No.003/8月25日(1)
 ダウンステート・ヨークシン。

 一般にヨルビアン大陸の中部、南部、東部を指す言葉である。
 西海岸に位置するヨークシンシティは、世界政治、経済の中心都市であり、日々の世界経済を一手に取り仕切っている、といっても過言ではない。そしてここから主に北方に伸びるようにして、カジノやオークション、劇場街などを含めたリゾート業などが都会的に栄え、数多の高層ビルが作り出す夜景が観光スポットの一つにもなっている。
 しかし広大な面積を持つヨルビアン大陸、その他の地域はといえば、どちらかというと手つかずの自然のまま、という所が多いのだ。

 よって、ダウンステート・ヨークシンとはつまり「ヨークシンシティ周辺以外の全て」という、極めて緩やかな定義の言葉である。
 ヨークシンシティが建設される遥か昔から、自然を神聖視するタイプの民族が全土に渡って多く住まうヨルビアン大陸は、今も彼らの自治区が雑多に点在し、文化が混じりあい、きっぱりとした線引きが難しい文化がひっそりと保たれている。
 かつては彼らを一掃してヨークシンシティのように開発しようと試みた者もいるが、ヨークシン自体移民などの外部の人間で構成された都市でもあり、またとあるハンターたちによって彼らの文化、建築遺跡、また彼ら自身が無形の重要文化財として認定されたため、この広大な平野が荒らされる事はないだろう。
 ちなみに、南部に下ると大陸は細かい諸島に別れてバルサ諸島と呼ばれ、その最南端がミテネ連邦。機械の文明を捨て、徹底して自然の中で生活するネオ・グリーン・ランド──NGL自治区のある島となる。

 ヨークシンシティに訪れる者がもちろん最も多くはあるが、ダウンステート・ヨークシンへの旅行者も決して少なくはない。自然そのままの平野には、何万年も同じ姿を保っていると言われる奇岩群、未だどうやって描かれたのか解明されていない巨大な地上絵などの各種古代遺跡などが点在し、また前述した先住民族たちの独特な文化も、観光対象としては非常に興味深いものだからだ。
 もちろん非社交的な民族も居るが、既に観光業を収入源としている、順応力が高い民族も居る。比較的ヨークシンに近い自治区に住まうロマシャがこれに当て嵌まり、近日開催されるヨークシンでのオークションに合わせ、カーニバルが開かれようとしていた。






 ──8月25日。

 ヴィラ・ベーチタクルは、ダウンステート・ヨークシン観光を楽しむにあたって選ばれるホテルの中でも、最も代表的かつ人気のある宿泊施設である。
 ホテル・ベーチタクルはヨークシンにあるものを第一号として各所に点在し、事前に誓約書を書いた上での強固な防音や遮光設備を代表として、プライバシーや機密をより守る事が出来る部屋を有するという特徴から、主に商談を行なうビジネスマン御用達のホテルとしてメジャーだ。
 しかし、ヴィラ、すなわち古語で上流階級のカントリー・ハウスを意味する言葉で表現されたここだけは、他と毛色が違っている。
 近代においての「ヴィラ」とはつまり貸し別荘を意味する事もあり、しかも地元の文化を色濃く反映している事が多いが、このヴィラ・ベーチタクルは、その点において屈指の人気を誇っている。
 かつてこの辺りはロマシャの中でも特に神秘主義であった者たちの本拠地であり、またその文化は色鮮やかかつ独特なセンスを持っていて、ファンが多い。ヴィラ・ベーチタクルはそのセンスをふんだんに反映させた部屋を多く用意し、安定した客数を獲得しているのだ。

 そのヴィラ・ベーチタクルのフロントにて、今、ひとりの客がチェックインの手続きを行っていた。

「ご予約の、ベンニーア様ですね。こちらがキーとなります」
 ホテルマンが、大袈裟すぎない計算された笑顔でもって、わざと古めかしく見えるようにデザインされた、真鍮製のキーホルダーがついた鍵を、男に手渡す。
 男は若く、また美形と言って差し支えない容姿を持っていた。すらりと細いが、同時に無駄のない筋肉を付けているとわかる身体。そしてそれにぴったりとフィットし、鎖骨が全て見える位に首元が開いたカットソー、ルーズめだが良い生地を使っているのであろうパンツ。
 上下とも黒だが、やや凝ったデザインのウォレット・チェーンやチョーカーなどの控えめなアクセサリが、黒ずくめだからこそ目立つ。更に男も髮も目も真っ黒なので、黒ずくめのファッションにありがちな胡散臭さよりも、ミステリアスかつ洗練された雰囲気が醸し出されていた。

