャンキャン足元で無駄吠えしてくる、わがままな小型犬のような鬱陶しさだ。
「じゃあ今からどっか飲みに行こーよ。成人したんだからもう飲めるでしょ」
確かにガブリエラは昨年末に成人した。法律的に飲酒が許される年齢で、会社の飲み会では社内いちの酒豪としての立場をさっそく確立させている。おじさん連中からは非常に受けがいいし、おじさんに飲まされそうになって困っている女性社員の代わりに飲んだりするので、女性社員からも評判がいい。
だが、少しでも飲酒をすると車やバイクに乗ってはいけないのだ。理由は簡単、転んで死ぬ確率が高いからである。理屈が通っている。
今まさにバイクに乗ろうとしていて、しかも翌日はイベントで特別な仕事だと説明したところだというのに酒を勧めてくるアドニスが、ガブリエラはもう最近どうしても自分より頭が悪いように思えてならない。
「行きません」
ガブリエラははっきりと言い、エンジンをかけた。
そしてアドニスがまた何か言う前にその言葉の出始めを爆音で潰し、滑らかに走り出した。後ろでアドニスがキャンキャン喚いていたような気もしたが、ガブリエラは全く聞かず、今日はさっさと寝るためにアパルトメントに戻っていった。
「……シンディ、疲れていますか? 能力を使いましょうか?」
翌日、ジャスティスデー当日。
しょっちゅう喫煙所で煙草を吸うシンディが心配で、ホワイトアンジェラのコスチュームのままガブリエラは彼女に声をかける。喧嘩などの怪我人が時々連れてこられるものの、救護テントは今のところ概ね暇だった。
「やあね、大丈夫よ。怪我人のためにカロリーとっときなさい」
だがシンディは苦笑いをし、短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けた。
シンディの煙草の量が増えたのも、ガブリエラが毎朝少し手を入れないとなんだか肌の調子が悪いのも、原因はわかっている。ケア・サポートの社長である夫と上手くいっていないせいだ。
マーベリック事件でヒーローそのものの信用がかなり下がったという大事件があってなお、ケア・サポートにおいてホワイトアンジェラを擁するヒーロー事業は、なかなか好調だ。
怪我を治した市民や医療スタッフのクチコミで、経営者であれば商談を持ちかけてきてくれたり、一般人であれば関連商品を買ってくれたり、ジムに入会してくれたりもする。能力の性質上ホワイトアンジェラにお菓子や食品の差し入れがされ、ダイレクトに経費削減に繋がるところも無駄がなかった。
怪我を治した相手に配るようになった、名刺代わりの除菌ウェットティッシュのノベルティやコスチュームには月極でスポンサーのロゴを入れ、広告収入も得られるようになった。スポンサーは皆中堅どころの企業だが、毎月の契約更新でさほど困らない程度にはスポンサーになってもらえている。
また世間的にも新しく、先駆けと言っていい二部リーグヒーローを、夜の仕事で培ったノウハウを活かして運用し確実な成果を上げているシンディの評価も高い。
当初の、新婚で色ボケた新社長がコネ入社させたホステス上がり、という評判は今や全く無く、夜の厳しい世界で店をやり繰りしていた現場主義の敏腕社員、という認識が社内でもうすっかり定着している。
だが社長である夫は、あまり成果を上げられていない。
元々彼の父親がその更に父親と一緒に大きくした会社は、その頃の伝手や古い縁で成り立っているところがある。会社を継ぐまでボディビルを始めとした個人的な活動に専念してきた彼は、スポーツやトレーニングの知識は豊富でも、他の会社へのコネクションや経営のノウハウがあまりなかった。
そこは引退した父やそれを支えてきた役員たちが引き続きカバーし、その上で力をつけていけばいい、という無難な考えだったのだが、その父親が急な病気で亡くなったのだ。
そのことで気勢が衰えてしまったのか、彼と一緒に会社を作ってきた年配の役員たちがちらほらと引退、隠居をするようになった。
厄介だったのが、彼らが揃って「いい嫁さんをもらったんだから、支えあってやっていけ。あとはよろしく」というような言葉を残して去っていったことだ。
