#012
「うーい、だる……」

 ゴールドステージらしく、白い石の地面と緑で整えられた、清潔感溢れる、大きな公園。
 そこのベンチの背もたれを使って仰け反りながら、ライアン・ゴールドスミスは、187センチの大柄な体躯を伸ばした。

 ライアンはデビューこそコンチネンタルエリアだが、特定の所属を持たず、様々な得意先を渡り歩き、期限付きの契約でヒーロー活動を行っている、世界でもまだ数少ないフリーのヒーローである。
 傭兵のようなともいえるそのスタイルは不安定極まりないし、最初は家族にも心配された。しかしそのやり方は、生来高いコミュニケーション能力を持ち、自分を売り出すセールススキルも高く、それでいてどこか飽き性なところのあるライアンには、とても合っていた。
 ヒーローを雇い抱えることのできる企業は、どこもかなり大きな企業ばかりだ。そのトップと駆け引きや取引を行い、自分に有利な条件を勝ち取るところから始まり、その上で、実際の活動では、責任は上席が取ってくれるサラリーマン最大のメリットを使うこともできる。

 居心地が良ければ契約を伸ばすし、良くなければ切ればいい。ライアンを受け入れてくれるところはどこにでもあるし、なければ作ればいいだけだ。
 気楽さとスリルが良いバランスで混在した生活は、非常に快適だ。大富豪とまでとはいかないものの、税金対策が必要な程度には収入もある。常に三ツ星のホテルに泊まり、身の回りのものをブランド品で固めても、懐具合には常に余裕がある──、いわゆるセレブ、と呼ばれるくらいには。

 そして今回、次の契約が始まるまでのバカンス中、シュテルンビルトから緊急で招集依頼がかかった。
 聞けばかなりの大事故が起こり、ヒーロー・ゴールデンライアンの力が必要なのだ、ということだった。

 ライアンは、依頼を受けることにした。シュテルンビルトはライアンがかつて活動を行った場所で、場所にも人にもそれなりに思い入れがある。
 それに、世の中のセレブがボランティアだのエコ活動だのを必ず行っているように、こういうスタイルの仕事をしている上で、金にがめついわけではないのだ、というポーズは必要だ。
 常にスキャンダルを纏うお騒がせセレブであるのも楽しそうだが、ライアンが目指しているのは、一応、自由でいて仕事のデキる、カメラの前では俺様だけど、本質はヒーローらしいいいやつなんだぜ、というキャラクターだ。
 つまり、メディアに妙なキャラクター像を作らせずライアンの本質をそのまま世間に受け入れさせるため、要するにこれからも自分が気を張らずに仕事をしていける営業努力の一環として、ライアンはバカンスを中断し、シュテルンビルトに戻ることにした。

 ノーギャラの仕事。ヒーローの理念そのものであるボランティア。
 しかしかつてのシュテルンビルトでの活動の後、様々な権利関係で持ち出すことのできなかった、アポロンメディアの天才メカニック・斎藤の作った、世界的にもまだ珍しい、コンピュータ制御のフル装甲ヒーロースーツを買い取り、ゴールデンライアン本人の個人所有にできること、という契約はちゃっかり取り付けたのであるが。
 ヒーローがその活動によって収入を得てはいけないのは世界共通だが、ライアンは金銭を受け取ったわけではない。むしろ超高級車以上の金を出し、アポロンメディアからヒーロースーツを買い取っただけだ。
 ライアンは金銭を受け取っておらず、アポロンメディアも、社内で持て余している“今は所属を外れたゴールデンライアンのスーツ”を譲ることができた。WINーWINだ。天才メカニック・斎藤の独自技術が使われたヒーロースーツを“金で買える”ということこそ何よりも破格である、ということを置いておけば。

 連れてこられた事故現場での、まさに主役は最後に現れる、という登場もライアンの好みに合っていた。
 舞台はすべてが整っており、ライアンの能力の行使で場面が完璧にひっくり返り、乗客は全員救助。約1週間の間、生き埋めになった車内で乗客の生命維持をやってのけたホワイトアンジェラとやらも、なんとか一命を取り留めた。