「お荷物をお預かり致しますか?」
「いや、結構だ」

 男は、トランクにしては細長い荷物を背負っている。仮にあれがトランクだとすると長期旅行用だろう大きさのそれは、やや奇妙な事に、服装と同じ黒い布でぐるぐる巻きにされている。
「日が当たると悪くなるものが入っているんだ。もしベッドメイキングの時に見かけても、絶対に開けないように注意してくれ」
「畏まりました。ご予約時にお連れ様がいらっしゃるとお伺いしておりますが、その方は……?」
「いや、もう着いている」
「さようでございますか。では、ごゆっくり……」
 ホテルマンが丁寧に頭を下げると、男は黒い包みを背負ったまま部屋に向かう。
 ちなみに彼が借りた部屋のタイプは、最も人気のあるコテージタイプ。独立した一戸建てになっているのは他の部屋と共通であるが、他の部屋と少し離れて崖の縁に建てられている為、絶景の景観が楽しめ、周辺の自然と触れ合える。なおかつ他のホテルと同じく防音性や遮光などのプライバシーを守る気遣いが濃く、家族やカップルなどの複数人向けの部屋である。
 最も人気があるだけあって競争率が非常に高い部屋、しかもフェスティバルがあるためさらにその倍率は遥かに高くなっているが、つい先日まで予約を入れていた客が突然キャンセルし、ベンニーアという運のいい客が代わりに部屋を借りることになり、そしてやってきたのがあの男だった。



 ──そして15分後。あの男が再度現われた。

「ねえ、ここからだと、フェスティバルはタクシーで行ったほうがいいのかしら?」

 そうホテルマンに尋ねたのは、無論あの男ではない。男の横に着いて歩いてきた、小柄な女である。
 女は、カラフルだがややトーンの暗い布を重ね、原石をじゃらじゃらと連ねたアクセサリーをつけるロマシャの民族衣装ともいえる服装をしていた。それ自体は珍しくなく、ここでは、特に今の時期では、ロマシャのコスチュームを纏ってフェスティバルに参加するのはよくある事だ。
 しかし女の雰囲気は観光客めいた所が少しもなく、その着こなし方や纏っている品そのものも、どう見ても本場のロマシャのものだった。
 だが本物のロマシャだというなら、観光客用のこのホテルから出てくるのはおかしい。ホテルマンが驚きで一瞬反応が遅れたその時、受付カウンターの下から、高い声がした。

「ママぁ、あたし、歩いて行きたい」

 ホテルマンが少し身を乗り出すと、男と女の間に、10歳くらいの女の子が居るのに気付く。こちらもロマシャの衣装を纏っているが、特徴的なのは、その衣装の色や着こなしが、女と殆ど同じな所だ。ペアルック、と言ってもいいだろう。
 ママ、と呼ぶからには二人は母娘なのだろう、確かに見比べると顔が似ている。だが母親は鮮やかに朱い髪に青い目をしているが、娘の方は白く輝く銀髪に、かなり薄いグレーの目をしている。
「あら、どうして?」
「屋台がいっぱい出てた」
「また食い気か」
 男が、呆れたように言う。確かに少女の言う通り、ホテル周辺には、食べ物を売る屋台が沢山出ている。
「“魔女市場”には、食事が出来る所はあまりないのか?」
「そうですね、表通りほどではないと思います」
 ホテルマンは、何度も聞かれた事のある質問に、はっきりと答えた。

 男が言った“魔女市場”は、ロマシャ・カーニバルのメインのひとつである。現地のロマシャたち、特に魔女と言われる女性たちが、ロマシャ独特の品を売る市場の事だ。人気が高いのは服やアクセサリーや小物類だが、奥に行けばかなりマニアックなオカルトめいたものも並んでいるとかいないとか。
 多種多様な品が並ぶ“魔女市場”だが、食べ物の取り扱いは少ない。だからこそ、魔女市場から離れた表通りには、ロマシャとはあまり関係ない、食事が出来る屋台が並ぶ。
「魔女市場の前までのタクシーも出ていますが、歩いても20分くらいですから、食べ歩きをしながら行く方も多いですよ」
「……だって! パパ、ごーはん! ごーはーんーごーはーんーおーなーかーすーいーたー!」
 ホテルマンがにこやかに答えると、少女は男の手首をとってぐいぐい引っ張りつつ、子供らしい駄々をこね始めた。色とりどりの布が揺れ、アクセサリーが音を立てる。そして、男が、パパ、と呼ばれた事に、ホテルマンは内心驚いた。女の方もそうだが、とてもこの年齢の子供が居るようには見えない。

