No.004/8月25日(2)
「はぁ〜……世の中色んな奴が居るもんだな……」
 アケミを含めて、クロロたちから「自分がアンデッドである事をあまり言うな」と言いつけられているシロノは、ただ、一度死んでも生き返る血筋、というかなり大雑把な説明しかしなかった。

 レオリオは目を白黒させつつも、彼の性格なのだろう、あまり詳しい事を根掘り葉掘り聞いたりはせず、しかし「本当に身体に異常はないのか」と慎重そうに尋ねてきた。全く問題ないと返すと、彼は安心したように笑った。
「ゴンやキルアは知ってんのか?」
「知ってるよ」
「何だよ、あいつらも教えてくれりゃーいいのによー」
「携帯持ってないんじゃない? キルアはともかく、ゴンは絶対持ってないよ」
 シロノの指摘に、あ、そうかもな、とレオリオは納得して頷く。もし会った時に持っていなかったら、ぜひ買わせなければなるまい。レオリオも新機種を値切りに値切って、先程買った所だ。免税店である事もあって、かなり安く手に入れることが出来た。

シロノ、急に走って行かないで! そちら、だぁれ?」
「あ、ママ、ごめん」
「ママ!?」
 道の向こうから車を避けて駆け寄ってきたアケミは、自分を見て素っ頓狂な声を上げたレオリオを見て首を傾げる。
「ちょ、この姉ちゃんがオメーのママ!? 若すぎるだろ! 美人だし!」
「あーら、オホホホホ」
 レオリオの反応に気を良くしたアケミが、口に手を当てて笑う。実際アケミは24歳で死んだ時の容姿のままな上、元々童顔と言える顔立ちなので、“若い”というレオリオの指摘はごくまっとうなのだが、“美人”という評価がアケミのお気に召したらしい。
「レオリオだよ。ハンター試験の時一緒だったの」
「レオリオ? 確か、お医者さんを目指してるっていう……」
「あ、そうです」
 シロノから聞いた話を思い出して頷くアケミに、レオリオは軽く頭を下げる。

「この子が怪我した時に手当てしてくれたんですってね? ありがとうね」
「いや、そんな! 俺こそシロノのおかげでライセンス取れたようなモンで……」
「そーお? でもお医者さんと知り合いになっといて悪い事はないわよね」
「はあ」
 どういう意味だろうか、とレオリオは疑問符を浮かべたが、視界の端できらりと光ったものに、一気に緊張感を高める。

──ッ、避けろ!!

 アケミの背後で光った、鈍い煌めき。
 振りかざされたナイフのエッジにレオリオは叫び、咄嗟にアケミの手を引いた。
(──ん?)
 レオリオよりも小さな手は柔らかく、しかし、体温がなかった。冷たいのならまだわかる、しかしアケミの手には、暖かさも冷たさも、どちらも感じられなかった。
 その感触に戸惑いつつも、しかしそんな場合ではない、とレオリオは気を引き締め、目の前の暴漢を睨み据える。
「へ?」

 ──が、その対象は、既に居なかった。

「ママ、だいじょーぶ?」
「大丈夫よー。ありがとね、シロノ。んもー強いわー、えらいわー、良い子だわー、かわいいわー」
「えへー」
 昏倒した男を踏みつけているシロノを、アケミが蕩けそうな表情を浮かべた頬擦りとともに、これでもかとかいぐる。シロノもまた嬉しそうな表情で、アケミをしっかと抱きしめ返していた。

「何が良い子だ。一人逃げてたぞ」

 男の声に、レオリオはその時初めて、そこに誰かが立っている事に気付いた。黒髪黒目、黒ずくめの格好という事以上に闇に溶け込んだ若い男は、片手にぐったりとした男の襟首を掴んで引きずっていた。
 突然現われたようなその存在に、レオリオは暴漢が現われた時よりも緊張感が高まるのを感じた。

