#140
「いかせてください! ガブは、私はヒーローです! 私は」

 テレビの向こうでは、『ウロボロス』を名乗る組織によるテロに一部リーグヒーローたちが立ち向かう様が写っていた。
 アッバス刑務所からまんまと解放されたジェイク・マルチネスが、“セブンマッチ”と称したヒーローたちとのデスマッチを提案。強力なNEXT能力者であるジェイクに立ち向かうヒーローたちを、全市民が見守っている。
 しかしガブリエラは、ケア・サポートにいた。ヒーローが犯罪や災害に対応する際は、司法局の認可に加え、所属企業の認可も必要だ。司法局の認可は機械的に下りていたが、会社からのGOは出なかった。

「私は、ヒーロー! です!」
「何も出来ないでしょう」

 誰が言った言葉かは、わからなかった。

「他の二部リーグヒーローは何してるんだ?」
「瓦礫撤去とか、怪我人の運搬みたいですけど」
「君、運動神経は悪くないみたいだけど腕力はないしなあ。細いし」
「こんなテロとか、無理だよ君じゃ」
「そもそもヒーロー向きの能力じゃないし」
「コスチュームを着てたらその能力も使えないんでしょ?」
「じゃあ意味ないな」
「いいじゃない、ここで私達の肩こりや腰痛を治してくれたら会社にいさせてもらえるんだし」
「字もまともに書けないのにねえ。ラッキーだよ、君」
「ははは」

 ぐるぐると、目が回る。
 中継では、傷ついたヒーローたち、瓦礫の下から運び出される怪我をした市民たちが映し出されている。ああ、あそこに行ければ。行きたい。ああ、いきたいのに。

「君はここにいればいいんだ」

 飼い殺しにする首輪をつけようとするその声に、ガブリエラは歯を食いしばった。並びの悪い歯がむき出しになり、牙のような犬歯が唇に刺さる。
「ちょっと、アンジェラ!」と、シンディが呼ぶ声が聞こえた気がする。しかしガブリエラは、走り出していた。

 首輪を引きちぎり、全速力で走りながら、ガブリエラは思っていた。やはり“ぬるい”都会暮らしで、すっかりなまっていたものだと。

 その場その場でいうことを聞いて、媚びを売って、えらい人の食事の残飯を恵んでもらう。それが生きるためならいい。行くためならいい。いけるならいい。しかしその日の糧を得るためだけのその行為は、まさに犬以下でしかない。
 本当に生きるなら、本当に行きたいのなら、石にかじりつき、泥を啜るべきだった。地雷の上を無様に這いずってまでそれを知ったはずなのに、やはり己は頭が悪い、とガブリエラは確信する。そして頭が悪い分、いついかなる時も気を張って、勘を巡らせているべきだと今度こそ思い直した。

 ガブリエラは『ヒーロー事業部』と書かれたコピー用紙が貼られた会議室に行き、着ぐるみから二部リーグヒーローの証明マークを剥ぎ取る。そして少し迷って、妙なギミックが付いていない頭の部分だけを抱えて持っていった。
 そして犬頭をバイクの後ろに括り付け、ガブリエラはヘルメットをかぶり、自分のバイクに跨ると、全速力で走り出した。



 テロ事件のせいで道路は渋滞していたが、そのぶんバイクが隙間を縫うように走るのは簡単だった。速さが命のバイク便のバイトで最短ルートをすぐさま弾き出すことに慣れている上、混乱状態なのをいいことに道路を逆走することも厭わず走ったガブリエラは、まだ到着していない二部リーグヒーローもいる中で、現場に到着した。
 そして耳を澄ませて、救急車のサイレンを聞き分ける。テロによる怪我人を集めているエリアを見つけると、ガブリエラは素早くバイクを横付けした。

「な、なんだ?」

 医療スタッフが、目を白黒させる。
 黒いバイクに跨った、フルフェイスメットの細身の人物。マシンの後ろには、白い犬の頭が縛りつけられている。
 しかしあまり上等そうではないジャンパーの袖に二部リーグヒーローの証明を見つけた誰かが、言った。

