#137
「ふう、バイクも悪くないわね」
ガブリエラのバイクの後ろから降りたシンディは、ヘルメットを取ってにっこりと笑った。
「連絡をいただければ、迎えにも行きますよ」
「それは便利ね。活用させてもらうわ」
中古ではあるが、ぴかぴかに磨かれた黒いバイク。
ガブリエラは嬉しさを堪えきれないにまにまとした笑みを浮かべながら、ハンドルの部分をゆっくりと撫でた。つやつやと光るたてがみが流れる馬の首に、いつかそうしていたように。
「あとはいよいよ就活ね。ヒーローとして雇ってくれるところを見つけなきゃ」
「はい!」
「新しい部屋は、まあゆっくりでいいわよ。あんたまだちょっと危なっかしいし」
「むう……」
まだシンディの部屋にいてもいいと言われたのはうれしいものの、まだまだだと言われ、ガブリエラが口を尖らせる。
「まー、私もシュテルンビルトに出てきた時は右も左もわかんなくって、いろんな人に助けられたからさ」
「人を助けるのは、いいことですね」
「そうね。でも助けるっていうと荷が重いから、教えるって感じかしら。先輩っていうか、師匠っていうか、先生? そんな感じで」
「せんぱい……ししょう……、せんせい」
「そうそう。あんたももしこの先そういう子に会ったら、ちゃんと色々教えてあげるのよ」
いつか、そんな日が来るだろうか。
──いや? 来たような?
「ちょっとちょっと、そっちの道じゃないでしょ」
「はっ」
見当外れな小道にバイクを押していこうとしたガブリエラは、呆れた顔のシンディを振り返った。
「んもう、やっぱりまだまだだわ」
「えへへ」
ガブリエラは照れ笑いをしつつ、もういちどバイクに跨る。
「あら? 戻らないの?」
「もう少し走ってきます」
「はしゃいでるわねえ。事故にだけは気をつけてね。信号無視はだめよ」
「はい!」
ガブリエラはヘルメットをかぶり直し、日が暮れかけたシュテルンビルトに走り出した。
「てめえがアンジェラかコラアアアアアアア!!」
だが行儀よく信号待ちをしている時、ガブリエラは突然そう怒鳴られた。
なぜかモヒカン率と服にトゲが付いている率の高い集団は、装飾しまくったバイクに乗って、ガブリエラをあっという間に包囲する。
「ワォ。素敵なバイクですね」
「おう、そこは話がわかるじゃねえか」
リーダーらしい、ひときわ高いモヒカンの男は、大袈裟なスタイルのバイクに跨ったままずっしりと腕組みをした。
「何かご用ですか?」
「アドニスの野郎!!」
ガブリエラは冒頭のそのひとことだけで「あっはい」と言いかけたが、話を要約すると、このモヒカンとトゲを愛するバイク集団のリーダーの恋人がアドニスに惚れ込んだ上、アドニスに唆されて金を盗んで彼に貢いだ。アドニスを問い詰めた所、金はアンジェラに渡したと言われた、ということだった。
「金ですか」
「昨日! 俺の1800ドル、知らないとは言わせねえ!」
「いいえ、知りません」
「何だとコラァアアアア!!」
「いつもどおり100ドルぽっきり……」
「知るかコラァアアアアア!!」
「ええ〜……」
ガブリエラは参ったような声を出したが、彼の怒鳴り声と、仲間たちがバイクのエンジンを吹かしまくる音でかき消された。
「そう言われましても、金はありません」
「何だとコラァアアアアア!!」
「アドニスを2、3発殴ったら出してきませんか?」
「お前、あの顔を殴るとか……」
なぜかリーダーが恐れおののいた。面食いなのだろうか、とガブリエラは首を傾げる。いくら見目が良かろうと性格が最悪なこととは別であるし、言って治らないものも叩けば治ることがある。殴って怪我をしても自分が治せばいいのだし、というのがガブリエラの持論だった。
