#135
 ルーカス・マイヤーズ。
 NC1892年、コンチネンタルサウスエリア出身。
 一般的な中流家庭で生まれる。高齢出産のため両親は16歳の時に死去。

 幼少の頃から神童と呼ばれた高IQを記録し、15歳の頃に飛び級で世界最高峰の大学に進学。コンピューターサイエンスの分野で数々の画期的な論文を発表。しかしその後医学、脳科学の道に進み、周囲を驚かせる。
 しかも医学においてもさらなる発見を多々行い、特にNEXT医学においては自他ともに認める権威とされる。
 研究内容に合わせて病院や研究所を転々とするも、42歳の時にアスクレピオスホールディングスにてNEXT医学の医師として就任。

 また、亡き両親とともに幼少の頃から◯◯教の敬虔な信徒であり、現在も常にロザリオを身に着け日曜日のミサを欠かしていなかった。
 ホワイトアンジェラの熱烈なファンであり、本人のヒーロー名が◯◯教の洗礼名であると知り、なお一層シンパシーを感じたと語っていた、と多くの人物が証言している。
 またその熱意からホワイトアンジェラ専用の医療チーム・ケルビムのメンバーとしていち早く立候補し、実力からその主任に抜擢され、活躍していた。また、ホワイトアンジェラのパートナーとして雇用されたゴールデンライアンの主治医も兼任。

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 顔写真とともに大画面に表示されたプロフィールを、フリン刑事がてきぱきと読み上げる。
 成り行きと実績から、彼はホワイトアンジェラ暗殺事件における捜査チームのリーダーに正式に任命されている。

 先日の『ゴールデンライアン・特別捜査ドキュメンタリー』により二丁拳銃の男が確保されたものの、移送中に同居人とされていた老婆によって意識混濁状態に陥り、取り調べが不可能となった。
 手柄泥棒と半ば馬鹿にしていたヒーローが素早い捜査で成果を上げた上、犯人に最も近い重要参考人の身柄を任されたというのにまんまとそれを再起不能にされた警察は、はっきり言って面目丸つぶれもいいところである。
 しかしそのぶん何としてでも名誉を挽回し、面目躍如を為さんがため、彼らは今までにないほど全力の捜査に当たっていた。

 その成果が、本日開かれたこの緊急会議である。
 たった数日でかき集めたとは思えない資料と捜査結果の山は、まさに顔に泥を塗られた警察の意地そのものだ。
 セキュリティの観点からアスクレピオスホールディングスの1室が用意され、情報共有のためとして、一部リーグヒーロー全員とフリン刑事ら警察関係者とともに、アニエスらHERO TVのスタッフ、ライアンの指示で事件の捜査を実際に行ったアスクレピオスホールディングスのスタッフがそこに揃っていた。またアポロンメディアから出向している、斎藤の顔もある。

「時系列順に説明する。アンジェラが狙撃された時に湧いて出てきたアンドロイドについていた生体認証チケットは、二丁拳銃の老人のものだった。ライフルからも、老人の指紋が複数出てる」

 そのため、オートマティックライフルによる狙撃とアンドロイド、そしてアンジェラの私室が監視されていた件が全て同一犯、そうでなくても繋がりのある犯行だということが明らかになった、とフリン刑事は順序立てて発言する。

 ただし、老人はシュテルンビルトに入る時に生体認証登録をしておらず、部屋は前の住人の登録のままになっていた。前の住人は4年も前に引っ越していて、全くの無関係。ヒーローランドのチケットは外部エリアからの登録になっていたためシュテルンビルトのデータベースになく、調べるのに時間がかかったのはそのせいだ。
 またチケットにエラー反応が出ていたのは、単にそれが本体ではなくアンドロイドごと分身した偽チケットだったからである。

「ライフルは最近出てきた最新式のもので、分解して持ち込めば銃とはわからない。アンドロイドのほうは、ミスター・斎藤によると起動のオン、オフができるそうだ。つまり起動させなければ軽い荷物として運び込める。おそらくはあの老人が手荷物としてヒーローランドに持ち込み、夜になって起動させた……」
「でも5体だろ? 荷物として持ち込むって……」
「いや、小さくたためば、5体分なら手荷物として持ち込み可能なサイズのトランクに入る。ちゃんと検証もした」
 ワイルドタイガーの質問に、フリン刑事ははきはきと答えた。「あーそうか、骨だもんな……」と、火葬の文化で育っているワイルドタイガーは、納得して頷く。

