初授業と疑問(3)
初授業である、薬草学の授業を終えてからは、昼までが“空き”時間だった。
昼食までは四コマの時間が用意されているため、薬草学が一コマだったので、あと三コマの時間が有り余ってしまったのだ。
薬草学のレポート課題に加え、次の授業の予習、更には明日の授業の予習までしたいと、勉強熱心なハーマイオニーは、一人で図書室へと向かってしまった。
幸村と白石、紫乃の三人は、談話室で課題を片付けるつもりだったので、仲良く連れ立ってグリフィンドールの談話室に着く。静かに本を読みながら、調べ物をするのもいいが、植物への知識が深い幸村と白石の二人としては、お互いが話し合った方が、黙々と課題をこなすよりも実りある時間となる。
それに、紫乃は、授業中とても真面目に講義を聞き、ノートにまとめていたので、あとは参考書を片手にレポートを作成すればいいのだ。この点について、幸村と白石というすばらしい“先生”が居るので、参考書に困ることはなかった。
早々にセイヨウイラクサについてのレポートをまとめ、ニガヨモギについてのレポートも完成し終えた。
「お昼までかなり時間あるね」
「えっ、まだそんなに時間があるの?」
幸村がローブから出した懐中時計に、紫乃がびっくりした。
年代物のその時計に、白石が驚くと、「父さんからの入学祝いだよ」との答えに、「豪勢なお祝いやなあ」と笑った。実は幸村の父が使っていた時計なのだが、そこまで説明しなくてもいいか、と幸村は曖昧に笑っておいた。
次の授業までも時間があるので、昼食後の「闇の魔術に対する防衛術」についての予習をしよう、という結論に落ち着いた。
東洋、西洋問わず、闇の魔術に関しては、入念な準備が必要だというのが、幸村と紫乃の主張だ。白石は、特にピンと来なかったが、片や「神の子」、片や陰陽師の末裔が強調するのなら、と反論するつもりはなかった。
「あれ? 君たち、もう次の授業の予習をしてるの?」
教科書を仲良く広げる三人に、ハリーとロン、そしてネビルがやって来た。
ネビルと紫乃は初対面だったので、和やかに自己紹介をする。テニス部での自己紹介を経験していたので、あの時よりかはスムーズに出来た、と紫乃は思っている。
「次の授業こそ、予習しておいて損はないからね」
「……ユキムラって、そんなガリ勉タイプに見えないんだけどなあ」
あいつ(ハーマイオニー)と違って、と言いかけたロンだったが、朝に幸村から諭されたことを思い出し、慌てて口を閉ざす。この幸村は普段は穏やかだが、怒らせると途轍もなく怖いことを、ホグワーツ特急の中でゴイルが身を持って証明してくれた。
ロンの正直な感想に、ふふっと笑って、幸村は言う。
「そうでもないよ。ただ、この科目はとても注意が必要なんだ」
「そう、なの?」
不思議そうに聞いたのはネビルだった。「俺もそうやと思ててんけど、それはちゃうて二人がな」と言ったのは、白石だった。
こくん、と頷いて幸村が続ける。
「ハリー。覚えているかい? 昨日の列車の中で話をしていた、ヴォル、ああ、ええと──『例のあの人』のこと。『あの人』は、闇の魔術に長ける魔法使いだったと言われている」
本当に面倒そうに、闇の帝王の名前を言い直す幸村は、ヴォルデモートに対しての恐怖が、一切ない。毅然とした、というよりも、かの帝王に対してぞんざいな扱いの幸村の態度に、ハリーは感心していた。
両親のこともあって、どうしてもまだヴォルデモートに対する、ちくちくと刺す痛みのような恐怖心は拭えない。それでも、幸村を見ていると、ちっぽけな存在に思えてくるので、勇気がわいてくる。
「傘下の魔法使いも闇の魔術に詳しい奴ばっかしやったんやっけ?」
「そうだよ。今でこそ、全員アズカバン行きだけど、彼の思想を受け継ぐ者が出てきてもおかしくない」
その言葉に、ハッとする。
スリザリンは、今もなお純血主義を至高とする者が多い。また、スリザリン生の中でも貴族の子供たちは、親がヴォルでモートの信奉者であったと、噂されてもいる。
いつ、何がきっかけで、帝王の復活を掲げ、後に続けとばかりに、模倣犯となっても不思議ではないのだ。
だからこそ、昔の日本において、「撫で切り」というものが存在していた。
