No.002/6月某日(2)
「……アンデッド自体、念で出来た生物と言ってもいいのかもしれない」
巨大なクリームサンドのデザインのベッドに寝転がっているシロノの背中に浅く刺した針に手を添え、もう片方の手で、かかりつけであるという念能力者の闇医者が作ったカルテを見ながら、イルミはそう言った。
“フェスティバルに行けるように、最低限、夜中に外に出てもいいような身体にして欲しい”という、クロロとアケミからの依頼を成功報酬という形で受けたイルミは、対象となるシロノの診察から始めた。
自分自身も含め、あらゆる生物の肉体を針によって操作する能力を持つイルミは、当然、生物学的・医学的観点から、生物の身体の仕組みというものを熟知している。だからシロノがただの子供であれば詳しい診察など特に必要ないのだが、シロノはアンデッドだ。見た目普通の人間と変わらないとはいえ、念の為きちんと診察した方がいいだろう、というイルミの判断は正しかった。
「オーラが、肉体のあらゆるものの代わりを務める事の出来る身体。人間じゃないとはいわないけど、オーラと念ありきの人間,という感じかな」
「つまり?」
ベッドとシロノを挟んでイルミの向かいに座ったクロロが、興味深そうに尋ねた。隣に座っているアケミも、真剣な表情でイルミの反応に注目している。
そしてかぼちゃぱんつ一丁でベッドに寝かされているシロノは、きちんと診察しているイルミやアケミはともかく、まるで実験動物を前にした学者のように楽しげなクロロを肩越しに半目で見ながら、膝を曲げて、空中で足をぶらぶらさせた。
「シロノ、1リットル以上出血した事ある?」
「ある」
「内臓を損傷した事は?」
「天空闘技場に居た頃は、しょっちゅう」
イルミの質問に、シロノは枕に顎を突っ込んだまま答えた。天空闘技場にてフェイタンと過ごした頃は、大量出血も複雑骨折も内臓破裂も日常茶飯事だった。
そしてその答えを聞いて、イルミは頷く。
「一般に体内の血液量の20%を急速に失うと出血性ショック状態になり、30%を超えると生命維持が極めて困難になる。だけどシロノの場合、オーラが直ぐさまその代わりをするから、死ぬ事はない。シロノは体重も軽いから、1リットルも出血したら確実に死ぬはずだけど、君、その怪我の翌日にはもう試合に出てたんだろ?」
「うん」
「ありえないね」
ふう、と、イルミは能面のような無表情のままため息をついた。
「能力についても色々問診するけど、いい?」
「仕方が無いな」
右に重心をずらして立ち直し、クロロは返答した。保護者に許可を得たイルミは頷き、退屈そうにベッドに寝転がっている本人を見る。
「シロノ、君の能力──『悪夢の晩餐(デッドリー・ディナー)』については聞いてるけど、他に能力はある?」
その質問には、本人とクロロが回答した。
シロノの能力のメインは、アンデッド“ヴァンパイア”としての体質でもある、他人の能力を奪うという性質の延長線にある、『悪夢の晩餐(デッドリー・ディナー)』。そしてその補助として、相手にオーラの篭った息を吹きかける事で強制的に「練」の状態にさせ、オーラを食べやすくするという小技『ドレッシング・ブレス』。そしてこれはまだ未熟だが、キスすることで相手にオーラを分け与え、対象を回復させる『ドルチェ・キッス』がある。
「“他人のオーラを摂取して自分のものにする”っていうのは、アンデッドとしての特質系能力だと思うけど、操作系能力の要素もかなり強いね?」
「ご名答。こいつはアンデッドになる前は操作系だった。今も水見式をすると、操作系の反応は強く現れる」
「なるほど。それで放出系のほうが比較的得意だから、そういう能力になったわけだ」
クロロが答えると、イルミは納得したように頷いた。『ドレッシング・ブレス』も『ドルチェ・キッス』も、自分の身体からオーラを切り離すという、放出系要素がある。
「ちなみに『ドルチェ・キッス』のほうは、イル君のキスでアンデッドとして起きた事にヒントを貰ったのよねー、シロノ」
「うん、まさかチューされるとは思わなかったよねー」
いつも通りのほほんと返すシロノ。ホホホホ、と己の母を思わせる笑いとともに言うアケミに、イルミはただ沈黙した。こういう時は黙っておくのが一番いい、という事は経験則で重々理解しているからだ。
