第十話
 長く話したのと興奮したことで痛み止めの効果が切れた雹は、半ば引きずられるようにしてベッドに戻った。
 残された者たちは、皆戸惑ったような、神妙な顔でじっと黙っている。
「……俺。総番長攫った奴、……ぜってェヤキ入れてやる、って思ってたんだけどよ」
 そんな気失せちまった、と、据わりの悪そうな表情でエッジが言った。彼の隣に立っていた醍醐その人が、エッジの背中をドンと大きな手で叩く。洗脳の後治療を受けるためにジャスティス学園に留まっていた彼は、もうすっかり回復していた。
「……奴らの生い立ちは過酷なもので、それは事実だし、同情もする」
 醍醐が、腹に響く深い声で言った。
「俺は、あの男には怨みも何も抱いていない。……しかし奴がやったこともまた事実で、ケジメはつけるべきだろう」
「……兄さん!」
「あきら。これは俺が、あの男を漢と認めたからこそ言っているのだ。己の力及ばなかったときの漢の失意が、俺にはわかる」
 あの男は、……忌野は、何らかのケジメをつけて自分を納得させることを望んでいる。
 醍醐はそう言って、それきり黙った。
そして再度沈黙が続きそうになったのを破ったのは、将馬だった。
「あ、そうだ。俺思ってたんだけど……えーと、水無月先生?」
「何かしら」
「忌野は、なんで白藤の洗脳を解けなかったんだ? 鑑の荒療治で解けるんだから、本家本元のあいつならもっと、」
「無理だ」
 そう言ったのは、雷蔵だった。
「忌野流洗脳術は、基本的に、かけた人間しか解くことは出来ない。雪姫子君に術をかけたのは霧幻兄上だからな。雹が術を完璧に修得していようとも、兄のかけた術を解くこととはまた別のことなのだ」
「でも、鑑は白藤の洗脳を解いたじゃねーか」
「それは本当にいちかばちかの粗治療だ。先日聞いて、儂は血の気が引いたぞ恭介君」
 疲れたような、ホっとしたようなため息をつき、雷蔵は恭介を見た。そんな目で見られて居心地の悪い顔をする恭介に、更に響子が追い討ちをかける。
「まったくだわ。あなたの電撃、ボルト百万ちょっとはあるでしょ? スタンガンと同じでアンペアは低めみたいだけど、電流は内臓に深刻なダメージを与えるんだから」
 その言葉に、「ピカチュウより強かったのかお前の電撃」とエッジが変なところで感心している。恭介は気まずげに肩を竦ませていた。
「……すみません」
「まあ、他に手がなかったのも確かだけどね。あの子たちが尋常じゃなく鍛えてたから良かったものの、下手すれば脳ミソ溶けて耳から出てくるわよ。二度とやらないように」
「やっぱり出てくるんだ……」
 夏が、チラリと恭介を見た。
「まあ、とにかくそういうわけよ。忌野君ほど重度じゃないけど、白藤さんも忌野霧幻氏の洗脳術を受けてるから、定期的な投薬とカウンセリングはやらなきゃいけないでしょうね」
「あ、そこ、俺も質問いいですか」
 ロベルトが、律儀に手を上げた。
「何かしら三浦君」
「白藤サンは、どういう洗脳を受けてたんですか。その……ご両親を殺害した犯人を強盗だと思い込まされてたってのは確かみたいですけど、それと忌野に徹底的に仕えたり、ましてや命かけて庇ったりするのは違うんじゃないですか」
 それは皆思っていた疑問だったのか、視線が一気に響子に集まる。
「……ええ、私もそう思って、忌野の医療スタッフと彼女の精密検査を行なったわ」
「結果は?」
「──洗脳は、完全に解けてる。だからどういう洗脳を受けていたかは、彼女が起きてカウンセリングを行なわないと……」
「そうですか……じゃあ今は何とも言えませんね」
「そういうことになるわね」
 響子は頷いた。
「ハ──イ! ミーも質問でっす!」
「何かな、ローズ君」
 思い切り右手を天に向けて元気よく言ったティファニーに、英雄が眼鏡のブリッジを持ち上げつつ、教師らしい口調で質問を許可した。

「雹は雪姫子にラブでスか!?」

 ストレート極まりないそれに、数人が盛大に吹いた。その一人であるエッジが、恐ろしいものを見るような目でティファニーを見る。
「この女……みんな薄々思ってたけども触れなかったところをド真ん中に突っ込みやがったな」
「What ? ラブはストレートがイッチバンですよ?」
「もっとこう恥じらいとかあんだろ! 日本人はサンサイなんだよ!」
「山田君、山菜じゃなくて繊細です。国語は日本の宝ですよ」
「その名で呼ぶなァァアア!」
 日本語が不自由なアメリカ娘と偏差値低迷のヤンキーの会話を、キラリと眼鏡を光らせた国語教師が添削する。ティファニーの発言で一気に緊張感のなくなった場であったが、この一連のやり取りによってさらに緊張感はないも同然の有様と化してゆく。
