#115
「きゃあああああ!」
「皆さん、落ち着いて! 誘導灯に従って! ──ヒーローを妨害しないで下さい!」

 パニックを起こしてあっちこっちに走る観客を、警備員や二部リーグヒーローたちが、必死に誘導する。しかし余り効果はなく、観客が作る人混みの濁流に阻まれたヒーローたちを見て、スカイハイが腕を振り上げた。

「……着地は任せる! ──スカァーイッ、ハァ──イッ!!」

 観客に足止めされていたヒーローたちが風で持ち上げられ、高く舞い上げられる。危険であるため普段はやらないが、スカイハイの判断に躊躇いはなかった。
 そして飛ばされたヒーローたちもそれは同じで、高い身体能力で身軽に着地するドラゴンキッドや折紙サイクロンはもちろん、オブジェや植え込みをクッションにして豪快に着地したT&Bやロックバイソンも、そのままタイムロスをせず走り出す。ブルーローズもまた、氷を放って自らレールを作って滑っていった。

「よくも、──よくもギャビーをっ……!」
 目に涙を浮かべたドラゴンキッドが、歯を食いしばる。
「──サァアアアアアッ!!」
 まさに、電光石火。アンジェラを撃ち抜いた射線の先にある営業時間を終えて暗くなった売店の中に、猛々しい龍の形をした稲妻が飛ぶ。

 ──ガッシャアアアアン!!

 売店が大破し、ちらりと見えていた不自然な影が倒れた。すかさずバーナビーが駆け寄り、黒い布を剥ぎ取る。しかし中から姿を表したのは、人ではなかった。
「くっ……! リモートか!」
 見るからに狙撃に特化した長い銃身。トリガーのないそれに、遠方からのリモートコントロールによる狙撃だと素早く理解したバーナビーは、操縦者を探して辺りを見回した。
「バーナビー殿っ! 離れて、爆弾です!」
「なっ……!」
「ウォオオオオオオ!!」
 不審に点滅する赤いランプに気付いた折紙サイクロンが悲鳴じみた声を上げ、バーナビーがぎくりとすると同時に、ロックバイソンが逃げるのではなく、逆に走ってくる。そして深緑色の巨体が、狙撃銃の上に覆いかぶさった。青白い光が、彼から放たれる。

 ──轟音。

 それとともに、ロックバイソンのスーツについていた沢山のクリスマスオーナメントが、ほうぼうに飛び散る。ひどい耳鳴りに、全員が顔をしかめた。
「バイソンッ!」
「……あー、おー。あるい、いい、やあれた。ぶ、ぶじか」
 爆発を抑えこんだのは、ロックバイソンの硬化能力。
 しかし、衝撃は問題なくとも、どうやら爆発の轟音で耳をやられたらしい。立ち上がれない彼は、煙が上がる中でうずくまったままだ。巨大なスーツがまだ、ぐわんぐわんと周りにも聞こえるような反響音を立てている。
 その身でもって全員を爆発から守りぬき、しかも証拠となる狙撃銃の破片の大部分を確保した守護神たる彼の功績に、旧友であるワイルドタイガーが、その背を叩く。
 ロックバイソンの巨大な手が上がった。──よくやった、あとは任せろ、応、任せた。古い仲においては、それだけで充分伝わっているようだ。

「タイガーさん、これー!」

 叫んだのは、二部リーグヒーローのチョップマンだった。
 巨大化した右手で観客を誘導しつつも、もう片方の手で、アラームを鳴らす端末を高く掲げている。不正チケット所持者を見つける、キャスト用の特別端末だ。
「さっきから、不正チケット反応です! 不審者、探せるかも……!」
「よっしゃあ! サンキュ!」
「こちらにもください!」
 バーナビーが叫ぶと、そこかしこで観客を誘導している二部リーグヒーローが端末を投げて寄越してくれる。それを持った一部リーグヒーローたちは、あちらこちらに走り出した。

