No.005/8月25日(3)
「レイ?」
うろうろと、何かを探すようにしていたアケミが、呟いた。
彼女が飛ばした目線をシロノたちが追うと、その先に見えたのは、アケミよりはマゼンタの強い──おそらく染めているのだろうベリーショートの髪をした、細身の女性の後ろ姿だった。
その短い髪からは、一見しただけでは数えられない数のピアスが覗いている。また胸から上を何も隠さない黒いチューブトップを着ているので、その肌にびっしりと刻まれた、複雑な文様の刺青が惜しげも無く見えている。
刺青はロマシャのものであるとわかるが、しかしローブのようなものですっぽり身体を覆ってしまうか、そうでなくでも長く派手な布を纏うロマシャのファッション・センスからは、随分離れている──というか、“ロマシャ風”を取り入れたパンクファッション、というのが当てはまる感じで、表通りではともかく、この魔女市場では少し浮いている。
「レイ!」
アケミが、もう一度呼ぶ。今度はその声に、僅かな念がこもったのを、クロロは察知した。そのせいか、レイと呼ばれた女性が振り向く。
そして、大きく手を降るアケミの姿を認めた彼女の目は、これでもかと大きく見開かれた。
この魔女市場には毎回欠かさず顔を出しているが、レイがここで果たすのは、魔女としての役割ではない。
ロマシャ自治区で生まれたレイは、ロマシャの例に漏れず父親がわからなかったが、母親もわからなかった。そんなレイは魔女たちに育てられ、魔女の知識は確かにある。しかし誰よりも強い霊感から、魔女というよりも霊媒師のような能力に長けていた。
アンデッドをロマシャ魔女の至高とし神聖視する価値観から、表の目につく文化でも、死者をミイラにしたりするロマシャにとって、幽霊とは精霊のようなものに近い。
幽霊が見える、程度の者は一般人にもそこそこいるが、会話が出来たり、接触したり出来る者は少ない。他の部族なら、間違いなく、シャーマンとして特別な扱いをされる能力。そしてレイも、それに当て嵌まっていた。
しかし世知辛い事に、レイは基本的な、魔女としての必修技術が苦手だった。例えばお呪い、各種の道具作り、料理、歌や踊り。シャーマンとしては希有な能力を持ち、そのこと自体はマイナス点ではないレイだが、ロマシャの魔女としては落ちこぼれもいい所であったのだ。
だからこそレイは、職を見つける必要があった。かつて迫害を受ける前のロマシャに生まれたのであれば能力だけで暮らしていくことも出来ただろうが、世知辛いかな、現代ではそうはいかないのだ。
美しい刺繍や香水、小物類を作れる魔女はそれを売って食べているし、容姿が良く魅惑的な歌や踊りをこなせる者は踊り子として、よく当たる占いが出来る魔女はそれで身を立てることが出来ているが、レイにできるのは、幽霊と多少の会話をする事だけだ。呪術的な意味合いのある多数のピアスやタトゥーを入れてもみたが、さほど効果はなかった。ファッションも兼ねているので、特にがっかりしているわけではないのだが。
しかも幽霊というのは自我が半ば崩壊しているのが基本で、あまりまともな会話は成り立たない。その上、レイは彼らをはっきりと見て声を聞くことは出来るが、実際に何をどうこうできる力はなく、お祓いのような事は出来ない。つまり要するに、レイの力は、この現代社会で食べていくのに、何の役にも立たないのだった。
唯一幸いと言えるのは、幽霊とは突き詰めると人間から肉体が無くなったものであるので、よく見ようとすればするほど、念の四大行のうち“凝”を磨く事に他ならず、レイはゆっくり、理想的に精孔を開く事が出来た。
ロマシャに念能力者は多く、特にアンデッドであれば、優秀なハンターとして活動している場合もある。レイはソロで動ける念能力者としての才能はなかったが、ハンター教会が運営する斡旋所・千耳会の職員として、月給を貰いながら暮らしていく立場を手に入れた。
