#125
 ひと晩中泣いて、朝日の光とともに、ガブリエラは漸く顔を上げた。
 低い山だが、見渡す限りの地平線が広がるのが見える場所。真っ赤な太陽が沈んだのときっちり逆の方向から、白い閃光が姿を現す。
 ああ、自分は大きな星の上にいるのだと、そして地球は丸いのだと、ガブリエラは実感する。地球は回っている。すべての星が、光の速さでもってさえ気が遠くなるような時間の中で、何千、何億もの回転を繰り返して輝いている。
 世界は常に、ぐるぐると回り続けている。それをまざまざと目にしたガブリエラは、真っ赤に腫れた顔で、呆然とその雄大な景色を見た。

 大きな鷲が、悠然と空に輪を描いている。
 朝日の中を飛翔する翼は、黄金に輝いて見えた。

 そんな世界の様を、ガブリエラは、呆然と眺めていた。
 日が沈み、日が昇る。動物たちが目を覚まし、眠る。
 青空に星が滲み、輝き、そして白く消えていく。風が吹く。

 どれくらいそうしていたのか。
 何回朝日や夕日、星を見たのか、眠っていたのか起きていたのか、ガブリエラにはもうわからなかった。だがいつしか、蝿がぶんと音を立てて飛んできてラグエルの遺体に止まったことで、ふと空を見上げた。雲がゆっくりと流れる空。

 ガブリエラは軋む身体を動かして、荷物の中からナイフを取り出す。
 唇を噛んで、美しく編まれたラグエルのたてがみと、長い尻尾を何房か丁寧に切り落とす。それを村で作った組紐で慎重にまとめ、鞄に押し込む。そして、道具を使って蹄鉄を外した。村で着け直したはずの蹄鉄は、ガブリエラを乗せて長い道のりを来たことで、それなりに削れていた。
 鞍などの馬具は重いのと、また馬具を着けて格好良くなった自分を得意そうに見せびらかすラグエルの姿を思い出したので、そのままにしておいた。
 筋肉質で張りのあったはずのラグエルの身体はぶよぶよとして、冷たい。もちろん、心臓の音もしない。それにまた泣きながら、ガブリエラは立ち上がる。

 死肉のにおいを嗅ぎつけたか、蝿が更に数匹寄ってきた。コヨーテの群れがいるのも見える。それを見て、ガブリエラは、自分も彼を食べてみようか、とふと思った。馬肉にしてやる、と何度も彼に怒鳴ったことを思い出しながら。
「おなかをこわす……」
 腐った肉は、いくら能力に目覚めたあとなお頑丈になったガブリエラでも危ないだろう。それに、ラグエルの肉など、腐っていなくても腹を壊すような気がする。──何しろ性根が腐っているので。

「──ふふ」

 上手いことを言った、とひとりで少し笑いながら、ガブリエラは足を踏み出した。荷物が重い。それもこれもラグエルが途中で死んだりするからだ、と悪態をつく。

 いちどだけ、後ろを振り返る。
 飛ぶように跳ね回っていた馬が、黒い地面に伏している。幸せに地に還ることができる穏やかな村に留まるのではなく、ガブリエラとともに最後まで厳しい荒野を進むことを選んでくれた、ガブリエラのいちばんの友達。

 ガブリエラは最初、彼の真似をして能力のコントロールをした。
 誰も彼もにではなく、選んだものにだけ。自分のしたいようにする。他の命は踏みつけて、自分の命を大事にする。己が力を使えば生きられるものがたくさんいても、全部無視する。
 母の言いつけにも神様の教えにも全部逆らってラグエルのようになることで、ガブリエラは聖者の力をコントロールした。

 しかし結局、ラグエルは死んだ。
 ガブリエラのために最後の命を振り絞って、聖者のようにラグエルは死んだ。

「……ガブは、わるいこ」

 ラグエルの遺体の静かさに、また涙がこみ上げてくる。
 世界はぐるぐる回っている。ラグエルは死んだ。親友は死んだ。悪い子にならないと、聖者の力が使えない。いい子になれば、己が死ぬ。聖者のように死ぬ。ラグエルのように死ぬ。それはいいこと? わるいこと?
 けれど、生きていたい。ヒーローになりたい。だからここでラグエルと死なず、立ち上がる。ひとりでも歩く。歩いて、……困っている人を助ける、それは、それだけは、とてもいいこと……、だから、それだけはどうしても守らないと……

