#117
 ライアン自身で指定した3時間は、各方面への連絡、手回しその他に全て費やした。
 仮眠も勧められたが、結局一睡もしていない。実際疲労を感じておらず、必要性を感じなかったからだ。それは脳が興奮していて眠れる気がしなかったのもあるが、ガブリエラの能力で普段から最高のコンディションを保っている身体は、まだかなりの無理が効く。

 食事だけ素早く掻き込み、OBCのシャワールームを借りてアンダースーツを脱いだライアンは、頭から熱いシャワーを浴びていた。
 コックをひねって湯を止め、ずぶ濡れの自分の顔を鏡で見る。──近年まれに見るひどい顔だ。寝起きよりも浮腫んでいるし、眉間の皺がすごいことになっている。人を殺しそうな顔だな、とライアンは自分で思った。違いない、とも。
 OBCの衣装室で適当に借りてきた、ノーブランドのジーンズとシャツを身につける。サイズが合っていない服は、不格好で居心地が悪い。
 しかし鍛えた身体、頭身の高い抜群のスタイルは、安物の布地を引き立て役にしかしていない。こちとら素材がいいのだ、構うものかと、ライアンは胸板で突っ張ったシャツの上のほうのボタンを留めるのを諦めた。

 鏡の前の物置台には、先ほどユーリから受け取った書類入れ。
 先程目を通したが、どれもこれも、ホワイトアンジェラの身柄を渡してくれというものだ。彼女が一部リーグヒーローになるとき、さんざんアプローチを掛けてきた顔ぶれも多くあった。
 本人の意識がないのをいいことに、そしてライアンが容疑者とされたという情報から、先走ってその存在を手中に収めようとしているのである。

「どいつもこいつも、あいつを何だと思ってんだ……!!」

 ライアンは歯を食いしばり、洗面台の縁を握りしめる。
 そうだ、確かに彼女は世界初のサポート特化ヒーローだ。しかしそれはゴールデンライアンのサポートをするヒーローということで、彼女もそれを誇りに思っている。
 そして彼女は世界保護指定のレッドアニマルであるかもしれないが自分が飼っている犬でもあり、また不特定多数のシンボルやアイコンである前にライアン・ゴールドスミスという男の恋人で、今日はクリスマスではなく彼女の誕生日であるのだと、ライアンは腹の底から湧き上がってくる激情を押さえ込む。

 水が滴る髪を、乱暴にタオルで拭く。こんなにひどい顔で、濡れた髪も乾かさずに人前に、しかもテレビカメラの前に出るなど、まったくもって考えられない。しかし、今からライアンはこのまま、ありのままの姿を皆に見せるつもりだった。

「見てろ。──見てやがれ。全部」

 自分の両頬を、挟むようにして勢い良く叩く。ついでにいつもの癖で髪を後ろに掻き上げたが、ワックスをつけていない湿った髪は、はらりとすぐに落ちてきてしまう。しかしライアンはそれを構うことなく、足音を立てて更衣室を出た。

「ライアン! 用意できてるわよ。打ち合わせは──」
「いらねえ」
 話しかけてくるアニエスの前を横切り、ライアンは言い捨てた。
「いらないって」
「HERO TVはドキュメンタリーだろ? 違うか?」
 扉の前に立ったライアンは、低い声で言う。
「……違わないわ」
「俺は勝手にやる。それを撮れ。全部」
「全部、ね」
「俺を撮ってりゃ間違いねえ。追いかけてきな」
 視聴率は約束するぜ、と言って、ライアンは重厚な扉を開く。「上等だわ」という好戦的なアニエスのつぶやきが、後ろで聞こえた気がした。



 ──バシャバシャバシャッ!!

 目の前が真っ白に見えるほどの、凄まじいフラッシュの数。
 ガブリエラが収容されている総合病院のすぐ隣、ホテルのホールのひとつを急遽貸し切った記者会見には、急なことであるにも関わらず、記者たちが溢れかえっていた。

「ゴールデンライアン! アンジェラの容態は!」
「容疑者として逮捕と情報がありましたが──」
「ヒーローランドのステージを半壊させたことについて──」
「なぜあれほど強い力があってSSレベルではないのですか!」
「市民は不安がっています!」

 わあわあと、記者たちが勝手に、叫び、投げつけるように質問をぶつけてくる。ライアンは少し台になった前の席に荒々しい足取りで上がると、すっと短く息を吸い、片足を振り上げた。

 ──ガァン!!

