組み分け後
「では、寝る前に校歌を歌いましょう!」
というダンブルドアの宣言で始まった校歌斉唱は、なんとも奇妙なものだった。
ダンブルドアが「みんな自分の好きなメロディーで!」と言った時は、どういうことなのだかさっぱりわからなかったが、いざ始まってみれば、どういうことも何も、そのままの意味だった。
ダンブルドアが魔法を使い、金色のリボンで空中に歌詞を書く。そしてそれを、全校生徒が、それぞれ、全く別に、好き放題のメロディーで歌うのだ。
しかも、歌詞がおかしい。校歌というよりは、国営放送の長寿名物音楽番組『みんなのうた』で流れるような、幼稚園で歌うような歌詞である。
しかも、わざとだろう、あの騒がしいグリフィンドールの赤毛の双子が、とびきり遅い葬送行進曲のメロディで歌うので、皆それが終わるまでまたなければならなかった。
統率が取れていない、ということが苦手な弦一郎は、非常にいらいらした。
「ああ、音楽とは何にも勝る魔法じゃ」
感激の涙を拭っているダンブルドアに、弦一郎は、残念ながら校長には音楽的なセンスが絶望的なようだ、と思った。
ふと見ると、よほどこの校歌が気に食わなかったのか、太郎が見たこともないような険しい顔をしている。さもあらん。
「さあ、諸君、就寝時間、駆け足!」
と言われて弦一郎は本当に駆け足をしようとしたが、セドリックに肩を掴まれた。
彼曰く、急げという意味であって、本当に走れという意味ではないらしい。
自衛官の母に「駆け足!」と言われたら、問答無用に全速力で走らなければならないという習慣がついている弦一郎なので、本当に走ろうとしたことを周囲から微笑ましげにくすくす笑われ、居心地の悪い思いをした。
疲労に加えて、あのでたらめ校歌でいらいらが煽られていたこともあり、「急がせたいならそのまま急げと言えば良いだろうが!」と、弦一郎はむかっ腹を立てた。
しかし、「そやねえ」とおっとり言って紅梅が手を繋いできて、その柔らかい感触に、はっとする。そして、
──こんなことで腹を立てるのも、懐が狭いだろうか。
と、急に思い直した。
そして、落ち着いてみれば、走りだした弦一郎を止めずに指を指して笑うこともできるのに、ハッフルパフの面々はそれをせず、セドリックは親切に肩を掴んで止めてくれたのだ、ということに気付いた。
おそらく、グリフィンドールなら、こうはいくまい。いやグリフィンドール全員が指を指して笑うとは言わないが、少なくとも精市は、間違いなく指を指して大爆笑する。
しかし、ハッフルパルの面々は皆、弦一郎を笑うでもなく馬鹿にするでもなく、微笑ましげにしているだけである。
──何だ。よくよく考えてみれば、自分は嫌な目になど何ひとつ遭っていないではないか。
弦一郎は、目から鱗が落ちたような思いだった。
そしてもしかしたら、今までも、似たようなことがあったかもしれない、とも思った。落ち着いてみればなんでもない小さなことなのに、一人で勝手にカッとして、大騒ぎしてしまっていたようなことが。
「みんな、親切やねえ」
「……そうだな」
にこにこと笑って言う紅梅と手を繋ぎながら、弦一郎は静かに返事をした。
彼女といるなら、自分は根気強く、懐深く穏やかなハッフルパフになれる、という帽子の言葉を、そっと噛み締めながら。
ハッフルパフのエリアは、城の中でも比較的低いところに位置する。
高い尖塔でもなく、地下深くでもない、特徴が薄くおもしろみのない場所にある──と他の寮からは思われているものの、実は大広間から一番近く、どの教室に行くのも比較的近くてとても便利なのだということを聞いた時、弦一郎は、何よりだ、と満足して頷いた。
景色がいいとか、格好いいとかいう特徴は確かに魅力的ではあるが、実用第一、質実剛健なのが一番である、というようなことを弦一郎が答え、またやはり実用性を重視する紅梅がそれに同意すると、上級生らもまた、その答えにとても満足したようだった。
