#100
★メイプルキティの冒険★
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《ビルからはもうもうと煙が立ち上っております。1階のテナントが爆破され火災が起こっていることから、少なくない人数が上へ上へと避難し、窓際で助けを求めている状況です》

《ロックバイソンが雄叫びとともに突入! ──爆発! 爆発です! 犯人たちが残した爆弾に引火したと思われます! 避難途中の市民は──ロックバイソンが全員ガード!! そのまま抱えて外へ! さすがの守護神ッ! 救助ポイントが入ります!》

《ファイヤーエンブレムが炎を制御し、ブルーローズが氷で鎮火しております。ともに消火活動を行う消防隊からは、ファイヤーエンブレムコールとブルーローズコールが湧き起こっております!》

《カメラを追跡チームへ! ここでドラゴンキッド、盗難品を持ち去った犯人グループを車両ごと電撃で確保!! 本日最大の犯人確保ポイントを大量ゲットだ!!》

《そして画面では折紙サイクロンが見切れておりま……ああっ、見切れつつもこっそり単独で逃げていた犯人を見逃さず確保! 新しいっ! ポイントが入ります! 犯人たちはこれで全員確保となります! 市民の皆さん、ご安心ください!》

《カメラを火災ビルに戻しまして──、煙に巻かれて避難した被災者は、現在最上階に固まっているようですね。救助に向かうのはやはりスカイハイ! 窓からひとりずつ抱えて、医療スタッフのところまで。しかしいちどに救助できる人数が少ないのがハラハラしますね……》

《相変わらず煙はもうもうと立ち上っており、最上階にも充満しているようです。一酸化炭素中毒が懸念されます。スカイハイ、風で煙を制御したほうがいいのでは? という視聴者の声がありますが……空気を動かし圧をかけることで、さらなる火災が起こる可能性があるそうです。地道な救助を急ぐスカイハイ!》

《おおっと──ッ!! ここで煙の中から現れたのはッ! ゴォ──ルデンライアーンッ!! ビルに飛び込み煙の中を最上階まで駆け上がっていた様子ッ!! アスクレピオス提供の酸素ボンベを大量に抱えているそうです。要救助者全員に酸素ボンベが行き渡りました! さすが人命救助最優先のアスクレピオスのヒーロー! 救助ポイントが一気に加算ッ!!》

《ゴールデンライアンが酸素ボンベを行き渡らせたことで、スカイハイが余裕をもって要救助者を下ろすことが出来ています。戻ってきた犯人確保組、またクレーン車や二部リーグヒーローたちも加わって、救助活動が順調に進みます!》



 時間にして、2時間程度。
 見事に事件を解決し、総じて煤で汚れたヒーローたちが、お疲れ様、とお互いを労い合う。

「お疲れさまでした、ライアン!」
 まだ漂う薄煙の中から金色の翼が見えるなり、アンジェラが駆け寄っていく。医療スタッフたちと活動していたため彼女の白いヒーロースーツは汚れていないが、火災ビルの中を駆け上っていたゴールデンライアンは、そこかしこが煤で真っ黒だ。
「おう、お疲れさん」
「おおっ、汚れがあるヒーロースーツも格好いいですね。あっ、煙の中から出てきたところ、とても素敵でした! 本日のハイライト!」
「お前、その妙なボキャブラリーどこで増やしてくんの?」
 すかさずライアンの活躍を褒める彼女の頭を、ライアンはぽんぽんと叩いた。黒い煤が白い頭につくが、ヒーロースーツはどうせ毎回整備とともに徹底したクリーニングを行うので問題はない。──アンジェラの頭だけが黒い、という間抜けなスタイルにはなったが。
「お前の方はどうよ。怪我人の具合は?」
「打ち身や裂傷、火傷などは問題なく治せました。しかし一酸化中毒は、お医者様に任せる他ないものです。先程最後の搬送が終わりました」

 迅速な救助とホワイトアンジェラの活躍のおかげで、火災の規模の割に怪我人は少ない。
 しかし“細胞を活性化する”というホワイトアンジェラの能力では、毒に関して、それに対抗する抗体などを活性化し結局のところ患者に自力で打ち勝ってもらうしかない。また脳に後遺症が残っていないかどうかは、病院で調べて医師が治療する他ないのだ。
 ホワイトアンジェラの能力は強力だが、決して万能ではないのである。

