第十一話
「あ、あきらだ! やっほー」
「あ……、ひなたちゃん、久しぶり」
「ひなたでいいってば」
 あきらとひなただけでなく、太陽学園前で待ち合わせていた皆は、それぞれ声をかけあったり手を挙げたりして挨拶を交わした。

 ──あれから、十日。

 一週間前、雪姫子が目覚めたとの連絡が入り、そして随分良くなったというので、皆で見舞いにいくことにしたのである。全寮制で部外者は厳重に立ち入り禁止のジャスティス学園寮であるが、その辺りは雷蔵が融通を利かせてくれた。
「前だったら、ジャス学なんか頼まれても行きたくないってカンジだったけどね〜」
「確かに」
 ひなたが歯を見せて笑って言ったそれに、夏が頷く。
「しかもそのジャス学の生徒会長とか絶対宇宙人並みに話あわねえよ、とか思ってたよな」
「思ってた思ってた」
 エッジのそれにも、ほぼ全員が同意した。
「……でも、あんな話聞いちまうと、なあ」
「どーなったのかねえ、あいつら」
 将馬とロベルトが言う。そしてそれこそが、見舞いという名目で彼らが知りたがっている事項だった。健全な青少年たちの興味は、身体を動かすことと食い気と色気、だいたいがこの三つに集約されると相場が決まっている。
「………………」
「どうした、あきら」
 きゃいきゃいと他人の恋路について盛り上がる彼らを眺めている妹に、醍醐が声をかける。あきらは兄を振り返らなかったが、ぼんやりしたような口調で言った。
「……幼馴染みの親を、自分の親が殺したってだけでも辛いのに」
「……………………」
「そのあと、それを忘れて自分の命令を何でも聞く、人形みたいになっちゃったその子が、……しかも好きな女の子がずっと側にいるのって」
 物凄く辛いことなんじゃないのかな、とあきらは言った。
「……そうだな」
「………………」
「だが、あの男は今日までそれに耐えた」
 醍醐は、静かに言う。あきらは彼を振り仰いだ。
「罪を償えないという罰、自分だけの罪悪感を持ち続けるという苦行を、奴は何年も耐えた」
「兄さん……」
「それは辛く、そして凄いことだと俺は思う。真の漢でなくば、できんことだ」
「うん」
 あきらは、前を向いた。
「なんとか、……なると、いいな」
「……うむ」
 そしてそうこうするうちに全員が集まり、最後にロイが手配したバスが到着した。ほぼ山奥に位置するジャスティス学園は、基本的に車でないと行き来は不可能だ。全員揃って行くことになったのも、交通の不便さを一括ですませるためである。
 そして全員がバスに乗り込み、ジャスティス学園に向かって出発した。





「相変わらず何故か曇ってるね〜……」
「それより、あの明らかに学長を象ったロボは一体……」
「よく見ると、突っ込みどころが多すぎてカバーしきれないなこの学校」
 要塞と見紛うほど重量感満点の門の前で手続きを受けながら、少年少女たちは軽口を叩き合う。そして手続きが済んで中に入ると、そこには相変わらずにも白ランを着た、そしてまだ三角巾で腕を吊った恭介がいた。
「恭介だ! 出迎えご苦労!」
「ハイハイ、お迎えに上がりましたよ」
 元気なひなたに苦笑しつつ、恭介がそう返す。
「やあ、十日ぶり」
「おう、十日ぶり」
 そんなやり取りを交わす伐は、驚くべきことにもうすっかり回復していた。まだ本調子ではないが、普通に生活する分には全く問題ない。
「つーかお前どうすんだ、このままジャス学生になんのかよ?」
「はは、まさか。今日君たちと一緒に帰って、明日からまた学校に行くよ」
「そっか。良かった」
 ひなたがホっとした顔を見せた。雹たちがどうしても心配だという恭介はあの時帰らず、そのままジャスティス学園に残った。だがこうして十日も帰らないので、ひなたも伐も心配していたのである。
「というか、とうとう兄さんに怒られてね。いいかげん学校行けって」
「へ〜、オニイチャンじゃん」
「お兄ちゃんなんだよ」
 そう言う恭介の表情は明るく、清々しかった。
「で、彼はどうしてるんだ? 処罰受けるとか言ってたが……」
 ロベルトが尋ねると、恭介はとくに深刻そうでもなく、「停学中」と答える。
「停学って……」
「とりあえずね。といってもジャス学は他の高校みたいに時間割通りに授業する、っていうのとちょっと違うから、謹慎とか停学って言っても意味あるのかないのか微妙なんだよ」
 校舎まで向かいがてら、そして中を案内しつつ、恭介はジャスティス学園の制度やカリキュラムについて説明した。極端とも言えるかなり徹底した学校のあり方に、ある者は呆気にとられ、ある者は引いていた。そして、以前来た時は非常事態であったためによくわからなかったが、既に生徒全員の洗脳が解けて通常通りに再開している校内の様子にも、彼らはかなり驚いていた。「学校つーか、刑務所かなんかみてえ」とエッジが苦虫を噛み潰したような顔でコメントする。一応あきらが慌てて諌めるが、それに反論する者はいなかった。