とりあえず、一応正式な依頼だから、と守秘義務を考慮してカルトを別室に置いてきて良かった、とイルミが思ったかどうかは、本人にしかわからない。
「……シロノ、具現化系と強化系はどっちが得意?」
「うーん、強化系」
「一番不得意なのは変化系?」
「うん。全然だよ」
「平然と情けないことを言うな」
白い頭をペシンと叩いてきたクロロに、「だってできないもん」とシロノがぶーたれているのを見つつ、イルミは「やっぱりね」と確信を得た風に言い、脚を組み替えた。
「じゃ、原因はそれだろうね。君はアンデッドとして“身体の欠損をオーラで賄う”ということが出来るはずだけど、変化系と具現化系──つまりオーラを血や肉や骨に具現化するとか、もしくはオーラをオーラのまま身体の代わりになるものに変化させる力がかなり足りていない」
日光過敏症というアレルギー体質がもたらす損害に、君の回復能力が追っ付かないのはそのせいだ、とイルミはきっぱりと指摘した。
「しかも、人間は個々で血液型とか、細胞──いや遺伝子から全く違う情報で構成されている。自分のものとはいえ、それを寸分の狂いなく具現化したり、もしくはどんな肉体にでも適合する物質に変化させる事は、かなりレベルの高い能力になる。操作系能力者の君には、間違いなく荷が重いだろうね」
「強化系じゃダメなの?」
「強化系は、健康な肉体ありきの能力だ」
シロノ本人の質問に、イルミは淡々と答える。
「君、日光を浴びると皮膚が爛れるだろう? 火傷みたいに」
「うん」
「骨折や裂傷なんかと違って、熱傷は“身体組織の破壊”と言い換えられる。つまり火傷は“壊れたものを治す”んじゃなくて、“新しく作り直す”ことでしか元に戻すことが出来ない」
前者なら強化系能力である程度回復することが出来るが、後者はそうはいかないのだ、とイルミは解説した。
「しかも、君の日光過敏症は、アレルギーだ。アレルギーってわかる?」
「えっと……免疫がどうとかこうとか」
曖昧な返答をした子供の頭を、クロロがまた叩いた。
「何故そう物覚えが悪いんだ。いいか、免疫というのは病原体や毒素、外来の異物、自己の体内に生じた不要成分を非自己と識別して排除しようとする生体防御機構の事で」
「あーもーパパの説明むずかしくてわかんないー!」
「ふう……クロちゃんはオタクだから、自己中心的な説明しか出来ないのよね」
「誰がオタクだ」
足をばたばたさせてむくれるシロノと、生暖かい視線を送ってくるアケミ。クロロが「馬鹿にもわかるように説明するのは難しいんだ」と返すと、アケミが凄い笑顔になった。
「イルミちゃんイルミちゃん、もっと分かり易く教えて!」
「……つまり免疫っていうのは、病気とか怪我をした時に、菌とかと闘って治そうとする身体の反応の事だよ。自然治癒力」
両親の様子に、下手をしたら長引く、と判断したシロノはイルミに泣きつく。それなりに噛み砕いた彼の説明に納得したのか、シロノは「なるほどー」と頷いた。
「だから免疫は、生物が生きていく上で欠かせない機能だ。生まれつき免疫に異常がある疾患もあるけど、例えば出血を止める免疫がない場合、傷から延々血が流れ出てしまうから、かすり傷でも死の危険がある」
「ふぇー……」
「……で。アレルギーっていうのは、特定の物質に対して免疫反応が過剰に起こり、それが逆に肉体にダメージを与えてしまうことを言う」
「花粉症とかもそうよね?」
アケミが言うと、イルミは頷いた。花粉症は花粉に対して抗体が過剰反応し、くしゃみや鼻水が止まらなくなるとか、ひどいと高熱が出たり、痙攣を起こす場合もある。
「アレルギーは身近な疾患だけど、治療が最も難しい症状のひとつでもある」
「なんで?」
「予防接種を受けた事は?」
ある、とシロノは答えた。闇医者だが。
「病気に対する免疫をつけるために、注射で抗原物質(ワクチン)を投与するのが予防接種」
「ワクチンて何? 薬?」
「サブユニットワクチン、タンパク質なんかの精製物質──まあ薬のようなものもあるけど、多くは生きているが毒性を弱めた状態の病原体である生ワクチンや、熱やホルムアルデヒドで殺したり不活性化した状態の不活性化ワクチンの場合が多いね」
「む?」
「つまり、すごく弱い状態にした菌を身体にわざと注射して、それを倒す事で免疫を付ける、ということ」
「ほー」
比較的分かり易いイルミの説明に、ふんふん、と、シロノだけでなくアケミも頷いていた。そして比較的わかりにくい説明しか出来ないらしいクロロは、黙って頬杖をついてそれを聞いている。
