#126
《お久しぶりねえ、王子サマ! あなたの中継、拝見したわ! とっても──んもう、うるさいわね。囚人番号SS42986、カーシャ・グラハム!》
モニタに映るなり興奮気味にまくし立てたカーシャは、刑務官に何か注意されたのか、面倒そうに名前を名乗った。
「どうも、また会えて嬉しいぜ」
《あら、私もよ。情熱的な王子様》
色気のないオレンジ色の囚人服に、化粧っ気のない素顔。肩を僅かにくねらせただけだというのに、その色気はすさまじいものだった。
《私にできることならなんでもするわ》
「何だ、協力的じゃねーか」
《ウフフ、素敵なラブ・ストーリーを見せてくれたお礼よ。一途な男って大好き。アンジェラを助けたいんでしょう?》
化粧をしていなくても黒く縁取られたようなアーモンド型の目を細めて、カーシャは微笑んだ。ジョニーが言った、カーシャがライアンの中継をかぶりつきで見ていた、というのは本当らしい。やや照れくさい気持ちを感じながら、ライアンは肩をすくめる。
「……そりゃどうも。ま、あんたも無関係じゃねえ話だ──」
そうしてライアンは、カーシャの能力が、狙撃時に現れた黒い骸骨アンドロイドに搭載されていたことを話した。カーシャは不快そうな顔をし、何かを思い出すように眉を顰める。
《そういう技術は知らないし、協力した覚えもないわ。う〜ん……骸骨みたいなアンドロイド、ねえ。映像ないの?》
こっちは音声オンリーになってるのよ、とカーシャは続けた。どうも、囚人に余計な情報を与えないよう、囚人側は音声通話のみの状態であるらしい。
カーシャにアンドロイドに関する情報を見せてもいいかどうか、ライアンはユーリに確認した。ユーリは提出された資料に目を通し、視覚情報のみであれば可、と資料を添削。素早く資料が作り直され、カーシャ側のモニターに流される。
《あ、来た来た。え、これアンドロイドなの? 骨格標本じゃなくて? 動くの? 気持ち悪いわねえ、……あら、この白いのはなぁに?》
「それがコアだ。これにあんたの能力が込められてた」
《……これ、見覚えあるかも》
口元に手を当てて言ったカーシャに、全員が集中した。
《全く同じものじゃないけどね。絵だとわかりにくいんだけど、つるっとしてて冷たくも暖かくもなくて、硬いんだけど、でも触るとなんかビミョ〜に弾力がある》
それだ! とアスクレピオスのスタッフのひとりが声を上げた。ホワイトアンジェラのスーツに使われたこの素材はある程度の柔軟性を備えており、それが他の物質にはまずない決定的な特徴なのである。
「どこで見た?」
《健康診断の時》
「健康診断?」
《ええ。普通の健康診断もするけど、メインはNEXT能力について調べる日よ。メンタルチェックと能力の検査、あとは私達の能力を抑える拘束具や電子手錠のチェック》
だいたい月にいちどの頻度だが、基本的に抜き打ちで行われるのだ、とカーシャは言った。
《まあいつもと変わらない感じの検査だったけど、最後にいつもと違うことやらされたのよね。それがこれ》
資料の白いコアを指先でトントンと叩きながら、カーシャは口を尖らせる。
《こんなちっちゃいのじゃなくて、ハンドボールくらいの大きさだったわ》
カーシャは、覚えている限り詳細に話してくれた。CTスキャンに似た設備に寝かされた時、この白い球に触れろと言われたこと。言われたとおりにすると、一瞬NEXT能力が勝手に発揮されて、とても驚いたことなど。
《ヘンな検査だったから、あとでみんなでアレ何だったのかしら、って言ってたのよ。たぶん、全員やらされたみたい。でも男女別だから男の方は知らないわ。聞いてみて》
「わかった。……医者はどんな奴だったか覚えてるか?」
《名前は知らないわ。知らされない決まりなの。見た目は、おじいちゃんっぽいおじさんって感じだったわね。ちょっと前の方は禿げてて……、って、これはそっちで調べたほうがすぐわかるんじゃないの?》
「あ?」
《だって検査に来るお医者さんって、アスクレピオスのヒトでしょ?》
