第六話
 ──ダァン!

「……お見事」
 ワイヤーを絡められて思い切り振り回され、地面に叩き付けられた恭介は、そう言った雪姫子の声を聞きながらゆらりと立ち上がった。
「私の吹雪御前をあえて受け、ワイヤーと私の両手を自分に向けさせた上でお二人を向かわせましたね。これではさすがに私も苦無ひとつ投げられません」
「……っだろう?」
 ワイヤーを外された恭介はにやりと不敵に笑い、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「しかし、すぐ貴方を倒して追いかければいいだけのこと」
「そうはさせるか。僕だって子供の頃とは違う」
「関係ありません」
 既にほとんど瞬きをしない雪姫子の真っ黒な目は、雪の夜のように果てしなく深い。
「さあ、お喋りは終わりです、恭介様」
「恭介様、ね」
 フっと自嘲気味に笑うと、恭介は構えた。身体の上に腕の構えを重ねて死角を作り、次の動きを読みにくくする。シンプルでいながら最も隙がない、忌野流の徒手格闘術の基本の構えだ。
「──ッはァッ!」
「ふ……!」
 流動的で、ふとした瞬間は酷くゆっくりにも見える、舞のような不思議な動き。日舞の動きを取り入れたそれは、忌野流くのいち忍術の特徴でもあった。そしてそんな彼女とともに幼少期の訓練を受けた恭介は、その動きがどこか滲む。パワーに任せがちな男性の格闘にはない、優雅とすら言える動き。男としてのパワーをその繊細で洗練された動きで操る技こそ、恭介の強みだった。
 そんな二人が闘う様は指先まで美しく、負傷によって観戦しか出来ない面々は、半ば見蕩れるようにしてその様を見守った。
「──確かに、強く、おなりです」
「そう」
 的確に隙をついて来る雪姫子の隠し苦無に冷や汗を流しながら、恭介は武者震いに笑んだ。自分も成長しているが、雪姫子も実力が上がっている。やはり雪姫子の方が強い、しかし昔より差は縮まっていることを確信し、恭介は集中力を高めた。
「──はぃやッ! はッ!」
「ぐっ……!」
 拳に隠し苦無を潜ませた上半身での攻撃ばかりしていたのは、この蹴りへのフェイントだったらしい。突然飛び上がった雪姫子は、下半身の回転を強く使った回し蹴りを両足二段構えの連続で浴びせてきた。回し蹴りでありながら上体は常に的を見据えるため前を向くという、忌野流くのいち忍術の高難度技、外八文字。吉原遊廓伝統の花魁道中での足さばきから取ったその動きは、本家の花魁と同じく一人前に外八文字を習得するまで三年はかかる。
 雪姫子のそれは、完璧だった。回し蹴り最大の弱点である敵から目を離すことをせず、しっかりと恭介を見据えている。
 女の体重と言えど、強い回転による遠心力のパワーに後押しされた、鋼鉄入りの花魁下駄で蹴られては充分致命傷になる。恭介は一撃目を何とか避け、次の一撃目で右腕一本を犠牲にし、両側から肋骨を粉砕されることをなんとか防いだ。
「──甘いっ!」
「……ッア……!」
 何とか生き残らせた左腕を勢い良く天に向け、恭介の放った青白い雷の柱が雪姫子の左足の外側を焦がし、特殊繊維のストッキングを破いた。利き足ではなかったことに恭介は舌打ちしつつも、さらにラッシュをかける。いつもならヒット&アウェイで安全策に走っているところだが、今回ばかりは攻める気でいかないといけない、という覚悟があった。
「雷……ッ!?」
「そう、僕の特異体質。忘れたかい?」
 忘れてなどいない。しかし子供の頃はせいぜい強い静電気くらいのもので、本当にちょっとした特技くらいに思っていたのだ。それがこんなスタンガン並み、いやそれ以上の威力になっているなど夢にも思わず、雪姫子は本気で驚いた。
「クロスカッター!」
「くうっ……!?」
 バチバチと音をさせながら飛んできた鋭い形状のエネルギーの塊を、雪姫子はワイヤーで拡散させようと腕を広げた。しかしハっと見ると、その向こうにいたはずの恭介が居ない。ワイヤーを広げるために隙だらけになった両脇、その左側に、白い学ランが見えた。
「しまっ……!」
 眼前に、恭介の手のひらが迫っている。
「……ッハ!」

 ──ドンッ!