「で、次だ。アンジェラが襲われた後、病院にアンジェラを迎えに来たと言ってやって来た3人の神父について」

 フリン刑事が言い、画面が切り替わる。ライアンに呼び出されてやって来たアニエスたちによる最初の生中継映像が写り、3人の神父がアップになった。
「こいつらが名乗らなかったんで、顔から調べることになった。少々手こずったが、判明してる。3人ともシュテルンビルトの、場所はばらけてるがブロンズステージに住んでる奴らだな。普段は工場勤務や清掃業者として働いてる」
「神父じゃなかったんですか?」
 バーナビーが、怪訝な顔で質問した。フリン刑事が肩をすくめる。
「◯◯教徒なのは確からしい。常にロザリオを身に着けてて、ミサにも行ってたって職場の同僚からの証言が複数あるんでね」
「本人たちは?」
「行方不明だよ!」
 忌々しそうに、刑事は言い捨てた。安アパートはもぬけの殻。しかもあの日以来、少なくともシュテルンビルト内で生体認証を使った形跡も一切ないという。
「こうなると、エリア外に逃げたか死んだか。まったくあのバアさんといい、ルーカス・マイヤーズといい、骸骨アンドロイドといい、どいつもこいつも。幽霊を追っかけてる気分になるぜ」
「幽霊……」

 確かに、と皆も思うが、口には出さない。口に出すと本当になるかもしれない、と思ったかどうかは定かではないが。

「だがまあ、今はともかく前に生きてたのは確かなんでね、足跡を追いつつ、色々調べてみた。すると俺も知らなかったんだが、少なくともシュテルンで神父になるのに、何か資格がいるわけじゃないようだ。召命ってのをされれば誰でもなれる」

 召命。広義と狭義の意味が存在するが、広義においてはつまり洗礼のことだ。
 そして狭義においては、上役の立場の者に命じられて、司祭、助祭、神父、修道士・修道女、伝道者、宣教師など、いわゆる役職名がつく聖職者・修道者としての使命を与えられすることを意味する。

「ただやっぱり、神学校を優秀な成績で出たとか、見習いとして何年活動したとか、──あるいはでかい寄付をしたとか、そういう実績は必要だがな。コネもいるのかもしれん。アンジェラへの聖女認定も、言い換えればヒーローとしての活躍が評価されて、“聖女”って役職の召命を受けたって事ともいえる」
「なるほど。それで……彼らは?」
「無害な信徒だったのは確かみたいなんだがな。しかし神父の肩書を与えられるほど何かしてたわけじゃないようだ。学校は普通の所を普通の成績で卒業してるし、ミサには欠かさず行くがボランティア参加なんかはほとんどしてないし、貧乏暮らしで寄付どころじゃない」
 公的扶助制度を受けた記録も出てきた、とフリン刑事は3人のうちひとりの顔を示して言った。
「それに誰かに召命を与える時は、与える側、つまり上役の神父なり司祭なり助祭なり、そういう奴が総本山に届けを出して、認定されたら召命を与えていいってことになる。……だが奴らが通ってた教会がわからなくてな」
「わからない?」
「奴らの生活圏内の教会はすべて虱潰しに当たったが、知らぬ存ぜぬだ。本当に知らないのか、しらばっくれてるのかはわからん。しかも、所属の教会を持たない神父もいるらしくってな。そうなるともう……」
 はあ、とフリン刑事がため息をつく。

「で、結局ゴールデンライアンが◯◯教総本山に問い合わせた所、3人に対する召命なんぞしてない……、つまり“◯◯教はこの件に全く無関係である”という正式な返答がされた。しかも書面で、例の『セラフィムの輝き』の紋章付きで」