「あ、パパ」
「パパぁ!? こっちも若っ!」
 まさかのシロノの発言に、レオリオは高まった緊張感を吹っ飛ばし、どう見ても兄にしか見えない、と喚く。
「そうか?」
「確かに、クロちゃんは童顔だからねえ」
 自分のことを棚に上げて、アケミが言う。
「あーびっくりした。俺と同い年か、いっててもちょっと上ぐらいにしか見えねーッスよ」
「……それなら、妥当じゃないか?」
「え?」
「は?」
 お互いに首を傾げて疑問符を飛ばしている男二人に、笑顔のまま、アケミも首を傾げる。「え?」「何が?」「え?」などと会話にならないやり取りが数往復すると、それをじっと見ていたシロノが言った。

「レオリオは18歳だよ、パパ」

 シン、と場が静まり返った。
「さすがにそれはないだろう」
「やーねシロノ、ベタなジョークなんか言っちゃって」
 ──ひでえ。
 スーツなのがいけないのだろうか、とレオリオは黄昏れた。シロノが「レオリオはほんとに18歳だよ」とフォローしてくれたがなかなか信じてもらえず、レオリオの心の傷がいたずらに深まるだけという結果に終わった。



「……で、こいつらは何なの? クロちゃん狙い?」
 今度はクロロの26歳という年齢を聞いて、「見えねえ!」とまたも喚いているレオリオを尻目に、ニコニコしたままのアケミが切り出した。

「違うよママ。レオリオ狙い」
「は?」
 状況に着いて行けていなかった上に話が逸れていた為か、レオリオが本日何回目かの間の抜けた返事をする。
「は!? 何、俺!? なんで!?」
「だって絶対レオリオにナイフ向けてたもん。向かいで後ろ向いてたママを死角にしたんだよ」
「な、何で……?」
「……ハンターライセンス狙いじゃないのか?」
 静かな声で、クロロが言った。
「もしかしなくても、ハンターライセンスでホテルをとっただろう?」
「あ、はい」
 その通りだったので、レオリオは頷いた。
「ハンターライセンスは各種施設で優遇される特典がつくが、ライセンスの特典を受けられるのはある程度メジャーな会社だから、使用履歴がオンライン上に必ず残る。そしてその履歴をリアルタイムで逐一チェックして所持者の居所を突き止め、隙あらば奪って金にしようとしている奴は山ほど居る」
「あ……」
 ハッとして、レオリオは思わず口元に手を当てた。
「しかもホテルなら、少なくとも半日以上はそこに居るという事だ。更にその持ち主はまだ念を習得していない新米ハンター、これ以上ないいいカモだな」
 弱いが、こいつらは念使いのようだしな、とクロロは淡々と言い、手に持った男を道に投げつけるようにした。僅かに意識が残っていたらしい男が、ピクリとも動かなくなる。

「安っぽい盗みだ。くだらない」
「はあ、あの、……すいませんでした」
「なんでレオリオが謝るの?」
 思わず頭を下げたレオリオを、シロノがきょとんと見上げる。
「やー……だって、迷惑かけたからよ……」
「あら、気にしないでいいわよ、そんなの」
 申し訳無さげなレオリオに、アケミがあっけらかんと言う。
「クロちゃんと歩いてたら、こんなの日常茶飯事なんだから。むしろクロちゃん狙いの奴のほうがもっと凶悪よね」
「うん」
 こくりと頷くシロノに、一体どんな生活をしているのだ、とレオリオは怖々とクロロを見上げつつ、そういえばあのヒソカとも付き合いがあるらしいという事を思い出す。とても一児の父には見えない美しい横顔にそのあたりの詳しい事情を聞く勇気をレオリオは持ち合わせていなかったし、聞きたくもなかったので聞かなかったが。

「……あの、ところで」
「何だ?」
 レオリオが恐る恐ると言う感じで話しかけると、クロロは首を傾げた。あ、うそつきモードだ、とシロノは口に出さずに思う。意図的にオーラを一般人のように適度に漏らし、どこからどう見ても無害な好青年にしか見えなくするテクニックは、あらゆる意味でキャラが濃い他の団員には出来ない事だ。
 そしてその技術はやはり極めて高く、先程暴漢を倒した余韻のオーラに気圧されていたレオリオも、今ではすっかり緊張を解いている。