レイはロマシャだが、何が何でもロマシャらしく行きて行こうという気は特にない。それはあるがままを受け入れるロマシャの気風でもあった。またレイは基本的に、平穏を愛する女だ。危険と引き換えに一攫千金を狙うとか、世界中を飛び回ってドラマティックな出会いや冒険を体験するとか、そういう事に憧れが薄い。
だから、そこそこいい額の給料が月々手に入り、基本的にヨークシン付近から動かなくていい千耳会の仕事は、理想的と言えた。しかも、レイの担当は裏ハンター試験をクリアしたばかりのひよっこ専門の斡旋所で、やってくるハンターもやばい奴はあまりいない。
更に、この“斡旋”という仕事はどうやらレイに向いているらしい。レイがハンター協会の子会社とも言える千耳会に就職したと聞きつけた魔女たちが、一般社会とのパイプを、レイに求めるようになったのだ。
それは例えば一般向き、しかしわずかな念の効果で当たり前のこと以上の効果を纏わせた香水や織物、雑貨。もしくは占い師や踊り子、歌い手としての魔女たちそのもの。直接売れば買い叩かれてしまうそれらを、ハンター協会というこれ以上ない後ろ盾によって損することなく捌きたい魔女たちが、レイを頼ったのだ。
その要望にレイ一人で応えることは出来ずもちろんレイは協会に泣きついたが、念の文化を持つ民族を全面的に保護する姿勢のハンター協会は、ほとんど手放しでそれを歓迎した。おかげでレイは、ほとんど親戚一族のような魔女たちに簡単な口ききをするだけで、大金持ちとは行かないまでも、千耳会の一般職員以上の収入を得ることができていて、レイ自身、それに大変満足していた。
──だが。
レイが、この魔女市場に参加するのを欠かさないのは、もう一つ理由がある。
「今まで何してたんです、アケミさん」
「いやアハハ、ついうっかり」
アケミが殺された事件のことを知っていたレイであったが、しかしそれとは関係なく、一目で、アケミが幽霊であり、なおかつ念によってその身体を具現化していることにすぐに気付いた。
いやそのことよりも、気付いた驚愕から立ち直る方に時間がかかった上、「死んでるってどういうことだ」と叫んだレオリオのせいで広がった混乱が、しばらく場を支配したが。
「でも良かったわあ、レイが“約束”を守ってくれてたおかげですぐ会えた」
「……魔女との“約束”を破るなんて、そんな恐ろしいこと」
ぶる、と、レイは身体を震わせた。
斡旋の仕事は、魔女市場に顔を出さなくても出来る。しかしレイがそうしなかったのは、アケミと約束したからだ。
「欠かさず魔女市場に顔を出せば、これからも何不自由なく暮らしていける……そういう“約束”の“お呪い”をしてくれたのは貴女ですからね、アケミさん」
ロマシャの魔女としての資質に欠けたレイは、当時、悩んでいた。このままではロマシャの中で魔女としてやっていくことはできないし、まともに学校に通ったこともない自分が、一般水準の職につくことも難しい。そんな悩みを、当時からロマシャたちの間でも評判の魔女──特に占いや呪いにおいては──だったアケミに漏らしたのが、そのきっかけだ。
当時まだ少女だったレイは、まじめにそれを実行した。その結果、市への道を何が何でも見逃すまいとした努力が“凝”や“練”の修行となり、中途半端だった念が磨かれ、千耳会への就職が可能になった。更にそれが魔女たちからの斡旋という要請に繋がった。はっきり言って、いい事ずくめ、順風満帆な道が開けたのだ。
「白状すると、十年くらい前に、市に来るのを一度さぼったことがあるんですけど」
あの時は散々だった、とレイが暗い声でこぼすと、レオリオがごくりと喉を鳴らした。
「ど……どうなったんだ?」
「最低。坂を転げ落ちるみたいだった」