「ですので、ライアンが酸素ボンベを持って突入してくださったのは、とても素晴らしい対応。医療スタッフの皆さんも、そうおっしゃっていました!」
「そうか、そりゃ良かった」
「ライアンは大丈夫ですか? 怪我はないですか?」
「おう。スーツのおかげで煙も吸ってねえし、火傷もねえよ」
 カシャン、とヒーロースーツのマスク部分が割れるように動き、ライアンの素顔が露出する。白い肌には汗が流れてこそいるものの、煙を吸い込まないようにずっと閉じていたおかげで、煤で汚れてもいなかった。
「そうですか。何よりです」
「今回は能力の出番もなかったから、体力も余ってる感じだな」
 彼がそう言った時、ピピ、と小さな音。アスクレピオス支社本部からの通信だった。表示されているのは、珍しいことに、彼らの上司であるダニエル・クラークだった。

「はいはーい、オツカレサマでーす」
《ご苦労様──なところ悪いんだが、ゴールデンライアン、ご指名だ》
「ご指名?」
《さっきのビルだけど、下の階だけ爆弾やら火災やらでボロボロで、既に傾いてる。いつ崩れてもおかしくない状況だそうだ》
 思わずライアンが振り返ると、確かに、下半分が黒焦げのビルはそこからやや傾いていた。上階は内部こそ煙が充満しているだろうが鉄骨やガラスは無傷なので、下部分が崩れて上階が倒れてくれば、周囲の被害も大きいだろう。
「げっ、マジかよ」
《危なすぎるし、復旧不可の査定も出た。ちゃっちゃと安全に崩してしまいたいんだって。というわけで、せいぜいカメラ独占してきて》
「オーケィ」
 ライアンは、にやりと笑って肩を竦めた。いい所でばっちり活躍はしたものの、カメラに映る時間は長ければ長いほどいいに決まっている。特に、はじめから主役であることが決まりきっている画面は大歓迎だ。
 業者の代表責任者が急いでそっちに向かっているので、合流したら指示に従ってくれというダニエルの指示に了解の返事をすると、通信は終了。

 世界でも唯一、都市そのものが縦の3層構造というシュテルンビルトは、建築物に関する対応や工事がとても早くて正確だ。そうでなければ、街そのものの存続に関わってくるからである。その技術の高さは、シュテルンビルトの裏の名産品として世界最先端の建築技術が挙げられることもあるほどだ。
 そしてそんなシュテルンビルトで、先程のビルは壊してしまうことが早くも決定したらしい。中階のシルバーステージであるためより迅速な判断が求められた、ということもあるだろう。
 さっそく到着した業者が専用の重機や機材を早急に設置組立し始め、周囲の人々の避難誘導には、二部リーグヒーローが慣れた様子で協力していた。
 ライアンもまた、その能力故にこういった建築物などに関連する出動要請もちょくちょくあるので、慣れたものだ。ダニエルから貰った工事業者の連絡先をチェックし、スーツの通信機能に入力する。だがコールする前に、アンジェラを振り返った。

「お前も一応スーツ着たまま待機な。倒壊の時に怪我人が出ないとも限らねえ」
「わかりました」
「……お嬢ちゃんは大丈夫そうか?」
「問題があったという連絡はありませんでした。車の中ですし」
 逃げ場のない部屋に閉じこもるよりも、鍵がかかる密室である上に走行する車両のほうが安心感があるはずだ、とアンジェラは説明した。
「へー」
「しかし、はじめてのお留守番ですので……、時間があるなら、今のうちに顔を見てきてもいいですか? 私も、念のためカロリーを少し補充したいです」
 火傷の患者が多かったので消費が激しいのだ、とアンジェラは言った。火傷は細胞が死んでいる状態であるため、彼女の能力を使っての治療は、患部周りやもっと奥の細胞を活性化させることになる。そのため、かなりエネルギー消費を伴う怪我の種類のひとつなのだ。
「おう、そうしろ。必要になったら呼ぶから」
「はい」
 ヒーロー活動中も預かっている少女に当然のように気遣いを見せるライアンにアンジェラは微笑んで頷き、待機していたアークとともにポーターに向かっていった。



