点と線を繋ぐように(3)
 部室への扉を開けた千石と紅梅に手を引かれ、背を押され。空気を読んだ不二が、柳と乾に耳打ちし、三人が促すように他のメンバーを急かし、部室を出た。真田が色々と言っていたような気がするが、紅梅がなにやら耳打ちすると、渋々といった様子で裁縫道具を仕舞い、「早くしなよ、真田」と促す幸村に従った。
 「席は取っておくから安心しろ、手塚」との台詞を残し、乾は部室を出る間際に、いい笑顔でドアを閉めた。
 残された手塚は、ただただ意味がわからない。

「えっと、あの、その……」

 しかし、それは手塚と同じく、残された紫乃も同じなのかもしれない。

「……とりあえず、座ったらどうだ?」

 なんとなく気まずい二人の空気の中、紫乃は言われるがままに着席した。
 別に、会話をしなかったわけでもなかったし、仲が悪いわけなどけっしてない。だが、どうしてだか、何をどう会話すればいいのかわからなくなって、何かを言おうとして、中途半端に口を閉ざす。
 それは紫乃だけではなく、手塚も同じだったようで、何かを思案するようにむっつりとした表情だった。

 こうしてきちんと向き合ったのが、組分け儀式の次の日。初授業の日以来とはいえ、時間にしてそれはそんなに長い時間ではない。日本に居た時だって、1日や2日、1週間会わない日だってあった。
 ────けれど、なぜだろうか。日本に居た時と違って、手塚も紫乃も、お互いがずっと長い間、こうして向かい合わなかったような感覚があった。
 要するに、寂しかったのかもしれない。

「あの、」
「あ、ああ」

 手にしていた本を、手塚はテーブルに置いた。
 タイトルは「洋裁の基本」────その文字に、紫乃が大袈裟な程に驚いたが、変身術の訓練の一貫なのだろうことは、千石と紅梅から聞き知っていたので、すぐに落ち着いた。
 真田のように針と糸を使っての実践もこなしたが、裁縫についても学ばねば、と、手塚は、真田のような身体で覚える方式とは違い、頭で覚える方式を採用したようであった。

「昨日の、授業が……天文学、合同授業だったね」
「ああ」

 手塚の数少ない趣味の一つが登山だ。その関係もあって、星を観察するという天文学の授業は、今後、密かに楽しみの授業となった。
 かすかに和らいだ手塚の表情に、紫乃もほっとして、にこりと笑みを落とす。

「私、嬉しかったよ。合同授業。ずっと別々だったから……ちょっと、寂しかった」

 恥ずかしさが滲む、ぽそぽそとしたか細い声だったが、手塚の両耳はしっかりと捉え、そして驚いたように息を呑んだ。
 「そう、なのか?」次いで、出てきた言葉に紫乃が首を傾げる。どうして?、と訊ねると、逡巡の後に、手塚は言葉にする。

紫乃は、グリフィンドールの幸村や白石、それに同じ寮生の女子らと一緒で、とても楽しそうだったから……」

 もちろん、まぎれもない手塚の本心だった。日本に居た頃、男子からいじめられ、女子からは同情されこそはすれ距離を置かれていた境遇を思えば、毎日を楽しそうに送る紫乃に、手塚は心から安心していた。

 だが、変身術の授業の折、紫乃が居てくれればとも思った。それもまた、手塚の本心だ。
 それでも、紫乃には紫乃の「今」がある。一緒に居てくれというお願いを、間違いなく紫乃は蔑にしないだろうけれど、紫乃を束縛したいわけではなかった。なにより、手塚は紫乃に迷惑だけはかけたくなかった。重荷になりたくなかったのだ。
 だから、感じた寂しさや心細さを────手塚は、見て見ぬふりをしようと、思っていた。

「それに、」

 言い差し、手塚はハッとして、止めた。
 ────それに、もう俺は、紫乃には必要ないように思えたんだ。
 とてもじゃないが、こんなことを紫乃には言えなかった。じくりと胸が痛んだような気がして、誤魔化すようにそっと手で押さえる。
 自分が居なくても、紫乃は十分、うまくやっていける。むしろ、紫乃が居ることで励まされていたのは自分の方だったと気づかされ、手塚の表情に翳が差した。
 そんな思いもよらない手塚の姿に、紫乃はびっくりしたように目を丸くさせる。

「そ、そんなことないよ。もちろん、グリフィンドールのみんなに仲良くしてもらえて、とっても嬉しいし、毎日楽しいけど、でも、寂しくないわけじゃないよ」

 当たり前のように、いつだって一緒だった。
 けれど、当たり前が当たり前ではなくなった。

「楽しいけど、そうじゃないの。そうじゃないんだよ。とてもワガママなことだって思う、けど、でもやっぱり、みっちゃんも一緒だったら、って思っちゃうよ」

 その言葉に、手塚は思わず顔をあげる。
 それはまさに、「紫乃がいてくれたら」と思った彼の本心と全く同じだったからだ。

「ゆきちゃんや白石くん、ハーちゃんももちろん大好きだから一緒がいいけど、みっちゃんも大好きだから一緒がいいよ。でも、あの、みっちゃんの大好きは、比べられなくって、えっと、えーっとね……」

