#113
「……っまああああ! ステキ! ステキだわー!」
「うわー! キレーイ!」
「きゃあああ、なにこれ! すっごい!」
以前のパレードの時にも使われた、青と金のフロートの上に立っているホワイトアンジェラを見上げた女子組が、黄色い声を上げる。
そして男子組もまた、ぽかんと口を開けて、彼女の姿を見上げていた。
ホワイトアンジェラの、白と金、青いクリスタルパーツが特徴的なヒーロースーツ。
基本的にはケルビム・モードなのだが、腰のところに白いファーをポイントに用い、なめらかな薄布を何枚も重ねたスカート状の生地がたっぷりと下がっている。
そしてそのスカートの滝は床につくどころか外側の緩い螺旋階段を流れ、フロートのいちばん下まで続いていたり、手摺を超えて垂れ下がり、僅かに風に靡いていたりしている。
またその白い布の合間合間にはホワイトアンジェラのスーツのクリアパーツと同色の水色のクリスタルビーズがきらきらと光を反射し、金色のリボンがそこかしこに渡されていた。
「げ、幻想的でござる〜……これは女性陣が喜びそうな」
「確かに、全力でロマンティックな感じだな」
折紙サイクロンとロックバイソンが、フロートを見上げて言う。
「おお〜……こりゃすげえ。真っ白だからウェディングドレスっぽいなあ」
皆が思っていたことを、タイガーが口にした。
「そうですね。……ライアン、これ貴方が指示したんですか?」
「いや……」
バーナビーの質問に、ライアンは、ぼんやりした声で返事をした。
白いロングスカートという案は、彼も企画書で確認している。自分のマントのゴージャスさに見合ったデザインだとして了承のサインもした。
しかしこういう案件はいつも基本的にドミニオンズに丸投げであるし、デザイナーはライアンも知っている者を登用したことから、細部の変更は任せるとも言っていたので、仕上がりを見たのは当日の今日が初めてだったのだ。
「あっ、皆さんお疲れ様で……ふああああ! ライアン! ライアン、素敵です! マント! マント格好いい、ああー! 素敵! 写真、写真ー!!」
ライアンたちに気付いた本人が、フロートの上で、手摺から乗り出すようにして、ボキャブラリーが壊滅した歓声を上げた。
非常に幻想的な姿ではあるが、そのいつもどおりの言動に、ある者はホッとしたような顔をし、ある者は残念そうな、生暖かい表情をする。
「アンジェラさーん、カメラマンさんがたくさん撮ってるんで大丈夫ッスー」
「本当ですか!? 全部くださいね、全部ですよ!」
「伝えときまーす」
下にいるMs.バイオレットが、何やら慣れた様子でアンジェラに対応していた。
「あっ、ゴールデンライアン、ちょうど良かった。並んだ時の具合見たいんで、フロート上がってもらえます?」
声をかけてきたのは、今回の仕事を任せたデザイナーだった。
「……なあ、これ」
「いいでしょ!? いやー、渾身の出来ですよ。いい仕事させてもらいましたー。本番はあの流れてるスカートに! ぶわーって花が咲くようになってますんで!」
「いやあああんっ、ステキ! アニエスにちゃんと撮影しといて貰わないと!」
くねくねとした動きではしゃぎながら、ファイヤーエンブレムが言う。
私も見たい、あの花が咲くやつすごいもんな、今朝初めて見て感動したぜ、などと言い合うヒーローズと、イキイキとした表情のデザイナーに、ライアンは何も言えなかった。そもそも仕事自体は本当に素晴らしいものなので、文句をつけたいところは何ひとつないのであるが。
スタンバイしているカメラマンやスタッフの間を抜け、ライアンは黙って、スカートが流れる外の螺旋階段ではなく、フロート内部の隠し階段から彼女の立つバルコニーに上がった。
「……よう」
「ライアン! ああ、本当に素敵です、そのマント!」
「あー、うん」