「彼はいちど、強く殴られるべき。そう思っています」
「それは俺もそう思う」
ガブリエラの率直な言葉に、ウン、とリーダーは頷いた。巨大なモヒカンがゆっさと揺れる。
「ああ、それとも今のアドニスの、恋人? パトロン? それが、危ない?」
「……察しがいいな。まさにそれだ」
あの顔に傷でもつけようものなら、アドニスのパトロンに地獄の果てまで追いかけられる、と彼はぼそぼそと呟いた。
「なあ。もしかして、お前もあの悪魔に迷惑かけられてるクチか?」
「とても」
「そうか……」
立派なモヒカンの毛先を項垂れさせながら、彼は同情と共感を込めた目線を向けてきた。
「だが俺も引き下がれねえ」
「むぅ」
「チームを率いる男として、俺にも面子がある。白黒つける必要があるってわけよ」
「しろくろつける?」
かなり語彙も増えて言葉が流暢になったものの、まだまだ慣用句などには弱いガブリエラが首を傾げる。だがそんな反応に慣れているのか、彼はただ頷いた。
「つまりだ。金が払えねえんなら、落とし前をつけてもらう」
「おとしまえ? おとしより?」
「お年寄りじゃねーよ! 痛い目にあってもらうぜってことだよ!」
「痛い目? 目をつぶす?」
「な、なんだそれ。いきなり物騒なこと言いやがって」
ガブリエラがけろりと発した発言に少し動揺を見せつつ、彼は気を取り直す。
「話すより実際見たほうがはええ。来い」
「ええ〜」
「来いっつってんだろ!」
怒鳴るリーダーに、ガブリエラは渋々バイクを走らせた。
大勢の男に囲まれてはさすがに逃げられないと判断しての行動だったが、いきなりこの迫力のある集団に囲まれてもびびらないどころかリーダーと普通に話していたガブリエラに、「なんかスゲー度胸あるなあコイツ」「ガリガリなのにな」「つーかこれ男? 女?」などと、バイクに乗った仲間たちがひそひそと言い合っていた。
ガブリエラが連れてこられたのは、メダイユ地区から少し外れたイースト地区。後ろにはメダイユのモノレールのレールが通っており、反対側にはブロックスブリッジがやや遠くに見える、海に近い倉庫街だった。
ただしろくに稼働はしていないようで、何年も動かされていないような錆びたコンテナやタイヤのない塗装の禿げた車の残骸などが積み上げられていて、地面が見えているところのほうが少ない。倉庫街というよりは資材置き場、いや不用品の物置、ゴミ捨て場という表現のほうがふさわしいかもしれない。
こちらに来る間にすっかり日が沈んでおり、辺りは真っ暗だった。
「あのう、テレビを観てからではだめですか」
「お前この状況でテレビって何だよ! ナメてんのか!?」
「ファイヤーエンブレムが出てくるところまででもいいですので……」
「うるせー!!」
移動中、メダイユ地区ウエストシルバーにて現金輸送車強奪事件が発生し、HERO TVの生中継が始まったのだ。街頭のテレビモニターでそれを確認したガブリエラは、いつもならすぐにシンディの家に戻っているのに、とそわそわしていた。
「では、逆側のウエストにしませんか? 生で見られるかも……」
「しつけえ!」
提案を却下され、ガブリエラはしょんぼりした。すると、「リーダー、俺もブルーローズちゃんの……なんでもないッス」というこちらもしょんぼりした声が聞こえた。
「黙れ! 落とし前は必ずつけてもらうぜ!」
「それをすれば、テレビが見られますか? ではやりましょう。すぐやりましょう」
「完全にナメやがって……後悔するなよ……!!」
