第九話
「白藤家、忌野家はそれぞれ戦国時代から続く旧家だが、その頃から深い関係があった」
 雹は一度息をついてから、言った。
「白藤家は、忌野家がまだ小さな忍者一家だった頃から長い間仕えていた武家の家系だ」
「え?」
 その言葉に、数人が反応する。
「は? でもユキコとやらは、自分は忌野のゲニンだと散々言ってたじゃないか。ニンジャについては詳しくないが、君の言う通りなら、ユキコがプリンセスで忌野が彼女のナイト、ということになるはずじゃあないのか?」
 ロイが言う。他の者も同じ疑問を抱いているらしく、顔を見合わせていた。
「その通りだ」
「なら何故……」
「……順を追って説明しよう」
 静かな声で雹が仕切り直すと、皆が黙った。
「白藤家は代々温和な性格の当主が多かったためかあまり戦好きでもなく、幕府が崩壊することも柔軟に受け入れて早々から準備をし、明治時代にはただの田舎の地主になった。経済的に発展もしないが困窮もしない、安定した家だ」
 そしてそういった余裕のある白藤家の人間は趣味人が多く、家全体でおっとりした性格をしている一族だ、と紹介がなされた。
「しかし白藤家が武家でなくなったあとも、忌野家とは交流が続いていた。怪我をした忍びを白藤がその広い領地内で匿ったり、逆に広い土地を狙って白藤に因縁をふっかけて来る、地元の……いわゆるヤクザを忌野が追い払ったり、そういう細々した関係だ」
「ふーん、結構平和な感じだね」
 そういう付き合いもするんだな忌野って、と少し緊張感が抜けた表情で言うのは、夏。
「最初に白藤に仕えて戦国の世で名を挙げたからこその今の忌野家。家というものはルーツを大事にしてこそのものだから、例え大きなメリットがなくても付き合いは続いていた。新年の挨拶やら、冠婚葬祭に呼んだりする程度の付き合いだがな」
 雷蔵がそう説明した。そして空白の間が少しだけ流れたとき、雹が再び話しだした。
「……私が初めて雪姫子に会ったのは、五つか六つのときだ」
「え? 兄さん、ゆきがうちに来たのは七つになってからだろう?」
 雹の言葉に反応したのは、恭介だった。
 雪姫子は両親を亡くしてから数ヶ月病院で療養しており、霧幻に引き取られた時には七つになっていたはずだ、と恭介は言った。しかし雹は「いや」と首を振る。
「私は、お前より先に雪姫子に会っている。伐もな」
「は? 俺?!」
 自分を指差して目を丸くしている伐に、雹は頷いた。
「あの時はまだ、次期忌野家当主を私にするか伐にするかで、本家で随分揉めていた。私本人は蚊帳の外で、伐など忌野という家名すら知らなかっただろうが……。その時のごたごたがあまりに酷かったせいで、雷蔵叔父は雫叔母と伐を隠したのだ」
「……そうだったのか?」
 いくらかの事情は聞き、雷蔵とも和解したものの、そこまでは聞いていなかった伐が、目を丸くして雷蔵を見る。雷蔵は例の頭を掻く癖をしてから、うむ、と話しだした。
「そうだ。それに兄は、息子の雹を忌野家当主にすることに血眼になっておった。逆に儂は自分の息子には出来れば忌野の確執には関わらせたくないと思っておったので、譲るのには何の異論もなかった。雹本人が望みさえすれば、とな。まあ実際盛り上がっておったのは、今雹が言った通り本家の人間たちだったのだが……」
「私に是も否もない」
 雹がきっぱりと言う。つまらなそうにも聞こえる声だった。
「結局雷蔵叔父が伐を隠すということが最大のきっかけとなり、私が次期当主ということになったわけだが……。雪姫子と初めて会ったのは、その直前の頃だ」
 そういった雹の表情が少しだけ柔らかくなったことに気付いたのは恭介くらいのものだったが、確かにそれは微笑だった。
「次期当主候補としての挨拶という名目だったが、結局のところ、白藤の家はどっちの味方だ、と詰め寄るための訪問だ。温和で柔軟な性格の白藤はそういうお家騒動とは無縁の家だから、さぞはた迷惑だったことだろう」
「うむ……」
 雷蔵が、気まずそうに顎を掻く。
「その時、私と父、そして雷蔵叔父夫婦と伐がそこに居た」
「……全ッ然覚えてねえ……」
「まあ、小さかったものね。雪姫子ちゃんも全然覚えてないって言ってたわ」