テンションが最高潮のアンジェラに対し、ライアンの反応は鈍い。しかし興奮しているアンジェラはそれに気付かないのか、格好いいです、素敵、最高とはしゃぎ続けている。
「んまああ、並ぶと更にステキね!」
「ほんと! ロマンティック……」
「綺麗だね〜」
夢見る乙女のように言うファイヤーエンブレムに、ブルーローズがうっとりとした声で同意し、ドラゴンキッドも目を輝かせている。
「ふわー、絵になるでござるぅ」
「これは女の子ウケするやつだな。まんま王子様とお姫様じゃん」
「確かに」
折紙サイクロンが呆けたように見上げ、T&Bが頷き合う。
濃い青に引き立てられ、きらきらと輝く、ゴールデンライアンの金色のヒーロースーツ。大きく目立つ金の羽の下からは、優雅なマントのドレープと、それを飾る豪華なファーがひたすらにゴージャスだ。
そして真っ白でありつつも、ライアンと揃えた金色のパーツと宝石のような水色のクリアパーツが煌めく、ホワイトアンジェラのヒーロースーツ。螺旋階段や手摺の向こうに流れ落ち垂れ下がる、薄布を重ねたスカート。
また、彼らの周りを縫うように渡された、金色のリボンの華やかさ。
それはまさに、ひとつの絵になるように仕立てあげられた姿だった。
デザイナーは非常に満足そうな顔で頷き、カメラマンは先程から、激しくシャッターを切り続けている。
「ゴールデンライアン」
「あ? ん、おお」
先程まできびきびとスタッフたちと接していたというのに、ライアンの反応はどこか鈍い。階段を登ってきたデザイナーはそれに首を傾げつつも、続けた。
「このスカート、外に伸びてるところはもう固定しちゃってるんで。フロートの上で動くときは、ここの余分な布地が許す部分のみになります。気を付けて」
「……あー、なるほど。了解」
よく見れば、アンジェラの周りに、数メートルぶんはあるだろう布地が余っている。繋がれた犬よろしく、これが彼女の活動範囲になるようだ。
「チェイサーには何とか跨れる感じですが、フロートからは降りない方向で。移動するときは螺旋階段じゃなく、こっちの内階段を使って下さい。今のうちに、どこまで動けるのかの把握と確認お願いします」
「OK、っていうかパレード終わってセレスティアルタワーで降りるときどうすんの?」
パレードで練り歩いた後は、ステージにてブルーローズがダンサーとともに曲を披露。最後にサプライズでホワイトアンジェラの歌で締め、アンコールはふたりのデュエットをし、25日に日付が変更になるカウントダウンを行う予定だ。
「スカートは、ここでパージできるようになってます。そしたら中の、引きずらない程度の長さのスカートだけが残るので」
「へー」
「外し方はですね、ここをこうして……」
「え、自分ですんの? スタッフは?」
アンジェラの腰についた特殊な金具の外し方を実演するデザイナーに、ライアンが口を挟む。するとデザイナーは何やらどや顔をして、ふんと鼻を鳴らした。
「スタッフがわらわら来るなんて、無粋じゃないですか」
「いや、まあ、うーん、そうだけど」
「そうでしょう。後ろの方はアンジェラひとりで外せないので、ゴールデンライアンがやってください。どうしても間に合いそうになければ、破いてもいいですよ。……いや待てよ、それでお姫様抱っこでもして降りたほうが絵になるかも」
「あー、はい、はい、わかったわかった」
何やらイマジネーションとインスピレーションが炸裂しているらしいデザイナーに、ライアンは手早く金具の外し方を習った。そしてスタッフの呼ぶ声にデザイナーが行ってしまうと、ライアンは、たっぷりとした布を持ち上げる。
「……すげーな」
「すごいですね。とても綺麗」
こくこくと頷きながら、アンジェラが言う。
「長いスカートというだけでも初めてですのに、こんなことになっていて、本当に驚きました。少し照れくさいですが、やっぱり素敵ですね」
「……おう」
えへ、とはにかむ彼女を、ライアンはじっと見る。