いっつもアスクレピオスのマークの入った機材とか、白衣とかだもの。そう続けられた言葉に、ライアンがスタッフたちを振り返る。
「NEXT研究の一環として、そういった施設にデータ採集に行くことはあります。こちらのNEXT収容特別刑務所もそのひとつですね、確かに。その検査日が分かればシフトが調べられるかと思います」
スタッフが端末を操作しながら言ったそれにライアンは頷き、検査の日にちをカーシャに尋ねた。
《ええ〜っと、もう随分前だから……。あ、確かリチャードが日記をつけてるって言ってたから、リチャードに聞けばわかるんじゃない? あのヒト、ああ見えて几帳面だから》
「リチャード・マックスだな。わかった」
《私からもちょっと聞いていいかしら? アンジェラとあなたって──、ええ、もう15分!? 冗談でしょ!?》
【囚人番号SS42987、リチャード・マックス】
別モニターに、彼が打った文字が出現する。
自らの声を特殊な超音波として発し攻撃できる能力の持ち主である彼は、こうしたマイク越しでも能力を発揮することが出来る。
そのため彼は顔の下半分と首が繋がったような特別なマスク型のフェイスガードを装着させられ、タイピングによる筆談で面談に応じていた。
「あんたたちの刑務所の能力者の能力をコピーしたアンドロイドで事件が起きた。以前行われた健康診断で、関係しているかもしれないやり取りがあったと聞いてる。あんたは日記をつけてるそうだな?」
ライアンがそう尋ねると、リチャードは振り向いて、面談用とは別の筆談ボードを刑務官に示した。間もなく、刑務官が彼の日記帳を持ってくる。リチャードはそれを開き、そのままカメラの前に示す。そこに書かれているのは、例の健康診断が行われた日付。
「マメな男だねえ」
【自己管理の一環でね】──と、画面に文字が浮き上がる。元ボクサーで緻密な体重管理などを行わなければならなかった彼は、その癖付けのために日記をつけ始め、それを今でも続けているのだという。
「お? ……うぉ、本当にマメだな」
ライアンは、感心して言った。リチャードがカメラから少し日記帳を遠ざけると、そこには医師の似顔絵からその時の会話の断片までが、詳細に記されていた。アスクレピオスのスタッフが、すかさずモニターのスクリーンショットを取る。
検査はおそらく男性の囚人全員やらされたようだ、ともリチャードは教えてくれた。ジョニーもやったはずだが、当時彼はさほど気にしていなかったようなので質問されても気にかからなかったのでは、ということも。
「……声を、録音された?」
日記に書いてあることについて更に質問すると、リチャードは頷いた。続いて、声を出すことは禁じられているのでかなり驚いたということもタイピングしてくる。彼は模範囚ではあるが、NEXT能力を開放するということはいかなる場合もあり得ない。釈放されるまで、彼が声を出せる日は来ないはずだった。
その時リチャードはもちろん能力を使ったりはしなかったものの、いくつかの発声や音階の声を出すことを命じられ、録音機器の前でその通りの声を出した、という。
他にも、能力に関係するサンプリングのようなことをやらされた囚人が何人かいるらしい。皆それなりに不審がってはいたが、ひどいめにあわされたということでもなく、囚人の立場で質問できることは多くない。専門家のやることなのでそういうものであるのだろう、と片付けていたそうだ。
しかし能力の要のサンプリングをされたというのなら、いよいよ怪しい。ライアンは、早急にこの日の診断作業について調べるようにアスクレピオスのスタッフに指示した。
「ありがとう。あんたたちが協力的なおかげで助かる」
その言葉に、リチャードはただ肩をすくめただけだった──が、少し考えるように目線を動かして、今までよりも慎重な様子でタイピングをした。
【別に、あんたたちを恨んでるわけじゃないからな】
【シュナイダーの野郎もきっちり罰を受けた】
【むしろ、復讐を終わらせてくれたことに感謝もしてる】
【礼になれば幸いだ】