かの伊達政宗が、この撫で切りを決行したことで、日本中が震えあがったのは、有名な話である。篭城する者すべて、女子供など非戦闘要員問わず、すべての人間を殺しつくした。根絶やしにすることで、逆らわないようにし、思想すべてを葬り去るのだ。
────だが、純血思想は息衝いている。
「……とまあ、これが第一の理由」
「第一の理由?」
「え、他に理由があるの?」
ハリーとロンが立て続けに質問する。
「第二の、もう一つの理由は、正しく魔法を行使するため」
「どういうこと?」
「闇に心を惑わされたら、魔法は使えないと思うの。奪われてしまうから」
いつになく真剣な面持ちで告げる紫乃に、ハリーは驚いた。
ハリーが知る紫乃は、べそをかいているか、怯えているか、にこにこしているかのどれかしか知らなかったからだ。
「少なくとも、陰陽師やシャーマンはそうだよ。悪しき者に心を奪われたら、乗っ取られるの」
「の、乗っ取られる?」
「うん。術であるよ。相手を意のままに操る術」
「……魔法にも、あるよ」
暗い声を出したネビルは、「僕のパパとママがそうだ」と続けた。
闇の魔術には、絶対に使ってはならない三つの呪文が存在する。「服従の呪文」、「磔の呪文」、「死の呪い」だ。これらを、総称して「許されざる呪文」と呼び、怖れ慄き、嫌厭する。
「僕のパパとママ、聖マンゴに居るんだ。僕がうんと小さい頃、『例のあの人』に呪いをかけられて、僕が僕だって分からなくなっちゃったんだって。心が壊れたって、ばあちゃんが言ってた」
覚えていないから他人事のような言葉だったが、それでも沈痛な声は、ネビルの心に影を落としていた。
ハリーも、亡き父と母を思い、額がかすかに傷んだ気がした。
「……ネビルのお父さんとお母さんは、とても勇敢だったんだね」
「え……?」
どう言葉にすればいいのか、全員がわからない中────紫乃が、小さく言った。
「闇に属する術はね、そのどれもが、闇に負ければ苦しくないの。抵抗するから、苦しいの。心が壊れるほど、お父さんもお母さんも抵抗したんだよ。負けることも、諦めることも、簡単なことだったはずなのに」
「っ、パパと、ママが……?」
「うん。守りたい人が居たから、抵抗し続けたんだと思うの。それはきっと、命を投げるよりもずっとずっと、難しく勇気のいる選択だったはずだよ」
ネビルの鼻の奥が、ツンとした。彼の厳しいばあちゃんは、ネビルの両親を、事あるごとに「ロングボトムの誇り」だと言っていた。
病院であんな姿になってしまうことの、何が誇りなのか、幼い頃からネビルにはわからなかった。怖いことに立ち向かわなくても、いいじゃないか。逃げればよかったのに。そう言えば、祖母は眦を釣り上げて、烈火の如く怒鳴った。
────だけど、いま、理解した。
パパとママは、僕と僕の未来を守ろうとしたんだ。
目頭が熱くなる。けれど、泣くのは嫌だと思った。グリフィンドールに相応しい勇敢な両親の、子供こそ「僕」なんだから、強く勇敢でいたいと、ネビルが強く願ったからだ。
ハリーの目の前の、小さな女の子は、とても弱弱しかったはずなのに、今の紫乃は、きらきらと星が散る湖面のような、穏やかな双眸を向けて、美しく微笑んだ。
きっと、マリア様がいたらこんな風に笑うのかもしれない、と思わせるような。
陽の光によって、きらきらと光る茶色の髪が、ふんわりと揺れる。
「紫乃ちゃん、もしかして────」
「うん?」
「……ううん、なんでもない」
言いかけて、幸村はやめた。
紫乃の両親の話を聞こうとしたけれど、聞いてはいけないような気がしたからだ。たとえ聞いても、きっと紫乃は笑って教えてくれるかもしれないが、いつも見せてくれる笑顔じゃなくなってしまうような気がしたのだ。
幸村にとって、初めて出来た、ただの友達。純粋で、泣き虫で、甘い砂糖菓子のような女の子。
そんな女の子の笑顔を、消したくないと思ったのだ。
「そんなえげつない魔法の防衛術やったら、しっかりやっとくにこしたことないわな」
朗らかに笑って、「おっしゃ! やったるで!」と腕まくりして見せる白石。
そんな白石に続くように、ハリーも、ロンも、さらにネビルも、「僕たちも一緒に予習をしてもいいかな?」と聞いた。
もちろん、とにこやかに応じ、3人から6人に増えた自習は、にぎやかなものになったのだった。
────しかし、実際に授業が始まってみたら、どうだ。