「ライアン?」
彼の反応が鈍いことにやっと気付いたのか、アンジェラが首を傾げた。
そうしてふたりがフロートの上で見つめ合っていると、下にいるファイヤーエンブレムが、ぴんときた、という様子で目を細める。
「ちょっとカメラマンさん。写真は撮り終えたかしら? 大丈夫? デザイナーさんも、もういい? あらそう、良かった。じゃあ皆、あっちに行くわよ」
「え? なんで?」
「いいから!」
無粋な声を上げるタイガーに鋭い声を飛ばしたファイヤーエンブレムは、同じく何もわかっていなさそうなロックバイソンと折紙サイクロン、ドラゴンキッドの背を、まとめてぐいぐいと押す。
そして、サムズアップでファイヤーエンブレムに応えたカメラマンやデザイナー、その他スタッフ。何やら頬を染めるブルーローズと、やれやれといった様子で肩をすくめるバーナビーたちは、ぞろぞろと、ふたりがいるフロートから離れていった。
「あ、皆さん向こうに……私たちは行かなくても良いのでしょうか、ライアン?」
ぞろぞろと離れていってしまった皆とライアンを見比べ、アンジェラ──ガブリエラがきょときょととする。しかしライアンは相変わらず、彼女を見つめたままだった。
「……気ィ利かされたな」
「なにがですか?」
「時間には余裕あるだろ」
「え? はい」
ヒーロースーツのメット内のシステムで、ガブリエラが時間を確認する。確かに、ゆったり休憩してもパレード開始までには余裕があった。
「どこまで動けるのか、お前把握してる?」
「いいえ。布の配置を決めていて、動くなと言われていましたので……」
「じゃ、ちょっと降りてみるか。気ィつけろよ」
「はい」
ガブリエラは頷き、階段を降りるライアンの後に続いた。
そろそろと階段を降り、端まで行ってみたり、チェイサーに跨ってみたり。長いスカートを引きずりながらチェイサーに跨る姿に、あまり格好がつかないと笑ったりしながら、ふたりはフロートの上をうろうろとした。
「以前のようにたくさん動き回れないのは、少し残念ですね」
「まあ、たまにはお行儀よくしとけよ」
「むう」
ガブリエラは不満そうにしたが、そうですね、たまには、と長いスカートをわさわさとたくし上げながら言った。ライアンはフェイスガードを開け、そわそわと満更でもなさそうな彼女を眺める。
「……綺麗じゃん」
「えっ」
「似合う」
「そ、そうですか? えへへ。ヒーロースーツも、白いですので」
「いや」
むにゃむにゃと照れる彼女に、ライアンは、静かな声で言った。
「素でも似合うと思うぜ。肌白いし、赤い髪が映えて」
ライアンが言うと、ガブリエラはぽかんとして、そのまま俯いた。
「あ、ありがとうございます……」
「身内のパーティーとかあれば、着てみろよ。ドレス」
「え、えええ」
「見立ててやるから」
あーうーとしどろもどろになっている彼女に、ライアンは、ふっと笑った。
「もっかい上がるとき、布持って上がったほうが良さそうだな」
「あ、はい。やってみましょう」
慌ててスカートを抱えるガブリエラに続き、彼女が抱えきれない部分をライアンも持ち上げる。長い布が絡まないようにしながら、ふたりは再度バルコニーを目指して、階段を上がってみた。
「わっ」
「おっと」
余った布地を踏んでしまい、後ろにひっくり返ったガブリエラをライアンが支える。
しかし狭い通路で間を空けずに昇っていたこと、またたっぷりした布がクッションになったこともあって、さほどの衝撃ではない。
「すみません」
「気ぃつけろって」
「はい、……あ、これ、何ですか?」
後ろに倒れたせいで上向きになったガブリエラが、フロート内の階段通路の天井にあった小さな飾りを指差す。
小さな白い花も混ざった、葉っぱのような、枝のような、緑色の小さな束。赤いリボンで縛られたそれが、じゃまにならないようにか、短めにぶら下がっている。
