#005
 何がなんだかわからないが、憧れの女神様に言われるがまま、ガブリエラはその足でヘリオスエナジーにやって来た。

 ヘリオスエナジーのビル近くのコインパーキングにバイクを停めてから、ガブリエラは自分がきちんとした格好でないことを思い出した。具体的には、古着屋で買ったサイズの合っていないぶかぶかのダメージジーンズに、履き古したブーツ。上は毒々しい絵柄のバンドTシャツに、外に出る時はいつもフードをかぶって着ている、頑丈さだけが取り柄の、暗い迷彩柄のこれまたオーバーサイズの上着。
 電話で今から来いと言われた時に伝えるべきだった、と後悔しながら、ガブリエラはおそるおそるロビーに向かう。
 案の定、貧乏くさいパンクロッカーのような格好のガブリエラは大企業のロビーでこれでもかと浮いたが、訓練された受付嬢は「お話は伺っております」とにこやかに対応し、最上階の応接室に通してくれた。

 ファイヤーエンブレムはまだ来ておらず、ガブリエラは、シンプルだが天井が高くて高級感溢れる応接室のソファに座らされた。ソファはガブリエラのベッドの数倍フカフカだった。
 そして少し迷いつつも、会社に入った時に「上役や客に会う時はちゃんと顔を出し、コートの類は脱ぐ」とシンディに教わったガブリエラは上着を脱いで、丸めて脇に置いた。

 無事に応接室に通してもらえたので、その度胸に見合ってあまり緊張しない質であるガブリエラは、高級ソファの座り心地や、ガラス張りの窓からの景色に感動しながら、出された紅茶をじっくり味わい、ファイヤーエンブレムの到着をわくわくと待った。

「ハァイ天使ちゃん、お久しぶり。……アラ、素は随分イメージが違うのね」

 間もなく女性をひとり伴って入室してきたのは、背が高く抜群にスタイルのいい、そしてそのスタイルにぴったりと沿う大胆なデザインの服を纏った男性だった。
 とはいっても、ひと目でただの“男性”ではない、とわかるが、それがまた素敵だ、とガブリエラは思った。

「……ファイヤーエンブレム?」
「そうよん。本名はネイサン・シーモア。一応秘密ね。こっちはアタシの秘書」
 たっぷりした睫毛を片方閉じて、ネイサンは強烈なウィンクをした。隣りにいた、褐色の肌に銀髪の女性が会釈をする。
(ああ、本当に、ファイヤーエンブレム)
 ノイズだらけのラジオから聞こえるこのひとの声に縋るようにして憧れて、ガブリエラはこの街にやってきた。
「会うのは2回目だけど、改めてよろしくね」
 差し出された黒い手を握って握手をした時、ファイヤーエンブレム、いやネイサンからふと流れてきた香りに、ガブリエラは改めて今自分が星の街シュテルンビルトにいること、本当にあのあこがれのヒーロー、女神様だと思っていた人が目の前にいるのだと実感し、言われるままに来てよかったと心から思った。

 突然の電話での呼び出しは、普通なら、何か騙されているのではないかと疑っておかしくないものだ。しかしガブリエラはファイヤーエンブレムというヒーローに、強い信用性を感じていた。

 ガブリエラには、特技がある。
 実際に会いさえすれば、その人物の本質がなんとなくわかるのだ。

 大別して、いい人、普通の人、おかしな人。

 また、これらの仕分けは“におい”で確定的になる。
 あくまでガブリエラの感覚だが、いい人は特別に快いにおいがし、普通の人は単なる体臭、おかしな人は不快だったり、変なにおいがする。少なくともガブリエラはそう感じており、自分のこの特別な嗅覚を頼りながら、自分が進む道を選んできた。
 そのおかげで、頭が悪いながらもガブリエラは今まで潰されることなく生き残ってこれたし、社内の最高権力者である社長や女性にいつも優しい態度の仕事ができると評判だった専務には近づかず、ヒステリー持ちで口やかましい、扱いづらい女と役員連中から陰口を叩かれていたシンディとばかり仲良くしていた。

