初授業と疑問(1)
 ホグワーツの朝食のメニューはとても豊富だ。
 テニス部の他寮の子らと別れ、グリフィンドールの長テーブル席に着いた幸村、白石、紫乃の三人は、大皿にのった数々の料理に、目を輝かせた。
 特に、テニスで汗を流した幸村と白石の二人は、料理を前にお腹を押さえたほどだ。この年頃の男の子は、よく食べる。
 お腹をぺこぺこに空かせた二人は、パン!と手を合わせて「いただきます!」と口にするやいなや、大急ぎで料理を、自分の皿へと取り分け始めた。

「ゆきちゃん、白石くん。ジュースはオレンジ? 牛乳がいい?」

 取り分けた小皿のスクランブルエッグをかきこむ幸村と白石に、にこにこしながら紫乃が聞いた。
 飲み物のことが頭から抜け落ちていた二人は、「あっ」という顔をしながら、「ありがとう」とお礼を言う。

「ありがとう、紫乃ちゃん。オレンジジュースでお願い」
「俺は牛乳や。骨太にせなアカン。健康には大事やからな」
「ん、わかった!」

 きりっとした顔つきで紫乃。ゴブレットにジュースを注ぐ姿は、とても重要な任務を任されたような使命感に満ちている。
 それもそのはずで、こうして同い年の男の子(しかも二人も!)と一緒に朝食を共にすることもなければ、こんな風にジュースを用意することもなかった。
 手塚との世界しか知らなかった紫乃は、たった1日で、その世界を激変させたのである。

 少し視線をずらせば、ハッフルパフのテーブル。そして、レイブンクローのテーブル席が見えた。
 いつもと変わらず、落ちついた表情の手塚が、黙々と朝食を摂っていたが、長年の付き合いである紫乃には、なんだか浮かない表情に映った。

 (杖を変身するのに、時間がかかったから……気にしてる、のかな……?)

 器にシリアルをよそって、ミルクを注いだ紫乃は、そんなことを考えた。そして、それは正解だったりする。
 ハッフルパフとレイブンクローの今日の最終の授業は、変身術だ。杖を変身させるのに手間取ったからこそ、この授業に対していつも以上に気を引き締めている手塚は、さながら苦手な家庭科の授業に赴く時の心境だった。
 つい数ヵ月程前の家庭科の調理実習で、ゆで卵をゆですぎて卵を黒くさせて以来、特に家庭科は苦手なのだ。紫乃も衝撃だったので覚えている。
 そんな経験の持ち主である、人一倍、真面目な手塚は、テニスの試合よりも緊張を強いられていた。
 静かに食事する手塚を前に、今でこそ博識な乾は、同じマグルとして「力になろう」と密かに決めていた。


「今日の授業ってなんやろ?」
「最初に薬草学で、その後に闇の魔術に対する防衛術だって」
「え、藤宮さん、時間割いつの間にもろたん?」

 あれだけ多くの朝食の内、スクランブルエッグにベーコン、キッパーを始めとした、様々な料理を少しずつよそって食べた白石は、デザートとしてフルーツを食べていた。
 同じくフルーツを食べながら、紫乃はふるふると首を横に振る。

「さっき、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿が通りかかって、そんなこと言ってた」
「……ええと、ああ、『ほとんど首無し』のおっさんやっけ?」

 えらく長く仰々しい名前の、グリフィンドール寮のゴーストを思い出し、白石は苦笑した。すらすらとフルネームを言える紫乃に、わずかばかり感嘆する。
 「名前って大事だもん」そう言いながら、最後のオレンジにぱくついた紫乃。その横顔を眺め、幸村はくすりと笑う。

「使役の際に、名前が重要なんだっけ」
「うん、そう」
「白石だって、自分が好んでいないニックネームで呼ばれるよりも、ちゃんと自分の名前を呼ばれる方がいいだろう? そういうことだよ」

 そらそうか、と苦笑した白石は、「幸村君、えらい詳しいねんな」と笑った。
 『神の子』幸村精市について、まだ何も知らない白石だが、少なくとも陰陽術の類についても知識があることには、純粋な驚きがある。
 それについて、幸村は「俺も似たようなものだからね」と優雅に微笑む。

「別に名前を呼ばなくても出来るけど、機嫌を損ねた精霊や妖精は、名前を呼べば嬉しそうにしてくれるから」
「へー、そうなんか……あ、確かに俺の育て取るドラちゃんとゴラちゃんも、名前で呼んだら少しは機嫌直すわ」
「ドラちゃん? ゴラちゃん?」

 オレンジジュースをちびちび飲んでいた紫乃が、白石の言葉に反応した。ドラちゃんで思い浮かぶのは、某国民的アニメの青い猫型ロボットである。
 「ちゃうちゃう」と、手を振りながら笑った白石は、「マンドレイクをな、育てとんねん」と誇らしそうに胸を張った。

「寮やと、同室のやつが倒してしまいそうやし、興味本位で引っこ抜いてもうたら、どえらいことになるやろ? 場所を変えようかなて」
「……マンドレイクが倒れたら命取りだろ」
「やろ? 今度、部室に持ち込もう思てんねん」