事故には遭う、病気になる、厄介ごとが舞い込む、エトセトラ。何よりオーラが強制的に“絶”の状態になってしまい、真っ青になったレイは慌てて知り合いの魔女という魔女に掛け合い、呪いの約束を破ってしまった時の取り消しを依頼した。除念にも近いその案件は難易度が非常に高く、今までレイが老後のために貯めた貯金の全額を空にした。
「ここにいる魔女全員に何日も祈祷してもらって、やっとサボりを“なかったこと”にできたんだ。あの一件で、アケミさんがどれだけ優秀で恐ろしい魔女が重々思い知りましたよ」
「ほほほ」
青ざめた顔で語るレイに、アケミは軽やかに笑う。
そのさまを、シロノは「ママすごーい」と手をたたき、レオリオはレイと同じような顔色をし、クロロは興味深げに頷いていた。現在のアケミの念能力“魔女のレシピ”の原型は、既に生前からあったのだ。
「まあ、そういうアケミさんの事だから、死んだって絶対アンデッドになってるだろうとは思ってましたけどね。“ゴースト”のアンデッドは多いですし」
「そうなのか?」
レイが呟くと、クロロが身を乗り出した。
書物からは決して得られない文化を持つロマシャの情報に興味津々な彼の勢いに、レイはわずかに引きつつ頷いた。
「“ゴースト”になった、という事自体、周りに気付かれない場合が多いですけどね。肉体を失うことになる“ゴースト”は、肉体があった頃のように自我をしっかりと確立させるのがかなり難しいのよ」
「まさに気力だけで自我を確立させなければならないわけだから、まあそうだな」
クロロが頷いた。
「そういうこと。生前からかなりのレベルの能力者だった場合は、ゴーストになってもある程度コミュニケーションが可能だけど、それにしたって“依代”が必要」
「……“依代”?」
「ゴーストは、生前変化形能力者だった場合になりやすいアンデッド。つまりゴースト自体が変化形オーラそのものともいえるのよ。つまり、何かしらの依代にゴーストが“取り憑く”ことで、何らかの形で依代に影響を与え変化が起こる」
依代は物品である場合もあるし、いわゆる“イタコ”タイプのシャーマンである場合もある。
「ロマシャのミイラ文化は、ゴースト対策でもあるのよ。エジプーシャのような復活、とは違うけれど、もしゴーストになった魔女が自我を失って彷徨うことがないように、比較的“取り憑く”事をしやすい生前の身体を、とりあえずの依代として用意しておくの」
「なるほど」
「だからアケミさんみたいに、依代無しでここまで自我を確立させてて、なおかつ自分自身を具現化させてるなんて、見たことも聞いたこともないわ。……で、貴方誰?」
先程から目を輝かせて話を聞いているクロロに、レイは眠そうな垂れ目を細めた。
「そうそう、バタバタしててちゃんと紹介してなかったわね」
パチン、とアケミが胸の前で手を打ち鳴らした。
「まずこの子が私の娘、シロノ」
「こんにちはー、レイおねえさん」
「この子が……」
アケミとお揃いの衣装を着た子供を、レイはまじまじと見た。アケミとよく似た顔立ちの、しかしどこもかしこも真っ白な子供。
「……いくつ?」
「えーとね、10歳ぐらい」
「そう……」
何か考えこむような表情でレイはシロノを見つめたが、やがてフッと表情を緩め、たくさん飾りのついた白い髪を撫でた。
「アケミさんそっくり」
「かっわいーでしょ? かわいーでしょ? で、こっちがシロノのパパでクロちゃん」
「へえ、アケミさんの旦那? また随分若」
「違うわよ、アタシの旦那じゃなくてシロノのパパ」
言い切らないうちに妙な迫力で否定したアケミに、レイは追加で質問するのをやめた。内容に疑問は浮かぶが、面倒事の匂いを強く感じたからである。レイは平穏を愛する女だ。
「それで、こっちがシロノの友達のレオリオ君ね。で、レイに頼みがあるんだけど」
