#008
「拙者が行くでござるよ」

 そう言ったのは、折紙サイクロンである。隈取をした忍者のようなヒーロースーツの彼を、全員が見た。
「とにかく、乗客が無事かどうかを確かめなければ。地下でも届く強力トランシーバーがあるでござる。拙者が小さい動物に擬態して、瓦礫の隙間から被災者たちのところまで」
「危ないわよ!」
 悲鳴じみた声で言ったのは、ブルーローズである。被災地はいつ落盤が起こるかわからない暗闇だ。しかし折紙サイクロンは、静かに首を振った。
「もう、時間がないでござる。アンジェラ殿が堪えてくれているとはいえ」
 事故が起こってから、現在1週間が経とうとしている。先日再度大きな再崩落が起こり、無線が通じなくなった。
 もはや、一刻の猶予も許されないのだ。

「誰かがやらねばならぬこと。そして、拙者以外にできる者はなし。ならばやるでござるよ。──ヒーローですから」

 静かで、そして決意のこもった声に反論できる者はいなかった。



 いろいろなシミュレーションの結果、折紙サイクロンは“夜目がきき、狭いところを通れる靭やかな身体で、ある程度荷物を持つことができる”という理由で猫に擬態することになった。
 スタッフが用意した特別製のベルトにトランシーバーといくつかの物資を括りつけて身につけ、穴というよりは隙間と言っていい場所から現場へ向かう。
 瓦礫に押しつぶされないようなるべく上の方の隙間を選び、方向感覚に気をつけながら進む。緊張感に全身の毛が逆立っているのを感じながら、彼は慎重に、それこそ忍者のように、そろりそろりと進んでいった。

(──いた!)

 斜めに傾いた列車が、モノクロの視界に確認できる。大きな瓦礫に僅かに押しつぶされているが、完全に潰れた車両はないようだ。最後尾の窓が血まみれであることにぞっとしながら、折紙サイクロンは車両沿いに走り、先頭の車両まで来ると擬態を解いてドアを叩いた。
 驚かせてしまったのだろう、大きなどよめきが起こる。すぐに男性が数人ドアに近づき、力づくでドアを開けてくれた。
 暑さのせいだろう。ドアを開けた途端にとても衛生的とはいえない臭いが溢れてきたが、折紙サイクロンは全く怯まず、車内に足を踏み入れた。

「折紙サイクロンでござる! 救助の目処が付いたでござるよ!」

 わあっ、と、歓喜の声が広がる。
「し、静かに! 大勢動くと崩れてしまうかもしれません! しれぬでござる!」
 慌てて言うと、皆なんとか静かになった。
「……おりがみ、サイクロン……?」
 か細い、しかし可憐な声が、暗闇からかすかに響いた。真っ暗闇で姿はわからないが特徴的なその声を覚えていた折紙サイクロンは、それがホワイトアンジェラの声であるとすぐ理解し、注意深く近寄る。
「ホワイトアンジェラ殿でござるか! よく、よく辛抱なされた!」
「ござる……。本物……今度こそ、サインを、貰わなくては……」
「こ、光栄でござる! 後でいくらでも!」
 あわあわとしながら、折紙サイクロンは慌ててトランシーバーを取り出し、僅かな光を頼りにダイヤルを合わせた。

「──こちら折紙サイクロン! 現場に到着したでござる! アンジェラ殿のおかげで、皆無事でござるよ!」



 トランシーバーで現状報告を行った折紙サイクロンは、再度ガブリエラに近付いた。
「アンジェラ殿。水はペットボトル1本しかないでござるが、アンジェラ殿をよく知る医療スタッフたちから、これを預かってきたでござるよ」
 蛍光塗料を利用した非常用のライトを使って、彼は猫の姿の時に括りつけてきたベルトから、錠剤が詰まった袋を取り出した。
「ああ……それ。やった……。ものすごく、助かります……」
「急いでいたので聞かなんだが、これ、なんでござるか?」
「ひと粒10000キロカロリーぐらいある、スーパーカロリー錠……です。普通の人が食べると、血管が破裂する……かも、しれないので、私、専用……」
「そ、そうでござるか……」
 能力のことは聞いていたけどすごいな、と思いつつ、折紙サイクロンは手探りで、ガブリエラにカロリー錠剤を手渡した。──妙にかさついた、薄い手だった。
「……あー、こぼす……、すみません、誰か、手伝って……」
 ガブリエラのその声に、すかさず、私が、と女性の声がした。「10錠ぐらいください」と言う彼女の指示に、「だめです、ひとつずつゆっくり飲んでください」と、泣きそうな声が聞こえる。時々しゃくりあげているので、実際泣いているのかもしれない。
 いや、彼女だけではない。ホワイトアンジェラの近くにいるすべての人が、震え、泣いている。
「折紙、サイクロン、ヒーロー。助けて……」
「も、もちろんでござる! 必ず全員助けるでござるよ!」
「違う……違うの……」
 女性が、とうとう声を上げて泣き出した。

