#007
──Bonjour HERO !!
お馴染みのアニエスからの召集がかかったはいいが、ヒーローたちは途方に暮れていた。
イーストリバーを渡り、シュテルンブリッジを抜けた位置での高速道路での大渋滞が呼び起こした、玉突き事故。よりにもよって大量の資材を運んでいた巨大トラックがそれを起こし、高い位置から落下。ぎりぎり人のいない工業地帯であったのは、幸い──とはいえなかった。巨大トラックが積載量いっぱい運んでいた資材は、ステージを分けるプレートを拡大建設中だった工事現場に降り注いだのだ。
それによって、クレーンで運ばれていた巨大な鉄骨が数本落ちた。数十トンにもなる鉄骨は落下による勢いで地下まで刺さり、それは、シュテルンビルトの地下を縦横無尽に行き交うメトロを全面停止させる結果になった。
つまり今回の事件は、“犯人”がいない。つまり“事件”ではなく、“事故”。
それでも、ヒーローの仕事は犯人確保だけではない。いつもなら怪我人の救助や瓦礫の撤去などを行うのであるが、今、彼らはそれをしていない。──いや、できないのである。
落下した鉄骨。そしてそれによる落盤で、たまたまそこを通っていたメトロの車両が埋まってしまったのだ。
車両はまるごと生き埋め状態で、地下であるがゆえに元々無線ネットワークは繋がりにくく、落盤により有線ネットワークも断線されている。被災者たちが今どんなことになっているのかさえ、全くわからない状態なのだ。
「どうすりゃいいんだよ! どうすれば助けられる!?」
「タイガーさん、専門知識のない僕達ではどうにもなりません。指示を待ちましょう」
地団駄を踏む虎徹、白と緑のカラーのヒーロースーツを着込んだワイルドタイガーに、同じく白と赤のヒーロースーツを着込んだバーナビーは、諭すように言った。
「わーってるけどよぉ!」
「ああ……、地上であれば、私が風で瓦礫を持ち上げたりもできるのだが……」
地下だと風が使いにくい、そして使いにくい、と、スカイハイが悔しそうに言った。
そしてそれは他のヒーローたちも同じで、強大な力を持っていながらどうにもならない現状に歯噛みしていた。
数百メートルも上空から突き刺さった巨大な鉄骨は、元々、その上に更にビルを建設することもできる、非常に巨大で頑丈な代物だ。それはタイガー&バーナビーのハンドレッドパワーでさえ抜くことはできず、重機の力を借りて無理やり抜いても、それによって更なる落盤、地盤沈下などが起きてしまえば、生きているかもしれない乗客は確実に瓦礫に押し潰され、命が危ないどころか、遺体が引き上げられるかどうかもわからない状態になってしまう。
とりあえずは事故現場から最も近いメトロの駅にこうして降りているのだが、何をどうすることもできない。線路を辿って現場まで行ってみたが、見事に瓦礫と鉄骨が地下トンネルを塞いでいた。そして、見るからに、どこかを下手に触れば崩れてしまうだろうとわかる複雑に積み重なったそれ。
人っ子ひとり通れないと見せつけるような瓦礫の壁は、皆に絶望を抱かせるに十分だった。
「──無線、繋がりました!」
レスキューたちに囲まれた駅員から声が上がり、ヒーローたちも走ってそちらに向かう。確かに、ガー、ビー、ザザザ、というノイズの向こうで、僅かに人の声らしきものが聞こえる。
「こちら第4イーストパーク、サーティアベニューステーション! 聞こえるか!?」
《こちら……号線、車掌の…………です》
男性の、割としっかりとした声が聞こえる。皆が、とりあえずほっと息を着いた。
「落盤による事故である。当方、ヒーロー、レスキューとともに救助のために全力を尽くしている! そちらの現状を報告せよ!」
《全ての機能がダウンしています。線路は塞がれ、非常用照明も点灯しません。徒歩での避難は不可能と判断し、車内から動いていません》
「了解。落盤により危険な状態だ、現状を維持せよ! 怪我人は!?」
《ゼロになりました》
──ゼロ?
──ゼロ、になりました?