「しかも兄さんとゆきはSAクラスだから、謹慎とか言われても特別どうするってこともないんだよ。兄さんなんか最初の三日で、身体は動かせないしやることないからってレポート二つも仕上げて、挙げ句ほんとにやることなくなってイライラしてさ」
「ワーカホリックならぬスタディホリックだな。これだから日本人は」
 ロイが呆れた表情で言い、恭介も特に否定しないどころか「上手いこと言うね」と笑った。
「で、今アイツどうしてんだよ」
「ああ……。一週間前から忌野学長がキミんちに帰ってるだろ、伐」
「おォ、いるいる。デケーのが居座ってて鬱陶しいのなんの」
 伐はばりばりと頭を掻きながら言った。彼が本当にゲンナリした顔をしているのは、雷蔵とともに生活することそのものではなく、彼が自分を小さい子供扱いしてやたらと構うばかりか、和解の勢い余って新婚状態になった両親がいる家に居づらいからである。
「ハア? 学長が外に行ってるってことは、ジャス学の学長職どうなってんだ」
「……これから見れるよ」
 恭介は苦笑し、将馬の問いを濁して答えぬまま、例の図書室の重い扉を開けた。ゴシックで華麗な図書室にあるのは、とても高校の図書室とは思えない、国会図書館にも引けを取らないという蔵書たちである。各国の言語の洋書に専門書がズラリと並び、彼らはうんざりした。赤い絨毯の床には、まだ修繕されていない戦いの跡が残っている。
 そして恭介は奥にあるこれまた重そうな扉を開けた。学長室だというそこは見た限り応接間で、高級そうな応接セットがドンと置いてある。
「ここが父兄や生徒に対応するための、表向きの学長室」
「……何だよ、表向きって……」
「忌野学長の趣味としか言えないね」
 そう言って、恭介は壁の本棚の一冊を引いた。そして映画などでよく見るように壁の一部が回転して扉が現れ、まだまだ冒険好きの男子数人から歓声が漏れる。
「こっちが真の学長室」
「……忌野学長って結構お茶目なのかな」
 あきらがやや笑いながら言った。将馬やエッジは「すげー!」とはしゃぎながら、隠し扉の中の廊下を見回している。
 そして恭介は、その廊下のまた奥にある、小さめの、……といっても雷蔵が通って余裕のある大きさの扉にあるドア・ノッカーで三回ほどノックをした。
 途端、ガコン、と音がして扉が開く。どうも内部から何かのスイッチで開くようになっていたらしい。そして目の前に広がったのは、生徒会室や図書室と同じ、濃いマホガニーで統一された洋風でアンティーク調なのは相変わらずだが、先程の小綺麗な応接間とはかなり趣の異なる部屋だった。
「──ああ、──……」
 そして中央奥正面にある大きなデスクで電話対応中なのは、大怪我人だとはわからないまでに回復している雹だった。忌野の家系は回復力が物凄いな、と誰かが思うが、しかし恭介はまだ腕を吊っているので、ただ雹と伐が動物並みの回復力だというだけなのかもしれない。さすが二人とも、次期忌野家当主として候補に出されただけのことはある。
「──……Na gut」
 彼が話しているのは、日本語ではなかった。しかし日本語ではない、というだけで、何語かはわからない。伐がロイをちらりと見遣るが、彼は肩を竦めた。英語ではないらしい。
 雹はデスクの上のパソコンを片手でブラインドタッチのタイピングをしながら、伐たちには何語かすらわからない言語で話し続けている。
  雹は受話器を持って話しながら、先程の応接セットよりは簡素なソファ、……それでもアンティーク家具だが、それに座るように手振りで指示し、顔を傾けて肩と耳に受話器を挟み、片手の指に電話機を引っ掛けて持つと立ち上がった。
「……Auf Wiedersehen,……Danke,Tschuess!」
 その言葉を最後に雹は電話を切り、メモに何か書き付けてから電話機を机に置き、皆に向き直った。
「……すまない、待たせた」
「オイ、停学中じゃなかったのか?なんのだか知らないがバリバリ仕事してるじゃないか」
 ロベルトが呆れたように言うと、雹は言った。
「停学中だ。制服を着ていないだろう」
「そーゆー問題じゃ……」
 どこかズレた返答に、夏が呆れたように呟く。
 戦いで千切れたからか、雹は長い髪を少し切りそろえ、首の後ろで緩く結んでいる。濃いグレーのスラックスと革靴と白いシャツは、あのいかめしい軍服そのものの制服と比べると、随分とシンプルだった。しかしそれだけに、スラリとしてスマートに見える。
「とにかく、よく来たな。本当に何もないが、まあゆっくりしていけ。……恭介、ぼんやりしていないで茶でも入れたらどうだ」
「……当然のように僕?」
「当たり前だ。私が茶を入れられるとでも思っているのか」
「威張らないでくれるかな。まったく自慢になってないよ兄さん」
 ほんとに家事全くダメなんだから、と恭介が呆れたようにため息をつく。雹と離れてから一人暮らしを数年続けている恭介の家事能力はそれなりのものだが、雪姫子がずっと全ての家事を行なっていたという雹は全くそういったことが出来ないのだ。しかし、雹は机の上に散らばる書類をかき集めて揃えながら、表情も変えずに淡々と言った。
