#011
「うーん、上手く説明できなくてすみません。私としては、母のいいつけどおりにしていますし、周りの人が喜んでくださるので、その、うーん、……“やってもいいこと”だとは思っています。感謝されれば嬉しいですし。少なくとも、迷惑にはなっていないと思いますし」
「そこは、自信を持っていいと思いますが」
 ユーリは、彼女ではなく、彼女の周りにあるものを見て言った。
 病室中に積まれた、山のような見舞い品、花、手紙。事件後間もなく、彼女が意識を取り戻し峠を超えたという報道がされるや否や、街中から殺到したものだ。
 しかしホワイトアンジェラは現在どこにも所属していないため、人々からのお見舞いは、病院に直接雪崩れ込むことになる。せっかくイメージアップしたものを、病院に迷惑をかけることで下げられてはかなわないと、HERO TV経由でホワイトアンジェラは急遽司法局与りとなり、ユーリが担当につけられ、今に至るというわけだ。

「それは良かったです」
「……それにしても、よくそんなデリケートな話を私にしましたね」
「ペトロフさんは私の担当で、色々と面倒を見ていただいていますので、色々お話しておいたほうがいいと思いました」
「まあ、隠し事はしてくださらないほうが助かりますが」
 それは、事実だった。ガブリエラの出身はシュテルンビルトと陸続きではあるものの、数千マイルの距離にある、陸の孤島のような荒野の果てである。世界でもかなり治安が悪いある種の無法地帯であるため、色々なことが書類で残っていないのである。後でなにか起こった時を考えれば、本人が包み隠さず話してくれるのはありがたい。

「それに」

 ガブリエラは、ユーリを見た。

「ペトロフさんには、なんだかこう、ええと、親近感が湧きます」
「……そう、ですか?」
「目の色が似ていますし、あと隈仲間です」
 確かに、双方とも灰色の目である。そして、少し窪んだ目元の隈。同類だからこそ言える無遠慮なジョークに、ユーリは初めて、薄く笑った。
「不快でしたらすみません」
「いえ。……そうですね、確かに」
「似ている、というのとは違うと思うのですが。なぜならペトロフさんは、私よりずいぶん、こう……、熱心というか、熱血?」
「は」
 あまり、というか、いちども言われたことのない表現に、ユーリは何度めかの驚きの表情を浮かべた。
「何というんでしょう。passionate? zealous……ええと」
「つまり、情熱的だと?」
 ──lunatic、という単語が出る前に、ユーリは彼女の言葉を遮る。そしてこういう面においてユーリにはとことん従順な彼女は、「ええ、そうそう、多分」と頷いた。
「そんなことを言われたのは、初めてですね」
「しかしペトロフさん、よくないと思ったことは許せないタイプでしょう」
「……そうですね。でなければ、裁判官にはなりません」
 ユーリはそう言ったが、実際には、どきり、とした。
「そうでしょう。怒ったら怖い人です」
 顔にはあまり出ないかもしれませんが、と、ガブリエラは少し微笑んだ。

「私、そういう人、好きです」
「怒る人が?」
「そう、怒る人。アニエスさんとか」
「確かに、彼女はよく怒っていますね」
 HERO TVと司法局はよく関わりがあるので、別に仲がいいわけではないが、ユーリもアニエスのことはよく知っている。非常に怒りっぽく、そして怒りをポジティブなパワーに変えるタイプの、エネルギッシュな女性だ。
 そして好き嫌いが別れ、敵も多いだろう彼女に、ガブリエラは傍目から見てもよく懐いていた。
「怒るというのが、私には、よくわかりません」
 優しいからとか、慈悲深いからとか、そういう意味ではない。彼女はただただそのまま、怒るということがよくわからないのだろう、とユーリは思った。そしてそれをまた、ユーリはやはり理解できない。行き場のない怒りを抱え、ただ青い炎を燃やし続けるユーリには。
「ですので私が何か悪いことをしたら、遠慮なく怒ってください」
「……まあ、担当として、嫌われていないのなら良かったですよ」
「嫌う? なぜ?」
 ガブリエラは、不思議そうに首を傾げた。ユーリは、彼女が激しく人を憎むところが全く想像できなかった。──この、ユーリ・ペトロフがである。