 ぐるぐる、ぐるぐる。こんなにたくさん考えているのに、いい考えは全く浮かばない。自分はなんて頭が悪いのだろうか、とガブリエラは失望する。
 ぎゅっと目を閉じてラグエルを見るのを振り切り、涙をこぼしながら、ガブリエラは歩き出した。

 いつの間にか赤く染まりはじめた空には、星が輝き始めている。
 これからは、ひとりだ。導いてくれる天使はいない。

 ラグエルは、他の天使の行いを見張る天使の名前だと母は言った。神父は、堕天使だと言った。かつてガブリエラは後者であろうと笑ったが、今は心底、彼が天使であればと思う。死んでなお、彼方の星から自分を見ていてくれればと。姿を失ってなお、今も側にいてほしいと。
 そんなことを思いながらガブリエラは再び星の街を目指し、ただひとり、蛇の潜む岩だらけの道を歩き始める。

「……あ?」

 やけにくっきりと見える星に、ガブリエラは目元に手を遣る。
 泣いて泣いて腫れ上がっていたはずの目が、すっきりとしていた。風で冷えたのだろうか、とガブリエラは少し不思議に思ったが、しかし暗くなってきた道を見て、集中して歩き始めた。










「お客様です」

 交代で寝ずの番をしてくれているアークのひとりが告げてきてから数分後、そっと様子を窺うように、虎徹とバーナビーが部屋に入ってきた。
「よう。どんな感じ?」
「夜中に魘されたり、明け方泣いたりしてたけど、今は落ち着いてる」
 そう答えたライアンの手には、冷えた蒸しタオルが握られていた。ガブリエラの白い顔は、泣いていたというその言葉のとおり瞼の際が赤いが、腫れてはいない。
 その甲斐甲斐しい様に、こいつ俺様だとかなんとか言っといて本当に面倒見がいいよな、と虎徹は感心する。
「途中で、へらーっと笑ったりもしてたんだぜ。呑気なこった」
「そうですか。でも能力の暴走はありませんし、悪夢ばかりに魘されているのでなければ……」
「そうだな。まだ良かった」
 慎重に言葉を選ぶバーナビーに、ライアンは苦笑を返す。

「で? どうした、こんな朝早くに。なんかあったか?」
「いえ。虎徹さんが、……ライアンがきっとまともに寝ていないだろうと言うので」
 少し気まずげに言ったバーナビーに、ライアンは目を丸くし、虎徹を見る。虎徹はいつもの、中年の男特有の経験者面をライアンに向けていた。
「……寝たっつーの」
「1時間ごと目が覚めるようなやつだろ。そんでアンジェラが魘されてたり泣いてたりすると、もう眠れなくなる。……俺もそうだった」
 例えば楓が熱を出した時、友恵の入院に付き添った時。
 虎徹の言葉には、いつになく重い実感と説得力が篭っている。そして、彼の言うとおりでもあった。ライアンは、セットしていない、洗いっぱなしの髪を掻き上げる。

「ほれ、みんな来るまでなるべく寝とけ。なんかあったらちゃんと起こしてやっから」
「おせっかいなオッサンだな……」
「諦めてください、ライアン。こういうおじさんです」
 そしてこちらもかなりの実感が篭ったバーナビーのそれに、ライアンは降参したように両手を上げると、おとなしく、隣に用意してあるベッドに潜り込んだ。

「……サンキュ。ちょっと寝るわ」

 寝ろ寝ろ、という虎徹の声。
 やはりまだ疲れが抜け切れていなかったライアンは、すとんと呆気なく眠りに落ちた。






「ライアンさん、ライアンさん……」
「……おお?」

 静かに肩を揺すられて、ライアンは目を覚ました。寝返りをうつと、イワンが猫背をさらに丸めて、こちらを覗き込んでいる。
 数時間もたっぷり眠ったように感じたが、時計を見るとそれほど経っていない。よほど熟睡していたようだった。