 そしてファイヤーエンブレムは、今までの中でも“とびきり”だった。
 実際に会って言葉を交わし、近くでその香りを嗅いだ今、それはガブリエラの中で揺るぎない確信に変わっていた。どこか男性的にスモーキーでありつつも清潔な体臭と女性的な甘いソープの香りが混じり合い、都会的で洗練された化粧品や香水の香りがちょうどよく被さっている。
 そのにおいはガブリエラにとってうっとりするほど懐が深く、多大な安心感を呼び起こされるものだった。他に頼るものが何もない中で、やっと起こした小さな焚き火が周りの草を焼くにおいにホッとしたことをなんとなく思い出す。
 そんな彼女を実際に目の前にした今、女神がいるならこんな人だろう、とガブリエラは本気で思い、だからこそ、今また改めて彼女のファンになった。

「私の名前はガブリエラ・ホワイトです。今は特に秘密ではありません」
「本名も天使ちゃんなのねえ。素敵だわ」
「ありがとうございます。……あっ、か、髪の毛。同じですね。うれしいです」
「あら本当」

 ファイヤーエンブレムことネイサンは、幾何学的なデザインカットの、真っピンクの坊主頭──本当はもっとおしゃれな名前があるのだろうが、ガブリエラは知らない──をしていた。それは自分で刈り上げて丸坊主にしているガブリエラと確かに同じカテゴリの髪型で、大好きなヒーローが、素顔で自分と同じような髪型であったことが、ガブリエラにはとても嬉しかった。
「きれいな色です」
「ありがとう、ピンクは大好きな色なの。あなたも──」
「いらっしゃいました」

 その時社員がそう告げてきて、間もなくやってきたのは、女性がひとりと、男性がひとり。それで人が揃ったようで、彼らはローテーブルを挟んで向かいのソファに腰掛けた。
 ガブリエラを除いて女性陣が全員迫力のある美女なので、非常に威圧感がある。端で居心地悪そうにしている髭の男性の気持ちが、ガブリエラはよくわかった。

「あなたがホワイトアンジェラ? イメージと違うわ」

 そう言ったのは、新しくやってきた女性だ。緩くうねった、ブロンドというには濃い茶色の髪に、女性としてのメリハリがくっきりした抜群のプロポーション。それにしては、あまりにもビジネス的なスーツ。きつめの顔立ちを、きつい化粧で更に強調している。
「よく言われます」
「パンク好きなわけ?」
「特に好きなわけではありませんが、似合うものがこれしかありません」
 ガブリエラには、ファッションの好みというものがない。正直着られれば何でもいいのだが、鶏ガラのように痩せた身体は、安物のTシャツを着ると非常にみすぼらしくなった。「ヤク中にしか見えない」とはシンディの表現であるが、ガブリエラ自身もそう思う。
 かといって女性らしい格好はもっと似合わないし、何より金がかかる。その点、古着屋で買ったダメージジーンズに若い社員がくれる毒々しい絵柄のライブTシャツ、落ち窪み気味の隈のある目を黒く囲ったパンクロック・スタイルは、最もガブリエラに似合った。つまり、唯一“意図的にそうしている”風に見えたのだ。
 選ぶ基準がわかりやすいのもあって、ガブリエラの私服は皆こんな感じである。自分で着ているTシャツに描かれたバンドのうち、曲を聞いたことのあるバンドはひと組もいないのだが。
 ちなみに両耳合計7つのピアスに関しては、唯一、ガブリエラ個人の趣味である。

