#001
 どうすれば、星に行ける?

 ──善行を積み、愛を捧げるのです。
 ──愛をもって待てば、きっと天使が現れます。
 ──天使様を信じて着いて行けば、私たちは輝く星に到れましょう。


 母が言う。

 星の街を目指し、歩き続ける。天使の名前をつけられた、黒い馬に乗って。
 堕天使かもしれない名前の馬。
 道の途中で彼を失ったら、どうすればいい?

 ──困っている人を助けなさい。愛をもってです。
 ──たとえ自分の身を削ってもです、ガブリエラ。
 ──あなたには、その力があります。

 ──それはとても良いことで、何よりも尊いこと。
 ──そうすれば再び天使が現れて、私達を星に導いてくれるのです。
 ──しかし、もしその行いに邪なものがあれば、
 ──その黄金の輝きで、天使はあなたを罰するでしょう。
 ──天使は何もかもを見通す、絶対的な存在なのだから。


 私の天使は、どこにいる?
 探しに行こう。あの星の街へ。










 通信用端末にセットした目覚ましの音に、ガブリエラは目を覚ました。
 音量は大きくないが、鼓膜を針で刺すようにキンと高いベルの音。もっと大きい音のほうが確実に目が覚めるのかもしれないが、あまり壁の厚くないブロンズステージの激安アパルトメントで、大きい音を響かせるのは憚られた。

 だるい身体に鞭打ってベッドから這い出し、何をするよりもまず冷蔵庫を開ける。
 ミルクのパックを取り出して、そのまま一気飲みした。ミルクはガブリエラの毎日の必需品だ。まずおいしいし、赤ん坊が飲むものだけあって栄養たっぷりで、これさえ飲んでおけばなんとかなる。少なくともガブリエラはそう教わっていて、それを信じていた。
 壁にぶつかりながら洗面所に行き、顔を洗ったり歯を磨いたりする。コインランドリーから引き取ってきてそのままの服の中から適当に選んで身につけ、落ち窪み気味で隈のある目を誤魔化す黒々としたアイラインで目の周りを囲い、左右の耳にピアスを合計7つはめる。
 ベルトのフープにつけたウォレットチェーンの先にそろそろ年季の入ったタッチパネル式の通信端末をくっつけ、ぶかぶかのダメージジーンズの尻ポケットに突っ込む。そして角のほつれた安っぽいデイバッグに、財布やぼろぼろの手帳、タオルにウェットティッシュ、細々したものを詰めてファスナーを閉めた。最後にゆったりした上着を羽織って深々とフードをかぶれば、支度は完了だ。

 行ってきますを言う相手はいない、ひとり暮らし。
 電気のつけっぱなしがないかを確認し、ガブリエラはアパートを出た。



 ガブリエラの職場は、シルバーステージの近くにはあるがやはりブロンズステージでしかない場所にある、小さな会社だ。社名は“株式会社ケア・サポート”。
 この会社が扱うのは、薬とまではいかない、つまり処方箋不要でドラッグストアで買える風邪薬やらビタミン剤、塗り薬、栄養バーなどの流通。様々なメーカーと細々とした契約があり、それなりに有名なチェーンのドラッグストアに卸している、そんな会社である。
 それなのに社名の横に書かれているロゴマークが猛々しく吠える狼犬の横顔をデザインしたものなのは、以前は主にスポーツやボディビルのトレーニングなどに必要なプロテインやサプリ類を専門に扱っていたからだ。

「あら、おはよう」
「おはようございます、シンディ。すみません、昨日の領収証を……」
「ああ、はいはい。バイクのエネルギー代ね」
 ガブリエラが持ってきた領収証を受け取ったシンディは、それを手早くチェックし処理してしまう。彼女の両耳からぶら下がる、金の細長いピアスが揺れた。
「あのうシンディ、エネルギースタンドのスタンプを頂いてもいいでしょうか」
「は? スタンプ?」
 おずおずと言い出してきたガブリエラに、シンディ、と呼ばれた女性が半目になる。
「ヘリオスエナジーのキャンペーンです。ガススタンドなどでエネルギーチャージをしてスタンプをためると、ファイヤーエンブレムのグッズが貰えるのです」
「……スタンプぐらい好きにしなさいよ。いちいち聞かないで」
「ありがとうございます」
 ふざけた名目の領収証を持ってくる他の社員と違い、おまけのスタンプまで許可を求めてくる彼女の律儀さに呆れつつ、シンディは領収証をファイルに綴じて仕舞った。