「ペトロフさんはいい人です。しかし、少し不思議なにおいがしますね」
 ガブリエラは、すんと鼻を鳴らした。

「夜のようなにおいがします。昼間ですのに」

 以前、あまりに諾々と彼女が自分の言うことに従うのでそれに言及した時、彼女は学歴や教養がなく、頭が悪いと自称すると同時に、そのぶん人を見る目が多少あるのだ、と言ったことがある。特ににおいでそれがわかると。
 小娘が何を、とその時ユーリは思ったが、どうやら侮れないらしい。
 母のこと、容姿のこと、そして考え方のこと。ユーリは彼女と自分にいくつかの共通点を感じると同時に、彼女を心なしか警戒することを決めた。
 ──夜、月の出る日に、彼女と顔を合わせるのは避けたほうがいいかもしれないと。

「けほっ」
「大丈夫ですか」
「あ、はい」
 咳き込んだガブリエラに、ユーリはサイドボードに置いてあるミネラルウォーターのボトルを渡した。ガブリエラはそれを受け取り、口を湿らせて一息つく。

「ありがとうございます。……最近、なんだかたくさんお話がしたくなるのです。付き合っていただいて、ありがとうございます」
「あなたの様子のレポートを作成するのも私の仕事です。雑談はその元になる。気になさらぬよう」
「そうなのですか?」
 事実だった。ホワイトアンジェラを慎重に扱いたいらしいお偉方は、彼女の情報が不用意に外に漏れないよう、用途ごとにそれぞれ担当者をつけるのではなく、ひとりで何もかもを賄える人材を探した。
 そこで白羽の矢が立ったのが、現在シュテルンビルトのヒーロー管理官であるユーリである。彼は今通常業務を特別に何割か休止し、ホワイトアンジェラにつきっきりの状態である。一時的なことであるので、ユーリに特に不満はない。

「最近、あなたは確かに口数が多くなりました」
「はい。お話するのは楽しいです。歯を矯正しておけばよかった」
「歯を?」
「私は歯並びが悪いので、あまり口を開けないように気をつけています」
 そう言ってガブリエラが薄い唇をイーとめくって見せた歯は、確かにかなりの八重歯だった。
 地域によっては歯並びを気にしないところもあるが、少なくともシュテルンビルトでは、マナー、エチケットの域に近い美意識として、歯並びの良さは重要なポイントだ。しかし同時に歯の矯正は年齢が高くなればなるほど大掛かりなものになり、しかもそれに伴って結構な費用がかかることでもあるので、歯並びが悪いことは貧困層の証でもある。
 しかしホワイトアンジェラのは口元しか見えない衣装デザインなので、歯並びの悪さは非常に目立つ。そのため、ガブリエラは特にヒーロー活動中、ほとんど口を開けずにぼそぼそとした喋り方をしていた。

「ずっとだるい感じだったのがなくなったので、とても快適です。今までは、とても体が重くて……」
 見た目は軽いどころか今にも折れそうな枯れ枝かミイラのような姿をしていただけに、その言葉には違う意味での重みが充分すぎるほどある。
「きちんとした食事をして、健康になっているということでしょう」
 能力を使うことを踏まえてとはいえ、毎日数万キロカロリーを全てジャンクフード、もしくはそれ以下のもので摂取していたガブリエラは、現在1日2500キロカロリー程度の、消化の良い、バランスの取れた健康的な食事を病院から与えられ、身体のリセットを実施されている。
「むぅ、私は健康ではなかったのですね。ミルクをたくさん飲んでいたので、大丈夫だと思っていました」
「……確かにミルクは体にいいとは思いますが、それだけではだめでしょう」
「そうなのですか。勉強になります」
 ガブリエラは、子供のように頷いている。
 その様子を見て、能力の特性上、彼女は栄養学をきちんと学ぶ必要がある、とユーリは思った。この食生活で今までなんとか生きてこられたのもまた、奇跡的なものがある。

「確かに、頭がはっきりしてきている感じはあります。周りも明るく見えます」

 彼女が言う通り、以前のいつもぼんやりしたような様子は薄れてきている。口数も多くなっているし、ジョークも言う。はっきりした笑顔を浮かべることも出てきた。本人に自覚はなかったようだが、明らかに、今までのひどい栄養状態が改善されたからだ。
「ですので、ベッドの上ばかりというのはつまらないです。リハビリルームも飽きました。外に行きたいです。バイクにも乗りたいですし……」
「それはもう少し待ってください」
「むぅ」
 薄い頬を少し膨らませた表情には、愛嬌がある。

