#111
 ──クリスマス・イブ、早朝。

 ゴールドステージにある、教会の礼拝堂。
 祭壇の上には、この教会のシンボルであり、また観光ガイドブックにも見どころとして必ず掲載されている、黄金の天使と法悦の聖女の彫刻。ステンドグラスも美しい。
 つまりここはガブリエラが現在通っており、楓を連れてきたこともあるあの教会だった。

 しかし早朝だというのに、礼拝堂は非常に賑やかだった。
 なぜならそこには、沢山の人々がほぼ正装をして集まっている。しかもその顔ぶれは、一部リーグヒーローたちと、彼らが所属する各社CEOや重役員たち。また、主にそのスポンサーである企業の役員。更に最近企業に登用され始めた二部リーグヒーローたちなど、一般人とはいえない立場の人々である。
 そんなそうそうたる顔ぶれがミサのために並べられたベンチ型の椅子に並び、後ろには、OBCはもちろん、別エリアのマスコミのカメラも入っている。

「ふぁ〜あ」
「ちょっとタイガーさん。シャキッとしてください、恥ずかしい」

 苦言を呈したバーナビーに、タイガーは「だってよう」とまだ眠そうな声で言った。
 一部リーグヒーローたちは、みな揃って最前列の席に座らされている。式典ということで、皆いつものヒーロースタイルではなく、フォーマルな装いだ。とはいえ、顔出しをしていない面々の首から上は、いつものヒーロースタイルである。
 しかし完全に素顔が見えない面々はまだしも、いつもの黒いアイパッチとフォーマルスーツ姿のワイルドタイガーの大あくびは、傍目から丸見えだ。
 とはいえ、体全体に表情が出るタイプの彼なので、もしフル装甲のヒーロースーツ姿であっても、だらけているのはすぐにわかってしまいそうではあるが。

 シュテルンビルト・クリスマス・イブ・オープニングセレモニー。

 イブから年末まで続くお祭り騒ぎの開会式、ともいえるが、まずスタッフ側ともいえる人々によって、それが行われようとしているのだ。
 一般公開はされていないが、いちばん後ろにOBCのカメラが入っている。とはいえ儀礼的な式典なので、視聴率を稼ぐような映像ではない。生中継ですらなく、後から「今朝式典が行われました」という報告がてらのニュースの際に数秒流すための映像を撮りに来ているのだ。
 アニエスも列席しているが、いつものようにカメラの側にはおらず、セレモニーの参加者のひとりとして、セクシーな脚を組んで椅子に腰掛けていた。

「……あれ? ライアンさん、ギャ……アンジェラは?」
 きょろきょろと辺りを見回して、ドラゴンキッドが言った。アスクレピオスのヒーローとして列席するゴールデンライアンの隣に、いつも必ずいるホワイトアンジェラの姿がなかったからだ。
「んー? ……野暮用?」
「え? こんな時に?」
 ブルーローズが、怪訝な顔をする。
「急病とかじゃねーから、安心しろって。参加はするし」
「それならいいけど……」
「むっ、始まるぞ。静粛に、そして静粛にだ」
 教会に佇むのが何やら似合うスカイハイが窘めるように言ったので、全員が背筋を伸ばし、きちんと椅子に腰掛けなおした。



 まずは神父の挨拶、聖句の朗読。
 最初こそ厳かな気持ちで挑んだものの、ここで既に寝てしまいそうになっている面々が、隣同士で小さく肘打ちしたり足を踏んだりしながら助けあい、こらえる。

《続いて、シュテルン聖歌隊による賛美歌》

 お揃いの白いローブを着た、大学生くらいから老年までの幅広い年齢層の男女で構成された聖歌隊がずらりと並び、厳かなメロディのクリスマス・ソングを歌い上げる。
 落ち着いた女性のアルトやソプラノ、男性のテノールやバスのハーモニーが、マイクなしに、伝統的な礼拝堂の反響設備のみで全体に響き渡る。その見事な歌声に、皆がほぅと息を吐いた。
 歌い終えると、礼儀的なものだけではない、盛大な拍手が巻き起こる。