鉄板の入ったブーツで地面を踏み鳴らして急かすガブリエラに、モヒカン・リーダーはぎりぎりと歯を鳴らして青筋を立てた。
モヒカンチームが命じたのはつまり、バイクを使った度胸試しだった。
ゴミを避けて作られた滑走路のような1本道の先に、半端な大きさの鉄板や、腐りかけたベニヤ板、あるいは斜めになったコンテナなどの廃材を使った、急な上り坂が設置されている。
そしてその向こうは折れて尖ったパイプやどこから持ってきたのかわからない不要な家電の山、錆びた車の残骸などの谷が広がっていて、数メートル先に小さなコンテナが1列に並べられていた。
つまりバイクに乗って、なるべく思い切ったスピードでこの不安定な坂を上って勢いをつけて飛び、その向こうにある小さな足場に着地しなければならない。飛距離が足りずに廃材の谷に落ちればどうなるかは、考えなくてもわかる。
「ウェイストヒル・クライム! コケたらゴミに真っ逆さま、そのままマシンと一緒にゴミの仲間入りだ。あの中にどのぐらい先輩の“ゴミ”がいるか、俺たちも数えちゃねえがな」
へっへっへっ、とモヒカンたちがわかりやすく悪そうな笑みを浮かべる。
「……ここを? 走る、とぶ?」
「そうだ! スタート地点はこっちだぜ」
きょとんとしているガブリエラを、モヒカンチームは囲みながら誘導する。あれよあれよという間に、ガブリエラはバイクを押して、障害物レースというにはぞんざいかつ危険なコースのスタート地点に立たされた。
目の前には、向こう側が全く見えない、平らですらない不安定な上り坂。
ここにひとりで立たされれば、誰だって足が竦む。恐ろしさに泣いて許しを請うだろう。なぜならチャンスはいちどきり、少しでも躊躇って腰を抜かせば、間違いなく死ぬ。
「怖気づいたか? 今なら金を払えば許してやる」
「わかりました」
「おお、そうか。お前はバイクの趣味もいいみてえだし、まあ月に300ドルずつぐらいで──、え? アレ?」
ウォン! と吠え声のようなエンジン音。ガブリエラがバイクに跨って体勢を整え始めていることに気付いたリーダーは、顔をひきつらせた。
「お、おい! ちょっと待て!」
クラッチレバーを半分握ったガブリエラは、きゅうと瞳孔が広まった目で暗闇を見据え、ジャンク品で出来た坂をよく観察した。なるべくスピードを殺さないルートは、右、左、突っ切って、ややハンドルを切って右。秒どころかコンマ単位の操作が必要だが、ミスすれば死ぬ。だが、どうということはない。
つまり、ミスさえしなければ死なない。シンプルな理屈だ。
ヘルメットの下のガブリエラの口元に、笑みが浮かぶ。
力強いエンジンの振動を、排気の熱を、体に染み込ませる。馬の心臓の音と、自分の心臓の音を合わせる。呼吸を揃える。ガソリンが燃える。血が滾る。生きるために。行くために。ああ、これならば──
──いける。
「おい本気かァ!?」
「やばいだろ! これやばいだろ!?」
「おまえそんなに金ねえの!? だったら月に100ドルずつでも──!」
──バババババババ!!
モヒカンたちの焦った声が、突然聞こえてきたヘリの音でかき消される。
《ここで来たのは風使いのスカイハーイ! 今シーズン圧倒的な活躍を見せるミスターヒーローがいよいよ登場!》
ラジオやテレビで聞き続けてきた、お馴染みの声が聞こえる。現金輸送車強盗の犯人を追って、ヒーローがこの近くまで来ているようだ。しかしガブリエラは、それを耳で聞いてはいたが、意識には入れなかった。
絶叫するようなエンジンの音とともに、ガブリエラが黒いマシンと一体になって走り出す。
右、左、突っ切って、ややハンドルを切って──、障害物だ、予定変更。左!