「許さない……許さないわよ、よくも……!」

 炎を纏いながら、ファイヤーエンブレムが走る。可愛い娘を害した犯人の顔を見逃してなるものかと、赤い炎の光が、夜闇の中でも、人々の顔を明るく照らした。そしてフードを目深に被った人影とすれ違った瞬間、ピー、とチケットの検査端末が鳴る。
《不正チケット反応デス》
「テメェかあああああああ!!」
 咆哮を上げ、ファイヤーエンブレムが、狙撃銃にかぶさっていたものと似た、黒いフードを剥ぎ取る。
「なァッ!? な、なにコレ!?」
 しかしその下から出てきたのは、やはり人間ではなかった。──が、銃でもなかった。

《ピー。エラー。登録情報ガアリマセン》

 端末が、事務的な音声を発している。フードの中から現れたのは、人の形をした、しかし明らかに人ではないもの。
 まるで黒い骸骨を思わせる見た目をしたそれは、目の部分だけが赤く煌々と輝いて不気味だった。肋骨のような形をした胴体部分に、ヒーローランドのチケット端末が括りつけられている。
《ピー、不正入場ノ可能性ガアリマス。至急本部ニ問イ合ワセテクダサイ》
「不正に決まってるでしょ、こんなの!」
「これは……アンドロイド、だと!?」
 バーナビーが叫んだ。
 アンドロイド。それにお世辞にもいい思い出のない面々が、表情を歪める。

 キュイ、という駆動音がして、がしゃがしゃとそこかしこで骸骨、もとい骸骨の姿をしたアンドロイドたちが姿を表す。不正チケット反応は全てこれらであったようで、ヒーローたちは全員、同じ姿をした黒い骸骨たちとそれぞれ対峙していた。

「何よコイツら! ──固めてやる!」
 ブルーローズがリキッドガンを放つと同時に能力でそれを凍らせ、襲い掛かってくる骸骨を氷漬けにする。
 リキッドガンで放たれる液体は、ただの水ではない。重工業を担うタイタンインダストリーが開発した、専用の液体だ。ブルーローズの能力による急激な温度変化で爆発的に膨らみ、しかも特殊な化学結合によって、水を凍らせた通常の氷とは比べ物にならない強度になる。
 ──が、赤い目を光らせた骸骨は、バキンと音を立て、あっさりとブルーローズの氷を割って抜け出してきた。
「ええ!? 嘘でしょ、どれだけのパワーなワケ!?」
「炎も全然効かないわ! 何で出来てるのよコイツら!?」
 炎を浴びせても全く効果がなく、業火の中を平然と向かってくる黒い骸骨に、ファイヤーエンブレムがヒステリックな声を上げた。

「だぁっ! おい、コイツらやべえぞ、絶対マトモに組み合うな!」
 ワイルドタイガーが叫ぶ。見るからに軽そうで簡単に折れそうな見た目であるがゆえ脚を思い切り払ってみたものの、絶妙にしなる骨はびくともせずただ吹っ飛ぶだけ。しかも全くダメージを受けずに復活し、また向かってくるのである。
「何だこの強度!? ハ、ハンドレッドパワーでも折れるかどうかっ……!」
 バーナビーも同じくで、骨組みだけの身体からは考えられないパワーで腕の装甲を引き剥がされて以降、わらわらと群がってくる骸骨をただ蹴り飛ばすことしかできない。

「はっ、速さも尋常でないでござる! 複数で囲まれるとっ……!」
 3体の骸骨に囲まれた折紙サイクロンが、刀や手裏剣で牽制しつつ、じりじりと距離を測っている。
「くっ!?」
「折紙さん! ──あっち行け! サァーッ!!」
 赤い目から発されたビームらしきものを避けた折紙サイクロンの援護に向かったドラゴンキッドが、稲妻を飛ばして応戦する。感電し、シュウ、と白い煙を上げて動きを鈍くした骸骨たちを、ドラゴンキッドは強く睨んだ。
「機械に電気が負けるもんか! 全部やっつけて、や──」
 ドラゴンキッドの気合が、途中で萎んでいく。彼女の目線の先にあるものを、全員が見遣った。

《ピー、エラー。登録情報がアリマセン》
《エラー。登録情報がアリマセン》
《登録情報がアリマセン》
《登録情報がアリマセン》
《ピー、不正入場ノ可能性ガアリマス。至急本部ニ問イ合ワセテクダサイ》
《不正入場ノ可能性ガアリマス。至急本部ニ問イ合ワセテクダサイ》
《至急》
《至急》
《シキュ》
《シ》
《シキュシシシ……》