「変な子ね」

 随分はっきりとものを言う彼女は、“HERO TV”のプロデューサー、アニエス・ジュベールと名乗った。かなり慣れた動作で渡された名刺にも書いてあるその肩書に、ガブリエラは目を剥く。
「えっ。あなたが、アニエス・ジュベール?」
「アラ、知ってるの」
「もちろんです。二部リーグを作ってくださった人です」
 全く戦闘向きではないガブリエラの能力では、一部リーグは到底目指せない。
 NEXT能力があればヒーローになれる、と単純に考えてシュテルンビルトに来たはいいものの、七大企業所属ヒーローになるのは現在ほぼ不可能で、しかもガブリエラのような能力ではまったくあり得ないと知った時のガブリエラの落胆は、相当なものだった。しかしアカデミー在学中、アニエスが二部リーグというものを設立してくれたおかげで、ガブリエラはヒーローになるという夢を叶えることが出来たのだ。

「あの、あなたは、私の恩人です。ありがとうございます。あの、お会いできてうれしいです。握手をしていただいてもいいですか」
 お世辞ではなく感動した様子でガブリエラが手を差し出すと、アニエスは、割とまんざらでもない様子で握手に応じた。少しかさついた、しかし滑らかな女性の手が力強く自分の手を握ってくれたこと、そして彼女から香ったにおいもまたとてもいい香りだったことに、ガブリエラはつい笑みをこぼす。
 子供のように嬉しそうにしているガブリエラに、ネイサンが「良かったわねえ」と慈愛たっぷりにコメントした。
「俺は、ケイン・モリスだ。ディレクターをしてる。よろしくな」
 今度は、もじゃもじゃの髪に髭を生やした男性が、ガブリエラに丁寧に名刺を渡してくれた。ぱっと見た感じはいかついが、穏やかそうな人物である。気を使っているらしい制汗剤のにおいは埃っぽくて男性らしい体臭をいまいち隠しきれていない上、おそらくランチはカレーだったのだろうことが察せられる、僅かな香辛料のにおい。しかしそれが親しみやすさに繋がりこそすれ、不快さはまったくなかった。

「あなたの事は、ファイヤーエンブレムから聞いたわ。あなたの特集番組を作ろうと思うの」
「ええと、すみません。わけがわかりません」
 本題から切り出してくれるのは大変結構なのだが、猛スピードすぎてついていけない。ケインが苦笑している。
 ガブリエラが率直な反応をすると、アニエスはあまり気にしていないのか、さっさと続けた。

「アルバート・マーベリックの事は、さすがに知ってるわよね?」
「知っています」
 かつてのシュテルンビルトのメディア王であり、重犯罪者で、今は亡き人。
 ヒーローという存在を作り上げ、盛り上げ、そしてそのために八百長をし、色々な罪を犯した人。大ニュースであったし、ヒーロー関連とあってガブリエラも他人事ではないので、もちろんそれなりに詳しく知っている。
「あの事件のせいで、ヒーローへの信用は一旦地に堕ちたわ。イメージアップのためにいろいろしてるけど、以前のような絶対的なものはまだ取り戻せていない」
「そうなのですか? あまり感じませんが……」
 アニエスが言うことはメディアでもよく言われることなので、ガブリエラも聞いたことはある。しかし、ガブリエラはヒーロー活動をしていて、礼を言われたことしかない。能力目当てに無茶を迫られたことならあるが、ヒーローであるということで悪感情を向けられたことは殆ど無かった。

「そこが重要なのよ! そういうあなたがね!」

 濃い紫色に塗られた爪で、アニエスはガブリエラを指差した。
「ええと、どういうことでしょうか」
「今でこそ二部リーグなんて名前がついて──まあ私がつけたわけだけど──準ヒーロー的な扱いになってるけど、元々あなたたちはヒーローではないわ」
 本来ヒーローは、ヒーロー事業参入認可がある七大企業所属でなければならない。それ以外のヒーローは、あくまでその企業のマスコットキャラクター、つまり広報担当的な立場でしかなかったし、所属企業によっては、今でもその風潮はある。
 しかし、二部リーグという法的効力のある肩書がついたことで、できることは多くなり、かなり活動しやすくなったのだ。
「そんな二部リーグの中でも、あなたは大成功例、かつ特殊なの」
 アニエスは、明朗な滑舌で続けた。ケア・サポートのだらけた会議とは全く違う、きびきびとしていて、パワーにあふれたプレゼンである。