「へえ〜、すげえな。シュテルンの合唱団、こんなすげえのか」
「素敵だったわね〜! もっと聴きたいわあ」
 感心した様子で、ロックバイソンとファイヤーエンブレムが賞賛を述べた。
「シュテルンの合唱団はレベルが高くて、よくコンサートなどにも呼ばれますよ。特に少年合唱団がすごいのですが……今回はそちらではないのですね」
 クラシックが好きなバーナビーが、やや残念そうに、「早朝だからでしょうか」と首をひねった。

 しかし、美しい歌声で目が覚めたのも束の間。
 続いて各社CEOらの固い挨拶などが次々に続くので、これにはヒーローたちもたまらず、全員眠気と戦うはめになった。

「ちょっと……ちょっと虎徹さん、さすがにイビキはまずいです」
「んがっ……悪い。ってか虎徹じゃなくてタイガーな……」
 お前もだいぶ眠そうだぞ、と、本格的に寝かけていたタイガーが、寝ぼけた声でぼそぼそと言う。バーナビーは返事をせず、ただ大きな深呼吸をした。無論、頭に酸素を多く取り込むためである。
「キッド、ローズ、頑張ってちょうだい。もうちょっとだから」
「うう、ねむいよう〜」
「歴史の授業の10倍眠いわ……」
 頭がぐらぐらしている娘達を、ファイヤーエンブレムがそっと起こす。
「ね、眠いでござるぅ、こ、これも修行……」
 こちらは、目立たない程度に肩を回したりして耐える折紙サイクロンである。
「もうちょっとだ、頑張ろうぜ……おお、スカイハイはさすがだな……」
 巨体を縮こませて椅子に座っているロックバイソンは、隣できっちり背筋を伸ばしているKOHの堂々たる姿を、感心の篭った様子で見遣った。
「……ぐう」
「おい寝るな! いちばん普通に寝るな!」
「はっ!?」
 メットで顔が見えないのをいいことに熟睡していたらしいスカイハイは、ロックバイソンに肩を揺らされ、慌てて頭を振って眠気を追い出した。

「あー、ねっむ……」
 欠伸を噛み殺しながら、ライアンが首を回す。
「ねえ、ちょっと。アンジェラはいつ来るの? もう終わっちゃうわよ」
「大丈夫大丈夫」
 心配そうにひそひそ言うブルーローズに、ライアンはひらひらと小さく手を振った。

《──ご挨拶、ありがとうございました。続いて、シュテルン少年合唱団と、アスクレピオスホールディングス所属ヒーロー・ホワイトアンジェラによる賛美歌で、セレモニー終了といたします》
「おっ、来た来た」
「え?」
 ライアンが少し弾んだ声で言ったので、ブルーローズだけでなく、全員が前を見る。
 先ほどの合唱団と同じく、白いローブ。しかしホワイトアンジェラのヒーロースーツに合わせてか、金色の縁取りをされたものを纏った幼気な少年たちが、やや緊張の面持ちで、ぞろぞろと並ぶ。

 そしてその中央に進み出てきたのが、ホワイトアンジェラだった。

 白をベースに、金、薄いブルーの宝石のようなクリア素材が使われた、ヒーローとして最もスタンダードな、ケルビム・モードのヒーロースーツ。その上から羽織った白いローブが、意図しているのだろうとはいえ、まるで最初からそういうデザインであるかのようにマッチしている。

「え? アンジェラ、歌うの?」
「ちょっと、聞いてないわよ。どういうこと」
「シッ。黙ってろ」

 驚く面々に、ライアンがいつになく鋭く言った。
 神父の僅かな合図で、少年たちが息を吸う。心が洗われるような清廉なボーイ・ソプラノのハーモニーに、全員が自然に言葉を失った。

 あまりに見事なその歌声は、バーナビーが「特に少年合唱団がすごい」といった言葉が真実であることを、否が応でも理解させた。
 そして数秒のイントロダクション・コーラスのち、アンジェラが一歩進み出る。やや顔を上に向けた彼女は、すうっ、と息を吸い込んだ。