「あなたは、ヒーローですか!?」
「──はい!」

 災害現場に慣れたスタッフたちの端的かつ強い質問に、ガブリエラもまた短く、そして強く返事をした。どっどっどっ、と鼓動を刻むバイクのエンジン。同じように、胸の中で血を巡らせる心臓。
 周囲の状態をざっと確認する。瓦礫によって怪我をした市民が多いようだ。一刻一秒を争う、という状態の患者もいる。また周囲も崩れかかっているところがあり、危険な状態が見受けられた。

 ──ああ、ここだ。ここに来たかった。

 ガブリエラは、フルフェイスメットの下で口の端を吊り上げる。
 一瞬たりとも気が抜けない緊張。ビルの屋上の塀の上など、どうとでもなる。だがここはひとつでも間違えば命の取り返しのつかなくなる、地獄の釜の底。多くの人を助けられる場所。

「あなたは何が出来ますか!?」
「私は」

 NEXT能力含む取得スキルの確認。災害時のマニュアルどおりの質問だ。

「──私は怪我を治せるNEXT。ヒーロー・ホワイトアンジェラです!」






 2日間に渡った『ジェイク事件』は、最終的にT&Bによって解決した。
 ジェイクは死亡、共犯者のクリームは病院に収容され、ヒーローたちの怪我もさほど大したものではない、と報道があった。実際、半月もすると全員が復帰して元気にトークショーなどを開き、盛り上がりを見せていた。

 そして、ホワイトアンジェラはといえば。

 被災者の怪我を治しに治しまくったホワイトアンジェラは、まさに怪我人と医療スタッフたちのヒーローとなった。
 パンクした怪我人を救護するだけでも大変であるのに、渋滞した道は重症患者を病院に搬送するのも難しい。しかしホワイトアンジェラがある程度の怪我を治すことでその状態も随分緩和でき、体が動くようになった体力自慢の市民たちが、他の怪我人たちを助けるために動いてくれたりする。
 最後の被災者に能力を使い、バイクに跨って会社に戻ろうとするホワイトアンジェラを医療スタッフをは全員敬礼で、怪我を治して貰った市民たちは皆笑顔で手を振って見送ってくれた。

 とはいえ、会社の命令を無視して勝手に飛び出したのは事実である。
 実際ガブリエラは会社に戻るなりカンカンになった社長に怒鳴り散らされ、みすぼらしいガリガリ女のくせに生意気だ、言うことを聞かない難民なんかいらない、クビだ、と差別発言も交えて罵倒された。
 あまりの言い様に、最初は気まずく黙っていたシンディが「その言い方はないでしょう」と眉を吊り上げ、そこから夫婦喧嘩が始まる。

 その日は埒が明かないからと帰されたが、ガブリエラは後悔していなかった。
 行きたい所に行って、やりたいことをやった。人をたくさん助けられた。感謝もされた。能力の仕組みを簡単に説明したところ、怪我人や医療スタッフたちが「よかったら」とくれた手持ちのお菓子を、ガブリエラは大事に食べた。
 そして腹が膨れてから、ガブリエラは開き直った。自分は頭も悪いのに、何を無駄に難しく考えていたのだろう、と。

 たくさん食べさえすれば能力は使えるし、事件現場でなくても怪我をして困っている人はいるだろう。ヒーロー免許は持っているのだから、ケア・サポートをクビになって無所属になっても、逆にいえば、ガブリエラが関われないのは所属企業による保険がないと入れない事件現場のみということになる。
 収入がかなり減るのは痛いが、どうにでもなる。地雷原を1歩ずつ死ぬ思いで歩いたり、得体の知れないおばけに囲まれることに比べれば、なんだってどうにでもなるはずだと、ガブリエラはひとり頷いた。