「うん? ……へえ、こんなとこまで飾ってんのか。ヤドリギ」
「ヤドリギ?」
「クリスマスの飾り。知らねえ?」
「あの、ぎざぎざした葉っぱの……」
「それはヒイラギ」
「違うものですか?」
どちらも、彼女の故郷にはないらしい。
クリスマスツリーさえシュテルンビルトに来て初めて見たのだという彼女は、珍しそうに、小さなヤドリギを指先でつついた。
「あまり華やかな感じではないですね」
「ま、見た目がいいからじゃなくて、縁起がいいから飾るもんだしな。ヤドリギの下を通ると──」
「通ると?」
ライアンに寄りかかったままのガブリエラが、首を傾げる。
「……幸せになれるんだと」
「そうなのですか。……ふふ」
「何?」
くすくすと笑う彼女を、ライアンは見下ろす。フル装甲のヒーロースーツ姿で、笑みを形作る、薄いが赤い唇が、近くにあった。
「今まで、クリスマスは、好きではありませんでした。しかし今年は、とても幸せです。食事もおいしくて、皆と過ごせて、忙しくて、楽しくて、華やかで。こんなに素敵な衣装も着られて」
本当に幸せそうに、彼女は言う。
「とても?」
「とても。……実は、私がクリスマスをひとりで過ごすと知って、カリーナやパオリンが、うちに来てはどうかとおっしゃってくださったのです」
「えっ」
ライアンは、ぎょっとして目を見開いた。しかしその時のことを思い出しているのか、ガブリエラはヤドリギを見ながらにこにこしていて、彼のそんな表情に気付いていない。
遠方に母がいるとはいえほとんど天涯孤独に近いガブリエラが、ひとりで今年のクリスマスを過ごすと聞いて、カリーナとパオリンはすぐに彼女を招待したという。ふたりとも年上のいい女友達としてガブリエラのことを度々家族に話していたので、家族らもぜひと言ってくれたらしい。
「しかし、せっかくですが遠慮しました」
「え、ああ、……え? なんで?」
まだ動揺が抜けない様子でライアンが尋ねると、ガブリエラは苦笑した。
「クリスマスは、家族で過ごすものですので……」
「……あの嬢ちゃんたちの家族だったら、そういうの気にしないんじゃねえの」
っていうか、そうじゃなけりゃ招待しねえだろ、とライアンは言った。
それに、個人レベルの話は別にして、家族がおらず仕事の予定があるわけでもないという友人を家族のパーティーに呼ぶというのは、それなりにありえることだ。むしろ、ちょっといい話として捉えられる種のものである。
「しかし、……なんだか、逆に寂しい気持ちになりそうで」
珍しくもしんみりと言う彼女に、ライアンは何も言えなくなった。
友人の家族の団欒の中に混ぜてもらえることは嬉しくもあるが、クリスマスを祝う彼らに、自分の誕生日について申し出るのは心苦しい、そう思う気持ちはライアンにも想像できる。
特に誕生日を祝ってもらったことがないなどというはっきり言って悲惨なエピソード付きともなれば向こうも気を使うだろうし、ガブリエラも気まずいだろう。
ライアンが本当に何を言ったらいいかわからなくなっていると、ガブリエラはぱっと笑顔になって顔を上げた。
「そうしたら、今度はネイサンがパーティーに誘ってくださってですね」
「姐さんが?」
「はい。ネイサンも私と同じで、結婚したばかりの妹さん夫婦にチケットを差し上げたそうです。新婚旅行代わりに」
「へえ」
「それで、ネイサンは行きつけのゲイバーで、夜通しクリスマスパーティーをするそうなのです」
「うわあ」
思わずうわあとは言ったが、あのネイサンが行くようなパーティーであれば、場末の下品なゲイバーではなく、ゴールドステージのかなりグレードの高い店に違いない。ひとりで静かにクリスマスを過ごすよりは、濃い面々とゴージャスに馬鹿騒ぎをしたほうがよほど気兼ねなく楽しめそうだ、というのは容易に想像がついた。