 ──光明。



 ひとすじに差し込む朝日のような、たったひとつの星の輝きのようなソプラノ。
 本人の中性的なイメージそのままに、ただ女性としての高音というより、どちらかというと、一緒に歌っている少年たちのボーイソプラノに近い声。
 幼い少年のような、稚い少女のような、性別のない天使のような歌声が、静まり返った礼拝堂に響く。

 バロックの旋律に、明確な歌詞はない。
 ただただ切々と聖母の名を呼び続けるだけのその聖歌は、泣きたくなるような何かに満ちていた。

 朝の光が、ステンドグラスから注ぎ込まれる。
 男でも女でもない、ただただどこまでも昇っていくような高音は、どんな奇跡を起こしても不思議ではないと思わせるほどのものだった。
 彼女が後ろに背負っているような天使と聖女の彫像が涙を流しても、あるいは顔をやや上向きにして歌うアンジェラが今もしふわりと浮き上がっていっても、さもあらん、と誰もが思うだろう。
 とんでもなく高いのに、耳に痛いどころかどこまでも遠く広がる、永遠にも思えるような響き。それが少年合唱団のコーラスに押し上げられて、更に凄みを増していく。

 誰もが目を見開き、ぽかんと口を開いている。
 瞬きや呼吸を忘れさせるほどに、その歌声は人々を完全に圧倒していた。

「う、わ……」

 不意に、アンジェラの身体から青白い光が発される。
 それと同時に、礼拝堂のあらゆる所に設置された台座や花瓶などにある、たくさんの白い百合の蕾が、ゆっくりと花開き始めた。

 彼女の手からは、アスクレピオスが開発しスーツやチェイサーに用いている、NEXT能力を通す素材で作られた細いワイヤーが伸び、花から花へ渡されるように伝わされている。
 だがあまりの光景に、誰もその仕掛けに気付かない。そのため目の前で起こっていることは、もはや奇跡そのものとしか思えないものになっていた。

 ステンドグラスから色とりどりの光が差し込み、きらめきを作る。その中で咲いたばかりの百合の芳香が、歌声とともに礼拝堂に広がった。
 その奇跡の光景に、皆、すっかり魅入っている。今、天使と聖女の像が微笑んだ、と誰かが言っても、疑う者は誰もいないだろう。

 実際は5分もない賛美歌が終わると、シン、と数秒礼拝堂が静まり返る。
 そしてアンジェラがそっと頭を下げた次の瞬間、割れるような拍手と、スタンディングオーベーションが巻き起こった。

「す……っごい。なに、今の。すごい。──凄い!」
 歌手でもあるブルーローズが立ち上がり、興奮して言う。
「び、びっくりした。すっごい綺麗だった、びっくりした……」
「あの娘ったら、こんな特技があったの!?」
 ドラゴンキッドは呆然としており、ファイヤーエンブレムは、「どうして教えてくれないのよ、もう!」と身をくねらせ、しかし惜しみない拍手を贈った。

「あ、あれ、本当に人間の声か……?」
 お迎えが来たのかと思ったぜ、と、アントニオが言った。
 虎徹は呆然としたまま「……俺も」と頷き、目の端にいつの間にか浮かんでいたものを誤魔化すように、乱暴に目元をこする。そしてその左手の薬指の指輪をふと意識して、なんとなく目を細めた。
「素晴らしいっ……そして、素晴らしいっ……!」
 そしてスカイハイはマスクの下でぼたぼたと涙を流し、あらん限りの拍手をして感動していた。

「こんな……、こんなアヴェ・マリアは……、これは、素晴らしい」
 普段からクラシックを好むバーナビーは、震える指を押さえた。色々な音源を持ってはいるが、これほどのものはなかなかない。
「す、すごかったです……まさに天使の歌声」
 折紙サイクロンもまた、すっかり素になって、呆然と呟いている。
「ええ、まさにそれですね。……ちょっとライアン。貴方の仕込みでしょう、これ」
 にやにやと笑っているライアンに、バーナビーは眼鏡の奥の目を細めて片眉を上げた。