 所属企業があるヒーローが気色の悪い着ぐるみを着て飼い殺されるものであるなら、所属企業などなくてもいい。それにヒーロー免許はあるのだから、司法局とヒーローアカデミーが認めたヒーローであることは確かなのだ。飼い犬でも野良犬でも、犬であることには変わりない。
 自分がこれからすべきことは、とりあえず雨風が凌げる寝床をキープして、食べ物を切らさず、困っている人の所に行くこと。生きていくこと。それだけだ。

 よし話が簡単になったぞ、とすっきりしたガブリエラは、明日クビになる心の準備を手早く行い、毛布をかぶって早々に就寝した。



 翌日、ガブリエラは私物を持ち帰るための大きめの袋まで持って、クビになる気満々で出社した。
 出社するなり役員室に行けと命じられ、ウム想定通りと言われるがまま役員室に行く。ステルスソルジャーの番組で学んだビジネスマナーどおり、ノックをしてから入室した。

「よくやったぞ、ホワイトアンジェラ!」

 だが真っ先にかけられた声は、予想のどれとも違っていた。
 ガブリエラはぽかんとして、部屋の中を見る。役員たちが揃っているが、真っ先に目にとまったのは、やけに背筋を伸ばして立っているシンディだった。しかも、にまにまするのを堪えられないような顔をしている。

「いやー、昨日は大活躍だったようだねえ! 一部リーグみたいにカメラが入るわけじゃないからわからなかったよ!」
「ほら、君に助けられたという市民の皆さんからのメールがこんなに届いていてね!」
「君の能力の仕組みを知ってね、お菓子を送ってくれた方もいるよ」
「うちがこういう会社だと知って、系列のフィットネスジムに入会してくれた方も結構な数だよ君! ジムからもお礼を言われてしまったよ」

 役員たちがほくほく顔で言い、駆り出された社員たちがプリントアウトされたメールの束を持ってくる。
 ぽかんとしていたガブリエラだがつまり、昨日の活動でホワイトアンジェラに助けられた市民たちが、ケア・サポートにその御礼のメールを多数送ってくれたらしい。しかもその中になかなか大きな会社の社長がいて、お礼とともにぜひこの素晴らしいヒーローを抱える御社にもご縁を、と名乗り出てくれたとのことだった。

「君、こういう事件でもじゅうぶん活躍できるんじゃないか!」
「しかも営業まで成功して! 素晴らしい!」
「なんで今までできなかったんだ? え? コスチュームのせい?」
「あれか! 前々からあれはどうかと思っていたんだ」
「さっさと新しいものを発注したまえ! 超特急でな!」

 上機嫌で次々に言いつけてくる役員たちに、一応ヒーロー事業部の部長という扱いになっているシンディが「はい!」と威勢のいい返事をした。そしてずっとぽかんとしているガブリエラの細い肩をがっしと掴み、部屋の外に連れて行った。



「つまり、手の部分が分厚いと能力が使えないわけね? 手袋ぐらいならOK?」
「はい。能力検査の時に試しました。布1枚くらいなら大丈夫です」

 役員室を出てすぐに、ホワイトアンジェラの新コスチュームについて、シンディとガブリエラはさっそくああだこうだと言い合っていた。
 その部屋はいつもの会議室だが、今までは扉に『ヒーロー事業部』と書かれたコピー用紙を張っただけだったものが、ちゃんとしたプレートに変わっている。

「りょーかい。で、やっぱカラーは白ベースよね。名前からしても」
「そうですね」
「でも戻ってきた時、あんた埃まみれだったじゃない? 結構汚れるもんなのねぇ」
「あの時は瓦礫がたくさんありましたので、特に汚れました。あと、怪我をした人の血がついたりすることもあります。あれは黒いジャンパーなので目立ちませんが」
「あんたそれ買い替えなさいよ……。うーん、白か……そこまで考えてなかったわ……そういう汚れが落ちやすい素材にした方がいいわね。洗い替えもいるし、コストパフォーマンスも考えなきゃだけど……あとは希望ある?」
「特には……。あっ、現場には自分のバイクで行きたいです。そのほうが速いので」
「そうなの? 昨日はどのぐらいで行けた? ……えっそんなに早く!? さすがね」
「えへへ」
「それにまあ出動時に運転上手の社員の手が空いてるとも限らないし、その人の仕事も止めちゃうしね。あんた自身がバイクで行ってそれが早いんなら、越したことはないわよね」
「はい!」
「あ、じゃあそのままバイクに乗れるコスチュームのほうがいいんじゃない? メットとか」
「なるほどです! さすがシンディです! 頭がいい! そして美人!」
「でっしょー?」