「おはようございます。管理官から連絡が来たそうですよ」
「マジか!」
 ライアンは途端にしっかりと覚醒し、飛び起きた。
「ジョニー・ウォンの面会許可、得られたそうです。これから30分後にモニターで面会」
「さっすが管理官、超有能」
「斎藤さんがいらしてるので、タイガーさんとバーナビーさんはその迎えに出て行かれました。何か情報が得られるかもしれないので、面会は、他の皆さんも同席するとおっしゃってます。昨日の部屋でいいか確認してきてくれと、アスクレピオスの方が」
「おう、それでいい。セッティングしてくれ」
「わかりました。……よく眠れましたか?」
「おかげさまでな」
 それは良かったです、と、イワンは彼らしい、弱気そうだが気遣いに満ちた笑みを浮かべた。

「それとあの、ライアンさん、寝癖がすごいです」
「……サンキュ」

 気まずそうに言ってくれたイワンに、ライアンは静かに礼を言った。昨日からというもの、イケていないゴールデンライアンがことごとく大放出である。
 寝起きにどうしても毎回爆発する髪を直すため、ライアンは素直に手洗いに行って髪を濡らした。



 昨日と同じく、しかし今度はドラゴンキッドも加わった女子組3人とガブリエラの付き添いを交代し、ライアンは昨日の部屋に向かった。
 身だしなみはばっちりとは行かないが、服は自分の部屋から持ってきたものなので、まともである。やはり服がきちんとしていると落ち着く、とライアンは肌触りの良い、身体に合った服にホッと息を吐いた。

 部屋には既に他のヒーローたちやアスクレピオスのスタッフたち、それに斎藤が揃っていて、ライアンが最後のようだった。
「おはよう。そしておはよう、ゴールデン君」
「おう、ライアン」
「ああ、おはよう」
 キースとアントニオに挨拶を返し、ライアンはスタッフたちが開けてくれた、モニター正面の椅子にどっかと座った。
「面会の前にご報告です。斎藤氏からお預かりしたアンドロイドのコアの解析ができまして、込められていたNEXT能力と持ち主がわかりました」
 アスクレピオスのスタッフのその声に、ライアンが目を見開く。スタッフは素早く端末を操作し、モニターに資料を表示する。映ったのは、褐色の肌と黒い髪を持つ、美しい女性。

「──カーシャ・グラハム。こちらもヴァストウィルダーネスNEXT収容特別刑務所に収監中の犯罪者NEXT。ジョニー・ウォンの共犯です」

 関係性のある人物の浮上に、ヒーローたちの表情が険しくなる。
「ここまで来ると他の共犯にも関連があるかもしれないので、同じ施設に収容されている共犯者──リチャード・マックスとアンドリュー・スコットにも面会申請を追加してあります。念のためマーク・シュナイダーの面会も申請してますが、彼はNEXTではないため刑務所が違うこともあり、後に回してます。また本人の移送や刑務所への訪問となると別の申請が必要になり、また時間もかかりますので、勝手で申し訳ありませんがモニター面会とさせていただきました」
「仕事速いな。上出来だ、サンキュ」
「はい!」
 返事をしたのは、ガブリエラの部屋を手配したというドミニオンズの女性。法律関係の処理が得意な、例のヘザー女史だった。
 いつものばっちり決まったスタイルは崩れ、香水をつけるどころかブルネットの髪をひっつめただけの姿は、彼女がどれほど必死になって今回の手続きに取り掛かったのかがわかる。

「では、ペトロフ管理官。繋ぎます」

 スタッフの声とともに、モニターにユーリが映った。背景からして、彼の執務室のようだ。
「おはようございます。申請されていたジョニー・ウォン、カーシャ・グラハム、リチャード・マックス、アンドリュー・スコットの面会を始めます」
 いつ見ても等しく寝不足そうな顔色のユーリは、早速切り出した。
「会議通話の状態、私や刑務官などが聞いている状態で通話していただきます。発言や質問に問題があった場合は制止がかかります。また発言を遠慮していただきたい内容についてはこちらです。目を通し、ご理解いただければ、皆様電子署名をお願い致します」
 ピ、と画面が切り替わり、受刑者に伝えてはならない内容──例えば何らかの暗証番号であるとか、またその他法律関係の注意喚起が並んでいる。ライアンだけでなく、モニターの前にいるすべての面々はそれに目を通し、タブレット端末で署名と生体認証サインをした。
《では、開始。まずはジョニー・ウォン。時間は各15分までとします》
 写ったユーリが宣言し、画面が切り替わる。
 すると、写真で見たとおりの、特徴的な禿頭と髭を生やした、オレンジ色の囚人服を着た老人が映った。後方左右には厳つい装備の、刑務官らしき人物がひとりずつ立っている。