「はいはい、アケミさんの頼みとあらば」
「うふ、ありがと」
肩をすくめたレイにアケミが頼んだのは、レオリオへの宿の紹介と、そして彼の精孔を開くことだった。
「宿の方はお安い御用。精孔の方は、ハンター協会経由で師匠役を紹介する事になるかな」
念についてを知るというハンター裏試験の合否については、運も実力の内ということで、とレイは苦笑しながら言った。
「申し訳ないけど、そっちは千耳会に依頼ってことで紹介料を貰うことになるし、修行も年単位でかかるよ」
「な!? そりゃ困る!」
最短の医大合格を目指す受験生であるレオリオには金の余裕はないし、時間となればもっとない。しかし、宿を変えなければならなくなった理由も聞いたレイは、肩をすくめて首を振る。
「こればっかりはしょうがないね。でも念を覚えてないハンターライセンス持ちは、小悪党の一番いいカモだ。安心して勉強したいなら、急がば回れでまず修行して念を覚えたほうがいい、と私は思うけどね。これも、人によってはどれぐらいかかるかもわからないけど」
「ぐぬ……」
レイの説得力満点の言葉に、ぐぬぬぬぬ、とレオリオが頭を抱えて唸る。そんな彼を見て、大人たちの話に飽きて、店先の気味の悪いぬいぐるみを眺めていたシロノが言った。
「ゴンとキルアは“ムリヤリ起こした”みたいだよ?」
「ムリヤリって何だよ」
「修行でちょっとずつやるんじゃなくて、一気にやるの。一日でできるんだって」
「マジか!」
シロノがもたらした情報に、レオリオが喜色を浮かべる。
「ちょっとちょっと、誰か知らないけどずいぶん危ないことしたのね。たしかにそういう方法もあるけど、下手したら、というか大概が死ぬわよそれ」
「はいムリヤリ案却下ァ!!」
しかしレイが示したハイリスクハイリターンさに、冷や汗を浮かべて即座にそう叫ぶ。
「まあ世の中うまいだけの話なんかねーよな……ていうかまーたあぶねーことばっかやってんのかあの小僧どもは……いやそれはともかくどうしよう……」
「簡単だろう、そんなもの」
あっさりとそう言ってのけたのは、クロロ。全員が彼に目線を向けると、彼は何でもないように言った。
「“呪い”をかければいい。得意だろう? アケミ」
クロロの案は、アケミの念能力『魔女のレシピ』によって、“体に害を及ぼす事無く精孔を開く”という呪いを作ればいい、というものだった。なるほど、とアケミが頷く。
しかし“念”というモノ自体を本日始めて知ったばかり、しかもその概要も実際のところよくわかっていないレオリオは、心底不安そうな様子で言った。
「え、その、時間も金もかからず命の危険もなくってのはありがたいんスけど、それってどういう」
「えーっとね、流れとしては」
(1)依頼者がアケミに対して支払う対価を決め、それに双方納得する
(2)呪いのレシピを作る
(3)レシピの内容を実行する →成就
「という感じね。作ったレシピを実行するしないは自由だけど、最初に取り決めた私への対価は絶対に払ってもらうことになるわ。これを破った場合、レシピを完遂していても得た効果はすべて消える上、ペナルティが振りかかる場合もあるわ」
「途中で対価が変更ってのはナシっすよね?」
「ないわ。私が私の都合で受け取りを拒否した場合も、依頼者に対してペナルティがいくことはないし、レシピを実行すれば目的は達成されるわ」
「うーんそれなら、……うーん」
悩むレオリオに、まあゆっくりどうぞ、と言って、アケミはレイに向き直った。
「レイはどうする? その“お呪い”、かなり薄れてるわよ」
魔女市場に欠かさず顔を出せば、平和で順風満帆な暮らしが送れるという“呪い”。しかしかけてからだいぶ時間が経っている上、一度破って直したためか随分薄れている、と、その呪いをかけた本人は診断した。
「あ、やっぱりですか……」
「やり直す?」