「ああ、もう、やかましい。夜しか居られんのに、無駄な時間を食う気か」
「朝になっちゃったらパパに背負ってもらえばいいじゃない。ねえ?」
「ねえ?」
 母親がにっこりと言い、子供がそれに便乗した。世の中、母親が味方をした子供というものに父親は勝てないように出来ている。男は諦めたようにため息をついた。
「わかった。食べ歩きが出来るもので、3つまでな」
「10!」
「4」
「……5!」
「まあいいだろう。菓子も含むぞ」
「ぶー」
 交渉結果に不満げな顔をしつつ、左手は母親と繋ぎ、右手はさっき握った父親の手首を掴んだままの少女は、二人に挟まれて歩く形で外に出ていった。少女がわざと二人の手にぶら下がって体重をかけたりすると、男が「やめろ、重い」などとぼやく。反対側に居る母親は、とても機嫌良さそうににこにこしていた。
 ほのぼのとした、しかし不思議な雰囲気を持つ親子の後ろ姿を見送ったホテルマンは、次の客が来るまで適当に掃除でもしておくか、と、掃除用具がある奥へと踵を返す。

(──ん?)

 小さな帚とちり取りを手に取ったその時、ホテルマンは、小さな疑問を浮かべた。
(あの母親と子供、……いつここに来たっけ?)
 ホテルマンは、今日はずっとこのフロントに居た。全てのチェックインとチェックアウトの手続きをとったはずだがしかし、男のチェックインの前、あの母娘を見かけた記憶が全くない。あんなに目立つ格好をしていれば、絶対に覚えているはずだが。
(……ここに来たときは、違う服装だったかな?)
 ホテルマンは首を傾げつつも、まあいいか、と、几帳面に掃除を始めた。



「おいしい? シロノ
「おいしー」
「よかったわねー」
 満足げに頷くシロノに、最大サイズの使い捨ての器に盛られたドネルケバブを片手に、アケミがにこにことする。クロロの手を掴むのをやめたかわりに自前のフォーク──普通サイズの、肉料理用のテーブルフォークである──を掴んだシロノは、4店めにして既に注目を浴びていた。コスプレには見えない本場感漂う母娘揃ってのロマシャ・スタイルで、小さな身体では考えられない量を食べているからだ。
 シロノ本人は、単に、5店しか回れないならその分沢山食べてやる、という意気込みを発揮しているだけなのだが。
 買ったものをアケミが持ち、そこから取ってシロノが食べる。シロノが自分で器を持てばもっと食べやすいのだが、アケミがシロノと手を繋ぎ続けたがったので、このスタイルになった。
 しかし食べ難さをスピードが凌駕していた為にさほど問題もなく、あっという間に山盛りの肉を食べ終えたシロノは、最後の一店を慎重に吟味し始める。

「最後だから、甘いのがいいなー」
「あそこのパイケーキなんかどう? シロノ好きでしょ」
「ああ、あれか」
 屋台に対してあまり興味無さげにしていたクロロが、初めて顔を上げた。
 荒野でも強く育ち、乾燥地帯であるが故に味の濃い野生のスモモと、山羊乳のチーズで作ったパイケーキはロマシャの伝統的な菓子で、また部族や各家庭によってレシピが全く異なる。こうして表通りで売られているパイケーキは、一般向けに食べやすく工夫されているものだ。
「ママのパイケーキのほうが絶対おいしい」
「あら」
 すぐさま言ったシロノに、アケミがにっこりと笑う。ロマシャ伝統だけあって、このパイケーキはアケミも得意なレシピのひとつだ。『お菓子の家スウィート・ホーム』にいる間、材料を調達してきてはよく作っていて、シロノの好物の一つになっていた。アケミと台所に立ち、一緒に作るという所も含めて。

