#121
「──アンドロイドが、NEXT能力を!?」
「なんてこった」

 ヒーローたちが、頭を抱える。斎藤は頷き、続けた。
「実際、見ているはずだよ。君たちがヒーローランドで戦った時、こいつらは何体ぐらいに見えたかね」
「えっと……、たくさんいたよ。少なくとも100体ぐらいはいたんじゃないかな」
 斎藤の確認に、ドラゴンキッドが答えた。あまりにも多くの骸骨が一斉に出てきたのでとても驚いたし焦った、とも。
 彼女の証言に、他のヒーローたちも「確かにそのくらいはいたな」と同意する。

「いや、こいつらは全部で5体しかいなかった」
 斎藤の発言に、皆が目を丸くする。
「5体!? そんなバカな」
「本当だよ。それこそがこいつらのコアに込められたNEXT能力だったんだから。──覚えてないかね、ジャスティス・デーの事件を」
 そう言われて、バーナビーがハッとした。
「分身能力……」
「ご名答。検証は済んだが、どこの誰の能力かはまだ調べとらん。私には権限がないもんでね。頼んでもいいかな、ウェブスター」
「ああ、急いで調べよう」
 斎藤がから白いコアを受け取ったパワーズ主任、ランドン・ウェブスターは、専用のケースにすぐさまそれを仕舞うと、スタッフに命じて急いで研究棟に回した。

「……もしかして、あまりにも風がスカスカだったのは、殆どが分身で、実体がなかったからなのだろうか」
「あ、そういうことでござったか」
 顎に手を当てて言ったスカイハイに、なるほど、と折紙サイクロンが手を打つ。
「でも、ライアンさんがまとめて粉々に押し潰した後の穴の中には、ものすごい数の残骸が積み上がってたよ? 能力で分身してたんなら、やっつけられたら本体だけ残るんじゃないの?」
「オリジナルの、人間が操る能力なら本人が意識を失ったり集中力が切れれば能力は解除されるけど、これは“モノ”だ」
 納得がいかなそうに質問したドラゴンキッドに、斎藤はそう解説した。
 ライアンが本体も分身もまとめて粉々にしたものの、その後も機械的に分身能力はそのまま発動されていたので、山のような残骸があるように見えたのだ、と。

「げっ。じゃあ、やっつけても、そのコア? とかいう白い玉を壊さねえと、延々能力発動しっぱなしってことか?」
「能力の内容にもよるだろうけど、基本的にそうなるね」
 苦い顔をした虎徹に、斎藤は頷いた。
「厄介ですね」と、バーナビーが重い声で言う。

「骸骨アンドロイドについて私が調べたことは、今のところ、このくらいかな。あとは、アンジェラの事件と関係があるかどうかはわからないが、……奇妙なことがあったんで、報告しておく。ぬいぐるみの件だ」

 持っていたぬいぐるみを前に出しながら、斎藤は続ける。
「回収されたすべてのぬいぐるみから、人の髪の毛が検出された。──ウロボロスの一員だった、彼女。クリームという女性の髪の毛だ」
「はぁあ!? 馬鹿言え、死んでるだろ!」
「そのはずだがねえ。でも確かに彼女の髪だよ。DNA鑑定もしたし」
 素っ頓狂な声を上げたタイガーに、ふう、と息をつきながら、斎藤は言った。
「え、じゃ、じゃあ、生きてるってことか?」
「そんなはずはありません」
 きっぱりと言ったのは、バーナビーである。

「彼女は、……私情もあったでしょうが、僕の両親を殺したのがジェイクではないと教えてくれた人でもあります。それもあって、彼女が自ら生命維持装置を切って亡くなったと聞いて、葬儀に出席しました。遺体も確認しています。棺に収められていたのは、確かに彼女だった」

 バーナビーは、確信を持って言った。しかし難しい顔をして口元に手を当て、アスクレピオスの、医療担当のケルビムのチームに向かって言う。
「しかし、……あの。遺体、と判断できるようなものを偽造する、というのは、現在の技術的に可能なのでしょうか」
「不可能ですね。エンバーミング技術などを用いて別の遺体を整形したとしても、遺体は傷跡も治らないので、別人に似せようとしても不自然なものにしかなりません。しかも犯罪者の遺体、さらには彼女のような死因なら、徹底的に検死されているはずですし。斎藤氏から依頼があり当時のカルテも調べましたが、確かに彼女は亡くなっています」
 シスリー医師が、いつもの穏やかな声で、しかしはっきりと言う。