「できれば。でも対価は……」
「ちょっと欲しい物が色々あるんだけど、それに口きいてもらえればいいわ」
念、という概念を知らず、あくまでロマシャの魔女でしかなかった生前にかけたものでも30年以上の強力な効力を生み続けた“呪い”の製作者。その対価としては、はっきり言って破格以上のものだ。
「了解。お願いします」
「はいはーい。じゃあそこに座って、向き合ってね。シロノ、そこでリャマのミイラ買ってきて」
アケミは何枚も重ねた長いスカートの一枚を器用に引き抜くと、隣の屋台の魔女に断って骨材を借り、ベルトやらを使って簡単な天蓋のようなものを作った。その下に立てば、魔女の占い屋の完成である。やけに手馴れたその様は、生前こうして暮らしてきたということの証でもあるだろう。
そして、シロノが買ってきたリャマの胎児のミイラを受け取り、そっと丁寧に膝の上に置く。
「内容は、平和で順風満帆な暮らしが送れるお呪い、でOK?」
「……それよりは、“強力な念能力者が近寄らない”というのにできますか?」
念使いである以上、それこそが平穏無事な人生を送れる秘訣だと、レイは知っている。理屈なく、念使い同士は引き寄せられる性質があり、そして大きなオーラは大事を呼ぶのだ。レイは、極力それに関わらずに生きていきたい。だからこそ、それなりの実力がついた今でも、初心者向けの斡旋所から離れたくない、と申請も出している。
収入その他は、もう自分でどうにかできる、というそれなりの自信が、レイにはあるのだし。
「なるほど。じゃあ」
──“強力な念能力者が近寄ってこないお呪い”
「対価は、魔女たちへの口利き。間違いないわね?」
「はい」
「よし、商談成立」
微笑んだアケミの目が、鬼火のように青く光る。
たくさんのアクセサリーをつけたその手を翻すと、シャン、とブレスレットが鳴った。
アケミの青い目がますます青く光り、朱い髪がふわりと舞い上がる。シャンシャン、カラカラ、と数々のアクセサリーが音を立て、まもなく、金や銀の輝きがちらちらと舞い始める。レオリオがごしごしと目をこする横で、クロロが「雰囲気満点だな」と呟いた。
──『魔女のレシピ』!
ずぅん、と、寒気とも怖気とも違う重厚な何かが、体の中を通り抜ける。そしてだんだんと輝きを増していた金銀の粉を、アケミは舞でも踊るような動作で優雅にかき集めると、シャンシャンとブレスレットを鳴らしながら、リャマのミイラに降りかけた。
──ぴく、と、生まれずして死んだ胎児が震える。
金の粉が降り注ぐと、骨と皮の間に、ふっくらとした肉が感じられるようになっていく。銀の粉が触れる度に、カラカラに乾いた毛が、瑞々しい輝きを取り戻していく。落ち窪んだ目が一度閉じたあと、長いまつげを伴ってぷるんとつぶらな目になると、おお、と皆が歓声を漏らした。
「かわいい!」
シロノが、はしゃいだ声を上げた。アケミの膝の上で黒い目をきらきらさせている白い小さなリャマは、確かに可愛らしい。これだけでも愛玩動物として価値が出そうだな、とクロロは冷静に観察した。
長いまつげを備えた黒い目をぱちぱちと瞬かせ、指でつまめるほどの大きさの頭を一度降った小さなリャマが、むずがるように少し口を開閉したあと、けふけふと咳をする。見えた口の中はミイラではとてもありえない、幼い生き物特有の、鮮やかな濃いピンク色をしていた。
「“……きょうりょくなー、ねんのうりょくしゃー、がー、ちかー、よってー、こなぁあああい”」
口をききはじめたばかりの人間の幼児のような高い声で喋ったリャマに、ぎょっ、とレオリオが目を見開く。レイもまた目を丸くしてその様子を眺め、動物好きなシロノは目をきらきらさせていた。クロロもまた、シロノとはまた別のベクトルでの興味で目を輝かせている。