《──囚人番号SS42985、ジョニー・ウォン》

 不思議に深みのある声で、ジョニーは言った。
《やあどうも、お久しぶりだ》
「ああ。もう一度顔を合わせることになるとは思ってなかったぜ」
《私もです。……それで? 私に聞きたいことがあるとか》
「そうだ。シュテルンビルトのヒーロー、ホワイトアンジェラが狙撃されたことは?」
 老人の鋭い眼光を真正面から見返しながら、ライアンは尋ねた。
《知っていますとも。世界中の大ニュースだ。刑務所の中でもね》
「なら話は早い。あいつを撃った弾に、あんたの能力を込めたコアが仕込まれてた。つまりアンジェラが眠り続けてるのは、あんたの能力の効果」
《ふむ……?》
 ジョニーは片眉を上げ、立派なあごひげを片手で撫でる。

「まずひとつめの質問だ。──率直に聞く。あんたは直接関わってるのか?」
《率直に答えましょう。否》
 本当に率直に、ジョニーは言った。
《私も驚いています。モノにNEXT能力を込める、などという技術がある事自体知らなんだし、そんなものに協力した覚えもない。捕まる前も、もちろんここにいる間も》
「……そうかい」
《おや、信じるのかな》
「証拠、動機。残念ながら、疑うところが無いんでね。それにあんたの経歴や捕まった経緯からいって、ここで俺たちを混乱させたって何の得もないだろう? 元は世のため人のため、な坊さんだったみてえだし」
 人相は悪いけどな、と茶化したライアンに、ジョニーはやはり善人には見えにくい顔でにやりと笑った。
《なかなかの胆力。心は相当に荒れ狂っているだろうに》
 何もかも見通しているような様子で、ジョニーはライアンを再度見遣る。
《その克己心に免じて、協力しましょう。それに、私自身に本当に覚えはありませんが──私の能力が悪用された、というのは、気分のいいものではありませんしな》
 鋭い眼光をさらに鋭くして、ジョニーは再度顎髭を撫でる。

《私はこの件に関し、決して嘘をつかず協力しましょう。ここに誓いを》

 堂の入った声でそう言って、ジョニーは、彼の信じる教えの作法か、何か模様を描くように目の前で手を動かし、祈るような姿勢を取って誓った。その手首には、NEXT能力を抑えるという重たげな電子手錠が嵌っている。
 彼の信じる宗教について詳しい者はここにひとりもいなかったが、それが神聖なものであることは、なぜか全員が理解できた。

「──どうも。じゃあふたつめ、あんたの能力についてだ。資料には、“夢を見させる能力”とあった。もっと具体的に知りたい。特にどうやったら目を覚ますのか」
《なるほど、それなら語れよう。私の能力は、そのとおり夢を見させること。しかしその内容は、それぞれによって異なります》
 僧侶らしい、落ち着いた聞きやすい声で、ジョニーは話した。
《そもそもこの能力は、人を害するためのものではありません。この能力を求めて寺に来る者もいたほどです》
「どういうことだ?」
 この発言には、ライアンだけでなく、ヒーローたちが怪訝な顔をして身を乗り出した。
《寺にやってくる多くは、人生に疲れた者、心を病んだ者、悲しみから逃れられない者、そんな人々です。彼らの多くにとって、私の能力は救いになった。──私の能力で見る夢は、その者の過去。特に、忘れていた記憶。あらゆる理由で見ないようにしてきた記憶。直視せずに通り過ぎてきたもの》
 だからこそ、人によっては悪夢であり、そうでないときもある、とジョニーは説明する。なるほどね、とネイサンがため息をつきながら頷いた。