「い〜いサプライズだろぉ? 目ぇ覚めた?」
「ええ、それはもう。……で、当然ディスクは出すんですよね」
「んー、企画書は上げてるけど、まだ会議もしてねえよ。全部これからだな」
 何しろまだ何も実績ねえしなあ、とライアンが答えると、バーナビーはずれているわけでもない眼鏡のブリッジを何度も押し上げた。その様子に、相当興奮してるな、とライアンは正しく察する。
「そうですか。ディスクの発売日は? コンサートはどちらのホールで?」
「いやだから、まだ会議もしてねえっつってんじゃん」
「この歌声を世に出さないなど、あり得ません。もし出さないというなら、僕がスタジオを借りますよ!」
「はいはい、心配しなくても俺様がちゃ〜んとプロデュースするし。待ってろって」
「絶対ですよ!」
 肩を掴んで揺さぶってくるバーナビーに、ライアンは緩く応える。いつもの緩いノリではあるがしかし、彼はアンジェラの歌声を本気で売り出そうと決めていた。

 ──あの日。

 故郷にいた頃は母が歌を教える聖歌隊にいた、というガブリエラの歌声を彼女の部屋で聴いたライアンは、ただただ呆然とした。
 ライアンも、音楽は好きだ。アイドルとして長く活動し、つい最近はバンド活動経験もある。クラシックからポップ、ロック、パンク、何でも聴くし、ロックバンドやシンガーソングライター、ピアニストやギタリスト、作曲家など、音楽業界にも知り合いは多い。しかしガブリエラのような歌声を耳にしたのは、初めてだった。

 オンリーワン。
 そんな才能を見つけたら世に出さないと気が済まないのが、ゴールデンライアンという男である。

 彼女の歌声にインスピレーションを大いに刺激されたライアンは、この日に備えて準備を始めた。つまり、彼女のプロデュースをすることを決めたのである。
 売れ筋のポップスを歌わせるなどという、安っぽいことはもちろんしない。まずは彼女の得手であり、この歌声が最も活きる聖歌を世に出す。クリスマスに合わせてレッスンすれば、時期もちょうどいい。

 企画はアスクレピオス内でも秘密裏に推し進められ、一流のプロトレーナー、また楽曲提供者としてキューブリック兄弟を雇い、彼女に本格的なレッスンを受けさせた。
 それによって彼女の歌声はより洗練され、凄まじいものになった。
 キューブリック兄弟とも何度も相談し、業界でもレベルが高いと有名なシュテルン少年合唱団のクリスマスの予定をもぎ取り、打ち合わせを重ね、いよいよ今日、サプライズでお披露目、というわけである。

 結果、ファースト・インパクトは大成功。
 ライアン自身が音楽活動をしていたために、ノウハウもある。既に様々なアイデアは書き溜めてあり、彼女の歌声を最もいい形で売り出すために、この後の方向性も固まっていた。



「お疲れ様です。うーん、小腹が空きました……」

 セレモニーが終わった後。皆がぞろぞろと礼拝堂を出ていく中、ローブを羽織ったまま入口付近にやってきたアンジェラをまず出迎えたのは、ブルーローズだった。
「アンジェラ! アンジェラ、素晴らしかったわ! こんなに歌えるなんて、どうして黙ってたの!」
 興奮しきった歌姫は、アンジェラの手を取り、ぶんぶん振りながら言った。
「いえ、その、黙っていたわけでは。ライアンにレッスンを受けさせて頂いてここまで仕上げましたが、元々は田舎の聖歌隊に入っていただけのもので、その。聴けるレベルになって良かったです」
「聴けるレベルとかいうレベルじゃないでしょ!」
 とにかく興奮しきりといったブルーローズの言葉だが、他のヒーローも、うんうんと大きく頷いている。