 何をどう上手く言えばいいのかわからず、言葉にならない。あー、だの、うーん、だのを繰り返しながら、大好きなみんなと手塚との「好き」が違うのだと、一生懸命に説明しようとした。とはいえ、好きという感情の差異を説明できずに、肩を落とす。
 だが、ストレートすぎる紫乃の言葉に、直球をもろに食らった手塚としては、ちっぽけなことを気に病んでいたことが、あまりにも恥ずかしくなった。

紫乃、俺は」
「みっちゃんが私の中では一番だよ! 一番、すき! だからっ」
「っ!」

 くだらないことを言った、と言おうとした手塚を遮り、大きな声で宣言した紫乃に、面食らう。数秒の沈黙の後、紫乃の発言を噛みしめ────じわじわと顔中の熱が、集まっていくのがわかった。
 その場から遁走したいような、でもずっとこの場に留まっていたいような。何とも形容しがたい面映ゆさと共に、それとは別の衝動が燻ぶる。指先から遡るような昂揚があった。
 かあっと赤面したまま、俯く手塚に、紫乃は「でも、大事なお友達とみっちゃんを格付けするのは、よくないよね……」と全く違うことを考えて、反省していた。

「……お前の気持ちは、よくわかった」

 たっぷりとした間を置いて。動揺をうまく隠しながら、ずれた眼鏡を直す。
 紫乃の立場を考えているようで、情けない自身を晒すことに躊躇いを覚えた愚かさを、手塚は莫迦だっただと思い知った。幼馴染にここまで言わせて、幼馴染の誘いを断れるはずがない。

「まだ1週間も経っていないが、この数日で、俺にとっていかに紫乃が大切か、わかった……ような気がする」

 きらりと瞬く茶色の瞳に、手塚は薄らと笑った。

「同時に、どこかお前が遠い存在のようにも思えてな」

 “こちら”では、名門・藤宮の末裔であり、幼いながらに陰陽師として、一目を置かれている。
 もともと努力家な彼女だ。魔法の授業でも、真面目に取り組んでいるだろうから、きっと優秀だろう。
 背に隠れていた女の子が、別人のように思えて、────せつなかったのだ。

「そんな!」
「……だが、それは俺の勘違いだったようだ」

 がたん、と椅子から立ち上がる紫乃の手を引いて、着席させる。先ほどよりも近づいた距離に、漠然とした不安感は消え去った。
 ああ、この距離だ────と、二人は思った。
 手塚が感じていたような不安は、紫乃も知らず知らずの内に、積っていた。小学校の時のように、会いたいから会う、という気楽さが、なんとなく憚られたのかもしれない。でも、それは全くの杞憂だった。
 こんなにも、お互いがお互いを望んでいたと、わかったから。

「一緒に登校とか、できなくなったし、さ、さみしかった、も……!」
「……そうか」
「なのに、みっちゃ、ぜんぜん、へいき、そう、だったし……!」
「…………すまない」

 じわじわと涙の膜が、瞳を覆って行くのを眺め、手塚は謝った。
 さみしかったんだよ。だから、合同授業、嬉しかったんだよ。鼻声で告げられた。告白に、眩暈さえしそうだった。

「一緒に居られるときは、一緒に過ごそう」
「う、ん」
「朝練の時、寮の近くまで迎えに行く。練習が終わったら、広間まで一緒に行こう」
「うん……合同の時は?」
「ああ。むしろ、ありがたい。こちらの授業の勝手がわからなくてな」

 今だって、変身術のコツさえ掴めない。
 深い溜息を洩らせば、紫乃はニコリとして、大丈夫、と言った。鳴いたカラスがなんとやら、だ。
 ぐしぐしとローブの袖で涙を拭う姿に、手塚は眉を潜めた。目が腫れるから、擦るのを止めるように言って聞かせるのだが、この幼馴染は聞いたためしがない。

「ねえ、みっちゃん。みっちゃんがラケットを持って、サーブをするとき、みっちゃんは何を考える?」

 何の脈絡もない質問に、手塚は面食らった。

「失敗するかもって思う? 入らないかもしれないって思う?」
「思わない。テニスは技術もさることながら、精神面でも左右されるスポーツだ。そんな弱気な姿勢では、勝てる試合であっても負けてしまう」
「うん。じゃあ、みっちゃん。いま杖を持って、マッチ棒を針に変えよって言われたら、何を思う?」

 質問の意図に気づき、手塚はピシリと固まった。
 ラケットを持ち、コートに立つ時はいつだって「油断せずに行こう」と自身を鼓舞する。練習の成果は必ず現れる、絶対に勝てると、自分を信じて試合に臨む。
 だが、今はどうだ。杖を持っても、「もしかしたら、出来ないのではないか」と半信半疑で、弱腰だった。
 きゅ、と手のひらを握りしめてくれる紫乃に気づき、ああ、と項垂れるように溜息を洩らす。

