#002
 特殊な能力を持った人間は、大昔から存在している。
 しかしその特異性から隠れたり隠されたり、また迫害などで淘汰されたりなどして、その存在はきちんと認識されていなかった。
 それが約50年ほど前、彼らは正式にNEXT(ネクスト)と名前をつけられ、実在する超能力者として世界中に認知された。

 その認知は良くも悪くもセンセーショナルなもので、今まで特別な能力を持つことで迫害や搾取に近い利用を恐れて隠れていた者たちが立場を得られたともいえるが、逆に恐れられ、差別意識を持つ者も珍しくはなかった。そのNEXT差別がどれだけのものかといえば、今まで社会問題であった人種差別やセクシャル・マイノリティに対する差別などが随分薄れたほどだ。皮肉なものである。

 だがそのNEXT差別問題に一石を投じることになったのが、“ヒーロー”である。

 弱きを助け強きを挫き、人々を助け街の平和を守るスーパーヒーローという存在。
 フィクション、ファンタジーの世界でしかありえなかったそれを、大都市・シュテルンビルトのメディア王とも呼ばれた、アポロンメディアのCEOであるアルバート・マーベリックが“職業”として作り上げた。彼はNEXTをヒーローとして雇うことで、現実のものとしたのである。

 Mr.レジェンドらのオールド・ヒーロー時代を経て、現在の彼らはスポンサー各社との契約下でNEXT能力を駆使して犯罪と戦い、所属企業から給料を貰うサラリーマンとして成り立った。
 更にその活躍はアポロンメディア直下のテレビ局であるOBCが専用番組『HERO TV』で中継され、所属企業の顔になるとともにコスチュームにはスポンサーのロゴを背負い、広告塔としての役目を担い、それと同時に芸能人としてメディアに出ることも段々と増えていった。

 生まれ持っての派手で見栄えのする、そして強力なNEXT能力を有し、身体能力が高く、ついでにテレビ映えがし、スポンサーアピールがしやすいようにキャッチーなキャラクター性や容姿の良さを求められるヒーローという職業は、スポーツ選手のカテゴリにも近いものとなった。
 NEXTであることで差別を受け、就職や住居に困る者が増える中、むしろ強力なNEXTでないとなれない堂々としたその姿は、大逆転で皆の憧れとなったのだ。
 その筆頭がオールド・ヒーローの中でも一番人気を誇ったMr.レジェンドであり、ヒーローという存在を一躍認めさせた代表的な存在として銅像が建てられ、現在はシュテルンビルトの観光名所にもなっている。

 またレジェンドの引退後、ヒーローの活躍はポイント制のリーグバトルとして昇華し、大ブームを巻き起こした。
 最も早く事件現場にたどり着いた時、市民を救助した時、犯人を確保した時などにそのヒーローにポイントが加算され、その年の「キングオブヒーロー(KOH)」の座を競うランキング争いは、シュテルンビルトだけでなく世界中から注目を集め、現在は各エリアでヒーローとそのリーグが設立されている。

 元祖ヒーローの街であるシュテルンビルトのリーグでは、ここ数年、風の魔術師ともいわれる風を操る能力のヒーロー・スカイハイが連続KOHを受賞している。しかしハンサムな顔立ちを隠さずデビューしたルーキーヒーロー、バーナビー・ブルックスJr.がその連勝を止めたこともあり、また個性豊かな他のヒーローたちにもそれぞれ強固なファンがつき、熱狂的な応援が止まない。

 しかし数年前、この華々しいヒーローたちを作り上げたアルバート・マーベリックが巨大犯罪組織ウロボロスをバックに持ち、また本人がNEXT能力者であり、しかも記憶を捏造し他人に植え付けるという、メディア業界では癌そのものの能力者であることが発覚。さらにMr.レジェンドが解決したとされる事件の多くがアルバート・マーベリックとその能力によるマッチポンプの“やらせ”だったことも明らかになった。
 それを暴いたのは、何も知らずにMr.レジェンドに憧れ、無粋なまでの真っ直ぐで混じりけのない正義感だけでヒーローを続けてきたロートルヒーロー・ワイルドタイガーと、アルバート・マーベリックに両親を殺され、そしてその記憶を改竄されたまま彼を育ての親として慕ってきたバーナビー・ブルックスJr.のバディ・ヒーロー、通称タイガー&バーナビーが中心となった現在のリーグヒーローたち。そしてそれを世界中の人々に放送したのが、アルバート・マーベリックが作り上げた『HERO TV』のプロデューサー、アニエス・ジュベールであった。