 真っ暗闇でもあるため、折紙サイクロンはおろおろとするしかできない。するとその時後ろの車両から、どすんどすんと大きな足音が響いてきた。
「おい、救助が来たのか!? ならもういいだろう! 食料をよこせ!」
 苛々とした男の声が、車両じゅうに響く。
「お静かに! 瓦礫が崩れ落ちます!」
「ぐぬっ……」
 さすがにそう言われれば黙るしかなく、男は歯ぎしりしているようだった。しかし彼は車掌が持つ懐中電灯をひったくり、電池の節約のため絞っていた光量を最大まで上げる。
「腹が減って仕方がない! あんたが食ってるものをなにかよこせ──」
 男の声が、途切れた。闇の中、人工の光に照らされ顕になったその姿に絶句したからだ。折紙サイクロンもまた声をなくし、呆然とした。

「ああ……、すみません。おいしいものは、もう、ないのです……」

 小さな鈴が、無残に割れたような声。
 かさかさに乾いた、薄い唇から出た声だ。サングラスを外した目は落ち窪み、頬はこけ、顎が驚くほど細くなっている。輪郭が、そのまま頭蓋骨の形だ。Tシャツからのぞく鎖骨は痛々しく浮き上がり、それどころかその下の、胸元の肋骨までもがくっきり浮き上がっている。ダメージジーンズの穴から見える脚や投げ出された腕は枝のようで、今にも折れそうだ。どこの関節の骨もありありと形が分かるほどに痩せ細っている。
 着ている上着が治した怪我人の血にまみれていることも相まって、喋っていなければ、本当に生きているのか疑うような姿だった。
 逆に、怒鳴りこんできた男は、今までよほど芳醇な食生活を送ってきたのだろう。ガブリエラ5人分以上の重さがあるのではないかと思うような、でっぷりと太った腹をしていた。
 錠剤と水を持ってゴシックロリータのドレスを着た涙目の女性が、懐中電灯を持ったまま硬直している男を、ものすごい目で睨んでいる。いや彼女だけではない。血まみれの車掌は今にも男に殴りかかりそうだし、運転手もまた同様だ。

「あ……あ……」
「向こうにいらっしゃる……女性の方が、お買い物の、帰り道で。息子さんの就職祝いで、いい食材を。……すみません、私だけ、おいしいものを食べて」
 そう言う彼女の周りには、確かにちょっと高級そうなハムのパッケージが転がっている。しかし今彼女の手元にあるのは、半分以上減ったオリーブオイルのボトルだ。彼女はそれをごくりとらっぱ飲みすると、「油は、カロリーが高い。よかった」と言った。
「飲みます、か? いいオリーブオイル……です、よ」
「い、いや……」
 男は、明らかに目が泳いでいる。しかしその泳いだ目線の先には、空になった惣菜のパックやお菓子のパッケージ、ジュースやワインやらはまだしも、舐め尽くされたバターや、調味料、パン粉などがあった。
 この状況である。火気厳禁でなくても、こんな場所で料理などできない。彼女はとにかくカロリーを摂るために、手当たり次第に食べられるものを口に詰め込んでいるのだと、折紙サイクロンは理解した。

「……アンジェラ」
 とことこと歩いてきたのは、小さな女の子である。
「これ、あげる。たべて。暗くてみつけられなかったけど、さっきみつけたの」
「いいの、ですか?」
 女の子が差し出したキャンディに、ガブリエラは手を伸ばした。震える、枯れ枝のような手に、女の子は小さな唇を噛み締めながらキャンディを握らせる。
「いいの。あたし、おなかいっぱいだから」
「そう、ですか? では、いただきます。みなさんで、分けましょう」
「だめ」
 女の子は、ぶんぶんと首を振る。強い拒絶を表す目には、涙が浮かんでいた。
「だめ。それは、アンジェラに、あげたの。だれかにあげたら、だめ」
「……はい」
 ガブリエラは、困ったように笑った。
「……では、終わったら、いただきます」
「うん。ぜったいよ。ひとりじめしなきゃだめよ」
「わかりました。いい子です、ね。……ありがとう」
「うん」
 こくりと頷いた女の子は、とことこと歩いて、母親らしき女性の所に戻っていった。母親は、戻ってきた女の子を強く抱きしめて震えている。