 彼女は、これからどうなるだろう。
 満たされていれば善人足り得、満たすものがなくなれば悪人になってしまうこともある。彼女が言ったその言葉に、ユーリは心から同意する。
 太陽の光の当たり具合で満ちたり欠けたり豹変する月のように、人間は不確かで、何がきっかけで狂気が顔を出すかわからない。誰も彼もがそういう生き物であるのだと、ユーリは確信しているからだ。

 しかし彼女は、己を削って他人を満たすという、自身が発したその言葉に反した、矛盾した生き方をしている。しかも努めてそうあろうとしているわけではなく、ただただ自然にそういう風に生きているのだ。
 ユーリにとってそれは初めて見るあり方だったが、だからといって多くの人々のように、彼女を本当に聖女であるとは思わない。間違いなく存在するので理解も納得もするが、まるで共感できないからだ。

 要するに、生き方や価値観が遠すぎて彼女のことをまるで理解できない、とユーリは冷静に判断した。
 身近な月ならば毎日の満ち欠けも詳細にわかるが、遠く離れた星のことは、僅かな瞬きしかわからない。いつかわかるのかもしれないが、それはきっと遠い日の話だと。
 彼女がこのまま変わらない限り、ユーリが彼女に怒りを向けることはない。月の死神の青い炎は、地上の罪人を裁くもの。生まれながらに罪を持たぬ、遠い星の天使を焼くことはない。

 ──この、月とは比べ物にならないほど遠い星にいる天使が、欲を隠し虚栄を張る人間に堕ちてきたなら、話は別だが。

「さて、世間話が長くなりましたね。──貴女をヒーローとして採用し、援助したいという企業をリストアップしてきました。話し合いながら、貴女の今後を決めていきましょう」
「はい、よろしくお願いします」

 礼儀正しくぺこりと頭を下げたガブリエラにユーリは頷き、鞄から書類の束を取り出した。










「へえ。アンジェラさん、所属が決まったんですか」

 トレーニングマシンを動かしていたバーナビーは、喜ばしげに言った。
「そうなのよぅ」
 くね、と、モデル並みのスタイルの長身に艶めかしいポーズを添えつつ、話を振ったネイサンは微笑む。その微笑みは喜ばしげで、まるで自分の娘がテストで満点を取ってきた時のようなそれだった。
 あの事故が起こる前から彼女と関わりのあったネイサンはあれから細々と世話を焼いているので、喜びもひとしおなのだろう、とバーナビーでなくてもわかる。

「それで、どこになったんですか? まさか○○教ではないですよね」
 世界最大派閥の宗教団体である○○教は、“ホワイトアンジェラが敬虔な信徒であると確認でき次第、列聖審査を行う”と発表した。つまり出家して正式に○○教の修道女となれば、聖女と認定し、その活動を支援していく、ということである。
 この動きは、すわ世界初の宗教法人ヒーローか、と非常に騒がれた。そうなればホワイトアンジェラはいかにもそれらしく人々を救済する活動ができるだろうし、それはガブリエラの意向にも沿う。
 しかし、巨大であるがゆえに内部派閥や宗派、根深く対立している宗教も多いあの教団で生きた天使、現代の聖女として扱われた結果、彼女を火種に宗教戦争に近いようなことやテロが起こってもおかしくはないと危惧され、各方面でも白熱した議論が行われていたのだ。

「あ、それはないわ」
 ネイサンは、よく手入れされた手をひらひらと振った。
「ペトロフ管理官……っていうか司法局も、それはナシって即断したみたいだし。社会的な影響面でね」
「そうですか。アンジェラというのが洗礼名だと聞いていたので、少し心配していたんですが……」
「お母様が敬虔な方なんですって。それで洗礼は受けたけど、本人はあんまり熱心な方じゃなくて、アンジェラの名前もヒーロー名の名付けに困って使っただけみたい」
 今回の件も、本人は「難しいことはわかりませんが、ペトロフさんがやめておけとおっしゃるのでやめておきます」とあっさりししていた、とネイサンは言った。
「信心深いのは悪いことじゃないけど、それにしたって、あんな若い身空で出家とかないわよ。ナイナイ」
「まあ、それもそうですね。で、どこになったんですか、結局」
「アスクレピオスホールディングス」
 その名前を聞いて、バーナビーは眼鏡の奥の目を丸くした。