あまりのことに、無線を応答していた駅長だけでなく、ヒーローを含めた全員がぽかんとした。
《当車両に、偶然ですがヒーロー・ホワイトアンジェラが乗り合わせていました》
「──ホワイトアンジェラ!?」
「彼女ですか!」
数人のヒーローが、身を乗り出す。
《重軽傷者全員、彼女が完全に治してくださいました。ええ私もです、私も、あのまま死ぬかと、しかし、──怪我人は、ゼロです。もちろん、死亡者も、いません……!》
車掌は、涙声だった。
《──ホワイトアンジェラです》
無線でかすれた、それでも可憐で、やはり中性的な澄んだ声。
《重傷者はいません。しかし、本人の了承を得て数人骨折を治しました。ヒビ程度のようなので大丈夫だとは思いますが、頭を打った方と合わせて、後々検査をお願いします。救助はいつ頃になりますか》
「きゅ……、救助の目処はまだついていないが、全力を尽くす。それまで耐えてくれ」
《わかりました。こちらも全力を尽くします》
「おい、アンジェラ!」
大きな声を上げたのは、ワイルドタイガーである。
「来たぞ、ワイルドタイガーだ! ……絶対助けるからな、待ってろ!」
「バーナビーです! 必ず行きます、頑張ってください!」
「お、折紙サイクロン! 拙者もでござる!」
「ロックバイソンだ! 絶対に行くからな! 待っててくれよ!」
「スカイハイだ! そしてスカイハイだ! 必ず助ける!」
「私もよ! アンジェラ、覚えてる!? ブルーローズよ! 借りは返すからね!」
「ドラゴンキッドだよ! 絶対助けるから! 頑張って!」
駅長の後ろから、マイクに向かってヒーローたちが次々と声を投げかける。そして最後に、ファイヤーエンブレムが進み出た。
「ハァイ、天使ちゃん。お手柄だわ。本当に」
《……その素敵な声は、ファイヤーエンブレムですね》
「ええ、そうよ。必ず助けるわ。それまで頑張って頂戴、ヒーロー」
《わかりました。──必ず助けてください、ヒーロー》
無線から響いたその声に、ヒーローたちは、各々の拳を握りしめた。
落盤による崩落。空気穴はかろうじて生きているため、酸素の心配は無し。ただし火気厳禁、とにかく動かず救助を待て。
──この指示が出てから、現在、2日目。
「ふざけるな! 早く助けろぉお!」
「殺す気か! 何がヒーローだ!」
「助けて、早く助けてよぉ!」
状況報告の無線の後ろから身を乗り出して叫んだ数人の乗客を、車掌や、他の乗客たちが取り押さえる。無線から、《──すまない。全力を尽くす》と沈痛な声が聞こえ、無線が途切れた。
ガブリエラは、疲れきった乗客たちを見回した。
確かに酸素はなんとか問題ないようだが、密室に閉じ込められていることによるストレスに加え、夏に差し掛かった季節の暑さ、それによる不衛生、また何より空腹で倍増し、そろそろ誰かが限界を迎えてもおかしくない頃だった。
事故は、未曾有の、という枕詞がふさわしいもので、未だどこをどうすればガブリエラたちを救助できるのかの目処がつかないらしい。
定期的に無線で現状報告は来るし、ヒーローたちも毎度全員が言葉をかけてくれるが、今のところ進展はあまりない。それどころか、落盤を起こした瓦礫が少しずつ崩れているのだろうか、無線の音声がだんだん悪くなっている。こちらから繋ごうとすると、繋がらない時も出てきていた。
そしてそうなれば、唯一なんとかなっている酸素も、もう望めないかもしれない。
「……車掌さん。こういう時、救助にはどのぐらいかかるものでしょうか」
ガブリエラは、車掌の男性に向き直った。最後部にいた彼は盛大に割れたガラスで首に大怪我をしており、発見された時はスプラッタもいいところだったがなんとか息があったため、ガブリエラの能力ですっかり良くなり、皆に指示を与えている。
といっても噴き出した血がそのままなので、暗闇の中で見ると血まみれのままキビキビと動いているのが、かなり不気味なのであるが。
「正直、まったくわかりません。規模から言って、かつてない大事故ですから」
「もっと日数がかかる可能性は……」
「……あります」
言いにくそうに、そして苦渋の表情で、彼は言った。