《事件は解決したものの、下の部分だけが爆発と炎で脆くなったビルは、大変危険な状態であることが判明。専門家の判断によって、倒れる前に倒壊させることが決定しました。登場するのは、ゴールデンライアン! 本日初めての素顔を披露し、カメラに向かって余裕のウィンク! そのイケメンぶりに市民の皆さんの歓声が上がります!》

 犯人は全員逮捕され、火災ビルに閉じ込められた人々も全員が救助された。そう告げるHERO TVは、次いで危険な状態になったビルを今からゴールデンライアンが倒壊させる様を映そうとしていた。危険ではあるが、既に人的被害はない状況だからか、実況のマリオの声も軽い。
 相変わらずソファの上で膝を抱えた楓は、鼻をすすりながら音声だけを聞いていた。

「おつかれさまです! 何もありませんでしたか?」

 薄いドアの向こうに聞こえた声に、楓は勢い良く顔を上げる。ええ何事もなく、お疲れ様です、と穏やかに返しているアークの声。

「カエデ! 大丈夫で──、わわっ」

 ラウンジに入るや否や抱きついてきた、というよりも飛びついてきた楓を受け止めつつ、アンジェラ──ガブリエラは仰け反った。ヒーロースーツのパワードのおかげで、後ろにひっくり返ることはない。
 頭ひとつぶんよりも身長差があるので、ガブリエラは楓のつむじを見ることになる。つやつやの黒髪の頭、華奢な肩は、見てすぐわかるほどに震えていた。ガブリエラは、メットの下の目を細める。
「ああ、……怖かったのですね。それと、寂しかった。わかります」
「う……」
 当然わかっているというふうにぴたりと言い当てられ、楓の目に涙が浮かぶ。
「大丈夫ですよ。私は戻ってきました。ひとりではない、私がいます。大丈夫」
 抱きついてきた身体を抱きしめ返し、ぽんぽんと背中を叩きながら言うガブリエラに、楓はぼろぼろと涙をこぼし始めた。

「う──……」

 声を上げて泣き出した楓をハグしたガブリエラは、そのまま成人男性の怪我人も運べるスーツのパワードを使って楓を抱き上げ、赤ん坊にするのと全く同じようにゆったりと彼女を揺すり、心臓の音のリズムくらいで背を叩き続ける。
「ふっ、うぐ、……ギャビー、ギャビー」
「よしよし、よしよしです。大丈夫です、ギャビーはここにいます。わんわん」
 少しおどけながらも、ガブリエラは楓をゆったり揺する動作をしながら、ラウンジを歩く。そして彼女を抱き込んだまま、ふんわりと能力を発動した。

「おなかがすきましたか? 少しだけ、甘いものを食べましょうか。あとで、一緒にお昼ごはんを食べましょうね」

 今の楓が世界で唯一受け止められる暖かさが、身体に染み渡ってくる。人肌の体温、心臓の鼓動。それに安心を覚えることに、楓は心の底から安堵した。



《こちら、火事被災者を収容している救護テントの様子です。火傷、また高熱の空気を吸い込んだことによる口内や喉の損傷は治療が長くかかりたいへん辛いものですが、ホワイトアンジェラが次々に治癒したとのこと。彼女に怪我を治して貰った市民をインタビューしております──》

 ガブリエラに能力を使ってもらって少し落ち着いた楓は、彼女のヒーロースーツの肩越しに、壁に備え付けのモニタを見る。
 画面の中には、ひどい火傷をホワイトアンジェラに治してもらったのだと涙ながらに語る女性が映っている。VTRに切り替わり、実際に能力を発して怪我人を治して回る彼女の姿も。
 楓が他人に近付くことすらできないでいるというのに、彼女は率先して人々の中に飛び込んでいる。しかも、誰も彼もが軽くない怪我をしている人々だ。
 まだまだ少ない経験ながら、怪我をしていたり、疲れていたりする人ほど、エネルギーを求める気配が強いことを楓は感じ取っていた。それは楓にとって、周りが猛獣だらけであるというだけでも恐ろしいのに、その猛獣が腹を空かせてよだれを垂らしているようなもの。

