#127
「しかしこの仕組みと実態のせいで、NEXT受刑者を使い勝手のいい道具とみなす風潮はあります。それ自体が彼らへの罰だ、と考える人も少なくはありません。……けれど、いくら罪を犯したとはいえ、物扱いされて使い潰されるなんてことは、それこそ人道に反しています」

 イワンが、沈痛な表情で言った。
 NEXTであると言うだけでも差別や迫害が存在する世の中で、その能力を使って犯罪を犯せば、その風当たりは比べ物にならないほど強くなる。
 特に企業、突き詰めれば個人で運営されている民間刑務所でのNEXT受刑者への暴行、虐待なども存在しており、しかも発覚しているのは氷山の一角と言われているのが現状だ。そしてNEXT能力者に課される特別な労働は、労働という名目で命の保証のないたいへんに危険な現場への派遣や、更に酷い時は明らかに単なるリンチであるという場合もあるのが問題視されている。

「……折紙先輩のご友人が入った民間刑務所は……、その、大丈夫なんですか?」
「え? ああ」
 心配そうに言ったバーナビーに、イワンは、笑みを浮かべて頷いた。
「ひどいところがあるのは僕も知っていましたから散々調べたんですけど、シュテルン市内にある小さめのところです。受刑中に資格を取らせてもらえたりとかもできますし、実験協力も強引な感じではないみたいですし、……まともなところです」
「そうですか。良かったです」
「ええ、本当に」
 イワンは、頷いた。
「選べる道は少なくても……、やり直せるなら」
「そうだな」
 ぎゅっと拳を握ったイワンの肩を、虎徹が力強く叩いた。
「ですから、ヴィランズ法案に関しては条件付き賛成の考えではあるんですが……」

 ──『ヴィランズ法案』。

 NEXTの人権保護団体が提唱し、現在各エリアで採用を審議されている法案である。
 NEXT受刑者へ課す労働罰を、現在のように刑務所内やその監視下ではなく、一般社会での保護観察下で行う、というのがその内容だ。

 内容そのものは、それほど目新しいものではない。
 非NEXTの受刑者ならば、例えば非常に見事な手腕の詐欺罪で捕まった者が、その類まれなる才能を活かして警察組織でアドバイザーやコンサルタントとして働き、詐欺罪の調査を助けることを条件に懲役年数を減らす事を認められる、というような実例は少なくなく存在する。
 つまりヴィランズ法案は、この“類まれなる才能”にNEXT能力を含み、同じように活用すべし、という内容なのである。

 だがNEXT能力は確かに強力ではあるが、非武装状態でも能力次第で兵器レベルの威力を持つ場合もある。NEXTにこうした待遇を与えるということに、世論は荒れた。

 しかしこの法案の肝は、NEXTを有効活用するという手段の登用そのものではない。「NEXT犯罪をなくすには、NEXT差別をなくすことが何よりの近道である」という考えこそが、この法案の真意なのだ。

 実際問題、NEXT犯罪者の多くには、差別や迫害を理由としたものがたいへんに多い。
 ヴィランズというのは、“悪役”という意味だ。悪人ではなく、悪役。本当は犯罪者になりたいわけではなかったのに、差別や迫害という辛い待遇を受けたことでそうならざるを得なかった者たちにチャンスを、という思想を込めた法案名である。

 つまり、犯罪者たちの能力が社会に対し有益であること、また彼らが反省しており、社会の役に立ちたい、受け入れられたいと思っているのだということを一般の人々に示すことで差別をなくし、ひいてはこれからNEXTが犯罪者になる可能性を減らそう、という目的の元提案されたのが、この『ヴィランズ法案』なのである。

 法案には、更にその功績を陪審制のようなやり方でポイントをつけ、刑期の短縮や待遇改善に反映させてより早期の社会復帰に導く、という内容も盛り込まれている。
 これには、外部から派遣された保護観察官の監視、また労働後の陪審員からの評価を行うことにより、刑務所内で労働という名目で行われる受刑者への虐待をなくすという目的もあった。