 賢明な判断だよ、と幸村は続けた。マンドレイクという魔法植物は、その植物のけたたましい悲鳴を聞けば、命にかかわる。
 部活の時以外、無人の部室であれば、鉢植えを倒される心配もないだろう。

「マンドレイク? どういう植物? 可愛いお花?」
「おう! ごっついかわええねん! 俺が水やりしたら、嬉しそうに身体を揺するしな、それに────」
「……紫乃ちゃん。かわいくないよ? というか、物凄くブッサイクなおっさんの植物だから」
「えっ」
「ちょお待ちいな、幸村君。そら確かにそうやねんけど、その言い方は酷いでぇ」
「いや、事実だろ」

 マンドレイクは、葉の部分は普通の植物のそれと同じだが、根の部分は、裸の醜い男である。植物について詳しい幸村は、それを知っていたので、興味津津の様子である紫乃に釘を刺した。けっして、愛らしい妖精や生き物ではないのだ、間違っても。
 白石の「かわええ」が、育て親ゆえの愛情から来るものだと理解した紫乃は、やや引き攣った笑顔を見せながら、白石の“我が子”自慢話を、うんうんと素直に聞いていた。


「組分け帽子は、“スリザリンだが”ハッフルパフ──と、不思議な事を言ったようだね。どういうことか、質問してもいいかな」

 ────ふと、幸村は、大広間がやけに静まり返っていることに気づいた。
 今日の薬草学は、植物を愛する幸村にとって、とても楽しみな授業の一つであったし、それについて白石も賛同し、薬草について語り合っていたところだ。さらに、神道や陰陽道において関わりの深い植物について、一定の知識を有する紫乃の知識は、幸村と白石の二人にはない知識だったので、とても有意義な議論となった。その最中だった。
 穏やかな論議の途中、聞こえてきた話し声。やけに気取った話し方は、紅茶をカップへと注ぐ幸村の手を止めさせる。

「ゆきちゃん?」
「……なんだい、この静けさは」
「言われてみたらそうやな……なんなん、この空気」

 甘党の紫乃は、幸村から紅茶を注いでもらうために、いそいそとカップへ角砂糖を投入して、待機していた。すでにミルクも準備しているほど。
 怪訝な表情の幸村に、紫乃と白石の二人は、ようやく周囲の異変に気づく。

「すみません、なにかあったんですか?」
「おやおや!」
「これはこれは、神の子じゃないか!」

 隣に座る先輩に、幸村が声をかけた。すると、声を掛けられた先輩は興奮したように、さらに隣の先輩とハイタッチをし始めた。
 燃えるような赤毛に、鏡を合わせたようにそっくりな二人の男子生徒。
 ホグワーツの列車で出会った、ロナウド・ウィーズリーと面影が似ている。ついでに言えば、監督生のパーシー・ウィーズリーとも似ている。ウィーズリー兄弟は、複数人居ると聞いているので、彼の兄だろうか。
 聞けば、ジョージ・ウィーズリーとフレッド・ウィーズリーだと自己紹介をしてくれた。「我ら、二代目・悪戯仕掛け人さ!」と見事に息の合った二人に、紫乃はきらきらとした目をした。

「ああ、それで何があったかって? ああ、あったとも!」
「なんてことはない。愚かしいことに、マルフォイがあの『紅椿』の孫娘という、お嬢さんに無礼を働いている真っ最中さ。まったく嘆かわしいね!」
「その通りさ、兄弟!」

 喜劇でも演じているような身振り手振りは、間違いなく揶揄するそれだ。双子の口調は、完全に渦中のドラコ・マルフォイを馬鹿にしていた。
 広間の生徒らの視線を一身に浴びながら、なおもドラコは、話し続ける。
 内容は、紅梅がスリザリンへ組分けされなかったことが、スリザリンにとってどれほど嘆かわしいか、ということだった。
 馬鹿馬鹿しい。それに尽きる。スリザリンを讃える代わりに、ハッフルパフを侮辱する態度がありありと伝わる。

 これには、紫乃が珍しく口をへの字にした。
 紅茶を紫乃のカップにも注いでやり、真正面から紫乃の顔を見ている幸村は、当然の反応だと思った。

 もともと紫乃は、ハッフルパフに入りたがっていた、と白石から聞いている。
 今はこうして、グリフィンドールに組分けされているが、組分け当初は、「どうして私がグリフィンドールに……」と零していたらしい。
 だが、幸村と白石に出会い、ハーマイオニーと出会い、「グリフィンドールに入れてよかった」と笑顔を見せてくれたのだ。
 今でこそグリフィンドールで良かった、と言葉にしているが、それでも最初に入りたかったのはハッフルパフだった。

 穏やかで優しい性格の者が多いとされる、ハッフルパフ。幸村は、「紫乃ちゃんにはピッタリな寮かもしれない」と思いながら、同時に「真田がなんでハッフルパフなんだろう」とも思い始めた。
 苛烈なあの男が、ハッフルパフ。ティーポットを持つ手も、笑ってしまった所為で微かに震える。しかし。