「二部リーグの一般的な認識は、はっきり言うと“ヒーローのなりそこない”。一部ヒーローほど強力な力を持たないNEXT。倒れたビルを支えられる一部リーグヒーローに対して、二部リーグは電柱を支えるのが精々、そういうイメージ。だからこそ地域密着型とか、日常生活の手伝いとか、そういうほっこりほのぼの路線で売ってるけど」
「『ぼくらのヒーロー』とかね。知ってる?」
「あっ、知っています。好きな番組です」
 ケインが口を挟んでくれたので、ガブリエラは頷いた。『ぼくらのヒーロー』とは、元は深夜番組のいちコーナーだ。狭いコミュニティなど限定で活躍する、それこそご当地ヒーロー的な存在を毎週ひとりずつ紹介するコーナーである。
 その地域に住むお年寄りや子供たちから信頼を得ている愛されヒーロー、突っ込みどころ満載なネタヒーローなどが紹介される。

「それよ。でもあなたは、二部リーグとしても異質だわ」
「えーっと」
「犯罪が起こらないようにパトロールするとか、起きた事件の犯人を追いかけるヒーローはいくらでもいる。でも、傷ついた一般人を治して回ってるなんてヒーローは、あなた以外にはいないわ」
「え、いないのですか」
「いないわよ。知らなかったの?」
 これにはアニエスだけでなく、ネイサンらも驚いたようだった。しかしガブリエラは、もっと驚いている。
「二部リーグは、とても数が多いです。ですので何人かは、私と似たような能力のヒーローもいらっしゃるのでは」
「いないわ」
「いないのですか……」
 はあ、と返すガブリエラは、まだ驚きが抜けない様子である。
「しかし、アカデミーには回復系のNEXTもたくさんいました。視力を一時的に良くするとか……」
「そういう能力持ちは、普通最初からヒーローを志さないわ。回復系はだいたい、エステとかマッサージ店とかへの就職が多いわね」
「はい、そうですね」
 だからこそ、ガブリエラもアカデミー時代はマッサージ店で働いていたのだ。
 だがそういえば、虎徹やバーナビーも自分のようなヒーローは初めて知ったととても驚いていたな、とガブリエラは思い出す。一時期二部リーグにいた彼らが知らないのなら本当にいないのだろう、と彼女は何とか頷いた。
 他の二部リーグヒーローがSNSやブログなどで横の繋がりを持つ中、そういうものを全くやっていないガブリエラは同僚であるはずの彼らの情報に非常に疎い。その上、単純に頭が悪く目の前で起こっていることを処理するので精一杯、文字情報も苦手なため、はっきり言えば情報弱者になりやすい質だった。

「念のため聞くけど、あなた自分がどう呼ばれてるか知ってるの?」
 不思議そうに首を傾げているガブリエラに、アニエスは怪訝そうに尋ねる。
「正式名称はホワイトアンジェラですが、アンジェラと呼ばれることもあります。小さい子はわんわんとか……」
「そういうことじゃないわよ。すっとぼけた子ね!」
 怒られたので、ガブリエラはなんとなく姿勢を正した。ケインが「まあまあ」と諌めているが、ガブリエラは別段不快には思わず、ただめらめらと燃えるアニエスの緑の目をきれいだと思った。