ちなみに、高さも含めていうと、最上階東棟がグリフィンドール、同じく最上階、しかし西側がレイブンクロー。北側地下エリアが多いのがスリザリン、南側地下がハッフルパフになるという。しかしスリザリンのほうが、より地中深いらしい。
「シンボルの動物の感じで覚えるといい」
というセドリックのアドバイスは、的確だ、と思った。
温かい南側の、地中深すぎない場所は、カナリアイエローのアナグマにぴったりだ。
そして上級生の言うとおり寮は大広間から近いようで、大広間を出てから向かって右側のドアを開け、石段を下り、広い廊下を少し歩き、厨房の側を抜けると、列はすぐにぴたりと止まった。
先頭を歩く監督生が、厨房の廊下右手の影にある樽の山、ふたつ目の列の真ん中の樽の底あたりを二度叩く。空洞の木の中に響く、温かい音がした。
すると樽が動いて、特に装飾のない穴のような入り口が現れた。
そのいかにも秘密基地っぽい仕組みに、新入生の、特に男の子たち──もちろん、弦一郎や清純を含む──があからさまにわくわくした顔をすると、監督生はにこにこしながら、「樽の位置を覚えておくように。叩く回数は二回、いい音をさせるのがコツ」と、ひそひそ声で言った。
穴を抜けると、シンボルカラーであるカナリアイエローと黒、差し色に緑を使った、広い談話室に出た。
部屋中に、ふかふかの肘掛け椅子や丸テーブル、少しラフな感じの観葉植物がたくさん置かれている。
部屋自体は半地下の位置になっているようで、天井に近いところに大きな丸い窓が並び、今は満天の星空が見えていた。天井自体は、とても高い。
床以外のすべての面がゆるやかに湾曲しているため、天井と壁の境目のない丸っこい部屋だが、それだけに、暖かくて居心地の良さそうな印象を受けた。
そしてこれはどこの寮も同じだそうだが、この談話室から、女子寮と男子寮へと別れている。
「ほなね、弦ちゃん。おやすみやす」
「ああ、おやすみ。──また明日」
弦一郎がそう言うと、紅梅は一瞬きょとんとして、それからにっこりした。
「へぇ。──また、明日」
談話室から寮へと続くドアは、両開きの大きなものだった。
弦一郎は清純と、そして話しかけてからというものすっかり面倒を見てくれるセドリックと固まって、窓のない地下廊下を歩いた。
ランプが灯されているのでそこまで暗くはないが、どこも似たような廊下で、しかも直線でなく有機的に曲がりくねっていくつも分岐しており、天井や壁も談話室と同じように丸っこく湾曲しているという、まさに穴熊の掘った巣のような形状をしているので、慣れないと迷うこともありそうだ。
部屋割りが書いてあるのだろう、手に用紙を持ちながら、君はあっち、君はそっち、と、監督生が新入生を部屋に割り振っていく。
いつ自分の名前が呼ばれるかと待っていた弦一郎と清純だが、てきぱきと新入生を割り振っていた監督生が、背の高いセドリックの姿に気づくと、愛想よく笑い、「おお、セドリック。頼むよ」と言った。
セドリックもまた誠実そうな態度で「了解した」と言い、そして、二人の肩に手を置く。
「君たちはこっち」
よくわからぬまま、しかしセドリックなので、と自然に思いながら素直についていくと、彼はとあるドアを開けた。
「ようこそ、ルームメイト諸君。これから二年間、よろしく」
てっきり同級生がルームメイトになると思っていた二人が驚いて目を丸くすると、セドリックは、いたずらが成功したように笑った。
まあ、いたずらというよりは、ささやかなサプライズだが。
「三年生になると、部屋が五人部屋から三人部屋に変わるんで、俺もそうなんだけどね。日本からの留学生なら、魔法界にもイギリスにも慣れてないだろうから、監督生と話し合って、上級生と一緒にして、面倒を見るようにしよう、って話になったんだ」
ずっとっていうならあれだけど、君たちは二年間だしね、と、セドリックは言った。