「皆さん、折紙サイクロン、ヒーローが来て、くれましたので、もう少しの、がまんです。おなかがすいた、なら、もういちど。ほら、手を繋いで。車掌さん……」
「アンジェラ、まだ大丈夫です。我慢できます」
「いけません。我慢、しているうちに。病気になったら、どうしますか」
 病気は治せませんので、私はお薬を飲んだから平気ですよとガブリエラは言い、渋る車掌たちをなだめて、全員隣の人と手をつなぐように指示した。
「さあ、あなたも」
 すっかり勢いをなくしている太った男はそう言われ、おずおずと輪に加わる。ゴスロリの女性が嫌そうな顔をしたが、彼は結局ばつが悪そうにうつむきながら、空けられた席に収まり、小さくなって、隣の者と手を繋いだ。

「隣の人と、手を、繋ぎましたか。仲間はずれは、いませんか。いたら、輪に入れて」

 今にも壊れてしまいそうな薄氷を思わせる声が、聖堂のように静まり返った車両に響く。
 誰も声を発しない中、青白い光がゆっくりと広がった。繋いだ手を伝って大きな輪が出来上がり、数秒だけ、青白い光の中、全員の顔が見える。
 誰も彼もが、祈るような顔をしている。折紙サイクロンは、そう思った。

「みんな、だいじょうぶ、ですか。けがを、しては、いませんか。おなか、は」
「アンジェラ、大丈夫です。みんな健康です」
 暗闇の中、涙声で車掌が言った。何日も風呂に入っていない、すえた臭いで充満した不衛生な車内に、誰ひとり病人がいない。ありえない現状が実現しているのは、間違いなく彼女のおかげだ。彼女が自分の身を削り、この車内のすべての人間の怪我を治し、すべてを満たしているからこその現状。
「わたしは、けがを、なおせ、る、ヒーロー」
「アンジェラ殿!」
 会話が噛み合わなくなっているガブリエラに、折紙サイクロンが駆け寄った。落ち窪んだ灰色の目が、どこを向いてもいない。座席に横たわった身体は、今にも消え入りそうなほど細かった。よく履き古された編み上げのショートブーツが、投げ出された足からボトリと落ちる。足が痩せすぎて、落ちたのだ。

 折紙サイクロンはマスクの下で歯を食いしばると、ガブリエラの手を取った。
「しっかり! ……あなたがここで頑張っていると知って、病院の方々が、急いで先ほどの錠剤をご用意くだされた! ファイヤーエンブレム殿が、すべての費用を出してくださって! 何より、あなたの活躍に勇気づけられた二部リーグが、何かできることはないかと、皆集まっておられる! おかげで、ソナーの能力者や空気の流れがわかる能力者が見つかり! それに従って、崩落を起こさぬよう、この数日皆で少しずつ……!」
 枯れ枝のような手を握りつぶさないように、折紙サイクロンは必死に続ける。
「ブルーローズ殿が、崩れそうなところを全て氷で固めてくださっておられる! キッド殿は漏電を起こさぬように電気をすべて止めてくださっているし、タイガー殿とバーナビー殿は、能力を休みなく使って瓦礫の除去を! バイソン殿は、能力があるからと危険なところにも入り込んで……!」
「……ほんとう、ですか」
「ほ、本当、です!」
 反応したガブリエラに、折紙サイクロンはごしごしと目元を拭った。とはいえマスクをしているので何を拭うこともできず、ただ彼が泣いていることを周りに知らせるだけになってしまったが。

「そう、です、か。ありが、とう。ヒーロー……」
「アンジェラ殿!」
「アンジェラ!」
「ああ、アンジェラ!」
 灰色の目が、閉じられる。悲痛な声があちこちから上がり、車両中に泣き声が響く。

「──ふふ」

 僅かに、笑った声が聞こえた。中性的で透明な高さの甘い声は、どこか手の届かない所にあるようにも感じられる。

「……助けて」

 しくしくと、女性が泣いている。
 彼女だけではない。近くの者たちが皆、老若男女を問わず泣いている。

「アンジェラを、助けて」
「私たちは、大丈夫ですから。少しぐらい、我慢できますから」
「助けて、アンジェラを助けて、ヒーロー」
「神様!」

 最初の頃、自分を助けろと我先に群がっていたのが嘘のように、皆、泣きながら祈っていた。涙を流しながら、私たちの天使を助けてくれと祈っている。
 そしてそれは、先ほど怒鳴りこんできた男でさえ同じだった。太った指を組み合わせて震わせ、許しを乞うようにして、ひたすらに祈っている。