 世論は割れている。
 厳重な拘束があるとはいえ、強大な力を持つ犯罪者を檻の外に出すこと自体に忌避や恐怖を覚えての反対。犯罪者そのものに大きなチャンスを与えることを良しとしない反対。大胆過ぎる、結果が想像できず不安だという反対。
 また強力なNEXT能力者を、それこそ犯罪者用の拘束付きで安全に社会貢献させるという意味でとらえての賛成。NEXT差別撤廃のために効果的なやり方だとみなしての賛成。情状酌量があればチャンスを与えてもいいのではという賛成。
 おおまかな意見はこれらだが、他にも様々な意見がある。NEXT差別意識、あるいは逆に選民意識による擁護を前提とした賛成・反対ももちろん多く、紛糾が激しい。この法案を採用するか否かと、日々各エリアで議論が行われている。

 今までの議論の結果、ヴィランとして認定されるのは差別や迫害を理由に犯罪を犯した者、あるいは何らかの情状酌量が認められる者。ただし、殺人罪を犯した者は基本的に除外される。更に労働活動時は逃走防止、また能力制御のための物理的処置が施されることが決まった。

 現在は、実験的に数名の受刑者を仮の“ヴィラン”認定し、一部の機関のみへの通知で保護観察下労働させ、本決議に向けて様子を見ている段階である。

「……そっかあ。前受けた説明だけだと実感なかったけど、こうやって聞くと、ヴィランズ法案に関しても色々考え方が変わってくるなあ」
「そうね。とても難しい問題だわ」
 この問題に強い関心が出てきたらしいパオリンの言葉を、カリーナは真面目な顔で受け止めて頷いた。
「無視しちゃいけない問題だよね? 特にボクたちはさ、ヒーローなんだから」
「はいはい、今日はとりあえずそこまでね」
 その様子に、ネイサンが助け舟を出すべく間に入る。
「気持ちはわかるけど、今日は天使ちゃんのことが本題なんだから」
「う、……そうだよね。ゴメン」
「いいのよ。大事な問題なのは本当なんだから。でも別の機会にしましょ。ね?」
「……わかった。ボクも、この話をするには色々知識とかが足りてないと思うし……」
 そもそもこういう問題があるって今知ったわけだし、と素直に、そして賢明に引き下がったパオリンの頭を、ネイサンは良い子と言わんばかりに優しく撫でた。
 彼女は最年少ということもあり子供っぽく直情的な印象があるが、実際にはかなりクールなしっかり者だ。でなければ、この年齢で親元を離れ、シュテルンビルトで七大企業ヒーローの一角を担えてはいない。

「さあ、そろそろ時間よ。休憩はおしまい」

 ネイサンがパンと手を叩き、皆はコーヒーブレイクを切り上げた。






《囚人番号SS42988、アンドリュー・スコット》

 前3人と同じオレンジ色の囚人服だが、相変わらず、眼鏡の奥の眼光は鋭い。
《ホワイトアンジェラの暗殺未遂事件についての事情聴取ですか? お力になれるかはわかりませんが》
「……察しがいいな」
 まだ何も言っていないのに本題をぴたりと当てて切り出してきたアンドリューに、ライアンは目を細める。

 かつてヴィルギル・ディングフェルダーと名乗り、マーク・シュナイダーの秘書、つまりアポロンメディアCEO秘書であった彼の有能さは、服役しても変わっていないようだった。

《こちらでは、ニュースをチェックするくらいしか外の世界を知る方法がありませんので》
「ま、こっちとしちゃ、話が早くて結構だ」
 そしてライアンは、他の3人に聞いたことの確認や、また健康診断と称して行われたNEXT能力に対するチェックに関しての話をした。