 全く記憶にない、という伐に、雫がそう呟く。
「私はよく覚えている」
 雹が言った。
「当主になった方が雪姫子を娶るという話も出ていたからな、見合いも兼ねた挨拶だった。覚えていないか?」
「お、覚えてねえっつーの!」
「そうか。……私は子供心に結構嬉しかったものだが」
 その時、え、と全員の視線が雹に集まった。雷蔵など目を真ん丸にして勢い良く雹を振り返っている。
「メトルってなんデスか? メットール?」
 雷蔵が何か言うより先に、ティファニーがトンチンカンな質問をし、皆が脱力する。
「ミアイ、はわかりマス! 結婚デート!」
「娶る、は……つまり、妻として迎えること。結婚することだ」
「Oh,marriage ! ナルホド、よっくわかりましタ!サンキューね!」
 ティファニーが、ぱっと笑顔を浮かべて頷く。
 そして周囲の者たちは、今の会話にやや驚きを隠せないでいた。日本語の知識に関しては幼児に等しいティファニーに、言葉の意味を噛んで砕いて教えるのはなかなかに骨だ。それに、単語の説明など今は決して必須なものでもない。しかし雹はイラつきの欠片さえ見せずにゆったりと分かり易く説明し、その様は優しくさえあった。
 だがこれが、洗脳によって作られた人格が干渉しない本来の雹なのだ、と恭介は深く感じ入った。恭介が雹と兄弟として暮らした時期は小学生の前半くらいまでだが、双子でありながらすべてにおいて恭介よりも突出していた雹は、兄として常に恭介の面倒を見て、あらゆるものから守ってくれた。
 そして持ち前のカリスマとリーダーシップに溢れた彼は、その分責任感も強い。でなければ、こうして自分から処罰を受けるつもりだなどとは言わないだろう。完全に洗脳の効果がなりを潜めている本来の兄の姿に、恭介は涙すら溢れてきそうになるのを堪えた。
 何か思うものがあるのか、ひとり目線をやや外れたところに飛ばしていた雹は、ややしてから、全員の視線に向かって、フっと小さく微笑んだ。しかしその笑みはただの笑みではなく、どこか悲しげなものを含んでいた。
「まあ、それは結局流れたがな。……白藤家当主夫妻、……雪姫子の両親が惨殺されて亡くなったからだ」
 雹の周囲の空気が重くなった。恭介がごくりと息を飲む。
「……兄さん、本当なのか? ゆきの両親を殺したのが…………っ、父さんだ、って」
「──何だと!?」
 雷蔵が勢いよく立ち上がり、部屋中に響くような大声を出した。皆耳を抑えるが、雫はそれを越えて驚いているのか、目を丸くして絶句している。
「そんな……! ゆ、雪姫子ちゃんは、強盗に、って」
「それこそが洗脳による記憶の改竄です、叔母上」
 雹の表情と声は、鉛を飲んだように重い。
「……忌野家こそを日本の頂点としようとした父は、かつて仕えていた白藤家の当主を殺し、その娘を忌野の下忍にする事で、忌野の力の証としようとした」
「なんという……! ことだ……!」
 雷蔵の巨体がショックのあまり蹌踉け、ドサリ、と尻餅をつくようにして座った重厚な椅子が軋んだ。
「そして父は雪姫子を殺さずに引き取り、“両親を強盗に殺されて身寄りのなくなった自分を引き取ってくれた”という偽の記憶を植え込んで、それを恩に着せて雪姫子に忌野忍術を仕込んだ。忌野家に仕える使用人、下忍として」
「ひどい」
 そう呟いたのは、ひなただった。そして涙を滲ませている彼女だけでなく、ほぼ全員の目に怒りが宿っている。
「……先程言ったが、白藤家の人間は趣味人が多く、家全体が温和な性格だ。当主であった雪姫子の父親は歴史文化学者、母親は日舞や琴、三味線の名取りでその師匠をしていた。雪姫子も本来は、母から日舞を習ってゆったりと暮らすお嬢様だった」
 雹は、少し黙った。細められた目と顰めた眉には、苦悶が色濃く浮かんでいる。
「……そういう育ち方をした雪姫子に、本格的な暗殺術である忌野忍術の修行はさぞ辛いものだっただろう。しかも父が雪姫子に課する教育は、私から見ても常軌を逸していた。学術と体術もそうだが……」
「?」