 ──がしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃ。

 まるで暗い墓地から、死の国から這い出してきたかのように、黒い骸骨がわらわらと現れてきている。ふたつの赤い目が、数えるのも馬鹿馬鹿しいほど無数に輝いていた。

「なんの、風で巻き上げてしまえば! スカァイ、ハァ──イッ!!」
 空中にいたスカイハイが、骸骨たちの群れに風の塊をぶつける。多少部品が飛び散るかもしれないが、このまま全てを巻き上げて空中でミキサーのようにしてやる、というのが彼の狙いだった。
「機械ならば手加減はっ──!?」
 しかしスカイハイの思惑とは裏腹に、骸骨たちは大嵐レベルの突風にふらついてはいるが、空中に巻き上げられてはいない。

「な、なんと! 骨なのでスカスカ! そしてスカスカ!!」

 空気抵抗が極小であるゆえに風の影響がさほどない骸骨たちに、スカイハイはショックの濃い声を上げた。
 それでもストームレベルの風を起こせばもちろん目的は果たせるが、そんな暴風を起こせば、建築物や、まだまだ避難できていない観客を巻き込むことになってしまう。
「──なっ!?」
 ヒーローズが、目を見張る。一斉に膝を折り始めた骸骨たちが、見た目以上の身軽さで、まるで蛙のように空中に高く飛び上がったからだ。
 そして、骸骨たちが一斉に向かう先は。

「──ライアン! アンジェラ!」



 ヒーローたちが、一斉に飛び出していった直後。

《──ルデ、……イア、ゴー……》

 ステージのほぼ中央、仰向けに倒れた白い身体の傍らで呆然としていたライアンは、自分のヒーロースーツのマイクから僅かに聞こえる音声に、ハッとした。

《応答、……ジャ、──ジャミング! 妨害、どこか──》

 途切れ途切れの通信の中、ライアンはホワイトアンジェラのメット、割れた青いディスプレイ部分の端が、ちかちかと点灯しているのに気付いた。
 指が震えるのに歯を食いしばりながら、ぴくりとも動かない彼女の、ちょうど撃たれた部分を慎重に探る。
 するとやがて、明らかに元々の部品ではないだろう、白い装甲に目立つ、三叉の爪で張り付いた黒い毒虫のようなものが見つかった。その小さな機械を、震える指で摘んで剥ぎとる。

《──ビンゴ! ゴールデンライアン、応答してくれ! 聞こえるか!?》

 急にクリアに聞こえるようになったのは、ホワイトアンジェラ専用医師チーム、ケルビムからの通信である。
《カウントダウン直前くらいから、ダミー映像にハックされて──》
《いやそんなことはええわい! よう聞け、アンジェラちゃんは生きとる!》
《スーツ経由で彼女のデータを取得中! 安心しな、ダーリン! ハニーは無事だぜ》
《脳震盪と軽い出血〜! 命に別状はありませ〜ん!》
 ワイワイと、口々に告げてくるケルビムたちの声。

 どっ、と重たいものが、ライアンの身体に伸し掛かる。──安堵だ。
 全身から、滝のような汗が噴き出した。指先が凍ったように冷たくなっているのがわかる。どくどくと、痛いほど鳴る心臓の音。

「ぶ、じ、無事……。生きて、──生きてるんだな!?」
《生きてますとも。息をしているでしょう? しっかりしてくださいな、王子様》
 震えた声を上げたライアンに、アンジェラの主治医でありケルビムのリーダーでもあるシスリー医師がいつもどおり穏やかに、しかしいつになくきびきびと返してくる。
 彼女の言葉に、ライアンはすぐにアンジェラの口鼻に顔を寄せる。すると確かに、ノイズのない綺麗な呼吸音とともに、甘やかな息が頬をくすぐった。
《わかったら、これ以上アンジェラを傷つけさせないように! 頼みましたよ》
「……当然」
 ふ──……、と、長く、そして重たい息を吐いたライアンは、2秒ほど目を閉じた。コンディションを整える。

(落ち着け、ゴールデンライアン)
 彼女は無事。悲劇は起こっていない。心配はなにもない。
 今からやるべきことはひとつ。無粋なクソ野郎をとっとと片付けて、彼女を病院に連れて行くこと。部屋でゆっくりキスをするのは遅くなるかもしれないが、問題ない。恋人の誕生日は今日いっぱいだ。

 ──ライアン! アンジェラ!