 ──結局。

 クビどころか劇的に評価を高くする結果になったホワイトアンジェラは、引き続きケア・サポートのお抱えヒーローを続けることになった。
 自分の肩こり腰痛を治してくれる上に仕事でも役立つとわかったホワイトアンジェラを、年配の役員たちはわかりやすく可愛がり始め、ダイレクトに客からの声が届いたことで社員たちからの評判も良くなった。

 唯一例外が、社長である。

 ガブリエラを怒鳴りつけた日も相当カンカンだった彼だが、ガブリエラの行動が翌日以降高く評価される結果になったことについて、彼は声も出ないほどだったらしい。ガブリエラがクビを覚悟していった日、彼は会社を休んでいた。
「あの人もしょうがないわねえ。ヒーローに相当憧れてたもんだだから、自分の理想通りに行かないのが気に入らないのよ。欲しくて欲しくて、やっとクリスマスにリクエストしたおもちゃと違うおもちゃをプレゼントされた子供みたいなものよ」
 まあその子供っぽさが純真でかわいいところでもあるんだけど、とシンディは惚気半分、やれやれという感じで言った。

 そしてガブリエラも、社長の気持ちは実際わからなくもないので、黙って頷いた。
 ヒーローに心から憧れる気持ちはもちろん共感できるし、それなのにNEXTではないという生まれ持ったものを理由にその道が閉ざされる絶望を思うとやりきれない気持ちになるのもわかる。そこで見た目だけでも理想のヒーローのように、とストイックなトレーニングに打ち込んでボディビルダーになった彼は、シンディの言うように非常に純真な性格の持ち主だとも思う。

 困ることも多々あるし、あの犬もどきのキャラクター造形の良さが全くわからない反面、ガブリエラとしても、彼のヒーローの理想とことごとく反してしまうということを申し訳なくも思っているのだ。
 しかしガブリエラにはわからないだけで、彼の感性ではあの造形はとてもキュートなものであるはずなのだ。それにガブリエラは彼ほど具体的なこだわりがあるわけではないので、せめて体型や能力の使い勝手だけでも彼の趣味とマッチしていれば、妥協の道も探れたかもしれない。
 しかし彼の理想であるとにかくマッチョなヒーロー像に、ガブリエラではどうやっても近付くことが出来ない。趣味が合わないというのは至極厄介である、とガブリエラは学んだ。

「あの人のことは心配しなくていいわよ。私がなんとかするから」
「……そうですか?」
「当たり前でしょ。夫婦なんだもの」

 シンディの頼もしい笑顔に、ガブリエラはほっとする。
 彼は、確かに普通の人だ。しかし、悪い人ではない。シンディのような飛び切りのいい人に任せていればきっと大丈夫、とガブリエラも頷いて笑い返した。



 コスプレを趣味にしている社員から紹介してもらい、ホワイトアンジェラの衣装はコスプレ専門の業者に発注された。
 本格的な素材を使いしっかりした縫製がされていて、実際にここでコスチュームを作ってもらっている二部リーグヒーローもいるという。そして二部リーグとはいえ実際に犯人と取っ組み合いをしたり救助活動もこなすヒーローが実際に纏うコスチュームを作る店ということで、本格志向のコスプレイヤーにも人気の店だという。