「──癒やしの天使、聖人、聖女。私たちの本当のヒーロー」
「え?」
「その様子だと、知らなかったのね」
 アニエスは、完璧に整えられた片眉を上げた。
「あなたのことを調べるのに、これまであなたに助けられたことのある人たちの声を拾ったわ。全員があなたに深く感謝していて、これでもかと絶賛してた。ぶっちゃけここまで完全無欠に好印象のヒーローなんて、スカイハイぐらいよ」
「すかいはい」
 キング・オブ・ヒーローの名前を出されて、ガブリエラは恐れ多いと思うほど頭が回らず、ただぽかんとした。
「事実よ」
 アニエスは、はっきりと言った。ガブリエラは、まだぽかんとしている。痩せて薄い唇が、間抜けに開いていた。
 ちなみに、SNSもブログもやらないガブリエラは、エゴサーチをしたこともない。シンディが時々やってくれてはいたが、彼女の仕事量が多すぎて頻繁ではなかったし、そもそも彼女自身がそこまでネットに強くなかった。逆に、実際に足を使って顔を見せる営業が得意で、だからこそ顧客を掴んでいたということもあるが。

「常々、私は二部リーグがどうにかならないものかと頭を悩ませていたのよ」
 私がいちからプロデュースして立ち上げたわけだし、とアニエスは続ける。
「でも、大々的に売ろうにも、セールスポイントが地味すぎてどうにもならない。ほそぼそ、こまごま、ほのぼの路線で紹介していくしかない。そしてその時は好印象でも、翌日にはすっかり忘れられてしまう」
 それは、確かだった。何とか理解が追いついていることを示すために、ガブリエラは頷く。

「これは、チャンスよ」

 アニエスは、たっぷり溜めを作って言った。
「あなたにとっても、私にとっても。そして二部リーグにとっても、HERO TVにとっても」
「えーっと」
 話が大きくなりすぎて、ガブリエラはまたついていけなくなってきた。しかしアニエスは構わず、バンとローテーブルを叩いた。

「つまりね、二部リーグは実力こそちょっと頼りないけど、清廉潔白なイメージはかなり強いわけだよ」

 ケインが補足した。
 二部リーグヒーローは彼が言う通り実力が頼りなく、それに伴って雇うメリットが見出されず就職難に陥りやすく、やっと勤め先が見つかっても給与は低い。
 しかしそれでも二部リーグヒーローになろうとする人間とはすなわち、給料や人気そっちのけでとにかくヒーローになりたい、街の平和を守りたい、人々や街に貢献したいという真面目で正義感の強い人材ばかりだということなのだ。そして新しい存在であるが故に、アルバート・マーベリックが一切関わっていないヒーローでもある。更にその活動内容から地域密着型で市民との距離が非常に近い彼らは、その誠実さと潔白ぶりにおいてはこれ以上ない存在なのだ。
『ぼくらのヒーロー』も、毎回二部リーグヒーローたちのその善良さが存分にアピールされる内容になっており、「癒やされる」「応援したい気持ちになる」と深夜時代からじわじわとファンが増え、二部リーグという存在が正式に認可されると同時に、最近同じ放送番組のゴールデン枠コーナーに移動した。

「つまり! 戦えないけど人を癒やす健気なヒーローをドラマティックに紹介することで、ヒーロー全体をイメージアップ! 二部リーグは地味でいまいち頼りにならないというイメージも払拭! 『ぼくらのヒーロー』で堅実に積み上げてきたニッチな人気をここで爆発! 視聴率ゲット! イケイケの派手な攻めの題材しか取り扱えないという、私の評価もうなぎ登り!」

 アニエスは、非常に熱っぽく、というよりは激しく言った。本当にパワーにあふれた人だな、とガブリエラは無言でこくこくうなずきながら感心する。

「そういうわけだから、次の『ぼくらのヒーロー』は拡大版として、あなたひとりに30分使うわ」
「あらアニエス、思い切ったわね」
 ネイサンが、ひゅう、と口笛を吹いた。いつもの『ぼくらのヒーロー』はヒーロー関連の情報番組のいちコーナーでしかなく、深夜枠の頃は10分、ゴールデン枠になってからは15分が割り振られている。アニエスはその枠を倍にし、しかもホワイトアンジェラひとりに使おうというのだ。
「このネタはでかいわ。私の直感がそう告げてるの」
 自信たっぷりに、アニエスはネイサンに笑い返した。