 フリン刑事がそう言って目配せすると、ライアンは頷き、まるで数世紀の時を越えて送られてきたような、古めかしく仰々しいカリグラフィの手紙を開いて全員に示した。
「というわけで、“一応は”、あの3人の神父は◯◯教の神父じゃないということになる。……この件に関してもゴールデンライアンに手柄を持ってかれたが、俺達も無能じゃねえ。掴んだことがいくつかある」
 そう言うと同時に、彼の部下たちが画面を切り替える。

「まずひとつ。この神父もどきの3人全員が、未届のNEXTだったことが判明した」

 未届のNEXT。つまり自分がNEXTであることを公的機関に報告していないNEXT、ということだ。
「ヤバい能力者なのか?」
 ワイルドタイガーが、鋭い目をして言う。
 比較的強力なNEXT能力が発現した時、差別を恐れたり、SSレベル認定により施設に収容されることを恐れて発現を申告しない者が存在する。無申告の状態で事件を起こした場合は処罰対象となるため、能力者はもれなく申告するよう呼びかけられてはいるが、なかなかうまくいっていないのが現状だ。

「とりあえず、能力が暴走したりした形跡はないな。まあそうなってれば自動的に施設収容送りだからNEXTだってわかるんだけどよ」
「ってことは、コントロールはできてたったことか」
「問題起こしてねえんだから、そうなるだろうな。あとは能力自体は些細でも、ひどい差別に遭って申告するのを躊躇ってるパターンもある」
「……そうだな」
 ワイルドタイガーは頷き、後頭部を軽く掻いて難しい顔をした。

「そして、もうひとつ。3人ともドラッグの常習者だ」

 今度は、全員の顔色が険しいものに変わった。
「3人の自宅を捜索した所、残骸が出てきた。複数種類が見つかったんで、専門部署が今調べてる。貧乏暮らしはこれが原因かもな」
 さてまとめよう、とフリン刑事が言うと、画面が切り替わる。

「ホワイトアンジェラ暗殺未遂直後、ルーカス・マイヤーズがかなり熱心に信仰してた◯◯教の神父を名乗る身元不明の人物が3人、狙いすましたかのように来訪。そして更には知っての通り、ゴールデンライアンの捜査によって、暗殺未遂前後に行方不明になったルーカス・マイヤーズの黒焦げの車から、本人の遺体──に見せかけた、ウロボロスのアンドロイド技術をふんだんに使った骸骨アンドロイドが発見された」

 以上のことから、警察はウロボロスを今回の事件の黒幕として暫定し、またルーカス・マイヤーズをこの一連の事件の犯人、あるいは重要参考人として定める。フリン刑事は、はっきりとそう言った。

「当初、我々はルーカス・マイヤーズが何らかのテロ組織に脅された、あるいは◯◯教を通すなどして利用されて、アンジェラの情報を吸い出された可能性を考えていた」
 その人柄から、ルーカス医師はテロとも言える犯罪の犯人としては全く想定外だと彼を知る誰もが証言したために犯人としてはっきり捉えられることはなく、今までは当然のように被害者とみなされていた。

 ──あんな名医がファンで、何の不満があるんだか
 ──ヴー
 ──……そこまでか? そんな顔するほどか?

 例外は、ガブリエラだけだ。
 ライアンは、極めて有能であるということを根拠に彼をまるっきり信頼しきっていたことを、今になって後悔していた。

 ──何かわかりませんが、嗅いだことのないにおいがするのです。いえ、どこかで嗅いだことがあるような気もするのですが……

 彼女は最初から、彼を警戒し不審がっていた。もちろんこのことは警察にも話しているし、害された本人だけが警戒していたというのは有力な嫌疑の根拠にもなり、結果ルーカス医師は被害者ではなく犯人側の人物であるという見識が強まった。
 そして確かに、ルーカス医師の人柄や評判を抜きにして考えれば、人間の脳と同列にコンピューターにも非常に詳しくそこいらのエンジニアを有に超える知識を持った彼ならば、ガブリエラの入居のインターネット申し込みを操作することも、ヒーロースーツにジャミング装置を仕込むことも、またあのアンドロイドの技術提供者として関わっているということも全くありえることだった。