「お前は忌野の下忍、使用人なのだ、と徹底した教育を施されていた。私と恭介から声をかける分にはいいが雪姫子から声をかけること、果ては目を合わすことすら禁じられ、共に食事を取ることさえ無礼と言われて引き離されていた」
 時代錯誤も甚だしい話だ、と雹は吐き捨てた。
「……“身の程を弁えろ”というのが、父の、雪姫子に対する口癖で、常套句だった」
 だが今となって思えば、白藤の姫である雪姫子にそう言うことで、霧幻は自分の、忌野の力の偉大さを味わっていたのだろう、と雹は言う。
「──お前は止めなかったのかよ」
 伐が、ぎりりと歯を鳴らすかのような勢いで、雹を睨む。
「お前、そこまで知ってて何もしなかったのかよ!? お前もガキだったとはいえ、」
「伐、よしてくれ」
「でもよ、恭介!」
「……兄さんは、必死にゆきと……僕を守ってくれた! 自分が盾になって!」
 恭介の叫びは、悲痛だった。
「僕が父さんから洗脳術を受けずにいられたのも、兄さんが庇ってくれたからだ!」
 術などかけなくても、自分がきちんと恭介に言うことを聞かせます。そう言って自分の前に立ってくれた背中が、今でも恭介の頭に焼き付いている。
「ゆきのことだって、」
「恭介、よせ」
 ぴしりと雹が言い、恭介は自分を落ち着かせるために息を吸い、渋々と黙った。そんな彼らを見て、伐が気まずそうに顔を歪める。
「……悪かったよ」
「……いや、僕こそ大声を出してすまない」
 そう言いあった二人を見遣ると、雹は静かに言った。
「しかし結局、私の力は及ばなかった。何もしなかったのと同じことだ」
「そんなこと……!」
「今回のこととて、私が術に耐え自我を保つことが出来てさえいれば良かったことだ」
 皆が顔を歪めるが、雹は彼らの顔を見ず、頑として言った。
「全ては私の弱さが原因だ。取り返しのつかないことになってしまったが、責任は取る」
「それは違うわ」
 空気を切り裂くように凛とした声で言ったのは、響子だった。雹を含め、全員の視線が彼女に集まる。
「あなたと鑑君、そして白藤さんは、忌野霧幻氏から虐待を受けた。そのことで出た弊害を処理し切れなかったことなんて、それは罪でもなんでもないわ。貴方のしたことは加害者のそれだけど、それは貴方が被害者だからでもある」
「責任逃れだ」
 雹は、ばっさりと切って捨てた。
「やめなさい。貴方の思考は虐待被害による心的外傷後ストレス障害よ。貴方が感じている罪悪感と罪責感は、貴方が負うべきものじゃない」
「私はあの時死ぬべきだった。そうあるべきだと覚悟をし、またそれで楽になれると……。……それも、逃げだと言われればそれまでだが、私は他にどうしていいのかわからなかった」
「やめなさいと言っているでしょう!」
「例え被害者でも、加害者に回れば罪は同じだ!」
 雹が、今回初めて大声を出した。
「……一番の被害者は雪姫子だ」
 ばさりと顔にかかった長髪を、雹は掻き上げた。
「十年、……十年だ。そんな長い間、あれは親の仇に奴隷のように扱われ、父が死んだ後はその息子の私に仕えさせられていた。……洗脳によって」
 大怪我をした身体を動かしても眉一つ動かさなかった雹が、痛みを堪えるように顔を歪める。
「親の仇の息子に向かって、あれは何でもすると言う。命じれば私の足下に跪き、私のために死ぬとすら言った。──狂っている」
「……雹」
「泣きもしなければ笑いもしない。あれは何も悪くはないのに」
 手袋を嵌めていない右手が、自らの顔を覆う。
「……私は雪姫子を守ることが出来なかった」
 呻くような声だった。
「いや、それどころか──」
「雹?」
 発言が独り言に近くなってきた雹を、雷蔵が訝しむのと心配とで覗き込む。それに気付いた雹は、顔から手を外し、目を覚まそうとするかのように頭を振って瞬きをした。

 ──ははは。欲しかったのだろう? 父が手に入れてやったぞ
 ──喜べ、雹。これは今日からお前の所有物モノ


「……私のせいだ」
 雹はそれきり、黙った。
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BY 餡子郎
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