初授業と疑問(2)
 マクゴナガルが、真田とドラコを叱りつけ、減点をした後。生徒らの好き勝手な騒ぎは、すべて先ほどの大広間での一件についてだった。ハリーにとっては胸がスカッとする出来事だ。
 「ざまあみろ、いい気味だ」という、ロンの言葉に、何度も頷く。彼の双子の兄は、「僕たちのママよりおっかないね!」、「ああ、おっかない!」と笑い合って、ドラコに向かって涼しい顔で「赤瓢箪」と言い放った幸村に、賞賛の声を投げていた。
 一方、ネビルはびくびくしたままで、「ばあちゃんの吠えメールと同じくらいに怖いよ」と、半泣き状態だったので、ちょっと可哀相である。
 臆病なネビルがこの状態だったので、日本人留学生の中でも、泣き虫なあの子は大丈夫だろうか────そう思って、ハリーが幸村たちの方へと、ひょいと身を乗り出す。

「あら、シノは?」
「俺の足元だよ。ほら、紫乃ちゃん。もう出てきても大丈夫だよ」
「ほ、ほんとう……?」

 同じ部屋のハーマイオニーは、紫乃がテニス部の朝練に参加していたこともあって、今日はまだ紫乃に会っていなかったようだ。
 幸村の足元付近から、おそるおそる顔を出した紫乃に、ハーマイオニーだけではなく、ハリーも驚いた。

「真田の怒鳴り声が、怖かったんだよね」
 やれやれと肩を竦めてそう言った、幸村。「ごっつい声やったもんなあ」と笑っている白石に、「馬鹿デカイんだよ」と、幸村の辛辣な一言。
 ユキムラとサナダって、仲が悪いのか良いのかわかんないや、とハリーは思った。

「う、うん。でも、真田くんの言ってること、なにも間違って、なかったから」
「それでも暴力は良くないと思うわ」
「……先に手を出して来たのは、マルフォイの方だったろ。君、ちゃんと見ていたのかい?」

 いつの間にか、ロンがハーマイオニーの近くに居た。どうやら、幸村のドラコに向かって言った、最高の賛辞について、讃えようと思ったのだろう。
 今にも睨みそうなほど眦を釣り上げて、ハーマイオニーを見るロンに、彼女はツン、とすました顔をした。

「そういう時は先生に言うべきよ。生徒同士での揉め事はどんな理由でもよくないわ」
「君はとても優秀な模範生様だったんだね!」

 ロンは、良くも悪くもとても正直な少年だ。まだ浅い付き合いではあるが、ハリーにはわかる。
 ハーマイオニーにとっては、そのロンの正直さが癪に障ったのか、薄らと顔を赤くさせ、キッと睨んでいる。

「ハーちゃんが酷いこと言われたら、私でも怒っちゃうかなあ」

 針でも刺せば、割れる風船のような緊迫した空気が、二人の間にあった。その空気を、やんわりと散らしたのは紫乃だった。
 「はー、怖かったあ」と言いながら、幸村の手を借りて、テーブルの下から這い出して来る。

シノ、でもね」
「ハーちゃんの言う通り、暴力はいけないから、真田くんも減点されたんだよ」
「……ええ、そうよ。いけないことだから、減点されたの」 「うん、だからね、それでおしまい。行こ、ハーちゃん。薬草学の授業の準備、しなきゃ」
「え、あ、……ええ!」

 にこっと笑って、ハーマイオニーの手を引く紫乃
 「ゆきちゃん、白石くん、ウィーズリーくん! また後でね!」と言い残し、あっという間に去ってしまった。
 タイミングを見計らって、それとなくロンを連れ出そうとしていたハリーは、己の出番がなくなってしまって、肩透かしを食らった気分だった。

「……フジミヤも大変だね、あんなおせっかいな奴が同室なんてさ」
「まあまあ、そない言わんと」
「だってさ!」
「ロン、君の気持ちもわからなくはないけど、あんまり女の子に酷いことを言うのはよした方がいいよ」