「調べれば調べるほど、個々の事件や人物が繋がっていく。ホワイトアンジェラ暗殺未遂ってだけでもかなりの大事件だが、もしかしたらもっとデカいヤマである可能性も覚悟したほうがいいってのは、俺から警察関係には報告してある。あんたたちも意識はしといてくれ」

 ベテラン刑事の真剣な警告に、全員が背筋を伸ばす。

「本当に話がでかくなってきたが……まあわかった。その医者……ルーカス・マイヤーズが犯人のひとりなのか被害者なのかはわからねえが、……どちらにしろウロボロスが黒幕ってことは、この一連の騒ぎは一括してテロ活動、と見ていいのか?」
 ロックバイソンが言った。「可能性として順当ではあるね」と、スカイハイも頷く。
「でも、それにしては回りくどいというか……」
「そうだよね。ジェイクの時はもっとこう、わかりやすかったよ」
 ブルーローズとドラゴンキッドが、顔を見合わせた。その意見には皆も同意だったのか、うーんと首をひねる。

 あの時、犯人であるジェイクとクリームはメディアに顔を出しさえして、堂々とヒーローとシュテルンビルトを痛めつけた。
 しかし今回は、オートマティックライフルでの狙撃やアンジェラの部屋の盗撮や盗聴に始まり、出所不明のアンドロイドが目的不明のまま暴れまわるという、あくまで顔を見せない犯行に終始している。実行犯として二丁拳銃の老人がいるが、状況から見て彼はもはや捨て駒にされたものと考えて良いだろう。

「ジェイク事件っていえば、今回の宅急便トラックの暴走事件! あれ、クリームって女の髪の毛と能力が使われてたんでしょ? あれについてはどうなったの」
「ああ、あれな」
 ファイヤーエンブレムの疑問に答えたのは、やはりフリン刑事だった。
「クリームが収容されてた病院を徹底的に調べた所、能力を使わせないために剃髪した髪が行方不明になっていた」
 通常、治療などのために患者の身体から切り取ったものはきちんと処理をして廃棄する。しかしその処理が行われた形跡もなく、髪はいつの間にかなくなっていたという。
「だが、切断した手足とかじゃなく髪。クリームのNEXT能力の要とはいえ、他人が持っててどうなるもんでもない。だから当時は担当者が厳重注意と2か月の減俸処分になって済んでたが」
「ウロボロスが盗んだってことか?」
 ワイルドタイガーが怪訝な顔で言葉を続けると、フリン刑事は「おそらく」と頷いた。
 実際に、今回の事件で使われた数10体のぬいぐるみに仕込まれたクリームの髪はすべて毛根付近で刈り取られたもの──つまり剃髪によって採取されたものだということがわかった。またその切り口付近の髪の細胞を鑑定した所、クリームを剃髪した頃と時期が合う。
「それで、だ。事件当時にクリームの髪がわざわざ盗まれたってことは、当時既にウロボロスには、NEXT能力を物質に定着させて保存する例の素材、骸骨アンドロイドのコアに使われてたあれが完成してた、ってことになる。というわけで──」
 フリン刑事は、厳しい目をした。

「──あの素材の基礎理論を作った、アスクレピオスヒーロー事業部パワーズ主任、ランドン・ウェブスター。どういうことか説明してもらおうか」

 その声に皆が視線を向けた先には、ぼさぼさの白髪頭に、野暮ったい眼鏡を掛けた中年男。髭だらけの顔を本当に真っ青にした、パワーズ主任のランドン・ウェブスターだった。
「主任……」
 いつも傲岸不遜な彼らしからぬ様子のランドンに対し気遣わしげな声を出したのは、パワーズの職員のひとりである。ランドンは相変わらず真っ青な顔で、しかし何か覚悟を決めたような表情になると、そのまま俯いた。

「俺は、……学生時代、ウロボロスに傾倒したことがある」

 その言葉に、全員がぎょっとした。ランドンは重たい息を吐いてから、続ける。
「当時、俺はインターネットカルチャーにどっぷりハマった典型的なアホのオタクだった。だから若気の至りというか、……悪党を格好いいと思う、クソ幼稚な憧れだよ。病気みたいなもんだ」
「それで?」
 取り調べそのものの厳しい口調で、フリンが彼の、いわゆる黒歴史について促す。それぞれが不安そうに、もしくは複雑そうにフリンやランドンを見つめていた。