「え? でも両方洗脳されてて色恋沙汰もなにもねーだろ」
「将馬、常時洗脳状態なわけじゃないんだからさ……」
「つーか結構ストレートにそういう発言してなかったっけ、あいつ。あんまりサラリと言うから思わずスルーしちまってたけど」
 五輪高校三人組が言いあう。
「ヤッパリ? ヤッパリそうでスか? ラブの気配でスか?」
「愛は尊きことですよ」
「そうか? そういうことは何も言ってなかったと思うが……」
 パシフィックトリオもまた、それぞれ意見を出し合う。言い出しっぺであり、自分であれ他人であれ恋話大好きのティファニーは目を輝かせ、ボーマンは大きな定義での愛を奨励し、ロイは納得し難い、と首をひねっている。
「だから外人、テメーらはそうやって何でもかんでもハッキリクッキリだからワサビが理解できねえんだよ」
「山葵ではなくて侘び寂びですよ山田君。使い方と意味は間違っていませんからもう少し頑張りましょう」
「だからその名で呼ぶなァァアア!」
「エ、エッジ……落ち着いて……」
「色恋沙汰はどうにも疎いのう」
「………………………………」
 こちらはゲド高、ヤンキーの国語能力を細かく添削する英雄と、他所様宅で暴れる仲間を諌めるメットを外したアキラ、きょとんとしている岩。そして珍しく所在無さげに明後日の方向に視線を遣っている醍醐である。
「えーウッソ、ほんとー? ねーねーどう思う伐」
「知らねーよ!」
 小さくキャーと言いながらくいくいと袖を引っぱるひなたに、伐が困り果てたように怒鳴る。そして彼がふと見ると、雷蔵がぶるぶると身体を震わせていた。
「──恭介君!」
「はい!?」
 カッ! と目を見開いていきなり呼ばれた恭介は、思わずビクッと肩を跳ね上がらせ、彼らしからぬひっくり返った返事をした。
「どうなのだ!? 雹は雪姫子君に懸想しとるのかね?! 若者風に言えばラブなのかね!?」
「いえ別に若者風というかただの英単語です学園長……ッ痛い痛い痛いです腕! 折れてますからちょっ動かさないでくださ……!」
 巨大な手で肩を掴まれガクガクと身体を揺さぶられ、折れた腕に思い切りそれが響いた恭介は悲鳴を上げた。そしてそんな雷蔵に、雫が慌てて駆け寄る。
「あなた、落ち着いて下さい。恭介君も怪我人なんですからね」
「お、おお……すまん、儂もずっと懸念しておったことだからついな」
「それで恭介君」
「な、なんですか」
 にっこりと微笑んだ雫に呼ばれ、恭介はずれた眼鏡を整え、崩れた三角巾を直しつつ返事をした。
「実際のところはどうなの」
「あなたもですか!?」
「オバちゃんがこの手の話に乗らないわけがないでしょう」
 口に手を当ててコロコロと笑いながら言った雫に、恭介はうっと呻いて後ずさった。伐などは無言ながら、冬の何たらという韓流ドラマを熱心に見ていた雫の姿を思い出している。
そして、いつの間にか全員の視線が恭介に集まっていた。
「……なんで全員で僕を見るんだ!?」
「いやだって君が一番事情知ってんだろ? なんか思い当たることないのか」
 割と興味ありげに、そしてこの歳の男としては照れもなくナチュラルに話に加わっているロベルトが言う。そしてそんな彼の言葉に、他の者もそうだそうだと各々が頷いた。
 そして次の瞬間、がっしと恭介の肩に乗るものがある。白衣のその腕は、響子のものだった。
「いいわね〜若い子は。それで、どうなの鑑君」
「あなたもか……!」
「絡み方が酔っ払いですよ、響子先生」
「アラ嫌だ、今日は一滴も飲んでませんことよ英雄センセ」
 呆れる英雄に、響子は恭介を逃がさぬようがっしりと彼の肩を捉えつつ、ホホホと英雄に笑い返す。
「基本的に他人の色恋沙汰に興味はないが、ここまで盛り上がれば気になる。何か知らないのか、心当たりとか、そういう素振りとか」
「いいコト言うねロイ!」
 ずいっとアメリカ的に身を乗り出して来る金髪二人に恭介は怯んで後ずさるも、しかしロイの言葉は、恭介の記憶を偶然にか掘り起こした。ふと、「あ」と呟いて表情を変えた恭介に、全員が目ざとく気付く。
「ナニ!? ナニナニナニ、なんかあんの!?」
「あー……いや……」
 目をキラキラさせて迫るひなたに、恭介は口元に手を当て、困った顔をした。
「もうこうなったら言っちゃえ言っちゃえ」
「……でも僕は中学上がる前までしか兄さんと暮らしていないし、何年か前のことなんだが」
「何でもいいって! ナニナニ!?」
 既にひなただけでなく、全員が期待を込めた目を恭介に向けていた。恭介は観念したのか諦めたのか、フウと息を吐き、ぼそぼそと話しだす。
「……さっき兄さんが言ってただろう、結局流れたけど、次期忌野家当主とゆきを結婚させようかって話があったって」
「うんうん」