 そして今ライアンは、無事譲ってもらえることになったヒーロースーツの調整や法的手続き、イレギュラー出向のため次の取引先に提出する健康診断などを行いながら、シュテルンビルトに滞在している。
 バカンスの続きというには華のない日々だが、バーナビーを筆頭に、飲みに行く相手もそれなりにいる。ヒーロー誕生の地であり世界中のビジネスが集まるこの街で、連日パーティーに出席するのもまた、十分有意義なことだ。各分野のビッグネームを記した名刺の数が、その充実ぶりを証明している。

(ホワイトアンジェラ、ねえ)

 あの事故から、どこのメディアもホワイトアンジェラ一色だ。事故が起こったシュテルンビルトでは当然のことながら、今や世界中が彼女に注目している。
 今まで一般人に毛が生えた程度の二部リーグヒーローだったというが、その能力の有用さが証明されてからというもの、ヒーロー、NEXT、その存在そのものの見方すら変わるのではないか、という動きが出ているのだ。

 NEXTは何かしらの現象を起こす超能力者で、NEXTという名前をつけられてからまだ半世紀程度しか経っておらず、偏見や差別が根深い社会問題でもある。
 それを覆したのが故アルバート・マーベリックが作り上げたヒーローという存在であるが、しかしそれも、突き詰めれば“刃物も使い方を誤らなければ安全、皆様の役に立ちますよ”という売り方をしただけで、NEXTは攻撃的な存在だという認識が変わったわけではない。

 しかし、ホワイトアンジェラの能力は違う。
 怪我を癒やす、ただそれだけの単純な能力だが、誰もが求める能力でもある。しかもその代償をかぶるのは本人のみという、無害も無害、むしろメリットしかない存在を受け入れない者などいない。その理由がない。
 そして一般大衆だけでなく、世界中の企業がホワイトアンジェラというヒーローに注目しているということも、ライアンだからこそよく知っていた。かつて仕事をしたことのある企業たちから、ホワイトアンジェラと繋がりを作れないか、と実際に散々探りが入ってきているからだ。
 だがホワイトアンジェラはその重要度から緊急で司法局預りになり、NEXT研究所でもあるシュテルンビルト最大の病院に入院しており、物理的にも法的にも、がちがちに保護されている。申し訳ないが何もできることはない、と角を立てない程度の返信を、ライアンも何度端末画面で作成したことか。
 出席するパーティーでも、ホワイトアンジェラの話題が出ないことはない。

 それに若干うんざりしたライアンは、こうして今日は特に何の予定も入れず、平和なシュテルンビルトをぶらぶらとしているというわけだ。
 基本的に派手な過ごし方が好きなライアンだが、こういうまったりした時間が嫌いなわけではない。そういう時はいつも自分の部屋でペットと過ごすが、今回は急だったので連れてこれなかった。
 急な出向でもなんとか持ってこれた愛用のカメラが、今回のお供である。
 ライアンにとって写真とは、長らく、撮るものではなく撮られるものであった。だが父親が使っていた一眼レフを実家で見つけて何の気なしにシャッターを切ってみたら、庭にあったウッドチェアが、何ともいい感じに撮れた。
 以降、写真はライアンのちょっとした趣味なのだ。

 あまり広くない土地を3層に重ね、更にそれぞれに様々な施設や道路をぎゅうぎゅうに詰め込んだシュテルンビルトは、飽きない場所だ。
 ブロンズステージは最も治安が悪いが、シュテルンビルトが階層都市として機能する以前の古い町並みを残した独特の景観は保護指定を審議されるほどの魅力があり、隠れた名店も多い。シルバーステージなら美味いレストランや手頃でセンスのいいショップが揃い、気楽に過ごすならここが一番だ。
 またゴールドステージはまさにセレブ御用達、一流のビジネスマンが集まり、青空が見えることからリゾート施設などもこちらに集まっている。ライアンも、ゴールドステージにあるホテルの一室を借りていた。
 前に滞在していた時はとにかく忙しく、こうして街をぶらぶら歩くこともしなかったので、シュテルンビルトの散歩は、さほど退屈な時間にはならなかった。