 穏やかに諭す白石と幸村に、ロンはこれ以上ないくらいに、ぶすっとした表情になった。幸村を讃えようと思っていた気持ちも、すっかりしぼんでしまったらしく、唇を尖らせている。
 静かに席を立つ幸村が、ちらりとハリーへ視線を向け、苦笑めいた微笑みを見せた。その笑みが、なんとなく、「あとはよろしく」と言われたような気がして、ハリーは不機嫌なロンの元へと向かったのだった。

 幸村と白石。二人とすれ違う、ほんの一瞬。
 微かに幸村が振り返って笑ってくれたような気がして、ハリーもほんの少し笑みを返した。





 ホグワーツでの初めての授業は、『薬草学』から始まった。
 この薬草学の授業は、本当は温室での実習がメインの授業らしいのだが、今日は初授業ということもあってか、温室ではなく教室での講義だ。おそらく、オリエンテーションを行うため、教室となったのだろう。
 週に3回の授業なので、他の授業とは異なり、一日一コマ程度だ。トータルでは、三コマ六単位の授業ということになる。
 また、授業の性質上、一年生の内は、薬草学の授業は合同授業ではなく、寮ごとだ。実習に使用される魔法植物の中には、1年生には多少、危険な植物も取り扱わなければならないので、教師が監視できる範囲内を考慮してのことである。

 ホグワーツでの授業を、これ以上ないほどに楽しみにしていたハーマイオニーは、当然のように最前列の席に着いた。
 さすがにど真ん中は腰が引けたのか、紫乃が懇願した結果、最前列の右端ということで落ちついている。
 その後ろに、幸村と白石の二人も着席し、ハーマイオニーが紫乃に解説する薬草学について、二人がちょくちょく口を挟んだので、ハーマイオニーは感激のあまり、さっそく新品の羽ペンを羊皮紙に滑らせたのだった。
 幸村と白石が、魔法植物について造詣が深いとは知らなかったようだ。その結果、いつの間にか授業が始まる前には、グリフィンドールの寮生たちは、幸村・白石・ハーマイオニーによる議論に耳を傾けていたのである。
 傍で話を聞いている紫乃は、嬉々としながら3人の話に相槌を打ち、一方でロンは「目立ちたがりな奴なんだ」と、不機嫌な面持ちのままハーマイオニーを見ないようにしていた。


「薬草学の授業では、様々な魔法植物を扱います。時には、命に関わるような危険な植物もあるので、とても注意が必要です」

 薬草学を担当する、ポモーナ・スプラウト先生は、ずんぐりとした小柄な魔女で、つぎはぎだらけの帽子を被っていた。
 ハッフルパフの寮監であるからか、とても穏やかそうな女性だ。ふわふわとした髪の毛が、彼女の温和な性格を表しているかのようだ。
 彼女は、壇上から降り、ゆったりと教室を歩く。

「1年生の内は、なるべく安全な植物を扱うようにしますが、それでも注意が必要です。なぜなら、扱うのは植物ですから」

 この言葉に、強く頷いたのは白石だ。隣の幸村は、小さく笑いながらも、それでもスプラウトの言葉は尤もだと、頷く。
 二人とも、植物を自らの手で育てているので、植物に対する愛情は深い。どことなく関心の低そうな他の生徒たちとは、何倍も意気込みが違うのである。

「植物も生きています。ですから、『扱う時には丁寧に』を心掛けて、授業にのぞむようにして下さい。なお、この授業では、杖を振るうことはしません。この点について、つまらない授業だと思う人がいるかもしれませんが、この授業をおろそかにすると言うことは、魔法薬学の授業も放棄するのと同じことですから、その点について理解しておくように。魔法薬学は、魔法植物が存在して成り立つ科目ですからね」

 きっぱりと断言するスプラウトに、教室のほとんどの生徒は、首を傾げる。
 しかし、上の兄弟がいるロンだけは、反応が違った。「気を付けなきゃ」、と息を潜めて言った彼に、隣のハリーが、「どうしたの?」と聞いた。

「魔法薬学の教授は、スネイプなんだ。ほら、君も昨日の夜に見ただろう? あの陰険そうな教授だよ。スリザリンの贔屓が特に酷くて、すごく嫌味で減点ばっかりする、嫌な奴なんだ。ホグワーツでスネイプを嫌いじゃない生徒なんていないって、フレッドが言ってた」