「……えーと、つまり、その、どういうことなんだ? 幽霊が出た、ってこと?」

 虎徹が恐る恐る言ったそれに、皆が表情を歪める。
「ゆ、幽霊でござるか」
「モゥ! やめてくれよそういう話は!」
「ゴースト? ゴ、ゴーストかい? 本当に?」
 折紙ロックハイトリオが怯えた声を出し、それにつられてざわざわと皆が騒ぎ始めた中、ふう、と斎藤はため息をついた。
「非科学的だね。ありえないよ」
「だってさあ、斎藤さん!」
 やれやれといわんばかりに切り捨てた斎藤に、タイガーが喚く。
「まあ、わかっていることを話しただけだ。他の手がかりは今のところないから、僕が言える確かな事はここまで。変な想像や憶測で色々言っても混乱するし」
 その言葉で、斎藤は自分の報告は以上であると告げ、アスクレピオスに目線を遣った。

「ええと、じゃ、こちらのメインの話です」
 コホン、と咳払いをして、パワーズのバート副主任が仕切り直す。
「アンジェラに撃ち込まれた弾丸に込められた、NEXT能力が判明しました」
 その言葉に、ライアンたちがぐっと身を乗り出した。
「通信でも伝えましたけど、国際NEXT能力データベースに登録のあるNEXT波紋パターンでした。資料出しますね」

 後ろにいたスタッフが端末のキーボードをカタカタと数秒操作すると、大きなスクリーンに、顔写真と、たくさんの情報が送られてきた。

「──ちょっと! こいつ!」

 画面のその人物に目を見開き、大きな声を上げたのは、ガブリエラの近くにいるファイヤーエンブレムだった。

「ヴァストウィルダーネスNEXT収容特別刑務所に収監中の犯罪者NEXT。昨年シュテルンビルトを騒がせたシュナイダー事件の犯人のひとり、ジョニー・ウォンです」

 画面に写っているのは、特徴的な頭の形、個性的な長い髭をした老人だった。
 刑務所に入ってからの写真のため囚人服であるが、その鋭い眼光は、ヒーローたちがシュテルンビルトで彼と対峙した頃の記憶そのままだ。
「調べましたけど、彼は脱獄などしていません。同時に収監された3人とともに、むしろ模範囚としてずっとこの刑務所にいます」
「で、でも、こいつの能力が弾に入ってたんだろ? どうやって……」
「──そんな事ァ、今どうでもいい!!」
 ガタン、と椅子を蹴り飛ばすような勢いで、ライアンが立ち上がった。

「どういう能力かわかったんなら、解除方法もわかるだろ!? ──どうやったらあいつは起きる!? どうやったら……!」
「ライアン、落ち着いて」
 医者に掴みかからんばかりの彼の肩を、バーナビーが軽く叩いて諌める。ライアンの勢いに驚いて仰け反っていたバート副主任は、気を取り直すようにして続けた。
「ジョニー・ウォンの能力の概要は、『夢を見させる能力』とありました」
「ゆめ?」
 ドラゴンキッドが、疑問符を浮かべた表情で首をひねる。
「はい。彼の能力を受けると、強制的に昏倒。そのまま眠り続け、明晰夢を見続ける。悪夢であることもあれば、そうでないこともあるそうです」
「アタシが見たのは、あんまりいい夢じゃなかったけどねえ」
 ジャスティス・デーの事件で、まさにこの能力を食らって何日も眠り続けたファイヤーエンブレムが、嫌そうな、疲れたような様子で言った。

「……姐さんは、どうやって目を覚ましたんだ?」
「それがねえ、……ごめんなさい。よくわからないのよ」
 ファイヤーエンブレムは、申し訳なさそうにライアンにそう返した。
「とても気の重い夢を延々見てたのは確かなんだけど、でも、……なんだったのかしら。突然、とっても心強くなったの。ほら、小さい頃に怖い夢を見て飛び起きたらお母さんが優しく笑ってて、ああ夢だったんだって安心したみたいな、そんな感覚」
「抽象的ですね」
 ふむ、とバーナビーがコメントする。