 その最中休憩も兼ねて、ライアンはこの公園に来た。ジャスティスタワーから近いこの公園は、そのままジャスティスパークという。セントラルパークほどではないが広い公園で、白い大理石が多く使われた外観が美しい。
 平日の真っ昼間ゆえ、人の気配はほとんどない。ライアンも一度もサインを求められておらず、だからこそこの場所を選んだわけだが。

「……おっ」

 ひと休み、とばかりにベンチに座って公園を眺めていたライアンは、目の前に現れたものに、反射的にカメラを構えた。

 ──カシャッ!

 耳に心地よいシャッター音が響いたその時、ファインダー越しに被写体が振り向いた。
「……あ、すみません。退きます」
「あン? ちげーよ、あんたを含めて景色を撮ったんだ」
 自分が景色の邪魔になったと思ったらしいその人物は、言われた意味がわからなかったのか、きょとんとした。
 見せたほうが早いと思ったライアンは手招きして相手を呼ぶと、デジタルが主流になって間もない時代の、古い一眼レフの液晶画面を見せた。
「ほら、いい感じだろ」
 青空の下、真っ白に整備された無機質な公園。真ん中にある噴水の正面を、細い体躯が真横に横切っていた。そのままどこかのCDジャケットにでもできそうな、完璧な構図の写真だ。
「ワォ、すごい。素敵です」
「そうだろ」
 心底感心したような言葉に、ライアンはそれなりに気を良くしつつ、間近に来た相手を観察した。

(……コイツ、男か? 女か?)

 性別がわからないほどに細い体躯。遠目でもわからなかったが、近づいてもよくわからない。化粧もしていないようだ。
 ただ、絶対に成人男性ではない。なぜならその声は高く、非常に美しい声をしていたからだ。
 しかしその透明な高さは女性らしい高さというより、どちらかというと、少年合唱団が歌う聖歌のような、やはり性別不明の声色である。

 顔立ちはいかにも華のある美形というわけではないが、灰色の目は大きくて丸い。小さめの鼻が僅かにツンと尖って上向き加減なのが愛嬌がある。
 服装はよれたTシャツに、洗濯しすぎて生地が薄くなったパーカーを羽織り、悪い意味でわざとらしくないダメージジーンズ。ゴールドステージにそぐわぬ、貧乏臭い格好だ。履き古された本革らしい編み上げのブーツだけは、良く手入れをしているのか、いい味を出していた。

 そして何より目を引くのは、その髪だ。いかにも伸ばしっぱなし、という感じの中途半端な長さの柔らかそうな巻き毛は、見たことがないほど鮮やかに赤い。
 ヘアカラーの赤色はどうしても人工的で不自然なものになりがちだが、いま目の前にある髪は、あくまでナチュラルな風合いだった。それは例えば、トマトやイチゴの赤さが、どれほど赤くとも自然なものでしかないような。
 灰色の目を縁取る長い睫毛や薄めの眉が同じ色であるので、驚くべきことだが地毛だろう。また、赤毛の者特有の白い肌に散ったそばかすはチャームポイントともいえる。

 真っ白な公園にぽつんと現れたその姿はひどく異質であり、そしてひどく絵になった。
 この中性的で独特な雰囲気がシャッターを切らせたというのは事実だが、他人を見る目があると自称も他称もしており、実際その実績を打ち立てているライアンが、相手の性別がわからないというのは、珍しい事でもあった。