「……念って、何?」

 どこか心細そうにレオリオが言うと、3人は顔を見あわせた。
「あ、そっか、レオリオまだ念覚えてないんだ」
 その時初めて、シロノはレオリオの身体から、ごく薄い“におい”しかしない事に気付く。シロノはクロロやアケミ、団員たち、ゾルディック一家など、ほとんど念使いとしか接していないので、念の存在すら知らない者が世の中に居るという事を、すっかり忘れていたのである。
 そしてそれはクロロとアケミも同じだったようで、ああそういえば、という感じで頷いている。
「いや、だから、念って何!?」
 しかし何の事やらさっぱりわからないレオリオは、自分を見ながらただ意味ありげに頷いている3人に、居心地悪そうな顔で叫ぶのだった。

「話し込むのはいいが、そろそろ行ったほうがいいんじゃないのか」
 ぼそりと、しかし不思議に誰の耳にも届く不思議な声色でクロロが言うと、3人がぴたりと話すのをやめる。
「そうね。……ああそうだ、レオ君もおいでなさいな」
「へ? いやでも」
「“念”が使えないのは、使える方にしてみたら一目瞭然。しかもホテルを取ったせいで、ライセンス狙いでここに集まってきてる小悪党はこいつらだけじゃないでしょうね。レオ君、それ全部撃退する自信ある?」
 突然の誘いに驚きつつも、その後に続けられたアケミの言葉に、レオリオが青ざめる。するとアケミはにっこり笑い、更に続けた。
「アタシたちは3人とも“念”が使えるし、アタシたちと一緒に居ればまず襲われないわ。よしんば襲ってきたとしても、ライセンスを狙う程度の奴ならウチの子やクロちゃんが撃退しちゃうわよ」
「おい……」
「マジすか!」
 ナチュラルに交渉材料に使われている事にクロロが一応口を出そうとするが、喜色満面のレオリオの返事に遮られた。

「しかも、今から行くのは魔女市場。本物のロマシャの巣窟だから、結構な腕じゃないとなかなか近づけないし、ついでにアタシが口きいて、泊めてくれるとこ紹介してもらうわ。どお?」
 アケミもまた笑顔のまま、更に続ける。シロノは大人同士の会話に興味がないのか、香水のテスターを片っ端から嗅ぎ回っていた。
「願ってもないッス!」
 ぜひよろしくお願いします! と90度の角度で頭を下げたレオリオに、アケミは満足げに頷いた。
「じゃ、決まりね。行きましょ」



「ほ〜、これが魔女市場……」
 時折ロマシャの踊り子の露出の多い衣装に目を奪われつつ、色とりどりの商品が並ぶ賑やかな市を、レオリオが見回す。すると、まるで自分の地元のように危なげない歩みで先頭を歩くアケミが、振り返らないまま言った。
「観光客向けの、ね」
 今目の前に広がる市は、確かにロマシャ独特の品々ではあるが、基本的に土産物になるものしか売っていない。今でこそロマシャの魔女市場は決まった場所で定期的に開催され、今でこそ有名な観光スポットの一つであるが、本来は違うのだと、アケミは言う。

「本当の魔女市場はね、魔女じゃなければ辿り着く事も出来ないものよ。特別な手順を踏まないとね」
「はあ。アケミさんはわかるんですか? さっきからスイスイ歩いてますけど」
「ええ、そりゃね。えーと、あったあった」
「魔女だ!」
 シロノが指差した所を見て、レオリオが「うぉっ」と小さく驚きの声を上げる。妖しげな店先にあるのは、確かに魔女。色とりどりの布を巻き付けたような衣装、重たげなアクセサリーをいくつも身につけ、身を屈めて踞るような格好をした、魔女のミイラだった。

「ほ、本物?」
「本物だな。オーラが出ている」
 クロロが言った。“凝”をしてみると、他の土産物からはしないオーラの気配が、このミイラからは強く立ち登っている。
 ちなみに、ロマシャは死者を埋葬せず、遺体をミイラに加工し、生前と同じように旅に同伴するというのも、よく知られている文化の一つだ。間違いなくアンデッドの概念から来ているのだろう、死んだロマシャは精霊のような存在になると考えられていて、真偽は不明とされているが貴重な薬の材料の一つとして使うこともあるとかないとか言われている。