「それはまた……、ものすごい大企業ですね」
「あら、知ってるの? あんまり一般で名前を聞く企業じゃないけど」
「ええ、まあ」
 バーナビーは、苦笑した。
 アクスレピオスホールディングスは、病院や研究所、製薬会社、また最近は宇宙開発など、主に医療系統に関連する事業を経営するコングロマリット企業だ。
 ホールディングス、つまり持株会社であるため、ネイサンの言う通り、それそのものは一般によく知られた社名ではない。子会社である製薬会社や研究所、また医療系エステティックサロン、宇宙開発研究所などのほうが、メディアで耳にする機会が多い。

 そしてバーナビーがこの社名を知ったのは、かつて両親の死の真相を探してあらゆるものを調べまわっていた頃のことだ。
 なぜなら唯一の手がかり、己の尾を咥えて円環となった蛇を剣で串刺しにした“ウロボロス”のマークと、アクスレピオスホールディングスのロゴマークが似ていたからだ。
 アクスレピオスホールディングスのマークは、神話に登場する名医アスクレピオスの杖である。すなわち、杖に蛇が巻き付いた、一般的にも医学のシンボルとして有名なデザイン。しかも手術用の緻密な操作ロボット技術の関係でバーナビーの両親の研究にも技術提供などを行っており、関わりがあった。
 しかし問題のロゴマークは一般的にも医学のシンボルとして有名なものだとわかったし、両親の研究との関わりにもビジネス的な要素以外何も見つからず、結局何も関係ないとしか言えなかったのだが。

「知ってるなら話は早いけど。ホラ、あのコの前の会社、ドラッグストアへの卸売だったでしょ。それと似てなくもない業種だから、本人は単純にそれで選んだみたい」
「なるほど。しかし彼女の能力からいって、医療系の設備やスキルが高い企業の方がいいのは確かでしょう。アクスレピオスは大きな病院やら研究所やら色々持ってますし、能力と業種がマッチしていればスポンサーもつきやすいですから、良い選択だと思いますよ」
「アタシもそう思うわ。あのコったら、退院したとはいえ痩せすぎよ!」
「はは」
 笑ってみせたが、バーナビーも同じ考えである。
 いや、彼らだけではない。あの事故の最中、折紙サイクロンから中継された姿は非常にショッキングだった。多くの人々が「ちゃんと食べて欲しい」と思ったのだろう、入院中の見舞いには、日持ちのする食べ物や、レストランの優待券やホテルのブッフェチケットなどがたくさん届けられた。
 バーナビーもまた有名ホテルのスープ缶のセットを贈ったし、ネイサンは高級フルーツのバスケットを持ち込み、自ら剥いて食べさせていた。
 更にカリーナは栄養豊富で吸収のいいスムージーの詰め合わせ、パオリンはスポンサー経由でプロテインやらビタミンやらを豊富に摂れる健康食品のセット、イワンはヘルシーと話題の和食のレトルトパウチセット。アントニオはクロノスフーズの高級肉ハンバーグの真空パック、キースは缶詰セット、虎徹は大盛りと有名なラーメン店の、野菜たっぷりインスタントラーメンの詰め合わせを見舞いに贈った。皆考えることは同じである。

「ちゃんとすれば、あんなにガリガリに痩せたりしないってわかったんだもの。能力のこともあるけど、そのへんもきっちり管理して貰わなくちゃ」
「ごもっとも。健康は何より大事ですからね」
「美容にもね!」
 ネイサンが力強く言い、バーナビーもしっかり頷く。

 ヒーロー許可証を持つガブリエラは、今回活躍したことで、調査機関から改めて色々な検査を受けた。そして彼女が能力を使う度に極度に痩せてしまうのは、そもそもカロリー、そして値段ばかりを重視し、ビタミンやタンパク質などの栄養を無視した食生活を送っているからだ、という結論が出されたのである。
 カロリーバーを常食し、食事といえば高カロリーなファストフードや、脂質と糖質がたっぷりのジュースや菓子類を毎日、尋常でない量摂取する。そのラインナップは、誰もがぞっとするようなものだった。
 今回、ガブリエラは閉じ込められた列車内でカロリーを摂取するために乗客が持っていたオリーブオイルをそのまま飲んでいた、ということがショッキングなエピソードとして紹介されたが、本人は「シュテルンビルトに来た頃はお金がなかったので、能力用に安い油をよく飲んでいました」とけろりと言った。不健康の極致と言っていいだろう。