「それで俺が選ばれた。日本の魔法使いとこんなに近くでふれあえる機会なんか、そうそうないからね。とても嬉しいよ。よろしく」
セドリックは男らしい笑みを浮かべ、二人よりも大きな手を差し出した。
「──はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」
まず弦一郎が、握手に固く応える。
そのような提案をしてくれたハッフルパフ寮の人々と監督生、そしてせっかくの三人部屋になるというのに、同級生と過ごすのではなく、下級生の、しかも不慣れな留学生の面倒をまとめて見ることを選び、しかもこうして暖かく迎えてくれるセドリックに、弦一郎だけでなく、清純も、おおいに感動した。
明日、監督生の先輩にも改めて礼を言いに行きます、と弦一郎が言うと、セドリックは嬉しそうに微笑む。
──いい先輩ができて、本当に良かった。
清純とも握手を交わしたセドリックは、「疲れたろう。まずシャワーを浴びるかい?」と親切に聞いてくれた。寮というなら、日本なら間違いなく共同の浴場でもありそうなものだが、こちらのバスルームは各部屋にあるようだ。
ちなみに、監督生とクィディッチチームのキャプテンが使用を許可されているバスルームがあるのだが、そこは大変豪華で皆のあこがれであり、「あの風呂に入るためなら監督生になる価値もある」と言う生徒もいるという。
それはともかく、「日本では、目上の者が一番最初に風呂に入るのが礼儀です。ディゴリー先輩が最初にどうぞ」と、日本でいうところの“一番風呂”の風習を弦一郎がすすめるとセドリックは感心したように頷き、バスルームに入っていった。
その間に二人は、荷物の確認をすることにした。
部屋は三人部屋といっても日本の感覚よりずいぶん広く、充分を過ぎる大きさだった。談話室や廊下と同じく半地下で壁と天井は丸っこく、ほとんど天井に近いところに、大きな円形の窓がついていて、空が見えるようになっていた。
そしてベッドは、壁に半分埋まるような形で設置してある。その上天蓋付きで、ハッフルパフの黄色をしたカーテンですっかり覆ってプライベートを確保できる作りになっているという、何の過不足もないものだった。
その脇には、やはり壁に埋まる形で、個人用のクローゼットがついている。マホガニーの勉強机もあった。
位置自体が半地下であることといい、壁や天井の湾曲といい、そしてこうして家具類がいちいち壁に埋まるようにして設置されているところといい、どうも、“アナグマ”ということをおおいに意識しているらしい。
だがそうすることで部屋の中が広々と見えたし、なんだか特別な感じで、二人はひそかに満足してにやついた。
他の寮からは「地味なところにある」だとか言われているらしいが、──ハッフルパフ寮。いざ足を踏み入れてみれば、何より居心地が良く、各施設とも近くて便利で、その上、特に男の子が大好きな“秘密基地”感でいっぱいの、なんとも心をくすぐる寮である。
ベッドの足元に、それぞれの荷物は既に届いていた。
トランクを開けて、荷物をクローゼットに収納すれば、二年間過ごす「自分の部屋」の出来上がりだ。
荷物を詰める時、弦一郎は、いくらかのものを紅梅の葛籠に預けていたことを思い出した。すぐに必要なものは自分のトランクにちゃんと詰めていたので問題ないが、明日言って受け取っておこう、と、頭の中の“明日やることリスト”に書き加える。
「ポー」
と、ハトの鳴き声がした。
隣の清純のベッドを見れば、清純もだいたいの荷物の整理を終えたらしい、鳥籠からハトを出し、勉強机の上で、えさと水を与えている。
ハトがあまりに寡黙なので今まで存在を忘れていたが、真っ白で美しいハトである。
清純も気に入っているようで、食事をするハトを眺めながら、「お前もおつかれー」などと声をかけている。
「そいつ、名前はなんというのだ?」
「実は決めてないんだよねえ」