 あまりに大きな音に、あれほど煩かったホールが、一斉にシンと静まり返る。
「……やっぱ鉄板入ってねえとイマイチだな。俺も入れるか」
 思い切り床を踏みつけた足をぶらぶらさせながら、ライアンは席には座らず、長い机にバンと両手をついて、上半身を乗り出すようにし、全員をゆっくりと睨み据える。

 洗いっぱなしの乱れた金髪の奥から覗く、猛獣さながらの眼光。そして能力を使う時にも似たその姿勢に、記者たちはごくりと息を呑む。
 なにしろ、シュテルンヒーローランドで彼の力の大きさは充分に証明されている。いま彼がなりふり構わず能力を発動すれば、一瞬にして100人以上のミンチが出来上がるのだということは、彼ら自身がさんざん囃し立てたことでもある。
 NEXTだというだけで、世間で化け物扱いされることは珍しくない。ヒーローになれるほどの強大な力の持ち主であれば、なおさら。

 しかし、差別問題云々を抜きにして単純に、そして客観的に考えて。いくら訓練されているとしても、ひと噛みで人を殺せる巨大な獅子が目の前にやってくれば、腰を抜かして恐慌状態になるのは普通の反応。
 ライアンは、それを知っている。理解し、納得している。だからこそ普段から細心の注意を払って振る舞い、これだけ強大な能力の持ち主であるにもかかわらず、誰もに信頼されるヒーロー、フレンドリーな皆の人気者の立場を築いてこれた。

 だが今ライアンは、意図的にそれをやめた。たとえ檻の中にいても、獅子が牙をむき出しにして怒りの咆哮を上げれば、誰だって足が竦む。それを見世物にする肝の太い輩もいるだろうが、それはそれでこちらの思惑通りだ。
 ライアンの目的は、恐れられることでも、媚を売り同情を買って、元どおりのイメージを取り戻すことでもない。ただ、見てもらうことだ。ありのまま、そのまま、何も取り繕わない、ただ等身大の自分を。

「……アンジェラが、殺されかけた。まだ目覚めない」

 唸るような声で、ライアンは話しだした。

「これはさっき中継した◯◯教みてえに、あいつの身柄を引き取りたいって図々しく言ってきた奴らのリストだ」

 ライアンは例の書類ケースを取り出し、ロックを開けて、リストを手に取る。

「いいか、読み上げるぜ。元◯◯共和国、NEXT差別撤廃◯◯会、◯◯◯◯──」

 リストを読み上げ始めるライアンに、全員がぎょっとする。
 なぜならそれは、ホワイトアンジェラを利用しようと目論んだ団体組織、とも言い換えられるからだ。
 もちろん全員が「保護」という名目を用いているが、その殆どが、彼女が一部リーグヒーローになるときに強くアプローチを掛けてきた顔ぶれであることからして、深く考えなくてもその真意は明らかである。
 天使だ聖女だと言われ、NEXT差別撤廃のアイコンであり、そして現在凶弾に倒れ意識のない彼女の身柄を求め自分たちのために何らかの形で利用したい、そんなことをした者が世間からどう見られるか、考えるまでもない。当然、この暗殺未遂の容疑者、関係者としてもしっかりリストアップされるだろう。

 そんな情報をこうして公衆の面前で堂々とバラすというのは、彼らを敵に回すことに等しい。
 しかしライアンはまったくもって恐れ気もなく、とうとうリストの最後まで、はっきりと読み上げきった。しかも、彼女を渡すことでどの組織がどんな見返りや報酬を用意したかまでも。
「ああ、メモ取んなくていいぜ。──ほらよ!」
 そう言って、ライアンは事前に人に頼んでコピーしてもらっておいたリストの束を取り出すと、思い切り投げた。たくさんの白い紙がホール全体に舞い、興奮した記者たちが、こぞってそれに手を伸ばす。またこれだけでなく、すべての文書はWEBで公開する準備が進められていた。無論、火消しが出来ないようにするためだ。