フェイスガードの空気穴から聞こえたのは、軽やかな口笛。そのコミカルな音に、つい笑みを浮かべる者もいる。そして彼と戦ったキース、イワン、そしてアントニオは、安堵を含んだ笑みをはっきりと浮かべていた。
「君たちはいつごろ出所なんだい?」
キースが尋ねると、タイピングで返事が表示される。
【さあね】
「さあね? 刑期はそんなに長くないだろ?」
ライアンは、資料をめくりながら言った。
シュナイダーの余罪が数え切れないほど出てきたこともあり、情状酌量がよく効いたこと。そして殺人を犯していないことが大きく働き、罪状は主に器物破損の色々となり、騒ぎの規模の割に彼らはそこまで重い罪にはならなかった──、そのはずだ。
ライアンたちがそう指摘すると、リチャードはタイピングを続ける。
【確かに、刑期はそんなに長くない。だが俺たちはNEXTだ】
【この刑務所は、特別監視のSSレベルNEXTの収容所も兼ねてる】
【俺達は、元々がSレベルだ】
【Sレベルの能力を使って犯罪を犯した人間のSS認定が外れる可能性は、かなり低い】
【刑期が終わっても、建物の棟が変わるだけだ】
【一生ここにいることになるだろうよ】
「そんな……」
ヒーローたちが複雑そうな顔をする。リチャードは、自分もこうなってから初めて知った現状だ、と続けた。ヒーローに捕まったNEXT犯罪者は強固な檻に入りました、もう安全です、めでたしめでたし──、その後のことについて、大衆の関心は非常に薄いのだと。
そして、普通に生きているNEXT能力者への差別や迫害については激しい論争や運動が行われていても、犯罪者に対するそれは非常に希薄だ。特に元Sレベル能力者の犯罪者は施設から一生出てこられないのが通常だが、それを問題視する者は誰もいない。
社会復帰のきっかけさえ与えてもらえない彼らのこと。当たり前のように犯罪者を収容する刑務所と、SSレベル能力者の収容所が一緒になっていることについて、誰も問題提起すらしていないこと。
【しょうがねえ。そういう世の中なのさ】
シュナイダーからの理不尽な仕打ちに怒りを震わせ、そうして罪を犯した彼は、疲れたようにそう言った。
【刑期が終わっても、警戒されなくなるわけじゃない】
【ヴィランズ法案とやらが実用化されりゃあ、ちっとは変わるかもしれねえが】
【あんな法案、世の中が許すわきゃあねえ】
【高レベルNEXTが一旦犯罪者になっちまったら、一生“憎まれ役(ヴィラン)”。これは絶対だ】
リチャードは、肩を竦めた。
【まあ、あんたたちが捕まえた後の奴らがどうなったのか、知って貰えて良かったよ】
【じゃあな】
その言葉と同時に、面会時間の15分が終了した。
《30分の休憩を挟みます》
囚人とやり取りした情報の提出などもありますので、と告げるユーリに従い、刑務所と通信を取っているモニターが一旦暗くなる。それと同時に、ふう、と大きなため息を付いて、ライアンは背もたれに体重を預けた。
そして息抜きも兼ねて、ヒーローズ全員、女子組3人が詰めているガブリエラの部屋に向かう。ドアを開けると、気の利くネイサンが既に飲み物の用意をして待っていてくれた。
「かなり多くの情報が得られましたね」
「おう。何より、アンジェラの起こし方がわかったのが大収穫だな!」
ホットコーヒーのマグカップを受け取りつつのバーナビーの発言に、虎徹が喜ばしげな、力強い声でそう返した。他の面々も、笑みを浮かべてそれぞれ大きく頷く。
「それにしても、……愛、ですか。具体的には、何をすればいいんでしょうね……?」
イワンが、きょときょととした様子で言った。
「そりゃあお前、耳元で甘い言葉でも囁いてやればいいんじゃねえの?」
アントニオが大雑把に返す。
「そ、そういう感じでいいんでしょうか」
「いや、知らねえけど。そこんとこは王子サマの腕の見せ所だろ?」
その発言に、皆の注目がライアンに集まる。ヒュ〜ウ、と虎徹が軽薄な口笛を吹いたので、むっつりと黙っていたライアンは、こめかみに青筋を浮かべた。
「──何だよオッサン!」
「ええ? 頑張れよォ、っていう激励じゃん」