 また能力に目覚める前、ガブリエラは肥満児だった、という。
 ガブリエラの故郷は誰も彼もが貧乏で、物の流通が非常に不自由な場所だったという。車を使わないと辿りつけない小さなスーパーには生鮮食品などなく、レトルト製品や冷凍食品、缶詰、もしくはお菓子ばかりが並ぶ。そして貧しい人々は、高カロリーで最も安価な菓子類に手を伸ばしがちである。
 糖質や脂質ばかりの食事は満腹中枢を狂わせ、飢餓感のスパイラルを呼ぶ。「身体はブクブク太っているのに、いつもお腹が空いていた」とガブリエラは言った。
 物資が豊富な都会に来ればそんなことは起こりにくいが、それでも、貧乏だとやはり、高カロリーで安価なものに手が伸びるのは同じことだ。シュテルンビルトでも、貧困層の肥満が地味に多いことがわかった。
 肥満をだらしなさや意志の弱さの象徴として見るのは一般的な認識だが、場合によっては貧しさの象徴でもある。なんだかんだ都会育ちで、ガブリエラほど金銭に苦労したことのないヒーローたちはそれを学び、そしてそれをアニエスがすかさず社会問題としてぶち上げた。

 今まで死に物狂いでとにかくカロリーを摂取してきた本人は、病院でほとんど初めての健康的な食生活を叩き込まれておっかなびっくりだった様子だが、日に日に見違えるように健康的になっていっているのを、見舞いに行ったバーナビーも見ている。
「今日はサロンに行ったと聞きましたが」
「ええ、アタシが紹介状を書いてね。理由が理由だったから放っておけなくて」
 今頃サロンの椅子に座ってるんじゃないかしら、とネイサンは言った。

 女性としてはかなり個性的な、ガブリエラの坊主頭。それは美容院代とシャンプー代の節約、更に「ノミやシラミがつきにくい」「手入れが簡単」という閉口ものの理由によるものだったが、皆が驚いたのは、その髪の色だった。

 ガブリエラの髪の色は、赤。
 しかも一般的なオレンジがかった色合いの赤毛ではなく、非常に鮮やかなレッドだった。

 本人曰く、故郷で赤毛をネタにいじめられたことがあった上、もともと放っておくと鳥の巣のようになる量の多さの髪らしく、随分前の貧乏暮らしの中でノミとシラミがついて一旦丸坊主という処置をとられてからというもの、こうして短くするのが習慣になっていたらしい。伸びてくると常に自分でバリカンで刈り上げて丸坊主にし、外出する時はその上からフードをかぶるのが決まったスタイル。
 だが元々能力の影響で非常に代謝が良い上、病院での健康的な食事によって急激に伸びてきた髪は、子供のように柔らかい、真っ赤なつやつやの巻き毛だった。

「本人のポリシーでしてるならともかく、女の子がただの無精で丸坊主って、ありえないわよ」
「個人の自由とはいっても、ちょっと見ていられないところはありますね」
「ほんと。それでも本人は面倒がってたけど、“アタシの炎の色の髪をぞんざいに扱う気?”って言ったらおとなしくサロンに行ったわ」
「さすがですね」
 ヒーローに憧れて遠い街からシュテルンビルトにやってきた彼女が、特にファイヤーエンブレムの大ファンであることは、もはや皆知っていることだ。元々素直な性格の彼女であるが、ネイサンが言えば、大抵のことに縦に首を振って言うとおりにする。

「再デビューの時は、ブルーローズやキッドのように顔出しになるんでしょうか」
 女性ですし、と、バーナビーが言った。
 それなりに健康的になったガブリエラは、丸くはないがもう頬はこけていないし、関節がそこまで主張しない程度の身体になった。
 栄養バランスが悪いせいで顔色の悪かった肌も白く滑らかになり、赤毛特有のそばかすがキュートな印象である。落ち窪んでぎょろぎょろとしていた灰色の目は澄んだ輝きを宿し、まばらだった睫毛が長く生えそろい、いい意味での眼力を発揮するようになっている。
 アイラインで黒く囲った毒々しいメイクをやめた顔は、カリーナのようないかにも華やかな美人というわけではなかったが、やはり性別を感じにくい、独特の清廉な雰囲気があった。眉は薄めのままだったが、睫毛が濃く長くなったため、神秘的な印象が強まった。エルフとか妖精っぽい、と誰かがコメントし、皆が頷いたことがある。
 また極度に痩せていた頃は170センチという割と長身の背丈もあり、枝のようという印象しか持たなかった腕と脚、また指もまた長くすらりとしていて、特に脚が非常に長いことがわかった。アーティスティックなファッションショーのモデルなどをさせれば、なかなか似合いそうな感じだ。