「クロちゃん、シロノと手を繋いでちょうだい。質問は後回し」
 アケミが言うと、クロロは片眉を僅かに上げたが、言われた通り、シロノと手を繋いだ。シロノは元々アケミと手を繋いでいるので、二人に挟まれ、両手が塞がった状態になる。
「レオ君はアタシとね。はい腕かしてー」
「え? え?」
 ぼけっと親子3人を見ていたレオリオの腕を、アケミが取った。左から、クロロ、シロノ、アケミ、レオリオ、と横並びに四人並んだ状態になる。
「クロちゃんとレオ君は、いいって言うまで絶対しゃべっちゃだめよ」
「はあ……」
「ちなみに、喋るとどうなるんだ?」
 わけがわからない、という常識的な反応のレオリオを尻目に、クロロは興味深そうに尋ねた。楽しそう、と言ってもいい。
 アケミはにっこり笑い返すと、言った。
「迷子になっちゃうわよ」
 不思議にずっしりと重い声だった。クロロは目を細めると、頷き、シロノの小さい手を握り直した。
「さあシロノ、猫のお歌は覚えてる? ママと一緒に歌ってね」
「あい」
 シロノはこくりと頷くと、アケミと「せーの」でタイミングを合わせ、歌いながら歩きだした。

 ──猫がゆく、猫がゆく、人の間をすり抜けて

 各地を放浪し、音楽の演奏やダンスなどを行う旅芸人として生計を立てることもあるロマシャの作る歌は、音楽史でも各方面に多大な影響を与えている。
 基本的にテンポや強弱の激しい変化や交替、細やかなリズムや奔放な修飾、多彩なヴォーカル技術、使用される音階にも特徴がある。これらの強烈な個性によって、ダンスの伴奏として相応しいリズミカルな曲でも、聖歌かと思うような神秘的な曲でも、ロマシャのものだとすぐわかるように出来ている。
 ここ数ヶ月の間、アケミはシロノに、多くの歌や踊りを教えた。
 文字を読むのは大の苦手であるシロノだが、それ以外では決して物覚えが悪いというわけではないのだ。言われた事はきちんと覚えるし、もちろん運動神経も悪くない。
 アケミの膝に座って教えられた多くの歌や踊りを、シロノは全てきちんと覚えきった。ロマシャの歌の発声方法の中には独特のものもあるが、それもきちんと習得している。
 それに、シロノは元々歌うことは好きな方だ。もっと幼い頃は曲自体をあまり知らなかったので、単調な童謡や珍妙な替え歌ばかりを歌っていて芸術方面にうるさいクロロを閉口させたが、アケミからきちんと歌唱技術を習った今、クロロも絶賛するとまでは行かないまでも、シロノが歌うのを黙って聴いている事が多い。

 ──猫がゆく、猫がゆく、犬とこっそりすれ違う

 横目に見遣った店先に、犬のミイラがぶら下がっている。
(道標の歌か)
 クロロは確信した。
 先程アケミが言った通り、魔女市場は本来、このような土産物市場ではない。放浪して暮らすロマシャの魔女たちが時折集まり、医療や魔術・呪術などに使う物資を調達したり、情報を交換したりする為の集まりなのだ。
 そして魔女以外が紛れ込んだりしないよう、こうして道標の歌がある。歌自体はロマシャの民謡として数多くが知られているが、今のシロノとアケミのように声にオーラを含ませて歌えば、その真価が発揮される。

 ──猫がゆく、どこへゆく、赤い鳥が教えてくれる

 違う店先にぶら下がった鳥籠の中に入っているのは、長い尾羽を持った鳥の──やはりミイラ。キイ、と小さな音を立てて籠が回転し、オーラが立ちのぼる赤い鳥の嘴の先が向いた方へ、魔女の母娘は歩き出す。独特の、ダンスのステップのような歩調で。