「今度、あいつを寄越せなんてふざけたこと言ってみろ。──全部! こうして、カメラの前で公開してやるからな……!」

 威嚇するように吠えたライアンは、リストを拾うために右往左往する記者たちを見下ろした。

「そして、犯人は必ず捕まえる。それをお前ら全員に見せてやる。チャンネルはそのままだ、いいか?」

 ライアンがそう言うと、彼の背後にあるスクリーンに、HERO TVのロゴとともに『ゴールデンライアン・特別捜査ドキュメンタリー』のタイトルが華々しく踊った。

「ホワイトアンジェラ暗殺未遂事件。この犯人は、今から俺様、このゴールデンライアンが直々に突き止める!!」

 堂々と言い切ったライアンに、マスコミがざわつく。

「HERO TVはこれに密着。もちろん生放送だ。同時にネット配信。ラジオもな」

 犯人探しを行う自分にテレビカメラを完全密着させる、というアイデア。これこそが、ライアンがアニエスに持ちかけたものだった。
 凶弾に倒れた恋人のために、形振り構わず石に齧りついてでも犯人を追う様を、シュテルンビルトじゅう、世界中に見せてやると。

 ライアンは、物心つく頃から芸能界で生きてきた、この業界のプロである。
 見栄えのする虚構、ショービジネス、演出を駆使して自分を売り出すこと。嘘で固めたちっぽけなアイドルを経てヒーローになった彼は、ありのままの自分でもって、ライブ撮影のノンフィクションを生業とするヒーローの仕事こそ天職だと思い、今まで身を立ててきた。

 カメラとメディア、キャリアとともに広げてきたコネクション。そして大衆に抱かせた確固たる自分のイメージこそ彼の武器で、強力な味方だ。どれだけ敵を作っても、それと同じだけ、いやその倍味方がいれば、恐ろしいことは何もない。そしてライアンには、それが例え話にならないほどの人脈と人気が実際にある。
 つまり、わざわざ相手の土俵に立つのは馬鹿のすることだと、ライアンは正しく理解していた。自分は自分の戦い方で戦えばいいのだと。

 それは、ライアンがヒーローになったときのやり方と同じこと。
 何万人という大衆の目を監視カメラとし、あえてどこまでも開け広げにすべてを見せることで自由を勝ち取り、完璧な無罪を証明する。行動のすべてをカメラに収め生中継で放映するような人間に何の容疑がかけられるものかと、ライアンは堂々と、これ以上なく大胆に、そして慣れたやり方で開き直ってみせたのである。
 これこそが、芸能人でありヒーローであるライアンにしかできない強力な戦い方であり、自分やガブリエラを守る最良の方法だった。

「俺に、ヒーロー・ゴールデンライアンに、後ろ暗いところなんざひとつもねえんだよ。ノンフィクション無修正、俺は何も隠さねえぜ。目ェかっ開いて全部見てな!!」

 そしてその戦い方とは、“見せて”、──“魅せる”ことだ。
 自信満々で俺様なキャラクターを裏切らない、確かな実力の持ち主。でも素はヒーローらしい良い奴なんだぜ、とメディアに妙なキャラクター像を作らせず、ライアンは飾らないそのままの自分を大衆に認識させることに成功してきた。
 人脈を築き上げ、才ある人材を囲い込み、投資をし、金の流れを掴む。そうやって、ライアンは自分の城を造り上げてきた。困ったことがあっても、陥れようとしてくる奴らがいても、誰かが必ずフォローしてくれる。長年作り上げたコネクションと信用、信頼、人脈が複雑に絡み合うからこそ簡単には崩れない、黄金の牙城。
 だからこそ、今までずっと自由にやれてきていた。たとえ地べたを這いずり回ろうとも、その程度のことで、彼のプライドは傷つけられない。揺らいだりなどしない。