 この事件により、ヒーロー業界は大打撃を受けた。やはりNEXTは危険な存在であるという差別意識も盛り返したが、しかしその悪事を暴いたのもまたヒーローであること、そしてこれまで彼らが街の平和を守ってきたことも全くの嘘ばかりではないということを認める市民も多かった。
 結果として、ヒーローたちが作り上げた市民への信頼感と人気が彼ら自身を守ることとなり、現在もヒーローたちは活躍を続けている。



 ──と、このように波乱万丈でドラマティックな様相のヒーロー業界だが、ガブリエラはこの世界にほとんど関与していない。
 なぜならガブリエラ、彼女が扮する“ホワイトアンジェラ”は、二部リーグヒーローだからである。

 二部リーグヒーローは『HERO TV』のプロデューサー、アニエス・ジュベールが中心となって立ち上げられた存在で、彼女はこのことでアルバート・マーベリックに認められ、プロデューサーに就任したとされる。

 今までのヒーローは、時間限定ながらも普段の100倍の身体能力を発揮できるハンドレッドパワー、氷や炎や雷、風などの超自然的な力を自在に操るパワー、人の目のみならずどんな科学技術でも見破れない擬態能力、銃弾も弾く肉体硬化能力などの、見方を変えれば兵器転用もできるほどの強力な能力者でないとデビューできなかった。理由は簡単、テレビ映えしないからだ。
 しかし実際、NEXT能力は種類も程度も千差万別であり、ヒーローになれるような強力な能力者は一握りである。
 『汗を多く流す』『顔の皮膚を伸ばす』などといった奇人変人レベルのNEXT能力者であれば、差別もさほど多くなく、むしろ一般人に近い括りだ。
 厄介なのが、立派に超能力と言えるレベルの力であるが、スーパーヒーローには及ばない、というレベルのNEXT能力である。そして、この層の割合は少なくとも無視できないほどにはあり、そして最も差別や迫害を受けやすい層でもある。

 アニエス・ジュベールはこの層からやる気のある者をピックアップし、ヒーローにすることを提唱した。NEXT能力者の能力制御支援施設であり、ヒーロー養成所とも謳うヒーローアカデミーが全面的に協力することでそれは実現し、既存の七大企業所属のヒーローを一部リーグとし、二部リーグヒーローと名付けられた。

 二部リーグヒーローはその能力のレベルから、HERO TVで放送しない様な軽犯罪を担当することになっている。しかし一部リーグとは違い基本的にスポンサーロゴを身に付けておらず、ギャラも低い。ヒーローとして雇ってくれる会社を探すところから非常に難しいため、普通に一般職に就いたほうが簡単に高い給与を得られる。基本的にテレビに映ることが稀なので、人気どころか知名度を得るのも難しい。

 そしてガブリエラ扮する“ホワイトアンジェラ”は、そんな二部リーグヒーローの中でもかなり知名度の低い、しかし企業所属で、そこそこの給料を貰っているヒーローである。
 その理由は、彼女の持つNEXT能力による。






 バイクを飛ばして現場に到着したホワイトアンジェラは、まず救急車を探す。そこが彼女の仕事場になるからだ。
 現場近くであろう、煙が立ちのぼっているあたりに一応同期である二部リーグヒーロー、Ms.バイオレットの姿がちらちらと見えた。一部リーグヒーローであるタイガー&バーナビーを擁するアポロンメディア所属の、二部リーグの中では最も知名度の高い二部リーグヒーローのひとりだ。しかし、おそらく彼女はホワイトアンジェラのことを知らないだろう。
 テレビに写りにくい分、二部リーグヒーローの多くはSNSアカウントやブログなどを駆使して一般に存在をアピールしているし、それによって二部リーグヒーロー同士の繋がりも確立させている。しかしホワイトアンジェラはその類のものを一切やっていない上、本人も皆が追いかける犯人のところに行かないので、知られようがないのだ。