「あらぁ、いいじゃなぁい!」

 シンディが、満面の笑みで新コスチュームを褒める。

 出来上がってきた新衣装デザインは、ひとことで言えばサイバーパンク。
 白というイメージカラー、アンジェラという名前のイメージとそれが洗礼名であるということ、そして所属企業のイメージから、頭はレトロな看護婦や修道女のベールを思わせるパーツがついて、怪我人に対応するヒーローとしてふさわしいデザインでもある。ガブリエラとしては、いつも修道女姿だった母のような頭部のシルエットは少し複雑ではあったが。
 首から下は、ノースリーブだが顎まで隠す特徴的なハイネックのミニスカートワンピース、の下に同じ生地のショートパンツを履いていて、ロングブーツにロンググローブ。いわゆる絶対領域になる二の腕の一部と太ももは、実はタイツで素肌ではない。

 素材はつやつやとした光沢のエナメル系が全体的に使われていて、これなら埃や血液を落としやすいし、生地代もそこまで高価ではないので洗い替えも数着作れるし、中にパッドを仕込むことで、ライダースーツとしても交通法をクリアする。
 そのままバイクに乗るということで、いろいろな工夫がされているのだ。露出が少ないのもこのせいであり、また頭巾のような頭部の下にはメットが仕込まれている。
 最後に、ケア・サポートの製品でもある、光を軽減するが暗い中でも視界が良好なままという、青いメタリックな輝きを放つスポーツグラスをして目元、つまり素顔を隠すことにした。これは色素が薄いためにあまり光に強くなく、しかし夜間も当然出動の機会があるガブリエラとしてもありがたかった。

 エナメル風の生地を使うのならこの方向性のほうが良いとデザイナーに助言を貰って出来上がったデザインだが、結果的に成功していると思う。社内アンケートでも評判は良かった。

「ねっダーリン! ほらマッチョ君の耳よ〜!」

 そして最も特徴的なのは、頭部のベール付きメットに、狼犬系の犬耳を思わせるパーツがあることだった。

 ホワイトアンジェラの勝手な行動、仕舞いにはそのリニューアルにへそを曲げまくり、数日出社拒否までしていた彼だが、シンディのおかげで──物理的に引っ張ってきたともいうが──なんとか新衣装を見に来てくれた。

「このコがジェイク事件に走っていった時、あの着ぐるみの頭の部分をバイクにくくりつけていったのよ。それで“白い犬頭のヒーロー”っていうイメージが定着したらしくって! それに元々ネットでもちょっと話題になってたしね。あの犬だー! みたいな反応だったってこと! さっすがダーリンのデザイン、インパクト抜群だったってわけね! ねえアンジェラ!」
「はい! そのとおりです!」
「だから新コスチュームにも白い犬のイメージは絶対残さなきゃ、っていうことになったの! それもこれもダーリンが印象的なデザインをしてくれたおかげよね! それにネコミミとかイヌミミとかは若いコにもウケがいい、ってデザイナーにも言われたし! ねーアンジェラ!」
「はい! そのとおりです!」
「それにこれだけ優秀なデザインなんだったら、無理やりあれをホワイトアンジェラだっていうより、元のマッチョくんのままにしておいたほうがよくない? 真実の姿を歪めるのって良くないわよね。そうでしょアンジェラ!」
「はい! そのとおりです!」

 こんな具合で、ガブリエラが「はい! そのとおりです!」をあと2回ほど言った頃には、難しい顔をしていた社長の口の端が少し上がっていた。さすがシンディ、さすが妻、さすが元ホステス、とガブリエラは改めて彼女を心から尊敬した。

 こうしてホワイトアンジェラはバイクにも乗れて能力も使いやすい新コスチュームとなり、改めてヒーローとして活動していくことになったのだった。

 そしてその後、ガブリエラはあの着ぐるみをそのまま小さくしたようなマッチョ君のぬいぐるみマスコットを社長から手渡され、常に持ち歩くことを命令された。
 しかしその毛色が元の日焼けした色ではなく、自分と同じ白であることを見て取ったガブリエラは彼の歩み寄りを感じ、「ありがとうございます」と今度こそ大事にそれを受け取った。──ただし、やはり乳首だけは黒っぽかったが。