「この素材は、俺が高校生の時に発見した理論によるものだ」

 彼の発見は、NEXT能力の発動時に共通して発生する特殊な電磁波。
 これを発動時即座に分解すれば、NEXT能力による現象が抑えられるということも突き止めた。

「当時勢いばかり良かった俺は、この発見をしたことで浮かれに浮かれていた。俺は天才だと、天下を取ったような気でさえいた」
 それはあながち間違いでもない。彼のこの研究成果は、世界的な化学賞に既にノミネートされているほどのものである。
「研究を進め、“特定の素材に能力を留め置いて再発動させる”ことができれば、NEXT能力者も非NEXTも関係なく能力が使えるようになる……ということも、当時視野に入れていた」
 それはまさに今、骸骨アンドロイドに仕組まれている機構だった。皆の緊張が高まる。

「理論の草稿を、俺はウロボロスの連絡先だとまことしやかに言われていたメールアドレスに送信した」
「何だと?」
「俺だってすっかり忘れてた! 今の今まで!!」
 悲痛な絶叫を上げて、ランドンは頭を抱えた。
「画期的な発見とはいえ、まだ高校生のガキのレポートで、ネットのアングラ掲示板で見つけた胡散臭いメールアドレスだぞ!? まさか、……まさか本物とは思わないだろう!!」
 呻くような早口で、ろくに息継ぎもせずランドンは言った。
「他に、アンタの研究が漏れる可能性は?」
 フリンが、冷静に尋ねる。
「……レポートをメールで送ったすぐ後、コンチネンタルの◯◯市に対するテロがあった。軍事施設のコンピュータがハッキングされて、いくつかの重要な建物が爆破された」
 確かに、そんな事件があった。かなり大規模なテロで、歴史に残るような事件である。ランドンと同年代か、それ以上の者たちがそれぞれ頷きあっていた。
「犯人はウロボロスではないようだったが、俺はそれであっさりビビって、反省もしてタチの悪い若者の病気が治り、クソみたいな黒歴史が終了」
 シン、と、場が静まり返った。

「……俺はどういう罪になる? 早めに教えてくれ」
「まだわからん。罪かどうかもな」
 はあ、とため息をついて、フリンは再度、頭を抱えているランドンに向き直った。
「あんたがガキの頃に送ったレポートが、本当にウロボロスの手に渡っていたとして、……それをあのアンドロイドに搭載されてるものに仕上げるのは可能か?」
「俺がウロボロスに送ったのは、素材の要とはいえあくまで基礎の基礎。結果的に俺が作った素材とアンドロイドのコアの素材は、基礎理論こそ同じでも、全く逆の性質のものだ」

 アンドロイドのコアに使われているのは、“NEXT能力を留め置く”素材。
 そしてランドンが開発し現在アスクレピオスで実用化されている素材は、“能力発動を遮断する”、あるいは“完全に透過させる”というものである。アスクレピオスに入社した後、彼は発見した電磁波を分解する素材を開発し、実用化に至らせた。

「知ってると思うが、これは最初、高レベルNEXT能力者の収容施設や刑務所で使われた。今のところ、アスクレピオスの系列施設内でだけだが」

 つまり、能力発動を遮断してNEXT犯罪者を拘束したり、あるいは伝導率のパーセンテージを調整することで、能力制御が不得手な能力者の補助装備としたり、という使い方がされている。
 そしてこの貢献によって、ランドンは一流の研究開発者として名を馳せるようになった。それは少なくともアスクレピオス内では常識であるため、皆がそれぞれ頷く。
「で、あえて“伝導率100パーセント”にしたものが、アンジェラのスーツやエンジェルチェイサーに使われてる」
 自分の肌から患者の身体の患部まで、服などの物質を通せば通すほど能力の効きが弱くなってしまう彼女にとって、それはたいへん画期的なものだった。事実、このスーツのおかげで能力の効率は格段にアップしている。