コンマ単位の操作。しかし、問題はない。ガブリエラの世界は、やけにゆっくりだった。思わず鼻歌を歌ってしまうほど。
可能な限りのスピードを出し切り、自重を然るべき方向に乗せきって飛んだ黒いマシンが、夜のシュテルンビルトの眩しいネオンを背景に浮き上がる。そのシルエットは、切り立った崖を跳ぶ黒い馬に似ていた。
真下にある闇の中には、落ちればひとたまりもないだろう尖った廃材。ガブリエラはゆっくりと時間が進む世界で空中を優雅に飛びながらそれを眺め、背筋にぞわぞわとしたものがのぼってくる感覚を味わった。
前輪がやや上を向いた状態で、後輪がコンテナに着地する。前足を振り上げて嘶く馬をなだめるようなハンドル操作とクラッチ制御で、数メートル進んでなだらかに停止。
「すげええええええええ!!」
「や、やりやがった! やりやがったー!!」
「これマジで飛べるんだ!?」
モヒカン集団が歓声を上げている。興奮しきっているのか、大きな図体をぴょんぴょん跳ねさせながらこちらに手を振りさえしている者さえいた。
「え、なんだ?」
「なんか聞こえねーか?」
「HERO TVがこっちに来てるみてえだけど──」
──シュルルル……ドォン!!
突然の轟音。
見れば、シュテルンビルトの3層構造を支える無数の柱の特に外側に使われている、古代の戦士を象ったデザインの巨大な柱のひとつが、激しい爆発を起こしていた。
《犯人が放ったランチャー・ミサイルの軌道を、ハンドレッドパワーによるパンチでワイルドタイガーが反らしました! 支柱に着弾! 激しい爆発!!》
名物アナウンサー・マリオの実況が聞こえる。
「ウソだろぉおおおお!?」
「危ねえ!!」
爆発によって吹き飛んだ支柱の欠片、欠片といってもゆうにワゴン車くらいの大きさがある、しかも炎に包まれた瓦礫が、こちらに飛んで来る。
モヒカン集団はそれぞれ散り散りに逃げていくが、恐怖でへたり込んでいたモヒカンのひとりを、リーダーが体当たりで突き飛ばす。
「リーダー!!」
炎に包まれた瓦礫が廃棄物の山にぶつかり、割れてそこらじゅうに飛び散る。しかも放置されていた車や家電に可燃性のものが残っていたのか炎がいくつか引火し、火の手が上がった。
《支柱は壊れましたが、ステージの安定性に直接的な影響はないとのことです! 瓦礫が落ちた場所も無人の廃材置き場とのこと、市民の皆様、ご安心ください!》
「何が安心だ、馬鹿野郎!」
まったくこちらの状況に気づいていないらしいHERO TV側に、モヒカンたちが本気のブーイングを飛ばす。美しい夜景のある街の方では、爆風によって流されていく飛行船と、そこから操縦士を救助するスカイハイを中継ヘリが追っていた。
「リーダー! だだだ大丈夫ですかあー!」
《風を操り、人命救助を最優先! さすがスカイハイ!》
「こっちも助けろよ、ちくしょう!」
炎の中に取り残されたリーダーの様子を、仲間たちが必死にうかがう。
しかしこれほど燃え上がる炎の中に飛び込むのは、それこそ強大なNEXT能力を持つヒーローくらいでないと不可能。マリオならばそう実況するだろう状況だった。
ひとりコンテナの上にいるガブリエラは、そんな状況をじっと見下ろしていた。
仲間をかばったリーダーは廃材から飛び散った可燃性の液体を少し浴びたようで服に引火しあわや炎に飲まれるところであったが、数回転げ回りつつ棘だらけのジャケットを脱ぎ捨て、無事なようだ。
しかし火傷を負ったのか、苦しげに蹲って動かない。とはいえ、動けても周囲を炎に囲まれているので、自力で避難するのは難しいだろう。
──だが、どうということはない。
ガブリエラは、エンジンをふかした。
獣の吠え声のようなその音に、モヒカンたちが顔を上げる。燃える廃材の山から突き出したコンテナの上に立つ黒い影を、全員が見た。
──ウォオオオオオン!!