それにそういう場でなら、もし勢いでハッピーバースデーと言われても、素直に受け取れそうでもある。そこまで考えてネイサンが彼女を誘ったのかどうかはわからないが、どちらにしろ、イブが終わろうとしている今この時までこうしてうだうだしている自分に発破をかけている、ということは確実だった。
「飛び入りも大丈夫なので、気軽に来いとおっしゃってくださいました。なぜなら、ネイサンのお友達たちが、イケメンの男性ストリッパーをたくさん招待したとかで。よくわかりませんが、そういう催しは大勢で騒いだほうが楽しいそうです」
「……ああん?」
「え?」
妙に低い声を出したライアンに、ガブリエラは首を傾げた。
「しかし私はそれよりも、女王様をしてらっしゃる方が何人か来られるというのにですね、えへへ」
「へえ?」
「写真を見せていただいたのですが、とても素敵でした。ショーもして下さるそうです。ボンデージというのですか、黒い革の衣装でですね、鞭を持っていて、こんなに高いハイヒールで、こんなにですよ」
「……おまえ、それに釣られたな?」
指先でハイヒールの高さを表現しながら興奮気味に話すガブリエラに、ライアンは冷えた目で突っ込んだ。
「な、なぜなら女王様ですよ? 本物の女王様ですよ?」
えへへへ、と下心が丸出しになっているガブリエラに、ライアンは目を細める。
ガブリエラの女王様好きやその他の性癖は、これでもかと知っている。知っているが、どうにも面白くない。それどころか、明確にいらついた。
──こいつは、何を他所の見知らぬ輩に尻尾を振っているのかと。
「うふふ。楽しみです」
うっとりとしたような笑い声を上げて、ガブリエラはまたヤドリギをつつく。その細い腕を、ライアンは掴んだ。
「ライアン?」
「ヤドリギの下では、仲良くしなきゃいけないんだぜ」
「仲良く?」
「そう。だから、ヤドリギの下じゃ、キスを求められたら断れない」
「えっ?」
ライアンは、細い身体を引き寄せる。自然、抱きしめるような格好になった。
ヒーロースーツに隠されていない口元に、目線が引き寄せられる。半開きになった唇の隙間から、犬歯の先が僅かにだけ見える。歯列矯正はしたものの、元々普通より長かったらしい八重歯の犬歯は、上の方から生えていた位置を矯正すると今度はこうして歯列の背比べから少しはみ出すようになった。歯並び自体は整っているので、今度は本当に個性的なチャームポイントになっている。
子犬のようなかわいい口元だと、ライアンはそう思った。
「……ガブリエラ」
ふたりの顔が、近づく。
「ライ、ア……」
──がつん!
ゴールデンライアンの厳ついヒーロースーツ、そして口元は常に開いているが、鼻から上は割とごついデザインのホワイトアンジェラのメットパーツがぶつかった音が、ふたりの耳にダイレクトに、かつこれ以上なく無粋に響く。
「あ」
至近距離。ごく近いところまで近づきつつ、結局重ならなかった唇に、ガブリエラが、間の抜けた声を漏らした。
「……ぶ。っく、あっはっはっはっはっはっ!!」
ガブリエラを抱きしめたまま、ライアンが、大きな声で笑い出す。
「ぶぁっは! やべー、カッコ悪、ひー! 決まらねー、ふ、あっはっはっはっ!」
自分をぎゅうぎゅう抱きしめて大笑いする彼に、ガブリエラは目を白黒させる。しばらく笑い続けたライアンは、目の端に浮かんだ涙を拭いながら、彼女を抱え直した。
「あー、もー。お前の前だと、なんでこんな格好つかねえんだか」
「ライアンは、いつも格好良いですよ?」
おそるおそる、マントの中の彼の背に手を回しながら、ガブリエラは言った。──嘘も誘惑もどこにもない、ただ愚直な、素直な声で。
そしてその声に、ライアンは、目を細める。
「……前も言ったな、それ」
──ゴールデンライアンは、這いつくばっていても格好いいと思います
初めてタンデムし、彼女のエンジェルライディングに絶叫し、みっともなく這いつくばって怒鳴り散らしたライアンに、彼女はそう言った。