 ──すべての命が、私の力を求めます。皆、生きようとしている。生きるために食べようとする、どんな命でも同じことです

 あの日のガブリエラの言葉が、今になって痛いほど実感を伴う。同じ力を得、短いながらともに過ごすことで、楓はガブリエラがよく理解できるようになっていた。
 そして同時に、彼女がいかに稀有な存在であるかも、楓は既によくよく思い知っている。
 この荒療治の目的は、能力を発動させないオフ状態にする感覚を楓が覚えることだ。そして今現在、楓は自分のエネルギーを自分の中に抑えこむことはある程度出来るようになっている。
 しかし、元々目的にしていないとはいえ、このガブリエラの能力の本来の使いみちである、自分の中のエネルギーを意図して他人に渡す、ということはまるで出来ない。出来る気もしない。

 なぜならそれは自分の血肉を相手に食べさせるようなもので、本能的な恐怖を伴うからだ。
 生きとし生ける全ての命はいつも貪欲で、常にエネルギーを求めている。生きようとしていない命など、ひとつもない。息絶えるその瞬間まで、命は、すべての細胞は、生きようとあがき、手を伸ばしてくる。傷ついたり弱っている命ほどその動きは強く、生きるためにエネルギーを求める強烈なものが感じられた。
 楓はそれに尊さや感動を感じると同時に、恐怖を覚えた。しかしガブリエラはそれに手を差し伸べ、自分のエネルギーを、血肉を、日々分け与えている。──時に、自分の命を本当に削ってまで。

 やらなければ死ぬという場面に直面すれば何でもできるのだ、と彼女は言った。つまるところ、究極の選択も出来るということ。
 つい先程、楓は擬似的にその場面に立たされていた。外に出れば死ぬかもしれない。しかしこの鉄のゆりかごの中は、どうしようもなく孤独で寂しい。
 ヒーローとして自分の力を振るい、数多くの人を助ける彼女は、おそらくゆりかごの中から飛び出す選択肢を選んで、今ここにいる。

 ──食べられてもいいから、寂しさを埋めたい。

 もし彼女がそう思って外に飛び出したのであれば、その気持ちと判断を、楓はよく理解できる。だが同時に、まったく同意はできなかった。少なくとも、楓は彼女と同じ選択はできそうにない。かといって、ずっと恐怖を抱えてゆりかごに閉じこもる選択肢もまったく受け入れがたいのであるが。
 だからこそ、外に出ることに怯えきっているくせに、自分から漏れ出るエネルギーを完全に押さえ込むことができないでいる。
(……ギャビーは、どうして)
 その選択をしたのだろう、と楓は想像しようとする。
 楓の場合は、いまガブリエラがゆりかごまで迎えに来てくれたので、結局何の選択もせずに済んだ。むしろ優しく頭を撫でられ、怖かったですね、寂しかったですねと慰めてさえもらっている。さらに、そもそも用意してもらったゆりかごは凶暴な暴れ馬のいる汚れた馬小屋ではなく、水も食料も用意された清潔なポーターだ。

「ちゃんとお留守番ができましたね。カエデはいい子、いい子ですね」

 ガブリエラが、歌うように言う。
 軽々と抱き上げられ、優しくあやされ褒められながら、自分を満たす唯一のエネルギーを受け取る。それはまさに、赤ん坊になったような心地そのままだった。安全なベビーベッドに寝かされ、寂しいのと腹が減ったので泣きぐずり、ひとりでいられて偉かったねと言われながら乳を含まされる赤ん坊。

「よし! ではまたひとりでお留守番をしても平気ですね! よかったです!」

 とはいえ、やはりガブリエラに容赦はない。
 楓もこうして落ち着くと赤ん坊のように振る舞った自分がとても恥ずかしく思えてきたので、ある意味助かったような心地ではあったのだが。

「さあ、何か少し食べましょう。まだ誰か怪我をするかもしれないので、私もカロリーを補給しておかなければ」
「うん……」
「あっ、ライアンがテレビに映りますよ! 早く早く」
 ガブリエラはソファに楓を下ろすと、ビルの倒壊作業のためにカメラを独占しているゴールデンライアンが映ったモニタにはしゃぎながら、カロリーバーと飲み物を用意する。