 「だから、この授業をおろそかにするってことは、スネイプにも睨まれるってことさ」ヒソヒソ声で、心の底からウンザリしたように言ったロンに、ハリーは「よっぽどなんだね……」と、しみじみ呟いた。
 二人の会話は、幸村と白石の真後ろだったので、二人は声にせずに、密かに納得していた。とはいえ、もともとこの授業をおろそかにするつもりはなかったので、すぐに頭の隅へと追いやられる。

 そして、スプラウトは教室を一周すると、杖を一振りして、生徒らの人数分の薬草を出現させた。鮮やかな緑の、茎が四角く、葉と茎に刺毛がある。
 目の前に現れた植物に、紫乃は、不思議そうにパチパチと瞬きをした。

「誰か、この植物の名称が分かる人」

 スッ、と挙手があった────幸村と、白石、ハーマイオニーの三人だ。
 後ろの、強力な好敵手の存在を知っているハーマイオニーは、アピールするように、手を真っすぐにピンと伸ばす。
 そんな彼女の頑張りが通じたのか、スプラウトはハーマイオニーを指名する。

「セイヨウイラクサです」
「正解です。グリフィンドールに2点」

 初授業での初得点に、ハーマイオニーは、ぱっと顔を赤くさせた。

「では、この植物について説明できる人は?」

 続いての質問にも、ハーマイオニーは挙手をしたが、「今度は別の生徒にしましょう」という言葉に、肩を落として、手を下げた。

「ミスター・ユキムラ」
「はい。イラクサ科のイラクサ属の多年草で、イラクサは“刺草”を意味し、茎と葉に刺があるので、新鮮な刺に触れると、疼痛やかゆみが生じ、時には発疹が出るので、触れる際に注意が必要な薬草です」

 美人は何をしていても絵になる、と授業とは無関係なことを、誰もが思った。
 教科書を朗読するように、甘い声が教室に響く。何人かの女子が、ほうっと溜息を吐いた。

「すばらしい回答です。では、ミスター・シライシ、補足で何かありますか?」
「はい。セイヨウイラクサは、マグルでは煮て食べると胃の浄化に良いとされています。その性質上、魔法薬においては、内臓系の治療薬のほとんどに用いられています。また、イラクサには呪いを解く力もあるので、たとえばポリジュース薬を強制的に解除するための薬に使われています」
「教科書にも載っていない知識をそこまで……すばらしい! ユキムラに3点、シライシの5点、合計してグリフィンドールに8点!」

 幸村とは違い、独特のイントネーションながら、薬草に対する圧倒的な知識量を見せつけた白石に、教室中の視線は尊敬するものに代わる。
 幸村は、薬草や毒草といった植物よりも、ガーデニングなどの一般的な植物の方が、知識が深い。そのため、教科書や参考書に載っている程度の知識であったため、白石の知識には舌を巻いた。これは、ハーマイオニーも同じだった。
 「そんなこと、教科書に載ってなかったわ……!」と、とんでもないライバルの出現だと、彼女は焦り始めた。

「では、シライシ。更に質問して申し訳ないのだけれど、先ほど、イラクサには呪いを解く力があると答えてくれましたね?」
「? はい、そうですけど」
「このイラクサの呪いを解く力が、ある童話で紹介されています。その童話を知っていますか?」
「えっ! ええと……」

 さすがの白石でも、知らないことはあるようだ。予想していなかったスプラウトからの質問に、答えに詰まる。
 それもそのはずで、彼はマニアックなほどに薬草と毒草の効能や由来は知っているが、童話についてまでは網羅していなかった。
 うんうんと唸る彼に、スプラウトは、くすっと笑って教室を見渡す。