「ごめんください。怪我をした人はいませんか?」
「あっ、ホワイトアンジェラ!」
 空の担架を運んでいた医療スタッフに声をかけると、彼は喜ばしそうな笑顔を浮かべてすぐに対応してくれた。
 ホワイトアンジェラは同期の二部リーグにすら殆ど知られていない、一般知名度はゼロに近いヒーローだ。しかし、彼ら医療関係従事者にはかなり有名なのである。
「犯人は一部リーグヒーローが追ってるそうです。幸い亡くなった人はいませんが、人がドミノみたいに倒れて、怪我人が。あちらの建物の影に救急車が停まってるので、よろしくお願いします」
「わかりました。ありがとう」
 こくりと頷いたホワイトアンジェラは犬耳のついた頭巾のベールを翻して、言われた通りの方向に向かった。

「ホワイトアンジェラだ!」

 歓声を上げたのは怪我をした一般人たちでなく、救急車で駆けつけたのであろう、医療従事者たちだった。
「ホワイトアンジェラです。怪我をした人はいませんか?」
「子供から頼む!」
「こっちだ!」
 手を上げて呼ぶほうに小走りで近寄れば、脚の肉が擦りむけて大出血している上、傷口から骨が見えているという結構な大怪我をした、まだ10歳にもなっていなさそうな女の子が寝かされていた。ショック症状を起こしているのか蒼白になってぐったりとしており、側で母親らしき女性がパニック寸前になっている。
「骨は大丈夫ですか?」
「骨は異常ありません。ちょうど洗浄が終わったところなので、やってください!」
 医療スタッフの指示に素早く従い、ホワイトアンジェラは女の子の怪我に両手をかざした。ゴーグルの端から、そしてかざした手から、NEXT能力発動時の青白い光が漏れる。

「す、すごい……!」

 医療スタッフ、そして女の子の母親、さらにその周囲の人々も、彼女が行った行為を、まるで奇跡でも見るような目で見ていた。
 ──いや、実際、奇跡である。なぜならあれほどひどかった大怪我が、まるで時計の針を超高速で進めたように、あっという間に塞がってしまったからだ。
 それだけでなく、女の子の丸い頬にも明らかに赤みがさし、みるみる健康的な肌色になっていく。青白い光が収まる頃には、女の子はぱちくりした顔をして、怪我がなくなった自分の脚をきょとんと見つめていた。
「どうですか?」
「いたくない! ママ、いたくない!」
「ああ、神様……!」
 安堵で感極まった母親が、おいおいと泣き出す。ゴーグルの向こうで密かに目を細めたホワイトアンジェラは、ケア・サポートのマスコットキャラのイラストが入った除菌ウェットティッシュ──宣伝と営業を兼ねたアイテムである──を、女の子と母親、医療スタッフに渡すと、すっと立ち上がり、取り出したカロリーバーをかじった。

「私は怪我を治せるNEXT、ホワイトアンジェラです。怪我をした人はいませんか?」



『摂取カロリーを消費し、他人の怪我や疲労を回復できる』。
 これが、ガブリエラ・ホワイト、もといヒーローであるホワイトアンジェラのNEXT能力である。

 全く戦闘に向かない、というよりは関係のないこの能力は、彼女がまだ小さな子供だった頃に目覚めた。
 ガブリエラが生まれ育った場所は、誰も彼もが貧乏だった。まともな仕事は少なく、住人はギャングか貧乏人しかいない。物の流通も不自由で、車を使わないと辿りつけないスーパーには生鮮食品など皆無で、レトルト製品や冷凍食品、缶詰、もしくはお菓子ばかりが並んでいた。
 そしてそのラインナップの中で、もっとも安価なのは菓子類である。そのせいで、ガブリエラは貧困地域にありがちな、典型的な肥満児だった。
 だが能力が目覚めてからというもの、他者にカロリーを分け与えるガブリエラは、みるみる痩せた。あまり燃費の良い能力ではないため最低でも1日に3万キロカロリーは摂取する今でも、ミルクのおかげか背は170センチまで伸びたのに体重はあまり増えず、毎度の健康診断には必ず痩せ過ぎで引っかかる。