確かにシンディは、ヒーロー事業部を盛り立てている。店を半ば任されていたこともある。実力がないわけではない、むしろあるだろう。だが小さな飲み屋と、社員を3桁の人数抱える会社は全く違うのだ。
それに古株が去った社内において、シンディの評判が上がるぶん、社長の評判はあまり良くなかった。
まず社長として半人前であること、そして妻が管理しているヒーロー事業部に何かと固執し、妙な自作マスコットキャラ“マッチョ君”のグッズばかりやたら作りたがるのもその原因だった。
メジャーとはいえないが一緒に仕事をする医療スタッフとは非常に良好な関係を築き、営業の成功率も高くイメージアップや顧客獲得にも成功しているホワイトアンジェラのグッズを作らず、ホワイトアンジェラのマスコット、という設定であるだけの認知度の低いキャラクターをゴリ押しする様は、社員にとって印象が悪かった。
同じくらいホワイトアンジェラのグッズを作っているならまだしも、マッチョ君のグッズにすべての予算が回されて、アンジェラのグッズはストラップひとつきりだ。
ガブリエラとシンディは彼がどれほどヒーローに夢を見てきたか知っているので、実際の活動に必要な備品やコスチュームの予算さえ確保してもらえればいい、と納得していた。
名刺代わりに怪我人に渡すウェットティッシュの柄でさえマッチョ君だが、文句は言わない。思うところは確かにあるが、彼がヒーロー事業部を起こさなければ今のホワイトアンジェラとその実績は存在しないのも確かだからだ。
しかし社員の評判は、それでどんどん悪くなった。
トップが嫌われる組織がどうなっていくかは、よく考えなくてもわかる。また新規顧客獲得に社長自ら接待営業をしても、「ホワイトアンジェラは?」と言われてしまい、手土産に渡したマッチョ君のグッズを除けられてしまう社長は、すっかりやさぐれてしまった。
シンディが応援しても「どうせ俺は仕事ができない」と拗ね、ホワイトアンジェラが活躍すれば対抗するようにマッチョ君のグッズを大量発注してなんとしても売れと圧迫する。
そしてホワイトアンジェラの知名度や月極の広告収入は安定しているものの、社長がこんな具合なので、会社そのものの業績は緩やかに、しかし確実に下がっていた。
シンディはずっと彼を宥めすかし、励まし、叱り、甘やかしと手を尽くしたが、ほとんど成果は見られなかった。
そしてある日、「ホステス上がりのくせに、俺より仕事ができるみたいな顔しやがって」と彼が社内で怒鳴ったのが、シンディにとっても、聞いてしまった社員たちにとっても決定的になってしまった。
君の力が必要だ、俺と一緒に頑張って欲しい、とプロポーズしてくれたはずの彼にそう言われたことは、シンディにとってかなりのショックだったのだ。
ガブリエラはその日給湯室で散々泣いているシンディを慰めたが、彼女は「もう無理」と言うばかりで首を振った。
「身体が元気になれば気持ちも持ち直すかもしれません。私の能力を……」
「いいえ」
シンディは、泣きすぎて腫れた目を濡れタオルで押さえながら言った。
「私も、とりあえずお金があって生活に余裕がある人を選べば、気持ちは後からついてくると思ってた。あの人だって、悪い人じゃないし」
そうだ、悪い人ではないのだ。
──だが、いい人でもない。
ガブリエラはそう思ったが、言わずにおいた。おそらく、シンディもわかっていることだろう。彼はあくまで良くも悪くも普通の人で、強い力で引っ張られれば素直についてきてくれるが、自発的にどうこうすることはない。“一緒に頑張る”ということ自体に無理があるのだ。こういう人間が、楽な方へ、心地良い方へ流れていってしまうのは自然なことなのだ。
もし採用されたヒーローがホワイトアンジェラではなく、彼が夢見てきたマッチョで逞しいヒーローだったら、きっともっと上手く行っていただろう、とガブリエラも何度も思ったことがある。
「ブランカにもね、最初あんまりいい顔はされなかった。でもお互いに好きになる努力をして、支えあって、嬉しいことや悲しいことも、大変なことも一緒に乗り越えていけば、きっとって……。でも、やっぱり気持ちを後回しにして打算で選んだ相手だもの。そりゃ相手からも打算で見られるわよね」
「そうでしょうか」
「そうよ。都合のいい白馬の王子様なんかいないの。私が馬鹿だったのよ」