「そうなのよ。アタシも知りたいわ、どうやって目覚めたのか。その能力のデータに、解除方法とか具体的に書いてないの?」
「ええと、その、はい。NEXT能力データベースにはその能力の大まかな概要は記載されているのですが、その詳細を知るとなると、法的な申請手続きが必要なのです。NEXT能力の詳細はかなりプライベートな内容ですから囚人の人権問題もありますし、ヒーロー管理官のペトロフ氏経由で、現在申請をしているところです」
 明日には答えが得られるそうですのでと、バート副主任は、困ったような、気遣うような様子で言った。

 シン、と静まり返った部屋。大きく息をついたライアンは、ドサリと腰を落とすようにして、再度椅子に座った。
「……くそ」
 彼が俯いて発した小さな悪態が、幾人かの耳に入ったその時。彼のジーンズの尻ポケットに入っていた通信端末が、けたたましい音を立てた。素早く取り出し、ライアンが画面を見る。
 フリン刑事からだった。

「ライアンだ。なんかわかったか?」
《──すまねえ。やられた》
「……どういうことだ?」
 深刻な、絞り出すようなフリンの声に、ライアンは眉を顰める。
《まず、確認したいことがある。こいつの相方の婆さんがいる、って言ってただろ。映像を送るんで、その婆さんかどうか確認してくれ》
「見つけたのか!?」
《出てきたんだよ、向こうからな》
 忌々しげなフリンの声を聞きながら、ライアンは端末を用意した。準備ができたと告げると、フリンから映像ファイルが送られてくる。

 映っているのはベルトで拘束されたあの老人と、その周りの、フリンを含む警察官数人。車の中の映像であることはすぐにわかった。移送車のドライブレコーダーの映像だろう。
 老人は既に目を覚ましているようで、どうも唾を飛ばしたり、悪態をつきながら体を揺すったりしているようだった。

《移送中、ちょっと道が混み合ってたんで、車を一時停止した時があった。その時こいつが突然車内に現れてだな──》
「うお!?」
 ロックバイソンが、驚いた声を上げる。
 なぜなら犯人の頭上あたりに、フリンの言う通り、突然老婆が現れたからだ。ぱっ、とまるで映像の途中が飛んだようにして現れた老婆は、フリンらが銃を構えるより早く拘束された老人の頭に手を置いた。
 そして、カッと青白い光が放たれたかと思うと、次の瞬間にはもう老婆はいなかった。

《で、今の婆さんが、あんたの知ってる婆さんか?》
「ああ、そうだ」
 ライアンは、断言した。
《いっぺん見ただけだろ? 本当に?》
「あー、刑事さん。こいつ人の顔覚えるのホント得意で、ウチの娘の顔も2年くらい前にちょびっと見ただけなのにちゃんと覚えてたんで、間違いないと思うぜ」
 ひょいと手を上げて、タイガーが口を出す。
 他のヒーローたちも確かにと頷き、アスクレピオスの面々もライアンの顔と名前を覚える能力の高さを保証したので、フリンは納得したようだった。

「それにしても、……あの、青白い光。NEXT能力か? 何をされた?」
《このとおりだ》
 画面が切り替わり、今度は警察署内の映像。鉄格子の向こうには、椅子に縛り付けられたあの老人がいた。

 しかしその表情が、妙だ。
 型で押したようなあの笑い顔はそのままに、目の焦点があっておらず、皺だらけの口の端からダラダラと涎が垂れている。あー、うー、と意味のない緩んだ呻き声を上げているのが聞こえた。