《そしてその夢の中で過去を繰り返し、何らかの答えを見出すことで、眠りから覚める。──ヴィジョン・クエスト、と私は呼んでいます》

 ヴィジョン。すなわち啓示、真理、己の使命の発見。あるいは、不明な憂いを晴らすことでもある。それを得るための夢の旅、探求──ヴィジョン・クエスト。

「……目を覚ます方法は?」
《わかりません》
「はぁ!?」
 突然の無責任な返答に、ライアンが眉を顰める。しかし、ジョニーは変わらず冷静に続けた。
《ヴィジョンの内容は、その人によって千差万別。──だからこそ必ず目を覚ませるよう、希望する方には寺でそれなりの期間、厳しい修行をして頂いていました。過去を乗り越えられるだけの精神力をしっかりと身に着け、今から見るのは夢であると事前に説明した上で、いざクエストに、己の内なる旅に挑む》
 つまり万全の準備をしてから行っていた、ということ。帰ってこられなかった者はいませんよ、とジョニーは言った。
《しかしいきなり夢の世界に叩き落されれば、なかなか戻っては来られないでしょう。さすがに一生そのままということもないでしょうが、時間はかかる。それは以前に実証済みでしょう》
 確かに、彼の能力を食らったネイサン、そして同じ広場で眠らされた一般人は、目覚めるまでの時間に差はあれど皆既に覚醒している。

「……ちょっといいですか? あなたの能力を求めて人々がやってきていた、と聞きました」
 シンと場が静まり返ったからか、バーナビーが手を上げて発言した。
《ええ》
「単にこれから先の人生を生きるために、過去にとらわれたくない、つまりトラウマを乗り越えたい、あなたの言うヴィジョンを得たい──そういう人もいるでしょう。しかしあなたは、先程言いましたね? あなたの能力で見る夢は、そういう内容ばかりではないと」
 バーナビーに、皆の目線が集中する。
「特に、……忘れていた記憶を見せる、とも言いました。──なぜです? 人によっては、──忘れたままの方が幸せに過ごせる、という人もいるでしょう」
 絞り出すような声だった。虎徹が、眉を顰める。
「それをわざわざ呼び起こしに人々がやってくるのは、なぜです? ヴィジョンを得ることで、精神的な安定以外にも何か他の実益があるからでは?」
《いや、鋭い方だ》
 ジョニーは、感心したように言った。

《誤解しないでほしいのですが、隠そうとしていたわけではありません。今から伝えるつもりでしたが。……私の能力を求めて寺にやってくる人々は、彼の言う通り単にこれからの人生のためにヴィジョンを得たいと望む本来の修行希望者もいましたが、多くはNEXT能力者……、しかも、能力の制御がうまくいっていない方が多くいらっしゃいました》
「……どういうことだ?」
 虎徹が、身を乗り出した。
《NEXT能力とその制御が精神的な部分と深く結びついていることは、皆様ご存知のとおり。能力が制御できない、あるいはうまく使えない方は、精神力の弱さ、自分で自覚していない心の傷などが原因であるパターンが多い。己の内面の把握ができていない、ということですな》
「つまり、……能力制御ができない能力者に夢の中で忘れていた過去を思い出させ、それを乗り越えさせる、そしてヴィジョンを会得させることで、能力が制御できるようになる……?」
《そのとおり》
 バーナビーの確認に、ジョニーは深く頷いた。

「……確かに、それはあるわ。あの時から、炎の制御がとてもスムーズなの。アタシはもともと制御ができてたけど、それがもっと滑らかになった。以前は意識して構えてから使っていたものが、息をするみたいに自然にできるようになったっていうか、悟りが開けたっていうか……」
 ネイサンが、実感がこもった様子で証言する。
 ジョニーが言う通り、精神的な要因が能力に影響を及ぼすということは能力者なら誰もが実感することだ。だからこそ、夢の中で散々トラウマを見せられたことで心が強くなった影響だろうとネイサンも考えていたそうだが、結果としてそれは間違っていなかったようだ。