 バーナビーの焦った声が、強くなった風に乗ってかろうじて耳に届く。
 目線だけで、睨みつけるように空を見上げる。黒い骸骨の群れが赤い目を光らせて、がしゃがしゃと一斉にこちらに向かってきていた。
「……あァ、人間じゃねえのか。へえ、ラッキー……ほんっと」
 眠っている恋人を、これ以上優しいやり方はないくらい優しく、そっと抱き上げる。彼女の頭を揺らさないようにしっかりと支え、腕の中に抱き込み、ライアンは立ち上がった。彼の身体と金色の目から、青白い光が溢れ出す。

 ライアンは能力を発動する時、必ず両手を地面に着く。
 しかしあのゴールデンライアンが、一見すると無様に地べたに這うようにも見えるポーズをとることに、そういえば何故、と違和感を覚える者もいるだろう。

 それには、理由がある。

 重力操作。新しい重力場、小型のブラックホールを生み出して、その重力の強弱を操作する。その結果、局所的に地球の重力を強めるという凄まじい能力。
 能力を完全に制御できている彼だからこそ、観客へのデモンストレーション程度で収まる重力を広げることも可能だが、全力でやれば、巨大な鉄骨を地中深くまで沈めることも出来る能力。本来なら人間などひとたまりもなく、あっという間にトマトのように潰れてまっ平らになってしまう力。
 そして多くのNEXTがそうであるように、ごく繊細な力加減を加えて能力を発動する際、ライアンは人間が最も精密な動きを行える“手”という部位を使ってそれを行う。大きな力であるからこそ、絶対的な制御を可能にするために、ライアンはキャラクターやポリシーに反するような姿勢をあえて取る。
 つまりあの姿勢は、そうしないと重力が使えない、ということではないのだ。気持ちが昂ぶっている時なら尚更、でなければ──


「──加減、効かねえから、なあァアアアアア!!」


 ドッ──、と、巨大地震が来た時と同じような、一瞬の浮遊感。
 両足で大地を踏みしめて立ち、眠る恋人をそっと優しく抱くことにのみ両腕を専念させた彼から発されるのは、問答無用の万有引力。一瞬にして、ステージの上に巨大なクレーターが出現した。
 生きとし生けるものが本能的に求めるのがアンジェラの力なら、生きとし生けるものが恐れる絶対的な力が、ライアンの能力だった。
 星の成れの果て、あるいは新しい星の原型。同じ星の上にいるものなら、生きていようと死んでいようと、どんなものでも平伏するしかなくなる、宇宙的な規模においても根源的な力。

 公式最高値は、612倍。60キロの人間なら、約37トンの負荷がかかる力。だがそれも彼の全力などではなく、あくまで繊細に様子を見ながら行って、装置が計測可能だった最大値でしかない。
 どんな時も余裕綽々に冷静でクレバーでいる彼が、今はじめて怒りに任せて発動させた力。それが今どれほどの負荷を発生させているのか、ライアン本人にもわからない。
 重力場の範囲に含まれていないバーナビーたちも、彼が放つ引力に、思い切り足を踏ん張る。あそこに引きこまれたら死ぬという、本能的な理解がそうさせた。
 かつてこの力で地に叩きつけられたことのあるスカイハイも、即座に地上に降りて近くの鉄骨に掴まっている。

「俺の、この俺様の女に、──何、してくれてんだ、ァアアアア!?