 ──ゴールデンライアンは、這いつくばっていても格好いいと思います

 そうだ、どんな格好をしていようとも、どこを見られても何も後ろ暗いところなどどこにもない。誰よりもキラキラと煌めくヒーロー、それが自分だ、ゴールデンライアンだと、彼は今こそ確信していた。
 だから、今度も全員に見せつけてやるのだ。ゴールデンライアンは、愛する女に、かわいい飼い犬に手を出したクソ野郎を自らの手でしっかり懲らしめる、最高にイケてるヒーローなのだと。

「──世界は俺様の足元に平伏す! 覚えとけ!!」






「ものすごい視聴率。シュテルンビルトだけじゃなくよ。……怖いぐらいだわ」
「アニエスさんがそんなこと言うなんて」
 ひええ、と、メアリーが肩を竦める。

 ヒーローは、既に犯人が誰なのかわかっている状態でそれを捕まえたり、起こった災害や事故を止めたり被災者を救助したりする、と後手で動くのが基本だ。
 今回のように犯人がどこの誰だか突き止めることを含めての捕物は、正真正銘史上初である。

 その初の試みは、大衆の関心をこれでもかと引いた。どこかの誰かのために、という博愛精神が理念とされるヒーローが完全に私情で動いて犯人を捕まえるというのも、話題性として充分だ。
 更にはただ私情だけではなく、強い正当性があり、更にずっと注目されてきた恋愛沙汰も絡んでいる。古来から鉄板の人気を誇る、悪者に眠らされたお姫様を救う勇気ある王子様、という完璧な構図でもって。

 しかもそれをするのが、“あの”ゴールデンライアンなのだ。
 いつも全身を最高級ブランドで固め完璧なヘアスタイルを崩さず、美女たちとスマートに浮き名を流してきた余裕綽々の俺様セレブヒーローが、髪を乱し、着の身着のまま形振り構わず、必死になって愛する女を救おうとする姿。これ以上ないそのドラマティックさは、前振りとしては最高と言っても足りないほどだった。

 HERO TVは現在彼に張り付いたカメラがCMを除きずっと回りっぱなしになっていて、ネット配信も行われている。
 今やこの特別ドキュメンタリーは、NEXT差別撤廃のアイコンの暗殺未遂という世界レベルのトップニュースでありながら、ふたりの男女の情熱的なメロドラマであり、そしてまさにHERO TVが冠として掲げるエンターテイメントレスキュー番組として、世界中からおおいに注目されていた。
 現在誰もがHERO TVのチャンネルを常時表示し、およそ数百万人とも言われる人々が、常に彼の動向を見守っている。

「ゴールデンライアンには、GPSと集音マイクを持ってもらったわ。オーランドだけ彼についてる状態だから、必要に応じてケインと交代して。マリオはカメラの映像見ながらいつも通り実況。じゃ、よろしく」

 アニエスの端的かつ的確な指示に、了解、と威勢よく返事をして、スタッフたちは持ち場に戻っていった。






「……どういうつもりなんだ」
「だぁって。俺様ヒーローだから、捜査とかよくわかんねえのよ」
「だからって、さっき追い出した奴のところに来るか普通!」

 バン、と机を叩いて怒鳴ったのは、先程ライアンを逮捕するために病院にやってきたフリン刑事である。

 署に戻り、とりあえず部下に命じてライアンの身柄を確保するための手続きを調べると、とんでもなく複雑な手順を踏まなければならないことがわかって頭を抱えていた所。当の本人が真正面からひょっこりやってきたのだから、思わず顎がカクンと落ちるのも無理のないことだろう。

「俺様、専門分野はプロに任せるポリシーなわけ」
「はぁ?」
「例えば、新しい部屋にインテリアを置こうとするだろ? 自分でひとつひとつこだわるのも悪くねえんだけど、センスのいいコーディネーターに丸投げしたほうが、結果的にイケてる部屋になると思わねぇ?」
「セレブ自慢はよそでやれ」
 うんざりした顔を隠しもしない刑事に、ライアンはずいと乗り出した。
「協力してくれ、ベテラン刑事。あんたたちの力が必要だ」
「プライドねえのか、テメエ」
 フリン刑事は、眉間に皺を寄せて半目になった。
 病院に来たときの硬い口調とは異なる、いかにも地元密着型の刑事、あるいはチンピラくさい口調。しかしその滑らかな喋り口からして、元々はこちらが彼の自然体なのだろう。
「あるに決まってんだろ。自分の女にちょっかい出されて黙ってるほど、男が廃れちゃねえんだよ」
 低い声で言ったライアンに、む、と見るからに男臭い刑事は詰まった。