「ねえ、そっちひとくちちょーだい」
「いやです。自分のものを食べてください」
「ケチ!」

 せっかくの日曜日、そして12月だというのに「アイスクリームを食べに行く」とアドニスに外に引きずり出されたガブリエラは、テラス席でミルクアイスをつつきながら、アドニスを見ずに淡々と返した。
 そうそう寄らないアイスクリーム専門店の、生クリームたっぷりでおいしい、しかしその分値の張るアイスクリームだ。自腹を切って買うことになったそれをガブリエラは味わって大事に食べているが、アドニスは自分のミントアイスをひとくち食べたきりで、カップをテーブルに置きっぱなしだ。

《──続いてのニュースです。サマンサ・テイラーさんを殺害した容疑者、鏑木・T・虎徹は未だ見つかっておらず、市民の皆様は引き続き──》
「まだ見つかんないの? ヒーロー何やってんだよ」

 朝方からひっきりなしに街頭モニタを占領して流れる警戒アナウンスに、アドニスが馬鹿にした口調で言った。といっても、彼の口調は基本的にいつもこういう感じだが。
《鏑木・T・虎徹の目撃情報はこちらまでご連絡ください》
 アナウンサーがそう言うと、浅黒い肌で目付きの悪い、特徴的な顎髭を生やしたオリエンタル系の男性の顔が映る。
「悪そーな顔。ねえ、おまえこいつ捕まえに行かなくていいの?」
「私が、なぜ?」
「だっておまえヒーローでしょ。スカイハイみたいに街中パトロールするとかさあ」
「私は空を飛べません」
「あっそう。最近絶好調のホワイトアンジェラ様なら、楽勝かと思ったんですけどぉ?」
 せっかく買ったのにほとんど手を付けないアイスクリームをただスプーンの先で弄びながら、アドニスは言う。

「……犯罪者を捕まえるのは、難しい」

 何しろ生け捕り必須だ。相手の意識を刈り取らず、怪我もさせずに行動不能にするというのは、非常に卓越した技術が必要なのだ。警察官たちが受けているその訓練をガブリエラは受けていないし、受ける機会もない。そして、それに代わるようなNEXT能力もない。
 最初はガブリエラも「意識を失うまで殴り倒してから縛り上げ、治して引き渡せばいい」と考えていたのだが、それを聞いたシンディから強く止められたのだ。
 着ぐるみ時代、犯人を追いかけても何も実績を上げられなかったのは、着ぐるみのせいでもあるがこのシンディの言いつけを守ったからでもある。
 シンディの言いつけがなければ、そのあたりに転がっているバールのようなもので犯人の頭をとりあえずぶん殴って沈める、マッチョボディに横向き犬頭の不気味な着ぐるみヒーローが爆誕していたに違いなかった。

「それに……」
 ガブリエラは、遥か上にある巨大な街頭モニターを見上げる。
「あの人は、違う気がします」
「違う? なにが?」
「わからないならいいです」
 そう言って視線をアイスクリームに戻したガブリエラに、アドニスは眉をひそめる。

「ふーん……。……とにかくまあ、ヒーローの仕事もそこそこうまく行ってるわけだ」
「そうですね」
「で、どうすんの」
「どうする? とは?」
「おまえ、子供欲しいんだろ? シンディから聞いた」

 シンディは他人の恋愛沙汰が好きなタイプだが、ガブリエラがアドニスをほんのりとうざったく思っていることを知っていたし、そもそも住所不定無職のアドニスをあまり良く思ってはおらず、むしろ「なんかされたらちゃんと相談するとか抵抗するとかしなさいよ」と言われている。
 しかしガブリエラのことを色々聞きたがるアドニスに絆されてしまうことが時々あるらしく、このことについても「ごめん、口が滑った。もうしない」と言われたし、実際その後は一切口を滑らせなかった。

「……うむ?」
「じゃあさ」
 なぜそんなことを自分は今知っているのか、とガブリエラがアイスクリームのスプーンをくわえて首を傾げた時、アドニスが言った。

「僕が協力してやろうか? 子供。どうせおまえみたいなの、相手なんか見つからないし。僕が父親だったら、お前の子供でもそこそこかわいい子が生まれるでしょ」

 テーブルに身を乗り出し、その美しい顔を見せつけるようにする彼に、ガブリエラは白けた顔をした。
「不要です」
「なんでだよ」
 アドニスはやや低い声でじろりとガブリエラを睨んだが、ガブリエラは全く意に介さず、アイスをつついた。