 教育が行き届かず、偏見による集団ヒステリーを起こしやすい貧困地帯で、NEXT能力者など異端中の異端である。
 幸いその能力は厭われるどころか中には拝んでくる老人などもいたが、やはりそうでない者もいる。だから彼女は自分の身が何かに巻き込まれる前に、ヒーローシステムを取り入れている最先端都市・シュテルンビルトに行くことにした。

 ──星の街のヒーロー。

 それに憧れ、陸の孤島とも言えるような場所から出てきたガブリエラは、名前さえ書ければ受かる試験を受けてHEROアカデミーに入学。各種援助をフル活用し、訓練を受けて、取れる資格は全て取って、なんとか卒業。
 NEXTだからこそできる仕事というのは、非常に少ない。むしろ世界規模でいうと、NEXTだからという偏見で雇ってもらえないことのほうが多いくらいだ。
 だからこそヒーローという職業を最初に確立させたシュテルンビルトは世界から注目されているのだが、ヒーローとしてやっていける能力というのは、かなり限定される。武器を持った犯罪者とやりあうことが出来、更に拘束や戦意喪失させることができるまでの圧倒的な力が、一部リーグヒーローに求められているものだ。

 その点この能力は、本来全くヒーロー向きではない。
 だから彼女は、二部リーグを目指した。そしてサポート役としては非常に有用な能力を有したガブリエラは、高カロリーの栄養バーをたらふく経費で落としてくれる、株式会社ケア・サポートお抱えの二部リーグヒーロー・ホワイトアンジェラとしてデビューしたのである。

 二部リーグであるという時点でテレビに映ることは滅多になく、犯人を追ったり体を張って事故を食い止めることもしないホワイトアンジェラの一般知名度は最低、というよりも、ない。
 しかしどんな怪我でもたちまち治し、衰弱という通常どうしようもない症状を即解決。しかも副作用が全く無いというこの能力は、現場でたいへんありがたがられた。
 特に医療従事者にとっては、喉から手が出るほど欲しい能力である。病院関係やレスキューに関わる人々にホワイトアンジェラは一気に知れ渡り、そして感謝され、受け入れられた。
 ホワイトアンジェラの会社なら、と大きな病院の売店が商品を卸してくれたり、レスキュー隊員のおやつとして定期的にカロリーバーを仕入れてくれたりといったことも多くあったし、また助けた一般人がそこそこ大きな会社の代表者で、治療の後に配ったウェットティッシュに書いてある連絡先に連絡してくれたこともある。
 つまりホワイトアンジェラは、一般的な知名度は皆無であるが、ごく一部の隙間産業ヒーローとしてはなかなかに成功している存在なのだった。



「ありがとう、ホワイトアンジェラ!」
「今回も助かった!」
「はい。お役に立てて何よりです」
 医療スタッフたちが満面の笑みで礼を告げてくるのに、微笑を浮かべて静かに返す。救急車に乗っているのは、念のための検査が必要な患者だけ。緊急を要する重傷患者は、ゼロ。間違いなくホワイトアンジェラの功績である。
 感謝を露わにしてくる人々に対し、ぼんやりした質のガブリエラはさほど気の利いた台詞は言えない。しかし、医療スタッフたちや元怪我人たちが、元気になった喜びで皆笑顔になっていることは、ガブリエラにとって間違いなく喜びを感じることだった。

「わんわん!」

 ホワイトアンジェラ──正しくはそのベールについた耳を指差してそう言ったのは、最初に怪我を治した幼い女の子だった。すっかり落ち着いて笑みを浮かべている母親と、手を繋いでいる。
「アンジェラ、わんわん?」
 女の子は、肩から下げた鞄にぶら下がっている小さいぬいぐるみストラップを見ながら言った。マスコットキャラクターのマッチョ君だ。狼犬の頭をしたキャラなので、ホワイトアンジェラも猫ではないと理解してくれたらしい。実際、猫にしては縦に細長い耳である。
「はい、わんわんです」
「わんわん!」
 思った通りだったのが嬉しかったのか、女の子はぴょんと跳ねて笑った。