《確かにその日、そういったことがありました。リチャードほどではありませんが、俺も簡単に日誌をつけているので》
「そうか。他に知っていることや、気付いたことはないか?」
《そう漠然と聞かれましても》
「……じゃあ、あんたから質問したいことは? ニュースを見て、違和感を感じたことなんかはないか?」
 そう質問を切り替えたライアンに、アンドリューは片眉を僅かに上げた。
《相変わらず、頭の回転の速い方だ。やりやすいがやりにくい》
「褒め言葉と受け取っておくぜ」
《お任せします。……そうですね、疑問に思ったことといえば、ホワイトアンジェラの身柄を求めて、◯◯教の神父が3人やってきたでしょう。あれについては、どうなっているんです?》
「どういうことだ?」
《彼らは『セラフィムの輝き』を示さなかった》
「何だそれ」
 ライアンが怪訝な顔をすると、アンドリューはすらすらと説明した。

《俺自身は信心深い方ではありませんが。しかしこちらの房にかなり敬虔な男がいまして、彼が言うんですよ。“奴らは『セラフィムの輝き』を示さなかった。本物の神父ではない”と》
「……本物の神父ではない?」
《ええ》

 曰く、総本山所属の神父というのは◯◯教の中でも最高位に位置するものらしい。
 彼らは今回のように外に出て総本山の命令を遂行する時、総本山の神父であること、つまり神の代行者であることを示すための紋章のようなものを必ず所持し、それを提示するはずなのだという。
 その紋章が『セラフィムの輝き』と呼ばれるものだ、とアンドリューは説明した。

《◯◯教の総本山は、コンチネンタルノースエリアにある◯◯。国土面積世界最小で、巨大な教会だけが建設された土地が国として認められている》
「ああ、観光地にもなってるとこだろ」
《そう。昔、あのあたりはひとつの広大な王国でした。あの教会も、元はその王国の城だったものだというのは有名です》
 世界遺産でもあるので、皆知っている。全員が、それぞれ小さく頷いた。

《かの国は領土を広げる最中で欲を出し、迫害して追い出した魔女たち──NEXT能力者らが旅の果ての地に作った街……シュテルンビルトも奪おうとし、結局彼らとの戦いと本国での内乱、更にそれに付け入った他国の侵略で滅亡。ですがそうなる前は、何もかもが揃った、楽園のような国だったといいます。天使の最高位、熾天使。セラフィムが導く星の都だと》

 ──『セラフィムの輝き』は、その頃の王国の紋章でもある。

《完全なるものを表す、神の紋章。楽園の星への通行証。それが『セラフィムの輝き』であり、また現在◯◯教が常に目指すものとして掲げるシンボルでもあります。……メモをお借りしても? ああ、どうも。こういう紋章だそうです》
 アンドリューがそう言ってさらさらと書き上げたのは、十字の盾。4つに分かれたそれぞれのスペースには、剣、ゴブレット、金貨、杖が描かれており、中央には、輝く星があった。そしてその意匠に重なるようにして、翼の生えた蛇とそうでない蛇がお互いの尾を食んで輪になったシンボル。
 ごちゃごちゃした意匠のはずだが、設計事務所の息子だけありアンドリューの図解はすっきりとしていてわかりやすく、そして単純に絵が上手かった。
《簡易のマークが、どの教会でも見る星付きの十字架ですね。あれはこのセラフィムのマークの、4つのシンボルを分ける十字と中央の星だけを抜粋してデザインされたものです》

 ──熾天使。いちばん偉い天使です。星に連れて行ってくれる天使とも言われます。真ん中にある星がそうです

「……セラフィム」
 ライアンは、思い出した。
 シュテルンビルトヒーローランドにある、大きな帆船。迫害された者たちがキャラバンを組んで、彼女のように荒野を乗り越えて作り上げた星の街を奪うためにやってきた、本国の軍船に描かれたあのマーク。