「……あの、あなたは、ゴールデンライアンですか」
「他の誰に見えるわけェ?」
 おずおずと発された質問に、ライアンは片眉を上げた挑発的な笑みで返答した。
「なに、サイン? 被写体にさせてもらった礼だ、してやるぜ」
「えっ、あっ、いいのですか。あっいえしかしあの、その、……お願いします」
 あわあわしたが、最終的に素直に手帳を出してくる。ライアンは有名人として常備しているサインペンを取り出すと、使い込まれた手帳を受け取った。
「おっ、T&B。ファイヤーエンブレム、ブルーローズ……え、全員?」
 めくったページにこのシュテルンビルトの一部リーグヒーロー全員のサインがあるのを見て、ライアンは、ヒュウ、と軽快な口笛を吹いた。
「あんた、ヒーローオタク? 俺でコンプリートじゃん。ラッキーだったな」
「ええ……、本当に」
 白い顔に微笑みが浮かび、赤毛の頭が頷いて揺れる。

 ゴールデンライアンはシュテルンビルトでの活躍期間は短かったものの、バーナビーとバディを組み、今でも所謂レアキャラクターとして人気がある。
 それにライアンは以前、大きな事件で街が全域停電という大打撃を受けたときは、事件そのものには関わらなかったものの、復興資金の高額寄付もしたことがある。
 加えて今回の活躍で更に人気がぶり返し、端の方で知る人ぞ知る向けに売られていたヒーローカードが、また爆発的に売り上げを出しているところだ。二部リーグヒーローやレアヒーローブームに乗っている、というところもあり、その効果はかなりのものだった。
 結論として、シュテルンビルトのヒーローでも賄いきれないほど困ったときはゴールデンライアンがいる、という確固たるイメージを市民が持つようになっている。常にシュテルンビルトにいるわけではないにもかかわらずその存在感を主張できる存在になりつつあるのは、ライアンにとって悪くない収穫だった。

「あんた、名前は?」
「ガブリエラです」
「ガブリエラな」
 女か、と思ったが、さすがに失礼と思い口には出さなかった。綴りを確認してから、ライアンはタイガー&バーナビーの次のページにサインをして、ガブリエラへ、と書き添え、手帳を返す。

「……あなたは、なぜここにいらっしゃるのですか?」
「あ? まァ、ちょっとした息抜きだ」
「疲れているのですか?」
「ホワイトアンジェラのことばっかり聞かれてな」
 ライアンは、肩をすくめた。ガブリエラはきょとんとしている。
「ありとあらゆるトム、ディックもハリーも。みィんなホワイトアンジェラだ」
「お友達が多いのですね」
「……いや、まあ」
 すっとぼけたコメントをしたガブリエラに、ライアンはワンテンポずれて、乾いた返事をした。
 “every Tom, Dick and Harry”──慣用句だ。ありふれた男の名前を並べ立てることで、つまり誰も彼も、という意味。
(別に珍しい言い方じゃねえよなあ)
 方言でもない、中学生でも知っている、ごくごく一般的な慣用句のはずだ。しかし訂正するのも面倒だし意味もないので、ライアンはそのまま指摘せず流した。

「しかし、……アンジェラの話題ばかり、というのは、わかります。少しうんざりします」
「だろぉ?」
「はい。……特に、天使とか聖女とか」
「そう、それそれ、それだよ」
 パチン、と、ライアンは指を鳴らした。

「なんか、違ぇよなあ」
「違う?」
「ま、すげえのは認めるけどな。聖女とかそういう感じじゃねえだろ、あれは」
「……えっ」

 小さな驚きの声に、ライアンははっとした。
 顔を上げると、立っているガブリエラが、大きな灰色の目をまん丸にして、瞬きもせずにライアンを見下ろしている。
(ヤベ)
 それこそ聖女だ天使だと言われている今話題の人物に、少しでもアンチ的な発言をしたことがネットにでも流れたら、尾ひれどころか背びれ胸びれ、ありとあらゆるヒレがついて大海原に泳ぎだしてしまう。
 いつも絶対に余計なことなど言わないのに、息抜きはいいが気を抜きすぎだった、とライアンは内心舌打ちしながら、「あー」と唸って後ろ頭を掻いた。
「……ええ、そうですね」
 どうフォローすべきか、とライアンが思っていると、静かな声がした。