「シンディは頭のいい人ですよ」
ガブリエラは、強めの口調で言った。
「そして美人です。とても」
シンディはその言葉でまた涙を溢れさせ、ガブリエラを強くハグした。筋トレが趣味の彼女の抱擁はかなり力強いが、しかし柔らかくもある。
「おお、おっぱいも本物です!」
「馬鹿!」
泣き笑いでシンディに頭を叩かれ、ガブリエラも笑い返した。
このやり取りが昨年の冬頃の話だ。
その後、諦めたか吹っ切れたか、シンディは今まで手を出さなかったヒーロー事業部以外の仕事もやるようになった。
まず古株の役員たちがいなくなったことでかなり不利な契約を無理に続けていた、スポーツやボディビルのトレーニングなどに必要なプロテインやサプリ類の扱いをかなり縮小し、昔の仕事の伝手や、ホワイトアンジェラのヒーロー活動でも営業をかけ、処方箋不要でドラッグストアで買える風邪薬やらビタミン剤、塗り薬、栄養バーなどの取扱を始めた。
ひとつひとつは小さな契約だが、塵も積もればなんとやらだ。そこそこ大きい歴史ある中堅の会社というプライドを捨てて細かい契約を山と行ったおかげで、ケア・サポートは大きなゆらぎをとりあえず止めることができた。
このことでシンディの評価はまた上がったが、面白くないのは夫の社長である。
彼はもうシンディと暮らしているマンションにすら殆ど帰ってこず、会社にもあまり出社してこなくなってしまった。夜はそういう店で飲み歩いている、という情報が、ブランカ経由で入った。言わずもがな、彼女経由の情報なら疑いようもない。
子供のようにすねて引きこもるばかりか、自分の古巣で飲み歩く夫に、シンディは完全に失望し、愛想を尽かしたようだった。彼のことで泣くことはなくなり、しかしそのかわり、煙草の量が倍に増えた。
「離婚はね、ちょっと迷ってるんだけど」
やたらに陽気な蟹の飾りに溢れ、浮かれた被り物をした市民や観光客が目の前で行き交う喧騒の中、シンディはぼそりと言った。
「なぜ迷っているのですか?」
「だってこんな状態で別れたら、私クビになるかもでしょ。自惚れてるわけじゃないけど、そしたら会社どうするのよ。何人路頭に迷う? あんたのことだって……」
正直それは、自惚れでもなんでもない。シンディがいなかったら、おそらくケア・サポートはもっと危ない状態になっているだろう。特にシュテルンビルトは世界的に見ても金の流れが非常に激しく、一気に上場する時のスピードもすごいが、潰れる時もあっという間なのだ。
この状況で社長がシンディをクビにするのなら、彼はもう本当に無能である、とガブリエラでさえわかる。
「私のことは気にしなくても大丈夫です」
「でも」
「大丈夫。私はどこでも生きていけます。ですので、シンディのいいようにしてください」
ガブリエラは、きっぱりと言った。
シンディは少し面食らった後、少しさみしそうな顔をし、そして頼もしそうな顔をした。
「……そうね。あんたはもう、師匠がいなくても大丈夫だものね」
「そうですとも」
「あんたすっごい根性あるもんね。そうそういないわよ、あんたみたいなの」
「ふふん。それに、シンディが先生ですから」
「そっか。……そう、そうよね」
そう言って頷き、シンディは今度こそにっかと笑った。
「じゃあ、もうちょっと自分の都合で考えてみるわね」
「それがいいです。会社も、元々あの人が社長の会社です。シンディではなく、あの人がなんとかするべきなのでは?」
「……それもそうか」
やっぱあんた時々核心を突くわよね、と言いつつ、シンディは真顔で頷いた。
「なんかちょっと元気出てきたわ」
「それは良かったです」
そして、すっかり日が沈んだ頃。
フェスティバル本会場上空に、盛大な花火が立て続けに打ち上げられ始める。
漏れ聞こえる音楽も大きくなり、会場内では女神の伝説を模した巨大モニュメントが現れ、楽団の演奏や大人数のダンスによるパレードが行われているはずだ。あら今年の音楽いいわねえ、と、シュテルンビルトで暮らし始めて長いシンディがしみじみしたコメントをした。
「ホワイトアンジェラ、打ち合わせ通りにお願いします」
「はい」
確認も兼ねて声をかけてきた警察官に、ガブリエラはホワイトアンジェラの姿で頷く。