「ねえ、あなたのグッズやヒーローカードはないの?」
 母親のほうが、穏やかに訪ねてきた。女の子のきらきらした目がくすぐったい。
「ストラップならあります。マッチョ君のグッズでしたらぬいぐるみや下敷きも……」
「いえ、マッチョ君はちょっと」
 ホワイトアンジェラが示したマッチョ君のマスコットから、女性は苦笑しながら目を逸らした。無理もない。マスコットのマッチョ君はいまいち顔が可愛くない上、二頭身のくせにビキニパンツを履き、ボディビルのポージングをきめている。

 マッチョ君はケア・サポートの社長がデザインしたキャラクターなのだが、彼の意向で、そのグッズは種類も在庫もやたらにある。
 元ボディビルダーの社長は痩せっぽちで貧弱な体型のホワイトアンジェラを気に入っておらず、グッズを作ることにあまり乗り気ではない。そしてその分、自らが生み出したマッチョ君に執着している。
 そのせいで、入社した頃は今のコスチュームもなく、ホワイトアンジェラはマッチョ君の着ぐるみを着てヒーロー活動をしていたくらいだ。
 着ぐるみでは熱中症になってしまうということ、生地が分厚くて能力が使いにくいことをシンディと一緒に訴え、最終的にマッチョ君由来の耳と尻尾もどきをつけたデザインをプレゼンすることで、どうにか今のコスチュームをコスプレ衣装専門の業者に発注することを許してもらえたのだ。ワンマンの中小企業では、とにかく社長の機嫌を取らないと何もできないのである。

「じゃあその、あなたのストラップはどこで買えるのかしら」
「会社のホームページで、ネット通販をしています。URLは、先ほどのウェットティッシュに書いてあります」
 買ってくれるのは彼女たちのような怪我を治した人々や、ホワイトアンジェラが力を貸した医療従事者たちである。何度か在庫がなくなって発注し直しているのでもっとたくさん作っておきたいのだが、マッチョ君の不良在庫を抱えた社長の機嫌が悪くなるので、シンディがこっそり小ロット発注を繰り返している。
「お店には置いてない?」
「私は、まったく有名ではありませんので……」
「そうなの? 残念ね」
 彼女は、リップサービスではなく、本当に残念そうに言った。

「でも、……ヒーローは色々いるけど、あなたみたいな人こそ本当に必要な存在だと思うわ。テレビには映らないのかもしれないけど、これからも頑張ってね。私達も応援するから」
「……ありがとうございます」
 怪我を治した人からちょくちょく言われる言葉だが、嬉しい。足元がふわふわと浮き立つようだ。単に、カロリーを使い果たしてフラフラしているのもあるだろうが。

 今日は本当にありがとう、と再度礼を言ってくれた母子に手を振って別れを告げ、ホワイトアンジェラはまたカロリーバーをかじりつつ、バイクを停めてある場所に踵を返した。



「大丈夫? ちゃんと診てもらったほうがいいよ」
「だ、大丈夫! 多分! 1日ぐらい何とか……!」
「ダメよ、悪化して大事になったらどうするの。……医療スタッフはどこ?」

 解決したとはいえ騒がしい事件現場で聞こえたのは、しょんぼりとしたふたつの可愛らしい声と、何やら特徴的な──男か女かよくわからない、しかし魅力的な声だった。
 誰だろう、とは思わなかった。なぜならガブリエラの耳と目に入ったその声と姿は、この町で何よりも有名なものだったからだ。

 アイドルでもあるブルーローズ、そしてドラゴンキッド、ファイヤーエンブレム。このシュテルンビルトが誇る、一部リーグのスーパーヒーロー。

「ほ、本物。本物の、ファイヤーエンブレム……!」
 ガブリエラは、思わずわななきながらつぶやいた。
 自分も一応同じヒーローではあるのだが、二部である上、実質やっていることは裏方スタッフであるホワイトアンジェラにとって、同じ現場で働いているにもかかわらず、彼らはずっとテレビの中の存在だった。