「警察が、ヒーローをあんまり良く思ってねえっていう風潮があるのは知ってる」

 どこの土地でもあるやつだ、と、ライアンは実感の篭った声で続けた。
 警察が必死になって街を駆け回り、地味な捜査を続けて突き止めた犯人を、ヒーローたちが派手に捕まえて事件解決。讃えられるのはヒーローばかりで、何日も、場合によっては何ヶ月、何年も苦労した警察の手柄は、一般に知らされることはない。
 目立ちたがりの手柄泥棒。それが、多くの警察官たちからのヒーローの評価のひとつであることは確かだった。

「まあ、そりゃいけ好かねえよなあ」
「……ふん」
「もちろん俺らはあんたたちに感謝してるよ、いつも」
「どうだかな」
「ホントだって。……でもさあ、だからこそ、今度はちょっと、皆にいいとこ見せたくねえ?」
 そう言って、ライアンは身を乗り出し、机に肘をついた。刑事の目が細まる。

「ふざけるな。俺達はお前らみたいに、人気取りで仕事してんじゃねえんだ」
「そうかい、知ったこっちゃねえよ」
「てめえ……」
「人気取りだろうがそうじゃなかろうがなんでもいいんだよ、こっちはな。犯人を捕まえて、あいつを起こす方法を突き止める。そのためなら何だってやってやる」
「私情じゃねえかよ」
「私情だよ」
「開き直ってんじゃねえ。クソ、質悪いな」
 フリンは、ばりばりと頭を掻いた。
 元々は人情に厚いタイプだということは、ライアンはもう見抜いている。だからこそ、こういうアプローチを仕掛けているのだ。

「……悪いが、協力はできん。理由はそのカメラだ。警察の捜査を逐一公開しながらなんてやってられねえし、機密保持の義務も色々ある」
「そうかい」
「ああ、そうだ。悪いな、……個人的に応援はしてるよ」
「ありがとう」
「おう。彼女、早く目が覚めるといいな」
「……ああ」
 しんみりとした空気が流れる。下を向いて顔の見えないライアンに、フリンはふうと息をついた。
「命に別状はないんだろ」
「ああ」
「そうか……」
「……本当にダメか?」
「本当にダメだ」
「ええ〜」
「しつっけえな! ダメだっつってんだろ帰れよもう!!」
 ゆるく食い下がってくるヒーローに、フリンはまたバンと机を叩いて怒鳴る。

「フリン警部──!!」
「今度は何だよ!」
「た、大変なことになってます! 電話が全部パンクしてて、鳴りっぱなしでその、こ、今度はサーバーが落ちそうで……!」
「ハァ!?」

 弱りきった顔で駆け込んできた新人警官によると、ライアンがこの警察署に来てから、つまり中継で今の会話が流れ始めてからというもの、ライアンに協力しろという一般からの電話とメール、また警察のサイトへの大量アクセスが止まらず、大変なことになっているという。

「電話もずっと鳴り止まなくて、ウチの署が繋がらないもんだから他の署とかにもすっごい電話かかってきてて、他の署からもどうなってんだって問い合わせもすごいんですうう!!」
「なんてこった……上はどう言ってる!?」
「今連絡きました!」
「代われ!」
 通信端末を持って走ってきた違う部下から、それをひったくる。フリンは舌打ちをしながら、ライアンとカメラがいる面会室から足早に出ていった。

 ──それから、約10分後。

「あ、おかえり〜。どうだった?」
「許可っつーか命令出たわチクショーが!」
 癖なのか、バン、とフリンはまた机を叩いた。
「おま、お前、最初っからこれが狙いだろ!?」
「俺様ってば人気者だからさあ」
 にやりと笑ったライアンに、上からの命令は絶対な警察機構の歯車であるいち刑事は、思わず顔をひきつらせる。
「言ったろ? 何でもするって。ダテに普段から有名税払ってねーのよ」
「……わかったよ。協力すりゃいいんだろすれば!」
「ありがとう」
 不意に発された真摯な声に、フリン刑事は目を丸くし、きまり悪そうに、後ろ頭をばりばりと掻いた。