スロットルがねじり込まれ、狭いコンテナの上で前輪を浮かせたバイクが走り出す。
そしてまっすぐに助走をつけて、──飛んだ。
炎の熱が、鉄の靴底を炙る。
炎の円陣の中に着地したガブリエラは、タイヤを短くスライディングさせ、蹲っているリーダーの横にバイクを着けた。
「どうぞ。乗ってください」
淡々と言うガブリエラに、リーダーは目を見開く。
しかし自分で「チームを率いる男として」と面子を大事にするだけあって胆力があるらしい彼は、煙と熱で咳き込むのをこらえつつ、ガブリエラの後ろに跨った。
「つかまって!」
ガブリエラの細い胴を、太い腕が縋るように掴む。ガブリエラは姿勢を低くしてメットをかぶった頭を突き出し、空気抵抗を減らすスタイルで、燃え上がる炎めがけて全速で走り出した。ゆっくり走っていたら大やけどするし、バイクに引火したら爆発するからだ。
──爆発する。それだけはいけない。
だが、ここは安全な都会だ。ミスさえしなければ、やはりどうということはない。
ガブリエラはコンマ数秒で炎の囲いを抜け、もはや呆然としているモヒカンたちの前で止まった。
シン、と場が静まり返る。
しかしすぐに、人数からするとものすごい音量の叫びが上がった。
「す、すげええええええ!!」
「すげえっ、すげえっ、すげえっ!!」
「やりやがった!! ああ、リーダー!!」
「リーダー! だ、大丈夫っすかあ!!」
わあわあと喚きながら、モヒカンたちがリーダーをバイクから降ろす。
「うう……」
「おい、これすげえ火傷!」
「や、火傷ってひどいとやばいんじゃなかったっけ!?」
「ひどいってどのぐらいだとやべえの!?」
「やべえの!? やべえってどんぐらいやべえの!?」
涙目で完全にパニックになっている男たちを尻目に、ガブリエラはバイクのエンジンを切ってスタンドを立て、仲間に支えられて地面に横たわるリーダーに近寄った。
「大丈夫です。私は怪我を治せます」
ガブリエラはしゃがみ込んでライダーグローブを外すと、爛れた火傷に手をかざした。
薄い手が、青白く光る。メットのバイザー部分も、内側が青白く光っていた。
「す、すげえ……!」
「治ってく……」
みるみるうちに、とまではいかないスピードだが、明らかに皮膚が元通りになっていく。
火傷は広範囲にわたるとまずい、ということは経験則でも知っているガブリエラは、狭い範囲を完璧に治すのではなく、火傷全体をマシな程度まで回復させることを目安に能力を使った。
「だいたい治ってきました。いかがですか」
「痛えことは痛えが……絶対死ぬ、って思ってたのが嘘みてえだ」
弱々しいが意識がはっきりした口調で、リーダーが答える。
「それはよかったです」
「……ありがとう。礼を言う。本当にありがとう。すまねえ……」
何度も繰り返すリーダーに、仲間たちもまた涙ぐみながら、ガブリエラに「ありがとう」と「すまねえ」を繰り返し始める。
「ヒーローも向こうに行っちまって、どうなることかと思ったぜ」
「ほんとに、何がヒーローだよ!」
「壊し屋め、人がいねえかよく見て壊しやがれ!」
リーダーが元気になってきたからか、モヒカン仲間たちがヒーローへの苦情を言い始めた。
ワイルドタイガーの壊し屋ぶりはガブリエラがシュテルンビルトに来てからも健在だったが、今のところ彼がものを壊したことで、死人や重傷者が出たことはない。
それは彼がこの街を隅々まで把握しているからこそであるし、他の企業のヒーローに比べてトランスポーターがなく自力で現場に行っているという彼が、一番乗りではないにせよ毎回事件に間に合っているということからしても確かである。
それにこのあたりは本来無人のゴミ捨て場であるというのは本当のことなので、ワイルドタイガーもそれは見越していただろう、とガブリエラは思う。物を壊すことも良くはないが、おそらく立入禁止だろうこんな場所にいたこちらにも非がある。