 特にファイヤーエンブレムは、ホワイトアンジェラ、ガブリエラにとって特別だ。
 故郷にいた頃にヒーローに憧れてヒーローを目指したガブリエラだが、その筆頭がファイヤーエンブレムなのである。男でも女でもなく、強いのに優しくて、華やかで色っぽさもあるこのヒーローが、ガブリエラは大好きだった。だからこそヘリオスエナジーのエネルギースタンドのスタンプをコツコツ集めて、キャンペーンで貰えるアイテムは全て手に入れている。
 憧れのヒーローを間近に、胸がどきどきする。しかしホワイトアンジェラもまたヒーローである。少なくとも何千マイルも離れた陸の孤島から出てきてその立場を勝ち取った程度には、ガブリエラにもヒーローとしての矜持があった。
 だからこそ、怪我人を見るとその程度をチェックしてしまう職業病でもって、ガブリエラは、ホワイトアンジェラとしてほとんど反射的に彼女たちを観察した。

 ブルーローズが片方のブーツを脱いで、折りたたみ椅子に座り込んでいる。
 おそらく、捻挫でもしたのだろう。連日ステージに立つ彼女にとっては、死活問題なのかもしれない。

 ──困っている人を助けなさい。
 ──それはとても良いことで、何よりも尊いこと。


 幼い頃から繰り返し聞かされたそのとおりに、ホワイトアンジェラは足を踏み出す。
 カロリーはほとんど尽きているが、捻挫くらいなら問題ない。そしてもし問題があっても、困っている人は助けるのが正しいのだ。

「あの……」
「えっ?」
「捻挫ですか? 治しましょう。見せてください」
 突然現れた白尽くめの女に、3人は驚いたようだった。
「あら? あなた二部リーグ?」
 ファイヤーエンブレムが、頬に手を当てた女性らしい仕草でそう返してきた。筋肉のラインがくっきりと見えるコスチュームなのに、不思議と男性っぽさはない。むしろ、性別を超えた美しさがある。羽織ったマントが炎のように揺らめいて、キラキラしていた。
 そのオーラに、さすがファイヤーエンブレムだとホワイトアンジェラは感動して、どきどきするのをこらえながら、彼──彼女に情けないところを見せないように、なるべくしっかりと口を利いた。

「はい。怪我を治すことができる能力ですので、後方支援をしています」
「へええ! そんな二部リーグもいるんだ! 知らなかった!」
「あたしも……」
 二部リーグ、しかも戦わないヒーローの知名度など、普通はこんなものである。ホワイトアンジェラは特に気を害した様子も見せず、静かに、そしてなるべく自然に──患者に近づくときの足取りで、ブルーローズの前に立った。
「え、ちょっ……」
「失礼します」
 天下のスーパーアイドル・ブルーローズの治療など、軽々しく名乗り出てするべきものではない──という考えに至るほど、ガブリエラは頭が良くない。ただ困っている人は助けるべきである、怪我は片端から治す、ということだけが、彼女を動かしていた。
 当たり前のようにブルーローズの足元にしゃがみ、足首付近に触れる。明らかに腫れて熱を持っているそこに、能力を発動させた。

「……え、ええ!? え、すごい! 治った!」
「ええ? 本当に?」
「ほら、全然腫れてないし!!」
 興奮気味のブルーローズが言うとおり、彼女の足首の腫れはまったくなくなっていた。彼女はストレッチするように細い足首をぐいぐいと回したが、全く問題なさそうである。
「すごーい!」
「本当……これは凄いわ」
 ドラゴンキッドが、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。ファイヤーエンブレムも、しげしげとブルーローズの様子を見て感心していた。その反応、そして憧れのファイヤーエンブレムに褒められたということに、ホワイトアンジェラは内心嬉しさで一杯になる。
「問題ないとは思いますが、念のためきちんとお医者様に診て頂いてください」
 立ち上がりながら、アンジェラが言う。
「わかった! あー、助かったー! 明日ステージなのよ! ほんっとにありがとう! 助かったわ!」
「いえ」
 ホワイトアンジェラは、熱量のない返事をした。それはホワイトアンジェラの元々の性格ゆえでもあるが、ブルーローズがホワイトアンジェラの手を握り、満面の笑みでぶんぶんと振ったので驚いたからである。
「あっ……。あ、ええ、本当に助かったわ。今度お礼をするわね」
 しかし彼女は2秒くらいしてから、はっとしたような仕草で慌ててホワイトアンジェラの手を離し、コホンと咳払いをして、クールに言い直した。