「私も、そう思います」
「あ、そぉ?」
「ええと、……インタビュー、でも……言っていました」
「本人が?」
「はい」
「へー……」

 ──なんだこいつ。

 と、灰色の目から視線を逸らせないまま、ライアンは思った。
 ガブリエラは、にこりともしていない。かといって、怒っているようでもない。ただただ真顔で、じっとライアンを見ているのだ。しかもその灰色の目ときたら、独特な上に強烈な光を放っていた。
(読めねー……)
 何を考えているのか、さっぱりわからない。もしかして少し頭のおかしいやつなのかとも思ったが、そういう感じでもない。空気とか、場の流れとか、人の心の動きを読むのが得意なライアンにとっては、ほとんど未知の感覚だった。
 美しい目に対し、吸い込まれそうな、という表現は陳腐なほどに一般的だ。ガブリエラの目もそれにじゅうぶん当てはまったがしかし、その深さはまるで、海中のブルー・ホールのようだった。とんでもない深さの、それでいてどこまでも冴え渡って見える透明度を誇る、宇宙にあるブラック・ホールとも共通するような存在感。何がいるのかわからない、行けば戻ってこれないだろう、未知の世界へ繋がる星の入り口。

 ──ぞく、とした。

「あー……。じゃあ、行くわ」
 ここは有名人から場を引き上げてやるのがいいだろう、と判断したライアンは、立ち上がった。決して逃げではない、と誰にでもない言い訳をしつつ。
「お帰りですか」
「まあね。あんた、時間は?」
「あっ、予約」
 ライアンが立ち上がると、ガブリエラははっとしたように、尻のポケットから年季の入ったタッチパネル式の端末を取り出して時間を確認した。
「予約?」
「美容院です。お世話になっている人に、髪を整えろと言われました。しかしゴールドステージなど滅多に来ないので、少し迷ってしまいました」
 そのため端末で地図を確認しながら歩いていたら、この公園を突っ切るのが良さそう、と判断したらしい。ライアンも横から地図を見たが、確かにその通りだった。

「ってかそのサロン、紹介制のとこじゃね? あんた行けんの?」
 そこは、ライアンが前にシュテルンビルトに来た時、パーティーでとある大物女優が話題にしていたサロンだった。アーティスティックな毛色のコンテストに出場するタイプのスタイリストが揃い、個性的なスタイルの大物ミュージシャンが御用達にしている、ゴールドステージでも一等地にある高級店。
「大丈夫です。紹介状を書いていただきました」
「あっそう」
 本人のなりは貧相だが、セレブな知人がいるらしい。
 ちなみにライアンはバーナビーに紹介状を書いてもらい、この店と同じくらいのグレードの、どちらかというと常にトレンドを意識するタイプのサロンに行った。どこか良いサロンを知らないかと言ったら、バーナビーが紹介状をくれたのだ。そういうところで、彼は頼りになることが多い。

「ま、腕は確かだぜ」
「そうですか。鬱陶しくなってきたので、なるべく短く切ってもらいます」
「ええ?」
 ライアンは、立ち上がったことで見下ろす形なった、赤い髪を見た。ガブリエラはかなり細身だが、女性にしては上背があるほうだ。ただライアンが大柄なので、その差はゆうに頭ひとつ分くらいにはなる。
「そりゃ、整えるのはいいけどよ。あんまり短くしねえほうがいいんじゃねえの」
「えっ」
「珍しいだろ、そんな赤いの」
 赤毛は、全人類の2パーセントとも言われている。ということまでライアンは把握していなかったが、それでも、ガブリエラのような赤い髪は間違いなく珍しかった。誇張なく世界を股にかけているライアンが、いちども見たことがないくらいには。