「……そうですか」
ガブリエラは、乗客たちを見回した。
「乗客が少ない時間帯でよかったです」
「確かに、ラッシュでしたらもっと最悪な事になっていたでしょうが……」
「あの、少し相談に乗っていただいてもいいですか」
突然言ったガブリエラに車掌は目を丸くしたが、すぐに力強い様子で「何でも言ってください」と頷いた。
「ありがとうございます」
いい人だな、とガブリエラは彼の人の良さを感じる。吹き出して生乾きになった彼の血のにおいが、不快ではないほどに。
車掌と準備を終えたガブリエラは、今度はふたりで運転手に話しかけた。
「申し訳ありませんが、皆さんをこちらに集めてください。説明したいことがあります」
「わかりました」
車掌と運転手が、乗客に声をかけはじめる。明らかにあのままだと死んでいた怪我を治してもらった車掌、そして乗客たちを全員治したガブリエラを見ていた運転手は、ガブリエラに対して非常に協力的になってくれていた。
そして彼らが声をかけ、先頭車両にぎゅうぎゅうになるくらいの乗客たちが集まった。
「無線をつなげてください。まとめて説明します」
「はい」
言われた通り、車掌が無線をつける。何度か途切れながらも本部に繋がったことを確認してから、ガブリエラは声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いて聞いてください」
一見、男か女かわからないガブリエラだが、話せばすぐに男性ではない、と確信できる。それほどに彼女の声は可憐で、しかし女性らしいというよりは、声変わり前の少年のような中性的な声色だった。少年合唱団の歌声を思わせる美しい声は、ステンドグラスから差し込む朝日の光にも似ていた。
そしてそんな声に、何人かがはっとしたように顔を上げる。
「まず、みなさんは必ず助かります。レスキュー、そしてヒーローが全員、全力を尽くしてくれているからです」
ガブリエラの言葉に、乗客たちは無反応だ。皆疲れきった不安な顔で、もしくはイライラした顔で、ガブリエラのほうを向いている。
「──しかし、それまで数日かかる可能性があります」
はっきりとしたガブリエラの言葉に、ある者は怒りを露わにし、ある者は嘆き、ある者は絶望して俯ききってしまった。しかし、彼女は続ける。
「皆さんが最も心配しているのは、食べ物と水の心配でしょう。しかし安心してください」
ガブリエラは、まっすぐに言った。
「私の能力は、カロリーを使って怪我を治すことです。そしてそれは、疲労回復などにも応用できます。──つまり、皆さんを均等に回復させ、救助まで健康を維持させることができます」
「本当か!」
乗客のひとりが声を上げると同時に、全員の、もはや殺気にも似た期待による熱気が、ガブリエラひとりに叩きつけられる。しかしガブリエラは怯まず、全員を見返す。その灰色の目には、迷いも、恐れも、ひと欠片も存在していなかった。
「私はこれから、病院に慰問に行くところでした。そのために、大量のカロリーバーがあります。これをエネルギー源にして、私の能力を皆さんに均等に使います」
「その食料を、皆で分ければいいんじゃないのか?」
暗に、お前がひとりで食料を独り占めしようとしているのではないのか、と言われていることは、ガブリエラにもわかる。疑心暗鬼になった暗い目を、ガブリエラは見返した。
「ただ空腹を満たすだけなら、それでもいいかもしれません。しかしこの密室で、誰か体調を崩したら、どうしますか? 私の能力を使って、空腹を満たすのではなく健康を維持すれば、それは起こりません」
それなりに説得力のある説明と思われたのか、疑心が困惑くらいに変化していく。そこで、ガブリエラは畳み掛けた。
「習慣的なもので空腹は感じるでしょうが、──ええと、そう。ちょっとハードなダイエットだと思って。大丈夫です、ちゃんと病院や研究施設で実験は行っています。そうでなければ、ヒーロー許可証は得られません」
少し茶化しながら言ったのは、この説明、スピーチの台本を考えてくれた車掌の提案だ。ガブリエラは頭が悪く、長い文章を考えるのが非常に不得手なので、彼に協力を頼んだのだ。