彼は、ただでさえ最近人気も調子も低迷しているヒーローだ。市民に怪我をさせたということであれば、公共物を壊したのとは比べ物にならないバッシングを受けるということぐらい、ガブリエラにもわかる。
ファイヤーエンブレムほどファンではないが、ワイルドタイガーの暑苦しいスタイルも、ガブリエラは嫌いではない。にっかと笑う口元から見える八重歯に、親近感も抱いている。人情味のある人助けを心情としているらしい彼には、まだヒーローをやっていてほしかった。
「大丈夫です。この怪我は、私が治します」
「おまえ……」
ガブリエラの言葉に、リーダーが震えた声を出して涙ぐむ。
そうしてリーダーがなんとか自力で動けるくらいまで回復した頃、救急車と消防車が到着した。
ヒーローたちが追っていた事件もブルーローズが海ごと港を凍らせて解決したらしく、こちらまで冷えた風が吹いてきた。元々可燃物が多くない炎も自然に小さくなりつつあり、消防隊員によってあっという間に鎮火された。
大火傷を負ったと聞いて医療スタッフは急いで来てくれたが、確かに範囲は広いものの、たった今負ったばかりとは思えない怪我の具合に目を丸くした。
「あっ、能力で治しました。死にそうでしたので」
「あなたが? 能力とは、どういう?」
「あ、ええと、その、大丈夫です。ちゃんとヒーロー免許があります。法律、大丈夫」
災害現場に慣れたレスキュー隊員特有のきびきびした勢いに少し呑まれたガブリエラは、わたわたしながら取得したばかりのヒーロー免許の書類を見せた。
「あんた、ヒーローだったのか」
担架に乗せられたリーダーが、驚いて言う。
「えっ。ええと、免許を取ったばかりで……その、所属企業はなくてですね……」
「会社は関係ねえだろ」
リーダーは、ガブリエラの手をがっしと力強く取った。
「ありがとうよ、ヒーロー。この礼は必ずする」
「いいえ、その、ヒーローは人を助けてお金を貰ってはいけないのです」
法律で決まっているのです、とガブリエラは言った。
市民を守るヒーローの活動は基本的にすべて無償、ボランティアであるべし、というのがヒーローという職業の根底にある。だからこそ企業に社員として雇用される必要があるし、スポンサーの存在が生きてくるのだ。
とはいえガブリエラは普段から能力を使って金を稼いではいるのだが、ヒーロー活動というわけではないのでセーフ。という考え方をするようにしている。
だがリーダー含めモヒカンチームは感動したらしく、「ヒーローだ……」「あんた本物のヒーローだよ」などと言いながら涙ぐんでいる。平均を上回っていかつい、モヒカンとトゲまみれの衣装の男たちが男泣きに泣いているのは迫力のある画だったらしく、医療スタッフが若干怯む。
「……で? ここは立入禁止のはずなんだが、なんで君たちここにいるのかね」
じろりと半目になって問いかけてきたのは、別途到着した警察官だ。モヒカンたちがぎくりとするが、ガブリエラもぎくりとした。ヒーローになろうという者が、こんなくだらない法律違反で身柄を拘束されるのは非常にまずい。
「あーっと! それはその、……俺達がここでたむろってて!」
「ほら俺たち馬鹿だから! へへ!」
「そうそう! そしたらこの瓦礫が飛んできて!」
「ビビって騒いでたら、このヒトが!」
「通りすがりの、ほんと通りすがりの無関係なヒーローが助けてくれて!」
「あー助かったなー! ほんと助かったなー!」
そんなことを言いながら、ガブリエラの前にレザーと鋲とトゲの付いた大柄な身体が次々に重なっていき、ガブリエラの細い身体はあっという間に見えなくなった。たくさんの広い背中の最後尾に隠されたガブリエラは、目を丸くしてきょとんとする。
警察官は半目のまま彼らの後ろを覗き込んでガブリエラを見ようとしたが、その度にモヒカンたちがまるでそういう振り付けのダンスのようにぐるぐると身体を動かし、最後尾にいるガブリエラを庇う。