「ワイルド君、心配はいらないさ。何しろ彼は重力王子! そして王子様だからね! お姫様を起こすのが王子様の力さ!」
キースが白い歯をきらめかせ、グッと力強く親指を立てて言った。もちろん彼に悪気はまったくないので、ライアンは苦虫を噛み潰したような顔で黙りこくるしか出来ない。
「でもまあ、基本はそんな感じで合ってるんじゃないの? た、多分」
何やら少し照れくさそうな様子で、カリーナが言った。
「うーん、確かに。ギャビー、ライアンさんに“愛してるぜ”とか言われたら、“本当ですかライアン!”って飛び起きそうな感じはするし」
「ロマンティックさには欠けるけど、確かにものすごく想像がつくわね」
パオリンの意見に、ネイサンが深く頷く。
「というわけで王子サマ、今ちょっと言ってみなさいよ」
「今ァ!?」
ネイサンの無茶振りに、ライアンは素っ頓狂な声を上げた。しかしネイサンは真顔で、「今よ」と無慈悲に言い放つ。
ライアンはモニタ越しに、眠るガブリエラの顔を見る。相変わらず安らかな寝顔だ。だがその閉じられた瞼の下の灰色の目は、もう2日見ていないことになる。
じっと彼女の顔を見ていて、自然に出てくる言葉がないわけではない。それが喉まで上がってきたのを感じたライアンではあったが、周りの何対もの目──しかも総じてニヤニヤしていたり、キラキラと期待に輝く目が一斉に自分を見ていることに気付いて、ハッと振り向き、眉間に思い切り皺を寄せた。
「──言えるかァ!!」
怒鳴ったライアンに、チッ、と舌打ちをしたのはひとりやふたりではなかった。そのせいで、誰が舌打ちしたのかもわからなかったが。
「あれだけのことをやっておいて、何を今更」と呆れるのはバーナビーで、「え〜、照れてんの? 俺様とか言っといて、好きな子に好きって言うのに照れたりすんだあ、へ〜」とひたすらニヤニヤしているのは虎徹。
更に、「まあ、いざ構えるとダメというのはわかります。しかも人前で」と同情を示すのはイワン、「でもあんだけ情熱的に色々やらかしといて、今更じゃねえか?」と言うのはアントニオ、「嬉し恥ずかしというやつかな?」とどこか外したことをのほほんと言うのはキースである。
「いっそのこと、あのドキュメンタリーを耳元で流せばいいんじゃない?」
「あ! それいいかも!」
「あら、いいんじゃない? 事件当時の“俺の女に何してくれてんだオラー!”のところからね!」
そして、カリーナ、パオリン、ネイサンら女子組の発案に、ライアンは頭を抱えた。
ライアンは基本的にいついかなる時にカメラを向けられても動じない希少な素養の持ち主ではあるが、完全にプライベートで、仲間内で吊るし上げられるのが平気なわけでは決してない。
今も自分の後ろでライアンが中継で発したセリフを真似するなどして盛り上がっている面々に、ライアンはぶるぶると肩を震わせた。その顔色は、赤い。
「……お前ら、俺をネタに盛り上がるのがそんなに面白いかよ」
「めちゃくちゃ面白いに決まってるじゃない」
ネイサンが食い気味に言い切ったので、ライアンは顔を両手で覆い、盛大なため息をついた。ぶふ、と誰かが噴き出す声が聞こえる。
そうして、しばらく“ガブリエラを起こすにはどんな言葉をかければいいか”ということについて盛り上がったが、スタッフがコーヒーを持ってきたことで、いったんその話題はお開きとなった。
「それとさ、……ショックだった。ボクたちが捕まえたNEXTの犯人が、NEXTだっていうことでずっと施設から出られない、ってこと」
ミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレ。それを難しい顔で飲みながら、パオリンが言った。ヒーローたちが、それに反応する。
「ヴィランズ法案の意見を聞かれた時に説明は受けたけど、あの時は“実際の刑期より拘束期間が長い”みたいな言い方だったから。本人たちの口から“一生出られない”って聞くのじゃ、全然受け取り方が違ってくるよ」
「ええ、そうね。……差別、とも言いきれないところもあると思うから、難しい問題だと思うけど」