《──どっ、どーん!!》
「きゃー! 素敵ですライアン!」

 ふたりでカロリーバーをかじりながら、モニタ越しにライアンの活躍を見守る。いつも隣りにいるというのに、ガブリエラは興奮のままに拳をぶんぶん振って本気ではしゃぎ、頬を紅潮させていた。
 画面の中では、ものすごい音を立ててビルが垂直に崩れた瞬間が、すかさずスローモーションでリプレイされている。業者が絶妙の位置に仕掛けたダイナマイトと、また指示通りの絶妙な力加減で能力を発動させたゴールデンライアンにより計算通りに倒壊したビルは下の階が潰れ、3分の1くらいの高さになっていた。粉塵の流れも計算されていて、ちょうどよく張られたシートに防がれている。
 職人技ですねえ、とスタジオのコメンテーターが呑気なコメントを発する。現場の人々も拍手をしていて、既に事件を忘れたように和やかな雰囲気だ。

《作業は成功! 安全が確認されたとのことです。お疲れ様です、ゴールデンライアン! では今回のHERO TVはこれにて!!》
「見ましたか! 見ましたかカエデ! とても素敵! とても!」

 マリオの最後の実況とともに、ジャーン、というジングル。すかさずポーズをキメたライアンの姿を最後に、HERO TVの生中継が終了する。途端に流れ出す、ブルーローズの炭酸飲料のコマーシャル。それが終わると、冬らしいあたたかいインスタントスープのCM。
 怪我人が出ればアンジェラに呼び出しがかかるはずだが、しばらく待ってもその要請はなかった。どうやら本当に無事に終わったらしい、とホッと息をつく。
「良かったです。ライアンが戻ってきたら、お昼ごはんを食べに行きましょうね」
 メットを外してにっこりと微笑むガブリエラの表情は、晴れ晴れとしていた。その笑顔に、辛さを我慢しているとか、恐怖を押さえつけているとか、生きるか死ぬかで究極の選択をしたような色は微塵もない。
 そんな彼女を見て、楓は思わず目を見張る。そして、自然と尋ねていた。
「……ギャビーは」
「はい? なんでしょう」
「ギャビーは、……なんで、自分ばっかり……とか」
 それは、先程楓が泣くほど感じたこと。

「……この能力がなければいいのに、って思ったこと、……ないの?」

 この時なんとなく楓が想像していたのは、例えば「そうですね、しかし──」などと、微笑みながら言われること。つまりいかにも聖女や天使らしい、辛いけれどもこれが自分の選択であるとか、ヒーローとして人を助けるためだからというような、そういう答えだった。
 しかしガブリエラはただきょとんとしていて、2秒くらいして、首も傾げた。

「──いいえ?」
「えっ……」

 それがあまりに当たり前の声色だったので、楓は驚き、そして混乱した。
 同じ力を持ち、ともに寝起きし、行動して、彼女を理解した気がしていた。ガブリエラが、楓の気持ちや行動を逐一察することが出来るように。
 しかし今、ガブリエラがどう見ても裏がなく、何も気負うところのない顔で「いいえ」と答えたその心境が、楓にはまったくもって理解できなかった。そしてガブリエラもまた、「なぜそんな質問をするのだろう」というそのものの、平和な疑問符を浮かべた顔をしている。
「えっ、……ほ、ほんとに?」
「はい。なぜなら、私はこの能力があるのでヒーローになれました」
「で、でも、その……ほら、もっと他の能力だったら、とか……」
「ええ?」
 ガブリエラは、また首を傾げる。

