第十三話
「落ち着いた?」
「……はい…………なんとか……」
ありがとう、と、気遣って来るあきらに礼を言い、雪姫子は深く息をついた。
「じゃあまず、質問いっこめ〜。いつから好きなの?」
ひなたが、ごく明るい調子で聞く。雪姫子は、少し目を伏せ、恥じらった表情で言った。
「…………らいです」
「へ?」
「……七つくらいです」
「七歳!? 早! っていうか長!」
「こら」
オーバーリアクションをとるひなたを、夏が小突いた。
「十年か。まあ、幼馴染みでもあるんだから、そうなるよね」
「長いネ〜。ソレ、ミーだったら絶対その間にアタックしまくるヨ? なんでしなかったデスか?」
「……まさか! そんな事出来ません!」
雪姫子は、赤い顔をブンブンと振った。真っ黒いストレートのロングヘアが揺れる。
「わ、私は、忌野に、あの方に仕える下忍です。そんな身の程知らずな感情など……!」
「なるほど。それで忌野クンに対する恋心を忠誠心で誤摩化してきたと」
「──ッ!」
ふんふんと頷きながら言う響子に、雪姫子はまた泣きそうな顔になった。
「でもそこんとこでボーマンの言葉ヨ! 人間は平等ヨ! ラブはフリー! ラブアンドピース!」
「うん、それはアタシもそう思うよ」
「だよねー。今時身分がどうこうもないっしょ、戦国時代じゃあるまいし」
夏が同意し、ひなたが言う。そして俯く雪姫子に、あきらが言った。
「……伝えたり、しないの?」
「むっ」
雪姫子のうなじの毛が逆立った。
「む、無理です、無理、無理ありえません無理」
「えー? なんでー?」
ぶー、とひなたが唇を尖らせる。雪姫子は言った。
「……わ、私は使用人です。……あの方もそう思っておられます。私など範疇外もいいところで」
「そんなことないよ、だって忌野くんも゛っ」
ティファニー、響子から口を塞がれ、あきらは目をまん丸くした。
(シー! それノーよあきら、メッ!)
(え、ええ……?)
(そうよ〜、他人の口から伝えるなんて無粋だわ)
(で、でもティファニーもさっき「雪姫子も(・)」って言っちゃったじゃ……!)
(あ)
(大丈夫よ、ありえないって凝り固まってるから気付いてやしないわ)
小声でひそひそと言いあう三人に、夏がため息をつき、ひなたが歯を見せて息で笑う。雪姫子は頭の上に疑問符を飛ばしながら、彼女らを見遣った。
「あの……?」
「な、なんでもない! ゴメン!」
「……は、あ……?」
慌ててブンブンと首を振るあきらに、雪姫子は不思議そうに首を傾げた。そしてその時、ひなたがベッドに両手をつき、乗り出すようにして言う。
「でもさ〜、なんであり得ないの? 雹だって実は雪姫子カワイーって思ってるかもしんないじゃん」
「──ない! ないです! 絶対ないです!」
「なんでそんなに全否定なの。アンタ美人なんだから充分あり得るって」
今までで一番顔を赤くし、そして首が千切れるのではないかと思うほど首を横に振る雪姫子に、夏がそう口を挟む。ティファニー、あきら、響子もそれに同意して白々しく励ましてみるが、雪姫子は今度は照れるどころでもなく、どんどん空気が暗くなって行った。
「そんな事あり得ません……というか、多分私、もう嫌われてると思いますし……」
「は?」
全員が、声を揃えた。雪姫子は、今度は別の意味で泣きそうな顔になっていた。
「……使用人でも下忍でも、お側にいられるだけ良かったのに……もうそれもダメかもしれません……。絶対嫌われてます、私」
「ちょっと待って。どうしてそうなるの?」
「そーだよ、ナンデ?」
ひなたとティファニーが言う。
「……私はあの方を止めることが出来ませんでした。……それどころか、余計苦しめるような真似を」
「それは、あなたのせいではないわ。そういう洗脳をされていたのだから」
響子が言い、皆がそれに頷くが、雪姫子は「それだけではない」と首を振った。そして泣きそうな顔で雪姫子がぼそぼそと理由を説明していくと、
──女性陣の表情は、どんどん厳しくなっていった。
そして一方こちら、追い出された男性陣である。
今日子がいた保健室部分の部屋にある椅子をそれぞれ引っ張り出してきて腰掛けたりしながら、その時ロベルトが言った。
「や、羨ましい話だ。俺も彼女欲しくなってきたなあ」
「何言ってんだロベルト」
「まあ、将馬はいいよな。夏がいるから」
「な、なんでそこであのデカ女が出てくんだよ!」
怒鳴る将馬だが、赤くなっていることで色々と丸分かりである。
「男子校にゃ縁のねえ話だぜ。……総番長、真の漢はやっぱアレっすか、女にうつつを抜かしたりしないとかそういうノリっすか」
「うん? ……む、ん……」
(総番長がどもった……!?)