そんな周囲には全く構うことなく、小さなリャマは、んっんっ、とマイペースに咳払いをすると、再度口を開けた。
「“……おまーじ、なぁあああい”」
んっんっ、と再度の咳払い。皆無言で、小さな生き物──のようなもの──の動向を見守っている。
「“みちをー、きいてくるひとー、にはー、かならずー、あんないしー、てー、あげるー、ことー。……んっんっ”」
「…………おお……」
「“おしまーい”」
「え、それだけ?」
「“……きょうのー、らっきーからーはー、みどりー”」
拍子抜けしたようにレイが言うが、リャマは重要なのかそうでないのかわからない情報を付け加え、んっんっと咳払いをしただけで、あろうことかマイペースにアケミの膝の上で足を曲げて座り込み、うとうとし始めた。
「そうみたいね」
「え、マジで? これから先、道聞かれたら必ず答えるってのをすれば、レイさんには強いのが寄ってこないわけ? 絶対? あとラッキーカラーってのは?」
「そうよ。ラッキーカラーはサービス」
信じられない、という顔でレオリオが言うが、アケミは当然、というふうに頷いた。
『魔女のレシピ』で作られる呪いの難易度は、成したい目的の大きさと、アケミに払う対価の価値、また運による。今回はアケミとレイが親しいということもある程度関わっているかもしれない、とアケミは言った。友人特典、というところだろう。
「ミイラは触媒か? それは必ず必要なのか?」
クロロが尋ねる。
「品は何でもいいけど、ミイラのほうが簡単な条件になりやすい気はするわね。それにレイ、リャマ好きでしょ」
「ええ。昔飼ってたから」
ロマシャは、動物をよく飼う。それは食料としてであったり、毛皮や骨を取るための資材としてであったり、単なるペットや相棒としても。リャマはそのいずれでもよく用いられる動物の筆頭である。
重ねてふかふかしたアケミのスカートに半分沈むようにしてすやすや眠る小さなリャマを、レイはじっと見た。そっと触れると、少し高めの体温がある。
「じゃあ、これでおしまい。作った“レシピ”は、触媒を壊せば無効になるわ。もう一度同じレシピを作ることはできないから、気をつけて」
「壊すなんて。内容が簡単だった上、こんなにかわいいペットまで貰えて本当にラッキーだわ。アケミさん、ありがとう」
眠ったリャマを受け取りつつレイは嬉しそうに言い、この子の籠を用意しなくちゃ、とも呟いた。本当に気に入ったらしい。
「……と、こんな感じだけど。レオ君、どうする?」
「ぜひ、お願いしまっす!」
本日二度目になる、腰を90度曲げた礼をして頼んだレオリオに、よろしい、とアケミは頷いた。
“安全に、短時間で精孔を開く事ができるお呪い”は包帯を触媒にして作成され、その内容は──
「“坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた” よし!」
──女友達に選んで貰った香水をつけ、早口言葉を10個連続で間違わずに言う
購入時のまま巻かれて解かれたことがないはずの包帯に書かれた“レシピ”は、そういうものだった。ご丁寧にも、包帯の余り部分には沢山の早口言葉が羅列されてあり、また最後にオマケのラッキーカラーが書かれてあった。ちなみにオレンジ。
「“竹薮に竹立てかけたのは、竹立てかけたたたっ” ……だー!」
「がんばれー」
自分で自分の頬をばちんと叩くレオリオに、シロノが気の抜ける応援を寄越す。“女友達に選んで貰った香水”というのは、シロノが任されることになった。たまたま出先で知り合いが他にいないだけで他にも女友達ぐらいいるけどな、と聞かれてもいないのに言ったレオリオだが、特に誰も気にしなかった。