「ありがと。でも市販品と食べ比べてみるのも、自分で作る時に参考になるわよ」
「んー、じゃあ食べてみようかな。パパも食べる?」
「食べる」
 このパイケーキは、実は甘いものが好きなクロロも気に入っている菓子である。よって念のため声をかけると、クロロはすぐさま頷いた。

 1ホール丸ごと、という度肝を抜く注文で再度注目を集めつつ、3人は人ごみを抜けて、一本東側の通りに出た。そこはあれほど並んでいた屋台は無く、ブランド店や電化製品の店なども混じった広めの通りだった。
「あれ、全然感じが違うね」
「こっちが本当の表通りだぞ」
 シロノが言うと、パイケーキをひとくち齧ったクロロが答えた。
「自治区は大概免税だからな。観光だけじゃなく、買い物目当てで来る奴も多い」
「ふうん」
「特に香水ね。ロマシャの魔女が作る香水も有名だし、それに便乗して世界各国から香水ブランドが集まってるのよ。ほら、あそことか」
 アケミが指差したのは、通りを挟んだ向かいの店。各種ブランドから、ロマシャの香水まで全て揃っている、と大きな看板を出している店だった。

「あっ」

 さほど興味無さげにアケミの指す方向を見たシロノだったが、店先に居る見覚えのある人影に、薄い色の目を丸く見開いた。

「──レオリオ!」



 待ち合わせは、9月1日。レオリオがその日ぴったりに合わせた便を取らなかったのは、いくつかの理由がある。
 まずひとつは、料金の安さ。ハンターライセンスのおかげで各種交通機関は無料となり、ヨークシン行きの飛行船にももちろんその特典を利用できる。しかしオークション間近の便はどれも予約がいっぱいで、そうするとマイナーな飛行船会社の便を選ぶ他ないのだが、そうなると、今度はハンターライセンスの特権が使えなくなってしまうのだ。
 クレジットカードと同じで、ハンター協会に加盟契約している会社でないと、ライセンスの特典は使えない。大概の有名会社は軒並み加盟しているのだが、ごくマイナーな会社となると、そうはいかない。
 この時期でなくてもヨークシン直行便はやや高価なので、ダウンステート・ヨークシンに到着する安価な便を選ぶのが、中流以下の懐事情の者の常識だ。中でもロマシャ自治区に到着する便を選べば、そこから定期便のバスに二時間も乗ればヨークシンへ到達できる。多少面倒だが、悪くはない。
 そしてふたつ目の理由は、半年近く根を詰めてきた受験勉強の息抜き、プラス、新しい香水選び。リゾート地であり香水のメッカでもあるこのロマシャ自治区には以前から興味があったし、何かの節目など、気分を変えたいときは香水を変えるといういつもの験担ぎをきちんと行なっておかないと、どうも尻の据わりが悪いのだ。ハンター試験に合格し、また再度仲間たちに会うという今こそ、その験担ぎのしどころだというのに。

 無事目的地に着いたあとは、ハンターライセンスを使い、そこそこのホテルをとった。超高級とまでは行かないが、いつもなら使わないくらいのグレードのホテルである。
 苦労して得た特権の快適さを噛み締めつつ、ホテルのフロントで紹介してもらった品揃え豊富な香水専門店で、新しい香水を吟味していた、その時。

「──レオリオ!」

 聞き覚えのある、しかし懐かしいその声にレオリオは振り返り、そしてこれ以上ないほど大きく目を見開いた。

「なっ……、シロノ!?」

 そこにいたのは、相変わらず小さい人影。前より長く伸びた白く光る銀髪には、色とりどりのリボンや、小さな飾りを編み込んでいる。
 しかし忘れるはずはない。ぶんぶんと手を振っているこの子供のおかげで、レオリオはハンターライセンスを得る事が出来たのだ。

「久しぶりー。え、なんでこんなとこにいるの?」
「こ、こっちの台詞だろ、それは!」

 永遠にもう会う事はないと思っていた子供のあっけらかんとした問いかけに、レオリオはひっくり返った大声でもって、当然の返事とも突っ込みともいえる言葉を返したのだった。
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Annotate:
『ダウンステート・ヨークシン』は、アップステート・ニューヨークという実在の概念・名詞より、ハンター世界の地理に当てはめて作った造語です。
BY 餡子郎
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