同じようにミルクたっぷりのコーヒーを手に、カリーナが言った。
「まあ、実際その能力を使って犯罪を犯したわけだから。罪状と能力は実際は別なんだけど、能力を封じて管理すればもう同じ罪は犯せなくなるだろう、って考え方は出てきちゃうわよね、やっぱり。……逆に犯罪を犯したわけじゃなくても、能力の暴走でSS指定された能力者もまた犯罪者みたいに扱われる、っていうのもね」
こちらは、砂糖のみのコーヒーを飲みながらのネイサンである。ジョニーの能力で昏睡状態だった頃に能力が暴走し、一時的にSS指定され、施設収容されていた実体験から来る発言には、非常に説得力があった。
「そうだなあ、元Sレベルだとやっぱりな。CとかBとかの低いレベルなら、刑期が終われば普通に釈放になったりもするらしいんだけど」
「やっぱりレベルによって差はあるんですね。……って虎徹さん、詳しいですね?」
「ちゃんとやり直せてるかな、って昔ちょっと調べてみたときにな……」
驚いた顔のバーナビーに、虎徹は苦笑した。犯人だって根っからの悪人ばっかりってわけじゃねえしな、と続けながら。
「昔はもっとNEXT差別もひどかったし、今みたいに、ヒーロー以外での“NEXT能力を活かした仕事”なんてなかった。それどころか、CとかBとかの能力でも気味悪がられて就職できない、なんてのが普通だったからな」
「今もなくなったわけじゃねえけどなあ」
はあ、とため息をつきながら、アントニオが相槌を打つ。
「まあな。……だから、捕まった元Sレベルの奴らも、社会に出る事にあんまり積極的じゃねえところがあるんだよな。自由に街を歩くことよりも、こうして施設に収容されて、みんなに安全だと思って貰えるほうが自分も安心できるんだ──、って、ホッとしたみたいな顔で言われた時は、なんとも言えねえ気分になったよ」
虎徹のその言葉に、皆が眉尻を下げる。シン、と場がひととき静かになった。
「……そうか。ワイルド君は、捕まえた犯人への面会なども行っているんだね」
興味深そうな、真面目な顔で、キースが言った。
「時々はな。……スカイハイはやったことねえか?」
「希望したことはあるんだ。しかし、会社に止められていてね」
彼としては珍しい苦々しそうな笑みに、虎徹だけでなく、他の面子も目を丸くした。
「恥ずかしいことだが、私は最初ヒーローという仕事とメディアの仕事に慣れることで精一杯で、自分が捕まえた犯人のことにまで頭が回らなかったんだ。しかしKOHになって仕事をある程度絞れるようになって、そういえばあの時の犯人は今どうしているだろう、と思った。ワイルド君の言う通り、根っから悪人という人たちばかりではないからね」
ミルクをたくさん入れたコーヒーにいちど口をつけてから、彼は続ける。
「無関係な人間が、刑務所にいる人間に面会はできない。面会するのならば、ヒーローとしてということになる。そうなると会社に許可を取らなくてはいけなくなるが──、会社はダメだと言った」
「どうして?」
「……KOHだから、ですか?」
悲しそうな声を上げたパオリンに続き、イワンが静かな口調で言った。キースは、やはり苦い顔で頷く。
「その通りだ、折紙君」
「どういうこと?」
怪訝な顔でパオリンがなおも尋ねると、キースは彼女に対して優しい目を向け、ゆっくりと説明した。
「……自分で言うのも何だが。KOHは、ヒーローの顔、代表、イメージそのものだ。そういう存在が、捕まえた犯人のその後を心配するだけならまだしも、社会復帰を望んだり支援したりするというのは、大きな社会問題にも繋がることだからさ。極端な言い方をすれば、犯罪を犯しても結局は許してもらえる、というイメージを植え付けかねないからね」
シビアな、しかしお世辞にもすっきりと納得できないその説明に、パオリンは難しい顔で、つるりとしたかわいらしい眉間に似合わない、深い皺を寄せた。
「ヒーローは、シンボルだもの。ヒーローの名前で、特定の政治団体や宗教に肩入れしちゃいけないっていうのは、ヒーローになる時に説明されたでしょ?」