《要するに、廃人状態だ。何の反応もしねえし、もちろん会話も成り立たねえ。医者に来てもらって診察したが、改善が見られない。投薬も検討してるが、……見込みは薄いと言われた》
 はああ、とフリンはため息をついた。ライアンは、ぐっと拳を握りしめる。
《正気を失う前は、車の中で元気に喚いてたんだけどな。悪態ついてるだけで、特にヒントになるようなことは言ってなかった》
「……そうか。婆さんの行方は?」
《わからん》
「くそ……」
 最大の手がかりと思われていた老人が、何も話せなくなったということ。ライアンは顔を顰め、しかしフリンを責めてもどうにもならないことはすぐに理解し、ただいちどだけ大きな舌打ちをした。

《すぐ車を降りて周囲を確認したが、いなかった。いきなり車内に現れたところを見ると、こう、瞬間移動とか、そういう系統のNEXT能力だと思うんだが》
「いや、爺さんを廃人にしたのが能力だろ? まだ他に協力者が──」
「──そんな」
 呆然とした、震えた声。ライアンが思わず振り返ると、先程の車内の映像を端末で見ながら、バーナビーが、青い顔をしていた。
「そんな、……まさか。この、能力は」
「おい、どうしたジュニア君」
「馬鹿な……」
 ライアンの呼びかけにも答えず、バーナビーは何度も車内の映像を繰り返す。頭に手を置いた途端に青白い光が放たれ、相手は何もかもを忘れ、廃人同然になってしまった、その能力。

 バーナビーは、その能力に、覚えがある。──とても、よく。

 大きな手が眼前に迫ってくる映像が、短くフラッシュバックする。
 かつてのシュテルンビルトのメディア王にして、アポロンメディアのCEO。ヒーローという職業を確立させた人物。バーナビーの両親とは古くからの馴染みで、──そして、彼らを殺した張本人。その彼が持つのが、あの能力だった。

 ──おやすみ、バーナビー

「アルバート・マーベリック……!」






 気分が悪くなったというバーナビーは、結局虎徹とともにアポロンメディアに戻っていった。そしてその他のヒーローたちも、ジャスティスタワーや、それぞれの社に戻っていく。
 残ったのはライアンと、ずっとガブリエラに付いているファイヤーエンブレム、もといヒーロースーツを脱いだネイサンだけであった。ふたりはガブリエラが寝ている病室に行き、それぞれ置いてあるソファに並んで腰掛ける。

「大丈夫かね、ジュニア君」
「基本的には乗り越えてると思うんだけどね。でもやっぱり最大のトラウマではあるだろうし、心の準備なくいきなり思わぬところから、って感じだもの。しょうがないわ」
 心配そうに、ファイヤーエンブレムが言う。
「でもタイガーもついてるし、大丈夫よ。ハンサムはそんなにヤワじゃないわ」
「そうか」
「ええ」
「んじゃ、俺は──」
「待ちなさい。何するつもりなの」
 また端末を立ち上げたライアンの肩をぐっと掴み、ネイサンは完璧に整えられた眉を寄せる。
「何って。念のため、警察にアスクレピオスの医者派遣だろ、あとドミニオンズの報告書読んでなんか気になるところないか確認して、あとは」
「それ、あんたじゃなくてもできるわよね」
 つらつらと話すライアンの声を、ネイサンはきっぱりと断ち切った。

「何かしてないと不安なのはわかるけど、ちょっと落ち着きなさい。あんた、このコが撃たれてから全然寝てないし、水もまともに飲んでないでしょ」

 そう言われ、ライアンの金の目が少し揺れる。
「ほらもう、せっかくピッカピカだったお肌がガサガサ! 唇も割れてるじゃない。寒いし乾燥してるんだから、気をつけなさいよ」
 ネイサンはポケットから小さなケースを取り出し、まるで母親のように、ライアンの唇にさっとクリームを塗った。更に立ち上がってミネラルウォーターのボトルを開けるとライアンに押し付け、飲めと命令する。

 その間ライアンはずっと呆然としていたが、言われるがまま口に水を含む。
 しかしあまりにも口の中が乾いていたせいで喉が水分でくっついたようになって、軽く噎せた。
 そんなライアンを見下ろしたネイサンは、腰に手を当て、モデルのように立って言う。