 彼ら警察が受けたのは、つまり、不特定多数の数の暴力。
 先程の中継でフリンが自分の所属を明らかにしたため、サイトに掲載しているメールフォームや電話番号に、ライアンに協力しろという連絡が殺到。回線がパンクしたことにより他の警察署などにもどんどん飛び火し、すさまじいことになっているのだ。
 この状況に対して上が出した結論は、直接頼られたフリン刑事がゴールデンライアンに協力すること。またその際、警察のイメージを良くするよう最大限努力すること、というものだった。
 ちなみに彼がライアンの頼みを断りつつも人間味のある対応をしたことは一般評価が非常に高く、でかしたと褒められたが、フリンはまったく嬉しくはなかった。

 なぜならこれは、いわゆるトカゲの尻尾切りだ。
 実際、こんなに大きな事件の捜査をするのに、刑事がひとり協力したところでどうにもならない。だが大衆を納得させるために、とりあえず、人情的な対応をしたことで“掴み”が良く好印象を得た刑事をひとり派遣することにした、そういうことだ。
 つまり警察組織は実際にはライアンに協力的でも何でもないし、裏では彼を逮捕するための手はずが着々と整え続けられているのを、フリン刑事は知っている。おそらくライアンもそれはわかっているだろうに、彼は真摯な声色で礼を言ってきた。──自分ひとりがいたところで、そう大きな力にはなれないというのに。

「お、CM入ったな。じゃあ今のうちに打ち合わせだ」
「え? あ、ああ」

 ため息をつきそうだったフリンは、少し冷めたライアンの声に慌てて顔を上げた。

「手早く行くぜ。カメラに関しちゃ安心してくれ、基本的に俺の質問に答えたり助言してくれたりすりゃいいから、メインには映さねーよ。必要以上に世間に顔が割れてちゃ、これから先のあんたの仕事に支障が出るときもあんだろ。最初の生中継に関しては、再放送以降はあんたの顔と名前はカットするように言ってある。さっきの会話も、別に顔は写してねえから。でも声はカンベンしてくれ」
「……お気遣いどうも」
 流れるように、そして非常に要領よく段取りを話すライアンに、刑事はとりあえず、彼がただ人気者の立場で好き放題する芸能人、また恋人を害されて感情的になっているばかりの男ではないことを理解し、落ち着いて頷いた。

 そして傍から見た限りでは余裕のありそうなライアンではあるが、見事駆け引きに打ち勝ち、警察の協力を得られたことに安堵していた。
 ライアンの考えでは、この警察からの協力体制が、絶対に外せない大きなポイントだったからだ。その理由は先程実際に言った、犯人を突き止めるための“捜査”の勝手がわからないのでプロの手を借りたいという率直な理由もあるが、それだけではない。

 ライアンはまだこうして自由に動いているが、実はそれも時間の問題だ。
 ファンや大衆による数の暴力により警察はとりあえずの協力体制をとってくれたが、同時にライアンを逮捕するための手続きも裏で進めているだろう。
 またアンジェラの身柄を要求してきた組織のリストを公開したことで、それがそのまま全てこの事件の容疑者に近い関係者のリストになった。
 この先事件の捜査権が市警の範囲を超えて国際警察などに渡るにしても、このリストを調べ上げるという膨大な課題を投げておけば、政府関係や国際警察はそちらにかかりきりになって、現場の捜査は後回しになるはずだし、単純にこのリストは流石に個人の手には余る。組織には組織に対応してもらうのがいちばんだと、ライアンは割り切った。

 それに、自分の上司であるダニエル・クラークにはっきりした動きがないのも解せない。
 ドミニオンズによると、この事件の為に色々な対応に追われてシュテルンビルトを離れているとのことだったが、具体的に何をしているのかがわからない。──それに、ダニエルの側にはあのトーマス・ベンジャミンもいる。
 更に、普段はまったく口を出してこない上層部や本社は何をしているのかさっぱりわからず、正直行動が全く読めない。