「……はあ。赤毛は色々と言われますし、面倒なのでいつも丸刈りにしていたのですが」
「丸刈り? って、髪の色でイジメ? 今時? なんだそれ。馬鹿じゃねえの」
 確かに、赤毛はイジメや差別の原因になるとされる。──が、それはもう半世紀以上前の話だ。
 あらゆる差別撤廃の動きが高まった頃、NEXTという存在が大々的になると同時にNEXT差別が始まったせいで、今やかつての人種や容姿の差別はだいぶ薄くなった、と言われている。皮肉なものだ。
「そうですか。私はとても田舎の出身なので……」
「ふーん? じゃあ、この機会に伸ばせば?」
 髪が長ければすぐに女と分かった、というのもあって、ライアンは適当にそう言った。

「のばす……」
「ま、いいや。俺と会ったこと、ネットとかに書くなよ?」
「え、あ、はい」
「じゃあな」
「あっ」
 歩き出したライアンにかけられた、短い声。しかしライアンは振り向きもしなければ、立ち止まりもしない。遠ざかる大きな背中に、ガブリエラは言った。

「あの、──ありがとう、ゴールデンライアン!」

 その言葉に、ライアンは片手だけぞんざいに振ると、ガブリエラが行く方向とは真逆の方向に、公園を悠々と歩いて突っ切っていった。






 ──ピリリリリ……

「水ぐらい飲ませろよ……。はい、はい、ハロー?」
 ホテルに戻り、冷蔵庫に入っているミネラルウォーターのボトルを取り出すなり鳴り響いた通信端末を流れるように取ったライアンは、キャップをひねりながら通信に応じた。
「あー、……え? マジで?」
 水に口をつけることもせず呟いたライアンに、次のビジネスパートナーである企業のエージェントは、はっきりと“Yes”と返答した。

 ──帰還はせず、そのままシュテルンビルトで活動して欲しい。

 契約書の書き換えなど、詳しくは後日、と言って、通信は切れた。
「うーん、予定違ってきたな」
 曰く、今戻ってきてコンチネンタルエリアで活動するよりも、世界中から注目されているシュテルンビルトで活躍を見せたほうが知名度は段違いに上がるだろうし、スポンサーにとっても良い、とのことだ。
 なるほど納得、ごもっとも。しかしこれからの予定が大幅にひっくり返ることになったライアンが立ち尽くしていると、再度通信端末が鳴った。しかし今度鳴ったのは仕事用の端末でなく、プライベートのほうだ。着信名は、バーナビー。

「はいはい、ジュニア君。何?」
《アンジェラの復帰祝賀会ですが、再来月あたりはどうです?》
 挨拶もなしにいきなり本題から切り出してくる程度には、ライアンとバーナビーはそれなりに親交が深い。
 非常に知り合いの多いライアンだが、かつてバディとして活動し、そしてなんだかんだ波長が合い、またいい店を沢山知っているバーナビーのことは、珍しく、知り合いではなく“友人”のカテゴリーに入れているつもりだ。
「……アンジェラ、ねえ」
《それまでに戻ってしまいますか? ぜひ、と皆言っているのですが》
「いんや」
 ライアンは、ソファにどっかりと腰掛けて、言った。
「……予定が変わったんでね。行く」
 スポンサーのお達しは、注目を集めるシュテルンビルトで活躍し、広告塔を務めること。そして──

《そうですか、良かった! そうそう、アンジェラの所属が決まったんですよ》
「知ってる。アスクレピオスだろ」
《さすが、耳が早いですね》
「そりゃあ」
 ライアンは、半眼になって、乾いた笑みを浮かべた。

「……今の俺の所属の、親会社だからな」

 ──同企業所属ヒーローとして、ホワイトアンジェラとともに活動すること。

 それがスポンサーからの、ゴールデンライアンへの命令であった。
- Season1 -

When the saints go marching in
(聖者の行進)

END
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BY 餡子郎
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