 ──さあさこの先何がある きっとこの先何かある
 ──楽しい気配がいたします 見逃したりはいたしません


 オーラ──魔力の籠った歌に反応し、店先にぶら下がった、客寄せのオブジェのいくつかが反応する。“凝”を行なったクロロの目に映るそれらの光景は、雑多な市の中、ほんとうの方向を示す道標の明かりに他ならなかった。
 思えば、かつてアケミは声だけを具現化し、クロロからの電話に出たことがある。念という言葉を知らなくてもそういうことが出来たのは、この歌が歌えたからだろう、とクロロは確信した。念という言葉を使っていないだけで、ロマシャはオーラや念の概念を非常に密接に含んだ文化がある。

 ──お猿の指先示す先
 ──星の囲いをくぐり抜け 三日月カーブを曲がったら
 ──三歩進んでジャンプして だぁれもいない小道を抜ける


 猿のミイラが指差す方向には、星の形に切った金属片が吊られ、しゃらしゃらと音を鳴らすアーチがある。その下を三歩きっかりで抜け、軽くジャンプした勢いで、緩やかに曲がったカーブを小走りに行くと、フッと人ごみが途切れた。
 ……いや、正しくは、誰も居なくなった。市のテント、屋台、人々の喧噪はそのままに、しかし全ての人間が透明になったかのように、誰の姿も見えなくなったのだ。今まで道を示していたミイラたちだけが、オーラを放ちながらもの言わず佇んでいる。
 クロロは興味深そうに唇の端を上げたが、レオリオは身体を固まらせて目を見開いている。思わず声を上げそうになったのを、しかし「喋るな」という指示を重い出してぐっと黙ったのは、彼を褒めるべきだろう。

 ──さあさこの先何がある きっとこの先何かある
 ──わたしはこの先用がある どっちに行くのか教えなさい


 道標のミイラたちがひとりでにゆっくりと動き、一斉にある場所を指し示す。

 ──猫がゆく、そこへゆく、仲間が待ってる月の裏
 ──だぁれも知らない月の裏 決して見えない影の中
 ──猫のしっぽをつかまえて 着いてくるなら覚悟しろ


 レオリオが、ごくりと息を飲む。

 ──猫がゆく、そこへゆく、仲間が集う月の裏
 ──猫が来る、今に来る、四つ足優雅に動かして


 リズミカルなステップで、アケミとシロノが前に進む。

 ──猫が来た、ここへ来た、だぁれも知らない月の裏
 ──猫がいた、ここにいた、今はどこかの月の裏


 メロディの終わりとともに四人の人影が喧噪から消えたのを、誰も気付きはしなかった。



「うふふ」
 最後のステップを踏み終わり、目の前に広がった光景。アケミは懐かしそうに笑い、シロノはマイペースにきょろきょろと辺りを見回し、クロロは機嫌の良さそうな薄笑いを浮かべていた。レオリオは目を白黒させているが、腰を抜かさないだけ立派と言ってやっていいだろう。

「ここが、本当の“魔女市場”か」
「そうよ」

 クロロが確認し、アケミが頷いた。
 魔女市場には、一人前の魔女しかたどり着けない、魔女たち同士の集会所だ。つまり、ロマシャに伝わる『道標の歌』の意味を正しく理解し、特殊な歌唱技術を用い、声へオーラを乗せて歌うことが出来て初めて、そこへ至る道が示される。

「ママ、あれなに?」
「おまじないの道具よ」
 シロノが指差した店先には、色とりどりの羽根をした鳥や、コウモリ、猫、犬、猿などが並べられている。一見すると、動物の形をした小物売り。しかしよく見れば、どれもよく作られたミイラであることがわかる。「うわぁ」、とレオリオが呆れとも驚きともつかぬ声を上げた。
「小さい羊がいるよ、ラマも。あっ、牛」
 ミイラはどれもちょうど子供の両手で持てる位のサイズだが、その中には、本来家畜としてかなり大きいサイズであるはずの種類もある。シロノが不思議そうに首を傾げると、クロロが感心したように言った。
「胎児のミイラだな。よくできている」
「うえっ」
 レオリオが、眉を顰める。