「──ちょっと! アンジェラ! どういうことなの!」

 よく通る声を上げてずかずかと乗り込んできたのは、セレモニーだからだろう、いつもは下ろしているブルネットの髪を完璧に結い上げ、胸元にフリルの付いた華やかなスーツを着込んだアニエスだった。
 いつものシンプルなシャツにタイトスカートという姿でも充分に美人であるのに、こうして着飾るとなおいっそうゴージャスである。テレビ局のプロデューサーではなく、女優などと名乗ったほうがしっくり来るほどだ。
「何よアレ! 言ってくれればちゃんとカメラ入れたのに、まんまと視聴率を逃したじゃない! 私は私の知らないサプライズが大嫌いよ、知ってるでしょ!」
「すみません。なぜならライアンが絶対に誰にも言うなと……」
「ゴールデンライアン!」
 すぐさま矛先が自分に向いたので、ライアンは肩をすくめた。

「わーるかったって。お偉いさんも来てるし、まずはそっちの掴みってことでさ」
 ライアンがトランプのようにずらりと扇形に広げてみせたのは、主に音楽業界の名刺である。先程数人に囲まれていると思ったら、抜かり無く営業をしていたらしい。
「……内部プロモーションってわけ?」
「そーゆーこと。夜のヒーローランドのカウントダウンライブは、あんたたちのカメラも入るだろ?」
「ええ」
「そん時サプライズで一般お披露目予定だから、いい集音マイク用意してヨロシク」
「わかったわ! ああもう、こんな服着てる場合じゃない! ちょっとケイン! いる!? スケジュール変更よ! 野外ライブに強い音響スタッフに知り合いいたでしょ、呼んで!」
 アニエスは通信端末を立ち上げ、悲痛な声を上げるスタッフにてきぱきと指示を出しながら、高いヒールを鳴らして歩き去っていった。当然のごとくクリスマス返上で仕事をする気満々らしい彼女を、皆「さすが」と呆れと感心が篭った目で見送る。

「アンジェラ! ブラボー! ミスしなかったな、でかしたぞ!」
「あっ、ロイ先生」
 アニエスと入れ替わりでやってきたのは、今回の催しにおいてアンジェラの講師であるロイ・キューブリックだった。後ろには、弟のアーロン・キューブリックもいる。
「えっ、キューブリック兄弟がアンジェラの先生だったんですか?」
「曲もな」
 驚くバーナビーに、ライアンが肩をすくめた。
「おお、バーナビーか。久しぶりだな」
「はい、ご無沙汰しています」
「やあスカイハイ、元気かい?」
「もちろんだとも! そちらも元気そうで何よりだ!」
『We Love SternBild』で兄弟と仕事をしたバーナビーとスカイハイは、それぞれ握手で再会を喜んだ。

「それにしても、アンジェラ! そんなに歌えるなら、私とも歌いましょうよ!」
 前はT&Bともそういうのやったし、と、ブルーローズはまたアンジェラの手を取って言った。
「あ、それもう企画済み。っていうか早速今日だから、ヨロシク」
「は?」
 ライアンが軽く片手を上げて言ったそれに、ブルーローズがきょとんとする。
「今日のクリスマスカウントダウンで、ブルーローズ&スペシャルゲストのミニライブってあるだろ」
「ええ、結局最後までゲストとやらがリハに来なくって……って、まさか」
「ゲスト、こいつ」
「ええー!?」
 重ねてのサプライズに、ブルーローズが声を上げる。彼女が思わずアンジェラを見ると、アンジェラは「よろしくお願いします、ローズ」と首を傾げて微笑んだ。
「聞いてないわ!」
「言ってねえもん。つーわけで、今日のライブが成功したらユニット組んで売り出すっての、タイタンにも軽く話通してあんだけどさ。お前からも推しといてくんね? お前らの歌唱力だと、アイドルってより歌手としてガチのやつになるし」
「もちろんよ! 楽しみだわ!」
 ライアンが言うと、ブルーローズは大きく頷いた。T&Bとの企画の時とは大違いのやる気である。