 全員、特に女性陣が深く頷く。
「それはゆきの両親が亡くなったせいもあるんだが……、ゆきは一人娘だから、忌野の当主と結婚っていうのはもともと少し無理がある」
「なんで?」
「なんでってひなた、一人娘がお嫁に行って相手の家に入っちゃったら、そのコの家の名字が絶えちゃうじゃない。旧家なら尚更まずいでしょ」
 夏が説明すると、ひなたは「あー、そういえばそっか」と納得して頷いた。
「そういうこと。つまり雪姫子は本来、結婚するなら婿養子をとって結婚しなきゃならない立場なわけだ」
「まあ、そうなるね」
「それと……。下品な話だが、白藤はかなり広い土地を持ってるからね。ゆきと結婚する男は、いわゆる逆玉ということになる」
 逆玉の解説をティファニーに英雄がし終わった後、恭介は続けた。
「それで、だ。白藤の逆玉に乗って忌野家に白藤の土地財産権を流れ込まさせるにはどうするか、ということだ」
「え?」
「兄さんは当主だからダメだが、僕なら当主の双子の弟、次男、文句なしに婿養子に好条件だ。だから」
「え?! いやまあそりゃそうだけど……」
「まあ、これも結局考えついた父さんが死んで、話だけで流れたけどね。そういうわけで、僕を白藤の婿養子に入れようかという話が出たんだ。今思えば、ゆき自身も白藤の財産も、すべてを忌野の手中に収めようって魂胆だったんだと思う」
 はあ、と恭介はため息を吐いた。
「でも当時、……別れて暮らす少し前くらいだから、中学上がるか上がってすぐ位かな。父さんに「お前の方が雪姫子と結婚するというのはいいかもしれんな」とか何とか言われて」
 でも僕はそんなこと言われても全然ピンと来なかった、と言い、恭介は一度首をくきりと鳴らした。
「それで、何も考えずにそのままそれを兄さんに報告したんだよ。父さんにこんな事言われたよ、っていう軽いノリで。……あー思い出した、庭だ、家の庭で」
「それで、ドーシタでスか?」
 わくわくした様子で、ティファニーが更に乗り出す。
「殴られた」
「は?」
 全員がきょとんとする。恭介は「ああ、なんか話しだしたらどんどん思い出してきた」と言って後頭部を掻きながら、思い出すままに続けた。
「有無を言わさず思いっきり横っ面殴られた。拳で」
「おいおい、マジかよ」
「兄さんと僕は喧嘩しないほうだったと思うんだが、口喧嘩の果てに拳が出ることくらいはあった。でもそんな風にいきなり殴り掛かるって言うのはなかったから……」
 あんまりいきなりだったので呆然として、吹っ飛んで暫くしてから殴られたことに気付いたのだ、と恭介は言った。
「そうそう、「将来は僕がゆきをお嫁にもらうんだってさ」とかなんとか言ったその瞬間にブン殴られたんだ。今思い出した」
「えええええ」
「しかも兄さん、その後一週間ぐらい本気で口きいてくれなくて。最初はいきなり殴ったの謝れよ、とも思ってたんだが、あんまり兄さんがだんまりを決め込むもんだから、だんだん僕何か悪いことしたんだろうかって気になってきたぐらいで…………あー」
 恭介は、顔を片手で覆った。
「今思えば、あれって結構……」
「結構どころかあからさまじゃないか。好きな女の子を横取りしようとした男を殴る、当然のことだ」
「キャー!」
 ロイが断言し、ティファニーが黄色い声を上げた。
「ラブですネ!? やっぱりラブですネ!?」
「そうみたいだな」
「えええ、マジかよ。色恋沙汰ってツラじゃねえと思ってたのに」
「へーえ、こんなとこでもそーいうものが育つんだねえ」
 ロベルトと将馬が言いあう。夏が感心したように言い、横の雷蔵が「キミ、こんなとことは何だね人の学校で」と微妙な表情で呟く。
「……いやしかし、そうかそうか。心配する必要もなかったということなのか……」
「さっきから一体なんのお話ですか、あなた。ニコニコして」
「いやいや、こちらの話だ」
「でも、家云々は置いておくとしても、オバさんはお似合いだと思うわ」
 雫が、手のひらをあわせてニコニコと言う。
「それで、雪姫子の方はドーなの!? こうなったらハッキリするまでミー帰らないヨ!」
「お前らな! そんなに元気ならむしろ今すぐ帰れよ!」
 呆れ果てた顔の伐が怒鳴る。醍醐が、部屋の端で密かに重々しいため息をついた。

そして翌日、既に三日もジャスティス学園に逗留している彼らは、最も重症の伐がなんとか自力で歩けるようになったこともあり、それぞれが自宅へ帰ることになった。
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BY 餡子郎
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