いかにも納得いかない、という様子のパオリンの頭を撫でながら、ネイサンが言う。
ちなみに現在までその実例はないが、特定の政治団体や宗教への肩入れ、もっと具体的には政治活動や布教活動は禁止とはされているものの、所属企業がそれそのものであった場合は、その限りではない。
ホワイトアンジェラが一部リーグ再デビューの際、◯◯教の聖女認定されるかもしれなくなり、すわいよいよ初の宗教法人ヒーローかと危惧されたのはそのためだ。
「ま、俺なんかはイメージも何も、ってカンジだからな。その辺は見逃されてたってこと」
「自慢できることではないですけどね……」
飄々と言う虎徹に対し、呆れた様子、しかしまるきり非難もしていない声色で、バーナビーが小さく突っ込みを入れる。
「Sレベルが施設を出られる可能性は、確かにかなり低いですね。何らかの対策は行うべきだと思いますしそのひとつがヴィランズ法案ですが、実際現状では……」
「あ、そうそう。折紙がこの辺詳しいんだよな」
「あの、その、僕はちょっと、縁があって」
虎徹がイワンの肩を叩いて言うと、イワンは苦笑した。
「僕の友達、──エドワードは、ヒーローになることが当然のように周りに言われていたほど強力な能力の持ち主でした。もちろんSレベルです」
かつてヒーローアカデミーの生徒であり、イワンの親友でもあったエドワード・ケディは、現在刑務所の中にいる。
罪状は、殺人罪。アカデミー卒業前に規則を破って人質事件へ乱入した際、誤って人質を殺害したというものだ。
過失致死、ともとらえられる。しかし状況からして、緊急時の人命を優先しやむをえずエドワードがでしゃばった、とはいえなかった。
結論として、エドワードはヒーローの資格を得ているわけでもない身で己の力を過信し、功名心からしゃしゃり出た挙句に無用に人質を死なせた、とされた。人質に対して直接殺意があったわけではないにせよ非常に利己的な動機による結果だとして、殺人罪の判決が下ったのである。
犯罪を犯した者は、永久にヒーロー免許を得ることが出来ないという決まりがある。犯罪者となったことで、あれほど欲していたヒーローになる資格を永久に失った彼に、イワンは今も度々面会に行っている。
「最初の犯罪で人が死んでいる上、いちど脱獄もしましたから、彼の刑期はかなり長いです。3桁の年数に届かなかったのは、事件当時の彼の年齢と、脱獄したことを除けば刑務所内での態度が優良であったため、衝動的な行動だったと認められたためです」
静かに、そしてそれ以上に冷静に、イワンは言った。
「でもあの脱獄事件から、彼は自分のしたことを今度こそきちんと把握し、未来を見ようとしています。刑務所の中でも、出来る限りのことをしようとしている。面会するごとにそれが感じられて、僕は嬉しいんです」
「そっか。刑務所の中でって、なんか特別なことしてんのか?」
労るように言う虎徹に、イワンは少し微笑んで頷いた。
「刑務所の中で、囚人たちは生活するだけでなく仕事をしています。非NEXTは工場作業のようなものが多いようですが、NEXTの場合は、その能力を活かした仕事もあって……」
「ホー。具体的に、どういうやつだ?」
「実験協力だね」
アントニオの質問にぼそりと答えたのは、ずっと話を聞いていた斎藤である。今日は最初からマイクを装着しているらしい彼を、皆が見た。彼のカップの中身は、ほとんどミルクのような甘いカフェオレだった。
「NEXT対策の素材、設備、その開発。主にはその耐久実験に協力するのが、彼らの主な仕事だね。嫌な言い方だが、囚人ならば、多少無理な実験にも付き合ってもらいやすい」
「んなっ……」
「そして、君たちのヒーロースーツは、そういう実験を繰り返して作り上げられている」
斎藤が言ったそれに対する反応は、驚く者や苦笑する者、様々だった。
「エドワードは脱獄事件の後、僕のヒーロースーツの強化実験に立候補協力してくれたんです。何度も何度も、何百種類という素材に能力を試して、砂になりにくい素材を探しました。だから現在の折紙サイクロンのスーツは、彼の能力がほぼ効きません。他のNEXT能力も、僅かですが効きにくい。とても頼りになるスーツに仕上がっています」