 ただただ明らかな犯人を追いかけるだけだった今までと違い、誰が犯人なのかわからず、周囲の人々でさえ敵か味方かわからない状況は、ライアン自身はじめてのことだ。
 しかし、弾丸やアンジェラのヒーロースーツなどを調べ、こまめにわかったことを連絡してくるケルビムやパワーズ、また今回のパフォーマンスについて確かなアドバイスをくれ、ネットでの反応や大衆の動きを逐一報告してくれるドミニオンズ。
 彼らヒーロー事業部の面々は本社ではなく支社や末端の専門職から優秀な者を集めてきたメンバーで、元々アスクレピオスの中でも独立して成り立ち、普段から現場の指揮は実質アドバイザーのライアンがとっている。つまり、ライアンの部下、と言っていい面々だ。

 この状況下で自分がすべきなのは、自分の信頼できるメンバーを把握し、すべての行動をクリアに公表し、紛れもない潔白を証明する環境を作ること。
 そしてそのためには身内の証言だけでは足りないと判断したライアンは、そこで普段ヒーローに良い感情を持っていない、そして未だ己を逮捕する意志も消えていない警察からあえて協力体制を得ることにしたのだ。

 つまりそれは、カメラ越しに自分に注目する何万人の大衆に加え、警察という監視カメラを自らもうひとつつけたに等しい。だがそれはライアンにとって、不利でも負担でもない。むしろ己の味方ではない警察から助言を得ること、一番側で監視させることで、ライアンは強固な潔白を証明することができるのだ。

(ひとまず、準備は整った)

 警察がまだ自分逮捕を諦めていないことは気にかかるものの、手続きに数日かかることは明らか。リストを公開したことで、政府関係者や国際警察もそちらにかかりきりになる。
 時間稼ぎ、かつ保険にもなるこれらの状況を作った上で、普段からヒーローと折り合いの悪い刑事をあえて側に置き、その目が常に光っているという状態で捜査を行えば、自分の行動の正当性は証明されたも同然。監視をつけることでむしろ自由に動ける状況を作り出したライアンは、ぐっと拳を握りしめる。

 得られたのは刑事たったひとりだが、むしろそれでいい。
 仮に正式な調査チームを組まれたところで、ヒーローに根深い敵対心を持っているプロの集団を、いかにライアンといえどそう簡単に御しきれるとも思えない。またそれによって自由に動けなくなってしまったら、本末転倒だ。その点、人情に厚く根が善良なフリン刑事はむしろ非常にやりやすい、適任の協力者だ。
 大事なのは“警察から協力を得た”という事実と、行動の指針となる、ベテラン刑事のアドバイス。実際の調査にはパワーズやケルビムらの高度な技術チームがいるし、ドミニオンズの情報収集力も文句のつけようがない。それで足りなければ、ライアンの個人的なコネもいくらでもある。
 それ以外からの協力は、あくまで必要最小限。味方は多ければ多いほどいいが、あくまで信用に足る自分のホームで勝負するのは当然のことだ。

「生中継だが、ちょくちょくCMが入る。流しちゃマズいやりとりは、この間にやってくぜ。タイミングは俺が合図する」
「わかった」
「さっきみたいに、俺はオーディエンスの影響力も武器にするつもりだ。嘘はつかねえし基本演技もしねえけど、カメラを意識してオーバーなリアクションしたり、あえて強調した言い方する時もある。そこんとこ視野に入れてよろしく頼む」
「ああ。……あんた、プロなんだな。……色々」
 カメラが回っている時と変わらない、しかしカメラとその向こうの数百万の視線を把握した上で堂々と動こうとしているライアンに、刑事は素直に感嘆した。
「これでも業界長いもんでね。じゃ、プロ同士」
 CMあけます、とオーランドが小声でつぶやくと同時に、ライアンはごく自然に、しかしカメラに映るように、握手を求めて手を差し出した。

「ゴールデンライアン、ヒーローだ。よろしく」
「フリン、刑事だ。よろしくな」

 フリン刑事は、握手に応じる。
 既に回っているカメラが、ライアンの不敵な表情を写している。彼の指先が少し震えていることに気づいたのは、握手をしているフリン刑事だけだった。
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BY 餡子郎
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