《あの神父たちは、『セラフィムの輝き』の紋章を示さなかった。本来ならば、我こそはと示してもおかしくないものであるにも関わらずです。……あれは、本当に◯◯教の神父ですか? それこそ総本山に確認してもいいのでは?》
「……アァ、全く考えもしてなかったし、知らないことだらけだった。対策しよう。礼を言う」
《いいえ》
 アンドリューは、紋章を書いたメモを4回几帳面に折りたたんで、右側に置いた。

「あんたたちには世話になったな。……何か欲しいものはあるか?」
《服役者に差し入れ? ヒーローが? 問題になりますよ》
 ライアンの申し出に、ふっ、とアンドリューは皮肉げに笑った。
《お気遣いなく。何もない、というわけではありません。ここは民間刑務所ですし、多少は融通が効きます。それに俺たちは元々Sレベル能力者ですから、扱いもいい。少なくとも、地雷発見の仕事をさせられることはないでしょう》
「……地雷発見?」
《この大荒野には、あらゆる場所に無数の地雷が埋まっているのはご存知でしょう? そのせいで、だだっ広い土地があるのに開発も何も出来ない》
「ああ」

 それはかなり前の世界大戦の遺物だが、地雷自体は経年劣化が非常に少ない、当時画期的ともいえる最悪な代物だ。
 荒野の土地自体はガブリエラの故郷を含む非常に貧しいエリアの範囲であるのだが、土地を開発するとしても地雷除去は難しく、高度な技術か、莫大な予算が必要だ。よしんばそれができたとしても、雨が少なく岩と砂ばかりの土地に有用性があるかどうかわからない。調査しようにも、やはり地雷のせいで出来ない。
 そんな厄介な土地を誰も構いたがらないことから、そのまま放置されて100年以上が経過している。長い年月をかけて地雷を何度か爆発させながら出来た、ガブリエラも通ってきた1本道と、その途中にぽつぽつと存在するモーテルやガソリンスタンド、そして地雷原を逃走防止に利用したヴァストウィルダーネスNEXT収容特別刑務所だけが、この大荒野にある人工建造物である。

《地雷を除去して無害な土地を作ると、エリアから多少給付金が出るんですよ。しかし地雷を除去するためには、爆発させるしかない。爆発させるには、地雷の上を何かが通るしかない。そしてここに収容されているのは、使い捨ててもかまわない社会のクズたち。外を歩くだけの簡単な労働によって、少々の畑を作れる土地が出来、クズは吹っ飛んでそのまま畑の肥料です。上手く出来ているでしょう? もしくはあのサボテンを──》

 そこまで言ったアンドリューに、刑務官から鋭い注意の言葉が飛んだ。アンドリューが、肩をすくめる。つい先程まで今関連する話をしていたヒーローたちは、全員険しい顔をしていた。

《まあ、そういうことです。……ああ、そうだ。ひとつだけ》
「なんだ?」
《父の時計を直そうと思うのですが、部品と道具が足りなくて。調達していただけると助かるのですが》
「そんなことなら」
 アンドリューが言う部品と道具を、スタッフがしっかりとメモに取る。

《では、また機会がありましたら。ヒーロー》

 15分の面会時間が、終了した。










「──アンジェラの昏睡状態は、NEXT能力によるものだ。能力の内容も判明してる」

 ライアンがそう述べると同時にたくさんのストロボが焚かれ、シャッターが切られる。
 ゴールデンライアン再記者会見、という名目で用意された会場で、ライアンはマスコミたちとまた向き合っていた。
 着ているのはいつものブランドの服だが、いつものように凝ったコーディネートでばっちり決めるのではなく、シンプルなシャツと細身のパンツのみというスタイル。しかしぴったりと身体に合ったそれは文句なしに見栄えがして、最初の記者会見のような荒々しさとは別の、洗練された迫力を演出していた。