「お座りなさい。では、誰か他に知っている人はいますか?」

 生徒らは、こぞって隣の席の子と顔を合わせ、頭を振るう。
 ────そんな中、こそっと手のひらを持ち上げた者がいた。

「ミス・フジミヤ」
「は、はい。ええと……『野の白鳥』です」

 自信のない小さな声だったが、紫乃の答えに、スプラウトはにっこりと笑って、「正解です」と言った。
 その言葉に、紫乃は笑みを綻ばせ、ハーマイオニー、続いて、幸村と白石に笑顔を見せた。驚いたのは、3人の方だ。いや、彼ら以外に、教室の誰もが驚いていた。
 なぜなら、誰も童話の「野の白鳥」を知らなかったからだ。────正確には、読んでいた子もいたかもしれないが、忘れてしまっている、というのが正しい。

 ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『野の白鳥』。
 11人の王子とエリサという一人娘を持つ王が再婚し、後妻は息子たちを白鳥に変え、エリサを追い出した。エリサは城に戻ったが、後妻の呪いによって姿を変えられたせいで、王にはわからず追い返されてしまう。
 森を彷徨い、湖に出ると金の冠を被った11羽の白鳥と出会う。その白鳥たちは、陽が沈むと羽が取れ、夜にだけ兄王子へと姿が戻る。夢で教会の周囲にあるセイヨウイラクサで、鎖帷子を無言で編むようにと神様からのお告げがくだる。
 ある日、ある国の王がエリサを見初め、妻にと迎えるが、墓地のイラクサを摘みに、夜な夜な出かけるのでエリサは、魔女であるとして、火あぶりの刑に処されることが決まる。
 火あぶりにされる直前に、11人分のイラクサの鎖帷子を完成させたエリサは、白鳥たちに投げつけると、白鳥は王子の姿を変え、魔女の疑いが晴れた────というお話だ。

 兄王子たちのために、手のひらが血で濡れようと、処刑場へと向かう馬車の中で、民衆から罵倒を浴びせられようとも、天のお告げの通りに無言を貫き、最後まで編み続けたお姫様。
 そんなお姫様に、幼い頃から紫乃は憧れていた。
 ────どんなに馬鹿にされたって、どんなに酷いことを言われたって。大切な人を守るためなら、耐え忍んで戦いぬく。
 幼心に、強く励まされた紫乃は、この童話を誰よりも覚えていた。
 もともと、紫乃は童話などといったファンタジーの物語が大好きなのだ。

「このように、マグル世界の童話にも採用されるほど、この植物は有名だと言うことです。それでは、このセイヨウイラクサの保存の仕方を教えます。説明を聞き逃さないように。この後、2人1組のペアを組んで、実践してもらいますからね」

 スプラウトの宣言の通り、授業はイラクサの取扱い方から始まり、イラクサの保存の仕方を、黒板に書いて丁寧に解説なされた。
 イラクサは、葉の部分と茎の部分とによって、用途が異なるので、別々にしなくてはならない。葉と茎を分ける際には、茎の刺に注意し、ピンセットで分解する。
 葉の部分は日干しして、乾燥させ、粉末状にする。授業では、ひとまず乾燥させた葉をすり潰すことになった。
 また、茎の部分は、滑らかで白い色合いを持った繊維が取れるので、こちらもピンセットでの作業が必要になる。繊細な作業を要するので、集中力が必要不可欠だった。皆、一心不乱にピンセットで繊維を取り出す作業に没頭した。
 これらは、今日の6年生の魔法薬学の授業で使われる、とのことだ。

「そろそろ時間ですね。では最後に────次の授業は、明後日ですね。明後日までにやって来る課題について」
 全員が、急いで羽ペンを取る。

「今日の授業で扱ったセイヨウイラクサについてのレポートと共に、次の授業で扱うニガヨモギについて調べ、まとめてくること。もちろん、授業で習ったことよりも、さらに進んで調べてきても構いません。また、ニガヨモギについては由来、生態、用途……なんでもかまいません」

 玩具を与えられた子供のように、目をらんらんとさせているのは、白石とハーマイオニーの二人だ。
 嬉々とした表情の二人を見て、二人より後ろの席に座るハリーは、「徹夜でもするんじゃ……」と、真剣に思った。

「次の授業は、温室です。間違えないようにね。それでは」

 にこにこと笑ったスプラウトは、「注意しても、うっかり間違ってしまう人がいますから、間違ってはいけませんよ、温室ですからね」と、念を押したのだった。