 胎児のミイラは、呪術の供物としてよく使われる。ロマシャがかつて忌まわしい文化を持つ魔の民として迫害を受けたのは、間違いなくこういったセンスのせいだな、と、そのセンスが決して嫌いでない様子のクロロが、面白そうに解説した。
 そのミイラ屋だけでなく、“本物”の魔女市場に並ぶ品は、どれもこれもいちいち妖しげだった。水晶などの鉱物や糸など、普通に見えるものもあるが、ミイラと同じくらい多く売られている色々な骨、乾燥させた草花、デザインというには複雑すぎ、絶対に何らかの意味があるのだろうと思わせる布類、不思議な造形の小物、何が詰められているのか不明な瓶詰め類、そして嗅いだ事のない香りを放つ香類。
 本当の“ロマシャの香水”もおそらくここで売っているのだろうが、レオリオはとてもではないが、ここで香水を買う気にはなれなかった。何が使われているかわかったものではないし、付けたら何かしら別の効果もありそうだ。

「凄いな。オーラを発していない品がない」
 遊園地に連れてきてもらった子供のようにワクワクした声で、クロロが言った。いつも淡々としていてフラットな彼がここまでテンションが高いのも、なかなか珍しい。
「食べ物があればもっとよかったのにー」
「お前、ここで売ってるモノ食う気になれるのがスゲーよ……」
 唇を尖らせるシロノに、レオリオが呆れた声で突っ込みを入れる。しかしシロノにとって“オーラが籠った食べ物”は最高の御馳走のひとつなので、シロノが残念がるのはもっともと言えばもっともであった。

 しかし“念”や“オーラ”が何なのか一切わかっていないレオリオには与り知らぬ事であったし、そもそも念に目覚めていない一般人であるレオリオは、一人前の魔女や魔術師のロマシャ──つまり全員が念使い──である人々と、オーラが籠った多くの品々に囲まれて、筆舌に尽くしがたい圧迫感に苛まれていた。無理もない。
 しかしちらりと見ると、シロノは食べ物を探しているのか、やはりきょろきょろと周りを伺っている。そしてクロロもまた、シロノと全く同じ様子で、笑みさえ浮かべて、興味深そうに店を見回していて、レオリオは緊張で強ばっていた肩をがくりと落とした。

「……父娘揃って楽しそうだな」
「ほほほ」
 もはやデフォルトになりつつある呆れた声でレオリオがぼそりと感想を発すると、こちらも負けずに何やら楽しそうなアケミが笑った。
「何だかんだで仲良しなのよねえ。同レベルとも言えるけど」
 見れば、毒々しいカエルを更に毒々しい液体に漬けたらしいものを摘んだクロロが、それをシロノの口先に突きつけている。シロノは、ギャー、と喚きつつ、異臭を放つカエルを押し付けてくるクロロの手首を掴み、ギリギリと必死で押し返していた。
 アケミが言った台詞は、パクノダをはじめとする団員もよく言う台詞でもある。アケミがこうしてシロノの前にはっきりと姿を現す前、ホームにいないとき、クロロとシロノは二人っきりで暮らしていたと言っても過言ではない。
 クロロとシロノは、念使いという点では師匠と弟子のような関係である。なのでもちろんクロロはその修行をみっちりとつけはするが、決して「シロノの面倒を見る」というわけではなく、むしろ生活力という面では逆である事も多い。
 しかしあのクロロが側にずっと同じ人間を置いている、という事だけでも、付き合いの長い団員からすれば十分に驚愕に値する事であった。

「へえ。シロノって、見た目はアケミさんそっくりっすけど、中身は父親似?」
 未だくだらない攻防戦を繰り広げている大小・白黒の後ろ姿は、どう見ても、似たもの同士の親子だった。
「……ええ、そうかもね」
 その姿を見てアケミは目を細め、唇の端を上げるだけの、しかし深い笑みを浮かべた。

「──お嬢ちゃん」

 クロロが押し付けてくるカエルを必死で避けていたシロノに声をかけてきたのは、そのカエルを売っていた老婆だった。頭から、くすんだ、しかし組み合わせとしては色とりどりでカラフルな組み合わせのローブのようなものの上から、アンティークと言って差し支えない、年代物のアクセサリを沢山身に付けている。いかにもロマシャの熟練魔女、といった様子だ。
「あい?」
「こりゃ珍しいね。あんた、“月の子”かい」
「……“月の子”?」
 問い返したのはシロノ本人ではなく、クロロだった。本物の魔女の言葉にいたく興味があるらしい彼は、瓶の中にカエルを戻し、老婆の方へ身を乗り出した。