イワンが、ゆっくり、しかし力強く言った。
「彼はヒーローになれなかった。でも僕のスーツに関わることで少しでも、と……、そう言って、すすんで協力してくれたんです。……まあ、僕がヒーロー向きの能力じゃないから心配してくれているのもあると思いますが」
「そっか。いい友達だな」
「はい」
虎徹のそのコメントに、イワンは今度こそはっきりと笑って返した。
また己の能力が大変に効きづらいヒーロースーツの製作に精力的に協力したことは、エドワードが自分の罪を今度こそ反省していると法的機関が見なす要素にもなり、刑期短縮の可能性も出て来る。
「それにしても立候補って、そういう希望とかも聞いてもらえるんだな」
「脱獄後から彼がいるのは民間刑務所ですから、公的刑務所よりも融通が効くんです。彼にもっと何かやりたいことが出てきた時は、僕もできる限り協力するつもりです」
「……えっと、ゴメン。どう違うの?」
「公的機関が運営するのが公的刑務所。企業が運営するのが民間です」
恐縮して質問してきたカリーナに、イワンは気を悪くした風もなく、ゆったり答えた。
「最初に彼が収容されたのが、公的刑務所です。しかし彼の能力で脱獄されたことで収容能力がないとされ、よりNEXT能力者に高い対応能力のある民間刑務所に移りました」
大雑把な説明になりますが、と前置きをして、イワンは続ける。
「犯罪者はいったん皆公的刑務所に収容されますが、エドワードのような強力なNEXT能力者を収容できる設備がないと公的刑務所側が申告したり、もしくは本人が望んだ場合、司法局の認可が下りれば民間刑務所に移ることが出来ます」
公的刑務所は政府に値する公的機関によって、つまり税金によって運営されている。そのため柔軟な対応はあまり期待できず、また更生プログラムも通り一遍のもののみ。
対して民間刑務所は企業が運営しており、専門スタッフによるプログラムが充実している。心理学者やNEXT科の医師が常駐して、NEXTそのものの研究も行い、常にソーシャルワーカーが多くいて、福利委員が数々のセラピープログラムを実施している。
ただし、民間刑務所はあくまで更生の意志と素養のある受刑者に限られる。罪状にもよるが、ある程度公的刑務所で模範囚としての実績を積んでから、民間刑務所への移籍申告が通るのが一般的な流れだ。
ここまでのイワンの順序だった説明に、皆はふんふんと頷く。
「民間のほうが、断然過ごしやすそうね。じゃあみんな、民間に行きたがるんじゃないの?」
「一概に、そういうわけでもありません」
「え、どうして?」
素直な疑問をぶつけてきたカリーナに、イワンは続ける。
「公的刑務所では対応できないほど強力な能力者は、つまりそれほど厳重な拘束が必要、とみなされる場合もあります。その場合、特殊な独房に徹底的な監禁などが行われるのも民間刑務所なのです。……ジェイクが収容されていたアッバス刑務所もそうですね。あそこはより凶悪な、更生不可能とされた犯罪者が収容されるところですから」
つまり、公的刑務所よりもかなりきつい対応である、ということだ。
「じゃ、軽い犯罪の人ならやっぱり民間希望が多い?」
「いえ、そういうわけでも」
「……なんで?」
「民間は、企業が運営している。つまり、収入を得る必要があります」
そしてその収入源は、もちろん受刑者だ。
民間刑務所に入った場合、まず公的機関から支払われる委託費用が、民間刑務所側の第一の収入になる。
そして受刑者の宿泊費用、また各種サービスを受けるための費用は、全て受刑者本人の負担、つまり借金となる。受刑者は刑務所内の労働によって賃金を得ることが出来るが、その賃料は法律の関係もあり非常に低く、とても借金が返せる額ではない。
そのため刑期が終わっても、彼らは大きな借金を背負って出所することになる。それをコツコツでも返せるだけの就職先まで探してくれる優良な民間刑務所もあるが、そうでないところもあるのだ、とイワンは深刻な様子で言った。