 ド、ド、ド、と更に倍々に重力が増していき、その度にクレーターが深くなる。
 黒い骸骨たちが残らず倒れ伏し、押し潰されていく。

 立っているのは、ライアンだけだ。
 地球上で通常ありえない重力場を目前で展開させている影響か、彼の豪奢なマントと、彼が抱くアンジェラの何重にも重なった白い薄布のスカートだけが、ふわふわと浮いている。

 ハンドレッドパワーでも折れなかった黒い骸骨が、バキバキと潰れていく。それでもまだ何とか這いつくばって足元に手を伸ばしてくる骸骨に、ライアンは脚を振り上げた。

「頭が、──高ェんだよ!!」

 バキン!! と、ライアンの足が、黒い頭蓋を容赦なく踏み潰す。
 おどろおどろしい赤い目の光が、彼の足下で消えていった。










《こちらシュテルンヒーローランド前です。昨夜──》
《一夜明け本日》
《ゴールデンライアンの能力による恐るべき》
《スタジオからは以上です》
《犯人については》
《市民からは不安の声が》
《ホワイトアンジェラの安否について、アスクレピオスホールディングスからは》

 次々にチャンネルを変えてはみるが、どの番組も堂々巡りに同じことしか言っていない、ということがわかっただけだった。最後にシュテルンビルトエリア外のチャンネルをざっと見てから、ネイサンはテレビの電源を切る。

「地盤沈下一歩手前ですってよ」

 怒ったような、呆れているような、そして少し恐れているような重い声で、テレビのリモコンを片手に仁王立ちになったネイサンが言った。
 目の前のベッドには、こめかみにテープを貼られたガブリエラが静かに横たわっていた。ライアンはベッドの余白に上半身を突っ伏すようにしながら腕を伸ばし、白いシーツの上に広がる長い赤毛を、ゆっくりと指で梳いている。
「ちょっと。聞いてるの」
「聞いてない」
「子供か!」
 喉の奥で唸るような返答に、ネイサンは眉尻を吊り上げて突っ込みを入れた。

 ぶち切れたライアンが展開した手加減無しの重力場は、ヒーローランドのメインステージを完全に崩壊させた。
 地面から数メートルせり出していたはずのステージは、今ではおよそ10メートル近く深く地下に押し込められ、すべてが終わった後のそこは、まるで黒い骸骨の墓穴のようになっている。
 幸い、というべきなのか、セレスティアルタワーとそれに付随したこのステージは、ライアンが所属するアスクレピオス管轄の施設である。
 そのためライアン個人に数百億の賠償金が請求されることはないだろうが、人智を超えたといってもいいような凄まじい力が人々に与えた影響は、甚大なものだった。

 すなわちそれは、恐怖である。
 ライアンが見せた、生きとし生けるものの本能に絶対的な恐怖を与えるその力は、大衆にパニックを起こさせてしまった。

 あれほど強力な能力者が、今までSS指定すらされずにいたのかという驚愕。そして強大な力を見せたことにより、今まで地道に積み重ねてきたNEXTへの恐怖感や差別感情をまたぶり返させてしまったという声なき批判が、一斉にライアンに向けられているのである。
 実際は彼の能力行使に人間は誰ひとり巻き込まれていないし、ライアンがSS指定されていないのは普段の彼の能力制御がそれほど完璧だからであるのだが、集団ヒステリーを起こした群衆が、それをすぐに理解するのは難しかった。

「んもう! 責任とって自分でなんとかなさいよ!?」
「ん」
「あんたここまでして築き上げたキャリアでしょうが! 大事になさい!」
「ああ」
「……困ったら言うのよっ! いいわね!」
「おう」

 サンキュ、と辛うじて小さく返すライアンに、ネイサンは再度溜息をつく。

 アンジェラ──ガブリエラがここに寝かされてから、夜明けが来てもライアンは一睡もせず、シャワーも浴びず着替えもせず、ずっとここでこうしている。
 いつも完璧にセットされている金髪は汗と埃でぼさぼさで、前に下ろしてくることを考慮していないカットの髪は、彼の目元をほとんど隠してしまっている。格好も、ヒーロースーツの下に身に着けるアンダースーツのまま。おそらく駆けつけたアスクレピオスのスタッフが羽織らせたのだろう、ロゴの入ったブルゾンを着ているが、それだけだ。
 どんな時でも、ほんの数分でも人前に出る時は完璧に身なりを整えることを欠かさない彼が、まさに着の身着のまま構わずにいる。それだけで、彼が今どんな気分なのかを推し量るのには充分だった。