目線を明後日の方に向けて曖昧な相槌を返す醍醐を、エッジは思わず見遣った。エッジの知る限り、男が惚れる漢というそれそのものな醍醐は、女にもそれなりにモテる。しかし敷居が高すぎて告白やら何やらしてくるまでの根性のある女は今の所いなかった。実はゲド校総番長組の中で、エッジは最も女性経験がある──といってもどれも浅い付き合いや、深くとも短いものばかりなのだが──のだが、もしかしたら醍醐は結構奥手なのかもしれない、とその時目から鱗が落ちた。
「……そうか……ゆきも兄さんを……そうか」
「そういえば恭介、お前は雪姫子に対して何も思うところはないのか?」
ぶつぶつと言いながら口元に手を当てているのは、恭介。そしてそんな彼を見て、ロイが言った。
「え?」
「雪姫子はヤマトナデシコな美人だし、今まで奴らが好きあっていることなど知らなかったんだろう? お前は雪姫子を好きになったりしなかったのか?」
その言葉に、ああそう言えばそういうのもあり得るよな、といった視線が恭介に集まった。恭介はどこかぽかんとしたような表情で、ロイを見返している。
「ああ……なるほど。客観的に状況を見ればあり得る話だが」
「ないのか?」
「ないね」
恭介はあっさりと言った。ロイはつまらなそうに頭の後ろで手を組み、体格のいい身体をドサリと椅子の背にもたれさせた。
「何だ、つまらない。兄弟で恋の鞘当てとやらが見れるかと思ったのに」
「不謹慎ですよロイ」
ボーマンが注意する。恭介が笑った。
「はは、残念だったな。確かにゆきのことは好きだし大事だけど、家族の感覚だ。姉だか妹だかはわからないけど……」
──バァン!
男性陣が和やかな“コイバナ”に興じていたその時、病室に続く引き戸が、壊れるのではないかと思うほど勢いよく開いた。男性陣が驚いてそちらを見ると、かなり表情を険しくした雪姫子以外の女性陣が立っている。
「──信じらんない!」
「お、おい、どうしたひなた」
「伐! ちょっと、なんなのアイツ!?」
「はァ!?」
まくしたてるひなたに、わけもわからず伐はたじろいだ。そしてひなただけでなく、他の女性陣もひなたと同じような表情とリアクションをしている。
「ノー! これはダメよ、ダメ! 雹ダメね、ダメンズね!」
「どうした、ティファニー」
「ロイ〜!」
ティファニーはロイの前で、やりきれないという風に激しく地団駄を踏んだ。ロイはボーマンと顔を見合わせ、肩をすくめるしか出来ない。
「……鑑!」
「な、なんだ鮎原」
「アンタ、兄貴の側で十日間も何してたのさ!? 兄弟揃ってこの甲斐性なし!」
「何なんだいきなり!」
いきなり罵られ、さすがに恭介もむっとする。
「う〜ん、これはちょっとまずいわねえ……。私もまさかそうとは思わなかったわ……」
「いやだから何のことですか、水無月先生!」
恭介が言い、そして女性陣が次々に話し出す。
そしてその後、恭介は真っ先に学長室に向かって全速力で走り出した。
学長室の隠しドアは、ドアノッカーを鳴らして中から開閉ボタンを押さないと空かないという仕組みになっている。
物凄い勢いでガンガンと鳴らされるノッカーに雹は眉を顰めつつも、ドアの向こうで何やらし切りに叫んでいる恭介の声を聞いて、ボタンを押した。
「──兄さん!」
「何だ恭介、騒々しい。もう少し静かに、」
「兄さん、まだ一回も雪姫子のところへ行ってないって!?」
途端、何かの書類と見比べながらパソコンのキーボードをタイピングしていた雹の動きが一瞬止まった。雹は恭介たちのほうと目線をあわせないままゆっくりとエンターキーを押し、書類を机にそっと置いた。
「……ああ、見舞いをしてきたか」
「行ってきたよ! 兄さん、なんでゆきのところへ」
「……どの面下げて会えというのだ」
雹の目元が顰められ、暗く曇った。
「私はあれの親の仇だ。病み上がりにわざわざそんなまずい面を見せてやることもあるまい」
「何、言って……!」
「……顔を見るだけなら、まだ意識の戻っていない頃に、一度」
沢山の機械に繋がれ、死んでいないのがおかしい位ボロボロの、細い身体。その姿を見た瞬間、雹は一気に血の気が引いた。奪われ、殺され、操られ、その果ての彼女。
「……ああしたのは、私だ」
「なんで、そんな」
「洗脳が完全に解けたことは聞いている。出来る限りの謝罪はするつもりだ。……怪我が治ったら自由に、」
「……ッ、バカ──!」