その時のことを思い返し、ライアンは、彼女が最初から何ひとつ変わっていないことを確信する。彼女はいつも自分を好きで、手放しで讃え、愛し、支えようとしてきた。変わったことといえば、その程度が更に熱烈になったこと。
そしてその一途さは、これから先も彼女が変わらないままであることを信じさせるのに、じゅうぶんすぎるものだった。
「はい。なぜなら、あなたはいつでも、いちばん素敵ですので!」
当然のように。そしてなぜか誇らしげに、彼女が言う。得意げな顔をしているのがありありと分かる声色に、ライアンはまたくっくっと喉で笑った。
顔を上げれば、小さなヤドリギがぶら下がっている。この下を通れば幸せになれるという、聖なる日の飾り付け。
「なあ。クリスマス……じゃなくて。お前の誕生日は、一緒に過ごそうぜ」
「え……」
「ちょーっと準備が足りねえけど」
クリスマスで、しかも誕生日。だというのに、高級ホテルもディナーも、花束、シャンパン、大きなベッドも。どれもこれも、全く用意できていない。
「ターキーとケーキぐらいなら、どうにでも──、いや別に、そういうんじゃなくてもいいか」
「……そう、ですか?」
「そ。クリスマスは、皆が祝ってるだろ。俺らが祝わなくたって」
「しかし」
「神様の誕生日より、お前の誕生日の方が重要だっつってんの」
その言葉に、ガブリエラはぽかんとした後、きゅっと下唇を噛みしめる。彼の背に回した手に、力が篭った。顔を伏せてしまった彼女に、ライアンは続ける。
「お前の好きなもん食おうぜ。でもケーキのプレートはメリークリスマスじゃなくて、ハッピーバースデー・ガブリエラな。ここは譲れねえ。あとプレゼントは、あー、クリスマスのは用意してるけど、誕生日のは、ゴメン。今度な」
「そんなものは」
「そんなもんとかじゃねえっつーの。絶対やるから。遅れた分、スペシャルなやつ」
「え、あ……」
「シャンパンは俺の部屋にあるし、花はモリィに分けてもらおうぜ」
「いい、……いいのですか」
か細い声は、震えている。
「パーティー、たくさんあります。えらい人も、たくさん。出なくても」
「天下のゴールデンライアン様が、今更顔売らなくたって困らねえよ」
「本当に? 本当に、私と、いて、くださる?」
「おう」
抱きしめた細い身体を、ライアンは甘ったるく、ゆったりと揺すった。白い布の海が、さらさらと衣擦れの音を立てる。
「クリスマスも、誕生日も。……家族か恋人と過ごすもんだろ」
白いメットの下で、見開かれた灰色の目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「こいびと」
「ん」
ライアンの背に回された震える指が、黄金の羽根に縋り付く。天使に縋る聖女のように。
「こいびと……、わたし、わたし」
「うん」
「……“待て”、は」
「もう終わり」
「おわり」
すん、と鼻を啜る音がした。本当なら頬ずりしようとしたのがわかる角度で、ライアンが頭を傾ける。ごつ、と無粋な音がした。
「待たせてゴメン。待ってくれてありがとうな」
「いいえ、……いいえ」
ぽろぽろと、涙が落ちる。
「そうだ、帰ったら実家にビデオ通話すっから、おまえのことも紹介するわ。挨拶しろ」
「ふ、え?」
「つーかな、紹介しろ話聞かせろ会わせろってめちゃくちゃ言われてんのな俺、実は。すっげ色々聞かれると思うから覚悟しとけ、特に姉貴。絶対すげーうるせーからほんとマジで。テキトーに答えといたらいいけど──」
妙に早口でつらつらと話していたライアンは、メットの内側が、うっすらかいた汗でベタついていることに気付く。まるで初めて女の子をデートに誘う少年のように緊張と照れで余裕がなくなるなどというのは、ライアンにとって初めての経験だった。
ああ格好悪い、と思う。しかし、それでもいい、とも思った。