「それは、そのNEXT能力者が犯人ということですか!?」
「いや、利用されただけで、能力者本人は無関係だ。でも解決方法はわかった」
「どういった条件だったのですか?」
「──詳細は差し控える。理解してくれ」
 きっぱりと、そして静かに言ったライアンに、マスコミはおとなしく引き下がった。
 あの密着生中継ドキュメンタリーから、大衆、そしてシュテルンビルトの主軸企業は概ねライアンの味方になっている。ここで彼に対して礼を欠けば、一気に叩かれることは間違いないからだ。
 マスコミとしては大衆がブーイングを飛ばしてきてもむしろ注目が集まって結構なことだが、七大企業を敵に回すのは御免被りたいのである。

「なるべく早くあいつが起きるように、全力を尽くしてる。信じて待っていて欲しい」

 真摯にそう言ったライアンに、再度多くのシャッターが切られた。



「ライアン! もう終わったの?」

 エプロンをかけたカリーナが、廊下から顔を出す。玄関で靴を脱いだライアンは、そのまま勝手知ったる様子でガブリエラの部屋に入っていった。
「おう。今どんな感じ?」
「キッチンを片付けたとこ」
「食器、全部片付け終わったよ! 冷蔵庫は備え付けなんだよね?」
 彼女とおそろいのアントニオお手製エプロンをかけたパオリンが、『食器』と書かれたプラスチック・コンテナを持って、ちゃきちゃきとキッチンから出てくる。
「ええ、そのままでいいって。じゃあ、次はバスルームやりましょ。ライアン、リビングと寝室頼んでいい?」
「りょーかい」
 カリーナの指示に、ライアンもまた作業に取り掛かるべく腕まくりをした。

 ガブリエラの部屋、そしてあの老人ふたりの部屋を警察の鑑識が徹底的に調べたものの、結局、特に大きな収穫は得られなかった。
 しかし老人たちの部屋からは、徹底的に掃除をしたにしてもありえないほど、髪の毛などの遺留物は検出されなかった。そのため、実際にずっとここに住んでいたわけではなかったのでは、という憶測がなされた。
 またガブリエラの部屋の盗聴器や隠しカメラについていた指紋が老翁のものではなかったため、それらを設置したのは老婆のほうではないか、とも。

 車の中に瞬間移動してきたあの能力が老婆のNEXT能力であるならば、それらの可能性はじゅうぶんあり得た。──だからといって何かが解決するわけでもないのだが、ガブリエラの部屋に直接侵入したのがあの老人ではなく少なくとも同性の老婆であるということに、ごくほんの僅かだけ、ライアンは安堵した。
 検出された、老婆のものと思しき指紋や部屋を借りた時に登録された生体認証データはもちろん警察のデータベースで照合されたが、一致するものはなかった。そもそも彼らが本当にガブリエラの故郷の街の人間であるなら、そういった情報は全く頼りにならないといっていい。
 シュテルンビルトやいくつかの先進国はひとりひとりの人間に生体認証の識別システムが割り振られているが、かの地はそういったものが全く施行されていないどころか、法の手自体よくよく及んでいない無法地帯だからだ。

 老婆の生体認証データは現在、シュテルンビルト全域で指名手配されている。老婆が何らかの生体認証システム──つまり生体認証付きのドアの開閉、レンタルビデオや駐車場の利用など、そういったあらゆるものを利用した途端に自動的に通報されるようになっている。
 しかし、現在全くその反応はない。つまり仲間がいて、それに同行している可能性が非常に高いということだ。

 しかし、犯人や事件の真相はともかくとしてすぐさまライアンが思ったことは、あんな部屋に彼女はもちろん、彼女の大事なものもなにひとつ置いておきたくはない、ということだった。

 そこで彼は、早急にガブリエラの部屋を引き払うことにした。
 ただ恋人とはいえ勝手に漁ることがまだ躊躇われる荷物もあろうと、カリーナとパオリンに手伝いを頼むと、彼女たちはふたつ返事で了承してくれた。彼女らもまた、ガブリエラの部屋にカメラや盗聴器が仕掛けられていたということに涙が滲むほど憤慨していたので、部屋を引き払うのは賛成のようだった。