 大きな衝撃が、雪姫子の身体中にいっぺんに伝わる。

「かっ……」

 ──砕け散った、と思った。





 恭介の手に顔を掴まれたような状態の雪姫子は、途端に身体の力が全て抜けたかのようにその場に崩れ落ちる。
「……何、したんだ?」
 訝しげに、ロベルトが尋ねる。完全に折れた右腕をだらりとさせながら、恭介がはあはあと荒い息を整えてから、「解除」と言った。
「解除?何のだ」
「洗脳だよ」
「……っそんなことできんのかよ!?」
 じゃあ今までもちゃっちゃとやりゃ良かったじゃねーか、と将馬が言うが、恭介はふるふると首を振った。
「……僕のは、洗脳術を練習している兄さんのを見てたってだけのうろ覚えだからね」
「門前の小僧なんとやら……ってやつか」
 ロベルトが言い、恭介が頷く。
「そう。だからわからないところは電気を全部叩き込んだ」
「電気ショックみたいなモン?」
「心臓と違って脳だから何とも言えないがね。でも脳は全部細かい電気信号のやり取りで成り立ってるんだから、望みはある。しないよりいいだろう」
「あ、荒っぽいね……!」
 電気の熱で脳味噌溶けて耳から出て来でもしたらどうするんだ、と呆れる夏に、恭介は疲れた笑みを浮かべる。
「ゴムじゃないんだから。……さあ、どうかな」
 ごくりと唾を飲み込み、恭介と一同は、倒れている雪姫子を見守った。

「──う……」

 眼前に、大きな手が迫って来る。見覚えのあるその光景に、雪姫子はぐらりと目眩を覚えた。
 ぼんやりする。ぐるぐると視界が回って、パシパシと光景が目まぐるしく動く。フラッシュバック、過去の走馬灯。見えたのは、古く大きな日本家屋。
「あ、あ、ああ、あ」
 襖に、模様がついている。黒い、いや赤い模様。
「おとう、さ」
 学者らしいだろう、と言ってかけていた時代錯誤な丸い眼鏡が、ひび割れて畳の上に落ちている。だらりとした腕、ねだればいつも抱き上げてくれたその腕は、もう動かない。
「お、おか、おかあさ、ああ」
 凛として、そしてなよやかに舞う母もまた、畳の上に倒れ臥している。いつも美しい立ち姿をしていたはずの母が、畳の上で伏せている。顔は判らない、ただ首があり得ない方へ向いている。和服の襟から伸びる、すっと美しかったうなじがねじれて固まっていた。
「ああ、」

 ──生かしておいてやる

「──ひ……!」
 大きな手が、眼前に迫る。父と母はもう動かない。古い家の臭いと、鉄臭い血の臭い。

 ──生かしておいてやる

 男は、そう言った。

 ──その代わり、忌野の僕になるのだ、白藤の姫
 ──ふ、ははははは

「だ、れ」
 知っている。自分は、この男を知っている。夜闇に現れ、父を刺し、母の首を折り、自分だけをこうして生かしたあの男を、雪姫子は知っている。

 ──忌野こそが、日本を手に入れる。
 ──まずはかつて仕えていたお前を従僕にして
 ──ははは。そのために、生かしておいてやる。忌野の力の象徴として
 ──傀儡だ。雹も、お前も、この忌野の、私の