「聞いたでしょ? 明日には、ペトロフ管理官がとりあえず答えを持ってきてくれるわ。この部屋はフロア丸ごとガッチガチにセキュリティシステムがついてて、アークが交代で寝ずの番もしてくれてる」
 ライアンはネイサンの言葉を聞いているのかいないのか、ぼんやりした顔をしている。
「だからあんたはいっぺん自分の部屋に戻って、シャワー浴びて、着替えて、ヒゲを剃って! どうせここで寝泊まりするんでしょ? お泊りセット作ってらっしゃい。それでも心配だったら、あんたが戻ってくるまでこのままアタシがこのコの側にいてあげるから。……あ、そういえばモリィちゃんはどうしたの。放っといて大丈夫なの」
「あ」
「ホラみなさい!」
 あんたしかやれないことがあるじゃないの、とネイサンは彼の肩をばんと叩いた。

「……悪ィ。じゃあ、ちょっと行ってくる」
「そうなさい。あんたが寝られるところ作るように言っとくから」
「おう……」
「大好きな王子様が一緒の部屋で寝泊まりしてたって知ったら、きっとこのコ、起きた時にめちゃくちゃ大騒ぎするわよ。“なぜ私はさっさと起きていなかったのですか!”って。起きてたら寝泊まりもしてないけど」
「ふはっ」
 ネイサンのモノマネが割と似ていたので、ライアンはつい噴き出した。その笑顔を見て、ネイサンは慈愛深く微笑む。

「でもまあ、きっとそれ以上に喜ぶでしょうけどね、犬みたいに。……ほら、さっさと行ってらっしゃい」
「ああ。……ありがとう、姐さん」
 今日、自分はいろいろな人間に礼ばかり言っていると思いながら、ライアンはソファから立ち上がった。

「お安い御用よん」
 ひらひらと手を振るネイサンに小さく手を上げて、ライアンは部屋を出た。



 自分の部屋に戻ってきたライアンは、まずモリィの世話をした。
「遅くなってゴメンな」と謝罪しながら、がつがつと野菜を食べるモリィの鱗をゆっくりと撫でる。
 そして以前取材を受けた『月刊レプタイル』という爬虫類専門誌の担当記者に電話し、緊急でも受け付けてくれる、腕のいいペットシッターがいないかと相談した。
 結果として、中継をずっと見て心配していたという担当者は自らの胸を叩き、よかったら自分がモリィの面倒を見る、と申し出てくれた。彼はブリーダーとしても優秀で、書いている爬虫類のコラムにもたくさんのファンがついているその道のプロで、その才能はライアンも認めるところだ。興味本位で取材についてきたガブリエラも「良い方ですね」と言っていたので、きっと信用もできる。
 じゃあ頼む、と言ってから小1時間もしないうち、彼は爬虫類専用のヒーターとケージを仕込んだバンで駆けつけ、丁寧にモリィを預かってくれた。

 誰もいなくなったがらんとした部屋で、ライアンは重たく感じる身体を引きずるようにしてシャワーを浴びた。
 最近ずっとガブリエラの能力でコンディションがずっと絶好調だったので、こんなに体が怠くて重たいのは久しぶりだった。風邪は引いていないようなので、おそらく疲れているだけだろう。
 バスルームを出たライアンは、髪を拭きながら部屋を見回した。なんとなく、今日ヘンリーに教わった隠しカメラや盗聴器の探し方で部屋中をチェックしてみたが、特にそういったものは見つからなかった。
 今まではセキュリティなどの部分も考えないではなかったが、ほぼ格好いいからというだけの理由で最上階の部屋ばかり借りてきた。しかしやはりそれだけの恩恵があるのだな、と感心する。

 モリィもいなくなった寒々しい部屋にひとりでいると、なんだかとても居心地が悪くなってきた。つい昨日まで、優雅でスタイリッシュなひとり暮らしの出来るいい部屋だと気に入っていたはずであるのに、急につまらない空間であるような気がしてくる。

 数秒ソファでぼうっとしてから、ライアンはシュテルンビルトにやってきた時に使ったきりのボストンバッグを引っ張り出してきて、服やら下着やら、身の回りのものをぽいぽいと放り込む。
 そして最後に、ポーターから回収してきたリボンのかかった箱を取り上げ、荷物のいちばん上にそっと置いた。濃い青のリボンには繊細な金色の文字で、Merry Christmas、と書いてある。彼女にやると約束した、クリスマスプレゼントだった。
 その箱を少し眺めてからライアンは立ち上がり、ファスナーを閉めたバッグを持ち上げる。最後に暖かいコートをちゃんと羽織って、アスクレピオスに戻っていった。