なんでも、ホグワーツに来るほとんど直前に手に入れたせいで、名前を考える暇がなかったそうだ。
「俺、ペット飼ったことなくってさ。今のところ、第一候補はマイケルかな」
「マイケル……」
「うん。“ポゥ!”って鳴くから。……何だよ、じゃあ真田君、なんかもっといい名前あるの?」
それに微妙な顔をした弦一郎に気付いたのだろう、清純はむっと唇を尖らせた。
言われた弦一郎は、「む」と唸ると、眉を寄せ、律儀に考え始める。「ハト……オスでハト……ハト……」とぶつぶつ呟く弦一郎が少し面白かったので、清純は少し笑う。
「ハト、……………………三郎」
「……ハトサブレから取ったよね?」
そのとおりである。
だがしかし、神奈川県民たるもの、ハトといえばハトサブレしかなかった。
「じゃあもうサブレでいいじゃんそこは! なんでわざわざ“三郎”なの!?」
「オスだからだ」
「一郎と二郎はどこにいるんだよ」
「……俺が“弦一郎”だから、いいんじゃないか」
「真田君がハトの兄弟に!」
清純は突っ込みを繰り返しているが、疲労のせいもあって笑いのツボにはまったらしく、げらげら笑っている。
「ひー。二郎、二郎は?」
「お前が改名すればいいのではないか? 千石二郎清純」
「やばい、単体だとださいのに、それだと戦国武将みたいでちょっとかっこいい……」
「楽しそうだな?」
髪を拭きながら、寝間着姿のセドリックがバスルームから出てきた。
ハトの名前を決めていて、その由来や、弦一郎の名前のことまでを話すと、セドリックは、なるほど、と頷いた。
「ふぅん。……そういえば、セドリック、って、セカンド、とちょっと似てるよね」
「おお、そうですな。ではディゴリー先輩が二郎で」
「セドリック・二郎・ディゴリー……」
呟いて、ぶはぁ、と、清純が噴いた。既に箸が転がってもおかしい状態になっている。セドリックは和名のあだ名が少し嬉しいのか、ちょっとうきうきした顔をしていた。
「となると、千石。お前は四郎だな」
「あれぇ!? 俺ハトの下!?」
千石四郎清純、という名前になった清純は、「ええー、でもちょっと天草四郎っぽい感じ」などと言いながら、ハトに「三郎でいい?」と聞いた。
すると、ハトが「ポゥ!」と、マイケルっぽい声で鳴く。了承と見ていいだろう。
「ここにいる間は、寮生が家族だからね。ルームメイトともなれば、ちょっと兄弟みたいなものだ。良い名前だと思うよ」
セドリックが、にこにこして言った。
そして続けて、「そういえば、サナダ。ゲンイチローと呼んでもいいかい? 兄弟を苗字で呼ぶのもね」とフレンドリーに言ったので、弦一郎はもちろん了承した。
そして二人のほうも彼を「セドリック先輩」と呼ぶことにして、順番に風呂に入る。
セドリックは「個人用なら充分なバスルーム」と言っていたが、浴槽もある立派な風呂で、部屋と同じく充分以上であるように感じた。バスタオルも、ふかふかなものがホテルのように用意されて、至れり尽くせりである。
もう遅めの時間なのでシャワーで済ませたが、汗を流すと、随分さっぱりした。
「セドリック先輩、ここからテニスコートまではどのくらいかかりますか」
「確か、クィディッチ場の裏手だよね? それなら走って十分というところかな」
では念のため二十分と見ておこう、と清純は欠伸をしながら言って、布団に潜り込む。
「あー……今日、テニスしてない……」
「そうだな……」
清純の眠気の濃い呟きに、弦一郎もぼんやりと返答する。
色々なことがあってしっかり疲労はしているものの、ラケットも竹刀も一度も握らない一日というのは、どうも据わりが悪い感じがする。清純も、そして他寮の面々もきっとそうだろう。
しかし、明日は、テニスができる。
いつもどおりに早く起きて、竹刀も振ろう。
弦一郎はそう決めて、布団を被り、目を閉じる。
──現在時刻は、ちょうど21:00。
スポーツマン三人は、健康的に就寝した。