「出発点こそ同じ理論ではあるが、全く違う研究でもあるってことか?」
「そうなる。それに、“留め置いた能力を後に発動させる”っていうのは更にまた違う研究になる。これはもう分野から違う。俺は科学者だが、もうこうなってくると医学の……NEXT医学の分野だ」
 ランドンのその発言に、ライアンがぴくりと眉を顰めた。彼が思い浮かべているのは、もちろん、今行方不明であり筆頭容疑者である医師、ルーカス・マイヤーズである。
「ルーカス・マイヤーズ医師が関わってる?」
「個人的な意見を言わせてもらえば、それしか考えられないと思う。マイヤーズ医師はNEXT医学の権威と言われてるが、本来は脳科学者だ」
 ランドンは、苦々しそうに言った。

 脳科学とは、生物の脳と、それが生み出す機能について研究する学問分野である。視覚や聴覚認知などの感覚入力の処理、記憶、学習、予測、思考、言語、問題解決など高次認知機能、情動などを科学的に分析する。

「つまり、脳の働きをあくまで物質としてとらえて研究する分野です」

 医師たち以外、何人かややついてこれなくなりそうな顔の面々を慮ってかそう付け加えたのは、アンジェラの主治医であり、ケルビムにおいてマイヤーズとダブルリーダーであったシスリー・ドナルドソン医師である。

「例えば感情の動きを脳波や電気信号としてパターン化したり、精神病を脳内の特定のタンパク質の変質としてとらえることで投薬治療を可能にするなど」
 その説明に、なるほど、と何人かが頷く。
「NEXT能力は脳ととても密接な関わりのあるものですから、NEXT医学の医師はまず脳の専門家でなくてはいけません。彼は特に神経科学、システム神経科学専攻の脳科学者でした」
 実際、マイヤーズ医師はいくつかの精神病や認知症を投薬や手術で改善させる方法を明らかにしており、それは世界的に素晴らしい発見だった。

「しかもマイヤーズ医師は、本格的に医学の道に入る前はコンピューターサイエンスの研究者でもありました。徹底したインフォマティクス的視点による脳科学研究で、軽く見積もっても100年ぶんの進化を促進させたと言われるほど」
「……あー、すまん。その、インフォマ……何?」
 眉間の皺をもみほぐしながらフリン刑事が言うが、研究者組以外の表情は概ね似たり寄ったりだった。シスリー医師が苦笑し、「説明しましょう」と頷いた。

 インフォマティクスとは、情報学・情報処理・情報システム・情報科学といった分野の周辺ないし関連分野のことだ。自然物または人工物としての情報の管理、構築、蓄積などを研究対象とし、概念的あるいは理論的な基盤の発達を目的とする。

「つまり、“情報”の仕組みについてということ。情報処理理論ですね。情報の集合や分類、操作、蓄積、計算、検索。またその拡張性を範囲内に収めるとか、学習性や適応性を付随して更に高度な処理を可能にするなど」
「……なんとかついていけてる。続けてくれ」
「例えばすでに世界中で活用されているインターネットの概念がまさにそうですし、もちろん皆さんが日頃使っているパーソナルコンピューターもそう。範囲をあえて小さく限定して、特定のデータベースの効率的な構築を行うとか、あるいは人工知能を作ることもインフォマティクスの分野ですね」

 世界のあらゆる情報を信号に変換し、並列的に処理するという視点。
 ルーカス・マイヤーズはこの視点をもってして脳科学者、NEXT医師に転向し、革新的な発見を数多実現し、また新たな理論や技術を発表してきた。
「ざっくり言ってしまえば、彼は人間の脳を“頭部にある内臓”、“体の一部”として医学的にとらえるのではなく、生体部品で出来たコンピューター、と捉えて研究していたのです」
 その説明に、「あ、そう言われりゃわかるぞ」と、難しい顔をしていたワイルドタイガーが手を打った。

「オピュクスで完成した“ノアの目録”も、彼の功績のひとつです。世界中の人々、生物データを収集、計算し、新たに検索し、学習して精度を上げていく機能もある。あのスーパーコンピュータは、いわば彼が作った巨大な脳です」