「いまわ、の」

 ──ありがたく思うがいい。生かしておいてやる
 ──生かしておいてやる、この忌野がだ

 知っている。あの男を知っている。あの男は、





「ゆき……?」
 はっと目を覚ますと、雪姫子は仰向けに寝かされていた。眼鏡をかけた綺麗な面差しの青年が、心配そうに、そして不安げに自分を覗き込んでいる。
「……恭、ちゃん」
 そう呼ぶと、恭介は泣きそうなぐらい嬉しそうに笑った。その拍子にシルバーフレームの眼鏡がカシャンと落ちて、片手で慌てて拾う様が彼らしくなくておかしかった。
「良かった。洗脳が解けたんだな」
「あ……? ……たっ」
 起き上がろうとすると、全身に酷い痺れと怠さ、痛みが走った。骨と言わず頭と言わず、全てが痛む。
「無理するな。結構手荒な方法をとったからね。……他に異常はない?」
「……ない、と思う…………あ!」
 大きく目を見開き、雪姫子は恭介を見た。
「──どれぐらいの時間が経ってるの!?」
「ん……二十分くらい……かな」
「いけない……!」
 雪姫子は、身体を無理矢理起こした。激痛に顔を歪める雪姫子を、恭介が慌てて支える。
「ゆき、駄目だ」
「行かなければ」
「ゆき」
「行かないの恭ちゃん! 止めるって言ったでしょう、早くしないと、……ぁア!」
 殊更酷い痛みが走ったのだろう、雪姫子は上半身を起こしたものの、立ち上がるまでには至らなかった。しかし雪姫子はそれでも立ち上がろうとする。
「……ぁあ、」
 ぼろ、と、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「──どうして気付かなかったの」
「ゆき?」
 ぼろぼろと泣きながら、這うようにして、雪姫子は校舎へ向かう。
「どうして、馬鹿、私」
 泣いていた自分の頭を撫でてくれた手は、あんなに優しかった。
「あの人が、望んでこんなことをするはずがないのに……!」
 その後は、もう嗚咽になって聞き取れはしなかった。泣きながら、全身の痛みを堪えてずるずると這う雪姫子を見て、恭介が呆然とし、他の者たちが顔を見合わせる。先程まで凍り付くような態度と口調だった雪姫子が、結った髪を崩し、服を汚し、無様に地面を這ってまで必死に何かをしようとしている様に驚いたのだ。
「……無茶よ、そんな身体で」
「あ……?」
 目の前に立ちはだかった脚は、濃い色のストッキングと黒いパンプスを履いていた。見上げると、色々な傷でボロボロになっている、ジャスティス学園保険医である水無月響子が立っていた。すぐ近くには、国語教諭の島津もいる。
「高電圧のスタンガンか、もしかしたら電気椅子ぐらいのダメージがあるはずよ。下手すれば障害者よあなた」
「構いま、せん……!」
 雪姫子は悲痛に顔を顰め、絞り出すように言った。
「私がどうなっても、あの人を止めなくては、なら、な、」
「…………………………」
「どいて、くださ、」
 響子の脚の横を這って行こうとする雪姫子だったが、そのとき突然、脇に手を入れられて身体が引き上げられた。やはり激痛が走るが、立てたことに目を丸くする。
「どこまで行けばいいの?」
「………………あ……?」
 響子が自分に肩を貸してくれている、と気付いた雪姫子は、呆然として、すぐには答えられなかった。
「どこ?」
「と、図書、館……。学長室に、繋がる……」
「わかったわ。島津先生、手を貸して頂けます?」
「うむ」
 英雄が、響子とは反対側で雪姫子を支えた。
「おい! アンタたち、」
「センセイ。響子先生。目上の人間をアンタ呼ばわりするんじゃありません」
 妙な迫力で言われ、将馬は口を噤む。
「何でこんなことになったんだか、すぐ説明してもらいたいわ。でもこの子それどころじゃないみたいだし、それなら連れて行った方が手っ取り早いでしょう」