 作業に取り掛かったライアンは、まずピアスのコレクションが入ったケースを壁から下ろし、割れないように緩衝材シートにくるみ、頑丈なプラスチック・コンテナに仕舞う。
 更に寝室に行っていちばん奥まった収納を開け、ちゃんと虫除けなどを入れて丁寧に保管してある、ラグエルの尻尾やたてがみ、蹄などが入った箱を見つけると、慎重に持ち上げ、厳重に保護シートを巻いて、ピアスの入った箱と一緒に入れた。
 緩衝材をたっぷり入れたその箱に、“重要”とすべての面に大きく赤字で書いて目立つ状態にしてから、今度はきれいに、そして非常にちまちま並べられたフィギュアやおもちゃの棚の前に立つ。
 ライアンは少し考えた後、並べられたおもちゃの写真を何枚か撮影してから、ひとつずつ丁寧におもちゃを箱にしまっていく。

「はー……」

 ライアンは、大きく息を吐いた。
 荷物の量自体はさほど多くないのだが、おもちゃ類があまりにも細かいため、そもそもがさつな性格のライアンは非常に手間取った。
 だがこの雑多なおもちゃが彼女にとって大事な物であることを知っているライアンは、なるべく丁寧にそれらを扱った。
 本当ならクローゼットの中に入っている、ライアンが買ってやった服も仕舞うつもりだったのだが、見かねたカリーナが結局すべてやってくれた。
 リビングにあったラグエル2号はスローンズのスタッフが回収し、しっかりと保管してくれることになった。彼らならば、ネジ1本なくすことはないだろう。

 がらんとした部屋を見ても、ライアンはむかむかするだけだ。できることなら、マンションごと潰してやりたいと思うくらいである。
 だが、彼女はどうだろう。彼女はこの部屋で一部リーグになってからの生活を営み、友達を招いたりして、少なくとも楽しく過ごしていたはずだ。
 カメラや盗聴器のことを知ればさすがの彼女も引っ越すとは言うだろうし、勝手に部屋を引き払ったライアンの判断に文句も言わないだろうが、楽しい思い出がおぞましい事実で汚されたことには、きっと傷つくのではないだろうか。──そしてその時、自分はどうしたらいいだろうか。

 空っぽになった部屋を眺めていたライアンは、すっと目を閉じた。そしてそのまま踵を返し、掃除ロボットの電源を抜いて抱え、ガブリエラの部屋だった場所を後にする。

 そしてトラックに荷物をすっかり詰め込んだその時、PDAがけたたましく鳴り響く。
 恋人が昏睡状態だろうと引っ越し作業中だろうとお構いなしに起きる事件に思わず舌打ちしながら、ライアンはひとりでポーターに走っていった。






《ゴールデンライアン、やっと到着ッ! やはりエンジェルライディングがないと心許ないかー!?》
「馬鹿言え」

 マリオの実況に低く返し、ライアンはヒーロースーツと揃いの派手なバイクから降りずに、そのまま道を突っ走る。
 すると前の方から、仲間を見捨てて逃走中の犯人たちの車が走ってくるのが見えた。──速さで追いつけないのならば、動きを読んで先回りをすればいいだけの話だ。

《おおっとォ、さすがクレバーッ! 犯人の動きを予想し先回り──止まりません! なんと、アンジェラのワイルドさが伝染したか!? ビビったほうが負けのチキンレースを仕掛けるつもりです!!》
 ふんぞり返ったチョッパーハンドルのド派手なマシンに乗り、向かい合わせになった状態で全開にアクセルを踏んでくるライアンに、運転席の犯人が青褪めるのが見える。
 タイヤと道路が擦れる、悲鳴のような盛大な音が響いた。臆した犯人が、ハンドルをきってブレーキをかけたのだ。