 そして、そう説明する彼女もまた脳科学医師である。だがルーカス医師とは真逆に、患者へのカウンセリングや心理学の分野に重きを置いているタイプだ。
 そしてだからこそ、あくまで科学的に脳とNEXT能力に向かい合うマイヤーズと双璧となり、異なる視点をすり合わせながらの研究を可能にするチームとして、ケルビムが作られたのだ。

 シスリー医師は、ふう、といちど息をついた。

「少し話がずれますが……、NEXT能力は、とある特別な細胞を持って生まれた者である、という考え方があります」
「あ、聞いたことあるでござる。NEXT細胞、と呼ばれていると」
 折紙サイクロンが言うと、シスリー医師は頷いた。
「そうです。NEXT能力者が能力を発動する時、脳からこの細胞へ司令が伝達され、現象が起こります。例えばハンドレッドパワーですと、脳が“100倍のパワーと、それに耐えうる肉体に変化せよ”という指令を発することで細胞が変質し、実際の現象が起こるということ」
「ははぁ〜」
 自分の能力で説明されたせいだろうか、ワイルドタイガーが心から理解した、という様子の声を出し、うんうんと何度も頷いた。

「ですが、この細胞はNEXT能力を発動していない時は全く普通の細胞で……能力を発動し終わるともとに戻ります。普通の細胞とどこがどう違うのか、なぜ変化するのか……NEXT能力者の体のすべての細胞がこの性質なのかそうでないのか。そういったことがまだ全くわかっていないので、NEXT細胞というのはまだ仮の呼称になります」
 カウンセラーでもある彼女の説明は声色の柔らかさもあってわかりやすく、皆がそれぞれ頷いている。
「それに、細胞に関してはNEXT研究において今のところあまり重要視されていません」
「え、なんで?」
 ワイルドタイガーが、きょとんと目を丸くする。
「重要視すべきは実際に変質する細胞ではなく、そのように司令を下した脳である、と考えられているからです。やはりまだ仮説ですが、すべての生物の細胞はこのように変質することが可能であり、その可能性を開放するのがNEXT能力者とその脳である、というのが現在の有力な説です」
「なるほど。ハードウェアよりもCPUやOSを重視して研究しているわけですね」
 合点がいった、という風に言ったバーナビーに、「そういうことです」とシスリー医師も頷く。──ワイルドタイガーや何人かの面々は、少し首を傾げていたが。

「実際、皮肉なことですが……今回このアンドロイドでそれが証明されました。細胞、つまり生物でなくても条件が揃えばNEXT能力はとりあえず発動できる、と」
「そしてその条件というのが、脳……」
「はい。あの骸骨型のアンドロイドの頭部には、ヒトがNEXT能力を発動するために必要な最小限の脳の働きをシステム化し、コンピューターとして再現したものが搭載されています。つまりNEXT能力者の脳を科学的に、機械で再現したものと言ってもいいでしょう。……はっきり言って、すさまじいものです。世紀の発見です。成果だけ言うなら文句なしの偉業です」

 未だ全ては解明されていない脳のうち、更に最もブラックボックスとして認知されているNEXT能力を司る領域を見極め、しかもそれを機械で完全に再現しているのだ。世界的な賞を受賞しても何らおかしくないものだ、と彼女は沈痛な表情で言った。

「こんな素晴らしいものが犯罪に使われているなど……世界の損失であり、あらゆる学問と英知に対する冒涜です。嘆かわしい」
「……で? その世紀の大発見を、マイヤーズ医師なら出来る?」
 学者の嘆きを、ライアンが軌道修正した。彼女は頷く。

「彼は天才です。他に類を見ないほどの」

 畏れを含ませた声で、彼女は言った。
「……そうだな。もうひとりの天才を身近で見てきたあんたが言うなら、そうなんだろう」
 フリン刑事のその言葉に、皆が疑問符を浮かべて彼を見る。シスリー医師だけが、はっきり彼を見返していた。

「ブルックス夫妻とともにアンドロイドを研究し、またアルバート・マーベリックの共犯者であるロトワング博士。奴の元同僚にして元婚約者、シスリー・ドナルドソン」

 その言葉に全員が驚いたが、特にバーナビーは眼鏡の奥の目を大きく見開き、シスリー医師を見つめた。
「俺たち警察の名誉挽回のために、関係なさそうなところまで片っ端から洗ったら出てきた情報だがね。間違いないか?」
「……ええ、間違いありません」
 シスリー医師は、静かに頷いた。