「アレルギーの厄介な所は、他の人には反応しない、しかも日常生活で接する普通のものに対して過剰な免疫反応が起こってしまう所だ。対象が本来害のないはずのものだから大抵の場合予防接種の方法がとれない。後天的に、運良く身体が正常な免疫反応を起こすようになることもあるけど、その可能性は低い」
それどころか、花粉症も然りだが、今まで大丈夫であったものが突然抗体反応が変わり、アレルギー体質になってしまう可能性の方が比較的高い。
「アレルギーの対象が特定の食べ物とか、さっき言ったような花粉なんかであればそれを避けて生活すればある程度賄えるけど、君の場合は“日光”、一番厄介なものだ。まあ、日光に当たらなくても大丈夫な体質だった事が救いだけど」
「どういう意味?」
「植物なんかはまさにそうだけど、大概の生き物は、日光から様々な恩恵を受けて生きている。特定のビタミンやホルモンは日光を浴びる事で生成されるからね。深海魚とかモグラとかはともかく」
「モグラ……」
シロノが微妙な顔をしたが、イルミは特に構わず、続ける。
「実際に症例もあるけど、日光を浴びるとアレルギーが起こる、でも日光を浴びないと特定のビタミンやホルモンが生成できなくて別の疾患が起きる、っていう最悪の状態だよ」
「何それ。死ぬしかないじゃん」
「そう。だから君はそれに該当してないだけマシって事」
確かに、シロノは長くここに引き蘢っていても、体調が改善こそすれ、悪くなる事はない。
「だから、単純に考えれば、ごく弱い光を当て続け、正しい免疫機能がつくのをひたすら祈る、っていう予防接種的な治療法が無難なんだけど──」
「それはないわね」
アケミが口を挟んだ。
「アンデッド──いえダンピールはそれこそモグラや深海魚みたいに、“陽の光に当たる事を想定していない生き物”なんだから。その治療法でもし日光に免疫が出来たとすると、それは体質改善じゃなくてもはや進化よ」
魚を毎日ちょっとずつ陸にあげてたら、脚が生えてくる? 来ないでしょ、とアケミが肩を竦めた。
「……まあ、イルミの推測はおそらく正しいだろうな」
クロロが、学者然とした雰囲気で断言した。
アケミは変化系と具現化系に長けている。だからアケミがシロノに憑依し一体化している頃は、シロノが不得手とする変化系要素と具現化系要素におけるオーラ運用をアケミが十分に行なっていたから、日光過敏症も些細な症状しか起こっていなかったのだ。
「まとめると、こいつが光の下に出る方法は二つ。一つは日光に対する正しい免疫機能を付け、日光アレルギー体質そのものを解消すること。もう一つは、アレルギー反応で起こる熱傷を直ぐさまオーラで回復しながら過ごす、という方法だ。そして予防接種的な治療法は使えない」
今までは、アケミが施した呪いによる前者の要因へのフォローと、アケミが憑依していた事による後者へのサポートがあり、シロノは陽の光の下で過ごすことが出来ていた。
「どう? イル君、この子、治りそう?」
心配そうに顔を覗き込んでくるアケミを見ず、イルミは口元に手を当てて、シロノのカルテをじっと見たまま、数秒沈黙する。そしてちらりとベッドの上で俯せているシロノを見遣ると、いつも通り、淡々とした声で言った。
「完全な治療は無理。さっき話にも出たけど、魚に脚を生やせって言ってるようなものだからね」
「では、どうする?」
どこか面白そうな雰囲気を滲ませて、クロロが問う。イルミは口元から手を外し、僅かに小首を傾げた。
「……人工的な抗体を作る」
結局、約一週間もの間、イルミはこの家に滞在することになった。カルトは帰っても良かったのだが、お互いに丁度いい鍛錬相手にもなる、という事で、シロノと訓練したり遊んだりしながら、カルトも同じく滞在している。
「──これで、出来ると思う」
電子顕微鏡から顔を上げたイルミは、元々あったカルテに加えて更に新たに纏めた数枚の資料を、クロロの前に突き出した。
イルミが行なっていたのは、シロノの体質の徹底した調査だった。必要経費としてクロロに用意させた最新の電子顕微鏡その他を使い、血液、遺伝子配列、そして特に白血球のマクロファージ、リンパ球、顆粒球などのような免疫細胞、サイトカイン・抗体のような免疫物質からなる免疫系と言われるものを、徹底して調べ上げた。