「──どっ、どォん!!」

 獅子の咆哮。
 スピンした車が人や建物に当たらない絶妙のタイミングで、バイクに乗ったままのライアンから、車は止まるが人は潰れない絶妙の重力が展開された。車がひしゃげ、正しく機能したエアバッグの衝撃もあわさって犯人が気を失う。
 全くスピードを緩めずまっすぐに走りきったバイクから悠々と降りたライアンは、完全に目を回している犯人を運転席から引きずり出した。

《ゴールデンライアン、スリル満点のチキンレースに見事勝利ッ!! 最後の犯人を確保しました! ポイントが入ります!》



「で? ◯◯教の総本山への連絡取れたか?」
 ポーターに戻ってヒーロースーツを解除し、アンダースーツ姿にアスクレピオスのブルゾンを羽織ったライアンは、ハンズフリーにした通信機に向かって言った。
 相手は、ドミニオンズのスタッフ。アンジェラに関する外部対応は、すっかり全面的に彼女たちの仕事である。
《調べました所、◯◯教総本山は近代的な設備を一切導入していないことがわかりました。一般に知らされた電話番号もありません。連絡は手紙でしか受け付けないとのことです》
「手紙って……このご時世にか。本気かよ」
《修行の一環だとかで》
「ああそう、じゃあ手紙出しといて。速達でな」
 皮肉げに言ったライアンは、ソファにどさりと腰掛けた。通常ふたりで使うためのポーターが、やけに広く感じる。
「文面は任せるが、あっちは宗教家だ。俺ら俗世のルールじゃ動かねえ可能性もある。だから法律面だけじゃなく、あっちの考え方も踏まえて隙のねえ文章にしろよ、揚げ足取られねーようにな」
《わかりました。宗教関係の訴訟に強い弁護士を召喚します》
「ん、そうしてくれ。できたら送る前に俺にもコピーくれ」
《はい》
 ドミニオンズとの通信を切り、今度はケルビム、ガブリエラの主治医のシスリー医師からのコールだった。ライアンは手元のスイッチを切り替え、応答した。

《お疲れ様、ヒーロー。以前ジョニー・ウォンの寺院で“ヴィジョン・クエスト”を体験した方の話を聞いてきました》

 本人は暴走するNEXT能力をコントロールできるようになりたい、と希望しての体験であり、また事前に説明や精神鍛錬の指導も行われたのであるが、彼は10日を超えても目覚めなかったそうです、と医師は告げた。確かに近い例であるので、ライアンは身を乗り出して報告を聞く。

《最初はご友人や奥様が色々な言葉をかけたそうなのですが、効果がなかったそうです》
 しかし、いつも日常でしている話──彼はガラス工芸の職人であったそうなのだが、横でその話をしていたら反応があり、フッと起きたのだ、という。
《要するに、印象に残っている……心に響いた言葉や、ヴィジョンを探す中での天啓となるような、迷いを晴らす鍵となるようなものが効果的なのではないか、という印象でした》
「……抽象的だな……」
《患者本人のカウンセリングが全くできないとなると、どうしても抽象的な回答になりますね》
 眉を顰めて言ったライアンに、シスリー医師は非常に医者らしいコメントをした。

《彼女と過ごした中で、印象的だった話や発言をしてみる、などはどうでしょうか》

 そのアドバイスに「考えとく」と返し、ライアンは通信を切った。
 脱いだスーツの後処理が終わったポーターがゆっくりと走り出したのを感じながら、ライアンはほとんど仰向けになるほどソファの背にだらりともたれかかる。そして疲労で濁った呻き声を上げながら、汗で乱れた金髪を自分でかき回した。



 アスクレピオスに戻ったライアンは、白いベッドに横たわる彼女を、しかめっ面で見下ろす。

(──印象的だった話や発言、だあ?)