「ブルックス夫妻が目指したのは、“人を助けるアンドロイド”。そのためにはより人に近い、子供にも丁寧に接することのできる思考パターンの人工知能が必要だと彼らは考えました。そこでお声をかけていただいたのが、主に能力を発動したばかりの子供のNEXTを患者にしていた私でした」
「あ……もしかして……」
 はっとして言ったバーナビーに、シスリー医師が微笑む。
「ええ、バーナビーさんの最初の検診は私がいたしました。珍しいくらい安定した子でしたので、よく覚えています。その時のご縁で、チームに加わらないかと誘われたのです」
 しかしコンピューターや機械の専門家というわけではなかったシスリー医師は、人工知能の開発チーム、またアンドロイドの見た目を作るチームへのアドバイザーとしてプロジェクトに参加していた。
「ロトワングとはそこで知り合いました。分野は違えどお互いの才能を認めあい……、いいえ、違う分野だったからこそ認め合えることに喜びを見出しました。結局はそうではなかったのですが」
「ロトワングとは、その後?」
「会っていません。NEXT差別者だった彼は、NEXT能力者を支援しようとする私をとても憎むようになっていて、暴力を受けたこともあります。それが決定的な破談のきっかけになりました」
 そう言って、シスリー医師は豊かな総白髪をきっちりと結い上げている赤いリボンを外し、こめかみの部分をそっと見せた。そこには、決して小さくはない古い傷跡がある。
「私はこの怪我で3ヶ月ほど入院し、ロトワングは謹慎になった──と聞いています。そしてその後、あの痛ましい事件が起こった……」
 ふう、とシスリー医師は小さく息をついた。

「彼の心の傷を、私は癒やすことができませんでした。誰か良い方と出会っていればいい、と祈っていましたけれど……。あんな結果になって、私も残念です」
「なるほどな。……話してくれてありがとう。あんたは特にこの件には関わっていないようだ」
「つまらない昔話しか出来なくて、申し訳ありません」
 シスリー医師は、痛ましい笑顔を浮かべてフリン刑事に軽く頭を下げた。

「それで、話を戻しますが。……ウェブスター主任が、マイヤーズ医師をお疑いになるのは理解できます。あのアンドロイドは、ウェブスター主任の技術を応用したコアだけで動いているのではありません。頭部にあるコンピュータもまたたいへんなものです」
「確かに、アンドロイドは胸にあるコアと頭を潰せば止まるわね」
 頬に指先を添えて、ファイヤーエンブレムが言った。
「……私も、あれはマイヤーズ医師の作ったものだと思います。いえ、むしろ彼でないと作り上げられないものでしょう」
「それは、確かか?」
 フリン刑事が、厳しい目で言う。
「私が見る限りでは。それにマイヤーズ医師はその研究分野の特性上、コンピュータ……特にロボットのAI開発などにも深く関わっていた経歴があります。話の端々にも、ブルックス夫妻のチームに居た頃聞いた単語がよく出てきました」
 説得力のある内容を、シスリー医師ははっきりと発言した。
「ウロボロスにどれほど優秀な頭脳の人材がいるのかは知りませんが、彼がこの技術を発明したというなら……、然もありなん、という感じですね」

 彼女の断定的なコメントに、ライアンも、そしてフリン刑事も、マイヤーズ医師を筆頭容疑者、あるいはそれに最も近いものとしていま完全に位置づけた。

 ロトワング博士が製作したH - 01をもとに作られた、強靭なアンドロイド素体。
 パワーズ主任、ランドン・ウェブスターの理論を元に開発された、NEXT能力を留め置ける素材で作られたコア。
 そして、おそらくはルーカス・マイヤーズ医師が完成させた、NEXT能力者の脳を機械で再現し、コアに込められた能力を発動できるAI。

 ひとつひとつが世紀の大発見レベルという、最高峰の技術が組み合わさって完成したのが、あの黒い骸骨アンドロイドだったのだ。
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BY 餡子郎
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