それは今まで謎でしかなかったアンデッドという存在そのものを研究する事に他ならず、クロロにとってもかなり興味深い数日間となったようだ。実際、今回の資料にしかるべき論説仮説などを付ければ、各学会にセンセーションを巻き起こす事が出来るだろう。
「予想してた事だけど、やっぱり永久的に日光に対する抗体をシロノの身体に存続させる事は不可能だね」
「そうだな」
資料を見ながら、クロロは頷いた。
「だから──、……やるとしたら、こことここ、あと、ここ」
イルミはそう言って、資料の一枚のうち、超複雑な遺伝子配列のいくつかの場所に、赤ペンで印を入れた。それを見て、クロロが笑みを深くする。
「……なるほど。では、早速始めよう」
呼ばれたシロノは、慣れた様子で手早く服を脱ぎ、イルミの前に置かれた椅子に座った。
「座って、後ろ向いて」
言われた通り、椅子をくるりと回して背を向ける。イルミは小さな背中に流れたままの白い髪を真ん中で分け、肩から前に流し、首と背中が全部見えるようにした。
「散々説明したけど、君には日光に対して免疫がない。それによって他の免疫系が暴走してアレルギーを起こし、火傷のような熱傷が起こる体質だ」
しかも調べた所、シロノが起こす熱傷は、放射線熱傷に極めて近い。高線量の放射線により皮膚を構成する細胞や血管が傷害されるという、すなわち核焼け、被爆によく似た症状だ。ただの火傷と違って組織が化学反応を起こしてしまっているので、言わずもがな、普通の熱傷よりも更に回復が難しい。
「君に日光に対する免疫を作る事は出来ないけど、月光や星の光、あと蛍光灯やLEDなんかの人工光は何とかなる」
「本当?」
「本当なの、イルくん!」
シロノは目を丸くし、アケミが目を輝かせる。しかしイルミは相変わらずのローテンションのまま、淡々と続けた。
「本当は人工光も天然光も同じ光だから、当てた時に反応する所は同じで──、まあ細かい所は省略するけど、太陽の光は宇宙から来てるから、ものすごくたくさんの種類の光の集合体で、未だに解明されてないものもある。だけど人工光はそうじゃない」
そして人工であるからして、どのような要素で構成されている光かはわかっている。
「今から君の身体に針を刺して、遺伝子情報を何カ所か組み替える。これをすると人工光に対する適切な免疫機能が出来るから、夜なら外に出ても大丈夫」
「おお〜」
「ただし」
喜ぶシロノとアケミに、イルミはいつも通り淡々と、しかしいつもよりズンと重く、きっぱりと忠告した。
「さっきも少し言ったけど、光だという点では太陽の光も人工光も同じなんだ。この針を刺した後にもし太陽の光を浴びたら、色んな抗体が一斉にアレルギー反応を起こして、今太陽の光を浴びるより数倍ひどい熱傷が起こる。普通の人間ならまず死ぬレベルの」
しかもその衝撃で針も抜けてしまい、更には一度いじくった免疫はもう一度いじくられると拒否反応を起こすようになるので、針による免疫改善はもう出来なくなる、とイルミは宣告した。
「だから君がこれからすべき事は、この針を刺している間に、日光に当たっても熱傷をすぐ回復できる変化系か具現化系スキルの取得と、破壊された身体組織を十分賄えるオーラ量を確保しておく事だね。その間に本当に日光に対する免疫機能がつけば一番いいけど、それは多分ないだろうし」
「うう……変化系と具現化系、一番苦手なのに……」
難易度の高い課題を与えられ、シロノは呻いた。しかし命がかかっているとあっては、やらざるを得ない。
それに、今までアケミの『私の小さな白い家(スウィート・ホーム)』に籠っていたのは、単に日光から身を守ると同時に、アケミのオーラの食い溜めも兼ねていた。正真正銘“おふくろの味”であるアケミのオーラはシロノにとってもたいへん美味しく、馴染みやすいものだった。
余談だが、アケミは変化系なので香りが強いのだが、オーラを具現化していても、どこかミルクっぽいような、クリーミーな味わいが共通してあった。その香りはシロノにとってとても安らぐもので、また、自分が漠然と変化系のオーラを好む傾向があるのはアケミが変化系だからか、と思ったりもした。もしかしたら、単に自分が不得手な系統だから──つまり足りていない栄養素を多く求める感じなのかもしれないが。