「榊先生の言葉、覚えてる?」

 ────杖は、君たちに忠誠心を抱いている。杖にイメージを伝え、このように従ってくれと願うのがコツだ
 初めて、ホグワーツのテニスコートに立ったテニス部の彼らを前に、彼はそう言った。

「忠誠心っていうのが何か、まだよくわかんないけどね、私は信じることだと思うの」
「信じる……」
「うん、そう。みっちゃん、私にいつも言ってくれるよね。紫乃ならできる、大丈夫だって。じゃあ、みっちゃんも、みっちゃんの杖にそう思ってあげなきゃ。ラケットを持つ時みたいに」

 ラケットを持ち、サーブを構える瞬間。
 このラケットで、あれだけ練習したのだ、出来る。成功させてみせる────さあ、油断せずに行こう。そんな祈りにも似た、念じる思いを込める方法を、手塚は知っている。
 ラケットと、同じ。
 呟くと、紫乃が何度も大きく頷く。

「信じること、それから相手を想うこと。これだけでいいの」
「相手を、想う……」
「私ね、術を使う時に、難しいお経とか唱えることがあるの。小さい頃、意味がわからなかった。だって漢文とか読めないもん」

 たとえば真言は、仏の言葉とされているがゆえに、音が重要とされ、翻訳されずに音写を用いられる。意味がわからないままに唱えたとしても、とてもありがたいお言葉ではあるが、幼い頃は紫乃には難解な呪文だった。
 わかんないよ、と練習を諦める紫乃に、祖父は困った様に笑って、いつも言った。

「『その言葉に込められた祈りや想いを考えなさい』って、おじいちゃんは言ってた。音がわからなくても、意味がわからなくても、その呪文に想いを馳せて、願えば────叶うよ」

 「だって、杖は私たちに忠誠心を持ってくれているもん。きっとお友達みたいなものなんだよ」そう、はにかんだ紫乃に、手塚は呼吸を忘れた。「テニスラケットと、同じ」もう一度、告げられる。
 無意識の内に、「出来ないかもしれない」と思いこんでしまっていたから、杖はそれを従ったのかもしれない。呪文学で魔法は発動したのに、変身術の魔法がこうも上手くできないのは、最初の失敗をいつまでも引きずっているのだろう。

「みっちゃんは、確かに想像することは苦手かもしれないけど、全然、想像力がないなんて私は思わない。だって、いつだってみっちゃんは、私のことを考えてくれてる。みっちゃん、優しいから」

 そうして、紫乃は手塚の杖────を手に、手塚に握らせる。

「呪文の意味は、理解してる?」
「姿形、形が変わるという意味だ」
「針のイメージは出来る?」
「細長く、銀色で、先が尖り、裁縫の際に使う道具」
「発音は?」
「問題ない」
「じゃあ、」

 ────見本がなくたって出来るよ、みっちゃんなら
 ふんわりと微笑み、囁いた紫乃。「こんな風に変わって、って願うように呪文を唱えれば、きっと大丈夫」続けられる言葉に、手塚はもう迷わなかった。
 力強く頷き、杖を構える。サーブを打つ時のように、出来ると信じて。目の前のマッチ棒を見つめ、杖を向け、深呼吸。見本はない。頼れるのは、己のイメージのみ。
 脳に針を思い描き、己の内に眠るという魔力の根源が、どうか心臓を伝い、腕を伝い、杖に届け、と祈りを込めて。そして。

 「────“mutatio figura”

 理想的な杖の振りと、完璧な発音。主人の思いに応えるように────杖は見事に、マッチ棒を銀色の針に変えた。
 知らず力のこもった肩が、ふっと軽くなる。安堵から溜息が洩れたが、誰よりも嬉しそうに笑ってくれる幼馴染を見つめ、手塚も穏やかに微笑んだ。

「あとは経験さえ積めば、どんなことでも出来るよ」
「……ああ、そうだな」

 たとえ苦手な分野だったとしても、それを補うように努力を重ねればいいのだ。そんな単純なことを、どうして忘れてしまっていたのか。
 手塚だって、最初からテニスが上手かったわけではない。才能はあったかもしれないが、努力をしなければ、能力を開花させることはなかったはずだ。
 魔法だから、と決めつけて、勝手が違うのだと思い込んでいた。いまとなっては、苦笑する。堅く考え過ぎていたのかもしれない、とも思った。

紫乃。ありがとう。やはり、お前が居てくれて本当によかった」

 心からの言葉に、紫乃はこれ以上ないくらい幸せそうに微笑んで。

「みっちゃんの力になれるなら、私はとっても嬉しいよ」

 そして────久しぶりに、手を繋いだのだった。
点と線を繋ぐように(1)(2)(3)終
どうしても天文学の授業風景を書いてみたかったのと、魔法に難儀してる手塚に救済の手を…と思いまして。
手塚の九州編でのイップスを意識しています。ぷちイップスというか、最初に魔法に出来ない、という衝撃が強かった手塚は、それを少なからず引きずっていた〜という裏設定。