 そんな様を見て、折紙サイクロンは歯を食いしばると、急いでトランシーバーのスイッチを入れた。






「──クッソ! おい! やべえ! 乗客は全員無事だがアンジェラが死にそーだ!」
「縁起でもない事を! ……皆さん、ノルマはこなしましたか!?」

 バーナビーが通信機に向かって吠えると、ブルーローズからは「今終わったとこ! ガッチガチにしてやったわ!」と息を荒げた声が、ドラゴンキッドからは「ボクはいつでもいーよ! 何万ボルトでも来ーい!」と通信が入る。ロックバイソンからは、「俺もいつでもいいぜ! なんてったって固いからな!」と堂々とした声が届いた。
「二部リーグ! どう!?」
 アニエスが叫ぶ。モニタに写った様々な二部リーグヒーローや有志の一般NEXTたちが、それぞれサムズアップしたり、大きなOKマークを作って合図していた。
 主になっているのはソナーのNEXT能力を持つ、普段は水族館でイルカのエサやり係をしている女性だ。彼女は瓦礫の位置や大きさ、角度などを能力を全開にして探査し、技術者たちがそれを3Dグラフィックに起こして、どこを固めればいいのか、どこを触ってはいけないのかを計算し尽くしていた。
 他にも空気の流れを察知するNEXT能力を持つ二部リーグヒーローが、被災車両に空気が行き渡っているかどうかチェックしている。折紙サイクロンが現場に行くことができたのも、彼の太鼓判があったからだ。
 他にも色々な二部リーグが、自分でできることを精一杯して貢献していた。能力の使い所がない者も、周囲の住民の避難誘導などを行っている。

《タイガー、やばいわ。救出はアンジェラ最優先でお願い》
「……あん? どういう意味だ。何がやばい」
 ファイヤーエンブレムの焦った声に、ワイルドタイガーはマスクの下で眉をしかめる。するとファイヤーエンブレムは、僅かに震えた声で言った。
《あの子がガリガリに痩せてるのは、自分の分のカロリーまで削ってるから。能力を使う時、あの子は自分の分のカロリーを確保できないの。自分の分のカロリーも、分け与えるほうに入れちゃうの。元々そういう能力なのよ!》
「……ワリィ。つまり?」
《つまり! あの子だけが正真正銘完全に飲まず食わずで、しかも自分の体を削って他人に分け与えてるのよ! 餓死一直線! 死んじゃうのよ! とにかく早く助けて!》
「りょーっかい! ……ってゆーかスカイハーイ! まだかー!!」
 瓦礫を放り投げながらワイルドタイガーが叫ぶと、シュテルンビルト名物の海辺の夕日から、黒い影がぽつんと見えた。そしてその影は、だんだんと近づいてくる。

「──ッハーイ! 連れてきた! そして連れてきたぞ!」

 夕日を背負ってそう声を上げたのは、もちろんスカイハイである。
「主役は遅れて参上〜、ってか。……でもこれカッコ悪くねぇ?」
 スカイハイにぶら下げられ、まるでクレーン・ゲームの景品のごとく空港から一直線に連れてこられた“彼”は、なんだか微妙そうな声を出した。金色をふんだんに使ったヒーロースーツが、夕日をまぶしいほどに反射している。
「そんなことはないとも! さあ着いた、あそこだ! 行くぞ!」
「えっここから? マジで? ぅううおおおおお!!」
「スカーイ、ハァーイ!」
 超高度でぽーんと投げられた“彼”は、慌てた。スーツに翼は付いているが、自分は飛べるわけではない。むしろその逆である。
 すぐに風が身体を浮かし、予定通りに巨大な鉄骨の上にふんわり降ろされたが、心臓に悪い事この上ない。
「では頼んだ! そして頼んだ! 私もスタンバイするぞ!」
「ったく、へいへい、りょーかいっと。んじゃ、合図来たらやるんで。おねしゃーす」
 巨大な鉄骨の上で、“彼”は両手をつく。範囲は、極小。そのかわり、その極小の範囲に、最大級の“重力”を込める。
「は、任しとけ。マントルまで“沈めて”やっからよ」

 ──スタンバイ! 3,2,1,……

「どっ、どぉ────ん!!」

 掛け声とともに、瓦礫を支える巨大な鉄骨が、一気に地中深くに突き刺さった。
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BY 餡子郎
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