「ここに来たからには、アンデッドは知ってるだろ? 若い兄さん」
「ああ」
「月の子ってのは、アンデッドから生まれた子供の事さ」
「ダンピール?」
「おや、よく知ってるね」
 深く被ったローブのせいで老婆の顔は見えないが、老婆が笑った事が、空気の震えで何となくわかった。
「確かに、ダンピールはアンデッドより珍しい、と聞いている」
「その通りさ。月の子は、女神からしか生まれない」
「女神?」
「ちょっとあんたたち、万引きなんかしてないでしょうね? 呪われるわよ」
 しゃらん、と、アクセサリが音を鳴らす。しゃがみ込んで老婆と話していたクロロとシロノが振り仰ぐと、腰に手を当て胸を反らせたアケミが立っていた。

「……アケミ、かえ?」
「久しぶりね、おばあちゃん」
 にっこり、と、アケミは微笑んだ。「知り合いか」とクロロが聞くと、アケミは頷く。
「まあね。といっても、魔女は他の魔女を大概知ってるものだけど」
「あんた……」
 驚愕しているとわかる震えた声で、老婆は言った。
「あんた、月の子を産んだのかえ」
「そうよ」
 アケミは、即答した。静かな、しかし重みのある、堂々とした声だった。
「でも、見ての通りちょっとしくじったわ」
「……そうかえ。でもしばらくは大丈夫だろう?」
 年の功であろうか、いくらか落ち着いた声で言って、老婆は、ローブの下からシロノを見、そして続けてクロロを見た。
「月を抱えた、蜘蛛の巣が見える」
 歌うような老婆の言葉に、クロロの目が細まった。歌うように──というのは比喩ではなく、老婆は、ロマシャの歌を歌うときと同じ発声法を用いて発言していた。となると、この発声法は歌唱テクニックではなく、もしかしたら、呪文の発声法と言った方が正しいのかもしれない。さすが魔女の本拠地、という感想を胸にしながら、クロロは黙って次の言葉を待つ。

「だが、近々蜘蛛の巣が壊れるだろう。これは巡りだ、避けられない」
「ほう。それは予言か?」
「ただの勘さ、蜘蛛の兄さん」
 笑って言った老婆に、クロロは肩を竦めた。今更、もう驚きはしない。ロマシャの魔女というのはこういうものだ。更に言えば、ロマシャの魔女は漏れなく念使いであり、またハンターである事も多い。つまり魔女の力でクロロの事をわかっていてもおかしくないし、ハンターとして、幻影旅団団長を知っていてもおかしくないというわけだ。

「いや、勘は侮れないものだ。肝に命じておく」
「賢い選択だ」
 老婆は、頷いた。後ろから小走りに走ってきたレオリオに気付いたアケミが「さあ、そろそろ行くわよ」と声をかけると、クロロとシロノが揃って立ち上がる。

「……お嬢ちゃん」

 一歩踏み出したその時かけられた声に、シロノが振り返る。
 ミイラのようにかさかさに乾いた皺だらけの口元、しかし僅かに笑んだその唇の間からは、黄ばんだ、だが尖った牙が見えた。ローブの下から見えた目が、黄緑色に光っている。

「ママを大切におし、お嬢ちゃん」

 その言葉は、歌でも呪いでもなかった。
 複雑な発声法など全く使われていない、ただの、単なる言葉だった。ただ祈るような、願うような、叶うかどうかもわからない、ささやかな言葉。
 いかにも魔女という風の老婆の口から発された“普通”の言葉に、シロノはきょとんと目を丸くする。

「うん!」

 しかし一拍後、シロノは笑みを浮かべて大きく頷いた。
 シロノは老婆に小さく手を降ると、「早くおいで」というアケミを追いかけ、その手をぎゅっと握る。
 去ってゆく母娘の後ろ姿をしばらく見送っていた老婆であったが、やがて視線を前に戻すと、またじっと動かなくなった。
BACK  / INDEX /  NEXT
BY 餡子郎
トップに戻る

各メッセージツールの用途と使い方
拍手 Ofuse Kampa!