そしてそんな彼らに、警察官はやがてハアとため息をついた。
「じゃあ君たちはこっちで話を聞こう。後ろの君は帰っていいよ」
「えっ、はい」
ガブリエラはおずおずとモヒカン・トレインの後ろから出てきて、自分のバイクに跨ってエンジンを掛けた。
そして、「おつかれっす!」「マジでありがとうございました!」「お世話になりましたッス!」などという声をかけられながら、廃材置き場をあとにした。
マリーナのほうにあるステージでは、ブルーローズが、事件が収束したあとのお決まりであるHERO TVのエンディングテーマソング、『GO NEXT!!』を歌い上げている。犯人相手に大立ち回りをした後だろうに凄いな、とガブリエラは素直に感心した。
事件後の臨時ライブは早い者勝ちなのでもう間に合わないだろうが、近くを通っていくのもいいだろう。最初は厄介なことに巻き込まれたと思ったが、終わってみれば悪い気分ではない。なぜかとても“すっきり”しているし、この街で初めてヒーロー扱いされたのも気分が良かった。
そうして、ガブリエラはブルーローズの歌声とあわせてメロディをメットの中で口ずさみながら、当初の目的であるツーリングを再開させた。
「へえ〜、バーナビー・ブルックスJr.だって。すっごいハンサム」
テレビを見ながら筋トレをしつつ、シンディが言った。
今画面の中では、今期のMVP、すなわちキングオブヒーロー、通称KOH発表、および表彰式が行われていた。豪華な照明でライトアップされたスタジアムのステージに、7人のヒーローが並んで立っている。
ガブリエラも観覧チケットに応募したが、あえなく落選したので、こうしてテレビでその様子を見守っている。
あれから何かと良くしてくれるモヒカン・チームの面々も観覧チケット抽選に協力してくれたのだが、全員落選である。それだけヒーローは人気があり、それぞれのヒーローのファンが一気に応募する合同ファンミーティングや表彰式は競争率がひどく高いのだ。
KOHは今期もスカイハイだったのだが、わかりきっていたそのことよりも、その後にアポロンメディアから発表された大ニュースに注目を持って行かれた。
やけにボタンの多い真っ赤なスーツに身を包んだ、金髪を特徴的に巻いた眼鏡の青年。ヒーローとしては初めての顔出しヒーローとのことだが、なるほどこの顔なら出したほうが得策だと誰もが思うような美青年だった。
彼こそが、来期から新たに一部リーグに加わるニューヒーロー。
そして先日、ガブリエラがモヒカンたちを助けた時、同時に起こっていた現金輸送車強盗事件においてワイルドタイガーのピンチを救い、初めてヒーローとして人々の前に姿を表した人物だった。
というのを、ガブリエラは後日ブルーローズファンだというモヒカンチームのひとりがくれたHERO TVの録画で知った。
ガブリエラがあの誰にも注目されていない資材置き場で初めてヒーローと呼ばれていた時、奇しくも、スポットライトを浴びてカメラを向けられながら、同じく初めてヒーローとして活躍した人物がいたのである。
同じことしてたってのにえらい違いねえ、と、あの日帰ってきたガブリエラの無茶を聞いて説教をしたあとシンディが言ったが、ガブリエラもそう思う。
「ふーん、アポロンメディア所属なんだ。……って、トップマグも出版社じゃん。事業かぶってんじゃん。ただでさえトップマグって他の会社と比べてパッとしなくて浮いてるのに。しかもあんな超ハンサムがライバルって!」
大丈夫なのかしらねえワイルドタイガー、とシンディは懸垂マシンにぶら下がりながら言う。
彼女はさほどヒーローに興味があるタイプではないが、自分の趣味が筋トレで、どちらかというと逞しいスタイルの異性が好きなので、完全にパワータイプのワイルドタイガーを贔屓気味なのだ。パワータイプといえばロックバイソンもなのだが、「スーツがごつすぎて筋肉が見えないからイマイチ」らしい。