 アドニスが自分にちょっかいを出してくる理由を、ガブリエラは深く考えたことがない。深く考える必要がない、と思っていたからだ。

 ──なぜなら彼は、普通の人だ。

 だがこれを彼に言った所でわからないだろうし、ガブリエラも説明する気はない。

「なぜなら……」
「なぜなら?」
 アドニスは、ぐっと身を乗り出した。
「なぜなら私は、頭が悪い」
「そうだね」
「そしてアドニスも、頭が悪い」
「はあ!?」
 プラスチックのスプーンで自分とアドニスを交互に指して言ったガブリエラに、アドニスは心外極まる、といった様子で目を見開いた。ガブリエラはスプーンをくわえ、半目になる。
 彼が普通の人だと思っているのも本当だが、頭が悪いと思っているのも本当だった。自分より、とはっきり言い切れないのが情けないところであるが、しかし確実にガブリエラと同じくらいには、彼は間違いなく頭が悪かった。
「頭が悪いのと、頭が悪い」
 そんな両親の子供など、頭が悪いを通り越して頭がおかしいかもしれない、とガブリエラは思う。遺伝の簡単な仕組みは、基礎学科試験を受けるための小学校の参考書で習ったので知っている。

「最悪です」

 ガブリエラがひとことそう言うと、アドニスはテーブルの上のカップを力一杯手で払い、道に叩きつけた。ほとんど手を付けないままのアイスクリームはもうほとんど溶けていて、薄緑色の液体が歩道に散らばる。ガブリエラは、その勿体なさに眉を顰めた。

「あとで泣きついてきても相手にしないからな! ──ブス!!」

 肩を怒らせて、アドニスはどこかに行ってしまう。
 ガブリエラはミルクアイスを最後まで食べきってしまうと、アドニスが道に捨てたカップを拾い上げ、自分のカップと一緒にきちんとゴミ箱に捨てる。
 そして本当ならもう少し寝られたのに、と欠伸をしながら、元の予定通り、時短のバイト先に向かって歩いていく。



 しかしアドニスが言ったとおり、リスタートしてからのホワイトアンジェラは、なかなかに好調だった。

 まず、ジェイク事件でヒーローそのものの人気が爆発的に上昇したことから、アポロンメディアが二部リーグヒーローを採用したのだ。
 今まで二部リーグといえば中堅以上の会社がステイタスとして採用することもあるという程度で認知度自体が低く、将来性を怪しまれている存在だった。しかしジェイク事件で最も活躍したT&Bの所属会社であるアポロンメディアがそれを採用したことから、一気に火がついたのである。
 財政に余裕のある中堅企業はこぞって二部リーグヒーローを採用しようと動き始め、OBCからは『ぼくらのヒーロー』という、目立たないけれど身近で一生懸命な二部リーグヒーローの姿が紹介される深夜番組などもニッチな人気を得るようになった。
 ガブリエラもかかさず見るようになった番組だが、エンディングテロップのプロデューサー欄が二部リーグ自体の立役者であるアニエス・ジュベールだった時は、会ったこともない彼女に再度の感謝と尊敬を抱いた。

 そしてガブリエラ、いやホワイトアンジェラもまた、ジェイク事件での活躍が非常に評価された。ボーナスも出て、母を施設に入れるための頭金が一気に目標額に達してしまった。

 会議の結果、ホワイトアンジェラは通常ヒーローらしいとされる軽犯罪の犯人を追うのではなく、犯罪や災害によって怪我を負った市民の救助を専門とする、というスタイルを採用することになった。
 司法局にも確認したが、ヒーローの任務の中には犯罪者の捕縛とともに市民の救助も含まれており、どちらに比重を置くかは本人や所属企業の采配に任される、との返答だったので、法的にも問題ない活動方針である。