「ライアン、……本当、ほんとうに? わ、私の、能力のせい、ではなく?」
「は?」
「ま、前から感じては、いたのです。しかし、カエデと過ごして、……本当に、そうなのだと、わかりました。私の能力は、動物も、人間も、惹きつけると。皆が、親切で、優しくしてくださる、ようになる、と……」
涙で震えた声で、ガブリエラは言った。
ガブリエラの特技のひとつは、その人がどういう者であるのか、ひと目で何となく分かること。
そんな彼女だからこそ、相手がなぜ自分に親切なのかということは前々から感覚で理解していた。能力を使うことで相手が優しくなるごとに、動物が自分に寄ってくる度に、それは確信に変わる。相手が自分に対して警戒しないのは、優しくしてもらえるのは、この能力のせいなのだと。
もちろんそればかりではないことも理解しているが、やはりそれが土台にあるのは間違いない。幸い、ガブリエラはそれで傷つくとか、卑屈になるほど神経が繊細ではなかったが。
だがそれでも、特別な相手に関しては、別だった。
「ライアンは、最初、私を、避け、避けていた、でしょう?」
「……ん」
「それに、私のことも、すべて、言い当てました。……私が、悪い子であること」
──お前、キモチイイんだろ?
じわりと舐めあげるような、低い声。
ずっと歩いてきたぎりぎりの崖っぷちからとうとう勢い良く突き落とされるような、喉笛を食いちぎられるような気分を思い出す度に、ガブリエラはその時の絶望と、そして表裏一体の歓喜、また自分を見失いそうな快感でいっぱいになる。
そして許してもらえたときのことを思うその度に、彼こそが自分の天使であるのだと、愛するしかない人なのだと確信してきた。
「ですので、あなたは、……特に、私の力に惹かれないのだと、思って、いました」
「そうか」
「しかしあの日から、あなたは、とっても優しくしてくださるように、なりました。あの時はただ嬉しくて、あなたが私に、あの夜のことを、悪いと思っているから、とりあえずは、それでもいい、と」
「うん」
ライアンは、苦笑した。
あの夜、彼女がライアンの多大な罪悪感を利用したことくらいはわかっている。彼女のそういう図太く計算高い小賢しさをライアンはもう知っているし、受け入れている。
それに彼女は確かに小賢しいが、所詮は頭の悪い犬のすること程度でもある。そう思えばかわいいものだ、と自然に思えた。
「しかし、……しかし、カエデと過ごして、思ったのです。あなたが優しくしてくださる、それは、やはり、私の力のせいかもしれない、と」
自分の能力をコピーした楓と過ごし、自分より言葉の表現が上手な彼女のおかげで、ガブリエラはより自分自身の力について理解し、同時に、考えないようにしていたことが気になり始めた。
いちどは心に決めたこと。もし彼から愛していると言われたら、何が何でもそれを信じようと誓ったのに、それが揺らぎ始めてしまったのだ。
「──違う」
ぐす、ととうとう啜り泣きが始まったその時、ライアンは、ガブリエラの言葉を否定した。その声は性急で、そして少し震えてもいた。
それは、ああ、彼女も同じだったのだという安堵と、感動。
「お前の能力のことは俺もレポート読んでるし、お嬢ちゃんからも色々聞いた。だからわかったんだけど、……それな、むしろ逆だ、逆」
「え?」
「つまり最初お前を避けたののほうが、お前の力に惹かれたからだってこと」
「えっ……」
「意思に関係なく本能的にって、なんかムカつくじゃん。だからなんかイライラして、避けた。俺もお嬢ちゃんからお前の能力のこと色々教えて貰って、あーそういうことかーって後からわかったっていうか、自覚したって感じなんだけど」
ライアンが言うと、ガブリエラはきょとんとした。彼は続ける。