雹の言葉を遮って叫んだのは、ひなただった。そして他の女性陣も、かなりの怒りの形相で、あるいは涙さえ浮かべながら、雹を睨んでいる。
「バッカじゃないの! アンタバカじゃないの!」
「な……」
「ダメねー、雹、女ゴコロまったくわかってナイね。Stupid !」
「ぐだぐだ抜かす暇があったらさっさと行きな、この甲斐性なし!」
物凄い剣幕でまくしたてられ、さすがの雹もたじろぐ。
「何なのだ、いきなり!」
「何なのだ、じゃないですよ……」
あきらも、静かに雹を睨んでいる。そして女性陣に詰め寄られる雹を見て、男性陣もまたため息を吐いた。
「いや、確かにこりゃあ、早く行った方がいいと思うぜ」
「そうじゃの〜、こればっかりはお主がイカンわ」
エッジと岩が言った。醍醐は彼らの背後で、いつもより厳めしい顔をして腕を組んでいる。
「兄さん」
「……なんだ」
わけもわからずにボロクソにけなされ、顔を顰めた雹が振り返った。しかし恭介もまた、雹をじっと睨んでいる。
「いいから早くゆきの所に、」
「……お前に何がわかる」
雹は、ぎろりと眼光を鋭くした。さすがの力を持つその目に、数人が思わず気圧される。
「私のせいで親を殺され、その記憶すら奪われ、恨むことさえ出来ずに何もかもを忘れて私に仕えて来る雪姫子が常に側にいる、そういう私の気持ちがわかるか? しまいには私のために死のうとしたのだぞ、あれは」
「……………………」
「あれは全てを思い出した。私を恨んでも恨み切れぬほどだろう」
「……違う!」
恭介が叫んだ。
「違う。ゆきは操られていたから兄さんを命をかけて庇ったんじゃない」
「……なんだと?」
「ゆきは──ッ、がっ?!」
その時、一斉に脇腹やら弁慶の泣き所やら背中やらに女性陣から攻撃を食らい、恭介は妙な声を上げて身体を折った。いきなりのことに、雹も思わず驚いて目を丸くしている。
(シーよ! 恭介メッ! それ“ブスイ”よ!)
「──は!?」
ティファニーに言われて困惑する恭介だが、女性陣に囲まれて何やらヒソヒソと耳打ちされた後、「……わかった」と小さく呟き、息をついて体勢を整えた。雹はそんな彼らを、訝しげな表情で見遣っている。
「……何なのだ……」
「っとにかく! いますぐゆきのところへ行くべきだ。……雷蔵叔父さんが留守にしたのだって、兄さんとゆきが和解するためのチャンスを作ってくれたって意味もあるんだから」
「和解? ……不可能だ。十年間も罪を重ね、もう取り返しなどつかない」
「……兄さん!」
「……何だ、怖いのか?」
ぼそりと、しかしよく通る低音で言ったのは、醍醐だった。雹が彼を睨む。
「……何だと?」
「怖いのか、と言ったのだ。貴様は白藤から責められるのが怖いのだろう」
「──ッ」
雹は、ぎりっと拳を握り締めた。その雰囲気にあきらが思わず不安げに醍醐に視線を向けると、彼は一瞬だけフッと微笑み、あきらはきょとんとした。そして醍醐は元の険しい顔を作ると、更に続ける。
「然るべき処罰を受ける気で居る、と貴様は言ったはずだ。それなら例え白藤に責められ罵られようと、貴様はそれを甘んじて受けるべきだろう。違うか?」
「……………………」
「兄さん」
「……ああ、その通りだ」
ふう、と、雹はため息をつき、睨む目を緩めた。
「私は怖いのだ、あれに責められるのが。……だが貴様の言う通りだろう。私はそうされなければならん。病室に行こう」
その言葉に、全員がとりあえずホっとした表情を浮かべる。しかし雹は、もう一度ため息をついた。
「……しかし一つ問題がある」
「え?」
「これだ」
バン、と、雹は学長席の机を叩いた。机の上にはここに居る者たちが見てもチンプンカンプンな様々な言語での書類、洋書、そして僅かな冷却ファンの稼働する音が響くパソコンがある。
「……私はあれがまだ意識を回復していない頃に一度顔を見に行って、そこで……起きて何を話せば良いのかと悩み、そしてそれはあれが起きた後も続いた。それを見かねた学長が、……先程恭介が言った意図も含め、まあ一石三鳥くらいの気分で私に学長職を任せて席を外した。……が、それが裏目に出た」
「は?」
皆がきょとんと目を丸くし、そして雹は机の上の仕事を見遣り、もう一度ため息をつく。
「……仕事が多すぎて、会いに行くどころか部屋を出ることもままならん」
「あのアホ親父」
伐が、呆れきった声で呻いた。