「アンジェラ、あんたあのバーナビー、どう思う?」
「どう? うーん、確かにハンサムです。きれいな顔」
「好みとしては?」
「好み?」
ガブリエラがアイスクリームを舐めながら首を傾げると、「ああわかった、もういいわ」とシンディは言って、もういちど筋肉に力を入れて懸垂をした。
「まあ、アドニスの顔を見慣れてればそうもなるかな。あいつ最近どうしてんの」
「知りません」
ガブリエラは、どうでも良さそうに言った。いや、本当にどうでも良かった。モヒカン・リーダーの1800ドルがどうなったのかも知らない。
あの時、ガブリエラに助けられていたく感動したらしいモヒカン・リーダーはガブリエラに取り立てにきた1800ドルを水に流し、それどころか後日菓子折りを持って挨拶に来た。彼を含め、チーム全員モヒカンを剃り上げ、ガブリエラと同じ坊主頭にしてきたのには驚いたが、それが彼らなりの“落とし前”の付け方らしい。
さらに世間は狭いもので、彼はガブリエラがバイクを買った、ブロンズステージのバイク屋の息子だった。父親で店主であるアキオ・スズサキというオリエンタル系の男は馬鹿息子を殴り飛ばし、ガブリエラに礼を言い、バイクのことならなんでも相談してくれと申し出てくれた。
またガブリエラのライディングを見て目を光らせた彼の友人や常連たち、走り屋などとも縁が出来て、はからずともバイクに関しての交流が広がった。友達というのとは少し違うが、マニア仲間、趣味仲間という感じだ。
ヒーローになりたいことを話すと、そのライディングを活かして車やバイクの会社などに売り込むのはどうだとアイデアを貰い、伝手を使ってアポを取ってもらった。
しかし普通にテストレーサーであれば雇ってもいいがヒーロー事業部を展開する予定はない、というのが答えで、とぼとぼと帰ってくることになった。
だがファイヤーエンブレムが乗っている赤いスポーツカーや、ブルーローズが乗っているチェイサーはガブリエラも憧れている。
ヒーロースーツや決め台詞、キャラクター作りなどのイメージは未だ具体的なものが湧いてこないのだが、ヒーローになったら絶対にああいうマシンに乗るヒーローになりたい、という希望を、ガブリエラは改めて強くした。
「そういえば、あんたの男の好みってどうなの?」
「おとこのこのみ……」
「子供欲しいっていうからには、必要なのは男でしょ」
確かにそうだ。しかし考えたことのなかったガブリエラは、うーんと首をひねる。
「好きな芸能人とかさー」
「ファイヤーエンブレム」
即答である。
「……身近で、いいなって思うやつとか」
「うーん。……ブランカさん?」
「歪んでるわ……」
シンディは真顔になり、連続して数回懸垂をする。
「む? ふたりとも、男性です。身体は」
「そりゃそうかもしれないけど」
「身体が男性なら、子供は作れます。違いますか?」
「そりゃそうかもしれないけど!」
ドライなんだか夢見がちなんだかわかんないわねあんた、と言いながら、シンディは懸垂のバーを離して床に下り、流れる汗をタオルで拭った。
「あんたねえ、そういうことはちゃんと好きな人としなさいよ」
「すきなひと……」
「そうそう。いいなって思えて、こう、キラキラってして見えて……」
「きらきら」
ガブリエラは、部屋の窓から外を見上げる。
星の街と呼ばれるシュテルンビルトだが、眩しいほどのネオンで自らが星のようであるせいで、実際の星空はとても暗い。
荒野を歩き続けてきた時縋るように見上げてきた、方角を示して強く輝いていたあの星さえよく見えない都会の空に、ガブリエラは目線を迷わせた。
今回の話は、TV版第1話、また『The Beginning』冒頭部分の裏側になります。