「家事? できるとも、お前の寝小便がばれんように何度も布団を干してやったのを忘れたか」
 途端、ほぼ全員が盛大に噴出した。恭介は赤くなりつつも目が据わっている。
「……三つの頃の話だろう!」
「四つだ。五歳になる前になんとか治ったからな」
「ああもう、無駄に記憶力のいい……!」
 ぶつぶつと文句を言いながら、恭介は彼らしくない荒い足音を立てながら給湯室に歩いていった。夏とあきらが、手伝うと言って彼に続く。
 そしてそんな兄弟のやり取りを見て、「結構フツーだな」と、呆気にとられたように将馬が呟いた。彼もまた兄の修平とこんな風な会話をすることは珍しくない。きょうだいの居る者たちは、初めて彼らと自分との共通点を見、少し彼らに親近感を持った。
「しかし、思ったよりお元気そうで安心いたしました」
「ああ、薬がよく効いているからな。きちんと飲んでいる分には発作の頭痛もない。……パシフィックの、デルガド……、だったか?」
「ええ、ボーマンと申します。ところで先程の電話は……ドイツ語ですか?」
 ボーマンが尋ねると、雹は「ああ」と頷いた。
「この学校を作るとき、ドイツの進学校……ギムナジウムやシュタイナー学校を参考にした部分が多くてな。それ以外でもドイツは教育に力を入れている国で交流が深いのだ」
「お前、ドイツ語なんか喋れんの……」
 呆然と将馬が言うと、雹は首を振る。
「いや、日常会話レベルだ。今の相手は素粒子物理学の教授で、専門的な話は対応しかねると今言ったところだ。ドイツ語は需要があるので習得したいのだが、まだまだどうも」
「内容も言葉もわかんねっつか素粒子ナンタラのとこでもうダメだ」
 チンプンカンプンだ、とエッジが顔を歪め、「やっぱ宇宙人だ」と呟く。先程感じた親近感も、どこかへ吹っ飛んでしまっていた。そして人数分の茶を律儀に入れてきた恭介とともに夏とあきらが戻ってきて、カップを配りながら恭介が言う。
「兄さんの専門は統治系、……法学とか政治学とかなんだが、外国語も結構……というか、だいたいの言語で旅行ガイドブックに載っている程度が話せるらしくて」
「日常会話レベルで話せると言えるのか疑問だがな」
 しかし英語なら専門的な話でもまあ大丈夫だ、とあっさりと言う雹に、全員が唖然とする。そして伐が茶を配り終わって隣に居る恭介に、いっそ呆れたような顔で「俺さ」とぼそりと言った。
「……お前のこと、物凄い勉強できる奴って思ってたんだけどよ……」
「ああ、比べ物にならないね。双子なのにここまで違うとコンプレックス……って言いたいところだけど、ここまで来るともう……。僕なんか全然普通だよ」
 恭介は、乾いた笑みを浮かべつつ肩を竦めて首を振った。そして今日本で最も学力向上に努める進学校・ジャスティス学園主席学力のとんでもなさに、全員が舌を巻く。そして「宇宙人だ」とエッジの言葉を数人が呟いた。
「……宇宙人呼ばわりされたのは初めてだ」
 雹は、複雑な表情でぼそりと言った。
「だがそれだと雷蔵叔父も宇宙人ということになるが」
「あ? ……まあ見た目人外なのはわかってっけどよ」
「いや伐、そうじゃなくて……」
 自分の父親をそんなにサラリと人外と言い切った伐に呆れつつ、恭介が言う。
「……忌野学長が伐のところに居る間、兄さんは停学。で、学長代理なんだ」
「はァ!?」
 全員が目を丸くした。
 雹が正気に戻り、また殆どの者がそんな雹を認めているものの、ついこの間この学園全てを洗脳の挙げ句に私設軍隊に変え、テロを行なおうとした人間に学長代理を任せるなど、どう考えてもおかしいのではなかろうか、と。そして皆に表情にその意見を正しく読み取った雹は、短く息をついてから話し出した。
「自分で言うのも何だが、私自身も反対した。……しかし、学長は“ここでしっかりと代理を務めて信用を回復することこそ重要、激務をこなして反省せよ”と」
「……おまえ、それただ親父がウチに来る間仕事放り投げるための屁理屈じゃねえのかよ」
 伐が言うと、雹は心無しかさっと目を逸らした。
「……まあ、嬉々として出掛けられたからな。公私混同された自覚はあるんだが」
「ほら見ろ。あのクソ親父、平和ボケにも程があるぞ」
「だが私に拒否権などないのも事実だ。それに、学長職は確かに激務だぞ」
 しかも、雹には生徒会長の仕事もある。
「……だが、忙しさのあまり悩む暇もないのは、正直助かっても居る」
 フ、と笑んだ雹のその顔には、やはり深い何かが滲んでいた。
「──雪姫子はもう起きている。茶を飲んだら会いに行ってやるといい」
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BY 餡子郎
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