「考えたことがありません。私の能力はこれです」

 ガブリエラは、けろりと言い切った。
 楓が言葉を失って愕然としていると、彼女は少しだけ心配そうな顔になる。
「よほどおなかがすきましたか? そんなにつらいのですか?」
「え、えっと……」
「寒いのもいけないのかもしれないですね。あたたかいスープを用意しておくべきでした。おいしいおいしい、ス〜プ」
 ガブリエラはおどけた顔をして、さっきCMで流れていたインスタント食品の販促曲を口ずさんだ。そして、明るくにっこりする。
「なんということはないです。おなかがすいたら、そのぶんたくさん食べればいいのです。お昼は、カエデの好きなものを食べましょう。何がいいですか? 大丈夫。今の私は、割と結構お金持ち! 高級なレストランでもいいですよ。ふふん」
 一部リーグヒーローですので、とガブリエラは得意げな顔をした。
「あの、その」
 しどろもどろになっている楓に、ガブリエラは満面の笑みを向けた。
「怖いのも、寂しいのも、大丈夫です! 慣れれば平気です!」
「な、慣れれば?」
 この叫び出しそうになる恐怖や泣くほどの寂寥に慣れる時が来るとは、楓にはとても思えない。むしろ、慣れてしまうことを思うとぞっとする。しかしガブリエラは、やはりなんでもないようににこにこしているだけだ。
 おまけに、「おなかがすいていると、怖いのも寂しいのも余計に強くなりますからね」と勝手に納得して頷いている。

 ──お嬢ちゃんてもしかして、そいつの事、聖女とか天使とか思ってない?

 その問いかけに楓が頷くと、彼らしからぬほど、ライアンはそれを否定した。彼女は、聖女でも天使でもないと。
 楓は、改めて考える。想像しようとする。それがどういう意味なのか、と。

「私……私ね」
「はい」
「ギャビーのこと、すごいなって……。ギャビーの力をコピーしたから、この力で人の怪我を治すことがどんな感じなのかわかるから、余計に。ギャビーはたくさんの人を助けてて、ほんとに天使とか、聖女様みたいだって思って……」
「しかしカエデ、本当に聖女や天使なら、神様や母の言うように、自分がどうなっても、困っている人をすべて助けますよ。私はそれをしていません」
 楓の言葉に、ガブリエラは首を傾げた。
「そうかもしれないけど、それは、だって、ギャビーは人間だもん。いくら正しくっても、できることとできないことがあるよ」
「まあ、それはそうですね」
 ガブリエラは特に確固たる主義主張もなさそうに、あっさりと頷く。
「そうだよ。えっと、だから、じゃあ、天使とか聖女とかはよくわかんないけど、ギャビーはすっごく優しい人だと思う!」
 楓が必死に言い募ると、ガブリエラは目をまん丸くする。
 そして、にまぁ、と、だらしないとさえいえるような、堪えきれないという感じの笑みを浮かべた。

「──もう! カエデはかわいいですね! とてもかわいい! とても!!」
「えっ、ええ」
「おおよしよし! おおよしよし! かわいい! カエデはかわいい!」
「わ、わああ」

 わしわしわしわし、と両手で楓の髪をぐしゃぐしゃにし、ついにはハグして頬ずりまでしてくるガブリエラは、心底そう思っているようだった。
 至近距離で楓が見たその表情は、まさに蕩けるようである。それは例えば、生まれたての子犬とか子猫とか、そういうものの愛らしさを前に悶えるような類のもの。

「おーい、入っていいか」

 その時、薄いドアの向こうからライアンの声がし、またその気配に、楓はびくっと肩を跳ねさせる。ガブリエラが跳ねるように立ち上がり、「ライアン! お疲れ様です!」と彼を出迎えた。
(──あれ)
 ガブリエラが自分から離れて立ち上がった時、楓はとある変化を感じた。じわじわと自分のエネルギーを放出し続ける楓をフォローし、包み込むようだった彼女の雰囲気が、何やらがらりと変化したのだ。
 それはまるで、蕾が花開くことでぶわっと強い香りが漂うような、あるいは目にちょうどよい仄かな光が、きらきらとした華やかな煌めきに変わるような感覚だった。

「お嬢ちゃん?」
 考え込みかけて、楓はハッとし、慌てて顔を上げた。
「あっライアンさん、あの、お疲れ様」
「おう、お嬢ちゃんもお疲れ。……あれ? 大丈夫?」
「だ、大丈夫」
 楓の赤い目元にすぐ気付いたライアンは、気遣いの声をかけた。既にヒーロースーツは脱いでおり、マリンスポーツで使うウェットスーツに似たアンダースーツに、アスクレピオスのロゴの入ったブルゾンを羽織った姿。しかし、彼は2階であるラウンジに上がる階段に立ったままだ。
「そう? そっち行っても大丈夫なカンジ?」
 やはり、楓を気遣って近寄らないでいたらしい。相変わらずそういう気が回るライアンに感心と感謝をしつつ、楓は気構えをして頷いた。