斡旋をしているおかげで、レイの手元にはサンプルとしてのテスターもそれなりに多くあった。その中からシロノが選んだのは、シャルルサーチの'99夏限定品。シロノとしては、まだ精孔が開いていないながらもわずかに香るレオリオのオーラの“におい”に合うものを選んだだけだったのだが、元々香水を新調しようと思ってたレオリオとしても、手に入りにくい限定品をゲットすることができ、思いがけずも上機嫌だった。
「“とてちてた とてちて とてちて とてちてた” ──」
「……何とも、平和なもんだ」
早口言葉と格闘するレオリオの声を聞きながら、クロロが呟いた。
クロロ自身は全くそうではないとはいえ、精孔を開く、それ自体、一般的には相当なことなのだ。念能力者にとっては初歩の初歩ではあるが、精孔を開き“纏”をマスターすることに一生を費やし、それで仙人だなんだと呼ばれる場合もあるほどなのだ。
「しかも、あんな対価でな」
アケミがレオリオに求めた対価は、“シロノが困ったとき、手を貸してくれること”だった。元々シロノのおかげでハンターズライセンスが取得できたと思っているレオリオは、頼まれずとも、とそれを快諾し、今の状態がある。
「そうでもないかもよ?」
「どういう意味だ」
「何にしたって、天秤は釣り合うように出来てるものよ」
アタシの手心も含まれてるけどね、とアケミは言った。
「例えば、今回精孔を開いたことをきっかけにレオくんが将来すごいお医者さんになって、あの子の体質を完全に治してくれたりとか」
「わかるのか?」
「わかりゃしないわよ。勘よ。ただ、絶対に損にはならないわ、それは確か。言ったでしょ? それも制約の一つだって」
アケミの能力『魔女のレシピ』は、基本的に、アケミ自身が対価に納得していないと使用できない。そしてアケミは元々の性格なのか、それともゴーストという存在になった故か、娘のシロノに関すること以外での欲、言うなれば執着が、驚くほどにない。
「ここぞという時に、きっと役に立つわ」
「まあ、いいが」
パタン、と、クロロは手元の本を閉じた。
ロマシャは“文字を書く”ということ自体をほとんどしないが、全くしないというわけでもない。クロロが手にしているのは、どこかの魔女が残した手書きの話集だ。いま普通にざっと読んだだけでもなかなか面白い話集だったが、読み方を変えれば何パターンかの別ものになることが察せられる。
久々に何度も読み返す品になりそうだ、とクロロは唇の端を吊り上げた。
「あ、始まった」
響き始めた楽器の音に、アケミが喜色を浮かべて顔を上げる。その視線の先には、ロマシャの楽器を持った魔女の一団が、顔を付き合わせて音あわせを始めているところだった。
「シロノ、おいで! 踊るわよ!」
子供で、アンデッド、しかもダンピール──ということがバレた途端、他の魔女たちからちやほやされまくってお菓子に埋もれているシロノを、アケミが呼び寄せる。
「クロちゃんもホラ、本なんか読んでないで」
「俺もか……」
「当然!」
胸を張るアケミに、やれやれと言いつつもクロロは立ち上がる。この幽霊に口答えをすると後々面倒なのは重々わかっているし、ロマシャの、しかも本当の魔女たちの文化を肌で体験するのも悪くはない。
市の真ん中に設けられた広場、その中央で複雑に組まれ、何やら見慣れない飾りが積まれた薪に、魔女たちが火を灯す。飾りに火が燃え移ると、炎が赤く、時に青く、時には緑や黄色に、華やかに立ち上った。
──音楽が、始まった。
魔女たちが、歌い、踊る。
色とりどりの布が翻り、装飾品が音を立てる。
「楽しいね、ママ!」
「うふふ」
子供らしく跳ねまわるシロノの元気な笑みに、見事なダンスを見せるアケミは、にこやかに笑い返す。これ以上のものはない、というように。
翻るごとに、時折赤い炎に溶けて透ける朱い髪と白い髪を、クロロは眩しげに目を細めながら見遣る。
──魔女たちの宴は夜明けまで続き、そして朝日が登る頃、レオリオは早口言葉を成功させたのだった。