「水無月、せんせ……」
「黙って、体力消耗するわよ。今気絶してないだけでもビックリなんだから。どういう鍛え方してるの貴女」
「まったくですよ。あの繊細な古文のレポートを書いた方とは思えません」
 英雄が言う。国語、特に古文は雪姫子の得意教科で、そしてその研究レポートは全て英雄が見ていた。
「すみま、せん……」
「後、あと。ほら黙って」
「すみませ……」
 引きずられるようにして図書室に向かう雪姫子は、やはり泣いていた。
「──ゆき、」
「なあ」
 恭介の言葉を遮り、ロベルトが、いてて、と呟きながら雪姫子たちに駆け寄った。
「それだと効率悪いでしょう。俺だいぶ回復してきたし、女の子一人背負っていくくらいなら平気です。先生方、それぞれ肩とアバラやられてておぶれないんでしょう?」
「……よくわかったわね」
「スポーツマンですから、身体の不具合は見ればわかります。ユキコさんだっけ、俺に背負われるの平気か?」
「……おねがい……します……」
「よし。サッカー選手の脚力を見てろ」
 ロベルトはにっと笑い、教諭二人に手伝ってもらいながら雪姫子を背負うと、なるべく揺らさないようにしながら駆け出した。
「……ゆきちゃん」
「うおおい、コラ、そこの白ラン茶髪キザメガネ!」
 突然響いた珍妙な呼び名に、恭介は眼鏡のブリッジを持ち上げながら声の主を見上げる。
「鑑恭介だ。そんなに特徴を羅列しなくてもわかるよ、山田君」
「その名で呼ぶな殺すぞ徹底的に。そっちのアキラ見てやってくれ、俺も行く。……おい岩! 起きてるな!?」
「起きとるよ」
 あー、と耳を押さえながら、岩が立ち上がる。
「ここから降りる、一発頼む」
「怪我人に容赦ないのう」
「そんなヤワじゃねーだろ」
 まあな、と岩はどっしりと返し、エッジが縫い止められている校舎の壁に対して立った。そして「ぬうん」と気合を入れると、思い切り壁に“テッポウ”をかます。地響きのような音とともに壁が揺れ、エッジが散々引っぱり倒して緩くなった苦無がバラバラと抜ける。
「おーいアキラ! 死んでねーか!?」
「死んでない」
 恭介に肩を借りて立ち上がったアキラが、むすっとしたような声で言った。
「落ちた時に思いっきり肩を脱臼して気を失っただけだ。首を吊られた方はフルフェイスメットのおかげで大したダメージじゃない」
「そりゃ良かった。お前も行くだろ?」
「当然。あの女が何をする気なのか見届けてやる」
 アキラは、肩を借りている恭介をちらりと見上げた。
「もういい、助かった。……しかし物凄い幼なじみだな」
「……まあね」
 恭介は苦笑を返すと表情を引き締め、ロベルトと雪姫子、教諭たちの後を追った。自分もまた、雹を止めるために来たのだから、遅れを取ってはならない。
「……アタシたちも行こう」
「夏?」
 こちらも身体の痛みを堪え、顔を顰めて立ち上がった夏を、将馬が見上げる。
「あの子、スッゴイ根性。何しようとしてるのか興味ない?」
「……ま、確かに」
 将馬は口を尖らせると、バキバキと不自然に鳴る身体を起こした。
「恐るべしヤマトナデシコ、といったところだな。俺たちも行こう」
「Oh, me too ! アメリカンギャルだって負けてないネ」
「はは、そうですね」
 パシフィックハイスクール三人も立ち上がる。ロイは固まり始めた額の血を拭い、ティファニーは破れてきわどいデザインが余計きわどくなっているそれを結び直す。
 ボーマンもまた十字を切って祈ってから、深呼吸をして立ち上がった。
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BY 餡子郎
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