シュテルンビルトでは、ここ1ヶ月ほどの間にテロともみられる公共物の破壊行為、また不審な目撃情報が相次いでいる。
ヒーローと警察関係者に回覧されている容疑者の情報は、唸り声を使ったNEXT能力を使う大柄な男と、露出の多いダンサー風の衣装を着た褐色の肌の女性。そして特徴的な禿頭と髭の老人、ということだった。
この3人は既に一部リーグヒーローとも交戦しており、しかもファイヤーエンブレムが何らかのダメージを負ったとのことで、まだ復帰できていない。ガブリエラもショックを受けずっと心配しているが、今のところ続報はない。
犯人グループの目的は未だわからないが、この時期のシュテルンビルトとなれば、ジャスティスデー当日に何らかの行動を起こすことはじゅうぶんに考えられる。
よって今日は例年よりも警察官の人数を増やし、一部リーグヒーローも既にヒーロースーツで警戒態勢をとり、パトロールを兼ねた待機を行っている。
そしてホワイトアンジェラもまたテロを警戒し、重傷者が出た時のことを考慮していつもよりもカロリーを摂取し、また余分のカロリーバーも多く準備してこの救護エリアに待機しているのだった。
「……なんでしょう?」
「え? なに?」
きょろきょろと辺りを見回す自社ヒーローに、備品の整理をしていたシンディが首を傾げる。
「何か、変な音が聞こえます。音……、いえ、これは、声?」
「声? 何も聞こえないけど……」
「うぅうう、という感じの」
「あんたやっぱ耳いいわねえ。……モスキート音とかそういうやつじゃないわよね?」
後半はジト目でぼそぼそとシンディが呟いたその時、ウォン、とガブリエラの耳に非常に慣れた音がした。
「うわ、すっごい。やっぱ超イカツイよね、おまえのバイク」
振り返ると、そこにいたのは、バイク──ガブリエラのマシンに跨ったアドニスだった。
「──なにを」
心臓が、大きく鳴った。
ガブリエラが毎日ぴかぴかに磨いて何より大事に乗っている、必死に金を貯めて買ったマシン。あの黒い馬の、つやつやの毛並みのように黒いバイク。一緒に荒野を越え、崖を飛んだ相棒。ガブリエラの初めての、いちばんの友達。
ラグエルに、なぜアドニスが乗っているのか。
「なにを、……して、いるのです」
「抜ける暇ないとか言って、時間ありそうじゃん」
声が震えるのを必死にこらえて発したガブリエラの問いを、アドニスは無視した。彼の目は相変わらず宝石のように美しいが、その輝きはやはりガブリエラには安っぽく見えて、特に魅力的ではない。
そして彼がぴかぴかのタンクをぺちぺちとぞんざいに叩いて曇った指紋をつけたので、ガブリエラは地面を蹴った。無論、アドニスを力の限り蹴り飛ばしてラグエルの上から退けるためだ。
「アーンジェラ! アンジェラ! ストップ! ストーップ!!」
しかし腕を広げたシンディが彼の前に立ったので、ガブリエラはなんとか静止した。
「ストップ! 気持ちは超わかるけどストップ! ヒーローが一般人殴っちゃダメ!」
「う……」
全くもって正論だ。しかも、ジャスティスデーであるおかげでいつもと比べ物にならないほど人が多い。
「う……うう……」
「ステイ。“待て”よアンジェラ。あなたは待てが出来る女。そうでしょ」
「う……ヴヴヴヴヴヴヴ」
興奮した猛獣を諭すような、いやそれそのもののやり方で言い聞かせてくるシンディに、ガブリエラはぎりぎりと歯を食いしばりながら唸り声を上げる。そんなガブリエラを見て、アドニスがにやりと笑った。
「ヒーロー様は大変だねえ」
「あんたは黙ってなさい! というかその無駄に小さいお尻退けて! 降りて!」
「やだね」
「ヴ……、ヴ……ヴヴ……」
ガブリエラは吐き気にも似た熱い塊をなんとか胃の腑に押し込め、なんとか息を吸った。
「──何をしているのかと! 聞いています!!」
「あはは、必死。うける」
喉が引き攣れるような声で叫んだガブリエラに、アドニスは肩を竦め、目を細めて笑った。それはひどく楽しそうな、そして子供じみた歪みがたっぷり滲んだ笑みだった。
「そんなに大事なら、追いかけてきなよ」
ウォン! とクリアなエンジン音。
ラグエルに跨って、軽やかさの欠片もなくまっすぐに走り出したアドニスに、ガブリエラの目の前が赤くなる。
──ドォオオオオン!!