「うち、弦ちゃんと一緒が良かったんえ。そしたらお帽子はんが、うち一人やったらスリザリンやけど、弦ちゃんと二人やったらハッフルパフやて言わはったん」
「ああ、やはり」
「──お前もか。俺も、一人だとグリフィンドールだが、お前といるならハッフルパフだと言われて、ハッフルパフになった」
「あらぁ、弦ちゃんも? ふふ」

 しかし、甘ったるい二人のやりとりに、幸村はイラっとした。

「……つまり、ひとりずつならいいけど、二人揃ってバカップルになったら、懐の深いハッフルパフじゃないと受け入れ不可ってことだろ……」
「うん、幸村君、抑えて? 俺も気持ちはちょっとわかるけど抑えて?」

 不穏な空気をまとった幸村に、何とも言えない表情のまま白石が、ぽんと肩を叩く。
 テニス部で自己紹介をして以降、真田と紅梅の二人の仲の良さは、白石も知っていたが、ああも仲のいい二人だとは知らなかった。完全に、アツアツのカップルにあてられた気分である。おとんとおかんのちゅーを見てしまった時よりは、幾分かマシやけど……────とそこまで考え、いらんこと思い出してもうたわ、と白石は落ちこんだ。親のラブラブ具合など、誰も思い出したくはない。

「でも、真田君って、怖いけど……梅ちゃんがいたら、そこまで、怖くない、かなって思った」

 一生懸命に言葉を選びながら、紫乃が言う。同い年の、しかも同じ日本人留学生である真田に対して、「怖い」と発言することが、悪いことだと思っているのか、申し訳なさそうな顔だった。

 朝の真田の怒鳴り声に、ぷるぷると怯えていたのがこの少女だ。そんな彼女の発言に、幸村と白石が揃って、小さく驚きを露わにする。

「まだ真田君とは、話したこと、ないけど……梅ちゃんが、あんなに笑顔で、あんなに嬉しそうに真田君と話してるし、梅ちゃんが一緒の時は、きっと、いつも怖い人じゃない、と思えるから」

 それでも、やっぱり怖いから紫乃はまだ、真田と話すことは出来ないのだろう。
 「まあ、それはあいつの自業自得だよね」、と幸村は言いながら、ティーカップに口を付けた。

「それにしても……バカなのか、あいつ」
「いやあ、俺もびっくりするわあ」

 乾いた笑みを見せる白石は、なおも続くドラコの発言に、呆れを通り越して逆に感心していた。
 そして────ああ、あれは間違いなくキレるな、と幸村には、わかった。密かに、カウントダウンを始めたのである。

「ああ、ああ、なるほど。君みたいなのと一緒にいるものだから、本来気高きスリザリンに組み分けられるはずの彼女が、愚鈍なハッフルパフなんかに入れられてしまったわけだ。実に嘆かわしいね!」

 ────5秒前。

「ミス・ウエスギ! ああ、今からでも遅くはないさ。何しろ本来ならスリザリン、と帽子も言っていることだしね。さあ、僕と一緒に先生に掛けあって──」

 ────4秒前、

「この、痴れ者がァ!!」


「……5秒も持たなかったな」
「え? 何が?」
「いや、こっちの話。紫乃ちゃん、大丈夫?」

 紫乃、ではなく、哀れな小動物は、目に涙をいっぱい溜めながら、可哀相なほどにびくびくと震えている。
 周囲では、本当に椅子から転げ落ちる者や、驚いてカップを落として割ってしまう者だっていた。
 真田の怒鳴り声に慣れている幸村でも、今年初めて聞く大音量の怒鳴り声だったので、少々驚いた。怒鳴り声に耐性のない者たちは、耳がキーンとしただろう。白石が、目を瞬かせているのが良い証拠だ。

 続く真田の、時代劇がかった口調の怒鳴りは、紫乃をテーブル下に追いやるには十分だったらしい。あまりの恐怖から、テーブルの下に逃げ込んだ彼女は、幸村のローブの裾をぎゅっと握って、ぷるぷるしている。
 これには、幸村は思わず笑みを綻ばせてしまった。
 なんだろう、この、じわじわくる庇護欲のような、感情は。雷に怯えてキューンと鳴く子犬に、しょうがないなあと、よしよしした時と似た気持ちを感じていた。

「……本当に、迷惑な奴だよ」
「いやあ、でも真田君がキレるのもわかるで?」
「そうじゃない。マルフォイだよ」

 てっきり、真田に対する苦言だと思っていた白石は、目を丸くさせた。

「ああなった真田は五月蠅いよ。よくもまあ、あそこまで真田を怒らせてくれたものだよ、まったく。あそこまで怒ったあいつの顔、久しぶりに見たからね」

 真田の怒鳴り声に、呼応するようにテーブルの上の皿が、カチャカチャと鳴る。その度に、幸村の足元で小動物が反応している。
 このままテーブルの下から出てこれなくなったら、どうしてくれる。紅茶を啜りながら、幸村は険しい表情を浮かべたのだった。



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