更に余談として、クロロの念は全て他の念能力者から盗んできたものであるので、味はそれぞれ様々である。しかし使われているオーラはクロロのものなので、例えるならば、一流シェフが作った料理を食べているような感覚であった。違う料理だが、作っているシェフは一人なので、根底の下味の付け方などのクセは同じ、というような。
よって、アケミのおふくろの味に飽きたらクロロのオーラをつまみ食いする、というような感じでシロノは過ごしていたわけだ。それはそれで天国なのだが、そろそろ外食もしてみたい所だしな、とシロノは舌なめずりをした。
「じゃ、最終確認だけど。やる?」
「ん。やる!」
きっぱりと即答した本人、そして頷いているクロロとアケミを見渡して、「了解」とイルミは念を展開する。
イルミが取り出したのは、普段使っているものよりもかなり細い、そして短い針だった。尻部分に一本ずつ色の違う石のようなものがついており、まち針を連想させた。よく見ると、石の中には小さく神字が描いてある。
「動くな」
シロノの首に指を添え、イルミは指示した。長い指に挟まれているのは、青い石のついた細い針。イルミがオーラを高めると、石の部分にそれが吸い込まれるように込められていく。
そして、──ちょうどシロノの盆の窪にあたる所目がけて、一本目の針が撃ち込まれた。
針は全部で、37本。
背骨──厳密に言うと脊椎のひとつひとつの間に刺すようにあるのが合計30本、腰骨の上あたりに左右2つずつ。そして臍の左右に2つ、胸の中央、鎖骨の下あたりにひとつである。針部分は全て身体に埋め込まれる形で刺されているので、多くの石の飾りが肌の上で光る様は、ややハードなセンスのボディピアス、と言ってもまあ通用するように見うけられる。
針は細いがシロノの小指くらいの長さがあったので、動く度に身体の中がちくちくするのではないかとシロノは少し心配していたのだが、そんな事は全くなかった。実は針はかなり柔らかい素材で出来ていて、シロノが危惧していた状態にはならないらしいが、そんな針を真っ直ぐ射し込むのは、相当なテクニックがいるらしい。
念能力の名前さえ知らないままだが、イルミはやはりかなりの使い手なのだなあ、とシロノは感心した。
「ありがとね、イルミちゃん」
実験も兼ね、ゾルディック兄弟二人を飛行船場まで送ってきたシロノは、お土産のクッキーを手渡しながら言った。飛行船はもちろん夜の便だが、蛍光灯などの人工光、そして月と星の光がシロノには懐かしく、もはや新鮮でもあった。アケミの家に籠っているのはそれはそれで快適なのだが、やはり外に出ると開放感がある。
「仕事だから」
「じゃ、仕事受けてくれてありがとーってことで。カルト、またメールするね」
「うん。……今度は、またウチに来る?」
おそらく生まれて初めて「家に招待する」という事をしたのだろう、慣れない様子でそう発言したカルトに、パパとママがいいって言ったら行くよ、とシロノは返答した。カルトの所に遊びに行くのは歓迎だが、ゾルディックだという事を全く考慮しないほどシロノも馬鹿ではない。
「……まあ、再来月のオークションの時にまた会うけどね」
「あ、そっか」
シロノは頷いた。
「じゃあ、またね」
ごく普通の挨拶をし、飛行船に乗り込んだ兄弟二人の姿に手を振ると、シロノはくるりと踵を返す。見上げた先には、大きな月。白く輝く月の光に、シロノは眩しげに目を細めた。
月は、いま地球の裏側にいる太陽の光を反射して光っているという。だがシロノの目はいま、月の光に関係なく、ぼんやりと白く光っていた。
夜の飛行場には沢山の照明が設置されているが、しかしそれでも影が多い。強い光が作った影は暗く、時に闇に埋もれて見えない所も沢山あるが、シロノの目にはきちんとそれが見えていた。
「むー」
飛行場を離れると、道は暗かった。しかしその道を、シロノは危なげなく歩く。そして歩く度に香るにおいに、鼻をひくひくさせた。
「イルミちゃんのにおいがする……」
射し込まれた37本の針には、当然ながらイルミの念が籠っている。身体を動かす度、そして光に反応しているのだろう、月光に当たる度に、特に大多数の針が射し込まれた背中から、グレードの高い紅茶を思わせる、彼のオーラが香った。
「むう。お茶があるとおなかがすくよね!」
帰ってパパとママのオーラ食べようっと、と、シロノは夜道を元気に走る。
そして帰った白い小さな家では、何故か3割り増しの請求書に首を傾げるクロロがいてその理由を追及されるのだが、シロノはまだそれを知らない。