 思いつく限りの愛の言葉を囁いても、彼女は一向に目を覚まさない。あのクリスマスイブの夜と同じ、俺もお前を愛している、という言葉にも。
「お前、泣くほど感動してたんじゃねーのかよ……」
 頬杖をついて、ライアンはむっつりと眉間の皺を深めた。ガブリエラの顔を覗き込むと、なぜか彼女もどことなく嫌そうな顔をしている。どういうことだお前、ここでなんでその顔だよ、と突っ込んでみるが、もちろん彼女は無反応である。

 タンタンタンタン、と早いリズムで、いらいらと靴底で床を叩く。もうわけがわからない。大抵の女心は複雑で理不尽だが、お前はもっと単純でわかりやすいのではなかったのか。それがお前のいいところだろうが、こん畜生。
 ライアンが心の中でぶつくさと悪態をついていると、モバイル端末にメールが送られてきた。送り主はアークだ。内容を覗き込むと、頼んだ仕事が完璧に行われていた。

 しばらくそれを見ていたライアンは、やがて返事を書いて作業を切り上げる。
 そして今日引き払った彼女の部屋にあったピアスのコレクションや、細かく並べてあったおもちゃ類の写真をプリントアウトしたものを出し、睨むようにして眺めた。

 ガブリエラがこうなったことによって改めてシスリー医師は彼女のパーソナル分析を行ったのだが、その際、ピアスのコレクションや、職場のデスクや、この自宅のおもちゃのコレクション類が注目された。

 シスリー医師いわく、これは自然な箱庭療法のようなものかもしれない、という。

 箱庭療法とは、箱の中に患者自身が自由に色々な道具やおもちゃを入れていき、ジオラマ、あるいはコレクション、そういった様相の箱庭を作ることで己を表現する心理療法の一種である。
 そう言われれば確かに、しばらく会えないだろう人たちから貰ったピアス、友人の車のミニカー、もうなくなってしまった自分の車やバイク、初めて行った動物園にいた動物、初めて遊んだおもちゃのパーツ、好きなヒーローのデコパーツ、読んだ物語の中の登場キャラクター。コレクションのそれらはすべて、彼女の精神世界にあるものだ。
 彼女は子供向けのおもちゃを使って、それらを小さな世界に大事に並べて眺めている。

 彼女は今、おそらくこの箱庭の中を旅しているのだろう。

 ならば何か手がかりがあるのではと、ライアンは彼女の世界を眺めた。
 ライアンが見てもすぐわかるのは、何においてもゴールデンライアンの特大フィギュアや比較的高額なグッズが、中心に大事そうに置かれていること。黒い馬のモチーフは、飾って眺めるフィギュアなどではなく、バイクがまさにそうであるように、身につけて使うクッションやひざ掛けなどに用いられていること。これは、実際に眠っている彼女のベッドにかけてやっている。
 また特に大事なものの周囲は、宝石のようにきらきらしたプラスチック・クリスタル、あるいは華やかな柄のマスキングテープなどで囲って飾る癖も散見される。

 シスリー医師にも同じものを渡して見解を求めているが、今のところ指摘されたのは、男性のモチーフが極端に少なく、特に人間ということなら基本的に女性キャラクターを選ぶ傾向があること。
 またもうひとつは、入れ物に何かを仕舞う、埋め込む、キャラクターの下にものを置くなど、複雑に絡み合うようなレイアウトをしていないこと。特に、何か中身の入った箱の上にキャラクターを置くことはしない。
 それどころか箱入りのおもちゃは全て中身が出され、全てがひとつひとつ見えるように飾ってある。

 この箱庭を見たライアンの感想は、開け広げで能天気な世界だなということ。隠し事や、鬱屈したものなどひとつもない、好きなものばかりを集めた世界。無秩序で、高級品の真横にお菓子のおまけが飾ってあるのもザラだ。
 こんな世界の持ち主に、眠り込んだまま戻ってくれなくなるようなトラウマがあるのか? それとも、この箱庭のように好き放題記憶を並べているせいで、道に迷っているだけなのだろうか?

 混沌とした彼女の箱庭を眺めながら、ライアンは白い部屋を落ち着きなくゆっくりと歩き始めた。
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BY 餡子郎
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