「……ライアン」
 ガブリエラの白い頬をなぞる彼の指が僅かに震えているのを見て、ネイサンは静かに言った。
「ライアン、大丈夫よ。このコはきっと目を覚ます」
 背中をそっと叩くようなその声に、ライアンはおそるおそる、ガブリエラの首元に手の平を滑らせる。感じるのは暖かな体温と、規則正しい血潮の脈。しかし彼女は目を覚まさない。

 ガブリエラの怪我自体は、大したものではなかった。
 当たった場所こそヘッドショットではあったが、弾丸はメットを貫通していない。出血はメットの破片がたまたまこめかみに挟まって、僅かに切れてしまっただけのものだった。そのため、単なる脳震盪だろうから目覚めるまで安静に、というのが、医師たちの診断だ。
 しかし数時間経っても、夜が明けて街が動き出す朝になっても彼女は目を覚まさず、大声で呼びかけても反応がない。
 これは明らかに異常だとされ、現在更なる診断と、彼女に撃ち込まれた弾丸や、ロックバイソンが身を挺して確保した狙撃銃、そしてライアンが一網打尽にした骸骨型のアンドロイドの残骸の調査を、アスクレピオスの研究チームを含めたあらゆる機関が行っている最中だ。



 ──ピリリリッ!

「ライアンだ」
 呼び出し音が鳴るや否や、ライアンは即座に通信端末に応答した。
《ゴールデンライアン! 完全ではないですが、弾の解析ができました!》
 それは、普段ヒーロースーツの通信からしか聞かない者の声。ケルビムのスタッフの声である。

《忌々しい! 裏切り者め!》
《ワシらのアンジェラちゃんになんてことを》
《うう、かわいそうなアンジェラ》
《犯人め〜、許しません〜。生皮剥いで〜、標本にしてやります〜》
「──いいから結論を言え! 俺の女を撃ったクソ野郎はどこのどいつだ!?」
 わいわいと騒ぐケルビムに、ライアンが猛獣さながらに怒鳴ると、シン、と端末の向こうが一瞬静かになる。

《おう、パワーズ主任のウェブスターだ》

 いきなり出てきたのっそりとした声は、あの変わり者集団パワーズの主任、ランドン・ウェブスターだった。普段奥に篭ってほとんど出てこず、会議の時もアンジェラファンだという副主任に任せて顔を出さない彼がこんな通信に出てきたことに、ライアンは僅かに目を見開く。
《弾に使われてたのは、ウチで、というか俺が開発した、NEXT能力を通す特殊素材を応用したもんだ。アンジェラのスーツや、チェイサーにも使われてるやつ》
「……何だと?」
 ライアンは、眉をしかめた。

 ──“NEXT能力の物質的把握と、NEXT能力の透過機構とその応用”。

 NEXT能力をただ超能力と呼んで完結させるのではなく、電磁波などの“物質”、またそれらが起こす“現象”として観測し、それによって、NEXT能力が対象に到達し作用するまでに効果を発生させることなく物質を透過する仕組みを研究する、というテーマだ。
 つまり例えばファイヤーエンブレムならば、手をかざして能力を発生させたNEXT能力が対象に炎を燃え上がらせる場合、手と対象の間にある空気、また手袋は燃焼していない。すなわちファイヤーエンブレムのNEXT能力の効果である“燃える”という現象を起こさないまま物質を透過している。その仕組みの解明が、この論文の要だ。

 パワーズの主任であるランドン・ウェブスターは、この論文とそれを応用した技術で一流かつ革新的な研究者、技術者として名を馳せた人物であり、またその技術は今やNEXT医学に関するアスクレピオスの事業の要のひとつと言ってもいい。

「知ってると思うが、これは最初、高レベルNEXT能力者の収容施設や刑務所で使われた。今のところ、アスクレピオスの系列施設内でだけだが」

 この技術を売り込んでアスクレピオスに入社した後、彼は潤沢な資金と設備を与えられ、この技術を用いた素材を開発し実用化に至らせた。
 そうして完成した、“発動した能力を遮断する”、あるいは“完全に透過させる”という特性を持つ素材は、アスクレピオスのNEXT能力関連事業のあらゆるところで使用されている。
 具体的にはいまランドン本人が言ったように、能力発動を遮断してNEXT犯罪者を拘束したり、あるいは伝導率のパーセンテージを調整することで能力制御が不得手な能力者の補助装備としたり、という使い方がされている。
「で、あえて“伝導率100パーセント”にしたものが、アンジェラのスーツやエンジェルチェイサーに使われてる」
 能力を発動させた自分の肌から患者の身体の患部まで、服などの物質を通せば通すほど能力の効きが弱くなってしまう彼女にとって、それはたいへん画期的なものだった。事実、このスーツのおかげで能力の効率は格段にアップしている。