《制御できるようになるだけでなく、より力が強くなる方もいれば、本当の力に気付く方もいらっしゃる。例えば──鳥にいつも追いかけられて、ノイローゼになっている男性がいましてね。しかし彼の本当の能力は鳥を呼び寄せる能力ではなく、鳥と一緒に空を飛ぶことのできる能力でした》
「それは素敵だ!」
 思わずキースが言い、「あっ、すまない」と申し訳なさそうに口を押さえた。アントニオが、眉を下げて笑みを浮かべた表情で肩をすくめる。
《しかし彼は忘れていた。小さい頃に飼っていた小鳥を逃したこと。なぜなら、彼はその小鳥と一緒に空が飛べるような気がしたので──》
 NEXT能力の目覚めとしてよくある直感だな、とヒーローたち全員が頷いた。
《それで彼は小鳥を空に放ったのですが、小鳥はそのまま逃げていってしまい、残された彼は落胆し、その記憶だけが残った。しかし、夢で彼は当時のことを思い出し──、今は花鳥園で働いてらっしゃるそうです。追いかけていた鳥たちは彼を仲間だと思い、一緒に飛ぼうと誘っていたわけですね。当時は力が弱かったので、小鳥もそのまま飛んでいってしまったのだろう、と笑っておられました》
「……なるほど。あなたの能力によるその修業……のようなものは、大々的に宣伝して行っていたものですか?」
 真剣な表情で言うバーナビーに、ジョニーは緩やかに首を振った。
《いいえ。秘密にしていたわけではありませんが、興味本位で殺到されても対応しきれませんので、実際は紹介制というのが近かったでしょう。経験者なら、その者がヴィジョン・クエストを乗り越えられるかどうか、なんとなく判断もつきますから》
 ジョニーの能力でトラウマを克服した、あるいは過去を思い出してNEXT能力を安定させた人々。彼らが知人や友人を紹介し、時々寺にやってくる。そういうやり方だったのだ、と彼は言う。

《ホワイトアンジェラの活躍は、ある程度こちらでも拝見しています。素晴らしい活動をしておいでのヒーローですな。私にはできなかったことです──》

 ジョニーは、深々と染み込むような声で言った。
《実際に接したことはありませんが、心の強い方のようです。こう言っては何ですが──少々脳天気すぎるというか、無神経なくらいの。メンタルチェックのカウンセリングにも、あまり引っかからなそうだ。違いますかな?》
「あー……」
《ジョニー・ウォン。個人的な情報です。控えてください》
《おっと、これは失礼》
 ユーリからの注意喚起が飛び、ジョニーは素直に謝罪した。
 しかしライアンは、ジョニーの言うことに心当たりがかなりあった。ガブリエラはメンタルチェックに引っかかったことがなく、ストレス値も常に平均より低い。
 ハードな出自でいながらにして能天気で、いつも幸せそうな人間。彼女にあきらかな心の傷があるとしたら、今のところ察せられるのはラグエルに関わることくらい。

《では答えなくても結構。アドバイスだけを。そういう方の特徴として、素直で単純。直接的で、湾曲表現などが得意でなく、人の言葉の裏が読めない。しかし直感には優れ、核心を突く。危機察知能力が高く、トラブルメーカーなようでいて危険をくぐり抜けるのがとても上手い》
 ますます当たっている。坊さんってスゲーな、と虎徹がぼそりと言ったが、ライアンもそう思う。怖いくらいだ。
《そしてだからこそ、少々忘れっぽいことが多い》
「忘れっぽい?」
《そう。人間が精神を健康に保つためのいちばんの特効薬は、忘れてしまうことだとも言われます。心の強い方は、都合の悪いことをさっさと忘れてしまえる人間でもある》
「……でもあんたの能力で、それを全部思い出す?」
《仰るとおり。しかしご安心を。本当に心の強い方は、ちゃんと乗り越えてから忘れています。気にしてもしょうがないことだから忘れよう、とちゃんと処理をして忘れているのです》
 乗り越えられていない者が防衛本能から具体的なことを忘れたとしても、心の奥底では気にしているので、何かを忘れてしまったことは覚えている。そのため何に悩んでいるのかわからないまま悩みだけが残り、また別の苦悩が生まれることもある。
 しかし強い者は、乗り越えた上で“忘れる”と選択しているし、忘れたこと自体忘れていることも多いのでさっぱりしたものなのだ、とジョニーは言った。