「まあ、青薔薇と白天使なんて素敵じゃない。カラーリングも青と白で綺麗だわ。きっとすごく人気になるわよ」
 ネイサンが、うっとりと言った。
 そりゃいいな! 字面からしてキマってるじゃねえか、おふたりとも歌唱力ハンパないから凄そうでござる、ボク絶対ディスク買う! 楽しみだ、そして楽しみだ! と皆が盛り上がる。
 更にキューブリック兄弟が「なに、それなら俺達に曲を書かせろ!」と名乗りを上げたりする中。アンジェラもまた、嬉しそうに笑みを浮かべた。






「上手くいって良かったです」

 ヒーローたちがそれぞれのショーやイベントに駆り出されていった後、自分たちもアスクレピオスが行う病院への慰問のためポーターで移動しながら、ホワイトアンジェラのメットを取ったガブリエラが言った。
「ありがとうございます、ライアン」
「なんで俺に礼言うんだよ」
「なぜなら……。感謝しているのでです」
 曖昧なことを言うガブリエラに、「なんだそりゃ」と、アンダースーツ姿になったライアンは、ソファにふんぞり返った格好で肩をすくめた。

「あ、大きなツリー。いちばん上の星は……どうやって乗せたのでしょう」
 外からは見えないようになっている、特殊ウィンドウの外。クロノスフーズ名物の巨大なツリーを見て、ガブリエラが言った。ロックバイソンの濃緑を思わせるモミの木にはたくさんのオーナメントがぶら下がり、てっぺんには、おそらくひと抱えほどはあるだろう金色の星が輝いていた。
「ロックバイソンが、クレーンで吊り下げられて着けてたぜ」
「おお、楽しそうですね」
「そうかあ?」
 げっそりしていたアントニオを思い出し、ライアンは苦笑した。

「私、今までクリスマスがあまり好きではありませんでした」
「……なんで?」
「あちらのクリスマスは、ツリーもなく、サンタクロースもいませんでした」
 ガブリエラは、ひどくつまらなさそうに言う。
「ただ静かに祈るばかりで、特に楽しいことはありませんでした。せいぜい、いつもより少しいいものが食べられるぐらいでしたが……。それなのに、クリスマス用の鶏を盗んで食べた時にしこたま怒られて食事を抜かれてから、よりいっそう苦手で」
「自業自得じゃねーか」
「おなかがすいて耐えられなかったのです!」
 しかめっ面をして、ガブリエラは言った。
 ちなみに、盗んだ鶏は馬小屋の裏でこっそりさばいて焼いて食べたものの、服に飛んだ血で神父にバレたらしい。
 相変わらずワイルドすぎるエピソードに、ライアンは頬を引きつらせた。

「それに、クリスマスは私も誕生日なのです」
「………………は?」

 いきなりのその発言に、ライアンはたっぷり間をあけた後、目も口も丸くして、ぽかんとした。
「神様への供物を盗んだのは確かに悪いことですが、私も誕生日なのですから、鶏ぐらい良いではありませんか。しかも調味料が塩しかなくてですね」
「は? 今なんて?」
「調味料が塩しかなかったのです。せめて胡椒が」
「そうじゃねえよ!」
 ライアンは目を見開き、ソファから上半身を勢い良く起こした。

「──お前、明日誕生日なのかよ!?」

 肌がびりびりするような大声だったので、ガブリエラは驚いた顔をする。そしてきょとんとした様子のまま、あっさり「はい」と言った。
 ライアンは両手で頭を抱えて天を仰ぎ、そのままどさりとソファの背に倒れかかった。「嘘だろ」と低く呻くようにつぶやいた彼に、ガブリエラは首を傾げる。

「どうしたのですか、ライアン」
「どうしたじゃねえよ! 何だよ、言えよ! 馬鹿!」
「えっ、何をですか」
「誕生日って! 言えよ! なんで言わねえんだよ、ホンット馬鹿だなお前は! 馬鹿、もう、この馬鹿!」
「えっ、えええ」