「なんなんだい、ここは……」
昼食を終えてすぐ、始まった授業を前に、神の子は呆然と呟いた。
神が機嫌を損ねるとしたら、間違いなくこんな風になるのだろう。そう思わせるほど、不穏な空気を漂わせながら、苛々した雰囲気を隠さずに、幸村が不機嫌な顔をした。
隣の紫乃は、ぐったりしていて、白石も紫乃や幸村ほどではないが、不快さを露わにしていた。
「チッ。俺様のローブに匂いが染みついたらどうしてくれる」
忌々しいとばかりに舌打ちしたのは、跡部だった。 闇の魔術に対する防衛術の授業は、スリザリンと合同授業なのだ。
跡部を取り囲むようにして着席している女の子たちは、「跡部様の御髪が……」「跡部様のお召し物が……」と、一体どこの侍女なのか、と聞きたくなるような台詞を連発していた。彼女たちは、入学してからの跡部の信奉者だ。
大勢の女の子たちに囲まれる跡部に、グリフィンドールの男子生徒は、全員、妬ましい気持ちで跡部を睨んでいたが、「うるせぇよ、雌猫共!」という跡部の命令に、恍惚の笑顔を浮かべて命令に従った女子生徒らを見て、誰もが真顔になった。
「女の子といちゃいちゃする図じゃない。あれは、宗教だよ」怯えながら言った、ディーン・トーマスの言葉に、全員が深く頷いた。
「シノ、大丈夫?」
鼻をつまみながら、ハーマイオニーが心配してくれた。
教室中に漂う、ぷんぷんとしたニンニクの強烈な匂いで、生徒の大半は授業どころではなかった。勉強の鬼であるハーマイオニーも、集中力が途切れてしまう。これらのニンニクは、ヴァンパイアを寄せ付けないための自衛策らしいが、もっと方法はなかったのか、というのが生徒らの総意である。
もっとも、その原因は匂いだけでなく、担当教諭のクィリナス・クィレルの話し方にも起因している。甲高い震え声は、生徒の関心を集めようとするのには不適切だった。
「うん……でも、これ……ニンニクの所為だけじゃない、かも……」
「え、どういうこと?」
「僕もわからないけど、なんとなく、紫乃ちゃんの気持ちはわかる」
ぐたりと机に突っ伏す紫乃。彼女の言葉を引き継いだのは、不二周助だった。
彼はスリザリンなので、スリザリン生徒たちが集まる席に座るのが普通なのだが、日本人には寮による差別意識がほとんどない。仲の良い友達と授業を受けたい、という気持ちから、紫乃の隣の席へ、にこやかにやってきたのである。
最初、スリザリンの生徒だと警戒心を抱いていたハーマイオニーだったが、スリザリン生徒らしかぬ穏やかさに加え、亜麻色の髪に、絵本の世界から飛び出して来た王子様のような美少年の彼に、ハーマイオニーだけでなく、グリフィンドールの女の子が、「きゃあ」と喜んでしまった。歓迎ムード一色である。
────補足するまでもないが、スリザリン生徒がやってきたということで、ロンだけは「スパイだよ、絶対」といい顔をしていない。
「君もそう思うかい? 不二」
「うん……上手くは言えないけれど、彼からはとてもよからぬ物を感じるよ」
幸村の言葉に応えるように、不二の閉ざされた瞳が、スゥと開かれる。
切れ長の瞳は、瑠璃色の宝石を押し込められているかのようで、美しくきらめいた。
「あまり人の悪口は言うものじゃないけれど、僕はあの人が嫌いだ」
人の陰口を嫌い、争いを好まない不二には珍しく、拒絶の言葉だった。
不二の断言に、幸村も紫乃も、自身が感じている違和感が、間違いでなかったと確信を持った。何か、違うのだ。クィレルから感じるのは。
普通の人間に対して感じるものとは、一線を画すなにか────それをうまく説明できないが、クィレルは異端だ、という確信が、三人にはあった。
「そ、そそっ、そして、わ、わたしは、やっかいな、ゾ、ゾンビを倒し、そそ、そのお礼に、ア、アフリカの王子より、こ、このターバンをいただいたのです」
闇の魔術に対するオリエンテーションの後、クィレルは自身の経歴について触れた。それは彼の研究に始まり、研究のための旅へと話が及んだ。
「胡散臭っ」と、ささやかなツッコミをする白石もまた、うんざりした表情だ。
「先生」
「ななな、なんですか」
「そのゾンビはどうやってやっつけたんですか?」
シェーマス・フィネガンが率直に訊ねると、生徒らはうんうんと頷いた。しかし、クィレルは顔を赤くして話を逸らし、いきなり天気の話を始めたものだから、仰天ものである。