「それに、成功すれば、またあなたをヒーローにしてくれる企業も名乗り出てくれるかもしれないわよ? 何ならスポンサーもつくかもね」

 まっすぐに見てくるアニエスの緑の目を、ガブリエラもまた、まっすぐに見返した。
 ガブリエラは学もなく、機転も効かず、頭の悪い田舎者である。難しいプロジェクトの善し悪しなどわからないし、見知らぬ人々がどういう反応を起こすか予想できるような広い視野もない。自分ごときがむずかしいことを無理して考えてもいい考えは浮かんでこないことを、彼女はよく理解していた。
 だから、ガブリエラは物事ではなく、人を見る。頭が悪いぶんいくらか鋭いだろう直感、特別な嗅覚、人より良い耳や目。そういう極めて動物的な勘でもって、ガブリエラはそのひとを信じられるかを判断してきた。この人はいい人か、普通の人か、おかしな人ではないかどうか。

 クン、とガブリエラは小さく鼻を鳴らし、アニエスから漂う香りを吸い込む。女性らしい柔らかな体臭に被さる、目の覚めるようなスパイシーでフレッシュな香水の香り。それと同時に、ビジネス的なシャツに纏わりついていた車のガス、芳香剤や埃のにおい。働いている人、仕事のできる人、頼れる人のにおいだ、とガブリエラは思った。
 アニエスから感じるのは、強い信念。ネイサンが慈愛溢れる女神なら、彼女は戦女神のようだ。勝利を得るために手段は選ばない、苛烈で、しかし正義を愛する強い輝き。

「わかりました。いいお話だと思います。よろしくお願いします」

 ぼんやりとすっとぼけているようでいて、悩む素振りも見せず、考えさせてくださいとも言わず、ただ鼻を小さく鳴らしただけでこの場で答えを出して頭を下げたガブリエラに、皆が目を見開いた。アニエスもこれは意外だったのか、ばっちりメイクの決まった目元に驚愕の色がある。
「アラ、即断ね」
「ぼんやりしていたら、チャンスはなくなってしまいます」
「よくわかってるじゃない! 話の早い子は好きよ!」
 アニエスはご機嫌に大きく笑う。ガブリエラも好きと言ってもらえて嬉しかったので、笑い返した。だがその顔をまともに見ることもなく、「またすぐ連絡するわ!」と言ってひとりでずかずかと応接室を出て行ってしまったアニエスを、皆で呆気にとられて見送る。

「ちょっと、アニエスさーん! あー……、なんかスマンね」
「いいえ」
 申し訳無さそうに言ってくるケインに、ガブリエラは首を振った。
「悪い人じゃないんだよ」
「わかります」
「そう?」
「とても、いい人だと思います。私、ああいう方は好きです」
 本音だ。ガブリエラは、自分は頭が悪いのではっきり言ってくれる方が助かると思っているし、何よりこういうタイプは嘘をつかないし頼れる人間だということは、シンディで確証済みだからだ。

「そりゃ何より。でも本当に大丈夫? ちょっと忙しくなると思うけど」
「無職ですので問題ありません」
 ガブリエラは、はきはきと身もふたもないことを言った。
「人生は勢いと決断が大事です。チャンスが来たら噛みつかなければ」
「ガッツがあるねえ。いいことだよ。特にテレビの世界ではね」
 ケインは、感心した様子で何度か頷いた。

「いいお話を持ってきてくださって、ありがとうございます。頑張りますので、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたガブリエラに、ネイサンが「たくましい子ねえ」と、感心とも呆れともつかぬ声を出した。
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BY 餡子郎
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