《ですので彼女は、おそらく道に迷っておられますな》
「迷う? 道に?」
《彼女は色々なことを忘れてきています。いつも必要最低限、だからこそ身軽で判断も速い。……ですので、失礼ながら……逆に言うと、あまり多くを覚えていられない質でもある》
 つまりはバカだと言われている。ライアンは黙った。まったくもってただの事実だったからだ。
《つまり今の彼女は、情報過多のあまりに状況を処理できていない可能性がある。彼女が今見ているのは過去、すなわちいちどは通ってきた道のはずですが、色々と忘れているので》
「……あー」
《過去をうろうろと迷っている。あるいは単に愚直に、最初からひとつずつ確かめながら進んでいる。なにしろどれが重要で何が重要でない記憶なのか、さっぱり忘れておいでなので》
「ああー……」
 ひたすらに納得したような声を出すライアンが想像しているのは、少々おつむの足りない迷い犬が、道という道をひとつずつくんくん嗅ぎ回り、非常に遠回りをしながら家までの帰り道を探している姿である。そして、それはおそらく実際とさほど遠くない想像だった。
《ですので、自分がいるのがどこなのか。つまり今見ているのが夢で、戻るべきは現実なのだとわかれば、目を覚ますでしょう。そのきっかけとしては──》
「きっかけとしては?」
《愛、ですな》
 ウム、と頷いて言ったジョニーに、ほぼ全員がぽかんとした。ネイサンだけが、口元に手を当てて「まっ!」と言ったのが、妙に響いて聞こえた。

「おい、ふざけんなよ」
《ふざけてなどおりません。この世で最も大事であり、最も見失いやすいものが愛です。過去にとらわれる方の殆どは、現実で愛に飢えている。過去に必要とされず愛されていなかったとしても、今現在、現実で必要とされている、愛されていると気付くことが夢から覚めるきっかけになる》
「わかる! わかるわ!」
 ネイサンが、大きく声を上げた。
「アタシもそうだった。夢の中で必要とされてない、愛されてないっていう記憶だけを延々見せられてて──、でも、そうじゃないって気付いて目を覚ましたの。確かに過去に辛いことがあったのは確かだけど、今のアタシはみんなに愛されてるし、みんなを愛してるわって」
 ネイサンは両手を組み合わせ、くねくねと動きながら、やや興奮した様子で続ける。
「後でファンからのメールやボイスメッセージを見たり、ヒーローのみんなが、アタシが寝てる間にどんなに良くしてくれてたかってことを知ったの。その時ははっきりわからなかったけど、こういうみんなの気持ちがアタシに届いたんだわ、きっと」
「そっかあ」
「そうだったのね」
 横でにっこりとしたパオリンとカリーナの頭を、ネイサンは優しく撫でた。
《そういうことですな。眠っていても、現実世界と全く隔絶されているわけではない。今この時に自分を待っている人がいると自覚ができれば、夢から覚める。お伽噺と同じです》
 お伽噺? と皆が疑問符を飛ばすと、ジョニーはまるで予言をする魔法使いのように言った。

《よくあるでしょう。真実の愛で呪いが解ける》

 んまっ! と、ネイサンが熱っぽい声を上げた。ライアンは、唖然としている。
《まあ半分冗談ですが》
「おい」
《大丈夫でしょう。ヴィジョン・クエストは試練ではありますが、死ぬことはない。それに、彼女にはファンも仲間も、ご友人もたくさんいらっしゃるようだ。恋人のあなたも、非常に彼女を愛していらっしゃるようですし──》
 にやり、と笑ったジョニーはやはり魔法使いじみていたが、お世辞にも善い魔法使いには見えなかった。
《カーシャがあなたの中継にかぶりつきでね。いやいや、お若い。情熱的なことだ。しかし私は出家をした身、眠る恋人への愛の示し方については詳しくありませんので、そのあたりは自己努力でお願い致します》
「ちょっ──」
 ぶつん、と通信が切れる。

《15分です》

 顔色の悪いヒーロー管理官に切り替わったモニターに、ライアンは頭を抱えた。
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BY 餡子郎
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