「悪くないとは思うけど、どうかしら。あのコの能力が能力だから、誘拐防止に顔出しはNGになる可能性は高いわね」
 ガブリエラの能力は、他の面でも非常に応用の効く能力である。
 それこそ宗教方面に取り上げられれば聖女として戦争も起こしかねない広告塔となり得、また軍事方面ともなれば、疲れ知らず怪我知らずの兵士を作ることもできる。また半永久的な美貌を保つことも夢ではないため、大富豪のマダムたちからのオファーも凄まじいものがあった。
 それを踏まえても、沢山の子会社を持つ医療系の巨大企業に属するという選択肢は、非常に無難かつ妥当なものだ、と誰もが思うところだろう。

「なんにせよ、順調なようでよかったです。二部リーグも、この機会に見直されそうですし」
「ああ、二部リーグは人命救助方面でいくってやつね。アタシもいいと思うわ。上から目線なつもりじゃないけど、常々荷が重いんじゃないかと思ってたのよね」
 ネイサンは、真剣な面持ちで頷く。
 今回の事故で、何かできることはないかと集まった二部リーグヒーローや一般NEXTたちが人命救助や避難誘導で活躍したことから、その活動方針が見直された。
 元々二部リーグはアニエスの発案から生み出された、まだまだ新しい存在だ。そしてホワイトアンジェラの人気と話題に乗っかったアニエスの熱心なプレゼンにより、これから二部リーグは今までどおり軽犯罪を担当することもあるが、主にレスキューや警察、医療スタッフなどと連携し、一部リーグが動くような事件の際は人命救助に従事することになったのだ。
 つまり、一部リーグの下位互換のような仕事をさせるのではなく、分野の違う役目をもたせることで、今までの「二部リーグはヒーローの出来損ない」「力不足」というイメージを払拭しよう、というわけだ。

 努力が実った二部リーグたちもまた、そのことを非常に喜んでいる。
 一部に比べて力不足であることを最もよく理解しているのは、誰よりも本人たちだ。憧れのヒーローたちと同じようにはできない苦悩に引退を考えていた二部リーグたちは、この件から“自分にもできることがある”と立ち直り、ヒーロー向けではない能力であることから進路に悩むアカデミー生にも、希望を持たせることになった。
 そしてそんな背景から、ホワイトアンジェラは、こうした二部リーグや候補生からも、天使だ、二部の星だ、と拝み倒されるような勢いで崇められているらしい。
 アカデミーでは地味な能力持ちの生徒たちが主になって、ホワイトアンジェラのファンクラブが立ち上がっている、とバーナビーは先日校長から聞いた。

「再デビューはまだ決まってないけど、たぶん来月末ぐらいですって」
「では、復帰祝賀会はその前後にしましょうか」
「そうそう、その話よ。結局王子様──ライアンはどうするの?」
 遠い街から気前よく招集に応じてくれ、またガブリエラを車両から運び出してレスキューに渡したのも彼であるのだからぜひ参加して欲しいのだけど、とネイサンは言った。
「僕も聞いたんですが、まだいつ帰還するのか決まっていないらしくて」
 バーナビーは、肩をすくめた。
 シュテルンビルトのヒーローの中で最もライアンと親交があるのは、短い間とはいえかつてバディとして活動し、また単純に年齢も近いバーナビーである。プライベートな番号も知っているので、ライアンのこととなるとバーナビーが窓口のように扱われるのだ。
 とはいえ、ライアンはあのキャラクターに反して自分のスケジュール管理が非常にきちんとしており、生活能力も高い。バーナビーが彼から頼られるのはごくプライベートな仲間たちの連絡の橋渡しをしたり、お勧めの店を教えたりすることぐらいだ。
 虎徹と比べれば全く世話がかからず、またそれだけに適度な距離のある彼を、バーナビーは自分の“友人”として認識している。

「ヒーロースーツの件でちょくちょくアポロンメディアに、というか斎藤さんのところに来るので、顔を合わせる度に聞くんですけど」
「そうなの? まあ、決まったらすぐ教えてね」
「了解です」

 バーナビーがそう言って微笑むと、他のヒーローたちがトレーニングルームに入ってきたので、ふたりは会話を切り上げた。
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BY 餡子郎
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