だがその時場を支配したのは、走り屋仕様のモンスターマシンのマフラー音も消し去る爆音と地響きだった。
しかもそれはひとつではなく、ドォン、ドォン、ドォン!! と連続していく。無論それは花火などではなく、すぐに市民たちの悲鳴が盛大に上がり始めた。地下水道管を傷つけたのか、爆風に乗って霧のような水も降ってくる。
《市民の皆さんは、直ちに避難してください。誘導に従い、慌てずに──》
「なに!? やっぱテロ!?」
シンディが叫ぶ。待機していた警察官たちは市民を避難させるために一斉に持ち場に向かい、各所で声を張り上げていた。
「ホワイトアンジェラ! 怪我人が多数運び込まれることが予想されます。用意を!」
医療スタッフが緊迫した、しかし使命感に溢れた声を上げる。しかしガブリエラは、バイクが走り去った方向を見つめ、しかもそちらに駆け出そうとしていた。
「アンジェラ! やめなさい!!」
だがそれを制したのは、やはりシンディである。
「あんたはここで仕事して! ──バイクは私がなんとかするから!」
シンディに正面から羽交い締めにされても、ガブリエラは黒いマシンが走り去った方を睨みつけている。
「もーっ、冷静になりなさい! あんたの走り屋仲間全員で探してとっ捕まえてもらうから! ブランカにも連絡しとくから!!」
そこまで言われて、ガブリエラの頭にやっと僅かな落ち着きが戻ってきた。細い身体からは考えられないほどのものすごい力で地面を蹴ろうとしていたガブリエラがふっと力を抜いたので、シンディもほっとする。そしてガブリエラをハグし、その背中をぽんぽんと叩いた。
「よーしよーし。大丈夫よ、大丈夫。私に任せて」
「……わかり、ました。お、ねがい、します」
「もちろんよ。あんたがどれだけあのバイクを大事にしてるかは知ってるし」
「はい……」
「何発か殴ってもいいから、ていうか殴って捕まえろって言っとく」
「ぜひそうしてください」
ガブリエラは力強く頷き、「スタンバイします」と硬い声で言うと、非常時マニュアルを元にした打ち合わせ通り、救護テントの中に入っていった。
「災いなるかな……災いなるかな……災いなるかな……」
そうだ、大丈夫。
モヒカンチーム、改めスキンヘッドチームは、ああ見えてシュテルンビルトでも1、2を争う走り屋チームだ。彼らほど、シュテルンビルトの道に詳しい者はいない。本業としてタクシー運転手をしているメンバーもいるので、そちらの伝手も使ってもらえるなら更にだ。何より彼らはいつもガブリエラにとても良くしてくれるので、今回も張り切ってくれるに違いない。
またアドニスの後見人であり、シュテルンビルトの地元の情報ならどんな小さなものでも知っているブランカに手を貸してもらえば、アドニスぐらいすぐに見つかるはずだ。そして今度こそ徹底的に怒られて、痛い目にあえばいい。
馬鹿なチワワが逃走5分で首根っこを捕まえられ、無様にきゃんきゃん喚いているところを想像しながら、ガブリエラは気を落ち着かせる。
「……悪を為す者の末、堕落せる罪深き子らよ……あなたがたのその頭はことごとく病み、その心は全く弱り果てている…………あの◯◯◯野郎の◯◯の穴を◯◯◯◯◯◯て◯◯◯◯、糞の◯◯◯◯◯◯が」
「ホワイトアンジェラ、今何か言いましたか」
「いいえなにも」
聞き間違いかな、と首を傾げる医療スタッフに、ガブリエラは硬い声で答えた。