「ライアン! 中継、見ていました! ずっとライアンが映っていて、素敵でした!」
「ん〜、土木工事とはいえ、カメラ独占できたのはラッキーだったな」
 目をきらきらさせるガブリエラをあしらいながら、ライアンは楓が座っている位置の対面のソファに腰掛けた。
「ずどーん! とビルが小さくなって、すごかったです。カエデ、すごかったですね!」
「うん。だるま落としみたいだったね」
「ダルマオトシ?」
 ライアンとガブリエラが不思議そうな顔をしたので、楓は“だるま落とし”について説明した。達磨の概念は端折ったが、ゲームとしては単純なので、どういうものかはふたりともすぐ想像がついたようだった。
「おお、そういうゲームをするおもちゃなのですね。おもちゃ屋さんに売っているでしょうか」
「ジャパニーズ特有のアイテムだったら、おもちゃ屋よりもそういう専門店じゃねえの? 折紙に聞いてみろよ」
 ライアンのアドバイスに、ではそうしましょう、とガブリエラは乗り気で頷いた。

 彼におもちゃ屋に連れて行ってもらってからというものミニカーを集め始めたガブリエラだが、他にもモノポリーを始めとしたボードゲーム、プラスチックの小さな剣を刺して人形が飛び出るなどのギミックを施した立体ゲームにもよく興味を示す。ガブリエラの部屋のコレクション・スペースにも、そういったおもちゃがいくつか並んでいた。
 カラフルでおもしろい形の駒やダイス、絵のついたカードなどを使うテーブルゲームは、こまごましたものを集めるのが好きなガブリエラのツボにはまったらしい。
 更にシンプルなルールのゲームであればあるほどいいらしく、1段ずつ色が違い、オリエンタル感あふれる達磨の顔が乗ったそのおもちゃは、ガブリエラの興味を強く引いたようだった。

「……む? ライアン?」

 いそいそとライアンにドリンクボトルを持ってきたガブリエラは、ふと何かに気付いたように動きを止めた。
「何か……、もしかして、怪我をしているのではないですか?」
「うわ、お前よくわかるなあ。つーかなんでわかんの?」
「む? なんで?」
「……気配っていうか、においっていうか……? みたいなものかなあ」
 ぴたりと言い当てられて驚いた顔をしているライアンだが、当のガブリエラが首を傾げているので、楓が返答する。
 怪我をしていたり、疲れていたりしている生命ほど、飢えているような気配はあからさまに強まる。今のライアンはまさにそれで、そのせいで楓はいつもよりライアンに若干びくつくはめになっている。
「気配とかにおいとか。犬っぷりが留まるところを知らねえな」
「ライアン! ライアン、やはり怪我をしたのですね!? どこですか!?」
「そんな大袈裟なもんじゃねえよ。ちょっと打っただけ」
 慌てるガブリエラに、ライアンは「こっち」と左手を示す。

 そこは確かに中指の一箇所が腫れていて、結構な濃度で青紫色になっていた。しかも、放っておけばもっと大きく腫れそうな気配である。
「ちょうど装甲が弱いところですね」
「そーそー、ホントにちょ〜ど瓦礫が飛んできてさあ」
 ヒーロースーツは、耐火、耐水、防弾に防塵、様々な状況を想定して作られている。
 しかし手の部分に関しては、要救助者に対応などするため生身と同じように動かせるようにしてある代わりに、剛性や強度が若干弱い。とはいえ、人の頭くらいの大きさのコンクリートが直撃してこの程度で済むほどの防御力は有しているのだが。

「骨折や脱臼ではないですか?」
「ヒビ入ってるかもだけど、折れてねえし靭帯も切れてないから、お前にちゃっちゃと治してもらえって。戻って来る途中で手の空いた医療スタッフに診てもらった」
「そうでしたか。ではすぐに治しますね」
「ん、頼む」

 ライアンが頷くと、ガブリエラは彼の手を取った。
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BY 餡子郎
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