 大声で馬鹿馬鹿と繰り返されて、ガブリエラはおたおたした。
「明日……!? 明日っておま、なんも用意、ああああ」
「用意?」
「誕生日だろうが!」
「誕生日ですが……」
 ガブリエラは、相変わらず首を傾げたままだ。しかし、あーうーと呻くライアンを見て、やがて伺うように、もじもじ、おずおずといった様子で言った。

「……あのう。もしかして、祝ってくださるということでしょうか……」
「当たり前だろうが! 誕生日だぞ!?」
 ライアンが怒鳴ると、ガブリエラは、輝くような、蕩けるような笑みを浮かべた。
「え、えへへ。嬉しいです。ありがとうございます。ええと、教会ではクリスマスが優先で、私はあまり祝って頂けなくて……それもあって、クリスマスはあまり好きではなかったのです」
 ふにゃふにゃと嬉しそうに言うガブリエラに、ライアンはぽかんとする。そして、自分の金髪を、セットが崩れるのも構わず、ぐしゃぐしゃとかき回すようにした。

「……そうかよ」
「はい」
「お前の故郷って、誕生日あんまり祝わないとか……?」
「うーん、どうでしょう。こちらほど豪勢ではありませんが、親がまともならそれなりに祝うと思います」
「お前は祝わなかったのか」
「はい、まあ、教会ですし。母もまともではない……いえ、とても敬虔な信徒ですし」
 私よりも神様が優先されただけです、とやはりあっさり言うガブリエラに、ライアンは複雑な顔をした。
「私が敬虔な信徒になれなかったのも、クリスマスの恨みが大きいからという自覚はあります。神様と誕生日が被ったせいで、散々でしたからね」
「……ケーキ食うとか、プレゼント貰うとか」
「ご馳走を神様に捧げて、その後食べることはします。ワインを飲んだりも。しかし私は鶏を盗んで食事を抜かれたので、蛇を炙って食べました」
「蛇」
「骨が多くて、あまり美味しくはないですが。おなかがすいたので」

 誕生日。
 1年にいちどだけの、自分だけの、オンリーワンのその日を祝われないということは、ライアンにとって信じられないことだった。

 兄弟姉妹の多い大家族で、家の中に誰かの誕生日が訪れない月のほうが少ないゴールドスミス家とて、誕生日を祝うことをおろそかにしたことはない。その日に生まれたその者が誰よりも主役で、何よりも優先される日。リボンのかかったプレゼントを貰い、名前の入った大きなケーキを食べ、誕生日おめでとうと言われて歌を歌うのだ。
 クリスマスとて、特別な日であるはずだ。部屋の中を飾って、ツリーに皆でオーナメントをぶら下げ、概ね最年少の子供が天辺の星を飾る役目を貰える。イブが終わって朝起きれば、ツリーの下にはサンタクロースよりとメッセージカードが付いたプレゼントが置いてある。自分の名前が書いてあるプレゼントのリボンを解くのが、クリスマスの朝いちばんの子供の仕事、そのはずだ。

 だがそれを、ガブリエラはしたことがないという。
 誕生日だというのに腹が減って鶏を盗み、それで更に食事を抜かれ、蛇を炙って食べ、しめやかに神への祈りを捧げるだけ。

 ライアンは、“可哀想”という言葉も感情も好きではない。ガブリエラの生い立ちや今までのエピソードを聞いてもその感情を抱くことはなく、ただそんな過酷な環境で生き抜いてきた彼女に感心してきた。今では、はっきり尊敬しているといってもいい。
 しかしこの時ばかりは、“可哀想”、そうとしか言えないものを感じざるを得ない。
 例えばマッチ売りの少女が路地裏で凍えている様子とか、寒い雨の日に、痩せた子犬が段ボール箱の中できゅんきゅん鳴いているのを想像した時などと同じように。