《それで、だ。クソ忌々しいことに、この弾には“能力を透過する”だけじゃなく、“能力を留める”って性質が備わってる》

 ランドンは、本当に忌々しそうに言った。
《つまりどっかのクソ野郎が俺の技術を盗んで、クソムカつくことに改良を加えてこの弾を作って、どこかの誰かのNEXT能力を込めて発動させた。アンジェラは、この弾に込められたNEXT能力で今こんな状態ってわけだ》
「……できるのか、そんなことが」
《いくつかの部分をクリアすれば、理論上可能だ。……元々、構想の段階ではそっちをメインに置く研究にする予定だったしな》
 ランドンは、きまり悪そうに言った。
《だがそんなもんを実現させたって、トラブルの種にしかならねえのは馬鹿でもわかる。だから俺がこの論文を引っさげてアスクレピオスに入社した時、開発を禁じる契約をかなり厳重にしてる。技術の全容を知ってるのも俺だけ》
 ランドンは、はあああ、と巨大なため息をついた。
 要するに彼の研究者人生の集大成、飯の種、虎の子。そんな研究をまるまる盗まれ、しかも自社ヒーローの暗殺未遂という最悪の用途で悪用されたということなので、彼の精神的ダメージも相当のものである。

《ついでに言うと、犯人の目的はおそらくアンジェラを殺すことじゃない》
「どういうことだよ」
《アンジェラへのSS指定は能力の危険度が高いせいじゃなく、むしろ逆。世界規模で保護すべきっていう、レッドリスト・アニマル指定みたいなもんだ。そこんとこ、俺達も理解して仕事してる。要するに、狙撃程度でアンジェラが死ぬようなクソスーツは作ってねえんだよ》
 自信のある口調で、彼は続けた。
《実際、弾はスーツを貫通しちゃいねえ。今回の出血は破片が偶々かすっただけだし──、まあ要改善だけどな。脳震盪も、本来ならすぐ意識が戻る程度だ。ジャミング装置をスーツの内部に仕込めて、この素材の情報を外部に持ち出せるような奴が、スーツの強度を知らない訳はねえ。つまり》
「……犯人の目的は、その弾に込められたNEXT能力をコイツにくらわせること?」
 おそらく、とランドンは肯定した。

《今はその能力が何だったのか、ケルビムのドクターたちと、アポロンメディアの斎藤氏と協力して解析中でぇぇっす!》
《残留NEXT反応が少ないから難しいけど、絶対に突き止めてみせる! 任せろ!》
《技術的なところでわかったのは、ここまでだな。あとは──》
《……ケルビムの主任がいねえ》
 また通信に割り込んできたパワーズとケルビムのスタッフらの声を再度押し遣るようにして、パワーズ主任は続けた。

《ルーカス・マイヤーズ。あんたのほうの主治医だ。……犯人そのものなのか関係者なのか、それともこっちも被害者で犯人に拉致されたのはわからんが、警察の事情聴取も来てるし、俺達も話を聞かれたっていうか、容疑者扱いだ。弾に使われてた素材がこれなもんでな。このクソ忙しいのに》

 このタイミングで行方不明になったルーカス医師が容疑者及び関係者である可能性が濃厚であることと、凶器の素材の開発者、というわかりやすすぎる理由のためランドンの容疑者扱いはむしろ軽いが、そのぶんパワーズの内部に犯人、あるいは内通者がいるのではという疑いが濃厚で、アスクレピオス上層部からも待機命令が出ている、とランドンは説明した。