(かわいい)

 あといいにおいがする。と、ホワイトアンジェラはやや夢見心地の中でそう思った。
 事件のために動き回ったあとなので、ブルーローズのこめかみのあたりの生え際に汗が溜まっている。しかし手を握られるほどに近くに寄っても、ミントのような、爽やかでどこかフローラルな香りがした。
 クールな女王様キャラのはずであり、スーパーアイドルでもある彼女だが、素はかわいらしい女の子。元々ブルーローズのことはいちファンとして好きだったが、ホワイトアンジェラはこの時、彼女に更なる、しかも大きな好感を持った。
「いいえ、気にしないでください。──あ、いえ。よろしければ今後、私どもの会社をご贔屓に」
「思い出したような営業だわねえ」
 丸覚えしている文句をそのままという様子で言い、さっと名刺代わりのウェットティッシュを取り出すホワイトアンジェラに、ファイヤーエンブレムは呆れとも感心ともつかぬ声を出した。
「あら、手が汚れたところだったのよ。助かるわ。……株式会社ケア・サポート?」
「ビタミン剤や各種サプリ、一般用医薬品、栄養バーやダイエット食品の流通を取り扱っています。オフィスに置く、お菓子ボックスの月極契約などもいたします」
「へえ」
「お菓子!」
 ドラゴンキッドが目を輝かせたので、ホワイトアンジェラは自分のカロリーバーをひとつ取り出し、ドラゴンキッドに渡した。ドラゴンキッドは「わーい! ありがとー!」と言い、満面の笑みでそれを食べ始める。
「きなこ味だ! ボクこれ好き!」
「新製品です」
 ほっぺたを膨らませて幸せそうなドラゴンキッドに、ホワイトアンジェラはついもうひとつバーを渡したくなる手を止めた。よくわからないが、彼女には食べ物を与えたくなる何かがあるようだ。

「ふうん、初めて知ったわ。はい、アタシの名刺もあげる」
「……あ、ありがとうございます」
 憧れのファイヤーエンブレム。そしてあの超大企業、ヘリオスエナジーオーナーの名刺である。ホワイトアンジェラは、震えそうになる両手で恭しくそれを受け取った。

「あの、では、失礼いたします」
「今日はありがとう」
「おいしかったー! ありがとー!」
「じゃあねン」
 手を振ってくれる彼女たちに頭を下げて、ホワイトアンジェラはバイクに跨り、帰社した。



 カロリー不足でフラフラだったがなんとか戻ってこれたガブリエラは、たくさんの人を助けたこと、マッチョ君のウェットティッシュを配り尽くしたこと、ネットでのグッズ通販の注文が複数来ていることをシンディに非常に褒められた。
 そして一部リーグヒーローに会ったというのになぜサインをもらってこなかったのかと彼女たちのファンである社員らに泣き付かれ、そういえばそうだと自分でも残念に思った。やはり自分はどうもぼんやりしているところがあるので、気をつけよう、とも。
 ちなみに、ブルーローズに手を握られた上にとてもいいにおいがしたことを話すと、彼女のファンである社員はその場で蹲るほどに羨ましがった。

 ──今日は、いい日だった。

 安アパートに戻ったガブリエラは、帰りに買ってきたバーガー5つとポテトのXLをふたつと、ダイエットタイプではないコーラを胃にぶち込む。そしてシャワーを浴びた後にミルクをゆったり飲みながら、ファイヤーエンブレムの名刺を宝物のように眺めて、丁寧にファイルに仕舞った。
 歯を磨いて電気を消し、目覚ましをセットしてベッドに入れば、ガブリエラの一日は終了である。

(次会う時は、サイン……)

 もう会うことはないかもしれないが、今回の印象は悪くないはずだ。3人とも気さくでとても良い人だったので、頼めばしてくれるだろうか、とガブリエラは期待しつつ、ふわふわと浮足立った気持ちで眠りについた。
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BY 餡子郎
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