「そういうことなら挨拶回りと顔見せね」
「あいさつまわりとかおみせ」
「仕事は報告・連絡・相談のホウレンソウと、礼儀正しさや義理堅さが大事なの。特に挨拶は夜の商売では常識だけど、こっちでもやらないよりやったほうが絶対いいわよ」
 そう言って力強く立ち上がったシンディと一緒に、ガブリエラは出来上がったばかりのホワイトアンジェラのコスチューム姿で菓子折りを抱え、病院や救急医療スタッフのチームに「これからよろしくお願いします」と頭を下げて回った。

 結論として、この挨拶回りは効果抜群だった。
 その後、実際に事件発生時に現場に向かえば「お疲れ様です! 頼りにしてますよ!」と笑顔で出迎えてもらえ、非常にスムーズな連携で救助活動ができたのだ。

 まず単純に、ただでさえパニックを起こしている現場に事前情報無しで現れて手伝いを申し出るのと、事前にこれこれこういう者ですので事件の際は顔を合わせるかと思いますのでよろしくお願いします、と連絡を入れておくのとでは全く違う。
 またその挨拶の時に医療スタッフ、また警察関係者などから話を聞いた所、しょっちゅう顔も名前もテレビに映る7大企業の一部リーグヒーローならともかく、知名度の低い二部リーグヒーローは、デビュー時に司法局からの書類で連絡が来るだけで、覚えるだけでも大変らしい。
 もちろん目を通してはいるものの、慌ただしい事件現場で書類でしか知らない二部リーグが飛び出してきていつもの連携を乱してくるのは、はっきり言って逆に邪魔になる場合もあり、あまり快いものではないと愚痴られた。

 しかしその点ホワイトアンジェラの場合、事前に本人が菓子折りを持って挨拶に来たのだ。実際に動いて言葉を交わすことで覚えの良さが全く違うし、更にこういう能力なので、という詳しい説明とともに、現場でのシミュレーションや軽い打ち合わせなども行えた。
 しかも能力の実演を兼ねて日々の激務で疲れた体を癒しつつのことだったので、持ってきた菓子折りの何倍も感心され喜ばれ、「二部リーグヒーローがみんな君みたいだったらいいのに」とさえ言われた。
 また、ホワイトアンジェラに怪我を治して貰った被害者たちにとっても、医療スタッフや警察関係者と良好なコミュニケーションを取っている二部リーグヒーロー、という姿は安心を与えるようで、後日送られてくるお礼のメールなどにも如実にそれが現れていた。

 そして、そうやって迸ったやる気に突き動かされて手当たり次第に人を治そうとするガブリエラに、シンディがまた手を打つ。
「義理堅い人もいるけど、恩知らずの欲張りも多いからね」
 怪我を治せるということは単純に感謝されやすいが、その後の関係ない不調を「あの時のホワイトアンジェラの能力でおかしくなった」と難癖をつけられたり、また他の不調や、知り合いの怪我も治してくれと人が殺到する場合も考えられる。
 そこでシンディがガブリエラに言いつけたのは、たくさん人を助けるのはいいが、後々面倒なことにならないように、きちんと言質とサインを確保しろ、ということだった。彼女がきちんと弁護士に相談して作った法的能力のある書類とICレコーダーは、ホワイトアンジェラが人を助けた恩を仇で返されるのを、何度も防いでくれた。

 シンディの言ったとおりにすればするほど劇的に働きやすくなる現状に、やはり彼女のいうことはいつも正しいとガブリエラは確信した。
 ガブリエラは常に書類とICレコーダーを必ず携帯し、仕事においてはいちいちホウレンソウを欠かさないこと、そして挨拶を始めとして、世話になる人・世話になった人への礼儀正しさや義理堅さを必ず守るように心がけた。

 ──本当に、いい人に出会えた。

 ガブリエラはシンディを見る度、心からそう思っていた。
前へ / 目次 / 次へ
BY 餡子郎
トップに戻る