学生時代にスピーチコンテストで3位をとったこともあるという車掌は、ガブリエラの言いたいことを的確に汲み取った上で、極限状態の人々をむやみに刺激しない言葉を使った、わかりやすい台本を考えてくれた。
しかし、言っていることは本当だ。二部リーグといえどヒーローとして活動するには、完璧に能力を制御し暴走させないこと、また能力自体に安全性が伴うこと、そしてどのような活用法ができるのかを徹底的に調べつくされ、証明を行い、いくつもの機関から認証されないと許可証が与えられない。
NEXT能力を使って活動するというのは、そういうことなのだ。そしてそのことは、マーベリックが現役だった頃、NEXT差別をなくすためにさんざんメディアで紹介され、現在のシュテルンビルトでは、もはや常識と言っていい認識になっている。
「では、実際にやりましょう。皆さん、隣の人と手を繋いでください」
ガブリエラの指示に、皆、おずおずと従う。見知らぬ他人と手を繋ぎ、結局2両分のスペースを使って、人々はひとつの輪になった。
車掌が考えてくれたスピーチの台本は、先程の言葉で最後だ。しかし、ガブリエラには仕上げを自分が担うことに自信があった。
「いいですか? 手を繋ぎましたか? 輪から外れている人はいませんか?」
ガブリエラは声を上げ、何度も確認してから、最後に、自分も輪に加わった。
──青白い光が、ガブリエラから、ホワイトアンジェラから放たれる。
そしてその光は、彼女と手を繋いだ車掌、運転手、そして怪我を治した人々、泣き喚いていた子供、苛々して座席を蹴り飛ばしていた男やパニックを起こしていた女性、ガブリエラをずっと疑いの目で見ていた男性、全ての人が繋いだ手を伝って、漏れ無く広がっていく。
青白い光は闇を照らし、数秒、全員が、それぞれの顔をきちんと見ることができた。
皆が驚いて目を見開くうち光はおさまり、また闇が戻る。しかしその時、先程まで爆発しそうだった不満や不安が、一気に和らいでいた。
「あ、あ、すごい……」
「お腹痛いの、なおった!」
「さっきまで、すごく頭が痛かったのに……」
「私は、胃が……」
あきらかに軽くなった声が、車両中から聞こえる。
ガブリエラは、僅かに微笑んだ。そして、少しくらくらするのを感じなかったことにして立ち上がり、声を張り上げる。
「このように。……皆さんが隣の人と手を繋ぎさえしてくれれば、私たちは助かるのです。誰かを犠牲にする事無く、皆、助かる。協力してください。私はそのために、全力を尽くします」
鈴を鳴らすような声に反論する者は、もはや誰もいなかった。それを確認したガブリエラは、無線のマイクを掴んで言った。
「……この通り、大丈夫です、ヒーロー」
まったく本当に、ラッシュでないのが救いだった、とガブリエラは思う。そうでなければ、とても大丈夫などとはいえなかった。
《──天使ちゃん。あなた、本当に凄いわ》
無線越しのざらついた音でも、ファイヤーエンブレムの声が震えているのが、誰の耳にもよくわかった。
「女神様にそう言って頂けるなんて、光栄です。……しかし、永遠には保ちません。ですので……」
《必ず、……必ず助けるわ! だからお願い、──アンジェラ!》
「もちろんです。私も、……私だって、ヒーローですので」
ふふ、とガブリエラは笑ってやった。
どこかで瓦礫がひとつ崩れる音がする。ヒーローたちの声が、ノイズにかき消されて途切れた。さて正念場だ。ガブリエラは闇の中に佇んだ。
人間が健康を保てる基礎代謝は、1日約1000キロカロリー前後。少なく見積もっても800。バックパックに詰められた、1本600キロカロリーのカロリーバーは何本あるだろうか。この中に、食料を持っている人はいるだろうか。持っていたとして、それを自分に提供してくれるだろうか。
──乗客は、92人。
全員、救わねばならない。
たとえ、自分の身を削っても。
(私には、その力がある)
──それはとても良いことで、何よりも尊いこと。
──何より、自分がそうしたいのだから。