「うっ……」
 つい目の奥が熱くなり、ライアンは片手で目元を覆った。
「ライアン、どうしたのですか」
「どうしたもこうしたもねえよ……お前」
 心配そうに顔を覗き込んでくるガブリエラを指の間から見ると、がりがりに痩せ細った赤毛の子供が、自分の誕生日にめそめそ泣きながら外で蛇を炙って食べているところを想像してしまい、ライアンは表情を歪める。
 その光景は、神などいないと断言するに余りあるものだった。そしてそのおかげでライアンは、敬虔な信徒になれなかったガブリエラの気持ちを充分に理解できた。これは確かに、要するに、糞食らえ──Fuckin' Christ、という気分になるに決まっている。

 こんなことなら個人情報やプライベートがどうこうなどと考えず、権限を使って彼女のプロフィールをすべて網羅しておけばよかった、とライアンは後悔した。
 彼女の足のサイズやらはチェックしたくせに、なぜ誕生日などという基本的な情報を失念していたのかと。

 クリスマスに明確な予定を何も入れていないのは、今年が初めてだ。そして、女の誕生日を失念するなどということも、ライアンにとって生まれて初めての経験だった。
(なんつー、格好つかねえ……最低じゃねーか)
 こいつの前ではいつもこうだと、ライアンは頭を抱える。運悪く毎度長続きしなかったとはいえ、かつての恋人たちとは、いつもスマートに、スタイリッシュに、完璧に接し、過ごしてきた。
 相手の誕生日ともなれば、高級ホテルのスイートルームをリザーブして、相手の好きな花で作らせたブーケを渡し、豪華なディナーを並べてシャンパンの栓を弾き、大きなベッドで夜を過ごす。もちろん、特別なプレゼントを用意することも忘れない。

 だというのに、ガブリエラに対してはいつもひどいものだ。
 まず酔った勢いで、しかも処女相手に乱暴に振る舞い、彼女が自分を好きであるのに調子に乗っていじめるわ、好き勝手なデートに連れ出すわ。そして今回は、クリスマスを一緒に過ごす誘い文句をまともに言えないばかりか、誕生日を失念するという大失態である。
 そしてそれでも、自分は彼女を怒らせるどころか全て受け入れられ、当たり前のように許されている。

 クリスマスなど、こうなってはもはやどうでもいいことだ。
 いちども祝われたことがないという、彼女の誕生日。それならば、クリスマス、神様の誕生日など比べ物にならないようなもっと特別なものを用意するべきだったのに、ライアンは何も用意していない。

「……あ〜。あーあーあー、もー、あー」
「ん、んん?」
 なんだかたまらなくなって、ライアンはガブリエラの赤毛をわしゃわしゃと両手で撫で回した。ガブリエラは首を傾げて頭の周りに疑問符を浮かべつつも、ライアンに撫でてもらえるのが嬉しいのか、頬を染めてにこにこしている。
(ああ、くそ)

 ──抱きしめてやろうか。

 ライアンがそう思った時、もうすぐ目的地に着きます、という運転手のアナウンスが、マイクから響く。仕方なく、ライアンはヒーロースーツを装着するために立った。ガブリエラも、自分のメットを手に取る。

「しかし今年のクリスマスは、素敵に過ごせそうです」

 ガブリエラは、皮肉の欠片もなく、本当ににこにこして言った。
 メットを装着した彼女は、赤に白のファー飾りというサンタクロースカラーの、いかにもクリスマスらしいケープも羽織っている。それは白に金の差し色のヒーロースーツに、非常によく似合っていた。この格好で、子供たちに小さなプレゼントを配るのだ。

「歌も上手く歌えました。きっと、母も褒めてくださるでしょう」

 ──上手に歌うと、母は褒めてくれました

 彼女は、かつてそう言った。
 誕生日は、ガブリエラではなく、彼女の周りの者が歌う日であるはずだ。しかし彼女は神を讃える賛美歌を歌い、上手く歌えたので褒めてもらえると言う。
 ライアンはやるせなくなり、しかしスケジュールに急かされて、ヒーロースーツを装着するためのチャンバーに飛び込んだ。
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BY 餡子郎
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