「日本の政治家よりも話が下手すぎるやろ」。話を逸らすなら、せめて笑いに変えてしまえというのが、なにわの笑いの鉄則である。関西人として、白石には許しがたかった。
「で、では、ゾンビの話は、ここ、ここまでにして、きゅ、吸血鬼について。吸血鬼の、に、苦手な、ものは?」
この質問に、苛々が頂点に達した様子の幸村が、挙手の後に、指名されて立ち上がる。
率先して挙手するハーマイオニーは、髪の毛にニンニクの匂いが付くという心配から、それどころではなく、髪の毛に意識が傾いていた。
「ニンニクもですが、聖水と十字架です。先生、いますぐニンニクを処分して、聖水を撒き散らすというのはどうですか?」
「聖水なら、作るの得意ですよ?」と、にっこり笑みを浮かべているが、その笑みがあまり穏やかではないことなど、一目瞭然である。
「そりゃあ、いい。俺様も協力してやるぜ?」と、気だるそうに賛同する跡部に、雌猫もといスリザリンの女子生徒らも「跡部様がなさるなら」、と、協力姿勢を見せている。
更に、白石までもが「ニンニク以外の香草やったら任せてや!」と、意欲的だ。
「退魔術なら、本職がいるじゃねぇか。藤宮紫乃」
「え!」
いきなり名指しされた紫乃は驚いたが、跡部の言う通りだったので、こくりと首肯した。「きゅ、吸血鬼に対して確実かどうかはわかんないけど、動きを封じるくらいなら……」ピーブスに対して、完璧な縛術を見せた紫乃に、グリフィンドールの一部の生徒が、期待を寄せる。
「そうだね。ということで、先生、いかがですか? いますぐにニンニクを撤去して、この教室一体を浄化する、というのは?」
神を降臨させるにしても、結界を張るにしても、浄化するにしても。人手なら足りていますよ、と、言わんばかりの輝きを放つ満面の笑顔に、たじろいだのはクィレルだった。
「たたた、頼もしいですが、それはまた別の機会に……!」大慌てで、またしても話をすり替えるクィレルに、跡部も幸村も疑惑の眼差しを向けた。
結局、その日の授業で得たものといえば、強烈な臭いの中で授業を受け続ける、という忍耐力のみである。
クィレルの話す、授業内容なんて、図書室で文献でも借りてきて、熟読する方がよっぽど実りある時間を過ごせるだろう、というのが跡部の言葉だった。
「ああっ、臭っ! ほんっま、くっさ! なんやねん、ホンマに!!」
「頭からシャワーを被りたい、お風呂入りたい……!」
「ふ、二人とも……」
授業終了後、いまにも服をすべて脱ぎ去りそうな勢いの白石と幸村に、躊躇いがちに声をかけたのは紫乃だ。
新鮮な空気を何度も吸い込み、深呼吸してから立ち直る不二は、ちょっとげっそりしていた。
「私、きっと臭いわよね……」
「ニンニクの厄介なところは、自覚症状なくなっちゃうことなんだよね」
しょんぼりと肩を落とすハーマイオニーに、不二もまた溜息を吐き出した。
「ぐだぐだ言ってても仕方ねえ。おら、とっとと行くぞ」
臭いに関しては諦めたのか、それとも跡部様専用の香水でどうにかするつもりなのか。理由はともかく、気持ちを切り替えた跡部の言葉に、テニス部のメンバーは失っていた目の輝きを取り戻した。
マグルであり、テニスを知っているハーマイオニーだが、年齢にそぐわず落ちついている彼らが、年相応に夢中になるテニスに、「そんなに面白いものなのかしら」と首を傾げつつも、今すぐにシャワーを浴びたい気持ちから、すぐさま夕食までお別れとなった。
「でも、それにしても……」
「周ちゃん、どうかした?」
不二くんから、周ちゃん、と呼べるようになった紫乃が、立ち止まって振り返る不二に、声をかける。
鋭い眼差しで、闇の魔術に対する防衛術の教室を睨む不二は、いつもの穏やかさが嘘のような、鋭利な空気をまとっていた。
逡巡の後に、「ううん、気のせいだよ」と、刺すような雰囲気を取り払い、いつもの穏やかさで柔和に微笑む。
「……いや、きっと何かある。きな臭ぇ」
「……そうだね、俺もそう思うよ」
紫乃に聞こえない声量で、前を歩く跡部と幸村が、小さく囁き合った。
薬草学と闇の魔術に対する防衛術の授業風景。幸村様は教授&博士ほどではないにしろ、トップクラスの成績になると思います(笑)