「そうでないところ……?」
「シュテルンビルトではありませんが、実際にも例があります。借金を背負って出所したはいいものの、借金が返せずに犯罪を犯し、また刑務所へ。その繰り返しとなるパターンですね。最終的には、刑務所内のほうが食うに困らないとわざと軽犯罪を犯すケースもあります。そして刑務所側では、通常ありえないほど安い賃金で労働力を得ることが出来る」
「なにそれ……」
そんなんで生きてる意味あるの、と、カリーナが低い声で呟いた。
「まあ、どのエリアでも起きてるパターンだな。スリーアウト制があるとこだともっとひどい」
ライアンが言った。虎徹が首を傾げる。
「スリーアウト制って何だ? 野球?」
「野球から来た言葉ではあるな。3回刑務所に入ったらアウト。──つまり、問答無用で終身刑。裁判が省略される場合もある」
もう何をしても出所できなくなったスリーアウト受刑者は、刑務所の中で、延々と労働をして死んでいくだけの存在──奴隷と全く同じ状態になる。だがそれでも生きていられるだけでいい、とその一生に甘んじる受刑者もいるのが現実だ、とライアンは淡々と言った。
「受刑者本人か、その家族がデカい資産でも持ってりゃ、話は別だけどな。例えばマフィアの鉄砲玉構成員が、親分から金出して貰って悠々民間刑務所で過ごして、借金ナシで出所。その場合、民間刑務所にいることをバカンスって呼ぶこともあるくらいだ」
「……何のために犯罪者を捕まえてるのか、わかんなくなるわね」
「そういうのも含めて、ヒーローは犯罪者のその後を考えるなって言ってくるのさ。会社は」
非常に難しい顔をしているカリーナに、本来決まった所属企業を持たないフリーのヒーローは、ひょいと肩をすくめてみせた。
「ライアンさんの言うとおりですね。……そのあたりがあるからこそ、民間刑務所が最も欲しがるのは、“模範囚のNEXT受刑者”です」
「……どういうこと?」
パオリンの質問に、イワンは頷いた。
「先程言った通り、民間刑務所は収入を得なければなりません。企業ですから。公的機関は毎年委託費を支払いますが、全て固定で、しかもそんなに多くはありません。だからこそ、公的機関も民間刑務所を利用するわけですから……」
そして、国民からの税金が節約されるという大きな理由から、世論もそれを推奨しているところは大きい。
「民間刑務所経営のために必要な費用は、受刑者の食い扶持、施設の維持管理分、また刑務官などの給与など。しかし受刑者の賃金がいくら安いからといって、公的機関から支払われる委託費用だけで、これらすべてはとても賄えません」
どこも金の話で大変だねえ、と虎徹が重々しいため息とともに呟いた。
「しかし、NEXTなら話は変わってきます」
イワンは、いちど間を開けた。
「やっぱりNEXT能力は、特別で、強力で、そして非常に有用なんです。だからこそ差別や迫害が起こっている。先程のような実験ひとつとっても、本来ならば大掛かりな設備や機材をたくさん用意しなければならないものを、NEXT能力者ひとりで賄える。実験協力が代表的ではありますが、大きな……特に危険度の高い工事などに駆り出される場合もあります。そしてその場合の収入は、かなり大きくなる」
「その能力で外部から大きな収入が得られ、しかし受刑者本人に支払われる賃金は一定、しかもありえないほど安価。その差額はまるごと民間刑務所の収入になる。しかも強力なNEXTは、出所の宛自体がない。嫌な言い方ですが、厄介者のNEXT受刑者が、たいへんにコストのいい労働力に早変わりというわけですね」
バーナビーが、淡々とまとめた。
「そういうことです。ですから、協力的な模範囚で、なおかつ強力なNEXT能力者は、民間刑務所側から歓迎されます。……人が死んでいて、脱獄歴もあるエドワードがすんなり民間刑務所に移れたのも、これが理由です」
「なぁ〜るほどなあ……、はあ〜、色んな商売があるもんだなあ……」
アントニオが、感心したような、呆れたような、そしてやるせないような複雑な声色で言って、コーヒーを飲み干した。