「さて、今のところはなにもないから待機ね。カロリー摂取しながらでいいから、そこにある書類整理お願い」
 シンディはガブリエラのマネージャー、兼先輩、兼事務員、兼会計、兼社長夫人、兼なんでも、という女性である。酒と煙草が人生に欠かせない感じの、煤けた色気のある、そしてパワフルな女性だ。
 大変仕事のできる人で、元ボディビルダーの社長がトレーニング用品にばかりこだわって業績が不振気味なところを彼女が説得し、化粧品やお菓子も扱うようになった。以来、業績は明らかに上昇し、そして今では安定している。
 しかしパワーがある分気が強く、時々嫌味を言ったりヒステリーを起こして暴れたりするタイプでもあるが、ガブリエラはあまり気にならない。もっと性格の悪い者などいくらでもいるということを、ガブリエラはよく知っている。
 それどころか、少なくともガブリエラにとって彼女は悪い人どころかとても良い人で、もっといえば恩人だった。大都会シュテルンビルトで右も左も分からない田舎者のガブリエラを遠巻きに見るだけでなく、実際に色々と教え助けてくれたのは彼女なのだから。

「あ、カロリーバーは給湯室ね。なんか新しいフレーバーだって。なんだっけ、きなこ?」
「きなことは何ですか?」
 ど田舎の幼年学校をやっと出たという最低の学歴しか持たないガブリエラは、物を知らない。しかしこの都会で、田舎者が知ったかぶりをするより素直に知らないと言ったほうが賢明であることを学んでいるガブリエラは、給湯室のダンボールをがさがさやりながら尋ねた。
「なんか、オリエンタルの、豆? ローカロリーでヘルシーなんだって」
「ローカロリーだと困ります」
「味だけよ、味だけ。さっき見たけどかなりのカロリーよ。何がヘルシーだか」
 なぜかぶつくさ言うシンディにそれ以上会話は求めず、ガブリエラは確かにキナコ味と書いてある栄養バーを取り出し、包装を剥いで口に放り込んだ。



 そうして、ガブリエラがカロリーバー10本とダイエットタイプでない500mlコークを2本、インスタントのビッグカップ麺をひとつ消費し、提出されてきた書類を日付順に並べ替えてファイルに綴じるという子供でもできる仕事を終える頃、事務所の電話が鳴り響いた。

「はい、──了解しました。アンジェラ、仕事よ!」

 酒で焼けたシンディの声に、ガブリエラはすぐさま立ってロッカーから大きな紙袋を引っ張り出し、給湯室のカーテンを閉めて素早く着替えた。
 体にぴったりと沿う、エナメルの質感のミニワンピース。下には、同じ素材のショートパンツを履く。靴も脱ぎ捨て、やはり同じ素材のニーハイブーツ。腕にも、やはりエナメル素材のロンググローブ。これら全て、色は白だ。胸のスペースには、ケア・サポートのロゴ。
 さらに、刈り上げた坊主頭に、シスターのベールか、大昔のナースキャップのような頭巾──ただしやはり揃いのエナメル生地のものを深く被る。
 ベールには耳のようなものがぴんとふたつ立っていて、腰の後ろのスカートも、セパレートになった部分が尻尾のように見えるデザインになっている。
 最後に、青っぽく見える、遮光の大きなゴーグルタイプのサングラスをかければ完成。犬耳付きのサイバーパンクなシスターかナース、といったところのスタイルが出来上がる。

「行ってきます」
「頑張ってね、ヒーロー!」
「がんばれ〜」

 社員数名からゆるく見送られて、“変身”したガブリエラは会社を出る。
 そして会社のガレージに停めてある、昨日エネルギーチャージをしたばかりの白い中型バイクに跨り、エンジンをかけた。

 ──このシュテルンビルトで、ガブリエラはヒーローの端くれをしている。
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BY 餡子郎
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