「俺がお前に優しくなったってんなら、それはお前が……、つまり能力に関係なく、お前が、……何だ。面白くて、イケてて、ぶっ飛んでて、他にないヤツで、……かわいいし、……好きだ、って思ったからだ」
ガブリエラは、黙っている。息を詰まらせたような様子と震えた手に、話さないのではなく、声を失っているのだということは、すぐに分かった。
「なあ、返事聞いてねえんだけど。……この仕事終わったら、俺の部屋。OK?」
「へや」
「あん? わかんねえ? 最初から言うぞ」
笑いを滲ませながら、ライアンはガブリエラの耳元で囁いた。
「この仕事が終わったら」
「……おわったら」
「誕生日ケーキと、なんか……美味いもの買って」
「ケーキ……プレート、つきの」
「そうそう。そんで、うちの家族に挨拶して」
「あ、挨拶。はい」
「それで、俺の部屋で」
「部屋で」
「……キスしようぜ」
もちろん、気持ちの篭ったキスを。
熱を含んだ声に、ガブリエラが、ひっくとしゃくりあげる。
「こら、あんま泣くな。この後歌うんだぞ。鼻詰まるだろ」
「う──」
ずずっ、と鼻をすすりながら、ガブリエラが泣く。縋り付いてくる彼女を、ライアンはしっかりと受け止めた。
頭のおかしい、最悪に性格の悪い老馬を唯一の友達とし、荒野から、少年向けの冒険譚の中からやってきたような、野生の犬を思わせるぶっ飛んだ女。足枷のようなハイヒールを履かせても、乱れた歯を矯正しても、彼女は変わらない。鉄底のブーツでとんでもないロデオを披露し、矯正したはずの歯は未だに犬歯が少し飛び出している。
ライアンは、個性のある人間が好きだ。才能があればもっといい。しかしどんなに美しく才能に溢れていても、少年が初めて飼う犬のように、わくわくとした気持ちを与えてくれ、男にとっての宝である愛車のハンドルを任せることが出来る女など、今までひとりもいなかった。
理不尽に犯されてさえ、それでもライアンが好きだと言った彼女。叱られることでもいいから構って欲しいとライアンを困らせ、しかし嫌われるかもしれないと危機感を覚えるや否や、可哀想なほど怯え、ゆるしてほしいと懇願する。そして厄介なことに、それが最高に可愛いと感じさせた女。
唯一の存在。ライアンが何よりも愛するオンリーワンが、今、腕の中にある。
「それで? 返事は?」
「──はい。はい……!」
「よしよし」
こくこく頷く彼女の頭を、ライアンはメット越しにぽんぽんと叩いた。
「じゃ、イケメンストリッパーのショーはキャンセルするな?」
「はい!」
「女王様と俺様、どっちがおまえの飼い主だ?」
「ライアン!!」
ガブリエラは食い気味に答え、ぎゅっとライアンにしがみついた。ライアンの胸にあったもやもやした嫉妬心は一瞬にして霧散し、そのかわりに、心臓を射抜かれたような衝撃がじーんと痺れて広がっていく。
「ん、おう、そうか。んー、よしよし。いい子だ。よーしよし」
聞き分けのいい犬を褒めるように、ライアンは腕の中にいるガブリエラを抱きしめたまま、甘ったるくゆっくり揺すった。次いで、涙の筋がついた頬に触れ、薄い唇を指先でなぞる。
「……愛しています、ライアン」
ライアンがなぞった薄い唇が、震える声で言った。
「好きです、ライアン。いちばん、何より、好き……」
「うん」
「愛しているのです。私は、あなたを、愛しています……!」
命を懸けるようにして、身を削るようにして。
食べられてしまいたいほど、あなたがいとしい。身を削って、命懸けで差し出されるその愛を、ライアンは今度こそ正面から、しっかりと受け取った。
「……俺も好き」
美しく咲く花に、ただ美しいと言うように。
どこまでも素直で、正直な気持ち。
同じものは返せないのかもしれない。しかし彼女が心のままに告げてくるのと同じように、ライアンは言った。
「俺も、お前を愛してるよ。ガブリエラ」
──ああ、食べてしまいたいほどおまえがかわいい。
そう思いながら、ライアンは彼女を抱きしめた。