 ガブリエラが眠る部屋にライアンが戻ってくると、ネイサンが彼女の髪を編んでいた。髪をまとめたほうが介護などもしやすいだろう、ということだった。
 蒸しタオルと拭き取り化粧水で顔を洗っといてあげたわ、と女性らしく甲斐甲斐しい配慮をしてくれるネイサンに、再度礼を言う。
「静かにすやすや眠ってるわ。時々難しそうな顔するけど。……何の夢を見てるのかしらねえ」
 ネイサンが同じ能力を受けた時は、過去の嫌な記憶がかわるがわる蘇り、まさしく悪夢そのものだったという。眠りながら能力も暴走していて、ずっと魘されていたらしい。
 しかしガブリエラは規則正しい寝息を立てて眠っているばかりで、むしろ本当に生きているのかと不安になるほど静かである。とても悪夢を見ているようには見えない。能力が発動したり、ましてや暴走したこともなかった。

 ネイサンが部屋を出ていってから、ライアンはアスクレピオスのスタッフたちから来ている連絡事項に目を通す。
 予定されていたパーティーは、ホワイトアンジェラの暗殺未遂という大事件が起こったことで中止となったものもあれば、予定通り開催されたものもあるという。
 しかしライアンが今日どれだけこの事件のために奔走したのか知らない者は、このシュテルンビルトにはひとりもいない。当然出席も免除され、そのかわり、主催者や色々な方面からメッセージが来ているらしい。
 だがそれにまで目を通して対応する気力が湧かなかったライアンは、そのまま端末を閉じてソファに放り投げる。

 それから、ライアンは眠るガブリエラが見える位置にテーブルを置き、取り寄せた食事を取った。
 ヒーローランドでは本当に枷を取っ払って全力で能力を使い、更にガブリエラのマンションで、二丁拳銃の老人に対し能力を使った。そのため確かに腹は減っているのだが、時計の秒針の音が聞こえるような静かな部屋でひとりで食事をするのは、どうも億劫な心地だった。
 いつもならテーブルの向こうでにこにこしながら、ライアンと同じくらいの量を美味そうに食べているガブリエラは、白いベッドの上で眠ったままだ。

「……お前、腹減らねえの?」

 そっと話しかけてみるが、反応はない。ライアンは用意された食事を最後は無理やり掻き込むようにして完食すると、ガブリエラのベッドの脇の椅子に腰掛けた。
「お前が静かだと、調子狂うな」
 彼女はいつもライアンの周りでテンションの高い犬よろしく飛び跳ね、何かというと高い声で何か喋り、くるくると表情を変えながら動き回っていた。
 その落ち着きのない様にお前ちょっとはじっとしとけよと軽口を叩きつつも、本心では不思議と不快に思ったことはない。それに、じっとしろと言うと従順におとなしくなるが、それでもどこかそわそわとしている様を見るのも面白いのだ。──いとしい、という感情だったということは、今ならわかる。

 壁にかけてある時計を見ると、もうすぐ日付が変わろうとしていた。ライアンはじっと彼女の寝顔を見続ける。

「……バーカ。お前何寝てんだよ、よりにもよって今日。馬鹿。馬鹿犬」

 12月25日が終わってしまった。
 クリスマスで、しかも誕生日。だというのに、高級ホテルもディナーも、花束、シャンパン、大きなベッドも。どれもこれも、全く用意などしていない。ライアンの今までの人生で、女に対してここまで失態を犯したことなどない。
 だからせめて自分の部屋に招いて、それはそれはロマンチックなキスをしてやろうと思っていたのに、あろうことか本人がぐうすか寝ているときた。

「クソッタレめ……」

 自分もクリスマスが嫌いになりそうだとライアンは悪態をつきながら、彼女のベッドに顔を突っ伏し、もういちど力なく「バーカ」と呟いた。
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BY 餡子郎
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