《マイヤーズは、自宅にもいないそうだ》

 クリスマスカウントダウンの時から、ルーカス医師の姿がないことはわかっていた。「渋滞に引っかかったので遅刻する」と連絡があり、そのまま姿を見せないという。
 彼ならばアンジェラのメットにジャミング装置を取り付けることも出来なくはないし、ヒーローふたりに関係する情報のやり取りにおいて、弾丸に使われた素材の情報を得ること、また理解することも可能だろう。
 NEXT医学の権威であり、医師としてかなりの信頼を得ており、社会的地位もあり、人柄も実績も確かだと誰もが思っていた彼のことを心配こそすれ、疑ってはいなかった。
 だがこの状況で顔を見せないどころか連絡のひとつもないというのは、関係者であると言っているようなものである。

《とりあえず、こっちの報告は以上だ》
「わかった」
《気をつけろ。誰も彼もに》

 ピッ、と潔く通話が切れる。
 ライアンは端末をブルゾンのポケットに仕舞うと、ガブリエラの白い頬をもういちど撫でた。






「バイソンさん! 大丈夫ですか!?」
「おー、まだ耳キンキンすっけどな。そのうち治る」
 耳に薬付きの脱脂綿を詰めたアントニオは、心配そうに駆け寄ってきたイワンに、ドンと胸を叩いて頑丈さをアピールしてみせた。
「お前は?」
「僕もかすり傷です。ちょっと火傷しただけで」
 黒い骸骨アンドロイドから放たれたレーザー光線は、折紙サイクロンのヒーロースーツを焼き切っていた。軽い火傷で済んだのは、単純にイワンの身体能力が高く、回避行動が正確であったからだ。
「そうか、無理はするなよ。……アンジェラは?」
「まだ意識が……」
 命に別条はないらしいんですけど、とイワンは肩を落とした。
「そうか。……だけど、生きてたってのが大事なとこだ」
「は、はい」
「ヘッドショットだったしな。肝が冷えたぜ」
 はああ、とアントニオはため息をついた。あの後搬送されていく彼女から外されたメットには、こめかみ辺りにぴったり銃弾が打ち込まれていた。あのままメットを貫通していたら確実に死んでいたというのは、誰の目から見ても明らかだった。

「他の奴らは?」
「皆さんアンジェラさんの近くに居たがりましたが……騒ぎが大きいので、それぞれの会社から帰還と待機命令が出ました。特に、ブルーローズとキッドが残りたがって……見てられなかったです」
「ああ……」
 揃いのエプロンを作ってやった若い娘達が泣き叫ぶところを想像して、アントニオも胸が傷んだ。

「スカイハイさんも落ち込んでるんです。あんまり役に立てなかったって」
「はあ!? あいつが俺らを飛ばしてくれてなかったら、もっとひどいことになってただろ」
「僕もそう言いましたけど、あの黒い骸骨に風があまり効かなかったので……」
 スカスカだった、そしてスカスカだった……と膝を抱えて非常に落ち込んでいたキースを思い出し、イワンは困り果てた顔をした。

「あー……虎徹とバーナビーはどうしたよ」
「おふたりは、調べ物です。黒い骸骨アンドロイドの件で」
「……やっぱり、アレか?」

 黒いボディに、赤く光る眼。そして何より、嫌になるほどの強靭さに、ビームライフルのような光線銃。
 デザインは随分違うが、マーベリック事件でさんざん手こずった、ロトワング博士が製作した戦闘用アンドロイド、ダークネスタイガーことH - 01を、ヒーローズの誰もが思い出していた。

「わかりませんが、可能性は疑ってるみたいです」
「だよな」
「アポロンメディアの斎藤さんに黒骸骨の残骸を持って行って、色々調べてみるって。斎藤さんなら、前のアンドロイドのデータも持ってらっしゃいますし」
「なんかわかるといいけどな……」
 うーん、とアントニオは腕を組み、難しい顔をした。

「ファイヤーエンブレムは?」
「オーナーだから好きにするって言って、アンジェラさんについてます」
「そうか。……で、ライアンは?」
「それなんですけど、その、警察が犯人探しに動いてて、それでその……」
「おっ、なんかわかったのか?」
「いえ、まだ何も……だからなのかもしれないんですけど……」
 イワンは眉を顰め、低い声で言った。

「ライアンさんが、……は、犯人として疑われてて」
「はああ!?」

 まさかの報告に、アントニオは耳が痛むのも忘れ、素っ頓狂な声を上げた。
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BY 餡子郎
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